21~30 - So-net

Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第21号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年1月25日(日)発行
民族の思い
A.リードの「アルメニアン・ダンス」を演奏するにあたって,この曲のことについて調べた。
実は,この曲のルーツは「重大な歴史的事件」が関わっていた!!
曲名にある「アルメニア」とは「アルメニア共和国」のことで,旧ソ連時代にはソヴィエト連邦のひとつ「アルメニ
ア社会主義共和国」だったが,1991年ソ連国内のクーデター未遂を機に独立し,現在の「アルメニア共和国」
になった。
この国は,西暦301年に世界で初めてキリスト教を国教に指定した国として知られている。(お隣りのトルコは
イスラム教!これがのちの対立の一因。)また,旧約聖書に登場する「ノアの方舟」が漂着したアララト山あること
でも有名。でも,名前ばかりが知られていて,我々日本人にはどこにあるのかイメージがつかみにくい国である
ことも確か。(まあ,超大雑把にいうとアラブとヨーロッパの中間にある。世界地図で探してくれ。)
この国の歴史を振り返ると,この民族の辛い過去が見えてくる。
紀元前には古代ローマ帝国やペルシャ帝国に蹂躙(じゅうりん)され,その後もアラブに支配されたり,アジア
寄りになったり,国はひっきりなしに変わり,17世紀にはオスマントルコ帝国とペルシャ帝国に攻め込まれ,国家
は分断され,その後,ペルシャ領がロシア領になって,アルメニアはトルコとロシアに乗っ取られたような状態が
続くのだ。そして19世紀後半,トルコの支配に対してアルメニア人たちが不満を訴えるようになり,対立が激化。
ついにトルコは19世紀末と20世紀初頭に二度の『アルメニア人虐殺』を行った。(これにより虐殺されたアルメ
ニア人の数は150∼200万人とも言われている!!名古屋市の全人口が225万人なので,名古屋市民がほ
ぼ皆殺しにあったぐらいと考えるとどれほどスゴイ数だかわかる・・・。)
民族虐殺といえば,ナチスドイツのユダヤ人虐殺が思い浮かぶが,ドイツがユダヤ人虐殺の事実を認め,謝
罪を続けているのに対して,トルコはいまだにその事実を認めていない。殺害があったのは事実だが国として行
なわれた行為ではなく犠牲者の数もそれほどではないというのが現トルコ政府の主張だ。ユダヤ人虐殺問題に
比べ,「アルメニア人虐殺」問題は大きく取り上げられることが少ないため,我々日本人にはなじみの薄い事件
だが,ヨーロッパではいまでも大問題とされている。トルコがEU(欧州連合)に加盟できないのは,この虐殺を認
めないことが原因とも言われている。
19世紀末から20世紀初頭にかけて,アルメニアに「コミタス」という音楽家がいた。(本名は違うらしいけど,7
世紀アルメニア賛歌の作者「コミタス」の名を受け継いで,聖歌(キリスト教の)研究やアルメニア民謡の収集に
打ち込んだ人)1915年にトルコの二度目の虐殺が始まったときに,このコミタスは国外追放される。そのショック
から精神と肉体の両方を病んで,一切の音楽活動をすることなく1935年にパリでコミタスは無念の死を遂げ
た。その後,1970年代初めにアルメニア系人の吹奏楽指導者ベギアンが,そのコミタスが収集した民謡舞曲を
もとにした吹奏楽オリジナル曲の作曲をA.リードに依頼する。そうしてできた曲が名曲「アルメニアン・ダンス」な
のだ。
全曲は4楽章構成で,パート1(第1楽章)が1973年に発表され,1978年にパート2(第2∼4楽章)が加わっ
て全曲完成した。パート1(第1楽章)の「あんずの木」「」やまうずらの歌」「おーい,僕のナザン」「アラギャズ山」
「行け,行け」やパート2になっている第2楽章「農民の訴え(風よ吹け)」,第3楽章「結婚の踊り(クーマル)」,第
4楽章「ロリ地方の農民歌」のどれもコミタスが収集したアルメニア民謡のメロディがもとになっている。
特にパート1は,雄大で感動的な出だし,次々と移り変わる曲想,そして興奮と感動のラスト・・・どこをとっても
独特の魅力をもっている。しかも,メロディーがどこか我々日本人になじみ深い感じがする。(不思議だぁ。)
ライヴでもCDでいくらでも聴くことができるほどの超名曲だが,できれば「アルメニア人虐殺」問題やその悲劇
の中で原曲(アルメニア民謡)を収集していた「コミタス」という音楽家の存在を,ほんの少しでいいから思い出し
ながら聴きたい。(エゴヤン(アルメニア系人)監督が2002年にアルメニア人虐殺をテーマにした映画『アララト
の聖母』をつくっている。主演のアズナヴールの母もアルメニア人。DVDがあるらしいので,ぜひ一度観て「ア
ルメニアン・ダンス」作曲のルーツに隠された悲惨な歴史的ドラマを感じてみたいと思います!)
