東京上野ロータリークラブ週報

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東京上野ロータリークラブ週報
2006∼2007
2006∼2007 年度国際ロータリーテーマ
2006∼2007 年度東京上野ロータリー会長標語
「率先しよう」
「愛をもって」
●創立/昭和59 年 1 月 14 日(1984 年) ●事務局/〒110-0008 東京都台東区池之端 2-1-42 池之端ヴァッソンシノバズ 704 号 道給万紀子
TEL :03-5814-2491 FAX :03-5814-2490、 e-mail :[email protected]
●例会/毎週月曜日・12:30 上野精養軒 TEL :03-3821-2181、第 5 週・18:00 夜間例会
●会長:中島洋一、 幹事:加藤高身、 会報・IT委員長:反町博
湯島天満宮「女坂」
宮「女坂」湯島天満宮「女坂」
1028回例会 8月21日
平成 18 年 8 月 21 日 NO.1018
●前回の例会報告 ■■8 月 7 日第 1027 回例会■■
出欠を取っておりますのでぜひご参加ください。ご夫婦の
国歌 「君が代」ロータリーソング 「奉仕の理想」
参加歓迎です。
地区外来訪者
川崎 1
社会奉仕委員会 矢澤委員長
地区内来訪者
荒川 1 葛飾 1
(合計3名)
出席状況
会員数
出席者
出席率 7 月24 日修正出席率
58 名
39 名 67.24%
74.14%
会長報告第2回理事会報告
・ 8/21 第3回のクラブ協議会を開催します。8/28 の第4回の
芸大新奏楽堂コンサート企画案のアンケートありがとうござい
ました。コンサート実施の希望が 16 名、希望しないが 14 名で
す。その他、金額、日時、場所の規模等についてのいろいろ
な回答をありがとうございました。
お誕生日おめでとうございます
村松会員7/24 常盤会員 4/7(当日欠席の為)
クラブ協議会はガバナー公式訪問です。関係委員会の方
結婚記念日祝い 津田会員8/17 柳田会員8/19
はぜひご出席ください。
30秒スピーチ
・ 「心の東京革命」の賛助会員費を例年通り2万円の振込み
で承認頂きました。
・ 第22回の決算報告は、前年度の決算報告が整い、反町前
常盤会員(4/7)42歳になりました。ご無沙汰しておりましたが
皆さんにお会いした時、会員の皆様から、「元気?どうしてる」
と暖かく迎えてくださった皆様の温かい心を自分の誕生日の
年度会計より報告頂きました。都筑前年度会計監査より監
プレゼントにさせて頂きます。有難うございました。
査報告がされ理事会にて承認致しました。
村松会員(7/24) 42歳の後に出にくいですが、70歳になりま
・ 増田敏光会員が療養の為、半年間の休会となりました。
した。お祝い有難うございます。これからも、誠実に爽やかに、
・ 浅草RC、「薪能」の演者、坂真次郎先生が 7/27 に急逝され
他人にご迷惑を掛けず人生をエンジョイしたいと思っています。
ました。65歳でした。謹んでご冥福をお祈り致します。尚、
8/10 赤鬼というドライバーが発売されます。これを持ち、88歳永
お別れの会の日取りは掲示板にてお知らせします。
寿シュートを目指し頑張りたいと思います。
・ 3/21 に予定していました芸大新奏楽堂コンサートはアンケート
の結果、今回は委員会活動計画から削除しました。
ニコニコBOX
川崎RC渡邉文夫様 お世話になります。
幹事報告
中島会員 暑中御見舞申し上げます。
1. RI関係 特になし
大野会員 青少年交換留学生のサマーキャンプ、昨日から
2. 他クラブ関係
御殿場で始まりました。独のラーラも元気で参加、
21日(月)江戸川RC特別休会22日(火)東江戸川R
積極的に質問していました。
C休会(例会場休館のため)23日(水)本郷RC 移動例
都筑会員 阿部さん横浜の花火大会大変お世話になりました。
会に変更24日(木)向島RC夜間例会 クラブ協議会ガバ
ありがとう。佐谷戸さん、捧さん、佐藤さん、野口さ
