説教集 2014 年 5 月 25 日 聖日礼拝説教 鈴木 宏子師 「試練と誘惑」 ヤコブの手紙第 1 章 1-18 節 ≪中心聖句≫ 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、 神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。 ヤコブの手紙第 1 章 12 節 ≪要約≫ 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束 された命の冠をいただくからです(12)。誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と 誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と された命の冠をいただくからです 言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘 惑したりなさらないからです(13)。 惑したりなさらないからです 試練という言葉が2-4節と12節に、誘惑 誘惑という言葉が このヤコブの手紙の中には、試練 試練 誘惑 13-15節に使われています。しかし実はこの二つの言葉は、新約聖書の原語のギリシ ア語では同じ「ペイラスモス」という言葉なのです。その試練 試練や誘惑 誘惑によって、私たちが「試 試練 誘惑 み」られることになるわけです。苦難に遭ったとき、これは神さまから与えられた試練、良 いものとして積極的に信仰をもって受け止めれば、私たちは試練を通して成長し、神との 結びつきや御言葉経験が深くされ、天においては命の冠をいただくことができます。 しかし苦難は、私たちの信仰を失わせる可能性もあります。サタンは巧みに人間の欲 望に働きかけ、神の私たちへの愛に対して、不信や疑いを起こさせるのです。誘惑に遭う こと自体は罪ではありませんが、欲望に引かれ、そそのかされて誘惑に陥って罪を犯し たなら、その結果(死)は自分が引き受けなければなりません。 私たちは実際自分がどんなに試みに弱い者であるか、自覚しているでしょうか。だか らこそ、「試みに遭わせず、悪より救いい出したまえ」(主の祈り)と、生涯祈り続けましょう。
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