週末二日間鈍行列車“乗り鉄”の旅 矢嶋 K君が昨年11月に敢行した JR 東日本「週末パス」を利用しての「二日間鈍行列車の旅」に触 発されて彼の総乗車距離1162.4kmの記録更新に挑戦した。乗車する列車はすべて各駅停車 の普通で、乗り継ぎ・乗り換え時間のロスを極力短くしかつ乗車距離を最大にするべく時刻表のペ ージをあちこちひっくり返して計画そして実行した行程は以下の通りである。 一日目(2014/5/17) 駒込 05:40→(山手線)→05:56 新宿 06:00→(中央線)→06:28 立川 06:43→(中央本線)→08:38 甲府 08:53→(中央本線)→10:58 松本 11:08→(篠ノ井線)→12:22 長野→(信越本線)→⒕:17 直 江津 14:29→(信越本線)→15:13 柏崎 15:30→(越後線)→16:36 吉田 16:59→(越後線、白新線、 羽越本線)→19:20 村上 乗車距離:560.5km 所要時間:13時間40分 二日目(2014/5/18) 村上 07:33→(羽越本線)→09:13 余目 09:19→(陸羽西線)→10:05 新庄 10:09→(奥羽本線)→ 11:21 山形 12:16→(奥羽本線)→13:04 米沢 13:08→(奥羽本線)→13:54 福島 14:20→(東北本線) →15:07 郡山 15:11→(磐越東線)→16:42 いわき 16:54→(常磐線)→18:32 水戸 18:40→(常磐線) →20:40 日暮里 20:46→(山手線)→20:52 駒込 乗車距離:643.7km 所要時間:13時間19分 二日間乗車距離合計 1204.2km 所用時間合計 26時間59分 1 一日目 駒込~新宿~立川~甲府~松本~長野~直江津~柏崎~吉田~村上 立川(06:43 発)~甲府(08:38 着)(中央本線 101.4km) 甲府方面への電車は、立川や高尾から出ている。05:20 に自宅を出て“新宿”経由 で“立川”へ。06:43 発の甲府行電車は、小型のザックを背負った老若男女の満席状 態で出発、 “八王子”でも大勢が乗り込んでくる。これらのハイキング客も“相模湖” 辺りからポツリポツリとで降り出し、 “大月”で半分ほど下車、私の隣に座っていた 年配のご夫婦はグループ登山で笹子トンネルの直上にある山に登ると云って“笹子” で下車して行った。笹子トンネルを抜けると“甲斐大和” 、 “塩山”と停車、ほとんど のハイキング客は下車していった。 甲府盆地の彼方左手に残雪きらめく南アの山々(甲斐駒ヶ岳・鳳凰三山・北岳・間ノ岳など)が見えてくる。 甲府(08:53 発)~松本(10:58 着)(中央本線 96.6km) 08:57“竜王” 、H君宅の最寄り駅だ。北方彼方に、彼がよく登る偽八ケ岳 と呼ばれる茅ケ岳がまだ少しばかり雪を残して見える。登山客はぐっと少 なくなって一車両に3~5 人程度、だが先ほどと違って大型ザックを床に 置き本格的登山者のようだ。その多くが小淵沢で下車、多分八ヶ岳を目指 すのであろうか。 “韮崎” ・ “穴山” ・ “日野春”と進むと右手に八ヶ岳、左手 に鋸岳・甲斐駒ヶ岳・鳳凰三山、ちょっぴりだけ北岳の頭が見える。列車は 諏訪盆地へと下っていく、沿線の田圃は水が張ってはあるがまだ田植えは 始まっていない、代掻きをやっているのか耕運機が田の中を動き回ってい る、この辺りは標高 800~900m位、田植え時期は少し遅いのかもしれない。 “茅野” 、 “上諏訪”辺りから人の乗り降りが激しくなってきて先ほどまでガラガラだった 3 両編成の電車はほぼ座席が 埋まり、立っている人も出てくる。中信地方の中核都市諏訪・岡谷・塩尻・松本など大きな町が近づいて来たからであろう か?各駅に停まる普通列車が地域の人々の大切な足であることを実感する。 “塩尻”を出ると左手に残雪を戴く御嶽山の雄姿が見え隠れする。 右上写真は八ヶ岳。 松本(11:08 発)~長野(12:22 着)(篠ノ井線62.7km)初乗車区間 電車はセミクロスシート 2 両編成のワンマンカー、 ワンマンカーは慣れていないと慌てるだろう、無人駅で乗車する際は、一定の一か所 のドアしか開かない、車内で整理券を取り下車する時は先頭車両の運転席後方のドアか らのみ整理券と運賃を払って(定期券客はパスを運転手に見せて)下車する。都内のバ スのシステムと同じである、バスは降りる停留所手前で客自身がボタンを押さなければ 通過されてしまうが、ワンマン電車はすべての駅に停車してくれるところだけが違う。 “松本“を出た電車は、 “田沢”の先までしばらく安曇野を北上する。左手車窓に常念 岳ほか北アルプスの山々が雲間に見え隠れする。 “明科”を出ると間もなく3本の長いトンネル(第一白坂トンネル L=1325m、第二白坂トンネル L=1780m、第三白 坂トンネル L=4260m)を抜け“西条” “坂北” “聖高原”へと進む。西條~聖高原間の沿線では田植え作業が始まってい た、標高 600m ほどで、前述の茅野辺りより標高が低いから少し早く作業開始できるものと思われる。 2 路線の最高点標高 676m の“冠着(かむりき) ”を過ぎ、全長 2656m の冠着 トンネルを抜けると次第に高度を下げ、日本三大車窓のひとつ“姥捨”に着く。 善光寺平の眺望が圧巻である。ここで下車して写真撮影したところだが、今回 はそうはしていられない、ほんの束の間、車窓からパチリ(左写真) 。ここで上 り列車との交換、スイッチバックのため 5 分間ほど停車後、 “稲荷山“まで40 分の1の下り勾配がずっと続き善光寺平へと下って行く。 長野(12:45 発)~直江津(14:17 着)(信越本線75km) 普通列車なのに特急列車要車両がホームに待機している、これはラッキーと ガラガラ状態のクロスシート席を占領して長野駅で買い込んだお弁当で昼食。 “長野”を出るとすぐに左手に来年3月開業の北陸新幹線の線路が並走する、 やがて高架となり右方飯山方面へと離れて行った。 “豊野“~”牟禮“間は左右 にリンゴ畑が広がる、やがて山あいに入ると木々の新緑が眩しいくらいに美し い。 “牟禮”を過ぎると、飯綱、戸隠、黒姫山のどっしりした山容が姿を見せる、右 手前方の妙高山(2454m)は雲がかかっていてよくは見えない。 “二本木“でスイッチバックし次第に標高を下げて高田平野に下っていく。 ” 新井“で高校生が大勢乗って来て特急仕様の座席はすぐに満杯となる。左右の 田圃は既にほとんど田植えを終えている。 ”北新井”を過ぎると、また新幹線のレールが右手から寄り添ってくる、間 もなく左手に真新しい「上越妙高駅」と掲額された駅舎が見える。駅舎は出来 上がっているようだが、現在は外構工事が真っ盛りでクレーンなど建設工事 車両が動き回っている。在来線の接続駅は“脇野田”となる、高田市の中心部 から一駅離れているのはちょっと不便かもしれない。 高田の駅には、 「平成 27 年春北陸新幹線上越妙高駅開業 ようこそ越五へ 上越 妙高 柏崎 十日町町 佐渡」という幟が掲げられていて、早くも観光客誘致に奔走、地元の期待は大きい。