大泉 黒石 - 全作家協会のホームページ

絶 対 文 感 5【 番外篇 】
第十七 章
大泉黒石
陽羅
義光
大泉黒 石( 189 3~1 95 7)に 就 いて、真 っ向 勝負で 書きた いと
長 年 思 っ てき たが、 読めば 読む ほど、 や はり(ど うし ても) 息子の 俳優
大 泉 滉を 引き 合いに 出さざ るを得 ない 。
大 泉 滉 は君 もよく 映画や テレ ビで観 た ことがあ ると 思われ る。よ く正
体不明の キャ ラクタ ーを演 じ、 台詞は 饒 舌、時と して 大法螺 吹き、 真面
目な台詞 を吐 いても どこか 胡散 臭い。 面 白いと感 じる 観客は 少々い ても
大多数の 者に は嫌わ れる は ずだ。
大 泉 滉 の父 である 大泉黒 石の 作品も ま さにその 通り なので あるか ら、
DNA というもの はか くもお そろし い。
実際、 大泉 黒石を 最初に 発見 した滝 田 樗陰の部 下の 編集者 による 【正
体がつか めな いとこ ろがあ る】と いう 言 葉が残っ てい る。
大泉黒 石の 代表作 は『俺 の自叙 伝』『 老子』『人間 廃業 』であ ろう。
『俺の 自叙 伝』の 冒頭。
【アレ キサ ンドル ・ワホ ウイ ッチは 、 俺の親爺 だ。 親爺は ロシア 人だ
が、俺は 国際 的の居 候だ。 あっ ちへ行 っ たり此方 へ来 たりし ている 。泥
坊や人殺 しこ そしな いが、 大抵 のこと は やって来 たん だから 、大抵 の こ
とは知っ てい る積り だ。こ とに ロシア 人 で俺くら い日 本語の 旨い奴 は確
かにいま い。 これほ ど図迂 々々 しく自 慢 ができな くち ゃ、愚 にもつ かぬ
身の上譚 が臆 面もな くでき るも のじゃ な い。ロシ アの 先祖は ヤスナ ヤ・
ポリヤナ から でた。 レフ・ トル ストイ の 邸から二 〇丁 ばかり 手前で 、今
残ってい る農 夫のワ ホウイ ッチと いう の が本家だ 。
( 中略)
親爺が 長崎 に立ち 寄った とき 、ある 官 吏の世話 でお 袋を貰 ったん だそ
うだ。そ のと き親爺 はまだ 天津 の領事 館 にいた。 お袋 はロシ ア文学 の熱
心な研究 者だ った。 それは 彼女 の日記 や 蔵書をみ ても わかる 。そ れ で、
親爺がお 袋を 呉れろ と談判 にき たとき 、 ものの解 らな い親類 の奴共 が大
反対した にも かかわ らず、 彼女 は黙っ て 家を跳び だし ていっ た。旧 弊人
どもが 、お恵 さんは 乱暴な 女だ と攻撃 し た。
〈わた しは、その とき、どう
しようか と思 って困 り果て たばな 〉と 祖 母がいっ た。 俺は二 十七だ 】
これで 大泉 黒石の 素性を 紹介 する必 要 もなかろ う。 つまり 大泉黒 石は
ロシア人 と日 本人の ハーフ であり 、従 っ て大泉 滉 はク ォータ ーとな る。
『俺の自叙伝』の細部は真実かどうか解らない。なにせ村松梢風が、
【黒石は うそ つきの 天才だ 】と言 って い るくらい だか ら。
私小説 であ れ自叙 伝であ れ、 小説と 銘 打った以 上は 嘘でい い。少 なく
とも虚実 皮膜 でいい 。大泉 黒石 も、そ の 変人ぶり や嘘 つきぶ りを、 文壇
や編集者 や読 者から 最初は もて はやさ れ ていた。 少な くとも 相当の 興味
を持たれ てい た。
当時の こと は解ら ないが 、
【大泉 黒石は 文壇の寵 児で あった 】と の文章
をあちこ ちで 見かけ るから 、そ んな感 じ であった こと は間違 いない ので
あろう。
他の代 表作 を簡単 に解説 する と、『老 子』は 、( 単純に 解釈す ると既 成
秩序の擁 護と なりが ちな) 孔子 を否定 し 、国家も 社会 も否定 して、 無為
のアナー キズ ムのな かに本 来の 人間 主 義 、真のイ ンタ ーナシ ョナリ ズム
を回復せ んと する老 子の立 場と 思想が 、 無頼と革 命と 愛のな かで試 練を
受けて次 第に 冴えか えって くる物 語で あ る。
『老子 』は 当時ベ ストセ ラーに なっ た とのこと であ る。
『人間 廃業 』は、 おそら く太 宰治の 『 人間失格 』に 少なか らぬ影 響を
与えた作 品で 、敗戦 後の戯 作派 無頼派 を 先取りす る感 がある 、饒舌 とレ
トリック のオ ンパレ ードで ある 。由良 君 美は、
【当 時の日 本語 のあら ゆる
スタイル の大 雑炊】 と、見 事な比 喩で 解 説してい る。
最近、 全作 家協会 の仲間 が「 太宰治 の 最高傑作 は何 か」と 聞いて きた
のでは即 座に 「それ は『お 伽草 紙』だ 」 と答えた 。「『 人間失 格』で はな
