悲劇の十日間 - メキシコ革命と日米関係

71
悲劇の
悲劇の十日間(クーデター発生
クーデター発生からマデロ
発生からマデロ暗殺
からマデロ暗殺まで
暗殺まで)
1913年
1913年2月9日朝七時、
日朝七時、メキシコ駐在公使堀口九萬一
メキシコ駐在公使堀口九萬一は
駐在公使堀口九萬一は突然銃声を
突然銃声を聞き、ただなら
ぬ気配を
気配を感じた。
じた。三十分して
三十分して知人
して知人からの
知人からの電話
からの電話で
電話で、騒動が
騒動が発生したとの
発生したとの知
したとの知らせを受
らせを受けただけ
で、何が起こっているのか状況
こっているのか状況はわからなかった
状況はわからなかった。
はわからなかった。銃声は
銃声は近かった。
かった。公使は
公使は様子を
様子を見るた
め馬車を
馬車を駆って街
って街へ飛び出したが、
したが、むやみに動
むやみに動けば危険
けば危険だと
危険だと、
だと、思いなおして大統領官邸
いなおして大統領官邸へ
大統領官邸へ
向かうことにした。
かうことにした。その日
その日は日曜日で
日曜日で人通りは
人通りは少
りは少なかった。
なかった。官邸には
官邸には大統領夫人
には大統領夫人しかいな
大統領夫人しかいな
かった。
かった。大統領は
大統領は電話で
電話で急報に
急報に接し、五十名ほどの
五十名ほどの士官候補生
ほどの士官候補生を
士官候補生を連れて応戦
れて応戦に
応戦に駆けつけた
ということであった。
ということであった。公使は
公使は気遣っていろいろ
気遣っていろいろ慰
っていろいろ慰めの言葉
めの言葉をかけているうちに
言葉をかけているうちに、
をかけているうちに、公使夫人
から電話
から電話があり
電話があり、
があり、自分も
自分も見舞いに
見舞いに行
いに行きたいということで、
きたいということで、急遽夫人を
急遽夫人を迎えに馬車
えに馬車を
馬車を返した。
した。
公使夫人は
公使夫人は大統領の
大統領の家族と
家族と公私共に
公私共に深い交わりがあり、
わりがあり、気が気ではなかった。
ではなかった。堀口公使夫
妻のほかまだ誰
のほかまだ誰も見舞いには
見舞いには来
いには来ていなかった。
ていなかった。公使は
公使は邦人を
邦人を案じ、夫人を
夫人を残してとりあえ
ず公使館へ
公使館へ帰ることにした。
ることにした。
公使館には
公使館には六人乗
には六人乗りの
六人乗りの乗用車
りの乗用車が
乗用車が二台横付けされていた
二台横付けされていた。
けされていた。不審に
不審に思いながら中
いながら中に入ると意
ると意
外にも大統領
にも大統領の
大統領の両親が
両親が、秘書官二人、
秘書官二人、娘さん三人
さん三人とその
三人とその子供
とその子供た
子供たちが四人
ちが四人、
四人、加えて召使
えて召使い
召使い数
名、総勢二十二人が
総勢二十二人が避難してきていた
避難してきていた。
してきていた。そろそろ昼
そろそろ昼の支度もせねばならず
支度もせねばならず、
もせねばならず、大急ぎで
大急ぎで公使
ぎで公使
夫人を
夫人を呼び返した。
した。街は騒然としてきて
騒然としてきて、
としてきて、公使夫人が
公使夫人が帰ってきたのは午前十一時
ってきたのは午前十一時になって
午前十一時になって
いた。
いた。一時過ぎ
一時過ぎ大慌てでこしらえた
大慌てでこしらえた食事
てでこしらえた食事を
食事を済ませた頃
ませた頃、自動車の
自動車の音がし、
がし、出てみると大統
てみると大統
領夫人が
領夫人が侍女一人を
侍女一人を連れて到着
れて到着されていた
到着されていた。
されていた。期せずして大統領
せずして大統領の
大統領の家族全員が
家族全員が日本公使館に
日本公使館に
非難することになった
非難することになった。
することになった。メキシコ人
メキシコ人が普段日本人をどのように
普段日本人をどのように思
をどのように思っているか、
っているか、これがその
証である、
である、と堀口公使は
堀口公使は後に述懐している
述懐している。
している。
124
125
2月9日、日曜の
日曜の朝未明、
朝未明、チャプルテペック
チャプルテペック城
ック城の森の警備員は
警備員は異様な
異様な音で目を覚ました。
ました。
縦隊を
縦隊を組んだ部隊
んだ部隊がメキシコ
部隊がメキシコ市
がメキシコ市の中心部に
中心部に向かって東
かって東へ行進していた
行進していた。
していた。向かっているのは
明らかにナショナル・パレス
らかにナショナル・パレスであった
レスであった。
であった。この異
この異常な軍事行動は
事行動は公認されたものではないと直
されたものではないと直
感した警備員
した警備員は
警備員は車に飛び乗り、二マイル半ほど離
ほど離れた場所
れた場所にいるナショナル・パ
場所にいるナショナル・パレス
にいるナショナル・パレスを
レスを管理
する主計
する主計総
主計総監、アドミラル・
アドミラル・アド
ル・アドル
アドルフォ・バッ
フォ・バッソに報告した。
した。不穏な動きがあることを察
きがあることを察知
していたバ
していたバッソは報告が事実であることを確信
であることを確信し
確信し、ロンドン街
ンドン街に住む大統領の
大統領の弟グスタ
グスタ
ボ・マデロの
ボ・マデロの住居
マデロの住居に
住居に向かった。
かった。グスタ
グスタボはいよいよ来
はいよいよ来るものが来
るものが来たと、
たと、自家用車に
自家用車に乗り込
んでバ
んでバッソと共にパレス
にパレスに
レスに向かった。
かった。彼らが確認
らが確認した
確認した部隊
した部隊は
部隊は、ジェネラル・
ジェネラル・モンドゥラゴン
ル・モンドゥラゴン
が直轄するタク
直轄するタクバヤ
するタクバヤ駐
バヤ駐屯守備隊
屯守備隊に
備隊に属していた。
していた。モンドゥラゴンはこのとき
モンドゥラゴンはこのとき未
はこのとき未だ、パレスに
レスに
は向かっていなかった。
かっていなかった。共謀者フェリス
謀者フェリス・デ
フェリス・ディアス
・ディアスと
ィアスとベルナルド・レイェス
ルナルド・レイェスはまだ
ド・レイェスはまだ刑務所
はまだ刑務所に
刑務所に
いた。
いた。モンドゥラゴンは
モンドゥラゴンは先ず二人を
二人を解放し
解放し、しかる後
しかる後にナショナル・パレス
にナショナル・パレスに
レスに向かうことに
していた。
していた。パレスは
レスは無抵抗で
無抵抗で占領できるはずであった。
できるはずであった。
126
ディアスと
ィアスとレイェスは
レイェスは以前、共にマデロに対
にマデロに対して反乱
して反乱を
反乱を起こしていた。
こしていた。マデロは反逆罪
マデロは反逆罪
72
で直ちに処刑
ちに処刑す
処刑すべきであった。
きであった。ディアスは
ィアスは前大統領ポ
前大統領ポルフィリオ・デ
フィリオ・ディアス
・ディアスの
ィアスの甥、レイェス
は元ヌエボ・
ヌエボ・レオン州
レオン州知事であり
知事であり、
であり、二人とも
二人とも紳
とも紳士であったということで禁固刑
であったということで禁固刑に
禁固刑に処せられ、
せられ、
ディアスは
ィアスはレクンベリ刑務所
ンベリ刑務所、
刑務所、レイェスは
レイェスはサンテ
サンティアゴ・トゥラテロルコにある
ィアゴ・トゥラテロルコにある軍
テロルコにある軍の刑務
所で、それぞ
それぞれが快適
れが快適な
快適な獄中生活
中生活を過ごしていた。
していた。彼らはマデロの寛容
らはマデロの寛容さに
寛容さに感
さに感謝するどこ
ろか、
ろか、直ちに政府転覆
ちに政府転覆の
政府転覆の陰謀を
陰謀を企て、互いに連
いに連絡を取り合っていた。
っていた。
モンドゥラゴンは
モンドゥラゴンは、アドル
アドルフォ・
フォ・バッソは抵抗しないだろうし
抵抗しないだろうし、
しないだろうし、トゥラルパ
トゥラルパン
ルパンにある士官
にある士官
学校から
学校から候補生
から候補生をパ
候補生をパレス
をパレスに
レスに配置してあったので、
してあったので、反乱部隊
反乱部隊が
部隊が到着する
到着する前
する前に、パレスは
レスは制圧
ずみであると思
ずみであると思っていた。
っていた。二つの刑務所
つの刑務所の
刑務所の間の距離は
距離は六、七マイル離れていたので、
れていたので、モン
ドゥラゴンは
ドゥラゴンは二隊に
二隊に分け、ジェネラル
ジェネラル・グレゴリオ・ル
・グレゴリオ・ルイスの
イスの騎兵分遣隊
騎兵分遣隊を
分遣隊をレイェスのい
レイェスのい
るサンチャ
サンチャゴ
チャゴ・トゥラテロルコへ
トゥラテロルコへ、
テロルコへ、主力部隊
主力部隊は
部隊はレクンベリのデ
ンベリのディアス
のディアス解放
ィアス解放に
解放に向けた。
けた。ジェネ
ラル・レイェス
ル・レイェスはまだ
レイェスはまだ暗
はまだ暗いうちから制服
