辻井達一先生を偲んで

 北方山草 (30):63 - 68. March 2013
井達一先生を偲んで
雨竜町 佐々木 純 一
「豊葦原瑞穂国」と呼ばれる湿地の大地、そ
にか湿原と結びつき、私たちは引き込まれてい
の湿地を愛して止まず、生涯を湿原生態系の研
ました。さらにクランベリーを、エゾカンゾウを
究に捧げた 井達一先生がご逝去されました。
食べる、オオヒシクイを食べるなど、湿原の花
先生が情熱を注いだラムサール条約湿地などで
や野鳥の希少動植物でも保全して個体数が増加
たいへんお世話になり、ここに在りし日を回想
すれば湿地からの恵みと成り得る。ラムサール
いたします。
条約の理念・ワイズユースを体現する 井先生ら
北海道では不毛の地とやっかい物扱いだった
しい発想だと思います。先生の豊富な話題と立
湿地・湿原を、先生は自然生態系保全のための
て板に水の如くの話術、引き出しには無尽蔵の
湿地の役割、湿地の魅力と私たちの生活や文化
知恵と知識、そして温かさが一杯でした。山草
にもたらす恵み、ワイズユースの啓発を通して湿
会仲間の飲み会で今でも語り草となっている「カ
原がこれほど私たちの身近な存在となったのは、
ラクサキンポウゲを見つけたら 10 万円…」の報
研究者としてばかりでなく、先生が湿原を愛好
奨金。霧多布湿原から姿を消したカラクサキン
する私たちと一緒に歩んでくれたからです。
ポウゲ(キンポウゲ科)を再発見した人への、
北大農学部の学生時代にサロベツ原野の牧草
井先生からの報償ですが未だ見つからず、そし
化、農地への転換が湿原研究の第一歩で、とこ
て 井先生も極星になってしまいました。
ろが米国から粉ミルクが輸入され、牧草地開発
から湿原保全に時代が変わった。開発から保全
先生と最後にお会いしたのが 2012 年 10 月の
へ、先生は 「湿地をどれだけ水位を下げれば牧
網走市濤沸湖水鳥湿地センターでの、北海道ラ
草が育つかの研究は、逆にどれだけの水位を保
ムサールネットワーク(HRN)総会でした。和
てば湿原が保全できるか」 と湿原保全に繋がっ
室で座られていた先生に、
「こんにちは、お世話
たと話されました。
になります。なんかお疲れのようですね、体調
先生の湿原の話題はいつも聴衆を魅了しまし
はどうですか」と尋ねると先生は「こんにちは、
た。水界でもなく陸界でもない湿地を、泥炭の
体調は中くらい」と、いつもの笑顔とユーモア心。
地形や生育する植物の特異性などを分かりやす
夏以来、体調が優れないことをお聞きしていて、
く、古今東西の歴史、文化と風習、文学、宇宙
少しお痩せになりましたがちょっと安心。
の果てから吉原の花魁の話題まで、例えばマン
講演は 2012 年 7 月にルーマニアの首都ブカ
モスを沼池に追いやり、動けなくして狩猟する方
レストで開催された、ラムサール条約締約国会議
法や、エミリーブロンテの「嵐が丘」がブランケッ
(COP11)の報告と、先生のライフワークの湿
トピートという泥炭の一種がある高台の話など、
原研究とご自身の歩みを語られました。今思え
ユニークな発想と茶目っ気のある話がいつの間
ば、道内各地で湿原に係わる私たちに語り残し
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佐々木 純一
たと思えてなりません。
強いご推薦、施設整備でのご進言から現在実施
COP11 ブカレストの開会式で先生は、日本の
中の湿原地下水位の観測調査も先生の肝いりで
みならず各国の湿地保全とワイズユースへの貢献
す。1997 年の「湿原フォーラム in 雨竜」の基
から、ラムサール湿地保全賞(科学部門)を受
調講演から北海道湿原研究会による湿原生態系
賞されました。受賞スピーチで、
「日本にはきれ
解明の研究、ラムサール条約登録と感謝に耐え
いな川に河童が住んでいます。河童はきれいな
