コックに飢えた女性

2013 年 3 月 14 日
於
桐
生
教
会
19:30 より 1 時間半
信仰生活について
信仰生活について
問い手:新しいローマ教皇1が決まりました。神父様はこの方をご存知でしたか?
神父:いいえ。これまで知りませんでした。テレビで見た限りですが、素晴らしい方
のようです。イエズス会の人なので、着実に運営をしてくれると思います。
問い手:イエズス会だときっちりしているのですか?
神父:もちろん、個々人それぞれですが、フランシスコ会に比べるとイエズス会は規
則も厳しくて、しっかりとした人が多いように思います。
問い手:会によって特色があるのですね。ところで、もし神父様が教皇様に選ばれる
ようなことがあればどうしますか?
神父:とんでもない!断ります(笑)。この教会で精一杯です。
問い手:枢機卿の人たちが「自分たちが支えますからどうしても」と懇願されても駄
目ですか?
神父:断ります(笑)。私は人の上に立つタイプの人間ではありません。
問い手:そうですか(笑)。さて、本題に入ります。今日は信仰生活についてお伺い
したいと思っています。神父様にとって嫌な質問があるかもしれませんが、お
付き合いいただければと思います。
神父:もちろん結構です。答えられるものは答えますし、答えられないものは「答え
られない」と言います。
問い手:ありがとうございます。神父様がどのように答えるのか、どのような思考回
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日本時間 14 日未明に新ローマ法王がフランシスコ 1 世に決まりました。
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路を辿られるのかを知りたいと思って質問をさせて頂きます。さて、ひとつ目
は、空腹に苦しむホームレスの方が食事を求めに来た時にどのような対応をさ
れるかお聞かせください。
神父:ケース・バイ・ケースです。
問い手:本当にお腹が空いていて、今にも倒れそうな人ならどうしますか?
神父:教会には食べ物がないので、お金を少しあげます。昔の話ですが、教会にコッ
クさんの方が食事を作りに来てくれていた時に、ホームレスのお爺さんが玄関
によく来ていました。その方は、礼儀正しく「食べ残しがあれば頂けませんか」
と尋ねるような方でしたので、コックさんはよく食べ物を分けていました。そ
のコックさんのお子さんは、ホームレスの方が来ると「素晴らしいおじいさん
が来たよ」と言っていました。そのホームレスの方は優しい人で本当に素晴ら
しい人でした。
問い手:お金を貰ったホームレスの人が日を改めて、またお金を求めにきたらどうし
ますか?
神父:「お金をあげるのは年に一度だけです」と言って断ります。そうすると殆どの
人はもう二度と来なくなります。昔はホームレスの人がよく訪ねてきましたが、
近年は稀です。少し前に、荷物をいっぱい持った女性のホームレスの方が尋ね
てきました。「遠くに住んでいる」と言っていましたが、後日、駅の近くにい
るのを見かけました。
問い手:お金を貰えなかった人が「困っている人を助けるのが神父様の仕事ではない
のですか?」と尋ねたらどうしますか?
神父:けんかをします。ずっと昔ですが、刑務所から出てきた人がしつこく求めるの
で大声を出してけんかをしました(笑)。
問い手:神父様が断る時には、何を見て断っているのですか?
神父:相手の人が言っていることが本当かどうかです。長く神父をやっていると大体
識別できると思っています。日本では、本当に困っている人は、殆ど助けを求
めることなく、飢え死をします。こういう人に教会に来て欲しいと思います。
アメリカでは困った人は教会に助けを求めます。そして、教会には、週に二度
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ほど貧しい人に食事や食券を施すプログラムがあります。
問い手:そういうプログラムにも偽りの貧しい人が来るのではないでしょうか?
神父:来ていると思います。でも、一部だと思います。
問い手:神父様は、敢えてだまされてあげることはしないのですか?
