自然と人間 (2012年12月30日

自然と人間
「人は自然の中にあり、自然の法則(神の摂理)を超えることはできな
い 。 2 1世紀 、人 は 目 に見 え ない エネ ルギ ーを 通して 自然 を学 ぶ 」
[神 の 摂理: R. デカルト著 「方法序説(1637)」、「 省 察 (1941)」]
(財)祈月書院理事長、東京工業大学名誉教授
安部明廣
個 と全 体 - 不思議な 関係
「 人(個)にして人でなくば、国(全体)は何で国たり得ようか」は、
著 書「 一 読書人の節操」
(梁巨 川遺言録、景嘉撰、池田篤記訳、アジア問
題 研 究 会)の帯に記載されている銘文である。常識であるようにも、そ
う で な いようにも思えるが、一見理にか なっている。こ れを「個と全体」
の 問 題 と捉えてもよい。 社会を構成する一人一人に一定の「 良識」 があ
れ ば 、 人らしい社会となるこ とは自明である。 実情はどうだろう?ここ
で 一 遍 上人( 1239-1289)の句「 いにしえは心のままにしたがいぬ、今は心よ
我にしたがえ」を思い出そう。人 は学ぶことによって、人格が備わり、国
家 よ り も大きく成長すること もできる。 心とは妙なものである。人を個
と し て 捉えてはいけないので あろう。
今 で は 誰しも、生命はすべて 物質からできていることを知っている。
物 が も のであるためには、 構成素子( 分子)が互いに絶妙な連携を保っ
て い な ければならない。 その素子もまたそれより小さな素子、すなわち
原 子 、 その原子もまたより小さな素子(原子核、電子、中性子など)か
ら 出 来 ている。これを物質の階層構造と呼ぶ。当然のことながら、物質
の 素 子 は「心」はもたない。物を観察していて感心することは、全体の
中 で 個 は平等であり、外力で もかからない限り、どこかに極端に無理を
強 い た りすることはなく、あらゆる可能性がす
べ て の 個に許されている。「個 と全体」 の関係
に お い ては分子や原子の方が人間より賢いよ
う に も 見える。
斥 力 と 引力の バラ ンス
化 学 の授業で教 わる ように、分子や 原子 には
一 定 の 大きさがあり、互いに体積排除の関係に
あ る 。 これは排除体積効果と呼ばれる(強い)
斥 力 で ある。全体の大きさや、およその形をき
め る の は、斥力であるが、ものの性質を決める
図1.斥力と引力の釣合
の は 、 弱いが遠くまで影響を及ぼす引力である。
物 質 を 構 成 す る 分 子は 引 力 と 斥 力 との バラ ン ス ( 図 1) の 下で 、 外 部
か ら 供 給 さ れる エ ネル ギ ー を 使 って 、 でき る だ け 自 由に 振 舞っ て い る 。
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分 子 の 運 動 を支 え るエ ネ ル ギ ー の 大 小 は、 温 度 と い う尺 度 で測 ら れ る 。
外 部 温 度 が 上昇 す ると 与 え ら れ るエ ネ ルギ ー が 大 き くな り 、分 子 の 運 動
が 激 し く な って 、 やが て 固 体 は 融解 し て液 体 に 、 さ らに 進 むと 蒸 発 し て
気 体 に な る 。常 温 、常 圧 下 で 気 体 と し て存 在 す る た め 嫌 わ れも の と な っ
て い る 炭酸ガスも、温度が下がり-79 ℃ になると、液体を通らないで、固
体(ドライアイス)になる。
さ て こ う み て くる と、 人 の 社 会 も 物の 世界 も よ く 似 てい る 。隣 人 、 隣
国 同 志 は 境 界を 巡 って よ く 争 う 。社 会 を社 会 た ら し める の は、 人 間 同 士
の 連 帯 感 ( 弱い 引 力) で あ る 。 あま り 引力 が 強 い と 自由 度 が失 わ れ て 、
硬 直 化 が 進むが、逆に競争が激しくなり過ぎると社会秩序が損なわれる。
物 の 世 界 も 、人 間 社会 も こ の よ うに し て “ ほ ど ほ ど ” の 秩 序と 自 由 度 が
保 た れ る 時 が最 も 安定 で あ る 。 物の 場 合に は 、 斥 力 も引 力 も原 子 や 分 子
に 備 わ っ た 資質 で ある が 、 人 の 場合 に は心 が 経 験 を 積み 、 知力 と 相 俟 っ
