平等に与えられた条件にすぎない。

不景気は商売がうまくいかない原因ではなく、
平等に与えられた条件にすぎない。
藤田田(日本マクドナルド創業者)
はじめに
「続かない」
ビジネスは、
「成功」
ではない。
日本一続く
「稼ぐ仕組み」
を築いた富の山の人
とみ
番 目 と い う 狭 い 面 積 の 県 で あ り な が ら、 な ん と 1 世 帯 当 た り の 稼 ぎ は、
富山という地には、
「富」があふれています。まさに、「富の山」です。
全国で
は単純にお金だけを指すのでなく、本文で詳しく触れるように、後世の人々の心の
お金も大いに稼ぎ、女性も社会に出て活躍し、教育にも熱心。つまり富山の「富」
幸福度調査では、堂々の第2位を占めています。
もトップクラスです。
の就業率が高く、平均勤続年数も全国一。高校進学率は全国1位で、東大合格者数
全国トップです。日本で最も広い家(居住面積)に住み、持ち家比率も一番。女性
45
002
こ
かて
肥やしになるような、生きる上の糧となるような、そういう物心両面の豊かさです。
お金は単に一部の果実であり、もっと広くて厚い、人間としての所作、ふるまい、
信用と信頼、愛郷心や家族への思い、あるいは現実対処の知恵などに満ちているの
です。
そうした大きな、豊かな「富」を富山の地にもたらし、現在の富山を築き上げた
のは、実は300数十年続く薬売りの行商人たちでした。行商というたいへん厳し
いビジネスを、しかし完璧に貫き成功させた彼らを、「完全な商人」と呼ぶ学者も
いるほどです。
彼らは全国をまたにかけて売薬に歩き、歩き続けるなかで、富山の地に、多くの
「富」をもたらしました。
その結果として、現代の富山があります。
「富の山」に満ちた、富山があります。
いま、
「完全な商人」のDNAは、現代の富山人にも、また富山から輩出した財
界人にも受け継がれています。
003
安田財閥創業者の安田善次郎氏や浅野財閥創業者の浅野総一郎氏、コクヨ創業者
の黒田善太郎氏、YKK創業者の吉田忠雄氏、ホテルニューオータニ創業者の大谷
米太郎氏、丸井グループ創業者の青井忠治氏など、多くの富山出身財界人の「お金
哲学」
「ビジネス哲学」を聞くと、その精神がいかに売薬商人につながっているか、
驚くほどです。
そうです、売薬商人たちが300数十年の間に磨き練ってきた商売哲学こそ、現
代のビジネスに成功をもたらす「富の山」にほかならないのです。
私は本書で、ビジネスの方法としては非常に単純な売薬行商が、なぜ300数十
年も続く(むろん現在も行なわれています)
「成功のビジネスモデル」となったの
か、そしてここからビジネスマンが学ぶものとは何かを、多面的に掘り下げたいと
思います。
実は多面的に掘り下げ、そのなかで富山の薬売りの姿をとらえ直すことによって、
私はいま、
「拝金」と「強欲」に覆われて見失われた「商いの原点」が見えてくる
のではないか、とも考えるのです。
004
富山の薬売りは、決してスマートなビジネスではありません。しかし、ひたすら
行商の道を歩き続け、一人ひとりのお客さまと心を通わせるなかで、着実に、崩れ
ることのない信頼の砦を築いてきたのです。
その行動と考え方には、現代の私たちがもう一度、思い返すべき、多くの教訓が
詰まっています。
私はそれを皆さんに知っていただきたい、そしてこの富の山の地の、ここでしか
月吉日
生まれ育つことのなかった売薬行商の仕組みと、それを長らえさせた人々の心意気
年
富山の置き薬 森田裕一
005
を、もっと多くの方々に知っていただきたい。そう思います。
平成
24
10
富の山の人 仕事の哲学 ◎ 目次
はじめに
「続かない」
ビジネスは、
「成功」
ではない。
日本一続く
「稼ぐ仕組み」
を築いた富の山の人
002
変わったもの、
変わらずに続くもの
「完全な商人」と「拝金商人」
そのゆくえと商売の本質
300数十年にわたる
「繰り返し」「伝え」「育んだ」哲学
おもんぱか
相手を
「親戚のように慮る」
すなわち商売の基本、人間の基本
「貧の国」
から
「富の山」
へ
逆境から生まれた
「稼ぐ仕組み」
017
020
023
028
014
|
|
富の山をつくる
「商売の本質」
300年伝えられる「富の山の人」
の教え
プロローグ
富の山の人は「富のため」に犠牲を払わない
富の山をつくる
「生き方」
営業差し止めこそが、
業界最大のリスク
038
「気づかい」
に込められた
2つの目的
富山売薬の300年は
「気づかい」
の300年
「だら」と言われないために。
「固い」と言われるために