いうちから制服を
制服を着て待っていた。
っていた。レイェスは
レイェスは馬に乗り二百の騎兵
を先導して
先導して、
して、パレスに
レスに向かった。
かった。レクンベリではデ
ンベリではディアス
ではディアスがまだ
ィアスがまだ髭
がまだ髭をそっているところへ
分遣隊が
分遣隊が到着した
到着した。
した。ディアスはいらいらして
ィアスはいらいらして待
はいらいらして待っていたモンドゥラゴン
っていたモンドゥラゴンに
モンドゥラゴンに加わり、
わり、かなり
遅れてパレス
れてパレスへ
レスへ向かった。
かった。
グスタ
グスタボはチャプルテペックにいる兄
はチャプルテペックにいる兄に連絡しても無駄
しても無駄だと
無駄だと思
だと思った。
った。彼はバッソと共に
パレスへ
レスへ急行し
急行し、反乱主導者ではな
反乱主導者ではなく
ではなく政府に
政府に忠誠を
忠誠を尽くすよう衛兵
すよう衛兵を
衛兵を説得した
説得した。
した。バッソは
メキシコ市
メキシコ市守備隊長
備隊長ジェネラル・
ジェネラル・ラウ
ル・ラウロ
ラウロ・ビヤールを
・ビヤールを呼
ールを呼び寄せた。
せた。ビヤールは
ビヤールは直
ールは直ちに候補生
ちに候補生
を配置に付け、城壁に機関銃
機関銃を設置し
設置し、ソカロの
ソカロの大
ロの大きな広場
きな広場に
広場に入った反乱軍
った反乱軍をなぎ
反乱軍をなぎ倒
をなぎ倒す態
勢を整えた。
えた。パレスが
レスが敵に防備されていることに驚
されていることに驚いたジェネラ
いたジェネラル・
ジェネラル・レイェス
ル・レイェスは
レイェスは暫く躊躇し
躊躇し
たが、
たが、虚勢を張ってジェネラ
ってジェネラル・ル
ジェネラル・ルイス
ル・ルイスを
イスを送り込み、降伏を
降伏を要求した
要求した。
した。ビヤールはル
ビヤールはルイス
ールはルイスの
イスの
馬の手綱を
手綱を掴むと、
むと、蔑むようにルイス
むようにルイスを
イスを睨んで反乱罪
んで反乱罪で
反乱罪で逮捕すると
逮捕すると言
すると言った。
った。ルイスはそれ
イスはそれ
に従って馬
って馬を降りた。
りた。そのとき銃声
そのとき銃声が
銃声が轟き、レイェスが
レイェスが馬を前に進めようとしたその瞬
めようとしたその瞬間、
護衛兵の
護衛兵の集中砲火を
砲火を浴び、馬から転落
から転落する
転落する前
する前に絶命した
絶命した。
した。十分後ソカ
十分後ソカロには
ソカロには三
ロには三百人の死体
が横たわっていた。
たわっていた。殆どが反乱兵
どが反乱兵士
反乱兵士であったが、
であったが、中には市
には市民もいた。
もいた。殺戮現場に
戮現場に到着した
到着した
ディアスと
ィアスとモンドゥラゴンは
モンドゥラゴンは動揺した。
した。彼らはパレス
らはパレス占
レス占領が失敗したときのことを
失敗したときのことを考
したときのことを考えて
いなかった。
いなかった。とりあえず退却
とりあえず退却する
退却する途
する途中、誰かがシウダ
かがシウダデ
ウダデラ要塞の
要塞の防備が手薄であると
手薄であると二人
であると二人
に入れ知恵をした。
をした。フェリス・デ
フェリス・ディアス
・ディアスは
ィアスは反乱軍の
反乱軍の指導者となり
指導者となり、
となり、シウダデ
ウダデラとその周囲
とその周囲数
周囲数
ブロックを占
ロックを占領した。
した。シウダデ
ウダデラには弾薬
には弾薬や
弾薬や物資が
物資がふんだんにあった。
んだんにあった。
127
128
129
レイェスが
レイェスが斃れ、ディアスが
ィアスが窮地に
窮地に陥ったところを見
ったところを見ていたグス
ていたグスタ
グスタボはチャプルテペッ
クの官邸
クの官邸にいる
官邸にいる大統領
にいる大統領に
大統領に楽観的な
楽観的な報告をした。
をした。首都の
首都の周辺には
周辺には四
には四千の連邦軍
連邦軍がいたし、
がいたし、シ
ウダデ
ウダデラに立て篭もった千八百
もった千八百の
千八百の反乱軍への
反乱軍への補
への補給を断てば、
てば、クーデターは失敗
クーデターは失敗に
失敗に終わると
思っていた。
っていた。大統領も
大統領も同感であった。
であった。グスタ
グスタボからの知
からの知らせを聞
らせを聞いて、
いて、マデロは民衆
マデロは民衆の
民衆の前
に姿を見せようと、
せようと、アラビア馬
アラビア馬に乗り、儀杖兵を
儀杖兵を伴ってパセオ・
ってパセオ・デ・
セオ・デ・ラ・リフォ
デ・ラ・リフォル
ラ・リフォルマへ出
マへ出て
パレスに
レスに向かった。
かった。沿道の
沿道の群衆に
群衆に手を振って応
って応えながらアベニダ・フアレス
えながらアベニダ・フアレスまで
アベニダ・フアレスまで進
まで進んだ頃
んだ頃、
狙撃兵の
狙撃兵の弾が飛び交うようになり、
うようになり、行進は
行進は遅れがちになった。
れがちになった。射撃が
射撃が正確さを
正確さを増
さを増し、傍観
73
者が倒れる事
れる事態になり、
になり、マデロは近
マデロは近くの写真館
写真館へ避難し
避難し、砲火が
砲火が止むのを待
むのを待つことにした。
つことにした。
マデロがこの写真
マデロがこの写真館
写真館にいる間
にいる間、彼の運命が
運命が転機を
転機を迎えることになる事
えることになる事が次々と起った。
った。パ
レスでの
レスでの戦
での戦闘で、ジェネラル・
ジェネラル・ビヤ
ル・ビヤールが
ビヤールが重傷
ールが重傷を
重傷を負ったとの知
ったとの知らせが届
らせが届いた。
いた。マデロが後
マデロが後任
の指揮官
指揮官を誰にしようかと思案
にしようかと思案しているところへ
思案しているところへ、
しているところへ、ジェネラル・
ジェネラル・ビ
ル・ビクトリアノ・
トリアノ・ウエルタが
ウエルタが
現れた。
れた。ウエルタ
ウエルタはナショナル・パ
ルタはナショナル・パレス
はナショナル・パレスを
レスを含めた首都
めた首都の
首都の防衛軍司令官
防衛軍司令官に自分を
自分を起用してもら
起用してもら
いたいと申
いたいと申し入れた。
れた。マデロは悪
マデロは悪い予感がした。
がした。マデロはウエ
マデロはウエルタを
ウエルタを司令
ルタを司令官
司令官から解任
から解任した
解任した
ばかりであった。
ばかりであった。理由は
理由は職権乱用、残忍な行為、飲酒、
飲酒、使い込みなどであった。
みなどであった。ウエルタ
ウエルタ
は潔く降格されたように見
されたように見せかけてはいたが、
せかけてはいたが、内心激怒していた
激怒していた。
していた。不満を募らせていたウ
らせていたウ
エルタはクーデターの首謀者
ルタはクーデターの首謀者モンドゥラゴン
首謀者モンドゥラゴンから
モンドゥラゴンから陰謀
から陰謀に
陰謀に加わるよう誘
わるよう誘いを受
いを受けていた。
けていた。ウ
エルタは断
ルタは断った。
った。理由はマデロへの
理由はマデロへの忠誠
はマデロへの忠誠心
忠誠心からでなく
からでなく、自分が
自分が首謀者の
首謀者の部下になりたく
になりたくな
かっただけであった。
かっただけであった。このことをマデロは知
このことをマデロは知らなかった
らなかった。
った。
しかし、
しかし、ウエルタは
ウエルタは前年
ルタは前年の
前年のオロスコの反乱
コの反乱に
反乱に見せたように、
せたように、有能な
有能な軍人であった。
であった。ウエ
ルタは言葉
ルタは言葉巧
言葉巧みに大統領
みに大統領に
大統領に忠誠を
忠誠を誓った。
った。マデロはパレス
マデロはパレスの
レスの防衛部隊
防衛部隊の
部隊の指揮官
指揮官にウエルタ
ウエルタ
を任命し
任命し、出来る
出来る限り早い時期に
時期に入れ替えようと考
えようと考えた。
えた。ビヤールを
ビヤールを負傷
ールを負傷させた
負傷させた一発
させた一発の
一発の弾
丸がマデロ一族
がマデロ一族を
一族を倒した。
した。マデロはとりあえずナショナル・パレス
マデロはとりあえずナショナル・パレスに
レスに入った。
った。ウエルタは
ウエルタは防
ルタは防
衛軍指揮官
衛軍指揮官の任務に
任務に付くなり専
なり専横振りを発
りを発揮した。
した。ウエルタは
ウエルタは朝
ルタは朝ソカロで
ソカロでビヤ
ロでビヤールに
ビヤールに降伏
ールに降伏
したジェネラ
したジェネラル・ル
ジェネラル・ルイス
ル・ルイスを
イスを呼び出し、ルイスの
イスの哀願を
哀願を無視して、
して、裁きにかけることなく
きにかけることなく銃殺
を命じた。
じた。反逆を認めた旧
めた旧知の同僚ジェネラルを
ジェネラルを、
ルを、大統領の
大統領の許可を
許可を請う事もなく
もなく処刑した
処刑した。
した。
恐らくルイスは
イスは知り過ぎていたと思
ぎていたと思われる。
われる。マデロは何
マデロは何も言わなかった。
わなかった。
130.
