第22回 - 保険のソムリエ エーアンドビーアシスト

保険代理店による保険コラム 第22回
ボランティア元年(阪神淡路大震災)
1995年(平成七年)1月17日午前5時46分に起きた阪神淡路大震災直後、
私は現地に入った。大阪から西宮まで電車で行き、そこから神戸市内までの10キロ
ほどは徒歩だった。倒壊した建物の間を神戸に向かう人が連なっていた。
街で見たものは、無残な光景と広場にあふれる避難した人たちだった。公園や校庭
にビニールシートや毛布の上で避難住民がごったがえし、その間を動きまわる若者が
いた。ボランティアの若者だ。
被災者とボランティアの人は、見分けがつかない。所属団体の腕章をつけている者
もいるが、ほとんどは何もない。だが、何となく雰囲気で見分けがついた。被災者と
は、「動き」と「顔つき」が違う。緩慢でどこか虚ろな被災者とは対照的なのだ。
灘区の山の手を回っていたとき、人気のない街の中で、5人の若者と出会った。手
伝う家を探しているとのことだった。山の手は倒壊の建物は少なく、住み続けている
人も多い。後片付けなどに人手が必要だろうとやって来ていた。
「向こうは人が多くて、何を手伝ったらよいかわからないのです」
下町の避難所に行ったが、ボランティアの人数が多く、やることが見つからなかっ
たらしい。大学生らしい彼らは、自分たちを必要としている家を探しに住宅街に消え
た。
震災直後から1か月間、一日平均約2万人のボランティアが被災地に入っていたと
いう。ボランティア初体験が6割、半数以上が十代であった。だが、自分の力を役立
てようと全国から集まってきた人たちを、統合指揮する仕組みやネットワークがなく、
することが見つからず帰っていくボランティアも多くいたようだ。
この年の12月、
「防災とボランティアの日」と「防災とボランティア週間」が創設
され、多くの自治体が災害時のボランティアの受け入れ体制整備とボランティアコー
ディネーターの育成が進められることになる。
あの、きびきびと動き回る若者たちと助けを必要とする家を探し歩くあの若者たち
が、「ボランティア元年」を創り出したのだ。
株式会社エイアンドビーアシスト
代表取締役会長 野 中 康 行