ソローと対抗文化

ソローと対抗文化
―衣服観に見る比較的考察
福 屋 利 信
ソローと対抗文化(counterculture)との密接な関わりは、自然環境保護の
問題、既存権力への反骨精神、東洋思想への傾倒、マイノリティへのスタンス
などを扱った近年の諸研究により、もはや否定する余地のない様相を呈してき
ている。本稿は、ソローと対抗文化とのあいだに新たな視点、すなわち衣服観
を持ち込み、両者の関係性の幅を拡大しようとするものである。論法としては、
まず、衣服の機能性や社会性といった側面から両者の衣服観を比較する。次に、
対抗文化の若者たちが自分たちの衣服観を象徴したジーンズに込めた精神性を
論じる。その上で、かかる精神性こそは、ソローの衣服観を越えて、彼の生活
哲学全体に重なるものであることを論証していく。
1. ソローの衣服観
ソローは、『ウォールデン』で、人間の生命にとって他の何よりも必要な
ものは食物であるとし、それは人間が生きるための燃料、言い換えれば熱を産
み出すものだと言う。その後に衣服の目的を以下のように述べる。
Let him who has a work to do recollect that the oobject of clothing is, first, to
retain the vital heat, and secondly, in this state of society, to cover
nakedness.... (Walden 21)
衣服の目的として、食物の摂取によってもたらされた「熱を保持すること」、
「裸身を覆い隠すこと」の二点をあげ、衣服の絶対的価値を再認識させようと
する。さらにソローは、衣服はこの二つの根源的意義を逸脱して、人間社会に
おける階級表示の機能を担わされたと指摘する。
It is an interesting question how far men would retain their relative rank if they
were divested of their clothes. Could you, in such case, tell surely of any
company of civilized men, which belonged to the most respected class? (22)
衣服が人間社会における「相対的地位」、すなわち階級をはかる物差しにされ
てしまった現状を嘆くソローは、「もし人々が衣服を脱がされたとき、あなた
方は、文明人のあいだで最も社会的地位の高い階級に属する人々を確実に見分
けることができるのか」と読者に問いかける。そのあとすぐ続けて、オースト
ラリアの旅行家プファイファー夫人(Madam Pfeiffer)の「文明国では(中略)人々
は服装で判断される」(23)という言葉を引用し、衣服がおびた負の社会性を
強調する。ソローの衣服観の根底に階級否定が存在することは明らかである。
あくまで生きるための衣服に重点をおくソローは、仕事をする者の衣服を次
のように語る。
Every day our garments become more assimilated to ourselves, receiving the
impress of the wearer’s character, until we hesitate to lay them aside, without
such delay and medical appliances and some such solemnity even as our bodies.
(21-21)
仕事をするための衣服は、「着ている人間の性格が刻印され、日ごとにわれわ
れ自身に同化してくる」というくだりからは、動きやすさ、すなわち機能性を
最優先させようとする姿勢を垣間見ることができる。加えて、日々の経過とと
もに形成された肉体との一体感ゆえに、衣服に愛着が生まれ、「儀式でも挙げ
てやらないと、思い切って捨てることができなくなる」とも言う。
こうした文脈では、ファッションとしての衣服はまったく否定されているか
のようであり、生活の本質的な事実以外のものはすべて切り捨てようとした、
ソローならではの衣服観を感じ取ることができる。安らぎと野生の厳しさを同
時に体感させてくれる森での作業を常に念頭においたソローの衣服哲学¹は、
非常に開拓者的な、ある意味ではまたピュータリン的な印象さえ受ける。
2. 対抗文化の衣服観
『ウォールデン』からおよそ一世紀後、ソローの個人的な衣服観を集団で
継承したのが、合理性を最優先するアメリカの伝統的価値体系に異を唱えた
1960年代の対抗文化の若者たちであった。対抗文化を、それを担った若者たち
の意識という視点から論じたチャールズ・A・ライク(Charles A.Reich)は、
その著書『緑色革命』(The Greening of America)で、対抗文化の若者を象徴
したジーンズ・ファッションは、彼らの音楽、思考などとともに、彼らの「首
尾一貫した哲学の一部」(Greening 2)だったと述べている。ライクは、対抗
文化の衣服は対抗文化の意識の重要なテーマを多く表明しているゆえに、まず
はそこから論じるのが適切であるとし、その衣服観を語り始める。
The clothes are like architecture that dose not clash with its natural
surroundings but blends in. And the clothes have a functional affinity with
nature too, they don’t show dirt, they are good for lying on the ground. (252)
「対抗文化の衣服は自然環境との調和を乱すものではなく、そこに溶け込む建
造物のようだ」と言い、「自然との機能的な親和感」を強調している。さらに
ライクは、対抗文化の衣服を代表するジーンズについて、以下のように言う。
As jeans get more wrinkled, they adapt even more to the particular legs that
are wearing them.... Jeans make one conscious of the body... as part of the
whole individual.... (253)
使用すればするほど、ジーンズが「総体としての人間の一部である肉体を感じ
させる」という指摘は、それを着用している者自身に同化していくことと同義
に解釈できる。加えて、ライクは、対抗文化の衣服と階級との新たなる関係に
も触れている。
The new clothes express profoundly democratic values. There are no
distinctions of wealth or status, no elitism.... In places where status of money is
important, clothes tell story....
