1 “BIRTHDAY”さだまさし 「 幸せをありがとう ぬくもり届きました 何よりあなたが元気で良かった 宝物ありがとう 思い出届きました 生まれてきて良かった 」 語り)この物語は、福島県大熊町の日本舞踊の会「寿蘭会」のみなさんが、 あでやかにそして凛として前を向いて毎日を暮らしている姿を紙芝居に描きました。 華麗な日本舞踊とともにお楽しみください。 2 「家族に乾杯」のスタジオに小野文恵アナ・笑福亭鶴瓶・綾瀬はるか」 語り)毎週月曜日夜8時から放送される「鶴瓶の家族に乾杯」。 今年(2013年)1月、新春スペシャルで実際に放送された番組です。 アナ)きょうのゲストは大河ドラマ「八重の桜」主演の綾瀬はるかさんです。 綾瀬さんと鶴瓶さんは、八重のふるさと、会津若松市を旅してきたんですよね。 鶴瓶)僕はですね、たまたま発表会を控えた日本舞踊の会のみなさんと出会ったん ですよ。 もともと会津の人たちじゃないんですけど、 これがねぇ、とても会津らしい“凛とした”人た 3 ※ナレーションの久米明 風で 会津若松市の奥座敷、東山温泉にやって来た鶴瓶さん。 旅館の中へ忙しく入っていく人たちを見つけ、ついて行くと・・・ 鶴瓶)こんにちは。ぎょうさん集まってるけど、何のグループやの? 成美)あしたここで日本舞踊の会のおさらい会があって、その練習をしているんです。 鶴瓶)おさらい会って、なんやの? 成美)1年間のお稽古の成果をお世話になった人たちに見てもらうんです。 あっ!先生!先生、鶴瓶さんがお話、聞きたいそうですよ! 鶴瓶)お師匠さんでっか?名前、なんて言いはるの? みなはん、あの大熊町から避難してきたやて? 4 寿蘭)橘弘美こと藤咲寿蘭(ふじさき・じゅらん)って言いますけど、まぁ、恥ずかしい ですわ。 私たちは、大熊町で日本舞踊をしていたグループなんですけど、 原発事故で避難しなくちゃいけなくなって、 多くの人がこちらの東山温泉で長くお世話になったんです。 それで、1年まとめのおさらい会を是非ここでやらせてもらって、 お世話になった会津若松の人たちにも見てもらいたいと思ってですね。 鶴瓶さんも良かったら見ていってください。 5 語り)大熊町に寿蘭会が結成されたのが平成15年、今から10年前。 橘弘美さんが藤咲松寿先生に弟子入りしてわずか3年で名取になり、 横川美保子さんの孫娘、成美さんが一番弟子になったのです。 成美さん、小学1年生でした。 ♪曲未定 小学低学年一人の踊り 語り)寿蘭会は一人、また一人と増えていき、 大人と子どもを合わせ20人が大熊町旭台の橘さんの家に通ってきていました。 6 ゴゴ―グオーガガガガ ゴゴ―オ 語り)しかし、平成23年3月11日、東日本大震災が発生。すべてが一変しました。 そして、翌朝、町の防災無線を通じて大熊町民に避難指示が出されました。 7 無線)「♪ピン・ポン・パン・ポン。 町民のみなさんにお伝えします。 お近くの集会所か学校の体育館にお集まりください」 住民1)何しただ? 住民2)知らねぇ。余震がひでぇから集まれってことか。 住民3)まさか、原発が壊れるってことはないだろうし。 語り)集会所に入りきらず、12日は天気も良かったこともあり、 外で道路に座って、のんびり指示を待っていたのでした。 まさか、すぐ近くで大変なことが起きているとは誰も疑いもせずに。 8 町職員)「みなさん、とにかくバスに乗って下さい!」 横川)「孫の成美があちらのバスに乗ってしまったんだけど、 私もあっちに乗ってもいいですか?」 職員)「ちょっと無理です。列を外れずにそのままバスに乗って下さい」 横川)「それと、娘がどこにいるか、しらねぇだか?町の職員なんだけども?」 職員)「わたしら職員もほんと情報がなくて。 