がんの痛みと緩和ケア

<禅と医療>
がんの痛みと緩和ケア
坂下 興道
人口の高齢化が進むにつれて、がんの患者さんは増えています。女性では3人
に1人、男性では2人に1人ががんを経験する時代になりました。私はがんの専
門病院に勤める医師で、緩和ケアを仕事にしています。緩和ケアについて御存じ
ない方も多いと思います。ここではがんの痛みと緩和ケアについて解説し、最後
に私自身の患者さんへの向き合い方について話しをしたいと思います。
がんの痛みは決して怖いものではありません。もし痛みが出たとしても通常は
痛み止めで抑えることが出来ます。痛み止めはただ痛みを抑えるためではなく、
普通の生活を続けるために使用するのです。このように生活の質(QOL)の維
持を目的とした医療が緩和ケアです。患者さんの苦痛を緩和し、患者さんの生活
を大切にすることは医療の根本です。
ですから、
緩和ケアは終末期だけではなく、
がんと診断された時から必要と考えられるようになりました。
○がんの痛み
がんといえば痛みで苦しむものと思われる方が多いのですが、そんなことはあ
りません。確かに多くにがんの患者さんに痛みが出現します。しかし、その症状
や程度は様々ですし、痛みが全く出ない方もいらっしゃいます。もし、痛みが出
たとしても通常は飲み薬の痛み止めで、十分コントロールが可能です。
痛み止めにもいろいろな種類があります。弱い痛みであれば、消炎鎮痛薬と言
われる痛み止めが使われます。これは歯の痛みや腰痛の際に処方される痛み止め
と同じものです。しかし、消炎鎮痛薬だけでは抑えられない痛みの場合は医療用
麻薬が必要になります。医療用麻薬で有名なのはモルヒネですが、他にもいろい
- 70 -
ろな種類があります。
○痛みをとる目的
通常、多くの方が痛みは出来るだけ我慢しようとすると思います。余程辛い痛
み以外は、誰でも痛み止めを使いたいとは思いません。それは、痛み止めが体に
悪いのではないかという心配以外に、痛みをとること自体にポジティブな意味を
見出しにくいからだと思います。なぜなら、痛み止めは痛みを和らげるだけで、
病気を治す薬ではないからです。確かに、私もギックリ腰を起した場合は、出来
るだけ我慢して痛み止めは使わないようにします。しかしそれは、痛みが徐々に
軽快し、そのうちに通常の生活が取り戻せるという予測が前提にあるからです。
一方、がんの場合は少し違います。手術で完全に取りきれてしまう場合は別と
して、がんは上手に付き合っていく必要があるからです。痛みを我慢し続けてい
ると、夜は眠れなくなり、食欲も落ちて体力が低下します。また、イライラした
り、不安になったりで気力も落ちてしまいます。さらに、やりたい事ができませ
ん。仕事や趣味やちょっとした外出でさえ、支障を来たすようになります。
しかし、痛み止めを上手に使えば夜は良く休め、食欲も改善し、イライラや不
安も軽減し気力の低下は防げます。また、仕事や趣味なども継続出来るようにな
ります。このように病気と付き合いながら普通の生活を送るために痛み止めを使
用するのです。
○医療用麻薬について
モルヒネなどの医療用麻薬は安全な薬です。麻薬というと、怖い薬と心配され
る方がいらっしゃいます。例えば、使ったら止められなくなる、中毒になる、死
期が早まるなどです。しかし、それらは全て誤解です。痛みの原因が良くなれば
麻薬は止めることができますし、
痛み止めとして使用する場合は中毒にはならず、
もちろん死期を早めることもありません。
ただ知っておくべき副作用として、吐き気と便秘と眠気があります。吐き気は
最初だけ出る方がいらっしゃいますので、吐き気止めを使用します。便秘は下剤
- 71 -
を調整すれば対応可能です。
眠気はだんだん気にならなくなる方がほとんどです。
また、麻薬は使ったから効かなくなるという性質はありません。しかし、痛み
の程度に応じて調節することが必要です。
適切な量は患者さんによって違います。
例えば、モルヒネが一日 10 ㎎程度で痛みがとれてしまう方もいれば、1000 ㎎以
上必要とする方もいます。
医療用麻薬は飲み薬以外にも坐薬、貼り薬、注射薬があり種類が豊富です。で
すから、患者さんの体の状態に合わせて使用することができます。
○緩和ケアの目的は生活の質(QOL)
緩和ケアの目的は症状を緩和して生活の質を維持することです。がんを患って