The new clothes deny the importance of
hierarchy, status, authority, position.... (257)
「階層性、地位、権威、有利な立場といったものの重要性を否定する」ゆえに
「デモクラシー的な価値を深く表現し得る新しい衣服」は、社会階層をはかる
物差しとしての役割から完全に開放されたと、ライクは高らかに宣言する。も
ちろんここでライクが言う新しい衣服とは、彼が対抗文化の若者たちの「哲学
の一部」と称したジーンズに他ならない。
このように、対抗文化の若者たちの衣服観は、ウォールデン湖畔でひとり自
然と実直に向き合ったソローの衣服観に時代の変遷を経て重なる。加えて、ソ
ローが『ウォールデン』を書いた19世紀半ばにはいまだ試作段階であったジー
ンズ²は、約一世紀後、そこに帯びた精神性によって、ソローの生活観全体を
表現するに至るのである。では、以下にジーンズにまつわる精神性とは如何な
るものであったかを具体的に述べよう。
3. 1950年代の若者たちに芽生えた反逆的意識
第二次大戦後のアメリカは高度成長期にあった。その経済発展とともに、ア
メリカ的家庭様式が確立された。郊外に芝生の庭つきの家を購入し、数々の電
化製品に囲まれ、自家用車を所有する。それが新たに中産階層になった白人家
庭の典型的なスタイルであった。こうした画一化された物質的繁栄の欺瞞性に
いち早く気づいたのは、アメリカの若い心であった。その鋭い感受性は、機械
が神となった社会のもとで手にした豊かさの裏に、精神的貧しさを敏感に嗅ぎ
取っていたのである。サリンジャー(J. D. Salinger)の『ライ麦畑で捕まえ
て 』 (The Catcher in the Rye) の 主 人 公 ホ ー ル デ ン ・ コ ー ル フ ィ ー ル ド
(Holden Caulfield)は、小説上の架空人物とはいえ、アメリカの若い感受性を
代弁していたのであろう。ホールデンは、自己を偽り社会に自己を合わせる生
き方を否定した青年であった。
ほぼ時を同じくして、当時のティーンエイジャーたちが他の誰よりも強く自
分たちを同一視できた英雄がハリウッドから登場した。ジェームス・ディーン
(James Dean)である。彼は、映画『理由なき反抗』(Revel Without a Cause)
で、成功と物質的豊かさとを同一視する大人たちの価値観に対しての苛立ちを、
台詞だけではなく身体全体で表現して若者たちの共感を呼んだ。ディーンは、
白いTシャツに赤いウインドブレーカー、それに理由なき反抗を最も象徴する
ものとして、ブルージーンズを履いていた。ディーンが演ずる中流家庭で育っ
た少年が、家庭背景が労働者階層であることを暗示するジーンズを履くという
「地位下降現象」(Class Degradation) が社会への反逆の印であった。以前は労
働者の仕事着であったジーンズが、ディーンによって初めて精神性(ファッシ
ョン性とも言えるであろう)を付与されたのである。
目を音楽の世界へ向けてみると、1950年代の白人ティーンエイジャーたちは、
自分たちの社会への鬱積した苛立ちを黒人音楽のそうした感情と同一視しよう
としていた。すなわち、黒人たちの白人社会に対する反発や生活苦を表現した
ブルースに、自分たちの反骨精神を重ねようとして、自らも演奏したいと思う
に至った。このような経緯で生まれたのが白人の演奏するリズム・アンド・ブ
ルース、つまりロックンロールであった。
このロックンロールの英雄は、アメリカ南部メンフィスの小さなレコーディ
ング・スタジオで見出された。黒人のように歌える若くてハンサムな白人歌手
を見つければ、きっと大きな成功をつかめると確信していたサン・レコードの
プロデューサー、サム・フィリップス(Sam Phillips)は、たまたま母親の誕生
日に贈る自作レコードを作りにきていた歌唱に衝撃を受けた。若者の名はエル
ビス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley)。フィリップスが求めてい
たものをすべて備えた若者であった。プレスリーが白人社会ではタブー視され
ていた腰を振りながらシャウトするパフォーマンスを黒人よりもセクシーに見
せる姿は、もう一つの地位下降現象であった。ノーマン・メイラー(Norman
Mailer)は、自分たちの現実に合致する黒人の掟をもって行動を捜し求めた白
人たちを「白い黒人」(White Negro) と呼んだが、プレスリーは、メイラーが
共感したジャズと自由詩とを好むビート世代のような観念的ホワイト・ニグロ