て 常 識 や良識を育てる。
人 の 社 会 の 場 合に は、 秩 序 と 無 秩 序の バラ ン ス を 決 める の は人 間 で あ
る 。 こ れ も 物質 に 学ぶ と こ ろ が 多い 。 ただ し 、 こ の ため に はエ ン ト ロ ピ
ー と い う 概 念が 必 要で あ り 。 こ の話 題 に 入 る 前 に 、 エネ ル ギー の 役 割 に
つ い て 考 察しておくことにし よう、
物 が変 化 する こと を利 用し て 人 は 活 き 、 仕 事を する
「 エ ネルギー」、それは「仕 事をする能力」である。方向を定めてエネ
ル ギ ー が変化する時の坂の勾配が「力 」である。
(能力と力は違う!)生
物 も 、 無 生 物も 時 間と と も に 変 化す る 。こ れ は 何 か が動 い てい る 証 拠 で
あ る 。 物 の 変化 は エネ ル ギ ー の 出入 り を伴 う 。 エ ネ ルギ ー の流 れ に 沿 っ
て 物 の 状態が変化する。
身 近 な と こ ろ で、 人の 生 命 活 動 は 物の 変化 ( 物 質 代 謝) の よう に 見 え
る が 、 一 方 で エ ネ ルギ ー の 流 れ の一 形 態 ( エ ネ ル ギ ー代 謝 )と 見 る こ と
も 出 来 る 。 エネ ル ギー の 流 れ が 止ま る と生 は 死 に 至 る。 エ ネル ギ ー は 定
量 的 に 測 る こと の でき る 物 理 量 であ り 、高 低 と か 、 大小 で 表現 さ れ る が
目 に は 見えない。
こ れ ら の エ ネ ルギ ーを 取 り 扱 う 学 問は 熱力 学 と 呼 ば れる 。 熱力 学 第 一
法 則 ( エ ネ ルギ ー 保存 則 ) と 第 二法 則 (エ ン ト ロ ピ ー則 ) はエ ネ ル ギ ー
が 従 う 法 則 であ る 。 前 者 は 、 閉 じた 系 の中 で 、 無 か らエ ネ ルギ ー を 創 り
出 し た り 、 余剰 な エネ ル ギ ー を 無に し たり は で き な い 、 エ ネル ギ ー は た
だ 移 動 す る だけ だ 、と 云 い 、 後 者は 、 物に は 乱 れ る 傾向 が あり 、 自 由 に
放 置 さ れると、より 無秩序になって行く、とい う経験則であ る。
「無から
有 は 生 じ ない 」、「覆水 盆 に 帰 らず 」 と い う 格 言 は 、そ れ ぞ れの 核 心 を 見
事 に 云 い 当 てて い る。 こ こ で 認 識し て おか な け れ ば なら な いこ と は 、 物
の 変 化 や 人の 仕 事 に は 常 に エ ネル ギ ー が関 わ っ て いる と い うこ と である。
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人 間 は 、 自 然 の中 で活 か さ れ て い る存 在で あ り 、 自 然の 中 を循 環 し て
い る エ ネ ル ギー を 可能 な 範 囲 で 利用 し て、 生 活 を 楽 にし て いる だ け で あ
る 。 エ ネ ル ギー は すべ て 自 然 の 中に あ り、 そ れ を 「 自然 エ ネル ギ ー 」 と
「 不 自 然 エ ネル ギ ー」 に 仕 分 け たり は でき な い 。 今 流行 の 「自 然 エ ネ ル
ギ ー 」 という表現は全く意味をもたない。
物 の 拡 散、エ ネル ギー の拡 散
第二法則の表現の一つは、
“孤立系のエントロピーは、一定であるか、増加す
るかであり、減少することはない”である。こんな自然法則は他にない。A. ア
イ ン シ ュ タ イン の 「私 は 、 こ の 大 法 則 に深 い 感 銘 を 受け る 。こ の 法 則 が
依 っ て 立つ概念が覆ることは ないと信じる」を始め、S. ロイドの「この
世 で 定 かなものは何もない、死、税金と 、この法則を除いて・・。」など、
多 く の 人がこの法則に感想を残している。一方で、この法則は小さな子供の
いる人にとっては当たり前の経験でもある。物には可能な限り乱れようとする
傾向があり、そうさせないためには努力が必要である!物理学者は、与えられ
た系の乱れの度合いをエントロピーという量(S)で定量的に記述する。
乱 れ は 、 一見 エ ネル ギ ー ( 仕 事を す る能 力 ) と は 関係 の ない 現 象 の よ