神父:しません。私と違う神父様で、とても寛大な人がいました。すると、助けを求
めて大勢の人が集まります。その方は、だまされても構わないという人でした。
私も昔だまされたことがあります。一時間くらいその人の話を聞いて、感動を
してお金をあげました。しかし、その話は全部うそでした。他の教会でも同じ
話をしていたのです。そして、暫くすると、また私の前に現れて同じ話をして
いました。勿論、二度目はお金を渡しませんでした。
問い手:例えば、子連れのホームレスがいて、何とか就職をして生活を改善させたい
と願っていたとします。でも、住所がないと就職ができないので、家を借りる
ための保証人になって欲しいとお願いされたらどうしますか?
神父:フランシスコ会の会則で保証人にはなれません。フランシスコ会の神父は私財
を持たないことになっていますので、保証の義務を履行しなければならなくな
っても、払うべきお金がありません。そうすると、教会に負担してもらわなけ
ればなりません。もし、本当にそのような人がいて困っているなら、信者さん
に頼みます。そういう例は過去にあります。
問い手:外国人の方が家を借りるのは大変だという話を聞いたことがあります。
神父:さいたま教区には、外国人のためのオープンハウスがあります。多くの国籍の
シスターが働いています。騙されて日本に連れてこられて水商売で働かされて
いるフィリピン人の方たちを助けたりもしています。
問い手:もしもの話ですが、地震などで多くの方が本当に衣食に困った状態になって
教会に助けを求めにきたらどこまで与えますか?
神父:教会にあるものは私の物ではありませんので、信徒の会長さんと相談をして決
めます。東日本大震災の時には、さいたま教区で「もみの木」というサポート
センターが立ち上げられて支援活動が行われました。震災当時に私がいた大田
原教会でも布団など多くの支援物資を供出して頂き、被災地に届けました。被
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災地では、その後すぐに、支援物資が山積みになったので、それ以上の支援は
必要とされませんでしたが。
問い手:そうした時に神父様の私物はどこまで提供されますか?
神父:私物があまりないので限られますが、出せるものは何でも出します。自分のも
のにはこだわりは一切ありません。
問い手:神父様は、おこずかいのようなお金も持たないのですか?
神父:毎月お給料を司教さんから頂いています。でも、お給料より多いお金を教区に?
送っていますので、手元には殆ど残りません。手元にお金が残ったとしても、
余ったお金は返すようになっています。私はクレジットカードを持っています
ので、その支払いのために銀行に少しお金を預けているくらいで、貯金もあり
ません。
問い手:物やお金に執着はないのですね。
神父:こだわりはありません。ぜんぜん(微笑)。
問い手:では、どうしてホームレスの方にお金をあげないのかなと思います。どうし
て、だまされてあげないのですか?
神父:そうするとまた来るようになってしまいます。宇都宮の松が峰教会では、求め
る人に対して月に一度 500 円を渡しているそうです。同じ人が何度も来ないよ
うに名簿を作って管理をしているそうです。
問い手:二度目の求めを断ってしまうと、ホームレスの方はもう来ないということで
すので、神父様との関係は切れてしまいます。求めに応じてお金を渡すことは
本意でなくても神父様がホームレスの人の求めに応じていれば、そのうちに、
ホームレスの方が改心するということは考えられませんか?
神父:考えられません。回数ではないと思います。
問い手:「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい」と言われていますが、だまさ
れても求めに応じて与え続けるということはしないのですか?
神父:
「右の頬を打たれたら」という一説は今のような場面での言葉ではありません。
そして、物やお金を与え続けることは、与えられた人を良くしません。
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問い手:ありがとうございます。次の質問に移りたいと思います。例えば、教会の中
にキリスト教の知識が非常に長けた人がいるとします。その人が神父様のお説
教あるいは活動での神父様の発言について、冷静な口調で諭すように「神父様
の知識が足りていないのが残念だ」という話をしたとします。そういう場面が
あったとすると、神父様はどのような気持ちになりますか?
神父:その通りだと思います。
問い手: 嫌な気はしないのですか?
神父:ネガティブな気持ちにはなりません。実際に、信徒の中には博学な人がいます。
当地はさほどではありませんが、東京の教会だと大変だと思います。ものすご
く勉強をしている信徒の方がいます。そういう人には、そういう人に合った神
父様を紹介すると思います。
問い手:その博学な人が神父様に対して毎週のようにプレッシャーをかけてきてもス
トレスになりませんか?
神父:それはおそらくストレスになると思います。
問い手:その時、神父様はどうされますか?
