「戦中派」の思いと良心を今に生かしたい 憲法守り 、軍隊のない独立国家に

「戦中派」の思いと良心を今に生かしたい
10 月 7 日、ウイング・ウイング高岡で憲法9条ファンクラブ@高岡主催の「第 3 回戦争と平和
を考える集い」が開かれ、「国破レテ山河アリ−永らえた学徒兵の回想−」と題した高峯正
冏さんの講演に、多くの市民が熱心に耳を傾けました。85 歳の高峯さんはかくしゃくとして真宗
本願寺派の住職を勤め、県歌人連盟理事、
「憲法9条の会in とやま」の呼びかけ人をしておられ
ます。充実した貴重な講演の要旨を皆さんにもおすそ分けしたいと思います。
1943(昭和 18)年に出された勅令で大学・
高専の在学生の徴兵猶予はなくなり、同年 12
月、私は大学 2 年在学のまま土浦海軍航空隊
へ入隊した。その後、徳島、大井、鈴鹿、岡
崎の海軍航空隊に転属した。45 年 7 月に神風
特別攻撃隊回天隊員に指名され、標高四百㍍
の高原にある放牧場を滑走路にした鹿児島県
牧之原基地で離着陸訓練をさせられた。訓練
中の事故や出撃で、同期・先輩が次々に死ん
でいった。飛行機乗りは消耗品にすぎないと
いう自覚を持つようになり、死に対してさえ
図太くなっていた。
機材補充のため岡崎へ帰隊し、8 月 15 日正
午、うだるような暑さの格納庫で天皇の放送
を聞いたが、雑音でほとんど聞き取れなかっ
た。しかし上官から「われわれは規定方針通
り作戦を実行する。君たちは直ちに牧の原基
地に帰り特攻出撃準備を急げ」と命令された。
編隊は一時南下したが、敵機来襲の情報が皆
無のため、高度を下げ低速で大阪、神戸、広
島など赤く焼け爛れた廃墟を望見しながら飛
行した。国土がこれほど荒廃しているにもか
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かわらず、なお戦闘を続けると豪語する軍幹
部の非常識・非情さに強い憤りを覚えた。
1943 年 12 月の学徒出陣で海軍飛行予備学
生となった同期生は 3312 人、
うち戦没者 406
人の多くを数えている。高峯さんの話は貴重
な青春を戦争の中で失わざるを得なかった不
運と意図せぬ戦争に踏み出さざるを得なかっ
たいわゆる「戦中派」の忸怩たる思いに溢れ
ていた。しかし彼は言う。
「戦中派は、他の世
代の人たちがもち得なかった青春を持ってい
る。戦争のために失った青春をいとおしみ、
青春をいまだしっかり保持している」と。
“後
に続くを誓ひて遂に永らえし者らの影の墓
標にくらし”
(高峯正冏詠)
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「戦前派」が今生から消え去ろうとしてい
る時、高峯さんが身をもって示しているよう
に、
「戦中派」は日本国民の良心を保持してい
る大切な宝物だと思った。
「戦後派」はもっと
もっと貪欲に「戦中派」から学び、教えても
らわなければ平和憲法をしっかり守れないと
痛切に感じたのは私一人ではなかろう。
【R】
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憲法守り 、 軍隊の な い 独立国家に
日野原重明さん(医師・聖路加国際病院理事長)
「 よ か っ た 」 参院選結果
― 先の参院選で自民党が大敗しました。
よかったです。安倍内閣がちょっと崩れましたね。民主党も安倍首相のように改憲を強引に進
めると反対があるということを読んで、もっと審議を続けるべきという方向になるでしょう。い
まこそ憲法を守る国民運動が効果を発揮してきます。
憲法をかえるかどうかを最終的に決めるのは国民です。安倍内閣の改憲の狙いはアメリカとい
っしょに地球のどこかで起こる戦争に従事することです。その足がかりとして国民投票法を国会
で強引に成立させましたが、心して憲法を読み返して、改憲阻止の運動を進めることが大事です。
平和守る 勇気を
― 過去の戦争について、
「正しかった」という人がいます。
日本は日中戦争という誤った戦争に踏み出し、近隣諸国に大きな惨禍をもたらしました。中国
で人体実験を行なった731部隊の石井四郎中将は京都大学の先輩です。私が医学部4年のとき
人体実験の16ミリ映画をみせられました。捕虜を檻のなかに入れてチフスやコレラ菌その他の
各種の病原菌を感染させて何日目に熱が出るか、何日目に発疹が出るか、何日目に死ぬかという
ものです。また、南京で日本兵が銃剣で妊婦のおなかを突き刺す場面も見ました。見た学生はみ
んなぞっとして、脳貧血を起こして倒れるんです。
僕らはそういう事実を知っているから、「あれはもう過去のことで、なかったことだ」なんて
嘘は通じない。アメリカのベトナム戦争もそうですが、戦争というものは人間を悪魔にしてしま
います。
久間防衛大臣の原爆投下「しようがない」発言もひどいものです。
私の父はミッションスクールの広島学院の院長を務めていました。昭和19年(1944年)に
定年退職で上京したから助かりましたが、被爆後はすぐに焦土化した広島を訪れ、
「女学生が死
んだ」
「学校の建物がなくなった」と、報告しました。私も医学生時代は広島女学院の官舎にい
たことがあるので、広島にはなじみがあります。
被爆の悲惨さを知る私たちは、世界に何万発もの核兵器があることを踏まえ、平和の尊さを語
りつがなければなりません。現代人に必要なのは戦う勇気より平和を守る勇気です。
安保条約の 破棄を
― 米軍基地の解消も提言されていますね。
私は日本が平和憲法を実現して世界平和のとりくみの先頭を目指すことを願っています。米軍
への基地提供も10年後には解消したいと、アメリカに伝え、その後は完全に軍備のない独立国
家となってほしいと思います。
そのために安保条約を破棄することにアメリカは文句を言えません。いい方向にするんですか
ら。また、反対したら他の国は文句をいいますよ。ポツダム宣言を受諾して日本が無条件降伏を
したのはアメリカに無条件に従うということではなく、世界に非戦を宣言したのですから。
「 命へ の 畏敬」
― 平和や憲法への思いの原点には何がありますか。
それはシュバイツアー博士の「命への畏敬」という考え方です。すべての命は皆神様から与え
られたものであり、動物でも植物でも生きる権利がある。だから地球上の全生物が共生する方向
にもっていくべきだという考え方です。いわんや人間同士が殺しあうなどとんでもない。
東京大空襲の時には多くの被災者が聖路加国際病院に運ばれてきました。大やけどを負った大
人や子どもたちが薬品もなく目の前で死んでいきました。その光景はいまも私の脳裏に焼きつい
ています。
私は命を守る医者です。命を脅かす最大のものが戦争です。だから私は日本が軍隊をもつこと
に同意できないし、平和運動に徹するのは医者の務めです。
ひのはら・しげあき 1911年山口県生まれ。京都帝大医学部卒業後、41年に聖路加国
際病院へ。著書は『10歳の君へー95歳の私から』
、
『人生、これからが本番』
、
『95歳
からの勇気ある生き方』など多数。
〈全国革新懇ニュース292号《革新懇インタビュー》
(2007.9.10)から転載〉