ナー補佐訪問28日(月)浅草RC2000回夜間例会31
ん、反町さん秋田竿灯祭大変楽しかったよ∼。元
日(木)池袋RC夏季夜間例会リバーサイドRC夜間例会
会員の世永秋田ビューホテル総支配人に大変お
■例会の変更等、詳しくは出入り口の掲示板に掲示して
世話になりました。感謝!感謝!!です。
ありますのでご覧下さい。
3.上野クラブ関係
・ 青少年交換留学生ラーラさんが8/6(日)∼24日(木)まで青
少年交換来日学生オリエンテーション及び日本語集中研修
に静岡県のYMCA東山荘に行っております。
・ 事務局の夏期休暇は 8/9∼8/16 です。緊急時は加藤幹事
に連絡して下さい。
委員会関係 親睦委員会 今村委員長
親睦旅行は出雲に一泊で行きます。阿部、山本副委員長が
捧 会員 秋田にご同行頂き、皆さんお世話になりました。
尾中会員 長い間欠席して申し訳ございませんでした。北極
のすぐ近くに行って沈まぬ太陽ミッドナイトサンを
目の当りに見て参りました。
村松会員 誕生日のお祝い有難うございます。
常盤会員 誕生日を自祝して。(本日の合計 47,000 円)
(本日の累計 513,000 円)
本日の例会
8月21日(月)
第3回クラブ協議会
●卓話 「ベルギー王立美術館展」見どころと解説
東京国立西洋美術館 廣川暁生氏
―ブリューゲル、ルーベンス、マグリット、デルヴォー・・・巨匠
たちの400年―
を圧倒するルーベンスの宗教画は同時代のみならず後世においてもそ
の影響力が絶大であった。
ルーベンスとともに三大巨匠に数えられるヴァン・ダイクとヨルダーンス
もまた、ルーベンスの影響なしには語ることができない。ヴァン・ダイクは、
中世の古き面影を残しながら、国際都市として発展を遂げたベルギー
優れた感受性と心理的な感情移入の能力に優れ、ルーベンスの画風を
の首都、ブリュッセル。「芸術の丘」の一画に建つベルギー王立美術館は、
一段と洗練させた上品で豊かな独自の肖像画形式を確立して高い人気
グラン・プラスの市庁舎の塔を一望できるこの場所で、15世紀から20世
を得た。一方郷土的な士族性を特色とする写実性を追求したヨルダーン
紀に至る2万点以上の所蔵品によって、この国の美術の歴史を語り継い
スの、庶民的な活力に満ちた風俗性に富んだ《飲む王様》のような作品も
でいる。本展は、ベルギー王立美術館から選りすぐった100点余りの多
また、現実的な装いと写実的な様式で好評を博した。
彩な作品群により、16世紀から20世紀に至るベルギー美術の豊穣の40
しかしルーベンスの死後、17世紀の後半から18世紀にかけて、再び
0年の歴史を展望する構成になっている。ではさっそくベルギーの美術
欧州各国の略奪の舞台となったフランドルがもはや重要な画家を生むこ
の歴史を紐解きながら、展覧会を概観していこう。
とはなかった。
1.ピーテル・ブリューゲル〔父〕とその追随者たち:絵画の「ジャ
3.ナショナリズムとレアリスム―新古典主義から印象派、新印象派
ンル」化への流れ
へ―
「フランドル美術」と呼ばれる南ネーデルラント(今日のベルギー)の美
1816年、新古典主義の画家ダビッドのブリュッセルへの亡命は、この
術の大きな特色は、油彩技法を駆使した細密描写と徹底した写実性にあ
地でアート・シーンが再び活発化する契機となり、多くのアカデミー派の
る。画家たちは宗教画においも、風景、静物、風俗などの周辺要素に同
画家たちが彼に師事した。そして1831年のベルギー王国誕生を機にナ
等の興味を注ぐ傾向が強く、早くも16世紀にはそれぞれの分野が専門
ショナリズムが一気に高揚し、愛国主義的主題を称揚するロマン主義が
化の方向へと進みだした。
台頭した。これらアカデミックな絵画に反旗を翻したのが、1883年ブリュ
同じ頃イタリアではルネサンス美術が最盛期を迎え、その影響がアル
ッセルに設立された「二十人会」である。
プスの北側まで浸透し始めた。理想的人体表現の探求を志し、イタリア、
「二十人会」の設立は、ベルギーに印象派の波をもたらした。なかでも