神父:司教様や管区長に相談します。
問い手:その博学な人が批判をするだけでなく、
「神父様はもっと勉強をするように」
と要求してきたらどうしますか?
神父:「できない」と言います。実際、私はコンピューターが触れないので、何か分
からないことがあっても他の神父様のようにすぐに知ることができません。私
の情報源は主に本と新聞です。
問い手:それでも求められたらどうしますか?
神父:精神的に参ると思います。
問い手:精神的に参りそうになった時はどうされますか?
神父:病院にいきます。
問い手:病院にいくほどの症状が出ていない段階なら如何ですか?
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神父:先輩の神父様に相談します。そして、お医者さんに行って精神安定剤を貰いま
す。本当に辛くなったら教会の仕事を 2 年くらい休みます。そして、元気を取
り戻します。
問い手:ちょっとお話しにくいことですが、信心が足りないと心が揺れると思うので
すが、如何でしょうか。信徒との関係よりも神様との間にしっかりとした関係
があれば、信徒の声に惑わされることはないように思います。
神父:そうかもしれません。ただ、そう単純ではありません。実際には目の前の問題
はやはり苦しいものだと思います。それで心を病む神父様もいらっしゃいます。
中には自殺をしてしまう人もいます。ペドフィリア(pedophilia)の神父様が
発覚をした後に自殺をする例が散見されています。
問い手:ペドフィリアとは何ですか?
神父:ペドフィリアとは小児性愛のことです。自殺を選んでしまう要因のひとつには
刑務所での過酷な生活を恐れることもあるようです。
問い手:刑務所での生活を恐れるのですか?失礼な話ですが、神父様の生活と刑務所
の生活はそんなに変わらないような気がするのですが。
神父:日本の刑務所と海外の刑務所は全く違います。海外の刑務所は猛獣の潜むジャ
ングルのような場所です。ペドフィリアの受刑者は特に他の受刑者から殺され
たり暴行を受けたりすることが多く、ペドフィリアで実刑判決を受けた米国の
神父様は、自身の安全を守るように訴えたにもかかわらず、刑務所内で殺され
ました。
問い手:刑務所内で他の人を殺害する機会があるというのは驚きです。
神父:そうですね。日本は規則でガチガチですから。日本の受刑者は大人しくて、刑
務官の方も目に見える形で武器は携帯していません。アメリカで刑務官が武器
を所持していなければ、すぐにでも暴動や逃走がおきるのではないでしょうか
(笑)。
問い手:文化の違いなのでしょうか。さて、次の質問に移りたいと思います。神父様
のもとに相談にくる女性がいたとします。その女性は美人で神父様の好みのタ
イプだとします。その女性は神父様に真摯に相談をしており、誘惑などはしま
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せん。そういう場合に、神父様の恋心は動かないのでしょうか?
神父:よくあります。
問い手:え?
神父:そういうことは、よくあります。私の神学校時代の同級生 30 人のうち 13 人は
結婚をしています。
問い手:一般論ではなく、神父様自身はどうですか?
神父:今ですか?
問い手:(笑)いえ、もう少し若いとき。
神父:そういう時もあります。
問い手:そういう時に神父様はどうされるのですか?相談をしている人は神父様のこ
とを頼りにしています。そして、その気持ちに応えたいという思いが恋愛感情
に発展することは容易に想像ができます。
神父:ブレーキをかけます。日本の女性の方には、司祭に憧れを持っている人が相応
にいらっしゃるので、その憧れが恋愛感情に変わることがよくあります。一方、
司祭も教会でストレスを抱えながら仕事をしていると恋愛を求めることがあ
ります。
問い手:どのようにブレーキをかけるのですか?
神父:気をつけます。一人で会わないようにします。長年やっていると自分の気持ち
も識別できるようになります。家庭訪問も女性の家には二人でしか行きません。
80 歳以上の女性は別ですが。
問い手:80 歳ですか。随分と高齢ですね。お祈りはしないのですか?