ません。いつの日だったか、
「もう雨竜沼には登
水を好み、きれいな湿地を守ります。私はこれ
れなくなりました」と話す姿が寂しそうでした。
からも河童のようにきれいな湿地を守っていき
2013 年度の北海道ラムサールネットワーク総
たいと思います」と日本の伝説「河童」をご自
会は雨竜開催で、
「先生、体調はいかがですか。
身に例え、黄桜酒造の「カッパ」を紹介、感謝
早く元気になって総会でみんなに湿原の話を聞
と決意を述べられました。 COP11 で栄誉賞を
かせてください」と療養されている先生へのお
受賞された、ラムサール条約の創始者の一人、
見舞いメールを送った翌日、先生の訃報となっ
ルーク・ホフマン博士の湿地保全研究所に招待
て返信されました。
され、帰路フランスに立ち寄りました。カマルグ
湿原と塩湿地、フランスの米作りの現状や、
「ホ
いつも素敵な笑顔で私たちを迎えてくれた
フマン博士は 90 歳、私はまだ 81 歳だから、あ
いつも優しい目線で私たちに語ってくれた
と 10 年は湿地と係わり続けたい」と話されてい
いつもフィールドで私たちと共に歩んでくれ
たのに…。
「体調は中くらい」と珍しくお疲れの
た。
先生でしたが、講演では「 井達一、ここに在
り」で英語、カタカナすらすらと、そしてユーモ
昨年の夏、先生は湿原に関する本を執筆中で
ア溢れ魅了する 井節は健在でした。途中、雨
「夏の予定が少し遅れたので、秋まで待ってくだ
竜沼湿原の池塘のことで急に話を振られた時は
さい」 と話されていた。湿地研究にライフワー
ビックリしましたが、その湿地を良く知る地元の
クを捧げた 「 井スピリッツ」 が込められた珠玉
人の話に耳を傾けてくれる、 井先生らしいお人
の書となるだろう、脱稿されなかったのが心残
柄だと思います。
りだったと思います。
先生、ありがとうございました。ごゆっくりお
井先生には雨竜沼湿原でも、たくさんお世
休みください。
話になりました。ラムサール条約登録湿地への
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井達一先生を偲んで
ラムサール条約湿地と辻井先生
2006. 2. 4. 雨竜沼湿原ラムサール条約登録湿地 記念フォーラム 雨竜町
左・先生を囲んで実行委員会 中・フォーラム後の懇親会 右・記念講演する 井先生
2006.11.12. HRN フォーラム・霧多布
井先生らの鼎談 2009.7.26. 浜頓別クッチャロ湖
子どもラムサールを聞く
2010.10. 6. 宮島沼
マガンのねぐら入りを待つ
2009.7.25. 浜頓別クッチャロ湖
小雨の中のバーベキュウ
ラムサール条約締約国会議 COP10・2010 韓国チャンウォン
2010.10.29. 洛東江河口エコセンターにて 左・河口の野鳥観察場所
2010.10.20 - 21. 最後となった HRN 総会とワークショップ・湿地の文化と技術
左・挨拶する 井代表 中・WS で総括意見発表 右・グループ発表で押しのけられる
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佐々木 純一
ラムサール条約締約国会議 COP11 ・ 2012 ブルガリア・ブカレスト
受賞スピーチをする 井達一先生
2012.7.9. ラムサール湿地保全賞・科学部門 授賞式
「私はカッパのようにきれいな湿地を守っていきたい」
受賞スピーチで紹介した「カッパ」
2012.7.9. ブカレストにて受賞祝賀会でスピーチ
後ろは名執芳博さん ( 長尾自然環境財団 )
ラムサールセンターブースを訪れた 井先生
武者孝幸さんと談笑する
ラムサール湿地保全賞
井達一先生 お疲れさま
ありがとうございました
(撮影・佐々木 優)
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