も多くの方が「人間としてあたり前の生活」を送りたいと望まれます。それをサ
とら
ポートするのが緩和ケアです。以前、緩和ケアは終末期のものと捉えられていま
したが、最近では病気の診断時から必要であると考えられるようになりました。
なぜなら、診断時や治療中にもさまざまな苦痛があり得るからです。例えば、が
んと診断されたことにより気持ちが沈み、うつ状態になってしまえば精神的な苦
痛ですし、仕事を失い、経済的な問題が生じると社会的な苦痛となります。この
ように患者さんが抱える様々な苦痛に対して支援し、普通の生活を取り戻すこと
を目的としているのが緩和ケアです。
○緩和ケアは医療の基本
苦痛を緩和して患者さんの生活を大事にすること、これは全ての医療の根本に
あるべきことです。ですから緩和ケアは特殊なことではなく、極めてあたり前の
医療です。医学が進歩していなかった昔は、病気を治す事はあまり出来ず、症状
の緩和などのケアがほとんどでした。
しかし、医学の進歩した現在では病気を治す事(キュア)や延命に力が注がれ、
ケアの部分は軽視されてしまうことがあるようです。特にがん医療では治療の内
容が高度に専門化されたぶん、大事なことが忘れられがちになりました。
そのため、緩和ケアという概念が生まれたわけです。緩和ケアは全ての医療者
- 72 -
が行うべき医療のベースです。本来、緩和ケアなんて名前は必要ないかもしれま
せん。
○私と緩和ケア
正直を申しますと、私にとって緩和ケアは大変な仕事です。私の役割は主に痛
みなどの身体的な苦痛を緩和することですが、患者さんが抱える苦痛や苦悩は多
様ですので簡単にはいきません。一般に医療現場では多様な問題点に対しては多
職種によるチームアプローチが行われます。
例えば、精神的な問題があれば、カウンセリングを行う臨床心理士や精神科の
医師が関わり、
経済的な問題であればソーシャルワーカーが関るなどの方法です。
しかし、多職種の医療者が関っても解決出来る問題は限られていて、解決でき
ない問題もたくさんあります。特に根本的な大問題は全く解決できません。
例えば、辛い状況の中で「私は何のために生きているのか?」と苦悩する患者
さんが居たとしても解決はできません。医療者がそのような根本的な問題に対し
て答えを提示出来るなんてことは通常あり得ないわけです。
ですから、私はがんの患者さんにどう向き合えば良いかを悩みながらこの仕事
をしています。
日々の診療では、
「早く終わりにして欲しい」
と切望する患者さん、
「どうして再発したんだ」と怒りをぶつけてくる患者さんなどさまざまな方がい
らっしゃいます。
もちろん、それらの苦悩に対して私が何か出来るわけではないのですが、患者
さんと対峙するのは正に真剣勝負です。一般的なコミュニケーションスキルだけ
では太刀打ちできない、人間同士のやり取りになります。まさに人間力としか言
いようのない力が必要だと思います。そこでは、極めて「あたりまえ」のやり取
りになるのかもしれません。
私はこの「あたりまえ」のやり取りが、肩に力を入れることなく、普通に出来
るようになりたと思っています。そのため、私は数息観を続けていきたいと考え
ています。
合掌
- 73 -
■著者プロフィール
坂下興道(本名/美彦)
昭和 39 年、神奈川県生まれ。昭和 62 年、人間禅磨甎庵白田劫
石老師に入門。現在、人間禅補教師。
<禅と医療>
漢方から見た禅
熊坂 玄彭
○「漢方(東洋医学)の世界観」
古代人は、宇宙そのものが気であり、宇宙空間のすべての事物と現象は、気の
運動変化によって生じると考えていました。漢方は「気」を中心に据えた医学で、
気はエネルギーと考えてください。
宇宙空間は天と地と人(三才と言う)から成り、天(陽)と地(陰)の気が交
わることで自然の営みが生じ、季節の変化が起こります。
「地気 昇って雲となり。天気 降って雨となる」とは、太陽によって温められ
た大地から水蒸気が立ちのぼり雲となり、天空で冷やされて雨となります。
人間は、自然界の一生物です。季節の変化(春・長夏・夏・秋・冬)の影響を
受けて生きています。春は風・長夏は湿・夏は暑・秋は燥・冬は寒、これは自然
界の摂理です。しかし、この季節の変化に適応出来ないと、風邪・寒邪・暑邪・
湿邪・燥邪の邪気(よこしまなき)となり、病気の原因となります。
あつ
また、人の生も気の聚まりと言えます。
- 74 -