私にも出来る祖母へのエール

「私にも出来る祖母へのエール」
焼津高等学校
3 学年
海和
美希
この夏休みに、私は北海道に居る祖父母の家に行きました。いつもは、とても
楽しみにしているのですが、今年は行くことが憂うつでした。
私の祖父は体が悪く、週に三回ほど透析に行っています。それでも、まだ祖母
と元気に言い合いをしたりしていました。しかし、その祖母も病気になってしま
いました。今回は、私達が祖父母の家に行ったのも、祖母の病気が理由でした。
今のうちに会わなければ、元気な祖母を目にすることが出来なくなってしまうか
らです。
約一日かけ、車で静岡から北海道まで向かいました。そして、着いてすぐに私
は、自分の目を疑いました。そこにいたのは、私の知る元気な祖母ではありませ
んでした。痩せた体でベッドに横になっている祖母を見て、私は声をかけること
が出来ませんでした。自分が想像していた姿とはあまりに違い、頭の中が真っ白
になり、言葉が見つかりませんでした。
次の日の朝、私は祖母に何をしてあげられるのかを考えました。しかし、いく
ら考えても良いアイデアが出てこないまま、ただ時間だけが過ぎて行きました。
このときになって、今の私にはまだ何も出来ないことに気がつきました。高校の
三年間で福祉について学んできた私は、人よりも福祉の知識があると自負してい
ました。授業の中で学んだことを、実践で生かせると自信を持っていました。し
かし、現実を見てみるとそう上手くはいきませんでした。ベッドで横になってい
る祖母を前にして、頭の中は真っ白でどうすれば良いのかもわからなくなり、私
の中にあった『出来る』という気持ちは、全て消え去ってしまいました。こんな
自分では、人を笑顔になんて出来ないのではないかと、とても心苦しく思いまし
た。そのとき私は、もっと勉強をし、知識も技術も身につけて、目の前にいる利
用者さんを助けられるような介護士になり、多くの人を笑顔にしてあげたいと思
いました。
何日かすると、私の受けたショックも少なくなりました。それでも、何をして
あげれば良いのか、答えは出ないままでした。考えても、考えても、これと言っ
たものが思いつくことはなく、もやもやとした気持ちで生活をしていました。そ
んなとき、私はあることを思いました。もしも、私が祖母であったら何をして欲
しいだろうか、支援者としてではなく支援を受ける側として考えるのも大切では
ないのかと思い、祖母になったつもりで考えてみました。その結果、私はいつも
と同じようにして欲しいと思いました。自分が病気であることも、それが命に関
わることであるのもわかっているからこそ、今までと同じように接してもらえる
ことが一番嬉しいのではないのかと思いました。そこで私は、祖母に気を遣うの
ではなく、いつも通りに話しかけ、一緒のときを過ごしました。それからは、以
前の祖母のように声を出して笑うことも増え、顔色も良くなったように感じまし
た。
『あぁ。こんな私にも出来ることがあった。その人の話し相手になることも大
切なことではないか。どうして忘れていたのだろうか。』と思いました。何か手助
けすることだけが、その人のためではなく、その人の想いに寄り添うことで人を
笑顔にも出来ることに気づきました。支援者としてだけではなく、人として心に
寄り添うことが相手にとっても一番幸せなのではないかと思いました。
私には、まだまだ足りないものがあります。それは、実践を重ねて得られる自
信や積極性です。そして、今の私にも出来ることがあるといということも学びま
した。知識だけではなく、相手を想う強い気持ちが大切なのだと思いました。し
かし、今のままの自分で良いとは思っていません。だからこそ、更に多くの専門
知識と実践を積むために進学し、学びたいと思います。そして、私の祖母と同じ
ような方と出会ったときに、今度は学んで来たことを生かせるようにしていきた
いです。多くの人に笑顔と幸せを感じてもらえるよう支援していきたいと思いま
す。