二本もの新 幹線が走るのは新潟県と埼玉県くらいだろう、角栄さんの威力いまだ健在か? 新井、高田は仕事で頻繁に訪れた処で、往時を思い出しながら車窓の景色を楽しむ。 “高田”からも高校生が大勢乗車してきて、完全な通学列車となる。 直江津(14:29 発)~柏崎(15:13 着)(信越本線36.3km) クロスシート車 3 両編成 長岡行。 相変わらず高校生でいっぱい、車内は若やいだ雰囲気に包まれる。 列車は、 “潟町” ・ “柿崎” ・ “米山” ・ “鯨波” ・・・・・と左手に日本海を望みながら柏崎へと向かう、右手には「米山さんか ら 雲が出た~」の名調子で有名な米山(標高 993m)が見えるはずだが、この民謡の歌詞の通り厚い雲に覆われて秀麗な 3 姿は拝めず。 “柏崎”は20数年ぶり、駅前の町並は変わってはいないが、客待ちのタ クシーがずら~りと並んでいる。手持ち無沙汰そうに煙草をふかしている 運転手さんに話かけると「原発止まっちゃってるんで客が少なくて商売あ がったりだよ~」と云う。地元には金を落としてくれるけどいざ大事故でも 起こすととんでもないことになる、原発再稼働って難しい問題だ。 柏崎(15:30 発)~吉田(16:36 着)(越後線54.8km)初乗車区間 クロスシート 2 両編成 吉田行。 近ごろは珍しくなくなった女性運転手、指導員らしき人が脇に付いているので、まだ新人なのかも?女性らしい柔らかな運 転をお願いしますね! 一車両に 10 人程度の客を乗せて静かにそして滑らかに出発進行! “荒浜” “刈羽” “西山”と進むと巨大な送電鉄塔が林立し数条の送 電線が線路の上方を横切っている。云わずと知れた「東電柏崎刈羽原 子力発電所」が左手2km足らず先にある。 「福島第一」のような事故 が起きたらこの辺りもひとたまりもない、越後線も常磐線“広野”~ “原ノ町”と同じく不通となってしまうことだろう。 今は静かな田園地帯を縫うように列車は走る。 “礼拝(らいはい) ”という珍しい駅名に出くわした、地名も柏崎市西 山町礼拝、隠れキリシタンにでも関連する地名かとも思ったが、帰宅 して調べたら「二田物部神社」の礼拝所に由来するという。 “小島谷(お じまや) ”を過ぎたあたりから右手前方に弥彦山(標高 634m)が見えてくる。 ふと気が付くと電車に暖房が入っている、外はそんなに気温が低いのかな?用心して下着を冬物に着替えてきたのは正 解であった。 魚のアメ横と称され新鮮な魚が手に入ることで有名な“寺泊”を過 ぎると「大河津分水路」 (左写真)の鉄橋を渡って“分水”へ。弥彦山 が大きく迫って見えるようになり“吉田”に到着。単式ホーム 1 面1 線・島式ホームが 2 面4線計5っのホームがある大きな駅である。こ んな片田舎にこんな大きなターミナル駅があるとはそして「吉田」と いう地名さえも知らなかった。 吉田町は新潟県西蒲原郡に存在した町で燕市・分水町と合併し現在 は消滅したが、燕市と同様金属加工が盛んな工業立地の町(建設機械 メーカーの北越工業の本社工場もある)で越後線と弥彦線の交差する 交通の要衝であるという。 4 吉田(16:59 発)→(新潟)→(新発田)→村上(19:20 着)(越後線・白新線・羽越本線98.1km) セミクロスシート 7 両編成 村上行。越後線&白新線は、初乗車区間である。 午後6時を過ぎて曇り空でもあり次第に暮れなずんでくる。 列車は新潟平野の米どころ広い田が広がる中を突っ走る、既に大方田植えの 済んでいる田圃の風景(右写真)を撮ってからカメラはザックに仕舞い込む。 