第 15 号 発行日:平成 21 年 9 月吉日 発行責任者:千葉県支部長 群馬大学工業会千葉県支部便り 群馬大学工業会千葉県支部便り 編集:千葉県支部幹事会事務局 群馬大学工業会千葉県支部主催 ♪♪ 第 7 回見学会開催のご 回見学会開催のご案内 のご案内 ♪♪ 千葉県支部長 山田悦夫( ) 山田悦夫(37C) 拝啓 今夏は蒸し暑さに加え、台風や前線による豪雨と例年になく不順でしたが会員各位にはご健勝に お過ごしと存じます。 さて、今年で7回目となります群馬大学工業会千葉県支部の施設見学会を下記のように企画しました。 今回は、重粒子線ガン治療専用装置を世界で初めて開発・建設 し、高い成果を上げ注目されている放射線医学総合研究所を選定 いたしました。 今や日本人のガンによる死亡数は年間約 33 万人、総死亡の 3 割 を占めており(2006 年)しかも増加傾向にあります。 重粒子線ガン治療は難治ガンの治療、短期間の治療、手術しに くいガン、従来の放射線が効かないガンを治すなど、画期的な治 療法と言われています。治療開始以来 15 年、既に 5000 人近い実 績が有るとのことです。 此の成果を基に、我が母校の群馬大学医学部に普及型治療装置の 第一号機が建設され、平成 22 年 3 月に治療が開始される予定と聞 重粒子医療センター いています。 これを機に、先進医療の現状をつぶさに勉学して頂き、まさかの 時に備えることは大変有意義だと考えました。 今回も同窓生だけでなく、どなたでも参加頂けるオープン参加方 式で開催致します。ご家族やお仲間にも声を掛けていただき、多 数ご参加下さいますよう宜しくお願い致します。 敬具 記 群馬大学重粒子線医学研究センター 1.開 催 日: 2009 年 11 月 9 日(月)(雨天決行) 2.見 学 先: 独立行政法人 放射線医学総合研究所 (〒263-8555 千葉市稲毛区穴川 4-9-1 Tel 043-206-3026 ) 3.実施要領 (1)集 合:13 時 15 分、JR総武線 稲毛駅改札口前 (2)移 動:稲毛駅より徒歩にて約 10 分 (3)見 学:14 時 00 分~16 時 30 分 (4)解 散:16 時 45 分頃 4.出欠確認: 別添のハガキ、または、 E-メールでお願いします。 5.締 切 り:10 月 13 日(火)必着 6.同窓生懇親会:見学終了後 17 時頃より 稲毛駅近くの“浜包丁”で同窓生の懇親会を開催いたします。ご参加下さい(会費別途徴収) “放射線医学総合研究所とは 1957 年放射線と人々の健康に関わる総合的な研究開発に取り組む国内で唯一の研究機関として設立され 2006 年度から は、重粒子線によるガン治療や生体における分子レベルの異常の画像化(分子イメージング)を中心とした「放射線 に関するライフサイエンス研究」と万一に備える「放射線の安全と緊急被ばく医療研究」を 2 つの柱として様々な研 究をしている世界最先端を行く研究所です。 投稿 ≪提案≫ 第 6 回) 提案≫ “わたらせ” わたらせ”に投稿しよう 投稿しよう!!” しよう ” (第 幹事 島瀬省三( ) 島瀬省三(37C) 万太郎山の山荘には 2 日ほど泊まり、あたりの山を歩き回って少しは元気になって帰ってきた。桐生に 帰ると、総評系労組が中心になり安保改定阻止集会などを呼びかけていた。国会では安保闘争が徐々に高 まる中で、“革新(社会主義を標榜)政党”を自認していた社会党や共産党が好機到来とばかりに院外活 動に出て、“進歩的文化人”と共に安保改定阻止集会や街頭デモ行進を行っていた。 全学連主流派(ブント)は益々先鋭化して共産党から目の敵にされ、共産党傘下の民青グループと、こ とあるごとに対立していた。又、過激な行動をしては“機動隊”と衝突したりしていた。 私は父が桐生女子高校の校長であったため、集会には参加しないようにしていた。しかし 5 月 20 日を 境にして様相が一変する。この日、衆議院で新条約案が自民党の数を頼りの強行採決(審議らしい審議も しないまま)により可決された。