ちなみに,「アルメニア人」は芸術や商工業に卓越した才能を持った民族で,「美女」が多いと言われている。
(あ,蛇足か。(笑))皆さんもぜひ自主的にいろいろ調べてみて下さい。
宿題:アルメニア共和国の国旗はドイツのように横三色。何色か3つの色を答えなさい。(正解は後日発表)
(特に大学生,高校生。ちゃんと国旗調べろ。ついでに他の国の国旗もな。)
※富樫鉄火(音楽ライター。知ってますか?)氏のコラムを参考にさせてもらいました。勉強になりました。
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第22号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年1月28日(水)発行
曲を編む
アンサンブルコンテスト県大会の中学校の部が3日後にあります。港南中は3チームが名古屋地区大会を上
位3位独占で代表になり,東海大会出場を目指して頑張っているところです。
クラリネット七重奏は「序奏とロンド」,金管八重奏は「第七旋法による8声のカンツォン第2番」,そして混成八
重奏が「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」ですが,バルトークのこの「弦チェレ」(「弦楽器と打楽器と
チェレスタのための音楽」をクラシック業界では「弦チェレ」と略して呼ぶ。ただし打楽器奏者の間には,打楽器
が省略されて呼ばれることを不満に思い「弦打チェレ」あるいは「ゲダチェレ」と無理矢理呼ぶ人もいる(笑))の
編曲を顧問の櫻井先生から依頼をされたのが11月下旬。相当難しい音楽だけにさらうのが大変だったと思う。
でも,自分が編曲した楽譜が演奏されるのは嬉しいもんです。
去年の混成アンサンブルもショスタコーヴィチの交響曲第14番を編曲しました。(東海大会金賞!)その前も
ラヴェルの「クープランの墓」を売り譜から許可を得て編曲し,全国大会金賞に。よく考えてみれば,俺は今まで
に結構たくさんアンサンブルの編曲(吹奏楽曲も含めて)をしてきたなあ。ぱっと思い出すだけでも,ラヴェルの
「ピアノ協奏曲」,「マ・メール・ロワ」,レスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア第3組曲」,ドビュッシーの
「小組曲」,バッハの「パッサカリアとフーガハ短調」などなど,自分でいうのは何だけど,なかなかの(うまく編曲
された←自画自賛)楽譜ばかり。編曲作業は実に楽しい。その楽しさは2つある。
ひとつは,演奏する子どもたちの顔を思い浮かべながら編曲できること。編曲する前から,誰がどの楽器をや
るのかが決まっているから,その子どもたち一人一人の活躍する様子をイメージしながら編曲する作業は本当
に楽しい。
もうひとつは,作品に真剣に向き合えること。そもそも偉大な作曲家の残した作品をカットしたり,他の楽器に
変えるなんてことは作曲家を非常にバカにした行為で,やってはいけないことだと思う。だいたい30分かかる曲
を5分にするなんて不可能なことだ。でも,だからこそ,その作品に真剣に向き合わなければいい編曲はできな
い。その作品のエッセンス,見せ場,作曲家の言いたかったこと,願いや魂・・・そういうものをなるべく深く深く感
じ取り,5分間で表現する楽譜を作る。しかも異なった楽器編成で。これは至難の作業だけど,ただ単に音域や
音色で別の楽器に振り分けたり,きりの良いところでカットしたりすれば終了というような簡単なもんじゃない。(で
も,公然と売られている楽譜のなかには,どう考えても,その作品に愛着をもち,作曲家に敬意を払った編曲と
は言いがたいものがたくさんあり,「こんなもんで金取るな!」と言いたくなるようなひどい編曲があったりするのも
事実。)大げさなことを言えば,(もうすでに死んでしまっている)作曲家と話し合って編曲しなきゃいけないのだ
から,その作業は非常に楽しい。
現在は,3月の個人重奏コンテスト(中日吹連)での混成アンサンブルと2009年度吹奏楽コンクールの自由
曲の編曲について相談を受けているところだけど,実に忙しくもあり大変でもあり,しかし,楽しい作業です。
港南中のことでいえば,自分の書いた楽譜で大会に参加してもらえるということは間接的に自分自身も一緒
に大会に参加しているということになるわけで,それは,俺にとってホントに幸せなこと。ありがとね。
楽団でも依頼があれば喜んでやりますよ。編曲。遠慮なく言ってくれよ。
話は変わるけど,3月初旬にある「個人重奏コンテスト西尾張地区大会」の審査員を務めることになりました。
3人の審査員のうちの一人ということで大きい責任を感じます。どの学校の子どもたちも親も先生もきっと一生懸
命だから,審査は本気で厳正に誠実にやらなきゃいかんでね。人を審査するということは,逆に自分自身が審
査されるようなもんだから,心してやりたいと思っています。(なんとなんと120チームも参加するらしい!審査員
も重労働,肉体労働ですなあ・・・)
もう一つ話は変わって。もうすぐ1月が終わります。あと2ヶ月後には新しい春がやってきますね。進学,就職,
転勤・・・新しいスタートです。そこで,・・・・・・新入団員の多数確保を!!ちゃんとめぼしい知り合いに声かけと
くように。じゃないと楽団ってのはなかなか発展しんよ。
現受験生,新社会人,新学生,みんながんばれ!
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第23号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月1日(日)発行
集合
現在の本楽団の正団員数は「27人(ただし,HP管理係と常任指揮者兼理事長の自分を除く)」。で,その内
訳は,フルート4人,オーボエ2人,ファゴット1人,クラリネット5人,アルトサクソフォン1人,テナーサクソフォン1
人,ホルン1人,トランペット4人,トロンボーン3人,ユーフォニアム2人,テューバ1人,パーカッション2人。ホル
ン,サックスがちょい不足(もちろん,50人編成を目指すとかなり全体的に不足だけど・・・。)。まあ,演奏ができ
ないような編成ではない。でも,今日現在この27人のうちなんと11人が「休団中」であり,16人のうち2人は4月
以降東京へ。残りの14人のうち2人は打楽器で練習にきても楽器がない(当然だけど)。そうやって考えると残
った管楽器のメンバーは12人。打楽器を入れても14人。このメンバーの出席率はどうか。少ないときで5人くら
い,多くても8人くらいか。つまり,3割ちょっとから6割いかないくらいだ。平均したら約5割(半分)手前ぐらいの
出席率。これを低いと見るか高いと見るか。人によって「やっぱ低いわ」と感じてる人も,「おぉ,案外と高いんだ
な・・・」と思った人もいると思う。さらに,港南中吹奏楽部時代や高校でも吹奏楽部の強いところで頑張っていた
人からすると,「ありえんぐらい低い!」と憤りを感じるに違いない。
ここで個人的な考えを言わせてもらうと,そもそも,吹奏楽団である以上,「合奏してナンボ」だ。つまり,人が
そろっていなければ話にならん。だから,「自分が欠席すると他の団員に迷惑をかける」という事実があることを
全団員がわかっていなければいけない。もちろん無断で欠席するなど言語道断,チームの一員としての礼儀に
反する。でも現実的には,仕事がある社会人にとって平日の午後6時半までに練習場所に行くことは簡単では
ないかもしれない。5時の定時で退社できる仕事ばかりとは限らないからだ。それはアルバイト学生でも同じこと
だろう。だから出席率が100%を保つことは不可能だし,そんなことを求めてはいない。
じゃあ,何割の出席率なら「まずまずだ」と判断したらいいのか。7割か?8割?それともやはり5割(半分)以
上なら良しなのか?そんなことに正解はない。だって,突き詰めたらやっぱり100%じゃないと練習にならんわ
けだし,それは現実的には難しいことだし。ただ,絶対に重要なことは,「全員出席を目指す努力をしているこ
と」だ。そういう一人一人の思いと行動が結果的に出席率を上げる。わかる?