新潟・新発田経由の一日目の目的地である村上行なのでもう乗り換え・乗り 継ぎはないこともあり、居眠りしても終点下車なので心配なし!時折うとうと しながら4人席を一人占めしてゆったり気分となっていたら、 “新潟大学前” から大勢が乗り込んできたので、慌ててロングシート席に移動、 “新潟”で大分 降りたが再び乗り込んできて混雑さは変わらず。土曜日なれどちょうど帰宅時 間と重なったからであろう。 18時40分“新発田”に着くころには日はすっかり暮れ乗客もここでほとんど下車し元のがらがら状態となる。 19時20分とっぷり暮れた“村上”に到着。 村上には1964年(昭和39年)新潟地震のあった年の夏に2回ほど来たことがあるが、当時の様子は全く記憶に残って いないので初めての土地と同じ、街灯も無く大方の店が閉店してしまっていて暗い駅前通りをなんとなく心細く感じなが ら5分ほど歩いて田舎の安っぽいビジネスホテルに辿り着く。村上には瀬波温泉があるが駅から離れているので今回の旅 では宿泊先として最初から対象外とした。したがって「楽天トラベル」で予約した「タウンホテル村上」という安ホテルで、 しかも宿泊料金はいつの間にか貯まっていた楽天ポイントでの支払い。 フロントで、レストランは何時まで営業しているのかと尋ねたところ「今日は土曜日なので、営業していない」と云う返 事。仕方ない、風呂にも入らず顔と手だけ洗って駅前の飲み屋兼食堂に取って返す。ビールで一日目の無事終了を祝って独 り乾杯、美味しい村上の地酒も少々戴いてラーメンを食す。明日も早い出立なので、草々に引き揚げ9時過ぎに就寝。 二日目 村上~余目~新庄~山形~米沢~福島~郡山~いわき~水戸~日暮里~駒込 村上(07:33 発)→余目(09:19 着)(羽越本線95.3km) 初乗車区間 5時前に目を覚ますと外はやや強い雨。TV で天気予報を見ると今日はくもり→晴れとの予想でまあまあひとまず安心。 でも日本海や飯豊:朝日山塊、月山などで良い眺望が期待できる午前中は、ちょっと無理かもしれないな? ホテルの食堂は7時からとのことで、駅のコンビニでサンドイッチとおにぎりを買い込んで新津発酒田行きの列車に乗 り込む。 セミクロスシート、2両編成の気動車キハ112。 電化区間なのに気動車ってのは?車掌さんに尋ねると、村上駅で交流区間から 直流区間になる、特急列車と違って普通列車は交直両用となっていないこと や、編成車両の運用上気動車で運転することもあると丁寧に答えてくれた。な るほど!ナルホド! “村上”を出ると間もなく三面川を渡る。三面川は新潟県と山形県の県境朝 日連峰に源を発する全長41kmの二級河川、居繰網漁と呼ばれる鮭の伝統漁 法が有名である。 5 三面川を渡って直ぐに長いトンネルを抜けると左手に日本海が広がる、羽越線はここから“小波渡(こばと) ”の先まで 60kmほどを長短数多くのトンネルを潜り、国道 345 号(日本海夕陽ラインと呼ばれる)と並走しながら日本海に沿っ て走る。 左手洋上に「粟島」がうっすらと望める。洋上およそ20km 面積10 ㎢、渡り鳥の中継地としてバードウォッチャー達にはよく知られた島であ る、行ってみたいなと思ったことがあるが未だに果たしていない。 粟島と云えば、1964年6月の新潟地震の震源地「粟島沖」としても 記憶に残っている。島全体が1mも隆起して水稲栽培が不可能となり水田 が消滅したとされる。島へは村上市岩船港から高速フェリーで55分。 