その様子は何度も家庭のテレビに流される。 これを見て、一番に感じたことは日本の国会とはまるでヤクザ の集まりのようではないか?ということであった。“審議もへっ たくれもない、ただ親分の意向を察して動いているだけではない のか?これでは、主権在民なんてとても言えない。いまや、国会 (衆議院)を解散して“民意”を問うのが一番良い。”と強く感 じた。強行採決の場面をテレビで見た多くの人も民意を問うこと に賛同して翌日からのデモの呼びかけに参加したのだろうと思 う。テレビに流される岸首相(当時)の顔は薄笑いを浮かべ“日 本は法治国家である。法に則って処理しているのに何が悪い。確 かに国会周辺は騒がしいが銀座や後楽園球場はいつものように賑 わっている”とうそぶいている。テレビを見て多くの若いものは “何とかしなければ!”と思ったと思う。 “強行採決”をきっかけにして“民主主義の危機”が声高に叫ばれ、“安保条約が子供達を戦争に駆出 す”という飛躍したプロパガンダまで飛び出し、一般市民を巻き込んだ街頭示威行動が(大袈裟に言え ば)全国津々浦々に展開される。テレビからは“現状を何とかしなければと思い、初めてデモ行進に参加 した。”と言う一般市民のコメントが流れる。テレビメデ゙ィアが世論を形成した最初の例になったのでは ないか?と思うが、丁度、各家庭に普及したテレビによって日本中が沸騰していった。 今まで、デモ行進などはアカのすることと毛嫌いしていた一般市民もこの間(5 月 20 日~6 月 15 日) に、安保反対集会や街頭デモ行進に参加した人々は多かったのではないかと思う。国会議事堂の周囲を連 日デモ隊が取囲み、過激派学生がジグザグデモを繰り返していた。それらの様子が、時々デモ行進や座込 みに参加している“革新的文化人(演劇人や大学教授などの指導的教養人)”の映像と共に定時のニュー スで黒白テレビに流される。(映画館で見るニュースと同じで、ニュースは黒白の方が臨場感あって迫力 があるように思った。) 桐生でも、街中が沸騰していたように思うが、集会やデモ行進は地方都市のものだった。一度“織物会 館”の広場の集会に参加したことがあったが演説は空疎なものであり、1年生の時前橋で経験した学生集 会でのアジテーターのそれと変わりなかった。 英語教師である父はこの様子を見て“日本人は『天孫民族』だと言っていたが、真に『テンション民 族』だなあ・・圧力が加わると皆同じ方向に向かって走って行く。戦争に向かっていく時もそうだっ た。”と述懐していた。(私はこれに“まるで、磁場における砂鉄のように”という修飾語をつけて“自 己が確立してない”日本人の国民性を表している。) そんな中、6 月 10 日には東京国際空港(当時,今の羽田空港)にハガティ-新聞係秘書(今なら大統領 スポークスマン)が空港から移動中、空港周辺に詰掛けた全学連を中心としたデモ隊に取囲まれ、身動き が取れなくなり米海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件があり、アイゼンハワー大統領の訪日が 取止めになったりした。 <<続く>> ♪♪ 支部より 支部より “E メール受信募集 メール受信募集” 受信募集 ♪♪ これまでにご賛同頂いた方には紙面を借りて御礼申し上げます。未だご連絡を頂いていない皆様、是非 とも趣旨にご賛同頂きメールアドレスの提供協力をお願い致します。方法としては下記のアドレスへ「空 メール」を送って頂ければ結構です。 頂いたメールアドレスは千葉県支部内の情報連絡以外には利用しないよう厳重に配慮致します。 [空メール] [email protected] 山田悦夫 (千葉県支部長) メール]送付先: 送付先 千葉県支部長) 投稿 ♪♪ 今日の 今日のアフターダイビングは アフターダイビングは何を食べる?( べる?(その ?(その1 その1)♪♪ 橋爪準一( ) 橋爪準一(57W) 私たち夫婦は、スクーバダイビングと乗馬を共通の趣味としています。どちらも、二人同時に始め、今も 二人で楽しんでいます。