俺は大事な場面で生徒に,いつもこの大好きな言葉を贈る。−「本当に大切なことは目に見えない」。出席率
のことでもこのことはあてはまると思う。大事なことは「心の出席率」である。
「合奏してナンボ」
「自分が欠席すると他の団員に迷惑をかける」
「全員出席を目指す努力をしていること」
「心の出席率」
確認したいことを繰り返してみた。春に向けて現状を打破したいネ。
急に思い出した。以前,楽団設立のときの団員募集で,俺がアマチュア音楽人の先輩としてみんなに教えた
【アマチュア音楽人としての心得】をいま一度。
★「アマチュア」とは「愛する人,愛好家」という意味。プロに負けないくらい音楽が好きでありたい。
★アマチュア楽団は「自分たちのもの」であるという自覚を持つこと。「仕事は幹部任せ」「演奏は首席任せ」
ではいけない。運営面でも演奏面でも1人1役。
★「3ない主義」でありたい。「練習を休まない」「練習に遅刻しない」「団費を滞納しない」。バカバカしいこと
だけど,これがちゃんと守られているアマチュア団体はホントホントに少ない。
★あいさつ等「マナー」が大切。大人としてきちんとする。
★演奏技術を保ちたい。アマチュア音楽人が毎日練習するのは無理だろうけど,素晴らしい音楽の喜びを
自分と聴き手で分かち合うには技術も必要。
4月,現状からすれば25人の楽団員で活動をしていく予定。いまの出席率でいくと少なくて9人,多くて14人
くらいの練習参加状況が予想される。しかし,それで6月の定期演奏会がちゃんとできるんか?たった数回の練
習で定演の舞台に乗ろうなんて,1000円も入場料とる演奏会のくせにお客をバカにしてる。それは「心ない」。
苦労は力になる
悩みは知恵になる
悲しみは優しさになる
このあいだ見つけた「いい言葉」。なんか頑張れるよ!だから,みんなにも教えます。
頑張ろうぜ!
(って言いながら,出席率の低い状況ではここに書いた言葉も伝わらない。やはり欠席者にもメールするべき
かな。)
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第24号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月4日(水)発行
節分・立春
祝!港南中学校吹奏楽部混成八重奏東海大会出場!!
ほか,金管八重奏,クラリネット七重奏も金賞を受賞しました。おめでとうございます!
2月4日は「立春」。暦(こよみ)のうえでは,冬が終わって春になる境目だな。その前日はご存じ「節分」で,福
豆で邪気を払い無病息災を願いながら新春を迎える儀式ですが,みんな豆まきした?
最近では,コンビニとかスーパーでも,節分豆より「太巻き」を食べることばかり宣伝しているような気がするの
は俺だけだろうか?きっと,豆が売れるより太巻きが売れるようになった方が儲かるからだろうなあ。20年くらい
すると,バレンタインデーのチョコのごとく,節分には「太巻き」がバンバン売れたり,手作りの太巻きを作って家
族で食べるなんていう光景が日本中で見られるようになるのかしゃん?
何にせよ,「春」が近づいている。
僕は学校という場所でかれこれ18年働いてる。学校の一年間は様々なドラマがあるけど,中でも「春」という
季節は特別。特に個人的に3月が大好き。いろんな「感謝」の気持ちが一番強くなって,教室の中や学校のい
たるところがポカポカと心あったかい空気に満ちる(はず。少なくとも僕はそう感じる。)。「ありがとう」という言葉が
一番似合う月。(おっと,2月の話するつもりだったのに・・・)
ちなみに2月は「如月(きさらぎ)」と言う(強引・・・)。寒さが厳しい季節だから重ね着をする。「衣(きぬ=服)を
更(さら)に着る。」つまり「衣(きぬ)更(さら)着(き)」で「きさらぎ」と言うんだけど,昔の人ってのはホントうまいこ
というね。いまも寒いもんな。みんな風邪ひいてないですか?特に受験生!あと少しですよ。がんばれ∼!(俺
の勤務校では,現在学年の1割以上がインフルエンザにかかっとる。俺もうつされないようにしないとなぁ・・・。毎
晩アルコールで体内から消毒してるから大丈夫か?(笑))
さて「春」。この「はる」っていう言葉は,万物(この世のすべてのもの)が発(はつ)(生まれる,始まる,起こ
る),草木が根を張る(はる),田畑を墾る(はる)(荒れ地を切り開いて耕す),気候が晴る(はる)などの意味か
ら,この季節を「はる」と呼ぶようになったとか。
また,「春」という漢字は,冬の間,閉じ込められた草木の根にも,「日」を受けた大地の陽気が満ちて,芽を出
すという意味がある。はい!これが「春」の素(もと)の字です!
この字見てみて!どこが「草木」で,どこが「大地」,どこが「根っこ」,「太陽」で,「芽が出て
る」様子なんだかわかりますか∼?
ちなみに春の色は青。青春っていう言葉もあるし。「青」はいま僕らが認識する青色とは違って,昔の日本で
は,いまの緑,青緑,青あたりの幅広い色を意味する。特に,「緑色」を「青」と表現する言葉はいまでもたくさん
ある。例えば,緑色のことなのに,「青虫」「青信号」「青々とした水田」「青果市場」「青リンゴ」「青じそ」「青梗菜
(チンゲンサイ)」・・・(あ∼,お腹空いてきちゃったよ∼。他にも,「青魚(鯖(サバ)とかイワシ,サンマなどいわゆ
る「背の青い魚」)」とか・・・あ,これは全然「緑色」じゃないか!食い意地はってて失礼∼!)
人生で言えばみんなは「春」。(僕は「夏」だな。実りの「秋」はまだ少し先。)
港南吹奏楽団も「春」。ちょうど立春のいまぐらい。「春は名ばかり」と言って,春とはいうもののまだまだ寒く,
温かい春が待ち遠しい,でも確実に雪や氷が溶けはじめ,土の中では草木の芽や虫や動物が目覚めを待って
いる・・・そんな時期だ。ほら,もうすぐそこに春が!