ではなく、黒人の掟に身体で反応した本能的ホワイト・ニグロであった。
しかし、ロックンローラーたちは、ディーンがスクリーン上で示したような
ジーンズの反逆性はステージに取り込まなかった。プレスリーはピンク・スー
ツや開襟のスポーツ・シャツに白靴のコンビネーションが売りで、ビートルズ
(The Beatles)にしても、デビュー当時のロックンロール時代は独自の襟なし
スーツをトレードマークにしていた。ロックンロールのスターたちにとっては、
ジーンズは貧しい家庭環境と密接につながる作業着であり、馴染みがありすぎ
て、自分たちの舞台イメージの一部にするにはためらいがあったと考えられる。
ロックンロールのスターたちでさえ、自分が獲得した富を象徴する派手な衣装
から精神的離脱を果たせないでいたのである。
4. 対抗文化の若者たちがジーンズに加えた精神性
音楽においてジーンズが強靭な精神性を帯びるには、中産階層が主流を占め
るに至った当時のアメリカにおいて、その階層の若者がジーンズを取り入れ、
一種の文化的変容を加える必要があった。音楽界には1960年代前半まで、中産
階層の若者は反戦や社会批判を歌いこむ知性的フォーク・ミュージックを聴き、
労働者階層の若者は官能的ロックンロールを聴くという階層的図式が存在して
いた。このように互いに反目していたことは、音楽史上の事実である。イベン
ト・プロデューサーのジョージ・ウエイン(George Wein)は、『ロックンロ
ールの歴史』なるビデオで、「彼らは互いに嫌っていた」と苦笑している。ト
ッド・ギトリン(Todd Gitlin)は、「フォークはジャズの前衛的な破壊力は無
かったが、それを愛好することで主流の文化から距離を保ち、見下すことがで
きた」(75)と述べている。
そのような閉塞状況を1日で変えてしまったのがボブ・ディラン(Bob
Dylan)であった。彼は、1965年、ニューポート・フォーク・フェスティバル
に、ロックンロール・バンドを従えて登場した。それ以前に彼はビートルズの
ライブ演奏に接して、ロックンロールから強い刺激を受けていた。パワフルな
サウンドに社会的メッセージをのせることが自分の音楽世界を拡げると確信し
たディランは、いまや躊躇なく実行に移した。フォーク・ファンから激しいブ
ーイングを受け、「裏切りユダ」との罵声も浴びたが、この瞬間こそ、ロック
ンロールの野生にフォークの知性を加えた新しい音楽、ロック・ミュージック
が誕生した瞬間であった。そのときディランは、ジーンズを身に纏って舞台に
上がっていた。滑らかではない、ざらざらした声で、自分自身の言葉で現実を
歌うディランは、以後も意識的にジーンズを着てステージに立ち続けた。
既成社会への対抗意識が頂点に達していたとき、ディランは、1950年代に発
足した音楽とファッションの二つの世界における地位下降現象を融合して、み
ごとに1960年代の新しい時代精神を具現化して見せたのである。大衆文化の研
究家三井徹は、「ブルージーンズを履いたジェームス・ディーンのイメージを
音楽的に延長し、一つの主張として最初に取り上げたのがボブ・ディランであ
った」(175)と分析している。
以来ロック・ミュージックは1960年代の対抗文化を代弁する音楽となる。ラ
イクは、この現象を以下のように情熱的に記述している。
Rock music has been able to give critiques of society at a profound level and at
the same time express the longings and aspirations of the new generation. (267)
「極めて深いレベルで社会を批判し、同時に、新しい世代の憧憬と熱望を表現
する」―それが可能であったのは、ロック・ミュージックが他のいかなる
媒体よりも時代の変化に敏感であり、最もストレートな攻撃性を有していたゆ
えであろう。それは、ライクが「新しい意識の真の預言者」(270) と呼んだデ
ィランが産み落とした音楽形式であり、彼に触発された多くのミュージシャン
たちも、自分たちの攻撃性を視覚的に訴える手段としてジーンズを愛用するよ
うになった。
そのトップ・ランナーがビートルズであった。ディランに影響を与えた彼ら
もまたディランから対抗文化の洗礼を受け、ラブ・ソング中心のロックンロー
ル・バンドから独自のサイケデリックな精神世界を展開するロック・バンドに
成長を遂げていた。ビートルズは、当時のファッション・リーダーでもあった
がゆえに、彼らの変身ぶりに追随するかたちで、瞬く間にジーンズは対抗文化