いの」と さら に聞い てきた 。私 の頭の 中 には大泉 黒石 の『人 間廃業 』が
あった 。
『人間 失格』は 傑作で あるが 、
( 同じく「種 本」があ る作品 でも )
『お伽草 紙』 が更に 傑作と 言う ことだ 。 仲間は首 を傾 げてい たから 『お
伽草紙』 を読 んでい ないか 『人間 廃業 』 を知らな いの だろう 。
余談だ が、 太宰治 が芥川 龍之 介に似 て いるのは 、そ の代表 作のほ とん
どに種本 か見 本があ るとこ ろで 、また そ の種本や 見本 を換骨 奪胎し て完
全に己の 作品 にして いると ころだ 。
さて大 泉黒 石の 、清新 で濃密 な文章 で 作られ た 短編 群(『眼 を探し て歩
く男』『黄夫 人の 手』『青白 き屍』 等々 ) も私個人 は好 んでい る。
『俺 の自叙 伝』等と違 ってこ んな文 章 である 。
『 眼を探 して歩 く男 』よ
り引用す る。
【「 ごめん くだ さい」
雨のよ うに 降る蜩 の音が 一斉 にピッ タ リ止むと 、寝 静まっ た黄龍 寺の
庫裏の外 から 、人の 訪れる 声が微 かに 書 院へ伝わ って きた。
「お頼み いた します 」
「今ごろ 誰じ ゃ? 」】
見事な 書き 出しで ある。 これ から何 か 起こる。 恐怖 か悲哀 か感動 か。
それを予 兆さ せる。 一筋縄 ではい かぬ 手 練れであ る。
尤も 、私個 人の小 説作法 には 、
「 アタマ からの 台 詞」も「 ピッタ リとい
うカタカ ナ比 喩」も「疑問 符?」も無い の であるが 、大 泉黒石 は私の「絶
対文感」 を読 む機会 がなか ったの だか ら 仕方がな い。
以下は 当作 のその 後の展 開。
【本堂 へ向 かった 老僧は 、仏 殿に積 み 重ねてあ る線 香の束 をとっ て納
骨廊の洞 道へ 入った が、文 字朧 げな位 牌 ばかり打 ち並 ぶずし へ奉る 線香
の煙のな かに 合掌し 終ると 、行 きづま り の僧房の 前に 出た。 なるほ ど、
内側から 釘付 けにで もした らし く、板 戸 の桟に手 をか けて引 いたが 、あ
かないの で節 穴から 覗いて 見る と、房 内 の光景は 、役 僧の話 よりも 奇異
なもので あっ た。息 づまる ほど 鬱陶し い 湿気に籠 って 、ムッ とする よう
な、埃の うず たかい 畳の上 の、 所々に 灯 された真 鍮の 燭台か らはダ ラダ
ラと蝋涙 が流 れてい た。その 黄色い 光を うけて脚 を張 ったイ ーゼル には 、
大形のカ ンバ スを立 てかけ てあ り、傍 に 鼾をかき なが ら眠っ ていた とい
う青年画 家は 、いつ 目を覚 まし て起き た のか、両 手に 絵筆と パレッ トを
持って、 カン バスと 向かい 合い に蹲っ て いたが、 たっ た一夜 のうち に驚
くばかり 変わ ってい るのは その顔 なん だ 】
この古 典的 ともい える破 綻の ない文 章 も、(『俺 の自 叙伝』 の作者 )大
泉黒石の もの だが、 この文 節の 最後の 「 なんだ」 に、 大泉黒 石の本 来の
「絶対文 感」 の兆候 が垣間 見られ る。
大泉黒 石は 、拙文 の前章 で取 り上げ た 島田清次 郎に (その 作風で はな
くその生 き様 に於い て)似 ている とこ ろ がかなり ある 。
こまご まと は書か ないが 、そ のひと つ は幼年時 、少 年時の 悲惨と も言
える体験 であ り、ま た、若 くし て文壇 の 寵児とな った ところ 、さら に、
その生涯 の後 半に於 いては 、そ の変人 ぶ りによっ て、
(む ろん 黒石の 場合
は戦争の 影響 もあっ て)文 壇か らも読 者 からも見 向き もされ なくな った
ことなど であ る。
島田清 次郎 は苛酷 な精神 病院 暮らし の なかで、 次の 小説や 詩の草 稿を
書き続け 、大 泉黒石 は、暗 澹た るどん ぞ こ生活の なか で、さ さやか な作
品を書き 続け ながら 己の信 条を全 うし た 。
高級な エン ターテ インメ ント を書き 続 ける村上 春樹 は、間 違いな く島
田清次郎 に似 ている 。自己 を戯 画化し た 傑作を多 く書 いた太 宰治は 、間
違いなく 大泉 黒石に 似てい る。 現代で 太 宰治や村 上春 樹がこ れほど 読ま
れるなら 、大 泉黒石 と島田 清次郎 はも っ と読まれ てい い。
どうい うわ けか私 は、こ の頃 、大泉 滉 の映像を 想い 起こす ことが たび
たびある 。
実父を 敬愛 してい たに違 いな い大泉 滉 は、その 短く はない 俳優業 のな
かで、大 泉黒 石の小 説世 界 を再 現して 来 た、と思 われ てなら ないの であ
る。