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第25号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月8日(日)発行
そういう価値の大切さ
人類は「録音」という技術を手にしてから,まだ100年そこそこ。「録画」はもう少し少ない。
音楽をやっていると「録音」されたものを聴くことが日常的で,「生演奏」を聴く機会はそれに比べてずいぶん
少ない。例えば,この一週間の生活の中で聴いた音楽(どんなものでもいい)の総合計時間のうち,生演奏の時
間は何%ぐらいか。そう考えると,録音というものにずいぶん依存しているというか,録音技術がなかったら音楽
に触れることが非常に少なくなることに気が付く。しかも僕らが録音された音楽を聴くとき,たいていはヘッドフォ
ンで聴くことが多い。よほど素晴らしい再生装置(完全防音のオーディオルームがあったり,ウン百万円もするス
ピーカーがあったり・・・)をお持ちの方は別にして,音楽は空気振動(つまり音素材)を媒体とする時間芸術で
あるにも関わらず,その空気振動の海の中に全身を浸らせるような場面が少ないことは残念なことだ。確かに,
音は耳という器官で知覚するが,空気が媒体である以上,耳だけでなく皮膚や筋肉や骨がその振動を感じるこ
ともあるはず。どんなに録音再生技術が発達しても,やはりそれは「生の音」とは違う。
絵画の世界には「贋作(がんさく)」という言葉がある。本人の作品を真似して別の人が作った作品のことだ
が,将来のコンピュータとロボットの技術が現代の僕らの想像を絶するほど発達して,絵の具の種類や調合具
合,筆勢,筆圧,劣化の具合等のすべてが分析できて,しかもそれを正確に再現することができるようになった
とき,その贋作は理論上は本人の描いた作品とまったく同じ作品(完全なクローン)ものであるはずだ。しかし,
それを「本物」と呼ぶことに抵抗を感じるのではないか。
そもそも芸術とは何だろう。人間の心,生と死,愛,魂,自然,宇宙,神と悪魔,光と闇,時間と空間,・・・そう
いったものを人にわかる形(絵画だったり,音楽だったり)で表現しようとしたものではないだろうか。そういうもの
を表現する術を「芸術」と呼ぶのではないかと考える。芸術を表現するのは人間の仕業(しわざ)である。逆に言
えば,人間の手が関わっていないと芸術と呼びにくい。例えば,いま雲間から「光」が差し込んだとする。その状
況をただ見ているだけでは芸術とは言えないが,その様子を絵画や写真,音楽や舞踊といった手段を用いて
表現しようとすれば,それは芸術になる。その人(芸術家)が「直接」媒介しているかどうかが重要だ。
録音に話を戻そう。名画の本物を写真にとってその写真を見るのと,名演奏を録音してその録音を再生して
聴くのとは基本的に同じだと思う。あれほど有名で誰でも見たことのあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」
は本当はフランスのルーヴル美術館に行かなければ見ることができない。ウィーンフィルもベルリンフィルも録音
は聴けるが本物を聴ける機会はごく稀(まれ)だ。とは言っても,いつも本物の芸術に触れることができる人は世
の中にそうそういるものではない。みな,本物に憧れ,恋して,その代用品に触れるわけである。代用品とは言
葉が悪いが,名画の写真でも,録音された演奏でも,録画された舞踊,演劇でも,現代の技術を持ってすれ
ば,驚くほどの臨場感を味わい,十分に感動できる。それにケチをつけるつもりはまったくない。ただ,21世紀
始まったばかりのこの時代に生きる僕ら人間は,いつでも,どこでも,誰でも,何でも・・・という便利な環境にあま
りにも適応しすぎているように感じる。その代わりに大切な感性を失いつつないか。
その季節でないと食べられない果物,野菜や魚,その土地でないと味わえない料理,その場所でないと見る
ことのできない風景,劇場に出かけないと観ることができない演劇や舞踊,そのときその場所でしか聴くことので
きない音楽,そのときその場所に行かないと会えない人,その人の顔,声,匂いとか温度(人となりという意味で
すよ)・・・
僕らは,この現代社会の中で,「そういう価値」を見失いつつあるように感じる。その感性(心)の喪失が人間
性の喪失につながるようで,教育者の端くれとして心配になる。
みなさんは「そういう価値」の大切さを知り,それを求める心をずっと忘れないようにしてくださいね。
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第26号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月11日(水)発行
「ビラ入れ」やったことある?
団員募集&第1回定演案内の「ビラ入れ」に5人で行ってきました。2月8日(日)愛知県吹奏楽連盟主催の「動くコンサート」
のパンフレットに挟み込みに1800枚用意して。ビラ入れいってくれた人ご苦労様!2月11日の安城学園,2月14日の東邦高
校の定演もビラ入れをしたいと思っています。行ってくれる人,ホントご苦労様です!
当たり前のことだけど,楽団運営にはいろいろな仕事があります。
普通に練習するだけだって,通常は,練習場所(いろいろな公共の施設とか・・・)を探して,空き状況を確認したうえで,足
を運び,予約の手続きをして,それから団員に日時と場所を連絡しないと,練習はできない。練習の当日だって,一番に行っ
て,あいさつをして,鍵を開けてもらい,注意事項(机やイスはどういう風に片付けるとか,ゴミはどうするとか,空調や電源のこと
とか・・・)を団員に連絡し,使用後は場所の後かたづけと,料金の支払い,お礼のあいさつなど事務の人にしなくちゃいけな
い。(これは誰の仕事?)もちろん,楽器を持って集まったって,大型の楽器(打楽器等)はどこから搬入するのかとか,運搬の
手配(レンタカー?運搬業者?どうする?誰がやる?)をしたうえで,搬出入をする。雨の日はどうするとか,階段やエレベータ
ーはどこをどう使うとか,そんなことも誰かが考えなくてはいけない。そもそも打楽器をどこからどう借りるのか,連絡をして借用
のお願いをし,借用書を作って丁重に頭を下げて借りる。(誰が?)返却するときの謝礼の準備も必要ですよ。
それから,楽譜。配布用をコピーするのも重労働。1曲40パートで数ページあるものを,何曲分もコピーする。コンビニでコピ
ーするのもホント大変。時間もかかる。お金はどうする?管理は?配布は?(誰がやるの?)
欠席者への連絡や,HPの管理も毎回毎回の仕事ですね。これも誰かがやらないといけない。
「演奏会」を開こうと思ったら,もっといろいろな仕事が必要になります。
やはり「場所取り」。何ヶ月も前に抽選会に出向く。ひたすら探す。空き状況を確認。実際に足を運ぶ。打合せをする。いろ
んなことをしないといけない。(誰が?)
「ビラ,チケットの印刷」手配。原稿は誰が作る?どこの印刷業者に頼むか,どういう(いくらぐらいの)ビラを何枚作るのか,い
つまでに作るのか,できあがった何千枚のビラを誰が取りに行くのか。
また,楽曲にはすべて「著作権」が存在する。演奏するのにお金がかかることを知ってますか?「著作権」の手続きをしなくて
はいけない。連絡をし,書類を書いて提出したり,お金を支払ったりする。(誰が?)