その日
その日の午後、
午後、不安に駆られたマデロは七十五
られたマデロは七十五マ
七十五マイル離れたクエ
れたクエルナバカ
ルナバカへ
バカへ車で向かっ
てベヤ・ビスタ
ベヤ・ビスタ・ホテルに入
テルに入ると、
ると、最近ウエルタと
ウエルタと入
ルタと入れ替えたばかりのサ
えたばかりのサパタ討伐
パタ討伐軍司令
討伐軍司令
官フェリペ
フェリペ・アンヘ
・アンヘレスを
レスを呼んだ。
んだ。アンヘ
アンヘレスは
レスは後にパン
にパンチョ・ビヤ
チョ・ビヤの
ビヤの参謀になる連邦
になる連邦軍
連邦軍で
は異色のジェネラルであった
ジェネラルであった。
ルであった。信頼できるジェネラ
できるジェネラルを
ジェネラルを手元
ルを手元に
手元に置きたかったマデロは、
きたかったマデロは、ア
ンヘレスに
レスに首都へ
首都へ一緒に帰ることを命
ることを命じた。
じた。マデロの人
マデロの人選は間違っていた。
っていた。アンヘ
アンヘレスは
レスは
紳士であり、
であり、ウエルタと
ウエルタと怒鳴
ルタと怒鳴りあいの
怒鳴りあいの喧嘩
りあいの喧嘩をするようなことは
喧嘩をするようなことは一
をするようなことは一切出来なかった
出来なかった。
なかった。マデロ
とアンヘ
アンヘレスは
レスはウエルタに
ウエルタに屈
ルタに屈服させられた。
させられた。アンヘ
アンヘレスは
レスは大部分の
大部分の部隊をつれてメキシコ
部隊をつれてメキシコ
市に到着した
到着した。
した。しかし連邦
しかし連邦軍
連邦軍の上官たちの多
たちの多くはアンヘ
アンヘレスがそのような
レスがそのような役
がそのような役に付くのを歓
のを歓
迎していないことを彼
していないことを彼は察知した。
した。マデロの努
マデロの努力にも拘
にも拘らず、
らず、ウエルタと
ウエルタと親
ルタと親しい陸
しい陸軍相ア
ンヘル・ガ
ル・ガルシア
ルシア・ペニ
・ペニャは、
ャは、アンヘ
アンヘレスの
レスの階級が
階級が低すぎるのを理由
すぎるのを理由にマデロが
理由にマデロが要求
にマデロが要求する
要求する、
する、
アンヘ
アンヘレスを
レスを参謀総長にすることを断固
にすることを断固として
断固として拒否
として拒否した
拒否した。
した。ウエルタはシ
ウエルタはシウダ
ルタはシウダデ
ウダデラを取り巻
いた政府軍
いた政府軍の
政府軍の総指揮官
指揮官をアンヘ
アンヘレスに
レスに譲ることを拒
ることを拒み、従順なアンヘ
アンヘレスを
レスを余り重要でな
重要でな
い地域に追いやった。
いやった。ウエルタの
ウエルタの意
ルタの意のままにされ、
のままにされ、マデロは抵抗
マデロは抵抗することをあきらめた
抵抗することをあきらめた。
することをあきらめた。
131
無理強
無理強いして連邦
いして連邦軍
連邦軍に反発されるのを恐
されるのを恐れたマデロは折
れたマデロは折れた。
れた。アンヘ
アンヘレスはメキシコ
レスはメキシコ市
はメキシコ市の
一角にある砲兵
にある砲兵隊
砲兵隊の指揮をすることになった
指揮をすることになった。
をすることになった。アンヘ
アンヘレスは
レスは悲劇の
悲劇の十日間、
十日間、ウエルタの
ウエルタの真
ルタの真
74
の企みについて何
みについて何の知識もなかった。
もなかった。しかし、
しかし、彼は反乱軍に
反乱軍に対する一連
する一連の
一連の軍事行動に
事行動に異常
を感じた。
じた。砲を発射して気
して気が付いた。
いた。彼がシウダ
がシウダデ
ウダデラに的を絞ってセ
ってセットした照準
した照準を
照準を誰か
が変えていた。
えていた。しかしア
しかしアンヘレスがこの
レスがこの事
がこの事を重大事としてマデロに
大事としてマデロに警
としてマデロに警告したという記録
したという記録は
記録は
残されていない。
されていない。後世の歴史家
歴史家はアンヘ
アンヘレスが
レスが何故この事
この事をマデロに報
をマデロに報告しなかったのか
について論争
について論争した
論争した。
した。彼がクエ
がクエルナバカ
ルナバカから
バカから連
から連れてきた部
れてきた部下たちは、
たちは、彼に対し殆ど叛乱を起
す寸前であった。
であった。当時の連邦軍
連邦軍のジェネラルたちは
ジェネラルたちは部
ルたちは部下の略奪、
略奪、狼藉を
狼藉を黙認していたのに、
していたのに、
アンヘ
アンヘレスはこれを
レスはこれを厳
はこれを厳しく取り締まったため、
まったため、部下の不満が高まっていた。
まっていた。
132
次の日2月10日月曜日、
日月曜日、首都は
首都は静かであった。
かであった。火曜日、
曜日、市民が最も恐れていたことが
起きた。
きた。その日
その日の朝、ウエルタは
ウエルタは犠牲
ルタは犠牲者
犠牲者が多い割には成果
には成果の
成果の上がらない攻
がらない攻撃を、シウダデ
ウダデ
ラの周辺に
周辺に配置された反乱軍
された反乱軍へ
反乱軍へ仕掛けた
仕掛けた。
けた。五百人の兵を失ったウエ
ったウエルタは
ウエルタは歩
ルタは歩兵攻撃を止め、
ソカロからシ
ソカロからシウダ
ロからシウダデ
ウダデラと周辺を
周辺を砲撃した
砲撃した。
した。互いに僅
いに僅か一マイルしか離
ルしか離れていなかったにも
かかわらず、
かかわらず、双方とも
双方とも的
とも的が絞れず、
れず、なんの効果
なんの効果も
効果も見られなかった。
られなかった。多くの砲弾が
砲弾が打ち込ま
れたが、
れたが、パレスには
レスには二発
には二発、
二発、シウダデ
ウダデラには一発
には一発が
一発が着弾しただけであった。
しただけであった。パレスとシ
レスとシウダ
とシウダ
デラが被害を
被害を免れる一
れる一方、両地点の間に位置する市街
する市街は
市街は情け容赦なく打ち砕かれた。
かれた。家は
潰れ、通りは機
りは機銃掃射された。
された。送電は停まり、
まり、食料はなく
はなくなり、
なり、犠牲者
犠牲者の山が出来た
出来た。死
体の処理が
処理が追いつかず、
いつかず、腐敗が進んだ。
んだ。脱獄囚が暴徒に
暴徒に加わって略奪
わって略奪の
略奪の限りを尽
りを尽くし、普
段静かな外
かな外国人居住区
居住区にもパニ
にもパニックが広
ックが広がった。
がった。犠牲者
犠牲者は五千人に達した。
した。ポルフィリオ・
フィリオ・
ディアスの
ィアスの時代は平穏であったし、
であったし、1911年
1911年の動乱は国の北部に限定されていたので
限定されていたので、
されていたので、
首都はこれが
首都はこれが最初
はこれが最初の
最初の戦場となった。
となった。メキシコ市
メキシコ市が恐怖に
恐怖に包まれている一
まれている一方でシウダ
でシウダデ
ウダデラは
充分な物資の
物資の供給を受け、ビールやシャン
ールやシャンパンもふんだんに持
んだんに持ち込まれていた。
まれていた。そうこう
する内
する内にウエルタは
ウエルタは反乱
ルタは反乱に
反乱に加わる決
わる決心をした。
をした。ディアスと
ィアスと反乱軍を
反乱軍を閉じ込めている間
めている間に、
必然的に自分が
自分が主役になった。
になった。火曜日、
曜日、砲撃が
砲撃が開始された
開始された朝
された朝、ウエルタとデ
ウエルタとディアス
ルタとディアスは
ィアスは双方
の友人宅で落ち合った。
った。その後
その後の五日間の
五日間の戦闘中、ウエルタはマデロ
ウエルタはマデロ支
ルタはマデロ支持者からなるルラ
からなるルラ
ーレ部隊をシ
部隊をシウダ
をシウダデ
ウダデラに向かって突
かって突貫攻撃
貫攻撃をさせ、
をさせ、ディアスの
ィアスの機関銃
機関銃で殲滅させた
殲滅させた。
させた。ウエ
ルタは的確
ルタは的確に
的確に作戦を進めた。
めた。マデロにはもう一人
マデロにはもう一人の
一人の敵がいた。
がいた。それはア
それはアメリカ大使
リカ大使ヘ
大使ヘンリ
ー・レー
・レーン・ウイル
ン・ウイルソンであった
ソンであった。
であった。
133
ウイル
ウイルソンは
ソンは五十六歳
五十六歳、二年前マデロ
