新たな「希望の場所」づくり ―東日本大震災に思う― 祖 田 修 言葉を失う惨状 難生活,挙げればきりのない現実の中で, 3月11日,私は童仙房の里で,締め切り 学会に何ができるか,何をなすべきかにつ の迫った原稿執筆の手を休め,テレビのス いて,時間を忘れた果てしのない議論が続 イッチをひねった。そこに映し出されたの いた。 は,なんという光景であろう。波濤の先端 被災した人たちに何を語り,どんな言葉 部が田畑に押し寄せ,連なるビニール・ハ をかけたらよいのか。家を失い,仕事の場 ウスをなぎ倒し,やがて家や車がこともな を失っただけではない。家族や隣人,村社 げにのみこまれ,押し倒され,まるでおも 会の日常を失った,いわばゼロというより ちゃのように翻弄されている。いったいこ マイナスから出発せざるを得ない現実なの れは何ごとだ。一瞬かつてのフィリピン沖 である。私も東北地域に何人かの友人・知 大地震と津波の場面の再放送かと思った 人があるが,まったくかけるべき言葉を知 が,どうやら様子が違う。東北地方の今で らない。どのような言葉も,もはや意味を あるという。しかもそれは一部地域にとど なさず,力を持たないのではないかと思う まらず, 広範な沿岸部に及んでいるという。 ほどである。それでも被災した人たちは, 私は言葉を失い,テレビを切りたい思いに 萎えかけた心を立て直し,何とか立ち上が 耐えつつ,ますます目を見開いて見つめる ろうとしている。私たちはそれに寄り添 しかなかった。大変なことが起こったもの い,できる限りの支援を送るしかない。 こうした状況の中で,私も様々な思いが である。 「マイナス」からの出発 めぐる。 共生とは何か 震災後およそ1カ月後の農村計画学会に 参加したが,学会の主旨上さすがに震災へ 私たちは高度成長の果てに,多くの生態 の思いは深く,早速現地に飛んだメンバー 環境問題を生み出し, 「自然との共生」を呼 も多かったようだ。学会では現実の状況把 び交わすようになった。それはそれで誠に 握,当面の問題,今後の問題と展望などが 重要なことである。しかし共生を口にする 議論された。大地震,大津波,多くの死者・ ことで,互いに分かりあい,自然について 行方不明,原発事故,住宅や車の喪失,公 理解しているような錯覚に陥っていたので 共機関の施設破壊や機能マヒ, 農地の塩害, はないか。私たちが口にしてきた共生は, 地盤沈下,作物や牛乳汚染,海洋汚染,風 未だ人間中心の延長線上のことだったので 評被害,漁業施設や船舶の壊滅,長引く避 はないか。私たちは近代的な利器を持ち, ―4― 農業 1546号 2011.5 あたかも自然を征服したかのような思い上 新たな明日の創造へと向かうのであるとい がりがあった。そこに生まれてきたのが, う。そこは記憶の場所であると同時に,希 私たちは 「地球に優しくなければならない, 望の場所である。 自然を大切にしなければならない」といっ また地域計画の大家ロバート・シュミッ た言葉であった。しかし自然はもっと猛々 トは,とかく工業化後の社会は,およそ8 しく,悠然たる存在だ。地球の歴史は烈火 時間の労働や資本に関心を集中させたが, のごとき時代あり,極寒の時代ありで,わ 人は1日24時間を生き, 「仕事をし,生活し, ずか1度や2度の温度変化など変化のうち 遊ぶ」という存在であることを忘れてはい に入らない。その変化を抑えることが地球 けないと言っている。この3つのいずれが への優しさだなどとは,地球にとって思い 欠けても,人が生きる場所ではないという もよらないことである。 のである。 とはいえ,人間は地球上に誕生し,ここ これから被災地域も,またそれを支援す を生の場にしている生き物である。そして る行政や政治も,新たな生活の場所を創生 人類の歴史は自然との闘いの歴史でもあっ すべく懸命に立ち上がることになるが,ど たことも思わねばならない。自然との闘い んなに金をかけても,そこが東北や日本の の果てにこそ,謙虚な真の自然観が生まれ 地域づくりというにとどまらず,人類の未 てくるのではないか。気仙沼で海の恵み, 来を思わせる地域づくりであることを切実 山の恵みを受けて水産業に賭けてきた畠山 に願う。そこは単に施設が用意され,安全 重篤氏は,何もかも失った後,「これも海な に配慮された場所としてだけでなく,「仕 のだ」と,気丈にも語っている。私たちは 事をし,生活し,遊ぶ」場所,記憶の場所, 今こそ,荒ぶる自然に対し知恵と勇気を 希望の場所,まさに人間の場所として建設 持って対処し闘うこと,またその恵みを感 されていくよう願う。 謝で受け取ることの双方向のうちに,人間 私は,21世紀は経済価値,生活価値,生 と自然の織り成す真実を見つめなければな 態環境価値という3つの主要な価値が調和 らないだろう。それが真の共生ではないか 的に統合された,いわば総合的価値追求の との思いを新たにした。 時代であると考える。その困難な道程に, 「人間の場所」づくり 私たちは総力をあげて目指し取り組みた このデリケートな存在としての人間につ い。大きな困難の後に,偉大な人材が多く いて,ボルノーという哲学者は「人間は場 生まれることは歴史が証明している。これ 所である」と定義する。人は日々見慣れた から始まる新たな地域社会建設の暁に,東 場所,住み慣れた場所に身を置くことに 北そして日本が人類史に残すものは大きい よって,また自らが育った町や学校,山や と信じたい。 森や川,それらをつなぐ道など,そこでの 生い立ちや人間関係の思い出によって,現 ( そだ おさむ ) 京都大学名誉教授 在の自分をも位置づけ, 安らぎを取り戻し, ―5― Journal of The Agriculture No.1546 2011.5
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