2015.12.20「あなたのための救い主」 ルカ2

2015.12.20 クリスマス礼拝
ルカの福音書 2章1~14節
あなたがたの救い主
〇
今から 2000 年前、ダビデの町、イスラエルのベツレヘムの近くで羊の群を見守って
いる人達がいました。羊飼達です。毎日忙しく働き、一日の仕事を終えて、羊たちを石で
作った低い石垣の柵の中にいれていたのでしょう、そのすぐそばで火を焚き、羊たちを見
守っていました。ときどき、しずかにパチパチとなる薪。羊飼達は大空を見ます。そこは
満天の星。とても気持ちの良い夜。
羊飼達はどんな話をしていたのでしょう
「この空に浮かぶ星を見ていると、私たちを見守って下さっている神様がおられるって思
える。詳しいことは余り分からないけれど、やがて救い主という人が生まれるそうだ」」
「へーそうなんだ」「その方が私たちを幸せにしてくださる。どんな方なんだろう。」
「なあ、俺たちのことを神様は覚えていて下さるんだろうか。こんな小さな俺たちを」
「もちろんだとも、神様は俺たちのことをいつも覚えていくださるさ。」
そんな話が聞えて来そうです。
後で彼らは知るのです。「今日、ダビデの町、ベツレヘムで、自分たちのために救い主
がお生まれになった」ということを
今日は「あなたがたための救い主」という題で話をしていきます。
〇
羊はとても弱い動物です。牙も相手を突き刺せるような角もありませんし、相手をひっ
かくような鋭い爪もありません。歯はあっても、鋭い歯ではありません。
狼がやってきたらやられてしまいます。泥棒が来たら、かんたんに盗まれてしまいます。
弱い羊たちを、夜通し見守っている羊飼いたちがいました。
ベツレヘム近郊で羊の群を飼っていた人達、この羊の中には神殿でお献げもの用に育て
られているものもあったでしょう。エルサレムの神殿までわずか5㌔ですから。
「俺たちが飼っている羊、神様におささげする羊にもなる。有り難いことだ。しっかり、
羊たちを見守って行こう」
自分達が羊を見守っていると思っていましたが、実は神様が彼らを見守っていて下さっ
たのです。
突然、羊飼達がいる辺り一面、真昼のように明るくなりました。
余りにも突然のことです。そしてそこに主の使いと呼ばれる天使が現れました。
9節に「主の栄光」と書かれていますが、 主の栄光というのは神様の圧倒的な荘厳さ、
厳粛さのある
まばゆいばかりの光のことです。その光が当たりを照らしたのです。
自分達は死んでしまうのではないかという恐れを感じて、思わず目を覆っていた事でし
ょう。
御使いは恐れ惑う羊飼達に言います。
「恐れることはありません。今、わたしはこの民全体のためのすばらしい喜びを
知らせにきたのです。」
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです」
素晴らしい喜びの知らせが、この羊飼いたちにいの一番に羊飼いに知らされたのです。
-1-
御使いは言いました。12 節を見てみましょう。
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶に寝ておられるみどりごを見つけます。
これが、あなたがたのためのしるしです」
布にくるまって、飼い葉桶に寝ておられるみどりごに出会える。
これがわたしたちのしるし。
突然、御使いといっしょに多くの天の軍勢が現れて神様を讃美しました。
「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に,平和が御心にかなう人々にあるように」
讃美の
「荒野の果てに」
*1
の繰り返し
グロリヤ・イン・エクシェルシス・デオというのがありましたね。
これはラテン語で
「いと高き所には、栄光、神にあれ」
という意味です。
素敵なハーモニーの讃美、そう先程のハレルヤコーラスのように素敵なハーモニーで歌
われていました。羊飼達は、うっとりと、その素晴らしい讃美を聞いていました。
神様の栄光の光が、フェードアウトしていって、また真っ暗。
いつもの夜の野原となりました。
彼らは、互いに言いました「さあ、ベツレヘムにいって、主が私たちに知らせて下さっ
たこの出来事を見てこよう」
彼らは、すぐ向こうに見えるベツレヘムに急ぎました。
神様からのしるしは
3つありました。
布にくるまって、飼い葉桶に寝ておられる、みどりご
1,布にくるまって
当時は一枚の布を赤ちゃんにくるむことは普通のことだった
そうです。・・・・ケニアのこと
赤ちゃんを包むのにも、またおんぶするのにも
腰巻きにも使っていた。ケニアの時の事を思い出します。
2,飼い葉桶に寝ておられる・・・・ということは家畜小屋に違いない。
当時の家畜小屋は山肌をくりぬいて作られたようなところでした。
塩釜に行ったとき、不思議な光景を目にしました。岩肌をくりぬいて、そこを駐車
場にしていました。風や雨に強い自然利用の屋根付き駐車場、エコですよね。わた
しはそれまでに、そんな駐車場は見たことがありませんでした。
ヨセフとマリヤが、赤ちゃんイエス様といっしょにいたのは、そんな自然を利用し
て作った家畜小屋です。
家畜小屋でなかったら、彼らは救い主に会えなかったでしょう。
家畜小屋の前にはたき火がしてあったと思います。
野犬が来ないように、そして赤ちゃんとマリヤのためにお湯が用意されていたので
はないでしょうか。
*1 讃美歌412
注)グロリヤ・イン・エクシェルシス・デオ=「いと高き所には、栄
