1996.02.04 題目:御国が来ますように 聖句:「マタイの福音書6章10節」 『御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。』 今日私は皆さんと共に「御国が来ますように」という題目で御言葉を分かち会いたいと思 います。 イエス様がこの世に来られた目的は、国を立ててその国の王様になられるためです。先ず、 イエス様は霊妙な国を立てて、次に1000年王国及び新しい天と新しい地そして永遠の 無限な世界をお立てするのが主の計画であるのです。 しかし、みなさん、今私たちが生きている今日の世界を見てますと神の御国とは余りに遠 くかけ離れているのです。皆さん、今日の世界の背後の力は神様にあられないで、敵の悪 魔がこの世を占領しております。敵の悪魔は、霊や精神から人たちの心を占領していて、 私たちの思いと社会制度と国家制度のうちで、イエスキリストと神様を完全に排除してし まったのです。 皆さん、この世で生活している人たちが、一日中彼らのうちでイエス様と神様を思うこと を見ましたか?私たちの社会制度の中にイエスキリストと神様を公式に受け入れるのを見 ているのでしょうか?一つの国家と民族を経営するのに、イエスキリストと神様を受け入 れまつって、頼りにしてから国家経営をしているのをご覧になりましたか? 彼らは敵の悪魔に偽られて神様を完全に排除して神様のない生活をしているのです。 聖書「ヨハネの手紙 第一 5章19節」に 次のように言われております。 『私たちは神からの者であり、全世界は悪い者の支配下にあることを知っています。』 今日、世の中は悪い敵である悪魔の支配かにあります。それで悪魔が導くままに肉の欲、 目の欲、暮らし向きの自慢などのどれいになって生活しているのです。しかし、それはも ともとの神様の御心ではありませんでした。この世とその栄光はアダムとエバに与えられ たものです。しかしアダムとエバが悪魔に誘われて、神様の命令を拒んでは、悪魔の誘い に従って屈服することによって、この世のすべての統治権を悪魔に渡しました。悪魔が神 様の御子イエスキリストが荒野で40日間断食されたときに、試みに会わせ次のように言 いました。 「ルカの福音書4章5節~7節」『また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界 の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差 し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。。 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。』 もともと、この世と栄光は悪魔のものではありません。従って、悪魔も自分で告白しまし た。それは私に任されていると言いました。 だれが任したのですか?アダムとエバが神様に背いてからこの世とそのうちの栄光を悪魔 に任すことになってしまったのです。だから霊から言えば、今の世の王様は悪魔です。 悪魔は空中の権威を持つ支配者として、王国の組織を持って霊や精神の世界を治めている のです。 聖書「エペソ人への手紙6章12節」に次のように言われました。 『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、 また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』 だから、現在私たちが生活しているこの世のシステムは、完全に霊及び精神の背後に悪魔 が占領していて治めているのです。悪魔はこの世を貪欲と罪と死亡で支配するのです。 聖書「ヤコブの手紙1章15節」に次のように言われました。 『欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。』 悪魔は全世界を欲でぎっしりと詰めておりました。それぞれの人たちはその心のうちが欲 でぎっしり詰まっております。だから人たちはその欲を持って、その欲を成し遂げようと するので常に罪を犯すようになります。罪とはぐれた行動などを言うのです。正義を破っ て正しい道を見捨ててはぐれます。欲を成就しようとするので、人たちは力の限りを尽く して正しい道を見捨ててぐれた行動をするのです。このぐれた行動が深まって多くなると、 結局は惨めに死を生み出すのです。破綻を持ち込むようになるのです。故にこの世はいく ら法を立てて、制裁を加えても欲によるぐれた行動をするのでなし終えられません。そし て私たちは偉い人から劣っている人までに破綻に至って人生が破滅される事々をよく見て いるのです。 しかしイエス様がこの地に来られたのは単に宗教を伝えるためではありません。イエス様 はただ福音で人間を救い出してこの地から天の御国へただ連れて行くために来られたので はありません。イエス様はこの地に国を立てるために来られました。王国を立てるために 来られました。 聖書「マタイの福音書3章2節」に次のように言われました。 『悔い改めなさい。天の御国は近づいたから。』 主は悪魔の王国を打ち壊して天の御国を来させるために来られたのです。 聖書「ヨハネの手紙 第一 3章8節」につぎのように記されております。 『罪のうちを歩む者は、悪魔から出たものです。悪魔は初めから罪を犯しているからです。 