青陵祭あれこれ

青陵祭あれこれ
青陵祭の起源
青陵祭の起源は昭和 25 年の創立記念運動会にあります。その 8 年後の昭和 33 年、
当時の生徒会は運動会に文化祭の要素を盛り合わせた「青陵祭」を企画しました。当
時、準備時間が 9 時までであったにもかかわらず、日によっては夜中の 1 時半まで残
ったり柔道場に泊まったりしたこともあったそうです。そうして迎えた第 1 回青陵祭
当日ですが、雨に祟られ途中で中止となり、翌日改めて行われました。
国体や新潟地震のため実施できなかった年もありましたが、49 年目の今年は第 48
回の青陵祭となりました。こうして「青陵祭」は代々引き継がれ、本校の伝統行事と
なっていったのです。
連合制の真相
青陵祭では各連合が学年をこえて協力します。各クラス対抗から「学年縦割り連合
制」に変わったのは昭和 27 年です。
新潟高校では昭和 25 年から女子生徒が入学するようになりましたが、昭和 27 年当
時の 3 年生 7 クラス中 5 クラスは女子生徒のいない通称「やもめクラス」でした。こ
のやもめクラスの男子生徒が「下級生の女子と口をきくために」と考案されたのが連
合制なのです。
桟敷のなりたち
大きく美しいバックを背に、各連合は桟敷の中で応援を繰り広げます。
今では青陵祭に不可欠となった桟敷は、
昭和 29 年から使用されるようになりました。
桟敷・バックを作るという現在の形がほぼできたのは昭和 38 年頃です。当時は建設会
社から丸太を借りてきて、自分たちで組み立てていました。そのため、各連合ごとに形
も大きさも違い、徹夜で組み立てをしたときもあったようです。
昭和 44 年からは業者にお願いし、パイプで作られるようになり、それが現在まで続
いています。
ナポレオン賞
昭和44年、10分応援「Le Theme de Napoleon Bonaparte Ⅳ」をした4連合が総合最
下位になってしまいました。この沈滞ムードを吹き飛ばすため、青陵祭の余剰金で学
校にトロフィーを寄贈しました。
現在は総合9位、かつ、1つも表彰を受けていない連合に対して与えられます。
赤とんぼ賞
「赤とんぼ賞」は競技を除く全ての部門で区別なく審査され、著しく独創性に富み,
強烈なインパクトと多大なる感動を与えた連合に贈られます。この名前の由来は、昭
あ
か
と
ん
ぼ
和48年の10連合の10分応援「宇宙決戦嗚呼亜蚊飛夢慕」にあります。これは2m程の
張りぼての指がくるくる回ると、トンボに扮する女子生徒が目を回しばたばたと倒れ
るというストーリーで、会場を笑いの渦に巻き込んだのですが、満足のいく審査結果
が得られませんでした。そこで連合長がトロフィーを購入し、特別賞の設置を求めた
ことからこの賞が始まりました。