―農業機械の変遷―

平成 18 年 11 月 8 日(水)開催「朝食会」議事
―農業機械の変遷―
講師:(株)スズテック
代表取締役 鈴木康夫氏
◆講師プロフィール
平成元年
㈱スズテック入社
平成 14 年 代表取締役就任、現在に至る
◆会社沿革
昭和 21 年
鈴木農具鍛工所として宇都宮市で創業
農機具用刃物・犂先を製造
昭和 30 年 農用ティラー・耕耘機用作業機を製作
昭和 32 年 鈴木鍛工㈱を発足(資本金 100 万円)
昭和 41 年 平出工業団地に移転
昭和 43 年 水稲育苗用播種機を開発
昭和 61 年 ㈱スズテックに社名変更
◆講演趣旨
創業は昭和 21 年 11 月、今月満 60 歳を迎えた。これに伴いロゴマークを作成。
コンセプトは『感謝の心』。商品色を基調
に、環境をイメージする緑、コーポレート
カラーである青・赤・白の三色を使用して
いる。60 の数字は終りなき『無限記号』に
かけ企業継続を表す。企業発展の基礎をなす
お米をデザイン化。穂には 60 年間の歴史を
■ 60周年を記念するロゴマーク
鑑み 60 粒の実りをつけた。
【会社の歴史】
戦後の食糧不足の時代、東京田無市で零戦の製造を手掛ける中島飛行機に勤
めていた祖父が、出生地である栃木県に戻り農具の生産・販売を行なった。鍛
冶に従事していた経験を活かし「鈴木農具鍛工所」を創業した。物資不足の中、
古鉄材を原料にかいば用(牛・馬の飼料で細かく切った稲ワラのこと)ワラ切
機用刃物と牛・馬での犂耕に使用する犂先の生産を始めた。
現在、会社は宇都宮工業団地(俗称:平出工業団地)のほぼ中央に位置する。
主要取引先は農業機械業界の大手 4 社(㈱クボタ・ヤンマー農機㈱・井関農機
㈱・三菱農機㈱)のトラクタメーカー。農機業界総生産額の 4 割以上をトラク
タの数字が占め、名実共に業界の牽引役である。弊社はこの取引先に、トラク
タ用作業機及び水稲育苗用関連機器等を開発・製造・販売している。
【日本のコメ事情】
皆さんは、1 年間でどれくらいのコメを食べているかおわかりだろうか。日本
人一人当たりのコメの消費量はおよそ 1 俵(60kg)である。昭和 30 年代にはこ
の倍の量が消費されていた。高いと言われるコメだが、ご飯 1 膳あたりの価格
は 20 円程度に過ぎない。皆さんにもっと国産のコメを消費してほしい。
日本の耕作面積は 260 万 ha で、このうち 55%が水田、それ以外が畑や果樹
園などである。現在では減反のことを「生産調整」と呼んでいるが、水田の約
半分でコメの生産が行なわれていない。一部は転作、ほとんどが休耕田となっ
ている。年間 800 万トンの生産量は、年間消費量とほぼ同等であるが、最近で
は外食や弁当・惣菜を買って帰る中食なるものの消費により、外米(輸入米)
使用や政府の備蓄米を使用することが多く、水田は過剰であり、また農業に対
する助成金事業がパンク寸前であるなど、あらゆる面で需給バランスがとれて
いない。
ちなみに世界のコメ生産は、中国が生産量第 1 位(16,642 万トン)、次いでイ
ンド、インドネシアが占め、日本は 1.7%の第 10 位である。全世界では 5 億 9
千万トンの生産量(国連食料農業機関調べ)であるから、世界人口 65 億人で割
ると一人当たり 90kg となり、日本人の平均消費量の 1.5 倍になるが世界のコメ
生産は東南アジアに集中しており、コメに限っても食糧事情の偏りが伺える。
【農業機械の変遷】
農機総生産額(億円)
生産者米価(円/60㎏)
近年約 50 年間の農機総生 20,000
8000
産額と生産者米価の金額ベー
15,000
6000
スの推移を見てみると、いか
に密接な関係で時代を経てき 10,000
4000
たかがわかる。
5,000
2000
農機は、まさにコメの動向
0
0
に一喜一憂しながら成長して
25年 30年 35年 40年 45年 50年 55年 60年 2年 7年 12年
■農業総生産額と生産者米価の推移
きた。業界はトラクタ・コン