列車は、朝日・飯豊山地が日本海に迫りる海岸に、へばり付くようにわ ずかな狭隘な土地に点在する集落を丹念に拾うように造られた“間島” “桑川” “越後寒川” “勝木” “府屋”などに次々と停 車しながら快調に北上する。 “村上”から三つめの駅“桑川”に「日本海夕陽のふるさと」という掲示あり。駅舎と併設さ れた「道の駅笹川流れ」からきれいな夕陽が眺められるという。 “勝木(がつぎ) ”の前に「徳洲会病院」が立つ、こんなに辺鄙な場所に立地するなんて驚きだ。前都知事への献金や選 挙違反事件などであまり評判がよくない徳洲会だが、辺地医療を目指しているという理念は尊敬せざるを得ない。 やや長いトンネルを抜けると“鼠ケ関” 、ここから山形県に入る。8時30分“あつみ温泉”を過ぎ、海側の空は雲が切 れて晴れ上がってきたが、右手山側は依然厚い雲に覆われ眺望悪し。 “小波渡”の先で長いトンネルを抜けると羽越本線は日本海から離れ内陸へ向かう。 “三瀬(さんぜ) ”の先で再度長いト ンネル(矢引T)を潜ると庄内平野となり鶴岡へ向かう。左右の車窓には広大に区画された田圃が広がる、さすが米どころ の庄内平野だ。右手に月山(1984m)と羽黒山(414m)が雲間からわずかに望める。 余目(09:19 発)→新庄(10:05 着)(陸羽西線 愛称「奥の細道最上川ライン」47.3km)初乗車区間 初めての非電化区間、当然気動車(キハ112)2両編成 ワンマンカー 乗客は少なくガラガラ状態。 羽越本線車内でノートを取りながら運転席脇から写真を撮ったり車内をあちこち動き回っていた小学校3,4年生くらい のお父さんと一緒の兄弟も乗り込んできた。いわゆる鉄ちゃん少年であろう。話しかけると、今朝早く“新潟”を出て、 “新 津”で乗り換えこれから“新庄” 、 “米沢” 、 “坂町”経由で新潟へ戻る日帰りの旅だという。 私の二日間普通列車の旅スケジュールを見せると、 「わっ凄いなあ!大きくなったら僕もやってみたい」という。二人の少 年達の素敵な将来を祈る。 さて、余目と云えば「余目油田」が想起される。中学の社会の時間だったかでお目にかかったことがあるが、もうとっく になくなっているかと思いきや今でも細々と生産していると聞いて驚いた。 “余目”から二つ目“狩川”付近で数基の風力発電用風車が稼働しているのが 見える。旧立川町(現在は庄内町)主導のエコ発電計画で始まった風力発電は町 営の風車が4基、第三セクター(たちかわ風力発電研究所)所有のものが6基、 民間の㈱立川 CS センター所有のものが1基の計11基で発電能力6500kw hで、立川町内の年間消費電力総量の約6割をまかなっているという。この地は 春から秋にかけて吹き抜ける強風は岡山の「広戸風」 、愛媛の「やまじ風」と並ん で日本三大悪風と呼ばれているそうだ。ついでに思い出したが、10年ほど前の 冬、羽越本線の確かこの近くで特急列車がダウンバーストと呼ばれる突風に煽ら 6 れて脱線転覆した事故があったと記憶している。この辺りは風が強く風力発電の適地なのかもしれない。 列車はやがて、最上川舟下りで有名な最上峡に沿って進む。 「五月雨をあつめて早し最上川」の句通り、雪解け水と昨夜 来の雨を集めて茶色の濁水が滔々と流れ下っているのが車窓から望まれる。 最上川舟下りの乗り場がある“古口”を過ぎて最上川第一橋梁を渡り“津屋” “羽前前波(うぜんぜんなみ) ”辺りから新 庄盆地に入る。この辺りの田植えも今が盛り、沿線の田では農家の人たちの機械を使っての田植え作業が目立つ。先日、新 聞で恐ろしい記事を見た、TPP で安い米国産米が入ってくるようになるとこの日本古来の田植えの姿が消える?