神父:もちろんします。
問い手:恋心にブレーキをかけようとすると余計に燃え上がったりしないのですか。
例えば、お祈りの時に「○○さんのことで悩んでいます。神様、助けてくださ
い」と願っていると、思わず知らずその女性のことに思いを馳せて、どんどん
気持ちが膨らむというようなことはないのでしょうか。
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神父:そういう時は霊的指導者の方に相談をします。
問い手:立場を変えて、若い神父様から相談を受けたらどのように応えますか?
神父:一人で会わないように勧めます。そして、必要であれば別の場所で働くことが
できるように手助けします。心に境界(boundary)を作ることは大切です。
この境界を作る方法は依存症の講座で学びました。私が参加した講座では、
「危
ない」と感じたら手を上げるという練習をしていました。そこで、男性に対す
る依存症の方がいらして、私が一定の範囲に近づくと手を上げられました。
問い手:なるほど。危ないときに危ないと気付くのが大切と言うことですね。仮にそ
の相談をしている人が神父様に愛の告白をしてきたらどうしますか?
神父:断ります。私には召命があると信じています。実際に少し精神を病んでいる方
で、私に対して恋愛感情を持っている人がいますが、私はその方からの贈り物
は受け取りませんし、近づかないようにしています。アメリカで有名な精神科
の先生は、患者さんと結婚しました。愛を求めました。でも、少しすると患者
さんの愛が冷めてきました。それで、先生の方が無理心中をしようとして患者
さんだけを殺害してしまったという話がありました。
問い手:
「自分を助けて欲しい」という思いが満たされることを愛だと感じていると、
助かってしまった後に愛を感じられなくなるのかもしれません。
神父:そうですね。米国では離婚率の高い職業の一位は医者で二位は司祭だと聞いた
ことがあります。司祭については、二人の生活に慣れていないことや、わがま
まなこともあるかもしれません。
問い手:では、最後の質問をさせてください。神父様同士の人間関係についてです。
ひとつの教会に神父様ともう一人同年代の神父様がいたとします。そのもう一
人の神父様は信者の人から人気があって、バルト神父様は人気がなかったとし
ます。そうした状況はストレスですか?
神父:ストレスに感じると思います。実際にこういう状況が昔ありました。私が 30
代の頃、60 代の神父様と一緒でした。その神父様が主任司祭で私は助任司祭
でした。今でいう担当司祭と協力司祭です。当時、私は若かったので、いろい
ろな活動を始めました。しかし、主任司祭は年上の神父様でしたので、責任は
すべてその神父様が負わなければなりません。そのことがストレスになってい
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たのだと思いますが、突然 1 年間休暇を取られて国に戻られました。
問い手:神父様の間で階級の違いというのはあるのでしょうか?
神父:教皇様、枢機卿、司教のほかは司祭だけです。特に階級はありません。
問い手:先程の例の続きですが、同年代の人気のある神父様が主任司祭に、バルト神
父様は助任司祭になったとします。やはりストレスを感じますか?
神父:いえいえ、私は協力司祭になりたいと管区長様にいつもお願いしています。
問い手:今ではなくて、もっと若いときです(笑)。
神父:昔なら悩んだと思います。
問い手:そういう時はどうしますか?
神父:先輩に相談します。
問い手:その人気のある神父様がバルト神父様に対して「もっと頑張ってください」
とプレッシャーをかけてきたとします。
神父:昔、そういうことがありました。すごい神父様と 6 年間同じ教会でした。その
教会で信者の方から叱られました。その神父様のようになるようにと。
問い手:で、どのようにされたのですか?
神父:彼のようにはしませんでした。その神父様とは友達ですが、そこまで親しくな
ることはできませんでした。
問い手:こういうことはないと思うのですが、相談をした先輩からも「もっと頑張れ」
と求められたらどうしますか?
神父:限界なら「できません」と言います。
問い手:それでも求められたらどうしますか?
神父:病気になると思います。追い詰められて死を選んでしまうかもしれません。で
も、自分の限界は分ります。年を重ねてくると尚更です。
問い手:年を重ねる前はどうですか?