それこそ、このバスがどこに行くかも知らされてないんです」 9 語り)こんな状況でも、大熊町の人たちは原発が爆発間近だってことを知りませんで した。 ほんの2、3日で帰ってこられると思い、何も持ち出していませんでした。 それだけ、「原発は絶対に大丈夫だ」という安全神話を信じきっていたのです。 10 語り)大熊町から避難した後は、寿蘭会の人たちもバラバラになってしまいました。 最初、田村市の小学校の体育館に避難した人たちもいれば、 栃木県や埼玉県の親戚の家に身を寄せる人もいました。 4月になって、町役場が会津若松市と話を進め、 東山温泉の旅館宿にお世話になることになったのです。 その4月のある日、「おやど東山」に滞在していた横川さんたちのところに 嬉しいお客さんがやって来ました。 11 犬2匹)ワン、ワン、ワワーン! 成美)あれ、おばあちゃん、秀慶(ひでよし)と家康じゃない。ということは? 寿蘭)元気だった?成美ちゃん、横川さん。 成美)先生、埼玉から来てくれたの。 寿蘭)ボランティアさんたちが家から秀慶と家康を助け出してくれていて、 迎えに行ってきたのよ。 横川)先生、折角来ていただいたので、成美に稽古つけていただけません? あれからずっと成美の踊りを見てないからね。 寿蘭)そうね、前はいつもお稽古で踊りを見ていたもんね。 成美ちゃん、おばあちゃんに元気になってもらいたいから炭坑節、やってみようか。 12 ♪炭坑節 横川成美さんの踊り ※踊りの途中で語り始める 語り)大熊町の人たちは8月まで東山温泉にお世話になりました。 会津の人たちの優しさにとても癒された5か月間でした。 その後、多くの人が仮設住宅や県営住宅に移り住みました。 一方、秀慶と家康と一緒に住める場所を求めて鎌倉市に家を借りた橘弘美さ ん。 月に一度、成美さんとのりかさんが会津からお稽古に通ってきていました。 転機は去年(平成24年)6月。 ご主人が定年を迎え、一緒に会津へ引っ越して来ることになったのです。 「大熊町の人たちと一緒にいたい」。その思いから決断しました。 ※踊り終わりで 13 鶴瓶)寿蘭さん、そうなんや、えー話やん。みなはん、会津で頑張ってるんや。 避難してきた人がどんな生活してるんか、心配してたんやけど。 逆にこっちの方が元気づけられてきたわ。 14 寿蘭)私たちは、本当に会津のみなさんによくしていただいたので、感謝の気持ちを 込めて、おさらい会にご招待しているんです。 会津のみなさん、凛としていてね、心の奥が優しいんです。そうした会津の人たちを 見ていると、いろいろ考えます。私も含め大熊の人は被災者であることに甘えている 面があると思うんです。いつも誰かのせいにしちゃうと言うか・・・会津の人のように 凛とすれば、もっと頑張れるはずと思うようになったんです。 大熊には当分帰れません。私たちはその日が来るまで、この会津で頑張っていこう と決めたんです。この踊りは大熊から会津の皆さんへの手土産です。多くの方に見 ていただければ嬉しいです。 15 語り)こうして避難を初めて1年と9か月が経った去年(平成24年)12月2日、 東山温泉の「瀧の湯」で、寿蘭会のおさらい会が開かれました。 避難している大熊町の人、そしてお世話になった会津の人たち、 二百人を招待して4時間にわたる会となりました。 16 語り)ふるさと・大熊町にいつ戻れるか、分かりません。 それでも寿蘭会の人たちは、いつも凛としています。 小学1年生で始めた一番弟子、横川成美さんは会津で稽古を続け、 平成25年6月、高校2年生で見事、名取試験に合格。 藤咲蘭蝶の名前をいただきました。 それぞれが前を向いて歩み始めています。 ♪曲未定 全員で踊り おしまい。 17
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