演奏会につきものの「後援取り」。後援をもらいたい団体に連絡をして,やはり足を運ぶ。演奏会の説明をしたり,手続きをす
る。事後処理についての確認をする。(誰が?)しかも,後援団体はたいてい複数だ。チケットぴあやプレイガイドでチケットを
販売してもらうために,やはり,連絡をして足を運び,事後処理も含めて手続きをする。これもたいていは複数だ。また,いろん
な施設や団体へのビラや招待状を送ることも必要。(誰がやるの?)場合によっては,当日の招待者の接待だって必要になっ
てきます。(誰の仕事?)
「演奏会パンフレット」作製のための原稿を作る。プログラムだけでなく,曲目解説や,団体,指揮者,団員の紹介など,工夫
を凝らすものです。それから,何十社と実際に足を運んで演奏会の説明や広告掲載のお願いをして,広告の原稿とお金を集
めたり,(誰がやるんだ?)それを印刷業者を決めて,印刷屋へ足を運び,打合せをして,できあがりを取りに行き,お金を支払
う。演奏会が終われば広告掲載のお礼に回る。(平日に回れるか?)また,当日はやはり他団体からのビラ入れの依頼がある
かも知れない。その人たちに説明してビラの挟み込みを行うように指示する。(誰が?)
当日,「受付」は誰がやるのか。誰に依頼するのか。その人たちに説明をしてきちんとやってもらえるように指示なくてはいけ
ない。(誰が指示する?)チケットもぎりとパンフレット渡しだけでない。当日券販売は誰?お金の管理はどうやって?お釣りを
準備しておく必要がある(誰が?)。預かりチケットというものもある。誰が集約,管理するのか。クローク(荷物預かり,団員への
差し入れ預かり)は誰がやるか。ダンボール箱や紙袋を大量に用意し,当日会場に運び,どうやってやるか説明し,最終的に
どうするのかをきちんと決めておかないと,混乱することは目に見えている。(責任者誰?)立て看板は準備するのか?誰がど
うやって?舞台上の吊り看板は?誰が準備するの?舞台配置とかってどうする?
楽屋の使い方(割り振りから始まり,清掃片づけまで)はどうする?女性と男性の人数は?鍵は?貴重品はどうする?(誰が
責任者?)そもそも,当日のタイムテーブルは誰が作るのか?進行(ステージマネージャー)は誰が?司会は入れるのか?照
明は誰がやるの?音響は?会場の舞台課(反響板,ひな壇,イス,譜面台,ピアノ,照明,音響等)との打合せは必ず必要だ
し,分担しないと不可能。搬入搬出も含めて会場との打合せは十分に行わないといけない。誰がやるの?アルバイトさんたち
へ誰が依頼して説明するの?謝礼金の準備やお礼をいって手渡すのは誰?指揮者やソリストへの花束準備や渡す係は?謝
礼をいつ誰がどういうタイミングで渡す?そもそも,練習のときの接待(食事しながら,打ち合わせしたり,場合によっては,宿泊
や新幹線の手配も必要だ)は誰がやるの?当日の録音や録画はどうする?誰がやるの?責任者は?
また,さらに「合宿」しようとすれば,場所取りから始まって,打合せ,団員への連絡,集金,部屋割り,食事やら入浴につい
て,その他の諸連絡,楽器搬入と搬出やら,楽器運搬の手配,トラさんへの連絡・・・。誰が仕切るの?当日の打ち上げは?当
日の演奏会の後の打ち上げ会場取り。連絡し,集金し,出欠確認をし・・・誰がやるの?はい。誰かがやるしかないですよね。
「曲を決めてパート割りをしたあと,普通に個人練習してから普通に合奏練習に参加するだけ。」
これ以外にいろなことをしないと演奏会というものは開けません。演奏だけ加わわりゃ済むなんて甘い!
プロ団体はこういう裏方というかマネージメントというか,それを専門でやっている事務局の人たちがいますが,アマチュア団
体にはそんな方々は普通はいません。団員全員が演奏者でしかも事務局員です。
みんなで開こう演奏会∼!(何か仕事を頼まれたとき「えー?!」とか言うなよな。この程度の仕事は高校生が学校の文化
祭で,たこ焼き屋を開くぐらいの「情熱」でできる仕事。みんなもっと大人なんで,よろしく。二度目の成人式の理事長より)
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第27号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月15日(日)発行
甘∼いモノ
なぜか甘い食べ物が苦手になった。
いつ頃からだろうと思い出してみる。たしか幼稚園の頃は甘いお菓子が大好きでチョコレートやアイスクリー
ムが食べられるときは大喜びだったはずだ。その結果,虫歯がひどくて歯痛で泣いていた思い出がある。
小学生のときも,甘い菓子パンやケーキが食べられるときはやっぱり喜んで食べた。朝食でトーストにバター
と砂糖をたっぷり塗ったものが大好きだったし,ぜんざいもあんみつも好きだった。メープルシロップをたっぷり
かけたホットケーキや練乳(わかる?)をドバドバにかけたかき氷とか大好きだった。
中学校の頃からだろうか,甘いものよりも,塩味のものや辛味のものがおいしいと思えるようになってきた。い
や,昔から好きだったけど特に好んで食べるようになったというべきか。
どうしてそう変化してきたのかと考えてみる。
俺が中学校の頃は,給食やスクールランチのようなシステムはなく,コンビニエンスストアというものもまだほと
んど町になかったから全員「手弁当」だった。みんな家から弁当をもってくるのだ。ちょっと裕福な家庭の子はお
かずが子供用にウィンナーや唐揚げといったものがいっぱい入っている。今のような冷凍食品でまかなえるよう
な時代でもなかったから,弁当用に作ってもらうのかと想像するとかなりうらやましかった。俺の家庭は貧しかっ
たので,おかずは当然昨日の晩ご飯のおかずの残りものである。いや,そういう子が多かったと思う。しかも,少
ないおかずに山ほどのご飯という割合だ。今のコンビニ弁当でも当時のみんなが食べていた弁当に比べれば
そのおかずの多さにちょっと驚く。少ないおかずを補うためにメシの部分には必ず梅干しや昆布,醤油かつお
節のようなものがあったりしたものだ。そして,おかず自体も味付けは濃いめ。つまり,ちょっとのおかずでたくさ
んのご飯が食べられるような塩味や辛味の強いものが多かった。しかも,我が家では父親が毎晩夕食時に大量
の酒を飲んでいた。酒のつまみはメシのおかず以上に塩味や辛味の強いものが多い。子どもたちは酒のつま