先日、某先輩方との暑気払いの席でダイビングの話をしましたところ、「そんなに 楽しい事だったら、ぜひとも皆さんにお知らせしろ!」という事になり、今回、「わたらせ」に書かせて頂 く事になりました。我々のダイビング歴も長くなりますので、数回に亘ってお付き合いをお願い致します。 私は、群馬大学卒業後、一般企業に5年間勤めた後、中小企業事業団(当時)の中小企業大学校を経て中 小企業診断士の資格を取得し、鉱工業部門の経営コンサルタントとして独立しました。3年位たった頃、一 緒に仕事をしていて、また、いつも大変お世話になっている大先輩の K 氏から妻の雅子と一緒にダイビング をやらないかと誘われました。 K 氏は、何年も前からスクーバダイビングにはまり、年に数回、主に海外で潜っています。気の合った仲 間達と一緒に南の島でダイビングをする事は本当に楽しいと私たちに熱心に話していました。 私は、小さい頃から伊香保のカッパ(私の出身は、“いかほおんせん にほんの めいとう”の上毛カル タで有名なあの伊香保です。)と呼ばれておりました。群馬の山奥で育った私は海への憧れも強くありまし た。ダイビングを始めたいと思う気持ちは日に日に強くなりました。 ただし、一つ問題がありました。妻の事です。実は妻は泳げないのです。水もお風呂以 外は怖いようです。また、彼女は声楽家で、ステージに立つことが多いので日焼けを極端 に嫌います。この2つの理由からダイビングをやりたくないと言っておりました。 K 氏から誘われて何ヶ月も経つのに私達がなかなか始めようとしないので、業を煮やし た K 氏は私に「ダイビングをしないならもう一緒に仕事をしないぞ!」と脅しにかかり ました。やっと仕事が軌道に乗ってきたのに、K 氏から三行半を突きつけられたら本当に 困ってしまいます。ついに私は妻にどうしてもダイビングをやってくれるように何度も何 度も頼みました。妻も私の仕事に影響が出ては大変だとやっと OK を出してくれました。 ただ、その条件として、「彼女がどんなにグズグズしていっても、どんな失敗をしても、絶対に声を荒げた り、怒鳴ったり、冷たくしたり、放り出したりしない」ということでした。そんな事ぐらいお茶の子さいさ いですので、すぐその条件を呑みました。 いよいよ、私のダイビング計画が始まります。まずは、潜るためには C カード(Certification Card)とい う認定証(免許書)が必要です。この資格を得るためにダイビングスクールに行かねばなりません。 その場所を私は沖縄に決めました。近いところで、通いで資格を取る事も可能ですが、せっかく嫌々なが ら妻もやる気になっているので、沖縄のほうが旅行気分でいいでしょう。又、沖縄には彼女の大好きな学生 時代の先輩もいます。彼女のモチベーションを上げるためと偵 察をかねて、まずは沖縄旅行を計画しました。1991 年 3 月の事 です。 ホテルは、昭和天皇も泊まったという、当時、沖縄で No.1 の ホテルハーバービューを選び、昼間は沖縄観光、夜は毎晩妻の 先輩夫婦と沖縄の夜を楽しみました。私のモクロミどおり妻は 沖縄がすっかり気に入ったようです。 彼女に言わせれば、沖縄旅行に行く前は、“ダイビングをし たい”が 3 で、“したくない”が 97 だったところ、旅行に行っ てから“したい”が 10 になったという事でした。それでもまだ “したくない”が 90 です。彼女の気が変わらないうちに、旅行 沖縄慶良間(ケラマ)諸島のアオウミガメ から帰って私はすぐに資格を取るための準備を始めました。 今回はここまでにします。次回は資格を取りに行った時の事を書きます。 <<続く>> ♪♪ ゴルフ同好会 ゴルフ同好会より 同好会より ♪♪ 第 6 回春季例会報告(6 月 11 日に予定したが雨でドローになったので 9 月に行った。) 開催日: 9 月 3 日(木) 場所:千葉よみうりカントリークラブ 成績は下記の通りでした。 優 勝 : 荒 井 明 彦(35C) NET 71.4 準 優 勝 : 武 田 昌 久(35C) 〃 72.4 3 位 : 山 田 悦 夫(37C) 〃 74.8 次回、第7回秋季例会を 11 月 19 日(木)同じ“千葉よみうりC・C”で行います。 