ビートルズと U2を結ぶキーワード: アイルランド性(Irishness) 福屋利信・澤泰人 まえがき Richard R. Day and Julian Bamford. Extensive Reading in the Second Language Classroom (Cambridge UP, 1998) の翻訳を手がけ、『多読で学ぶ英語:楽しいリーディングへのご招待』なる 邦題で松柏社(2006)から訳本を出版しました。原書のなかで Day & Bamford は、「教材が学習 者に『伝えたいメッセージ』を有していることがリーディングを楽しくし、自発的学習意欲を高めるの に非常に効果的だ」と主張しています。 従来の英語教育の現場においては、メッセージ性が高いのは「生の教材」、すなわち英語を 母国語とする人たちのために英語で書かれた読物であり、文法項目や慣用表現を優先させたリ ーディング教材はメッセージ性が低いとされてきました。しかし「生の教材」は、英語を母国語とし ない学習者には難易度が高すぎるという欠点を内包しています。 Day & Bamford は、「伝えたいメッセージ」を優先しつつも、文法事項・語彙などを学習者の 言語能力に合わせる配慮がなされた教材が理想だとし、そのような教材を「言語学習者用図書」 (Language Learner Literature:LLL)と名づけました。彼らの理念に共鳴し、翻訳まで手がけた者 の一人として、少しでもその理念に近しい教材を自らも作成したいという想いに至りました。 このような経緯と同僚の澤泰人、仁木映子両氏の献身的な協力によって生まれた『ビートル ズと U2 を結ぶキーワード:アイルランド性(Irishness)』が、学習者の皆さんにとって「楽しいリーデ ィングへのご招待」となればと願う次第です。 なお、表紙のイラストは2005年度物質工学科の卒業生、梅下知子さんの手によるものです。 ビートルズと U2 のリードシンガー BONO のイラストの間にちりばめられた三つ葉のクローバー (shamrock)は、その昔、聖パトリックがアイルランドにキリスト教を広めようとした際、三位一体 (the Trinity)の具象として紡いでみせたもので、今では国章になっています。また、緑、オレンジ、 白という配色は、アイルランドの国旗の配色に一致させています。緑はシャムロックに象徴される カトリシズムを、オレンジはプロテスタントで構成された組織オレ ンジ党の存在ゆえにプロテスタンティズムを、そして白は両者の 融合を意味しています。 現実にはその融合はいまだ実現しておらず、アイルランド 島はカトリックが大半を占めるアイルランド共和国と、イギリス連 邦の一部でありアングロ・プロテスタントとアイリッシュ・カトリック が対立する北アイルランドに分断されています。ビートルズも U2 も、この分裂を終わらせようとする歌を書いています。本教材の 「伝えたいメッセージ」の一つも、「アイルランドをアイルランド人 の手に戻そう!」("Give Ireland Back to the Irish!")という願いで あり、果てしない対立に終止符が打たれることを望む心です。 聖パトリック 福屋 利信 ビートルズのアイルランド性 U2 はアイルランドのバンドであり、バンド自体がアイルランドの人種と宗教における分断状 態を体現していると言えます。4人中2人がイギリスで生まれでアイルランドで育ち、あとの2人は 生まれも育ちもアイルランドです。そして2人の出自がカトリックの家系であり、2人のそれがプロ テスタントです。その分断を乗り越えるために幾多の葛藤を繰り返しつつ、U2 は今も精力的なバ ンド活動を展開しています。その意味で U2 というバンドは、宿命的にアイルランドの過去から現 在までを内包していると言えます。 一方、ビートルズはイギリスのバンドであるがゆえに、彼らのアイルランド性が真正面から 語られることは、これまでほとんどありませんでした。ビートルズの4人が生まれた育ったリバプー ルは、18 世紀イギリスの産業革命の舞台となった工業都市です。また、アイリッシュ海を隔ててア イルランドと対峙しているので、アイルランドからの移民を多く受け入れてきた街でもあります。そ れゆえに「リバプールこそがアイルランドの本当の首都」と言われることもあります。それを裏づけ るかのごとく、ビートルズの4人ともがケルト系(ここではほぼアイルランド系と同義として使用)の 血を引いています。 ビートルズの初主演映画 A Hard Day’s Night は、多くのアイルランド系労働者階級と同じ く、昼も夜も働き通し生活の中でも、自分たちの夢をあきらめまいと必死に前に突き進むビートル ズのひたむきな姿が、リバプールの街角を背景に鮮やかに描かれています。 A Hard Day's Night からの一場面 彼らの姿勢の根底には、移民先の社会において、常に底辺から這い上がることを余儀なく されてきたアイルランド系に特有の「上昇志向」が存在しました。