神父:それでも危険なときはサインを発していると思います。
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問い手:お話を伺っていると、相談ができる先輩・霊的指導者がいらっしゃるという
が良いですね。そして、諦めが早いというか、無理をなさらないのも良いです
ね。日本では年間 3 万人前後の方が自殺をしています。様々な理由があるのだ
と思いますが、自殺という結果に至る過程のどこかで、そうした結果にならな
いように相談ができる人がいれば良いと思います。アメリカでは一般人でもメ
ンターがいることが多いように聞いています。そのような人が自分にも欲しい
と思います。
神父:そうですね。あと、気分転換も大切です。休みの日に遊びに行ったりするのも
大事です。
問い手:お祈りという点に関しては、困った状況になってしまって自分にとって都合
の悪い相手を変えて下さいとお祈りをしてもなかなか叶えられません。お祈り
の効果は、危険を危険と察知できることが一つあると思います。普段からお祈
りをしていれば、心が騒いでいることに気が付けると思います。
神父:確かにそうですね。
問い手:信心という面からすると、世俗的な出来事に騒がない心を祈りによって作る
ことができていればそれに越したことはないと思います。神父様でご結婚を選
択された方は、神様の存在より女性の存在の方に惹かれたということだと思い
ます。
神父:そういう一面もあると思います。ただ、召命もあります。ご両親の望みなど、
自分の召命で神父様になっていない人がそれを気付くきっかけになることも
あります。
問い手:なるほど。
神父:神父様といっても人間です。神格化しないようにしてください。ただの人間で
すので、いろいろあります。
問い手:わかりました。長時間に亘ってありがとうございました。
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感想:これまではお祈りや霊的な世界についてお伺いしていましたが、今回は実際の
感想
生活についてお伺いしました。簡単に纏めると、神父様は困ったことがある場合は、
霊的指導者の方に相談して、状況を変えるよう働きかけるということでした。
単純そうですが、こうした行動をとるためには、困ったことを困ったことと気付
かなければなりません。知らず知らずのうちに心が病んでいたということのないよう
に、日々のお祈りの中で心の変化にも心を配る必要があるのかもしれません。実際、
私が続けているのは 15 分という短いお祈りですが、集中の度合いは日々異なります。
お祈りの内容は決めていないので、その日その時によって内容も様々です。そうした
変化の一端に自らの姿を読み取ることが大切なのだと思います。
そして、執着を減らしていくのも鍵のように思えます。神父様をみていると、世
俗的な価値から聖俗的な価値へ軸足が移っているために、状況を変えることに対する
こだわりが薄いように感じました。例えば、会社や学校で人間関係に苦しんだとする
と、物理的な逃げ場はすぐにはありません。人事異動やクラス替えを望むのは少し勇
気が必要です。職場の同僚や同級生の目も気になります。転職や転校はなおさらです。
「あきらめ」を見せたときに支払う心理的なコストを下げていくためには、問題が起
きる前の普段の生活の中で、より普遍的な価値に気付き、自らをその価値に根付かせ
ておく必要があるように思います。
その普遍的な価値を信じるかどうかは、前回の感想にも記したとおり、私にとっ
ては、残念ながら啓示は望めず、論理や理屈でもないと感じています。しかし、その
価値を信じて生きてきた目の前の神父様の姿には一縷の望みをかける価値があると
思っています。神父様からは、華やかで享楽的な幸せは一切感じませんが、質実な幸
せを感じます。これもただ感じているだけです。他の方が見れば異なる感想を持つか
もしれませんが、私は神父様の姿に小さな灯火を感じます。
たぎ
もちろん、もっと燃え滾るような強い光や喜びを求めている自分もいます。しか
し、そこに快楽はあっても幸がないという神父様の言葉も何となく当たっているよう
に感じます。もっと強烈に神様に現れて欲しいという望みもありますが、その望みは
叶えられないだろうという現実的な判断もあります。
地味な結論ですが、信じて祈り続けることが大切だということでしょうか。一つ
付言するのであれば、私にとっては、相談できる霊的指導者の存在があれば、さらに
有難いと思いました。今まで具体的には霊的指導者の存在を求めていなかったので、
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求めても良いかなと思います。そういう互助組織があればより良いと思いました。
次回は、福音宣教についてお話を伺いたいと思っています。神父様、いつもあり
がとうございます。神父様とお話をさせていただく機会を得られたことによって大い
に救われています。
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