と云うシ ョッキングな話である。安い外国米に対抗する切り札として苗を育てる手間を省いた“直播き”を JA 全農が奨励している と云う。初夏の美しい田園風景が消えてしまうかも知れないとは、嘆かわしい限りである。 “古口”~“津屋”間で右手遥か彼方に残雪を戴く月山がちらっと見え隠れする、写真を撮れる間はほとんど無い。 「五月雨をあつめて早し最上川」1 「五月雨をあつめて早し最上川」2 キットタケナガさん撮影(古口~高屋間) “羽前前波(うぜんぜんなみ) ”付近の 田植え風景 新庄(10:09 発)→山形(11:21 着)(奥羽本線61.3km) ロングシート 2両編成 山形行のワンマンカー 乗換え時間はわずか4分でトイレ時間も無い、あたふたとホームを駈け 抜けて乗り換える。 “新庄”を出ると、右手前方に残雪を戴く月山(右写真) 、左手に奥羽 脊梁山脈の山並みが迫る、一番高く見えるのは船形山か? “大石田”で大勢の客が乗車してほぼ座席は埋まる、銀山温泉帰りの人 たちらしく楽しかった温泉での一夜の話に花が咲いている、中には幹事さ んが会計報告をしているグループもいて微笑ましい。 奥羽線の新庄~福島間は地元では「山形線」と呼ばれていて、在来線と 新幹線は同じ標準軌を共用しているので普通列車もかなりのスピードを 出しても乗り心地が良いように感じる。しかし、新幹線と在来線が単線で運転しているとは驚きである、安全上問題はない のかと心配になる。 7 将棋の駒で有名な“天童”から可成り混み合ってくる、日曜日で山形市内に買い物にでも出かける人が多いのだろうか? 電車は快調に走り、左手に「面白山」 「蔵王連峰」の山並みが迫ってくるようになると間もなく“山形”に着く。 山形駅での乗り換えは、今回最長の55分間もあるので、昼食は改札を出て駅ビル エスパル1階にある山形の老舗蕎麦 屋「三津屋」へ。まだ12時前なのに結構込んでいる、一人なのでカウンター席にすぐ座れたが、テーブル席は待ち状態。 55分間ってのもそんなに長い時間ではない、さっさと注文して、すぐに運ばれてきた「板そば」はかなりのボリュームで 3人前くらいは十分にありそうだ、でも朝食を簡単なものでませているので全部平らげてお腹一杯となり大満足。それにし ても山形駅の駅舎は綺麗になったものだ、50数年前蔵王にスキーによく来た時の木造平屋駅舎と比べるのは論外なのか もしれないが、雲泥の差である。 山形(12:16 発)~米沢(13:04 着)(奥羽本線47km) ロングシート 2両編成 米沢行 ワンマンカー。 発車10数分前から既に座席はいっぱい、立っている人さえちらほら、 「〇▽×□・・してけろ~」とか「・・うんだっ ちゃ~」など東北弁が盛んに飛び交っている。 「ふるさとの訛り懐かし上野駅」ならぬ、私にとっては「仙台の訛り懐かし 奥羽線」だ。 発車して間もなく左手に蔵王連峰が見えてくる、雪はすっかり解けてしまっている。 “赤湯”に近づくと米沢盆地を見下 ろした彼方に僅かなに雪を戴く吾妻山など山形・福島県境の山々が見えてくる。遥か右手前方にも残雪の美しい飯豊・朝日 山塊も。 米沢盆地は、これから田植えが始まる状態にある。 米沢(13:0 発)~福島(13;54 着)(奥羽本線40.2km) セミクロスシート 2両編成 久し振りの車掌乗車列車 乗客は少なくがらがら状態。米沢・福島間の奥羽線は交流電化複線である。 天候は回復に向かい、山岳部を除いて青空が拡がりだした。これから、 「碓氷峠」 「瀬野八」と並ぶ日本鉄道の難所の一つ とされていた「板谷峠」越えに向かう。