二年前マデロ革
マデロ革命が始まった頃
まった頃、タフト大統領
フト大統領によってメキシ
大統領によってメキシ
コ大使に
大使に任命された
任命された。
された。強度な飲酒癖のある
飲酒癖のあるウイ
のあるウイル
ウイルソンは
ソンは生え抜きの外交官
きの外交官ではないが
外交官ではないが、
ではないが、メ
キシコに来
キシコに来る前、チリとベルギーで外交官
ーで外交官としての
外交官としての経験
としての経験を
経験を積んだ。
んだ。ウイル
ウイルソンの
ソンの弟ジョン・
ロックウ
ロックウッド・ウイル
ド・ウイルソンは
ソンは上院議員
上院議員で、彼自身はグッゲンハイム・グループと
・グループと関
ループと関係があ
ったとされている。
ったとされている。メキシコでは企
メキシコでは企業家、弁護士、出版関係者などに取
などに取り巻かれたウイ
かれたウイル
ウイル
ソンは
ソンは大使の
大使の権限をはみ
権限をはみ出
をはみ出し、過度にメキシコの
過度にメキシコの政
にメキシコの政治に関心を示した。
した。ウイル
ウイルソンがマデ
ソンがマデ
ロを毛嫌
ロを毛嫌いした
毛嫌いした理由
いした理由は
理由は、彼の関係していたア
していたアメリカ資
リカ資本がマデロ一族
がマデロ一族の
一族の所有する鉄鋼会社
する鉄鋼会社
と競合関係
合関係にあったためとも言
にあったためとも言われている。
われている。
134
75
ワシントンへの
ントンへの報
への報告はマデロに対
はマデロに対する苦情
する苦情で
苦情で満ち溢れていた。
れていた。マデロもウイ
マデロもウイル
ウイルソンの
ソンの傲
慢な態度に我慢できず
我慢できず、
できず、1912年
1912年暮れ、大統領に
大統領に選出されたばかりのウ
されたばかりのウッドゥロ
ドゥロウ・ウ
イルソンに
ソンに、密かにウイ
かにウイル
ウイルソン大使
ソン大使の
大使の更迭を
更迭を要求していた
要求していた。
していた。2月9日、クーデターが始
クーデターが始ま
った日
った日の午後、
午後、ウイル
ウイルソンは
ソンは列国の
列国の外交関
外交関係者を招いた。
いた。他の国々は大使ではな
大使ではなく
ではなく公使を
公使を
送り込んでいたので、
んでいたので、ウイル
ウイルソンは
ソンは自ずと指導的
ずと指導的な
指導的な役割をはたしていた
役割をはたしていた。
をはたしていた。それと同
それと同時に、
各国は
各国は国境を
国境を接する大
する大国アメリカを
リカを安全のよりどころとしていた。
のよりどころとしていた。その日
その日の議題は
議題は市街戦
の危険からどう
危険からどう身
からどう身を守るかについてであった。
るかについてであった。メキシコ市
メキシコ市には二
には二万五千人の外国人が居住
し、そのうちの五
そのうちの五千人がアメリカ人
リカ人であった
であった。
った。かれら上流社会
かれら上流社会の
上流社会の人々は、戦いが行
いが行われて
いる市
いる市の中心、
中心、ナショナル・パレス
ナショナル・パレスとシ
レスとシウダ
とシウダデ
ウダデラの周辺に
周辺に住んでいた。
んでいた。本国からの白紙委
からの白紙委任
白紙委任
状を持っているウイ
っているウイル
ウイルソンが
ソンが両者を説得し
説得し、停戦が実現すれば
実現すれば、
すれば、彼らの安
らの安全は確保できる
と皆は思っていた。
っていた。ウイル
ウイルソンはその
ソンはその日
はその日の午後、
午後、マデロの外
マデロの外務大臣ペドロ・ラスク
・ラスクライン
に会見を申し入れた。
れた。
ラスク
ラスクランとの
ランとの会談
との会談では
会談では何
では何ら得るものがなかった。
るものがなかった。彼はシウダ
はシウダデ
ウダデラの反乱軍にたいし
反乱軍にたいし影
にたいし影
響力はなく
はなく、外国人の安全についても保障
についても保障できなかった
保障できなかった。
できなかった。その日
その日の午後遅
午後遅くフェリス・デ
くフェリス・デ
ィアスの
ィアスの代理人を呼び、ウイル
ウイルソンは
ソンは同じような要
ような要請をした。
をした。ウイル
ウイルソンがマデロよりは
ソンがマデロよりは
ディアスに
ィアスに好意を寄せていることは当初
せていることは当初から
当初から明
から明らかであった。
らかであった。その夜
その夜ウイル
ウイルソンが
ソンがワシン
トンへ
トンへ送った報
った報告では、
では、反逆者が
反逆者が市民から受
から受けている支
けている支持について大
について大げさに誇
さに誇張し、群集
は整然としてビバ
としてビバ・デ
ビバ・ディアス
・ディアス、
ィアス、マデロに死
マデロに死を連呼した
連呼した、
した、と書いた。
いた。同時に寄せられた地
せられた地方の
領事からの
領事からの報
からの報告ではディアス
ではディアスへの
ィアスへの支
への支持は殆どないことが報
どないことが報告されていた。
されていた。アメリカの
リカの新聞
は領事からの
領事からの報
からの報告を支持し、ウイル
ウイルソンの
ソンの報告と全く反対であると
反対であると報
であると報じた。
じた。2 月10日、戦
闘が休止している間
している間、ウイル
ウイルソンはメキシコ
ソンはメキシコ政府
はメキシコ政府に
政府に対する影響
する影響力
影響力を行使し
行使しようと奔走
ようと奔走した
奔走した。
した。
彼は脅しの常
しの常套手段であるア
であるアメリカの
リカの軍事介入を仄めかした。
めかした。ウイル
ウイルソンは
ソンは二度にわたり
二度にわたり
ワシントンへ
ントンへ電報を
電報を送り、しかるべ
しかるべき大きさの艦船
きさの艦船をメキシコの
艦船をメキシコの港
をメキシコの港へ送ることを進言
ることを進言した
進言した。
した。
軍事介入の脅しは既
しは既に包囲されたメキシコ政府
されたメキシコ政府に
政府に更なる重圧
なる重圧を
重圧を与えた。
えた。ワシントンはそれ
ントンはそれ
に応え、ベラクルー
ベラクルース
クルース、タンピコ、アカプルコ
アカプルコ、
プルコ、マザトランへそれ
トランへそれぞ
へそれぞれ艦船を
艦船を送ることに
したが、
したが、それらは監
それらは監視と報告が目的であり、
であり、それ以
それ以上の行動を
行動を硬く禁じた。
じた。さらに国
さらに国務長
官フィランダー
フィランダー・ノック
・ノックス
ックスは、政策の変更はしないこと
変更はしないこと、
はしないこと、政府・
政府・反乱軍いずれにも
反乱軍いずれにも加
いずれにも加担しな
いと釘
いと釘を刺した。
135
136
月11日
11日火曜日、
曜日、戦闘が再開し
再開し、市街地
市街地の破壊が
破壊が始まった。
まった。アメリカ大使館
リカ大使館も
大使館も安全では
なかった。
なかった。周囲の
周囲の家で砲弾が
砲弾が炸裂し
炸裂し、大使館の
大使館の建物の後部に
後部に弾丸が打ち込まれた。
まれた。アメリ
カ人も他の外国人も大使館に
大使館に避難し
避難し、その数
その数は百七十五人に
七十五人に達した。
した。この時
この時点でウイル
ウイルソ
ンはマデロに会
はマデロに会う決心をした。
をした。12日
12日水曜日、
曜日、オーストリアと
ストリアとスペインの
インの公使と
公使と共にウイ
ルソンは
ソンは銃弾の音を聞きながらパレス
きながらパレスに
レスに向かった。
かった。マデロはウイ
マデロはウイル
ウイルソンの
ソンの抗議に怯むこと
なく、反乱を
反乱を起こしているのは自分
こしているのは自分ではな
自分ではなく
ではなくディアスであると
ィアスであると撥
であると撥ね付けた。
けた。アメリカ人
リカ人が
危険に
危険に直面していることについてはタク
していることについてはタクバヤ
ることについてはタクバヤに
バヤに避難することを
避難することを勧
することを勧めたが、
めたが、市内にいないと
2
76
業務が出来ないと
出来ないと、
ないと、ウイル
ウイルソンは
ソンは断った。
った。ウイル
ウイルソンは