光、神にあれ」(ルカ2:14)
-2-
〇羊飼達はどんな出で立ちでしたでしょうか。
・野良着
草、羊、汗
何日も行水すらできなかったのではないでしょうか。
〇彼らは何かプレゼントをもってきたでしょうか。
・いいえ、プレゼントなし
買うゆとりも時間もない、
でも御使いの言葉を信じて、そのこと
ばをプレゼントのようにして持ってて来ました。
〇彼らはどんな思いを持っていたでしょうか。
・救い主に会いたい
その気持ちだけです。
3,彼らはみどりごを探しました。
・布にくるまれ、飼い葉桶にねておられる
みどりご
みどりごというのは赤ちゃんです。
・みどりご
は
羊飼いたちに何かしてはくれません。
ただ布にくるまれ、寝ているだけです。
しかし、羊飼達はその方が、自分達の救い主と知っていました。
ですから何としても会いたかったのです。
もし、エルサレムにあるヘロデ王の宮殿の中に、救い主が生まれたと御使いが言った
として、羊飼いたちが宮殿に行ったら、門番は彼らの言葉を信じないでしょう。
確かに赤ちゃんがお生まれになりましたよ。しかし、お前達はその格好で、プレゼン
トもなく、ただ会いたいからといって会えるわけがないだろう。帰れ帰れと言われたでし
ょう。
ありのままの格好、普段の姿で羊飼達は救い主に会うことができたのです。
これは私たちもそうです。
ありのままの自分で、普段の姿で私たちは救い主に会う
ことができるのです。プレゼントがなくても、高価なタキシードやドレスをを着ていなく
ても、今私たちは救い主に会うことができるということでしょう。
彼らは、布にくるまれ、飼い葉桶に寝ておられる、みどりごを見つけました。
御使いに言われた通りです。そして彼らには何よりも神様からの確信がありました。
この方が
私たちの救い主だ。その方に私たちは会っている。ありがいことだ。
この方こそ、 皆さん、まことの王、王の王。そう、主の主がお生まれになったのです。
イエス様がお生まれになる700年も前、旧約聖書のイザヤの預言によると、
こう預言しています。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、
私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は
「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
これがイエス様のことだったのです。
ブラームスの曲でクリスマスの曲があります。
(cs讃美歌22,ベツレヘムの子守歌)
昔、昔
ベツレヘムで、きよい
「地には平和」天使は歌う
あかちゃん
イエス様
かわいい
イエスさま
「地には平和」天使は歌う。
うまれた。
-3-
お生まれ
想像をたくましくして見ましょう。
ぐっすり眠っているあかちゃん、やっと寝たと思ったころに,男達が赤ちゃんはいないか
と探しているのですから、ヨセフは何人もの人達が近づいてくるのを知って、まず家畜小
屋の外に出て、彼らに会って何事かと聞いたでしょう。
御使いが現れて・・・という事を聞き、自分は夢で御使いにあった事を思い出して納得、
変な人達ではないことが分かって、まず一人でマリヤの所に行って事情を話し、羊飼達に
は赤ちゃんが寝ているから、話すときには大きな声ではなく、小さな声で話してください
とお願いしたことでしょう。
マリヤは羊飼達が何人も入って来て,オリーブのランプの光にかすかに見える赤ちゃん
にゆっくりと近づいて、御使いが言ったこと、空に天使達が現れて、讃美をしていたこと
を話したのです。
ああ、この子が私たちの救い主、なんて幸いなんだろう。
私たちは,救い主、キリストに会うことができた。この子は将来私たちを救う人となる。
大喜びでした。
〇
なぜ神様が世界で最初に救い主の誕生の知らせをあの羊飼達におしらせになったのでし
ょうか。
3 つのことを学ぶことができるでしょう。
1,ほんとうの羊飼いがおられる・・・・・・・見守っていた人が、見守られていた
導いて下さる方
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊の
為にいのちを捨てます。
羊飼い達は
旧約聖書詩篇23篇を暗唱できたでしょう。
この午後、Fさんが
詩吟で 23 篇を歌って下さいます。楽しみですね。
少しいっしょに読んでみませんか。
< 23 > ダビデの賛歌
23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰
めです。
23:5
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそい
でくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来
-4-
るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。*1
ダビデは羊飼いでした。そのダビデが、ほんとうの羊飼いであるのが、まことの神
様であると讃美をしています。羊飼達を見守っていた、羊飼いを実は見守っていてくあさ
るまことの神様、ほんとうの羊飼いがおられる。
そして私たちも、ほんとうの羊飼いがおられるのです。
羊は弱いことをはなしましたが、羊は迷い易いものです。
英語でわたしは迷子になった。というのを
lost は失われたと意味です。
I am lost.