う に 思 え る が、 物 の持 つ こ の よ うな 傾 向を 利 用 し て 電池 を 組み 立 て て 発
電 が で き れ ば、 誰 しも こ れ が エ ネル ギ ーの 法 則 で あ るこ と に納 得 す る で
あ ろ う 。実際に、混合し易い A/B 系の濃度差を利用してエネルギーを取り出
すことができる(図2)。濃淡電池はよく知られ
た実例である。エネルギーを注入して乱れを減ら
し、純 A と純 B に戻すことも、逆に混合(A+B)
を進めてエネルギーを取り出すこともできる。こ
の原理は、身近なところでは、血液の人工透析に
使われている。
厳密には、乱れの尺度であるエントロピーに温
度(T)がかかるとエネルギーの単位(TS)にな
ることで両者は結びつく。このことは、乱れの影
響が、温度によって増幅されることで理解できる。
与えられるエネルギーが大きいほど構成分子の
運動が激しくなると理解してもよい。
図2.乱れとエネルギー
我々がエネルギーを仕事に使う際には、仕事
に寄与しないで拡散して行く部分が付随することも考慮して置く必要がある。
両者を含めて、仕事の前後でエネルギーの総量は変わらない(エネルギー保存
則)。
持続性とエントロピーの法則
無秩序が増え続けるという法則は恐ろしい。乱れが増えると、それを片付け
るのに、またエネルギーが必要になる。社会が持続的であるためには、エント
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ロピーを増やさない努力と、増えたエントロピーを片付けるエネルギーの手当
てが必要である。目指すべきは低エントロピー社会である。GDP で測られる日
本の経済成長は、エネルギー消費量と密接に関わっていたことが 1970 年以降の
データで示されている。今後エネルギー消費を抑えながら GDP を伸ばして行く
ことを望むならば、エネルギーの使用効率を上げる(無駄を助長する文化の修
正!)ことが何にも増して重要である。ドイツの最近のデータではそれが可能
であることを示唆している。「無駄も経済の内」という乱暴な考え方は、エネ
ルギーの視点ではもってのほかである。
自然のエネルギー循環に加わる人工的な負荷
地上で最大のエネルギー供給源は太陽(17.4 x 1016 ワット)である。太陽から
受ける光エネルギーの約半分が地表に達し、しばらく形を変えて地上に留まり、
最終的には赤外線などとして宇宙へ再放射される。地表を覆う温室効果ガスの
働きがなければ、地表の温度は平均-18℃とも推定されている。地球の平均気
温約 15℃との差(約 33℃)を支えているのは、大気を構成する分子の熱運動で
ある。図 3(Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Carbon_cycle)は、気候変動
に関する政府間パネル(略称:IPCC)が公表した地表の炭素(炭酸ガス)循環
の模式図である。物質の変化や運動には必然的にエネルギーの出入りが伴う。
生命の存在は、地表におけるエネルギー収支の絶妙なバランスによって支えら
れているのである。
植物の光合成によって利用されている太陽
エネルギーは、4 x 1013 ワット(0.023%)程
度と言われている。人間のエネルギー消費は、
化石燃料や核燃料を含めて、すでに 1.75 x 1013
ワット(0.01%)と推定されており、人工的な
エントロピー増加分を自然の処理に付け回す
訳には行かなくなってきている。自然からエ
ネルギーをどのように取り出すか、どのよう
図 3 速い炭素サイクルの収支
に利用するかによって社会の仕組み
Wikipedia {2012}, IPCC
は大きく変わる。再生可能エネルギーへの回
帰の動きが切っ掛けとなって、自然の循環を尊重したより高い文明が拓かれる
ことを願っておこう。大気問題は、目には見えないエネルギーの振る舞いに関
して全人類が正しい認識を共有することが、必要であることを示唆している。
そのための鍵は教育にある。
おわりに
17 世紀、科学の黎明期にあって、有限で不完全な人間と無限で完全な自然との関
係に神の摂理を見た R. デカルト(1596 - 1650)「我思う故に我あり」や B. パスカ
ル(1623 - 1662)「人は考える葦である」の先見性に改めて思いが至るのである。
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