巻頭言(中野) ― 3 ヘスティアとクリオ 巻頭言 歴史学における都市空間 中 野 隆 生 歴史学とは時間の相を軸とした知的営為である。ところが、その歴史学において 1980 年代ころか ら空間への言及が増えてきたように見える。むろん、たとえばフランスでは地理学との伝統的な交 流を踏まえ、フェルナン・ブローデルが地理的空間に重要な歴史的要因としての地位を認めたもの であった。しかし、このところ、かつてより以上に多様な領域について空間が持ち出され、なかで も頻繁に都市空間への言及が認められる。こうした傾向は現実の社会的変化を背景にして歴史学に 突きつけられた根源的な問いとおそらく関連しているが、いま、それを正面から論じるだけの余裕 はない。以下では、ただ、歴史学における都市空間とはいかなるものかについて、フランス近代都 市史を事例にとり、また地理学から示唆をえながら、私見を述べてみたいのである。 1980 年代あたりから地理学でも空間にかんする概念的再検討が進んだが、そこで導き出された考 え方にしたがえば、分節化された社会の一側面としての空間には物質的、非物質的、観念的という 三つの属性があるという。物質的な空間とは客体として認識されるものであり、都市空間にそくし ていえば、建築物など覆われた都市域(都市的な広がり)や行政的制度で画される市域が、こうし た属性を色濃くおびる。観念的な属性をもつものとは人びとが思い描き認知する空間であり、表象 された空間といいかえても大過なかろう。国や自治体の政策担当者が思い描き提案するもののなか の都市空間や、建築家や都市計画家による構想やプラン、あるいは日常生活や社会運動のなかで人 びとが抱く都市や街区のイメージなどに、表象性の優越する空間は見出される。非物質的なものと しては、とりわけ最近の機器の発展とともに強く意識されるようになった情報や通信の織り成す空 間が想定されている。もっとも、現実の空間はしばしば異なる属性が混じり合うかたちで成立し、 たとえば地域の住民組織を念頭におくとき、それをめぐる都市空間は物質的であるとも表象的であ るとも言い難い。また、いまのところ、非物質的な空間にかんする都市史の視線は、物質的な市域 や都市域、あるいは表象された都市空間といかに絡むかという点に向けられている。このように、 ハイブリッド 歴史学で扱われる都市空間は多様であり、しばしば混成的な質をおびるのである。 1980 年代のフランスで近代都市史の焦点となったのは、両大戦間期に本格化する都市(とりわけ パリ)の膨張であった。郊外の形成と展開が歴史的検証の対象にされたのである。そこに関心が集 まった背景には、1940 年代半ばからの長期的な経済繁栄のもとで胚胎された矛盾が第一次オイルシ ョックに端を発する構造的不況のなかで、とりわけ郊外で噴出したという現実があった。 さて、20 世紀には建築物で埋まる都市域が制度上の市域を超えて拡大したが、このことに郊外研 4 ― ヘスティアとクリオ No.3 (2006) 究は正面から向き合わなければならなかった。そこでは市域よりも都市域が重視され、その把握の ために様々な工夫が重ねられたが、その過程で市域と都市域のズレが強く意識されるようになった。 また、民衆の行動やコミュニティを解明しようとすれば表象された都市空間に大きな位置が与えら れるのは何ら不思議ではなく、ここでも、市域にせよ都市域にせよ物質的な空間と、建築や政策の 担い手や日常生活をともに営む住民など、人びとの抱く表象された空間とのズレを無視することは できなかった。ところが、都市にかんするデータのほとんどは行政的に画された空間を単位とする から、都市域や表象された空間の検討は市域との関係をどこかで踏まえざるをえない。また、一つ の空間が同時に物質的な属性と表象的な属性をおびることも稀ではなく、その内部には不断に緊張 が走っている。こうして、郊外に着目することを通して、フランスの近代都市史は、都市空間の多 様性やそこに孕まれる緊張、ズレに向かい合いつつ、民衆世界とそれをめぐる社会へ迫るという行 き方を自らのものにしていったのである。 いま一つ、郊外研究においては、住宅など居住の場、人びとが日常をおくり顔見知りができる街 区や界隈、そして都市的広がりといった、それぞれのレヴェルで固有の自律性を認めつつ都市空間 を読み解く必要性が唱えられていた。ということは、つまり、都市的広がりのみならず、フランス 近代都市史が得意としてきた街区、古くから建築史が関心を寄せる住居などをめぐっても、多様な 質をおびた空間とそれらに孕まれる緊張やズレが問題になるということである。こうして、重層的 かつ複合的な都市空間を様々なレヴェルで観察して読み解くことは、近代都市の歴史研究にとって 不可欠の作業となった。いま、この点を強調したいのは、そうした行き方をとることで、近世史と 近代史の接続、国際的な比較検討、歴史学と地理学、社会学などとの対話が深まると思うからであ る。 (首都大学東京・教授/歴史学)
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