といいます。*2
直訳したら、私は失われている。ということです。
富士見台の交番に行って、「お巡りさん、私は失われているのです」と言ったら変
な顔をされてしまいますね。
でも、lost これは意味が深いのです。人間は神様との関係から迷いでていまい、迷
子になっているのです。羊飼いが
迷子の羊たち見つけ出すまで探し出すように、神様は
私たちのために御子イエス様をこの世に遣わして下さり、イエス様はわたしたちを見つけ
出すまで、探していて下さるのです。
これがクリスマスの意味です。
・神の子羊・・・・・・・・・・・・・・・・いけにえとしての羊、全焼の生け贄
バプテスマのヨハネ
見よ、民の罪を救う神の子羊,不完全な生け贄は繰り替えししな
ければいけません。しかし、神であるイエス様は不完全ではなく、完全な方。この方が、
私たちの罪の為に死んで下さったので、もう何度も繰り返す必要はなくなった。イエス様
は私たちの罪を完全に赦し、清めて下さる方。
どんなに神様から離れていたとしても、イエス様は私たちを救ってくださいます。
私たちの身代わりとして、神の子羊として
十字架にかかってくださったのですから。
・羊飼達を最初の証し人としたかった・・・・取るに足らないと思われる人
小さいものを用いてくださる
何者でもないものを用いてくださるのです。羊飼達はイエス様の誕生の知らせを一番に
聞き、神をあがめ、讃美しながら帰っていたのです。会う人達に素晴らしい出来事を伝え
たでしょう。
マリヤ達に,神様はイエス様の復活を一番最初にお知らせになりました。
興味深いことに、当時の裁判所では羊飼いと女達は証言することができなかったという
のです。神様はそのような羊飼い、女達に一番最初に素晴らしい知らせを伝えてくださり、
彼らが証し人となったのです。
取るに足らないと思っている人こそ神様は優しく見守っていて下さる。そして一番神
様に近いのです。
*1 新改訳聖書第三版
*2 ライフライン
12.19
詩篇23篇
京都ライフラインの集い、村上先生のメッセージを参照
-5-
〇
皆さん
羊飼いに向かって、あなたがたのために救い主が
と語られたことばは、私た
ち一人ひとりに当てはまります。そう、あなたのために救い主がお生まれになったのです。
聖書は言います。
*1
わたしの目には、あなたは高価で尊い と。
イエス様は
失われた人、ザアカイの名前を呼んで、いちじく桑の上にいたザアカイに
声をかけてくださいました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日わたしはあなたの
家に泊まることにしてあるから」と仰いました。「ザアカイ」と読んで下さったのです。
神様は皆さんの
名前も、生い立ちも、今抱えておられる課題も、重荷も全部ご存知で
す。死の陰の谷を歩んでいるような方もあるかもしれません。しかし神様は皆さんの名前
を呼んで、支え守って下さる、あなたのための救いです。
皆さん、まだイエス様を信じておらない方は、今日イエス様を信じませんか。羊飼達が
ありのままの姿でイエス様に会えたように、何かできたら、何かもって来たらではなく、
ありのままでイエス様のところにいくように、イエス様を信じることができるのです。
神様わたしの心の中にお入り下さい。私はあなたを私の救い主と信じます。こう祈りま
せんか。イエス様は私たちが心の扉を開くときに、入って来て下さいます。
そして羊飼達が讃美し、神様を誉めたたえるようになったように、神様の恵みは、あな
たからまわりの人達に伝えられていきます。
クリスチャンの方は、ますます、イエス様があなたの救い主であることを信じ、神様を
誉めたたえ、感謝したいですね。
あなたのための救い主がお生まれになりました。
お祈りします
父なる神様、御名を讃美します。羊飼達に知らされた良き知らせが、羊飼達を通して多
くの人達に知らされ、今私たちのところにもその良き知らせが届きました。わたしたちの
ために救い主イエス様が生まれて下さった事を感謝します。私たちは迷い安く、弱い者で
すが、大牧者であるイエス様が私達を導いてくださいます。これからも私たちを導いてく
ださい。そして日々新鮮な思いでイエス様に会い、神をあがめ、讃美していくことができ
ますように。主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン
*1 旧約聖書
イザヤ43:4
-6-