ソンは攻勢に出た。タフト大統領
フト大統領はメキ
大統領はメキ
シコ市
シコ市の事態に重大な関心を寄せている、
せている、とウイル
ウイルソンは
ソンは切り出した。
した。三千の海兵隊を乗
せたア
せたアメリカの
リカの艦船がメキシコの
艦船がメキシコの港
がメキシコの港へ向かっていると脅
かっていると脅し、マデロがショックを受
マデロがショックを受けるの
を見て喜んだ。
んだ。
14日金曜日、
曜日、政府は
政府は分裂の兆しを見
しを見せてきた。
せてきた。ラスク
ラスクラン外
ラン外相がアメリカ大使館
リカ大使館に
大使館にウ
イルソンを
ソンを訪ね、閣僚はマデロの
閣僚はマデロの辞
はマデロの辞任を求めていることを明
めていることを明かした。
かした。この時
この時点でウイル
ウイルソ
ンは未だジェネラル・
ジェネラル・ウエ
ル・ウエル
ウエルタと連
タと連絡を取っていなかった。
っていなかった。この危
この危機にウエルタが
ウエルタが重要
ルタが重要な
重要な役
割を果たしているとは思
たしているとは思っていなかった。
っていなかった。その日
その日の午後、
午後、ウエルタからの
ウエルタからの使
ルタからの使者がやってき
てウイル
ウイルソンの
ソンの考えは変
えは変わった。
わった。この男
この男に会わないほうがいい、
わないほうがいい、という忠告
という忠告にもかかわら
忠告にもかかわら
ず、ウイル
ウイルソンは
ソンは使者を招じ入れた。
れた。男はジェネラル・
ジェネラル・ウエ
ル・ウエルタからのメッ
ウエルタからのメッセ
ルタからのメッセージを伝えた
いといった。
いといった。ディアスと
ィアスとウエルタが
ウエルタが合
ルタが合議することについて、
することについて、大使は
大使は良案と思うか、
うか、という
質問であった
質問であった。
であった。この会談
この会談の
会談の記録は
記録は残されていないが、
されていないが、翌日ドイツ
ドイツ公使とパ
公使とパレス
とパレスを
レスを訪れたウ
れたウ
イルソンは
ソンは、マデロではなくウエ
マデロではなくウエルタに
くウエルタに面談
ルタに面談を
面談を申し込んだ。
んだ。ところがマデロが出
ところがマデロが出てきたこ
とに二人
とに二人は
二人は困惑した
困惑した。
した。結局ウエ
結局ウエルタ
ウエルタ独
ルタ独りと話
りと話をすることが出来
をすることが出来ず
出来ず、四人が
四人が同席した。
した。マデ
ロはウイ
ロはウイル
ウイルソンが
ソンが申し出た十二時間の
十二時間の休戦を受け入れた後
れた後、マデロがタフト
マデロがタフト大統領
フト大統領に
大統領に直接
送ったメッセ
ったメッセージの写しをウイ
しをウイル
ウイルソンに
ソンに見せた。
せた。マデロはタフト
マデロはタフト大統領
フト大統領に
大統領に、アメリカ軍
リカ軍を
メキシコの領
メキシコの領土に上陸させるのか
上陸させるのか否
させるのか否かを質問
かを質問していた
質問していた。
していた。ウイル
ウイルソンは
ソンは大使館に
大使館に戻りさらに
ショックを受
ショックを受けた。
けた。マデロが二
マデロが二つ目のメッセ
のメッセージをメキシコ大使館
をメキシコ大使館経
大使館経由でワシントンに
ントンに送
ったことを知
ったことを知った。
った。マデロはウイ
マデロはウイル
ウイルソンが
ソンが内政干渉をしていることを
干渉をしていることを大統領
をしていることを大統領に
大統領に抗議した。
した。
ウイル
ウイルソンは
ソンは、自分は
自分は誤解されているとワ
されているとワシントンへ
ントンへ打電した後
した後、はっきりとフェリス
はっきりとフェリス・デ
フェリス・デ
ィアスを
ィアスを支援する腹
する腹を決めた。
めた。
二日後、
二日後、マデロ大統領
マデロ大統領はタ
大統領はタフ
はタフと大統領からの
大統領からの回答
からの回答を
回答を受けた。
けた。合衆国
合衆国はメキシコに介
はメキシコに介入す
る意図は全くないとタフト
ないとタフト大統領
フト大統領は
大統領は言明した
言明した。
した。喜んだマデロは閣僚
んだマデロは閣僚全員
閣僚全員にメッ
全員にメッセ
にメッセージを伝
えた。
えた。マデロは勇
マデロは勇気があったが、
があったが、ウエルタを
ウエルタを抑
ルタを抑えることができなかった。
えることができなかった。政府軍の
政府軍の将校は
ディアスに
ィアスに鞍替えするものが出
えするものが出始めていた。
めていた。ウエルタは
ウエルタは慎
ルタは慎重に駒を動かした。
かした。計画を変更
するたびに大統領
するたびに大統領に
大統領に相談し
相談し、政府軍の
政府軍の動きが遅
きが遅いといって大統領
いといって大統領にこ
大統領にこぼ
にこぼした。
した。ウエルタは
ウエルタは
大統領にシ
大統領にシウダ
にシウダデ
ウダデラへ総攻撃を仕掛けることを
仕掛けることを約束
けることを約束しながら
約束しながら、
しながら、圧倒的な
圧倒的な兵力が
兵力が集まるのを
待っているといった。
っているといった。また、
また、反乱軍も
反乱軍も防衛軍も
防衛軍も共に政府軍であり
政府軍であり、
であり、お互いに殺
いに殺しあうのを
好まず、
まず、部下は自分の
自分の命に従わないかもしれないので、
わないかもしれないので、焦って攻
って攻撃を仕掛けるより
仕掛けるより、
けるより、シウ
ダデラに反乱軍を
反乱軍を閉じ込めていたほうがいい、
めていたほうがいい、とも言
とも言った。
った。マデロはウエ
マデロはウエルタの
ウエルタの計
ルタの計画に介
入しなかった。
しなかった。
137
138
グスタ
グスタボ・マデロはウエ
・マデロはウエルタの
ウエルタの裏
ルタの裏切りを見
りを見抜いていたが、
いていたが、事態が差し迫っていることを兄
っていることを兄
に理解させることが
理解させることが出来
させることが出来なかった
出来なかった。
なかった。大統領は
大統領は政府軍を
政府軍を信じきっていた。
じきっていた。タフトから
フトから電報
から電報を
電報を
受け取った日
った日、白昼十八
昼十八台の荷馬車がシ
馬車がシウダ
がシウダデ
ウダデラに入るのをウエ
るのをウエルタの
ウエルタの部隊
ルタの部隊が
部隊が黙認したこ
とをグス
とをグスタ
グスタボは兄へ報告した。
した。大統領は
大統領はウエルタを
ウエルタを呼
ルタを呼んで説
んで説明を求めた。
めた。ウエルタははじ
ウエルタははじ
77
め否定したが
否定したが、
したが、途中で開き直り、事実を認めた上
めた上で、反乱軍が
反乱軍が食料の略奪をするのを
略奪をするのを防
をするのを防ぐ
ため、
ため、と言った。
った。立ち上がり考
がり考え込んでいる大統領
んでいる大統領の
大統領の肩に手を当てたウエ
てたウエルタは
ウエルタは、
ルタは、自分が
自分が
そばにいる以
そばにいる以上心配することはないとなだめた
心配することはないとなだめた。
することはないとなだめた。
次の夜、グスタ
グスタボはもう一度
はもう一度ウエ
一度ウエルタの
ウエルタの策略
ルタの策略を
策略を暴こうとした。
こうとした。夜中、パレスの
レスの本営で半
ば酩酊した
酩酊したウエ
したウエルタを
ウエルタを見
ルタを見つけたグス
つけたグスタ
グスタヴォは、銃を突きつけ武器
きつけ武器を
武器を取り上げると、
ると、彼を大
統領の
統領の前へ連れて行
れて行った。
った。グスタ
グスタヴォは今度こそウエ
こそウエルタの
ウエルタの反逆
ルタの反逆を
反逆を立証しようと、
しようと、彼が行
った恐
った恐るべき行為を次々と質問した
質問した。
した。ここでもウエ
ここでもウエルタは
ウエルタはオ
ルタはオロスコの反乱
コの反乱を
反乱を持ち出し、巧
妙な逃げ口上をうった。
をうった。数日前ウエ
数日前ウエルタがデ
ウエルタがディアス
ルタがディアスと
ィアスと会っていたとグス
っていたとグスタ
グスタボが責めると、
めると、
それは単
それは単に探りを入
