「間違っていても・・・」 堺ブロックチーム司祭 山口 武史 もうすぐ梅雨に入ります。数年前までは「ジメジメしてイヤだなぁ」くらいで したが、このごろは「ゲリラ豪雨」が心配です。仲間の司祭も「ゲリラ豪雨」で 車が浸水し、使いものにならなくなりました。 ゲリラ豪雨は、ゲリラみたいにいつどこから出てくるか分からないというこ とからその名前がつきました。が、勘違いされている人もいます。以前担当して ... いた教会のおばあちゃんが「神父さん、昨日のゴリラ豪雨すごかったですね」と おっしゃいました。この人は、雨の激しさを、まるでゴリラが暴れたかのように 強烈だと受け取ったのでしょう。間違いではありますが、 「これも正解!」と思 ってしまいます。 間違っているけれども「これもありかな?」と思うのは信仰の世界でもあるか もしれません。 私が青年の頃、女子大学生が洗礼を受けました。エネルギーの塊のような人で、 受洗前にすでにリーダー格でした。彼女が受洗し、教会新聞に記事を書きました。 内容は、 「私は洗礼を受け大変嬉しい。これからはイエス様に導かれた者として、 良き営業員として、家族、友人だけでなく、出会う人すべてにイエス様をどんど .... ん売り込みたい。何故なら私は主の商人だから」というものでした。彼女は「主 の証人」を「主の商人」と勘違いしていました。 広報担当の人が、彼女の名誉のために記事を差し替えることを神父さんに相 談しに来ました。神父さんは「間違っているけれど、その心意気、考え方はむし ろ素晴らしい」と言って、ちょっと訂正して出すことにしました。神父さんは「新 しい発見をした」と喜んでいました。 間違っているより、正しい方がいいに決まっていますが、間違いが新しいアイ デアを生み出すこともあります。特に、科学や技術の世界ではよくあって、 「健 全な失敗」と言っているようです。失敗や間違いをも生かしていけるような懐の 深い教会を造ってゆけたらいいですね。
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