やるだけやって失敗したら
「いっちゃぁ」でいい
「やったりとったり」から
「善の循環」が起こる
最終的に、利益を
得たものが勝ち
正しい薬種を用いて
正しい量でつくりなさい
041
054
051
068
062
057
聞き上手になれ、
すべてはそこから
名誉領事による
ロビー活動が奏功
044
034
|
|
048
章
1
第
富の山の人は「自分のため」
に自分を律する
富の山をつくる
「仕事学」
持続可能性を
確かにする原則とは
経営目標、数字は、
常に
「振り返る」
「くもりなき信用」
を得るために
私利私欲に走ってはいけない
105
101
「儲けろ」と
部下に言ってはならない
074
無芸であることこそ、
商人にふさわしい
080
|
|
091
093
なぜ富山は、今でも
トップクラスの教育県なのか
福運は
勉強より来る
096
章
2
第
たねぜん
富の山をつくる
「お金の哲学」
儲けるより、
使わなければ幸せである
123
晴れていても、暑くても、
必ず雨傘を持って出かける
自分の生活を切り詰めて、
世の中の役に立てよ
126
「成功の芽」
を育てる
「種銭」
哲学
112
|
|
116
120
お金の重みを感じる
お金の使い方をする
富の山の人は「種銭を作る」
ことから始める
章
3
第
富の山の人は「当たり前」を
「当たり前」
に行う
富の山をつくる
「成功の条件」
あらゆる情報に
「目を配り」
すべての情報を
「書き残す」
135
「良いもの」
これがすべてを左右する
「完全な商人」
と
「富山商人」
の共通点
そして商人の理想形
166
「富の山」式
嫌われないためのルール
人に、嫌な気持ちにさせない。
人に、ぜったい迷惑をかけない
「あって良かった」
と
思ってもらえるビジネスか
137
161
157
153
149
トラブルを起こさず、
効率よく稼ぐための「戦略」
164
信頼を得る。
必要とされる
どうすれば「儲かるか」ではない。
どうすれば「喜ばれるか」だ
売ろうとするな。
儲けようとするな
大手ドラッグストアには
「なかったもの」
142
132
富山の置き薬
成功の7条件
145
|
|
147
章
4
第
富の山の人は「自国のため」
にできることを考える
富の山をつくる
「考え方」
177
「自国のため」
に考え抜いた
自家製法と販売方法
174
富山を
「蘇らせた」
秘薬と
のどかな医師との出逢い
変えようのない環境で、
いかに
「稼げる地」
にするか
年で全国を網羅した
「富山売薬」のビジネスモデル
193
「遊ぶ時間をなくす」
お金をふやす富山人の原点
「人」よりも「仕組み」
スターのいない「強み」
|
|
181
後から利益を得る。
これが未来をつなぐ
「仕組み」
「災害リズム」
を
「稼ぐリズム」
に
参考文献
187
70
薬売りの「使命感」が
全国展開を可能にした
190
196
170
184
199
章
5
第
編集協力◎エディット・セブン
カバーデザイン◎岡孝治
本文デザインDTP◎ムーブ
(新田由起子・徳永裕美)
|
|
富の山をつくる
﹁商売の本質﹂
300年伝えられる
﹁富の山の人﹂の教え
プロローグ
ぐすり
変わったもの、
変わらずに続くもの
お
やな ぎご うり
富山の置き薬商人は、昔、五段重ねの柳行李を大きな風呂敷にくるんで背負い、
どんな遠方にでも歩いて向かったものでした。ようやく昭和になって自転車が現れ、
やがてバイクになり、すぐに車になりました。
たん す
私が生まれたころの父も、バイクに荷物を載せて、営業に出かけたそうです。現
種類以上を詰めて懸場と
かけ ば
在は父も私も車です。私はホンダ・フリードスパイクに箪笥を載せ、左右3段ずつ、
ひきだし
合計6段ある抽斗に薬類、ビタミン類、ドリンク類など
たこと、この二つくらいが今昔を分ける差異と言ってよいでしょう。
(越中富山)に帰国したものですが、今では仕事先の地に定住するものが増えてき
徒歩が車になったことと、もう一つ、昔はお得意さんまわりが終わると必ず故郷
称するお得意さんの待つ地に向います。
80
014
あとは──
得意先に薬を預けて、自由に使ってもらうこと、
次の半年後に訪問したとき、使った分だけの薬代を頂戴すること、
薬を補充し、使われなかった分も新しい薬と入れ替えること、
肝心要の商売の仕組みについては、全然、変わったところがありません。
それが富山の置き薬、300年以上続く伝統ということになります。
それにしても、心から感心するのは、薬を置かせてもらい、半年後に使った薬の