神の子が現れたのは悪魔のしわざを打ち壊すためです。』 イエス様が来られたのは、悪魔のしわざを打ちこわし、この地に神の国を立てるためです。 故に、主が来られるやいなや、悪魔のしわざに立ち向かいました。悪魔の金鎖である罪を 主が赦してくださり、主が悪魔の軍隊である悪霊を追い出してくださり、病む者をいやし てくださり、ぼろをまとい食うに事欠く者に希望を下さり、富裕にならしてくださり、死 んだ者を生き返らせ、絶望を希望に変えらせたのです。悪魔の世界は悲しみと絶望です。 主は至るところで悲しみを除かれて、絶望を除かれて、喜びと希望を与えながら、3年あ まりの間、至るところで悪魔のしわざを打ち壊して、悪魔の国を破壊することをなさいま した。そしてその次に主が終局に十字架の上、神の御前でアダムとエバが悪魔に王国を渡 されるようになっていた罪を、私たちに代わって担ってくださり、肉を裂き血を流して価 を支払ったのです。 皆さんイエスキリストは十字架を通して次に記録したみことば通りのことをなさいました。 「コロサイ人への手紙2章15節」『神は、キリストにおいて、すべての、支配と権威の 武装を解除してさらし者とし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』 すべての支配と権威の武装とは、すなわち、悪魔のすべての支配と権威の武装を言うので す。悪魔は神様に罪を犯して追い出されたので、合法に人を占領して盗んだり、殺したり、 滅ぼしたりすることを続けていたのです。だから神様の御前で罪が赦されると、悪魔は人 を捕らえる力が無いのです。だからイエス様は十字架に上がられて、アダム以後のすべて の人類の罪悪を親しく担われて肉を裂き、血を流しあらゆる侮辱を受けながらも、耐えて、 最後に「完了した。」と言われては霊をお渡しになられました。悪魔に渡されていた人生 を神様の御前で再び価を払って取り戻したのです。 悪魔は、悪魔の鎖で括っていたがイエス様が罪を清算してくださったので人間を括ってい た罪の鎖を無くされてしまったのです。悪魔は神様と人との間を敵の関係にならして、絶 えず神様の御前で人たちをあしざまに訴えて、踏みにじんでいたが主の尊い血によって神 様と人との間にあった、敵となった垣をこわして、神様の御手と人との手を取って和解さ せてくださったので悪魔は敵となる垣が壊されたから、人をあしざまに訴えることができ ないようにしたのです。 悪魔は、いろいろの心と身体の病で人たちを盗んだり、殺したり、滅ぼしたがイエス様が 私たちの煩いを身に引き受け、私たちの病を背負い、十字架の上で苦しみを受けられたこ とで、病の力を清算してくださったので、もう悪魔が病の鎖をもって人間を苦しめる権限 を無くしてしまったのです。神様は人間が罪を犯したのでこの地を呪いました。そこで悪 魔はその呪いをもって人たちの生活にいばらとあざみが生じるようにしたのです。 家庭に憎しみのいばらとあざみが生じて破壊するようにならせ、親が子を子が親を憎むよ うにします。隣人と隣人とが敵対し、国と国が戦うようにします。至るところに呪いの風 がふきいばらとあざみが生じて、人たちはこの地で平和に暮らしたいと思っていても刺立 って、苦しめられて平和に生活することができません。その悪魔の呪いをイエス様がご自 身のからだで担ってくださったことで請算してしまったのです。 最後の敵は死です。悪魔はこの死で人たちを脅し、脅迫しました。しかしイエス様が死な れては三日目に蘇えられたことで死のなわが切られたのです。死へのすべての脅迫を無く して、かえって主は人の死を天の御国へ入る道としてすっかり開けてくださったのです。 「死よ。おまえの刺はどこにあるのか。死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。」とパウ ロは大胆に死亡を叱咤できるのです。 故に、私たちは主の再臨までに肉の幕を抜く死が近付くが恐れないのは、死の向こう側に、 主が備えてくださった永遠な故郷が用意されているからです。もし、地にある私たちの肉 の幕が壊れると手で作ってない永遠な都が天にあることを知っているとパウロ先生は言わ れたのです。 今日の悪魔は今は不法の行動をしているのです。合法にすべての支配と権威の武装は取ら れ、もはや主が天の御国をこの地にもたらしてくださったのです。私たちの目に今は見え ない霊の天の御国を主がこの地に立てておられるのです。イエス様は義と平和と聖霊によ る喜びをもってこの地で神の国を立てます。イエスキリストを救い主と受け入れると主が 天の御国をもたらせます。 神の国は義なる国であるのです。主は私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子 のご支配の国に移してくださいました。この御子の国にあって私たちは贖い、すなわち罪 の赦しを得るようになります。義の力が私たちを占領して私たちがどのようにしても、義 と認められて生活するように神の御力が私たちを導いてくださるのです。主の国は義なる 国なのです。主のお国は愛と聖なる国なのです。 聖書の「テサロニケ人への手紙 第二 2章13節」に次のように仰せられました。 『神は、聖霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを救いになったからで す。』 