りを入れていただけだと逃
れていただけだと逃げた。明日総攻
明日総攻撃に出ることを約束
ることを約束した
約束したウエ
したウエルタ
ウエルタ
をマデロは再
をマデロは再び許し、衝動に駆られたとして弟
られたとして弟グスタ
グスタボ嗜めた。
めた。クーデター発生
クーデター発生から
発生から九日
から九日
目の午後、
午後、ウイル
ウイルソン大使
ソン大使は
大使は初めてウエ
めてウエルタと
ウエルタと合
ルタと合った。
った。午後四時、
午後四時、大使はマデロが
大使はマデロが間
はマデロが間もな
く退位に追い込まれるとワ
まれるとワシントンに
ントンに報告した。
した。
2月18日火曜日、
曜日、マデロ大統領
マデロ大統領は
大統領は自信に満ちていた。
ちていた。ウエルタは
ウエルタは総
ルタは総攻撃を約束したし
約束したし、
したし、
勝利の
勝利の瞬間を予感していた。
していた。ウエルタは
ウエルタは昨
ルタは昨夜の出来事を
出来事を恨むこともなく
むこともなく、にこやかな顔
にこやかな顔で
グスタ
グスタボを昼食に
昼食に誘った。
った。前の日にはジェネラ
にはジェネラル
ジェネラル・アウレリアノ・ブランケ
・アウレリアノ・ブランケが第二十九大
隊四千
隊四千の兵を連れて到着
れて到着し
到着し、パレスの
レスの防衛にあたった
防衛にあたった。
にあたった。午後、
午後、マデロは閣僚会議
マデロは閣僚会議を
閣僚会議を開いて
いた。
いた。午後一時半
午後一時半、二十九大隊の
二十九大隊のヒメネス・リベロル
ネス・リベロル大
ロル大佐が突然会議
突然会議室
会議室に飛び込んでく
んでくる
なり大統領
なり大統領に
大統領に詰め寄った。
った。新たな反乱軍
たな反乱軍が
反乱軍が侵入してきたので大統領
してきたので大統領は
大統領は自分と
自分と一緒に安全な
場所へ
場所へ逃げるよう迫
るよう迫った。
った。会議を
会議を中断されたことに不
されたことに不快感を抱いた大統領
いた大統領は
大統領は拒んだ。
んだ。次の
瞬間兵士の一団が飛び込んで一
んで一斉に威嚇射撃
威嚇射撃を
射撃を始めた。
めた。閣僚の
閣僚の数人が
数人が撃ち返し、リベロル
リベロル
が斃れた。
れた。ウエルタは
ウエルタは後
ルタは後にマデロ本人
にマデロ本人が
本人が撃ち殺したと言
したと言った。
った。マデロの補
マデロの補佐官二人が
官二人が死ん
だ。そのうちの一人
そのうちの一人はマデロの
一人はマデロの従兄弟
はマデロの従兄弟であった
従兄弟であった。
であった。マデロは指揮
マデロは指揮官
指揮官を失い呆然と立ち止まっ
たままの兵
たままの兵士を叱りつけ、
りつけ、彼等の間を通って窓
って窓を開けると、
けると、下に向かって「
かって「大丈夫だ、今
下へ行く」と怒鳴った
怒鳴った。
った。マデロは侵
マデロは侵入したのは脱走
したのは脱走兵
脱走兵だと思
だと思った。
った。大統領は
大統領は閣僚と
閣僚と共に階
段を下りて中
りて中庭へ行くと、金モールで飾
ールで飾った煌
った煌びやかな黒
びやかな黒い制服に
制服に身を固めたブラン
めたブランケ
ブランケを
認めた。
めた。マデロが話
マデロが話しかけた途
しかけた途端、ブランケ
ブランケはピストルを
ストルを手
ルを手にして、
にして、あなたは捕
あなたは捕虜です、
です、
と言った。
った。
139
140
福岡県出
福岡県出身田中浅次郎の経験したところによると
経験したところによると、
したところによると、マデロが逮捕
マデロが逮捕されたときの
逮捕されたときの状況
されたときの状況はま
状況はま
るで違
るで違っている。
っている。パイオニア列伝
イオニア列伝の
列伝の村井謙一
村井謙一は、「・・・田
・・・田中さんは191
さんは1910
1910年革命軍に
命軍に入
り、チワワで
ワワで奮戦中、
戦中、氏の盟友某氏は
某氏は矢張り不惜身命的な
命的な向こう見
こう見ずの革
ずの革命党員で、日本
人でありながらマデロ将
でありながらマデロ将軍の側近として信
として信頼を受けていたが、
けていたが、チワワへ
ワワへ紙幣一袋を送り『田
中、メキシコ市
メキシコ市へ遊びに来
びに来い』と招待したので、
したので、田中氏は勇み上京し、大尽遊びをして一
びをして一
週間でその大
でその大金を湯か水のごとく使い果たしたという奇
たしたという奇談がある。
がある。上京するや、
するや、メキシコ
市のほうがチワワ
のほうがチワワにいるよりはるかに
ワワにいるよりはるかに面白
にいるよりはるかに面白く
面白くなり、
なり、フィアッ
フィアッツの自動車部で
自動車部で運転を
運転を少し習
ったところ、
ったところ、例の友人のテコがよろしく
のテコがよろしく、ただちにマデロ大統領
ただちにマデロ大統領の
大統領の用心棒
用心棒と成り、運転手
78
の金ぴかの正
かの正装に包まれた彼
まれた彼の得意は、実に大なるものがあった。
なるものがあった。官軍に寝返り忠実面
忠実面を
していたブラン
していたブランケ
ブランケ将軍が、ソカロの
ソカロの官邸
ロの官邸門
官邸門衛司令官
衛司令官をしていたが、
をしていたが、ちょうどその場
うどその場へ田中
氏が大統領車を
大統領車を操縦して大統領
して大統領と
大統領と入らんとする瞬
らんとする瞬間、同将軍の一団に全部包
全部包囲逮捕せられ
囲逮捕せられ、
せられ、
田中さんも牢
さんも牢にぶちこまれ銃殺
ちこまれ銃殺を
銃殺を覚悟していたところ、
していたところ、外人たる
外人たる故
たる故で放免となる・・・
となる・・・」
・・・」
田中浅次郎の盟友某氏とは
某氏とは、
とは、福岡県知事
福岡県知事亀井光氏
知事亀井光氏から
亀井光氏から移
から移住先覚
住先覚者として表彰
として表彰を
表彰を受けた西
けた西山
佐一郎と思われる。
われる。
141
マデロと副
マデロと副大統領ピ
大統領ピノ・スワ
ノ・スワレスはパ
レスはパレス
はパレスの
レスの主計総
主計総監室へ連行された
連行された。
された。そこにはフェリ
そこにはフェリ
ペ・アン
ペ・アンヘ
アンヘレスが
レスが既に囚われていた。
われていた。アンヘ
アンヘレスは
レスは命令に
命令に反してシウダ
してシウダデ
ウダデラを砲撃したため
砲撃したため、
したため、
不服従の
服従の罪に問われ逮捕
われ逮捕された
逮捕された。
された。三人の
三人の捕虜はそれから四日間
はそれから四日間、
四日間、何故そうなったのかに思
そうなったのかに思
いをめぐ
いをめぐらせながら過
らせながら過ごすことになった。
すことになった。
グスタ
グスタボはガンブリヌス・レストランで
ンブリヌス・レストランでウエルタとの
ウエルタとの食事
ルタとの食事を
食事を楽しんでいた。
しんでいた。普段は
普段は疑い
深いグスタ
グスタボであったのに、
であったのに、ウエルタはきっと
ウエルタはきっと昨晩
ルタはきっと昨晩のことで
昨晩のことで自分
のことで自分の
自分の機嫌をとってく
をとってくれてい
ると軽
ると軽く考えていた。
えていた。突然ウエ
突然ウエルタが
ウエルタがグス
ルタがグスタ
グスタボに銃を見せてく
せてくれと言
れと言った。
った。グスタ
グスタボはそ
れに素
れに素直に応じてしまった。
じてしまった。銃を渡すやいなや、
すやいなや、ウエルタは
ウエルタは銃口
ルタは銃口を
銃口をグスタ
グスタボの心臓に向け、
お前は今から捕
から捕虜だと言
だと言った。
った。グスタ
グスタボはレストランで
レストランで監禁された
監禁された。
された。その夜
その夜ウイル
ウイルソン大
ソン大
使はウエルタとデ
ウエルタとディアス
ルタとディアスを
ィアスを大使館に
大使館に招いた。
いた。一同は力強く乾杯した
乾杯した。
した。この会議
この会議は
会議は単なる社
なる社
交ではなかった。
ではなかった。ディアスは
ィアスは大使の
大使の前でウエル
ウエルタへの苦情
タへの苦情を
苦情を訴えた。
えた。ウエルタが
ウエルタが大統領
ルタが大統領を
大統領を