参加を希望される方は [email protected] 島瀬省三までメールして下さい。 ♪♪ 大学時代の 大学時代の思い出(前橋編)( 前橋編)(その )(その1 その1)♪♪ 投稿 諏訪原 俊一 (46K) 確か、昭和 42 年 3 月 31 日(?)だったかと思いますが、私は NHK の朝の連続ドラマ「おはなはん」 の最終回を視た後、一か八かの思いで東京工大の会場で受験した群大工学部入試の合否を見るため、成 田から電車を乗り継いで、桐生の工学部へ行きました。ちょうど、春の高校選抜野球で稲川東一郎監督 率いる桐生高校が甲子園で試合をしていました。 駅からバスに乗り、天神町1丁目のバス停で降り、工学部の門を入り、工学部 化学館の掲示板に張り出された筆で書かれた私の受験番号の「六三四六」番 (縦書き)を見つけたとき、そのときの感激は今でも鮮明に蘇ります。 掲示板の前で、食い入るように受験番号を見る私に工学部の事務の人(?) が、「留年しないで桐生に来るように前橋でしっかり勉強しなさい。」と言葉 をかけてくれましたが、できの悪い学生と思われたのでしょうか。 とても合格できると思っていなかったので、大学側から試験の最終日に紹介の あった前橋の養心寮への入寮願を提出していなかった私は、急遽、母(昨年 8 月に亡くなった)と二人 で前橋に下宿探しに行き、下細井(上細井?)町に下宿をすることにしました。その下宿は新しく、部 屋も新築のようにきれいで、鶏を飼っており、毎日、生卵を食べさせてくれました。 入学式の日、教員をしていた母は仕事柄、私の小・中・高の入学式には来ることはなく、いつも親戚 の人に来てもらっていましたが、大学は自分一人でした。 入学式後のオリエンテーションも済み、高校とは全く違った大学の 授業が始まりましたが私は何かしっくりと来ない日々を送っていまし た。下宿で一人部屋にいるよりも、いつも周りに誰かがいる寮で暮ら したいと思うようになっていました。 当時、養心寮には高校の同級生とバスケット部の後輩がいました。 たまたま、大学の掲示板で養心寮の追加募集があることを知り、す ぐさま応募したところ、他に応募者がいなかったのか、入寮させてい ただくことができました。半月にも満たない下宿生活でした。下宿の 小母さんには申し訳ないことをしました。 入寮に際し、「はんこもらい」という入寮の儀式がありました。寮 のすべての部屋を訪れ、その部屋の住人と自己紹介などしてコミュニ ケーションを図った後「はんこ」を押してもらうのです。 先輩の中に、星野富弘さん(中学校でクラブ活動を指導中、首の骨 を折る怪我により手足の自由がきかなくなるも、筆を口にくわえて創 作された詩画が多くの人の感動を呼んでいる。)がいて「大変です ね、よろしくお願いします」と優しく挨拶をしてもらったことを憶えています。 <<続く>> ティータイム 漢字足し 漢字足し算クイズ 下記は漢字を構成するパーツです。それぞれ 5 ヶのパーツを組み合わせて 2 文字の漢字熟語を作ってく ださい。パーツの順序はバラバラです。 回答は次号で。 ① ③ ⑤ ⑦ ⑨ 日+木+生+斤+立=□□ 口+辰+酉+夂+曲=□□ 米+占+田+广+ノ=□□ 一+白+宀+羽+了=□□ 木+弋+女+イ+宀=□□ 前号の 前号の回答 ① 日+日+竹+勿+門=簡易 ④ 王+女+イ+ヽ+宀=安住 ⑦ 反+心+土+ク+ヨ=急坂 ⑩ 月+月+尸+寸+一=肩肘 ② ④ ⑥ ⑧ ⑩ 刀+呉+角+言+牛=□□ ム+戸+弓+月+虫=□□ 日+ク+糸+巴+京=□□ 广+彡+又+采+廿=□□ 日+心+ノ+土+亜=□□ ② ム+意+力+土+イ=億劫 ⑤ 口+頁+隹+口+戸=回顧 ⑧ 日+成+立+心+言=誠意 ③ 父+云+木+亠+車=転校 ⑥ 西+冖+一+己+車=軍配 ⑨ 廿+十+广+又+又=支度
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