特にローマへと留学したロマニストと呼ばれた画家たちがいる一方で、1
ルミニスト(陽光派)と称されたクラウスの徹底した光の表現の追求は、《陽
6世紀フランドル、最大の画家といわれるピーテル・ブリューゲル(父)は、
光の降り注ぐ小道》にも顕著である。1887年、スーラの作品がブリュッセ
イタリアには赴いたものの神話画や裸体像を規範とはせず、むしろ郷土
ルで展示されると、ファン・レイセルベルヘやレメンなどの若い世代の画
の民衆世界を描き出し、また16世紀前半以来の合成パノラマ風景を完成
家たちは点描技法に夢中になり、風景というよりもむしろ肖像画を得意と
させ、農民風俗画や風景画の分野で大きな一歩を踏み出した。長年ブリ
した。しかし次第に新印象派の厳格な理論を放棄していった。こうしてフ
ューゲル作として親しまれてきた《イカロスの墜落》は、近年作者を巡って
ランスからもたらされた印象派の波は、波紋のように広がりながら新たな
熱い議論が展開されているが、豊かな風景表現、細部の精緻な描写の
潮流と結びつくことになる。
見事さはまさに必見である。
4.象徴主義からシュルレアリスムへ
ブリューゲルの長男、ピーテル (子)は死後においてもなお需要があっ
「二十人会」や「自由美学」は「画一化」を嫌う創設者モースの志どおり、
た父の作品のコピーを専門に扱う工房をつくり、人気のある主題を制作し
非常に多彩な個性の集合体であった。「二十人会」創立メンバーのひとり、
た。《婚礼の踊り》はその好例で、村祭りや農村風景は17世紀を通して好
クノップフは、外面世界の再現に対する反動から、内的な世界を、作品を
評を博した。一方次男ヤンは、父の風景表現を継承し、その展開に大きく
通して示唆することを目指し象徴主義の流れを生み出した。「仮面の画
寄与した。特に、観る者に強い印象を残すブリューゲルの冬景色は、20
家」と称されるオステンドの画家アンソールの《怒れる仮面》は、仮面を用
世紀初めにフランドルの田舎を舞台に冬景色を描いた、ド・サデレール
いることで、しばしば日常的な場面を幻想的な空想場面に変貌させて描
の作品に至ってもなおその影響が見られる。
き出ししている。またゲント近くの村で世紀末頃から形成されたコロニー
このほかヤン・ブリューゲル(父)の得意とした「花の静物画」、スネイデ
ルスやフェイトによる「動物画」、ヴィルヘルム大公の宮廷画家、テニール
では、印象派、象徴派、そして表現主義的傾向が見られ、ベルギー近代
美術の多様性の一端を示している。
スがそのコレクションを描いた「画廊画」など、いずれも高度な描写の技を
雑誌『ヴァリエテ』を通して広まったシュルレアリスムの代表的な画家、
誇るフランドルの画家ならではの分野が登場し好評を博した。このように
マグリットとデルヴォーの作品に見られる無意識の世界を非論理的な方
17世紀のフランドル美術において、それぞれのジャンルがさらなる専門
法で描き出す手法は、フランドルの伝統である写実性と幻想性との巧み
性を強めていった背景には、1608年、イタリアからアントウェルペンに帰
な融合を可能にするものだった。
国し、アルブレヒト大公の宮廷画家となったルーベンスの精力的な活動
以上概観したように、ベルギーの近代美術の展開は、多くのベルギー
があった。
の芸術家たちが、「フランドルの遺産」にしっかりと立脚し、その上に他国
2.フランドル・バロックの三大巨匠―ルーベンス、ヴァン・ダイク、
の芸術を自由に翻案しながら取り入れたことを示している。自分らしさを
ヨルダーンス―
失わずに他者を受け入れることで豊かな文化を育んできた「ベルギーら
アントウェルペンは80年戦争で大きな痛手を負っていたが、ルーベンス
しさ」とはまさにこの点にほかならないのである。
帰国の翌年、オランダとスペインとの間に12年の休戦条約が結ばれ、こ
の小休止を得て、アントウェルペンの美術活動は何とか息を吹き返した。
《聖ベネディクトウスの奇跡》のような、壮大な構想と雄渾な筆致で観る者
次回の例会 8月28日(月)
第4回クラブ協議会 ガバナー公式訪問