逮捕したことについて
逮捕したことについて、
したことについて、ウエルタは
ウエルタは協
ルタは協定に違反しているとディアス
しているとディアスは
ィアスは言った。
った。その上
その上、ウ
エルタが捕
ルタが捕らえたマデロ、
らえたマデロ、ピノ・スワレス、
レス、アドル
アドルフォ・バッ
フォ・バッソを自分の
自分の管理下
管理下におく
におくこと
をディアス
をディアスは
ィアスは要求した
要求した。
した。ウイル
ウイルソンは
ソンは仲裁者となった。
となった。最終的に
終的に合意に達したのは次
したのは次の通
りである。
りである。ウエルタは
ウエルタは臨
ルタは臨時大統領となる
時大統領となる一
となる一方、ディアスは
ィアスは閣僚の
閣僚の任命権
任命権を得る。可及的速
やかに選
やかに選挙を行い、ウエルタは
ウエルタは大統領候補
ルタは大統領候補デ
大統領候補ディアスを
ィアスを支援する。
する。捕虜に関し、ウエルタは
ウエルタは
グスタ
グスタボとバッソの二人だけをデ
二人だけをディアス
だけをディアスに
ィアスに渡すことに合
すことに合意した。
した。ウエルタは
ウエルタは大統
ルタは大統領
大統領と副大
統領を
統領を自分の
自分の目的のために確
のために確保した。
した。
その夜
その夜、大使館から
大使館から戻
から戻ったウエ
ったウエルタはマデロと
ウエルタはマデロとピ
ルタはマデロとピノ・スワレスを
レスを呼び、国外追放と死とど
ちらを選
ちらを選ぶかと迫
かと迫った。
った。国外追放を選ぶならば辞
ならば辞表に署名するよう要求
するよう要求した
要求した。
した。二人は
二人は署名
した。
した。マデロの家族
マデロの家族は
家族は日本公使が
日本公使が、ピノ・スワレスの
レスの家族はチ
家族はチリ
はチリ公使がそれ
公使がそれぞ
がそれぞれベラクルー
ベラクルー
スまで送
まで送る手筈を既に整えていることをウエ
えていることをウエルタは
ウエルタは告
ルタは告げた。ウエルタは
ウエルタは約束
ルタは約束を
約束を守る意志は
毛頭なかった。
なかった。ウエルタは
ウエルタは直
ルタは直ちにマデロが署
ちにマデロが署名した辞
した辞表を議会に
議会に提出した。
した。大統領の
大統領の第一
継承者
継承者である外
である外務大臣ラスク
ラスクラインが
ラインが大統領に
大統領に就任した。
した。次いでラス
いでラスク
ラスクラインが
ラインがウエルタ
ウエルタ
を二番目に継承権
継承権を持つ内務大臣に任命してから
任命してから辞
してから辞任した。
した。四十五分後に
四十五分後に議会は
議会は全ての辞
ての辞
任を承認した上
した上でウエルタを
ウエルタを臨
ルタを臨時大統領に
時大統領に任命した
任命した。
した。ウエルタは
ウエルタは直
ルタは直ちに嬉
ちに嬉々としてワ
としてワシン
トンへメッ
トンへメッセ
へメッセージを送り、自らが大統領
らが大統領に
大統領に就任したこと、
したこと、全てが憲法
てが憲法に
憲法に則って行
って行われたこ
とを報
とを報告した。
した。
グスタ
グスタボはこの時
はこの時点でまだレストラン
でまだレストランに
レストランに幽閉されていた。
されていた。ウエルタとデ
ウエルタとディアス
ルタとディアスにとって
ィアスにとって
142
143
144
79
グスタ
グスタボの利用価値は
価値は既になく
になくなっていた。
なっていた。ウエルタは
ウエルタは約束
ルタは約束どおり
約束どおりグス
どおりグスタ
グスタボをシウダ
をシウダデ
ウダデラ
に移した。
した。そこには主計
そこには主計総
主計総監アドル
アドルフォ・
フォ・バッソが既に囚われていた。
われていた。まだデ
まだディアスの
ィアスの配下
にあった首謀者
にあった首謀者の
首謀者の一人モンドラゴン
一人モンドラゴンが
モンドラゴンが二人に
二人に死刑を
死刑を言い渡した。
した。二人は
二人は庭に押し出された。
された。
そこには酔
そこには酔っ払った多
った多くの将校がいて、
がいて、揶揄、
揶揄、罵声で迎えられたグス
えられたグスタ
グスタボは、小突き回さ
れ、義眼を
義眼を抉り取られ、
られ、もう一
もう一方の目は銃剣で刺された。
された。血みどろになりながら拷問
みどろになりながら拷問者
拷問者の
一人と
一人と取っ組み合っている間
っている間に撃たれ、
たれ、倒れてから二十発
れてから二十発もの
二十発もの弾
もの弾を打ち込まれた。
まれた。バッソ
は目隠しを拒
しを拒み、天を仰ぎながら銃殺
ぎながら銃殺された
銃殺された。
された。
145
ウエルタは
ウエルタは目
ルタは目的を達成したが
達成したが、
したが、マデロとピ
マデロとピノ・スアレスをどう
スアレスをどう処
をどう処分するか、
するか、厄介な問題が
残っていた。
っていた。二人を
二人を処刑するか
処刑するか海
するか海外に追い払うか、ウエルタは
ウエルタは迷
ルタは迷った。
った。正式な処刑は
処刑は問題
外であった。
であった。臨時大統領にも
時大統領にもア
にもアメリカ大使館
リカ大使館にも
大使館にも助
にも助命嘆願が殺到していた
殺到していた。
していた。キューバや日
本公使、
本公使、メキシコ市
メキシコ市のフリーメー
フリーメーソン
ーメーソン支部
ソン支部、
支部、テキサス
テキサス州
サス州議会なども
議会なども名
なども名を連ねていた。
ねていた。ウエ
ルタは再
ルタは再びウイル
ウイルソン大使
ソン大使に
大使に指示を仰ぐことにした。
ことにした。ナショナル・
ナショナル・パレスを
レスを訪れたウイ
れたウイル
ウイル
ソンは
ソンは二人の
二人の処分につて全
につて全く関心を示さなかった。
さなかった。二人を
二人を国外追放にするかあるいは精神
にするかあるいは精神
病院に入れるか、
れるか、との質問
との質問に
質問に対してウイ
してウイル
ウイルソンはこの
ソンはこの国
はこの国にとって一
にとって一番良い
番良い方法を選ぶがい
いだろう、
いだろう、とだけ言
とだけ言った。
った。
大使館で
大使館でウイル
ウイルソンを
ソンを待っていたのは元
っていたのは元大統領夫人
大統領夫人サラ・
領夫人サラ・マデロであった
サラ・マデロであった。
マデロであった。サラは
サラは夫の命
を救うようウイ
うようウイル
ウイルソンに
ソンに介入して欲
して欲しいと訴
しいと訴えた。
えた。自分はそのようなことに
自分はそのようなことに関
はそのようなことに関わりたく
わりたくな
いと冷
いと冷たく言明したが
言明したが、
したが、さすがに最
さすがに最後、主人に身体的な
体的な危害が加えられないよう保障
えられないよう保障する
保障する
と、いやいや付
いやいや付け加えた。
えた。次にウイル
ウイルソンは
ソンはアメリカ政府
リカ政府から
政府からウエ
からウエルタ
ウエルタ政府
ルタ政府の
政府の承認を取り
付けることに全
けることに全力を注いだ。
いだ。ワシントンは
ントンは撥ね付けた。
けた。ノックス
ックス国務長官
務長官は、マデロの処
マデロの処
遇についてウエ
についてウエルタから
ウエルタから相談
ルタから相談を
相談を受けると言
けると言うことは、
うことは、その結
その結果について責
について責任があり、
があり、もし
人道的に
道的に扱わなければ、
わなければ、メキシコの評価
メキシコの評価は
評価は地に落ちるだろうと警
ちるだろうと警告した。
した。2月22日ウイ
ルソン大使
ソン大使はメキシコ
大使はメキシコ市
はメキシコ市の混乱をよそに、
をよそに、ワシントン誕
ントン誕生日を
生日を祝った。
った。ウエルタの
ウエルタの姿
ルタの姿も見
られた。
られた。その夜
その夜、ウイル
ウイルソンと
ソンとウエルタは
ウエルタは控
ルタは控えの間
えの間で深刻な表情で話し込んでいた。
んでいた。
146
147
その日
その日マデロ、
マデロ、ピノ・スワレス、
レス、フェリペ・
フェリペ・アン
ペ・アンヘ
アンヘレスは
レスはグスタ