みになりそうなおかずで晩ご飯を食べていたから,自然に辛党の味覚になっていく。
さらに俺は中学校の頃,反抗期からか父親を避けるようになっていた。朝,父親と顔を合わさないようにする
ため,父親が仕事に出て行くまで寝ていて,出て行ったら起き,そして時間がないから朝飯をとらずに学校へと
いう日が増え始めた。小学校の時は昼は給食。中学校は「手弁当」。それによって一日の食事の中で塩味,辛
味を食べる機会が増えてしまった。(昼と夜の両方。しかも朝は抜き。)というより,甘いものを口にする機会がほ
とんどなくなってしまった。また,大人への憧れや男らしさといったものを意識しはじめた頃だったから,甘いもの
を喜んで食っているやつなんて女々しい(めめしい)という気持ちもあったのだろう。自分からすすんで辛いもの
を食べるようになっていき,その味にハマっていったわけだ。大学生になり,酒を飲むようになってから,この塩
味,辛味を摂取する機会が爆発的に増えて,現在の味覚ができあがったということだろう。
俺が甘い食べ物を心の底から「うまい」と思うときは今はめったにないが,前の日に飲み過ぎて二日酔いの日
あるいはどうしても飲めない日(修学旅行や1泊2日の人間ドックのときとか)に,夕食後に食べる甘いものに対し
ては「脳が震えるうまさだ」と思うときがある。食後のデザートというものがどんな国のコース料理にも付く理由を
体中で納得する瞬間だ。たぶん「糖分」というすぐに燃やせるエネルギー源を脳が大歓迎しているのだと思う。
普段はアルコールによって糖分を摂取している分,禁酒すると軽い低血糖状態になった身体に糖分が染みわ
たるから,あんなにうまいと感じるのかも知れない。
俺は甘い食べ物は苦手だが,「甘い音色」や「甘い音楽」は大好きだ。「甘い」という言葉で表現できる音色が
あることは不思議なことだが,でもたしかに「甘い」と感じる。「にがい音」や「すっぱい音」,「塩辛い音」はないの
にな。音と色彩について研究したものは読んだことがあるけど,音と味覚について研究した話は聞いたことない
なあ。でも,実際「甘い音」って言うし。「甘い音」でみんなも理解できるよね?ああ,不思議だな∼。
ヴァレンタインデーには,ぜひチョコレートと一緒に「甘い音」を聴いてみたらいかがでしょう?
そいうえば,まったくの蛇足だけど,韓国では2月14日以外に毎月14日に何かの日を設定したものが流行し
ているらしい。3月14日はおなじみホワイトデー。4月14日はブラックデー。バレンタインデー,ホワイトデーで恋
人ができなかった人たちが黒い服を着て集まり,チャジャン麺(中国の炸醤麺をもとにした黒いあんをかけた韓
国の麺料理)やコーヒー(ブラックコーヒーであることが普通)を飲食する日。5月14日はイエローデー(ローズデ
ー)。恋人がいない人は黄色い服を着てカレーを食べないと生涯独身でになるとされている。恋人同士はバラ
の花を贈る。6月14日はキスデー。恋人同士でキスをする。7月14日はシルバーデー。恋人同士で銀製品を
贈る。8月14日はグリーンデー。恋人がいない人はグリーン(鏡月)という焼酎を飲む。9月14日はミュージック
デー(フォトデー)。恋人同士で音楽を聴く,写真を撮る。10月14日はレッドデー。恋人同士で赤ワインを飲
む。11月14日はオレンジデー(ムービーデー)。恋人同士でオレンジジュースを飲む。映画を見る。12月14日
はハグデー(マネーデー)。恋人同士で抱き合う。1月14日はダイアリーデー。恋人同士で手帳を贈る。
・・・って,はい,どうもごちそうさま。ここは日本です。
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第28号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月18日(水)発行
理論派?感覚派?
数学と音楽,物理現象と心理現象,理論と感覚。そういった狭間(はざま)で昔から思ってることがある。
実は,俺がいつもこだわり,大切にしている「音程」についての話。
例えば,ユニゾン(同じ音程の2つの音。完全1度。音量,音色は完全に同じと仮定する。)を考えると,周波
数が完全に一致すればその2音は当たり前だが「1つの音」に聞こえる。ほんの少しずれると,うなりが現れ(2H
zずれれば,1秒間に2回のうなりが現れる),2つの音の周波数の「平均値(つまり,中間の音程)」が聞こえる。
もう少しずれると「不快感」が増していく。さらにずれが大きくなると,2つの音として聞こえはじめ不快感は減少し
ていく。ある実験データによればこの不快感のピークは,2音のずれが半音の4分の1ぐらいのところらしい。(2
5セントのずれ)そこをピークに前後10セントぐらい(ずれが15∼35セントぐらい)が聴く人の半数以上に不快感
を与えるそうである。(逆に半数は不快感を感じないのか!耳が良いのもちょっと不幸なことだなぁ・・・)
次に,3人でのユニゾンを考えたとき,その3人のずれが少なければ僕の仮説では少々のうなりと3音の平均
値の周波数の音が聞こえるはずである。4人なら4人の平均値,10人なら10人の平均値,100人なら100人の
平均値の音が聞こえてくるはずだ。しかし,これだけでは仮説としては不十分。例えば,100人が正しいピッチ
から±50セントの範囲に,1セント(半音の100分の1)ずつずらして音を鳴らしたとする。そのとき,その平均値
である正しいピッチの音が聞こえてくるとは到底思えない。クラスターのようなノイズが聞こえるだけのように思え
る。(実際にやったことないのであくまで仮説だけど・・・)
100人が正しい音を狙って音を鳴らせば,その100個の音の分布(グラフ)は正しい音が一番高い左右対称
な山のような曲線になる(100人よりももっと人数を増やして,どんどん増やしていけば確実に,正しい音を平均
値とする正規分布曲線(詳しくは省略しますね)に近づくはず!)と思われるが,そのデータの散らばりぐあい
(つまり,平均に密集したグラフか,広く散らばったグラフか)によって,100個の音の平均値の聞こえ方は違うは
ずだ。極端に言えば,100人のうち90人が正しい音の±5セント以内の音を出している場合と,さっきのように1
セントずつずれてまんべんなく100個の音が出ている場合(このとき正しい音の±5セント以内にいる人数はた
った10人!)とを想像すればわかる。