の若者全体に支持され、かつまた若者どうしの横の連帯感を表現する格好の手
段となり得た。ジーンズを身につけて「ともにあること」(togetherness)³が伝
えようとしたメッセージには、対抗文化の若者たちの反逆精神に加えて、自然
回帰思想、または彼らが唱えた「愛と平和」(love & peace) への希求も含まれ
ていた。
そういう対抗文化の若者たちが自らの思想と行動力とを誇らしげに世に問う
イベントがウッドストック・フェスティバルであった。同フェスティバルは、
最新のPAシステムを導入しロックを自然の屋外で楽しむことで、加速度的に
進む技術革新と自然との調和を主張しようと企画されたもので、当初の予想を
はるかに上回る50万人もの若者たちが集い、ともに愛と平和の三日間を過ごし
たのである。これほど大規模なイベントが、さしたる混乱もなく遂行された背
景には、そこに集う若者たちの強い連帯感が存在したはずである。ロックが権
力を脅かす存在たり得た時代、ウッドストックは、対抗文化の若者たちが体制
に対して放った、文字通りの強力な「カウンター・パンチ」であった。当時の
『タイム』誌は、「このフェスティバルが1960年代の若者の持つ特殊な文化が
その力と訴えと強さとを発揮した瞬間であることからみて、現代を代表する大
きな政治的社会的な出来事の一つとして数えることも十分可能であろう」
(Time, August 1969) とコメントした。
このとき、イベントに参加した若者の大半が、自分たちの生き方を伝えるあ
る種の記号としてジーンズを着用していたことは、記録映画『ウッドストッ
ク:愛と平和と音楽』の映像が如実に物語っている。ボブ・ディランによって
1965年にもたらされたロックとジーンズの融合は、さして多くの年月を経るこ
となく対抗文化の若者全体に浸透していたのである。ジーンズは、1950年代の
やり場のない理由なき反逆のシンボルから脱して、1960年代半ばには、確たる
信念のもとに理由づけられた反逆精神を、さらには、彼らの夢見た理想を象徴
するまでに文化的変容を遂げていたと言えよう。元来労働者階級のものであっ
たジーンズを中産階級の若者が身につける地位下降現象によって、対抗文化は、
階級否定を試みた。スチュアート&エリザベス・ユーエン (Stuart & Elizabeth
Euwen)は、「翌日の労働にも耐えられるという以外に何の夢も与えてはくれな
かったジーンズ」(133)が、「60年代も半ばになると、台頭し始めた社会闘
争の欠かせない装いの一つとなった。深南部では、奴隷の孫である小作人が19
世紀半ばの感覚でジーンズを着続けていたが、そこに大学生が入り込んでき
た」(136)とし、当時の社会状況に起きた変化を伝えている。
5. エピローグ
はるか1950年代に端を発し、1960年代の対抗文化の熟成過程でジーンズに加
えられた幅広い精神性は、実用性と社会性とを強調したソローの衣服観を越え
て、人頭税の支払いを拒んだ反骨精神、森の直中で試みた自給自足の生活、あ
るいは自然環境に対する優しい眼差しなど、ソローの人生哲学全体に重なる。
こうみるとき、「ソローは対抗文化の意識に直接語りかけてくる」(238)と
したライクの印象的な言葉は、一層のリアリティを増してくる。
次いで1970年代に入ると、ヒッピーたち(Hippies)は、集団ではなく個人
による精神性の追求に移行し、その私的なメッセージは新しく台頭したシンガ
ー・ソング・ライターたちによって世に届けられた。年齢を重ねつつあったヒ
ッピー世代もシンガー・ソング・ライターたちもジーンズを手放したわけでは
なかったが、それは彼らの内省の象徴に変容していた。こうした内省は、一般
的に“growing out of the Sixties”と呼ばれる。
やがて1980年代には、自己の感覚を最優先するヒッピーの思想を受け継ぎな
が ら も 都 市 型 競 争 社 会 を 生 き 抜 こ う と し た ヤ ッ ピ ー た ち (Young Urban
Professionals)によって、ジーンズはホワイトカラーやエンジニアの職場に持
ち込まれた。シリコンヴァレーに生きる技師たちのTシャツにジーンズという
ラフないでたちはその典型であった。時代の変転にさらされつつも、この頃ま
でのジーンズには対抗文化の残り香が感じられた。
その後、ジーンズに込められた精神性は急速に薄れていき、現在では、ソロ
ーの求めた生真面目な機能性も対抗文化の若者が求めた精神性も意識されるこ
とはなくなった。肩肘張らないカジュアル・ファッションの定番として位置づ