グスタボが殺されたことを知
されたことを知り、
すっかり気
すっかり気落ちして座
ちして座り込んでいた。
んでいた。訪ねてきた母
ねてきた母の前で、弟の死は自分の
自分の責任だとマデ
ロは膝
ロは膝をつき、
をつき、泣いて許
いて許しを乞
しを乞うた。
うた。それでもマデロはまだ楽観的
それでもマデロはまだ楽観的であった
楽観的であった。
であった。彼はキュ
はキュー
バか英国、あるいは日本
あるいは日本へでも
日本へでも行
へでも行く、それらの国
それらの国の公使が
公使がウエルタと
ウエルタと合
ルタと合っている筈
っている筈だと言
だと言
った。
った。2月22日
22日の夜、部屋には二人
には二人を
二人を欺くため、
ため、長期に亘り留められるかのようにベ
められるかのようにベッ
ドが置かれていた。
かれていた。マデロは毛
マデロは毛布にくるまり、
るまり、アンヘ
アンヘレスによると
レスによると、
によると、泣いていたようであ
った。
った。やがて消灯
やがて消灯となるが
消灯となるが、
となるが、その数分後
その数分後フラン
数分後フランシ
フランシスコ・カルデナ
・カルデナス
ルデナス少佐がやってきて二人
がやってきて二人
を連れ出した。
した。マデロはアン
マデロはアンヘ
アンヘレスを
レスを抱きしめてから車
きしめてから車に乗った。
った。二人を
二人を乗せた車
せた車が刑務
所の建物の端まで来
まで来た。マデロが車
マデロが車から降
から降りるなり、
りるなり、カルデナス
ルデナスは拳銃をマデロの首
をマデロの首に当
て、一発で
一発で殺した。
した。ピノ・スワ
ノ・スワレスは
レスは建物の壁まで連
まで連れて行
れて行かれ殺
かれ殺された。
された。
148
80
ウエルタが
ウエルタが権
ルタが権力を握った日
った日、上流階級や
上流階級や外国の投資家たちの中
たちの中にあった内
にあった内部分裂
部分裂は消滅
したかに見
したかに見えた。
えた。彼等は挙ってウエ
ってウエルタ
ウエルタ支
ルタ支持で糾合した。
した。教会の首脳部も新大統領の
大統領の支持
を表明し、戦いが止
いが止むとメキシコ市
むとメキシコ市の教会の鐘が鳴りわたり、
りわたり、ウエルタの
ウエルタの前
ルタの前で大司教は厳
かにテデウ
かにテデウムを挙行した。
した。殆どの州
どの州知事、
知事、官僚、議員は軍事政権を支持した。
した。メキシコ市
メキシコ市
の戦闘で掠り傷を受けただけの連邦
けただけの連邦軍
連邦軍は全員一致
全員一致して軍
して軍の指導者に
指導者に従った。
った。
149
ウエルタは
ウエルタは日本公使館
ルタは日本公使館に
日本公使館に頻繁に
頻繁に使者を送って、
って、「マデロ夫人
マデロ夫人、
夫人、大統領の
大統領の老父母の
老父母の庇護につ
いて感
いて感謝の念を抱く、幸いに皆
いに皆様にお怪
にお怪我はないか、
はないか、ご不自由
不自由はないか」
はないか」と言ってきた。
ってきた。
これに対
れに対し堀口公使は
堀口公使は「婦人や老人子供のいるところへ
人子供のいるところへ流
のいるところへ流弾が入ってく
ってくる、万一のことが
あったらお互
あったらお互いに不名
いに不名誉
不名誉なので気
なので気をつけてもらいたい。
をつけてもらいたい。我々がマデロ氏
がマデロ氏一家を
一家を庇護するに
は何等党派的
等党派的からではない。
からではない。つまり大統領
つまり大統領の
大統領の家族としてではな
家族としてではなく
としてではなく、単に我が親愛なる墨西
なる墨西
哥人として同
として同情を寄せるまでである。
せるまでである。貴下の明日の
明日の運命について
運命について申
について申すべきではないが、
きではないが、も
し貴下が今日のマデロ氏
のマデロ氏のごときことがあれば我
ときことがあれば我々は進んで貴
んで貴下の家族を
家族を庇護することは、
することは、
マデロ氏
マデロ氏の家族に
家族に於けると異
けると異なることはない」
なることはない」と回答すると
回答すると、
すると、ウエルタは
ウエルタは非
ルタは非常な喜びの意
びの意
を表して礼
して礼を言ってきた。
ってきた。
大統領
大統領の家族ニ
家族ニ十数名に
十数名に加え、ただでさえ多
ただでさえ多い公使館員の
公使館員の家族のほかに
家族のほかに日本人
のほかに日本人の
日本人の地位の
ある者が七名避難してきていて
七名避難してきていて、
してきていて、総勢五十余
総勢五十余名の食料確保に堀口公使夫妻
堀口公使夫妻は
夫妻は奔走した
奔走した。
した。大
統領の
統領のご家族に
家族に十分に
十分に満足していただく
していただくために、
ために、砲弾の
砲弾の飛びかう下
びかう下を潜り遠方へ出かけ、
かけ、
普段の
普段の二倍三倍と高騰する肉野菜
する肉野菜を
肉野菜を買い求めた。大統領の
大統領の家族はパ
家族はパリ
はパリへ亡命することにな
り、二十二日、
二十二日、公使は
公使はベラクルー
ベラクルース
クルースまで同
まで同行して二十三人
して二十三人が
二十三人が無事故国を
故国を離れるのを見
れるのを見届け
た。
124.
125.
日米新聞、
日米新聞、Sept. 25, 1913
日米新聞、
日米新聞、Sept. 26, 1913
126.
Revolution””, 1913126. John S. Eisenhower, “Intervention! The United States and the Mexican Revolution
1913-1917,
W.W. Norton & Co., Inc., 1993, P12
127. Ibid. P14
128. Ibid. P14
129. Ibid. P15
130. Ibid. P16
131. Ibid. P17
132.
Friedrich Katz, “The Life and Times
Times of Pancho Villa”
Villa”, Stanford University Press, 1998, P274
133. John S. Eisenhower, “Intervention! The United States and the Mexican Revolution
Revolution””, 19131913-1917,
W.W. Norton & Co., Inc., 1993, P18
134.
日墨協会・
日墨協会・日墨交流史編纂委員会「
日墨交流史編纂委員会「日墨交流史」
日墨交流史」現代企画室、
現代企画室、1990, P411
81
135. John S. Eisenhower, “Intervention! The United States and the Mexican Revolution
Revolution””, 19131913-1917,
W.W. Norton & Co., Inc., 1993, P20
136. Ibid. P21
137. Ibid. P22
138. Ibid. P23
139. Ibid. P24
140. Ibid. P25
141.
村井謙一「
村井謙一「パイオニア列伝
パイオニア列伝」
列伝」1976、P68
Revolution””, 1913142. John S. Eisenhower,
Eisenhower, “Intervention! The United States and the Mexican Revolution
1913-1917,
W.W. Norton & Co., Inc., 1993, P25
143. Ibid. P26
144. Ibid. P26
145. Ibid. P27
146. Ibid. P27
147. Ibid. P28
148. Ibid. P27
149. Friedrich Katz, “The Life and Times of Pancho Villa”
Villa”, Stanford University Press, 1998, P195