しかし、当時はその「上昇志向」 が彼らのアイルランド性の一つとして意識されることはほとんどありませんでした。世界中の若者 に伝わったのは、音楽好きの有人が集まってバンドを組み、自分たちの感性を信じて必死に鍛錬 を積めば、世界を揺るがすようなことが可能なのだという「生き方」そのものでした。ビートルズが 20 世紀最大のロック・バンドであったことに疑いの余地はありません。しかし、ビートルズの出現は、 音楽現象にとどまらず文化現象でもあったのです。 Paul McCartney は、故郷リバプールとそこに住む素朴な人たちへの気持ちを "Yesterday" や "Penny Lane" といった曲に盛り込んでいます。また彼は、"Let It Be" や "Eleanor Rigby" と いったカトリック信仰に根ざした曲も作っています。"Let It Be" とは、「人生は神の思し召しのまま にしておきなさい」という教訓であり、その言葉をいったのが聖母マリアだとあります。神の力を絶 対視し、人間は神が創造した秩序のなかで生かされているのだとするカトリックの教義に一致しま す。加えて、聖母マリア崇拝は、正式にはカトリックにだけ許されている信仰ですから、"Let It Be" はまさにカトリシズムに満ち溢れた歌ということになります。"Eleanor Rigby" は、教会で行なわれ る結婚式のライスシャワーの米を拾って生活している女性の歌であり、その教会を司っているの が McKenzie 神父とされているゆえに、カトリックの教会とわかります。ちなみにプロテスタントの 教会を司るのは牧師です。このように Paul は、アイルランド性の重要な構成要素であるカトリシズ ムに回帰していこうとする曲を多く書いています。なお、冒頭に Mc がつく姓はアイルランド系で あることを示しており、Paul がこの曲に込めたアイルランド性がひしひしと伝わってきます。 これに対して John Lennon は、カトリックの教えを離れて、人間の中に神性が宿るとしたア メリカの思想家 Ralph Waldo Emerson の「自己信頼」の精神に至ったと考えられます。John は "God" という曲の中で、"I don't believe in Jesus ... I just believe in me."と歌っています。しかし John は、自分の体内にアイルランド系の血が流れていることを消し去ろうとしたわけでは決して ありません。彼はアイルランド解放軍(IRA)に寄付をしたり、その活動を支持するコメントを発した りして、政治的に自分のルーツと関わろうとしました。個人的には、小野洋子との間にもうけた男 子に John のアイルランド綴りである Shone を使い Shone Taro Lennon と名づけています。 "The Luck of the Irish"では、「1000 年の拷問と飢えの歴史が、アイルランド国民を自分たちの国 から追い出した。美と神秘に満ちた国は、イギリスの略奪者どもに強奪された。リバプールで皆は 話してくれた。イギリス人がどのようにしてこの国を引き裂いたかを……」と John らしい辛辣な言 葉を連ねています。ここでの彼の歌詞は、「アイルランドでは移民が人生を決定する」と断言した 社会学者 John B. Keane の言葉に共鳴します。移民という名の国外追放(exile)も、まぎれもなく アイルランド性の一つなのです。映画 Titanic の主役 Leonard DiCaprio 演じる Jack Dawson は、豪華客船の三等室に寝起きしつつアメリカでの成功を夢見る貧しいアイルランド移民でした。 ジャックの夢を乗せてアメリカに向かうタイタニック号 1972年、北アイルランドのロンドン・デリー(カトリック教徒たちはロンドンというイギリスの 地名を冠することを拒否したい心情からフリー・デリーと呼んでいる)で、差別をなくすよう要求する カトリック系市民のデモ隊とイギリス軍が激しく衝突し、軍の発砲によって 13 人の民間人が命を落 とすという事件が起こりました。これに対しては、それまで政治的発言を控えていた Paul でさえ、 "Give Ireland Back to the Irish" を書き、John は "Sunday Bloody Sunday" を書きイギリス政府 に抗議しました。もちろん U2 はすぐさまこの事件に反応し、John と同名異曲の "Sunday Bloody Sunday" を世に送り出しました。Bono は、「この歌は単なる反逆の歌ではなくて、宗教的壁を乗 り越えていこうとする歌だ」と公言しています。 このように、アイルランドへの強い帰属意識によって、ビートルズと U2 を一つの線で結ぶこ とができます。本教材を通して、二つの世界的なバンドの中に脈打つアイリッシュ・ハートビートを、 彼らの音楽に接する際の新たな視点としてもらえれば幸いです。
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