であるならば,何人ぐらいが正しい音の±何セントぐらいのところに入っていればその正しい音が聞こえるの
か。(統計学の理論で言えば,標準偏差の値がどのくらい以下なら平均値の音を認識できるのか。)もちろんそ
れは,全体の人数によっても違ってくるはずだから(多ければ多いほど平均値が聞こえやすいと想像できる。),
人数と標準偏差の相関関係も調べる必要があると思う。プロのオケのヴァイオリンパートやプロの合唱団のソプ
ラノパートが完璧に音程が一致しているわけがない。しかし,その平均値は「1つの音」として聞こえる。全体の
人数と音程のずれ方には聴く人に不快感を与えないための許容範囲が存在するはずである。(何度もいうが,
人数が多ければ多いほど許容範囲はきっと広いと思う。まあ俺の仮説だが。)昔からこのことが気になっている
んだけど。誰か芸大,音大の教授とかでこういう研究している人いないですかね?。(世界は広いからどこかに
いそうだけど・・・)
知ってどうする?と聞かれても困る。
現実問題としては,音量や音色は同じでないし,1つのパートを複数で演奏する場面といったって,せいぜい
本当の完全1度を演奏するのは数人(2∼10人くらい)だから,結局,「許容範囲」すごく狭いはずだし,合奏上
の問題としてはバランスの取り方もからむ話だし,この仮説を理論的に暴いたところで全然実用的じゃない。ま
あ,科学的好奇心といったところ。
そもそも,「不快感」には個人差があるし,時代や国によっても違う。音程とはその時代のその民族の「文化」
ともいえる。1オクターブを12等分した「12平均律」は現在最も広く使用されている音律で,純正律に比べ,1
度,8度以外のすべての音程で響きが悪い。でも普段TVやCDから大量に流れてくるポピュラー音楽はすべて
平均律だからその響きは聞き慣れている。ピアノやギターのコード(和音)でいちいち「うなり」を聞き取って不快
感を感じている人はほとんどいないだろう。また,西洋音楽でなければ,例えばトルコの古典音楽では1オクタ
ーブを9等分する9平均律が使われている。聞き慣れた「ドレミ・・・」や半音階と違う,ドとド♯の中間の音のよう
な中途半端な音程で音楽が成り立っているわけだ。インドネシアのジャワ島やバリ島の音楽は5平均律(1オク
ターブを5等分)。これらの音楽に「不快感」などは感じないだろうし,「美しさ」を感じることもきっとありうる。
だから「うなりのない音程」だけが本当に「美しい」のかは聴覚心理学的に研究されるべき課題である。先ほど
の仮説と重なる話だが,オケの弦楽器群の微妙な音程のずれとヴィブラートが発するうなり(にごりというべきか)
があるからこそ,オケの響きは聴きやすくなるのではないか。(でも,弦や合唱はまだしも管楽器(吹奏楽)だとや
はり辛い・・・。)ただ数比だけにこだわった数理論信者になってもバカだ。演奏は音程だけで成り立たってない
し,実際に演奏を聴いたときの「感じ」が大切なのだから。だって極論すれば「純正律によるヘタクソな演奏」と
「平均律によるウマイ演奏」のどちらを取るかということにもなってくる。
さてと,紙面がなくなってきた・・・。こんだけごちゃごちゃ言いいつつ,最後にあえて言おう。
理論じゃなく感覚(感性)として・・・,「純正の長三和音の響き」はやはり美しい!!!
この甘美な響きの調和がわからない人は不幸。
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第29号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月22日(日)発行
TVドラマ
先日,港南吹奏楽団は愛知県吹奏楽連盟に加盟登録した。中部日本吹奏楽連盟にも加盟したいと考えて
いる。いまここで,大きな問題がある。
愛知県吹奏楽連盟(つまり「朝日」の連盟)では,愛知県吹奏楽連盟のひとつの支部として名古屋支部があ
る。港南吹奏楽団は,団体の所在地が名古屋市内だからこの名古屋支部に属することになる。コンクール,ア
ンコンに出場する場合は,大学職場一般の部門では支部大会は行わず,全出場団体が愛知県大会からの参
加ということになる。
中部日本吹奏楽連盟(「中日」の連盟)はどうなっているのか。中部日本吹奏楽連盟は名古屋市支部は愛知
県支部と別になっている。だから,コンクールでも名古屋支部大会の代表は愛知県大会に出るのではなく,本
大会(東海・北陸大会)にいきなり出場する。つまり,「名古屋市」は他の「愛知県」「三重県」「岐阜県」・・・等と同
等の扱いなのだ。(なぜそうなっているのかはよく知らないが)しかし,アンコン(「個人重奏コンテスト」という)で
は,朝日のアンコン同様に,愛知県大会の前に地区大会があって,名古屋市大会の代表も愛知県大会に出場
することになっている。中日の一般部門は基本的に「フェスティバル」という部門で,審査員等の推薦が獲得で
きた場合だけ上位大会に出場できる。そもそも中日は一般団体に対して消極的なのだ。
さて,今現在のこの朝日連盟と中日連盟の関係だが,中部日本吹奏楽連盟の愛知県支部は,朝日連盟(愛
知県吹奏楽連盟)に合併された形になっている。ただし,中日連盟の名古屋市支部は別である。
ここに困った問題が生じている。港南吹奏楽団の中日のアンコンの参加はどう扱われるのかということだ。そ
れぞれの事務局でこの件については目下検討中。いままでに例がない事態となっている。
詳細は避けるが,一般バンドのありかたは学校団体のように簡単な話ではないということらしい。
完全に話を変えることにする。
俺はTVドラマをほとんど見ない。今までは見るヒマがなかったのと興味がなかったのと両方だが,最近は見る
ヒマはあるので,何気なく見てしまうことがある。
学校教育の世界でよく言われる通説のひとつに,学校が荒れてくると(学校の問題が社会問題のひとつとし
て大きく取り上げられると)必ず,「学校モノのドラマが放送される」というものがある。言われてみれば確かに,2
5年前くらいからの「校内暴力」「不登校」「いじめ」「学級崩壊」・・・そのときどきのホットな話題を取り上げては,
「こんな先生がいたらいいのに」っていう『夢見る漫画派』や「こんなに今の学校は大変なことになってるんだよ」
と世の中の子供を持つ親たちに向けて警鐘を鳴らしつつ,そんな子どもたちをしっかり受け止めよう的な『良識
ある大人派』,学校批判や保護者批判で刺激的な『週刊誌ゴシップ派』・・・まあいろいろ出るわ,出るわ。