けられるようになったジーンズは、年齢も社会階層も国境をも越えて、我々の
生活にすっかり根づいた。しかし、ソローの衣服観に影響を受けた対抗文化の
若者がジーンズにもたらした精神性をぬきには、ジーンズの歴史は語れない。
沸き立つような時代の興奮と、その興奮がもたらした超越的主義的理想を根源
として、対抗文化の若者がジーンズに加えた文化的変容は、決して時代の流れ
とともに風化させてはならない重要な社会事象だったはずである。
注
1
サトルメイヤー (Sattlemeyar) は、「ソローの『ウォールデン』、「経
済」における衣服についての文章は、明らかにカーライル(Carlyle)『衣
装哲学』に恩恵をこうむっている」(38-39)と指摘している。
2 ソローが『ウォールデン』を出版したのが1854年。デニムを素材としての
ジーンズは、1856年にリーバイ・ストラウス(Levi Strauss)によって世
に出された。素材ははじめキャンバス地であったという。
3 対抗文化のキーワードの一つ。ライクは、「自分たちが同一種族のメンバ
ーであると感じ、人間どうしとすべての自然に深い関わりを感じるよう
な人々の間に存在する関係」(272)と定義した。
引用文献
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Gitlin, Todd. The Sixties. Toronto: Bantam, 1993.
Mailer, Norman.“The White Negro”in The Beat Generation and Angry Young Men.
eds. Gene Feldman and Max Gartenberg. New York: Citadel, 1985.
Melly, George. Revolt into Style: The Pop Arts in the 50s and 60s. Oxford: Oxford
UP, 1970.
Reich, Charles A. The Greening of America. New York: Bantam, 1970.
Salinger, J. D. The Catcher in the Rye. New York: Penguin, 1958.
Sattlemeyer, Robert. Thoreau’s Reading. New Jersey: Princeton UP, 1988.
Thoreau, Henry D. Civil Disobedience: Solitude and Life without Principle. New
York: Prometheus, 1998.
. Walden, or Life in the Woods. Princeton: Princeton UP, 1971.
Weiner, Rex, and Deanne Stilman. Woodstock Census: The Nationwide Survey of
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ウェーバー、ウイリアム『音楽と中産階級』、法政大学出版局、1983[1975]年。
『ウッドストック愛と平和と音楽』、ワーナー・ホームビデオ、2005[1970]年。
ギュラルニック、ピーター『エルビス登場!!』、ユーリーグ、1997[1994]年。
スカデュト、アンソニー『ボブ・ディラン』、二見書房、1973[1971]年。
福屋利信「The Greening of Americaにおける意識Ⅲ(対抗文化の意識)とロ
ック・ミュージック」、『ヘンリー・ソロー研究論集』(日本ソロー学
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マーティン・ジョージ『ビートルズ・サウンドを作った男』、河出書房新社、
2002[1979]年。
三井徹「ブルージーンズとポピュラー音楽」『ユリイカ』、特集ポップス 甦
る60年代のヒーローたち、青土社、1994年。
レイ・ニコラス『理由なき反抗』、ワーナー・ホームビデオ、2000[1955]年。
『ロックンロールの歴史4』、ワーナー・ホームビデオ、1995[1995]年。
ユーエン、スチュアート&エリザベス『欲望と消費』、晶文社、1988[1982]年。
〔付記〕本稿は、中・四国アメリカ文学会第34回大会(2005年6月12日、広島
修道大学)におけるシンポジウム「ソローとカウンター・カルチャー」
で発表した内容に加筆したものである。