代金を頂戴するという実にシンプルなビジネススタイルが、幾多の障害に会いなが
らもよくぞ300年以上も消えてなくならずに、続いたものだということです。
これだけの年月を超えてなお継続する商売の形、ビジネスモデルと言っていいと
思いますが、それは尋常ではないのではないか。
そこには、あらゆる商売というものを持続可能にする、言い換えれば商売を成功
させる「普遍・真実」があるのではないか。
あるときから私はそう思うようになりました。
プロローグ 300年伝えられる
「富の山の人」の教え
015
最近ではコーヒーとかおやつなどを企業に預け、使った分だけを集金していく商
売も盛んとのことです。置き薬のビジネスモデルをうまく換骨奪胎したものと言え
りゅうしょう
ましょう。そうした枝葉が生まれるというのも、この商売の形に魅力があるからに
ほかなりません。
以来、刹那的に短期間だけ隆昌する商売ではなく、持続する商売。持続可能であ
るノウハウ。つまりは、私自身がそのど真ん中に身を置いている置き薬ビジネスの
持つ、普遍的な真実とは何か、それを知りたいと思うようになったのです。
016
おもんぱか
歳、
年あま
歳でもバリバリの現役先輩がおられる
20
相手を
「親戚のように慮る」
すなわち商売の基本、人間の基本
年のキャリアは、
私が父の手ほどきを受けながら置き薬のお得意さんまわりを始めてから
りがたちます。
80
けてもせいぜい
~
軒ほどです。お得意さんの住まいも、私の場合、東京、埼玉、
1日に訪問できるお得意さんの数は、私の場合、朝9時に家を出て、夕方までか
置き薬の仕事そのものは、実に単調で、地味です。
数えられる長さかもしれません。
この業界では、まさしくはなたれ小僧にすぎませんが、それでもようやく一人前に
70
は、車で何時間かかるかの計算もして出かけます。
しん が
千葉と、飛び地のようにして離れていますから、それだけのお得意さんをまわるに
13
既存のお得意さんをまわるだけでなく、新しく開拓も必要です。新懸けと呼ぶの
プロローグ 300年伝えられる
「富の山の人」の教え
017
20
12
さ
ですが、新しく置き薬を置いていただくお得意さんの開拓にも、まとまった時間を
割く必要があります。
こうして、週に6日、お得意さんまわりをします。
何しろ半年に一度の訪問ですから、このめまぐるしいご時世、お得意さんの状況、
環境が大きく変わることも少なくありません。うかがう前には半年前のお得意さん
の顔を思い浮かべて、あれこれ話題を探しておくのですが、状況、環境が変わった
お得意さんの前では空振りに終わることも珍しくないのです。
長年の持病に悩まされていた方が、ちょっとした生活改善で、すっかり丈夫にな
っていたり、猛烈な愛煙家がぴたりと煙草を断っていたり、高校を卒業したばかり
だった娘さんが結婚して婿養子を迎えていたり、家をきれいにリフォームしていた
り……。なるほど、この世は一瞬たりとも止まっていることはないのだなと、妙な
感心をさせられることがしばしばです。
このお得意さんを訪問する日々で、一つ、強く実感することがあります。これは
実に個人的な実感なのですが、これほどワクワク感のある、楽しい仕事というのは、
世に少ないのではあるまいか、ということです。
018
初めのころこそ少々苦労らしいことも味わったものの、やがてはっきりと、われ
ながら楽しい商売についたものだなと嬉しくなりました。
その思いは、以来、今に至るまで途切れることがありません。
なぜ楽しいのか。
歳 の 今 も 現 役 で 飛 び ま わ る、
半年という一定の時をはさんで、お得意さんを訪問するそれ自体が楽しいのです。
お得意さんを親戚の方と思いなさい、というのが
わが父の教えですが、親戚と思うまでに親身にお付き合いすることが商売の要諦で
おもんぱか
ある。そのことが、まずうれしい。親しくなるだけでなく、相手を親戚のように心
から慮る。それがいちばん大切だというのですから。
しかも、私がもともと人と話をするのが好きだったせいもあるのでしょうか、多
くのお得意さんと会い、語り、笑い合うことは、ともかく楽しいのです。
確かに不確実で地味すぎる商売なのですが、それなのに、かすかなワクワク感を
抱えながら、毎朝、車を引き出し、これからうかがうお得意さんの顔を思い浮かべ
ている私がいるのです。
これほどの人間臭い商売も珍しいのではないでしょうか。
プロローグ 300年伝えられる
「富の山の人」の教え
019
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