以前は“大沢” 、 “峠” 、 “板谷” 、 “赤岩”の4駅連続のスイッチバックがあった急こ う配の難所ではあるが、今は強力なモーターを備えた電車が軽やかにぐんぐん高度を稼いで行き、瞬く間に“峠“に達し福 島盆地へと下っていく。車窓からの新緑が眩しいくらいの輝きを見せてくれる。 スノーシェードに覆われた”峠“で「名物ちから餅」を買い込んでパクつき、お腹がいっぱいになってゆったり気分、居 眠りしているうちに福島着。 福島(14:20 発)→郡山(15:07 着)(東北本線46.1km) ロングシート 2両編成 郡山行。 発車間もなく右手には、僅かに残雪を戴いた安達太良、吾妻が見えるのだが、東北新幹線の高架橋の桁とピアーの間からっ て具合になり艶消しで写真を撮る意欲は湧かず。 8 10分ほどで“金谷川” 。いまから65年前の夏の深夜、 “金谷川”~“松川”間で上り貨物列車が突然脱線転覆した事件 が発生している、言わずと知れた「松川事件」である。現場には「殉難之碑」と「松川記念塔」が建てられている筈。昔、 上野・仙台を鈍行列車で何度も往復した際に車窓から見ることが出来たのだが、新幹線が出来てからは、そんな機会は全く ない、めったにないチャンスだと、 “金谷川”を出てから“松川”まで、進行方向左側のロングシートで体を捻じって窓外 に目を凝らしたが、ついに発見できずじまいであった。 郡山(15:11 発)→いわき(16:42 着)(磐越東線94.2km)初乗車区間 セミクロスシート 気動車(キハ112)2両編成 いわき行 ワンマンカー 非電化単線。 沿線には、伝統工芸品郷土玩具である「三春駒」や春には沢山の観光客を集める「三春の滝桜」の最寄り駅である“三春” 駅がある。 「三春の滝桜」は一度行ってみたいと思っているが、駅から可成り遠いいのでまだ実現していない。 磐越東線は、阿武隈山地の山間を縫うように横断して浜通り“いわき”に至るゆったりした車窓が楽しめる路線で、愛称 は「ゆうゆうあぶくまライン」 。 “大越”の北方に石灰を採掘している山が見え、セメント工場が稼働している。 “菅谷”の近くには「入水鍾乳洞」と「あぶくま洞」の二つの鍾乳洞があり付近 一帯は「阿武隈高原中部県立自然公園」となっている。 路線のほぼ中間点に拠点駅としての“小野新町”がある。島式ホームの脇に3 本もの側線跡と廃止された広いヤードがあり以前は貨物駅としても利用されてい たのかもしれない。 列車は、次の“夏井”から夏井川に沿っていわきへと下って行く。一帯は「夏 井川県立自然公園」に指定されている。 いわき(16:54 発)→(18:32 着)水戸(18:40 発)→日暮里(20:40 着)(常磐線209.4km “いわき”を出て30分ほどで“勿来” 、福島県から茨城県へ。 “水戸”に着くころ、真っ赤な夕日が沈む。 午後8時、利根川を渡り千葉県へ。東京圏電車区間に入り、 “南柏” 、 “北小金” 、 “馬橋” 、 “金町” 、 “亀有” 、 “綾瀬”など小 さな?駅は停車せずに次々に通過し快調に走り今回旅行の最終コースに入る。 クロスシートに足を投げ出し、心地よい疲労と「遂にやった~」という達成感に浸りながら日暮里を目指す。 妻から「ビールとお酒と刺身を用意してあるよ~」とのメールが入る。 「有難う、ついでにお風呂も沸かしておいて~」 と依頼する。 定刻より2分ちょっと遅れで“日暮里”着、二日間鈍行列車の旅無事終了!! 9
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