主はその尊い血の御力で私たちのうちに来られて、愛の国そして聖い国をお立てになりま す。私たちのうちの憎しみを勝ち抜いて愛の者に、そして汚れを勝ち抜いて聖い者にさせ てくださるような国を私たちの中にお立てになります。 主のお国は健康の国であります。 聖書の「マタイの福音書8章16節~17節」に次のように言われました。 「マタイの福音書8章16節~17節」『夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜ い、みもとに連れて来た。そこでイエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気 の人々をみな直しになった。これは予言者イザヤを通して言われた事が成就するためであ った。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』 主は私たちのうちから病を背負いになられて、私たちのうちに健康の国をお立てになられ るのです。主が呪いのいばらのやぶを除きになり私たちに祝福の国をお立てになられるの は言うまでもありません。そして主が私たちのうちに永遠ないのちの天国をお立てになら れることも言うまでもありません。私たちのうちに神様のいのちをくださり、天の御国の 市民権をくださって、この地で永遠な天の御国へ入って生きるように主が御業をなさるの であります。それで主はすなわち、悪魔の国を打ち壊して、主が親しく治める国をお立て になることを望んでおられるのです。主が王様になられて、そして聖霊がその国の支配に なられ、主の御使いと天の軍勢が主の国の軍隊となって、この国を霊でもって背後から治 める、主の御業を施しになることを望んでおられます。 聖書の「ルカの福音書17章20節~21節」に次のように言われました。 「ルカの福音書17章20節~21節」『さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人た ちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるように 来るものではありません。{そら、ここにある。}とか{あそこにある。}とか言えるよ うなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。』 と仰せられました。 主は、私たちのうちに神の国をお立てになられるのです。だから、今日に神の国が「ここ にある。」とか「あそこにある。」とか言えられません。主の御国は今、私たちのうちに あって、私たちのうちより、人から人へと伝えて行くものです。神の国は今、ヨイド純福 音教会に座られているみなさんのうちに来ているのです。イエスキリストを救い主とお受 けになられた人に神の国があり、この神の国は私たちの中の知識を通して力を得て、私た ちの中から強くなるのです。 聖書の「コリント人への手紙 第二 5章17節」に次のように言われました。 『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ 去って、見よ、すべてが新しくなりました。』 また、聖書の「コロサイ人への手紙 1章13節」に次のように言われます。 『神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださ いました。』 だから、皆さん、私たちは神の国の中にあり、神の国が私たちの中にあって、私たちは神 の国で過ぎ去って悪魔に縛られていた鎖から解けられている事を完全に悟って、5重福音 と3重祝福が私たちのものであることを頭の中から悟り知らなければならないのです。そ して、私たちは神の国を、祈りを通して完全に所有することができます。 聖書の「マタイの福音書11章12節」に次のように記録されております。 『バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、 激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。』 悪魔が長い間、神の国を奪っていました。今になって、私たちが神の国を知ったので、激 しく攻めて、すべての悪魔を追い出してから、神の国を占領しなければなりません。イス ラエルの民がカナンの地に激しく攻めて、神様から頂いた乳と蜜の流れるカナンの地を占 領したのように、私たちも、主が十字架を通してくだした5重福音と3重祝福のカナンの 地、神の国を信仰でもって激しく攻めてから、奪い取らなければならないのです。私たち が激しくせめるというのは、祈りでもって激しく攻めるのです。 私たちは主の御前で不退転の決心をして、神様の御前にうつ伏せて、神様がキリストを通 してくださった乳と密の流れるカナンの地を一つずつ激しく攻めていて、奪い取らなけれ ばならないのです。これを奪い取らなければなりません。私たちに設けてある膳も食べら れないことではいけません。 また、神の国は信仰を通して私たちのものになるのです。神様から与えられたすべては信 仰を通して持つことができます。神の国は人間の考えや目で見て、耳で聞いて、嗅いで、 味わって、手でさわることで持つものではありません。信仰で持つのです。目には何のあ かしが見えないで、耳には何の音も聞こえないで、手には掴まるものなくても神の国は私 たちが神様の約束を信じたなら、世の中から何も見えないで、何のあかしがなくても、み ことばに立って信仰を用いなければならないのです。 