最近,偶然見たドラマでは「超金持ち」が必ず登場する。そして対比的に一般庶民もしくは貧困層が登場す
る。そして,「こんな世界で生活できたらいいのに」という『夢見る漫画派』や「いまの格差社会はこんなんです。
でも現実を受け止めてがんばろう。」的な『良識派』,「ふざんけんな!誰か何とかしろ!という怒りをあおる」的
な『週刊誌派』・・・いろいろ出ているように感じた。
だいたい,マスコミ業界はいまの日本社会では「超金持ち層」である。金も政治も文化もマスコミ業界と無関係
ではありえない。その金持ちマスコミが描く「貧しさと裕福さ」というものはどういうものなのか。ドラマの裏側に隠
れている「真意」が覗けないかという気持ちでドラマを見てしまった。
でも,実際のところは単純に,社会的に教育問題がホットなら「学校」や「家庭」を描き,経済問題がホットなら
「会社」や「金持ち」を描く。これが「売れる(視聴率が高くなる)」から,そういうドラマを作るのであって,内容(さ
っき言った「真意」)は二の次なのだろうと思う。まずは「売れること」だろう。そりゃそうだが,さすが金持ち層のマ
スコミ業界。「TVという箱」からみんなは何を獲得している?ニュースを伝えるキャスターの感情的表現に踊らさ
れている自分がいないか?そもそも情報は真実と言い切れるのか?「TVという箱」は単なる業界への寄付金の
募金箱かも知れない。
Kohnan Wind Orchestra
港南吹奏楽団通信 しおかぜ
発行者
第30号
港南吹奏楽団理事長・常任指揮者
玉 谷 敏 弘
2009年2月25日(水)発行
雨水
「あまみず」ではなく「うすい」と読みます。
雨水(あまみず)は雨の水のこと。「雨水(うすい)」は二十四節気のひとつです。二十四節気とは一年を24等
分した気候の指標で,その昔,中国から日本に伝わってきました。夏至(げし)や冬至(とうじ),立春といった今
もなおポピュラーなモノから,啓蟄(けいちつ),清明(せいめい),芒種(ぼうしゅ)といったマイナーなモノまで全
部で24種類あります。この「雨水(うすい)」は,その二十四節気のひとつで毎年2月19日ごろ。また,この日か
ら啓蟄(3月6日ごろ)までの期間のことを指します。「空から降るものが雪から雨に変わり,雪が溶け始める」時
期という意味で,寒さも峠を越えてだんだんゆるみ始め,昔から農耕の準備を始める目安とされてきました。いま
はまさにこの「雨水」の真っ最中で,天気予報では今週はずっと雨が続く様子です。今日もそんな雨空を見てい
ると,頭の中で「雨の音楽」が漠然と鳴り始めます。
クラシックでは,ショパンの「雨だれ」が有名だけど,「雨」ではなく「嵐」を描いた作品が多く,しとしと降る雨を
描いたものは意外と少ない。(「しとしと雨」をイメージさせるような感じの音楽はたくさんあるけど,ダイレクトに雨
を題材にしたものはあまり聞いたことがない。不勉強なだけかも?)それに比べて,ポップスの世界にはタイトル
に「雨の∼」や「∼の雨」のような雨の情景を歌う曲は結構数多くあります。
古いところだと,内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」(日本レコード大賞新人賞),八代亜
紀の「雨の慕情」(日本レコード大賞。「雨∼雨∼,降れ∼降れ∼,もっと降れ∼」というサビは若い人も聴いたこ
とぐらいあるかな?)あたりは有名な歌謡曲。とんねるずの「雨の西麻布」なんてのも流行ったな。最近のところ
だと,関ジャニ∞の「大阪レイニーブルース」,スキマスイッチの「雨待ち風」,ゆずの「雨と泪」,GLAYの「RAI
N」,ORANGE RANGEの「雨」,X Japanの「Endless Rain」などがある。(ちょっと調べたよ。みんなは知っ
てるか?俺はあまり知らんが・・・)
第1回定演で取り上げる「雨にぬれても」という曲は,原曲のタイトルは「Raindrops Keep Falling On M
y Head(直訳すると,「雨の滴(しずく)が私の頭の上に落ち続けます」となる。)で,1969年の映画『明日に向
かって撃て』の主題歌でもあります。この曲の原詩の日本語訳を紹介します。
雨が頭の上に落ちてくる
ちょうどベッドに収まるには脚(あし)が長すぎる男みたいに
すべてしっくりいかないみたいだ
雨が頭の上に落ちてくる 落ちつづける
だから太陽に向かってちょっと一言
どうもお前のやりかたは気に入らないと言ってやった
照りもしないで寝てるんじゃないよって
雨が頭の上に落ちてくる 落ちつづける
でも一つだけわかっていることがある
向き合ってみろばかりに雨がよこした鬱な気分に俺は負けない
そのうち幸せの方が俺に挨拶しにやって来るだろう
雨が降りつづける
でもだからといって俺の目が赤くなってしまうわけでもないし
泣くなんて自分の好みじゃない なぜって
文句を言ったところで俺は雨を止めることはできない
なぜって俺は自由
何も心配ごとなんてない
そのうち幸せの方が俺に挨拶にやって来るだろう
渋いねえ。格好いい男の姿が思い浮かびます。そういえば,俺が小学生いや幼稚園の頃に「ママと遊ぼう!
ピンポンパン」という幼児向けのテレビ番組の中で,歌のお姉さんが歌っていた曲の中に「レインドロップス」とい
う歌があって,この「雨にぬれても」のメロディーに子ども向けの歌詞に替えられたものがあったんだ。原曲とは
ちょっとイメージが違うけど,雨にも負けずというか雨なのにとても陽気な歌で,雨が降るとこの歌を口ずさみな
がら長靴で水たまりを歩いた古い記憶があります。(お気に入りの長靴で水たまりを歩くのが大好きだった。5∼
6歳の頃かな?俺にもそういうときがある。)ちなみに,こんな歌詞です。
雨だれ小僧ちゃん
一つ 二つ 三つ
ポツンと 空から落ちて来た
四つ ほら
君のほっぺたが
濡れてます
ごらん 雨だれ小僧ちゃん
ポツンと 手のひら濡らします
一つ 二つ 三つ 四つ ほら
君にあげます 贈り物
指切りします 雨だれの首飾り
もし嘘をついたら 針千本飲みます
雨だれ小僧ちゃん
ポツンと
ピン ポポパポン ピン ほら
おでこに落ちて来た
ぼくたち濡れても平気です
約束します
雨だれの首飾り
可愛いでしょ。
「雨の音楽」もとてもいいもんです。
雨水(うすい)を過ぎると,冬眠をしていた虫たちが穴から出てくる。
そして,柳の若芽が芽吹き,ふきのとうの花が咲く。もうすぐだ。