バイン・田植機を主に開発・販売する本機メーカー、その関連商品をつくる作
業機メーカーとで成り立っている。
農業の機械化の始まりは昭和 30 年代に遡る。時代は畜力からエンジンを中心
とする機械化農業へと転換する。米国から「メリーティラー」などの耕うん機
の輸入をきっかけに、国内でも研究開発が始まり約 30 社より商品化された。
まさに農業機械化の花盛りの時代である。ぬかるんだ圃場で重いトラクタの
耕うん作業は困難を極め、作業機メーカー各社は作業を補助するアタッチメン
トの開発に躍起になった。このことで技術革新が進み、歩行型耕うん機が乗用
型に変わるのに時間は要しなかった。機械化はあり得ないと云われていた田植
機も昭和 43 年に開発され、昭和 49 年のピーク時には、その出荷台数は年間 34
万台を数えた。しかし、現在は 5 万台に過ぎない。
業界は水稲のみならず、畑作・果樹・花卉・酪農や畜産、林業なども市場と
するが、その規模は水田市場には到底及ばない。さらにニーズが多種多様で、
一品一様的にオーダーメイドとなってしまう。つまり数少ない機械は、どうし
ても開発費用の割合が大きくなり価格に大きく影響する。よって高価のものと
なり、商品化・普及化は難しい。農業機械のコメとの密接な関係の所以である。
現在の農業機械市場は約1兆円であるが、様々な問題によるコメの生産調整
に比例しピーク時の 3 割減となっている。日本の農業が抱える問題点は、
「農業
従事者の高齢化」「婦女子化」「担い手不足」「環境保護」「生産履歴管理」など
限りがない。
【地産地消に産学官連携】
このような問題点を抱える中、
『元気な農業・豊かな農業』に向け、弊社では
地産地消商品の開発に注力している。農機の研究・開発をする「独立行政法人
生物系特定産業技術研究推進センター(通称:生研センター)」において、産学
官連携の「お見合いの場」が設けられる。各都道府県の抱える問題を民間企業
や大学側へ投げかけ、相互の技術を持ち寄り開発・商品化を推進している。
地元栃木県はニラ出荷量全国トップであるが、
約 10 年前、さらなる供給拡大に向け県はニラの
収穫作業と出荷調製作業の機械化を課題とした。
地元の問題であること、弊社のノウハウを活か
せることなどから手を挙げ、産学官連携の開発に
着手した。
ニラ農家の作業体系は 70%以上が最後の収穫・
調製作業に集中している。この手作業省力化こそ
が農家の規模拡大・中山間地域の作付拡大を促し、
県の農政課題「首都圏農業の推進」が図ることと
■県内ニラ調整機導入市町村(合併前)
となる。
農業試験場・大学・普及所・生産者、そして弊社のノウハウを結集し、約 3 年の
年月をかけ開発することが出来た。現在県内 17 市町村(合併前)に「ニラ出荷
調製機」が約 300 台が導入され、好評をいただいている。
【今後の取り組み】
日本の食料自給率(カロリーベース)は 40%と非常に低い。現段階ではお金
で海外から購入出来ている。しかし、近年人口 14∼15 億とも云われる中国が食
料輸入国になりつつある。お金で簡単に食料が輸入出来る時代もそう長く続か
ないかもしれない。政府は 10 年計画で自給率を 45%まで上げる大綱を出した。
弊社は今回の経験を基に、国の政策・時代の流れ・ニーズの変化など見極め、
自給率アップの一躍を担えればと「地産地消商品」の開発、低コスト農業の実
現に向けた省力化商品・合理化商品の開発を進めていく。
今後は海外市場への展開も視野にいれ、アジア各国との取引を検討していく。
近年、韓国や中国でも大規模な農機展覧会が多数開催されている。実際に弊社
の機械も導入されつつある。機械化に対する期待感を実感している。あらゆる
分野・商品において、めまぐるしく変化する現場に目を向け、スピードとコミ
ュニケーションをもって対応していくことが、低迷している国内農機業界には
大切な時代と考える。海外にも視野を向ければ、部品調達は基より商圏という
面でも無限のビジネスチャンスが広がっている。グローバル化も意識しながら
邁進していきたい。