聖書「マルコの福音書 「マルコの福音書 11章22節~24節」に次のように言われました。 11章22節~24節」『』 神の国は信仰を活用しなければならないのです。神の国は感覚を活用してはいけないので す。何でも「信じます。」と言って夢をもって進めると、神の国が働くのです。 また、私たちは従順する生き方をすると神の国が深くより深くに望みます。 先ず、主日礼拝で神様に仕えて、私たちの収入から十分の一を主にささげて、また定期に してみことばを勉強して、黙想して、お祈りをささげて伝道する基本な生活をすることに よって神の国が私たちの中で働くようになるのです。そして、何よりも、神の国は聖霊に 満たされることによって私たちの中で溢れ出るようになるのです。 聖書「コリント人への手紙 「コリント人への手紙 第一 第一 2章9節~10節」に次のように仰せられました。 2章9節~10節」『まさしく、聖書に書いてあるとおり です。。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い 浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそ うである。」神は、これを、聖霊によって私たちに啓示されたのです。。御霊はすべての ことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。』 神様が、神の国を備えて、あなたがたと私にくださいましたが、それは、神の御霊が来ら れて悟るようにしてくださり、私たちが持つようにしてくださるのです。だから、神の御 霊は今、私たちと共におられ、私たちのうちにおられるから、いつも御霊を認めて、歓迎 して、受けまつって、頼りにして御霊と共に交わりを持つ時に、神の御霊はあなたがたの うちに神の国が深みに望み、その神の国の中で生きるようにするのです。 だから、主の最初の段階は、十字架を通して目に見えない神の国があなたがたの信仰と御 霊とお祈りを通してあなたがたの中に来るようにするのです。今、私たちはイエスキリス トを通して神の国の中に入っているのです。今、神の国が私たちの中に入ってきているの です。私たちは神の国の民として生きていかなければならないのです。私たちは世に属し ておりません。この地で生きていながらも、私たちはこの世で、神の国の中に入った人た ちであり、またキリストが私たちの中に神の国を来させてくださった人たちであるのです。 だから、私たちはパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ、一つのみことばに よって生きています。 聖書に「わたしの義人は信仰によって生きる。」と仰せられているように、今から私たち は目に見えるもので生きるのではなく、信仰によって生きていきます。 私たちはイエス様が十字架のもとで身を裂かれて、血をながされてから成してくださった、 そのカナンの地、神の国の5重福音と3重祝福を信じ、その中で生きています。 罪を赦してくださる神の国が与えられました。 愛と純真の神の国が与えられました。癒しの神の国が与えられました。 成功と祝福の神の国が与えられました。永遠ないのちと天の御国の神の国が与えられまし た。 この神の国が私たちの中に来ているのです。これらを私たちが信仰で受け入れて、私たち のたましいに幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得、また健康で、溢れるばか りのいのちを得て、得られた神の国を絶えず、伝えなければならないのでしょう。 現在、主の御国は私たちの中にあり、私たちの中から続けて自由と解放と勝利を持って来 るのです。そして、私たちの伝道を通して、神の国は人から人へと広まっていくのです。 伝道こそ、正に、神の国と神様の義であられるイエス様を求めることであります。伝道を するとき、神様の祝福が注がれるでしょう。 祈祷; 全能なり、聖なる父なる神様。 イエス様から神の国は「ここにある。」とか」あそこにある。」とか言えるようなもので はありません。いいですか。神の国はあなたがたのただ中にある。と仰せられたように、 イエス様が十字架の上で悪魔のすべての支配と権威の武装を解除して、悪魔のすべての支 配と権威を奪い取りになられ、主が神の国を、この地に来させたことに感謝致します。 私たちがイエス様に仕えて、この神の国の恵みを心から受け入れ、私たちの中に神の国が 深く根付いて、そして拡張して、また伝道を通して神の国が人から人へと広まっていて、 目に見えない神の国が、人の心でいっぱいになるように助けてください。 イエス様が王様となられ、すべての人たちはみな、その民となり、また聖霊様が来られて 権勢と能力で治めになられ、主の御使いと天の軍勢に囲まれて、陣を張られて、私たちを 守ってくださる神の国が私たちのうちにより深く来るように、父なる神様がなしてくださ い。 私たちの社会に御国が来るようにしてください。 私たちの国に御国が来るようにしてください。 この世界にご国が来るようにしてください。 イエス様の御名をあがめてお祈り申し上げます。 アーメン
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