CaCN 2 の熱分解利用した鋼の 新しい窒化処理技術とその特徴 藤田英人・工藤 修・古矢 守・岩瀬正則・時實正治 New Nitriding Technology of Steels Utilizing the Thermal Decomposition of CaCN2 and its Characteristics Hideto FUJITA, Osamu KUDOH, Mamoru FURUYA, Masanori IWASE and Masaharu TOKIZANE 熱 処 理 第35巻第6号(1995)別冊 技術論文 CaCN 2 の熱分解利用した鋼の 新しい窒化処理技術とその特徴 藤 田 英 人 * ・ 工 藤 修 * ・ 古 矢 守 * ・ 岩 瀬 正 則 ** ・ 時 實 正 治 *** New Nitriding Technology of Steels Utilizing the Thermal Decomposition of CaCN2 and its Characteristics Hideto FUJITA, Osamu KUDOH, Mamoru FURUYA, Masanori IWASE and Masaharu TOKIZANE [概 要] CaCN2を主成分とする石灰窒素の熱分解反応を利用し,この粉末を窒化媒体として開発した鋼の新 しい表面処理技術としての EH プロセスについて,その化学熱力学的背景を明らかにするとともに, このプロセスを工具鋼(JIS-SKD61)の 500℃での窒化ならびにステンレス鋼(JIS-304)の430℃での 窒化に適用した結果,このプロセスが,アンモニアガスの分解による窒素を直接利用する従来の「ガス 窒化法」とは異なり,これを固体媒体を通して間接的に利用する新しい技術であり,被窒化鋼試料の 細孔や深孔内の表面にも,通常表面とほとんど変わらない均一な窒化層を形成しうる技術であること を明らかにした。 (1995年5月19日受理) の型鋼の表面硬化に対して実施してきた。ここでは,こ 1. 緒 言 のプロセス(以下,EH プロセスという)の機構的な特 鋼の表面硬化法にアンモニア(NH3)の分解反応によ る窒素を利用することは1924年にすでに開発 (1) された 徴を,具体的な表面処理の実験結果とともに述べる。な お表面窒化処理実験は主として工具鋼について行ったが, 古い技術である。近年における急速な緒工業の発展に伴い, 補足的に現在検討中の前処理法を施したオーステナイト 各種の産業分野における金型の需要は著しく増大すると 系ステンレス鋼試料についても検討した。 ともに,それらについての過酷な使用条件が要求される 2. EH プロセスの特徴 ようになり,このような要望に応えるべく,さまざまな タイプの新しい表面処理技術の開発がなされてきた。 2.1 EH プロセスの構成 しかしながら,アンモニアの分解に伴って発生する窒素 ポテンシヤルを利用した鋼の表面硬化法は「ガス窒化法」 EH プロセスは,図1の模式図に示すように,窒化処 と総称される技術として,現在もその効率や生産性の向 理しようとする綱片をマッフル内に充填した粒状の石灰 上に対して非常に多くの関心がもたれている。 窒素(主成分は われわれは,工具鋼や高速度鋼を主体に各種の型材に 20torr)したのちに,窒素をキャリヤー・ガスとしてマッ ついて,ガス窒化法による表面硬化処理技術の安定化と フルの側壁に設けたノズルからアンモニアを導入すると 均一化を目標に種々の検討を行ない,「EHプロセス」 と ともに,マッフルを外側の内熱式タンクにより窒化温度, CaCN 2 )中に埋めて密封し,減圧(約 よぶ新しい技術を確立し,このプロセスを工業的な各種 炉体 * ** *** リヒト精光㈱(Rihito Seiko Co., Ltd.) 京都大学工学部,工博(Faculty of Engineering, kyoto University) 立命館大学理工学部,工博 (Faculty of Science and Engineering, Ritsumeikan University, 6 Iwakura Minami-Osagi-Cho Sakyo-ku kyoto 606) マッフル ガス排気 ガス送入 石灰窒素粉末 (CaCN2) 処理品 この技術は,リヒト精光㈱で開発したものであるが, これを中心に新たに別会社「Edison Hard ㈱」を設立 して工業化したので,同社の頭文字をとり「EHプロ セス」とよんでいる。 平成7年12月 (349) 真空ポンプ 図1 EH プロセス装置の模式図 熱処理35巻6号 の関係に基づき, 例えば500℃,に加熱保持することにより,CaCN2の熱分 解によって生じた高い窒素ポテンシャルによる綱片の G(T)=−89115+17.5 T 窒化が進行し,外部から導入するアンモニア・ガスの分解 −T〔17.5ln T-73.6〕 による窒素ポテンシャルの補給により,この窒化反応を (6) となる。そこで(6)式について窒化温度域に対応する 安定の継続させることができるようになっている。 600∼800K(327∼527℃)付近の各種の温度におけるG(T)の 2.2 CaCN2の熱分解反応とそれに伴う窒素ポテンシャル 値を計算し,それらの結果に基づきCaCN 2の自由エネル CaCN 2は雰囲気中の微量の酸素と反応して次式のよう ギーの推定値を表1に示すように決定した。次に,Barin に分解することが予測される。 とKnackeのデータ (5)から(1)式反応に関与する各物質 2CaCN2+1/2 O2=CaO+CaC2+2N2 の各温度における自由エネルギーの値を示すと表2のご (1) とくである。この表には,上述のCaCN2の自由エネルギ この反応が実際に起こるかどうかを確認するためには, ーの値も併記してあるが,この表の値に基づいて(1) この反応に伴う自由エネルギー変化を知ることが必要で 式反応に伴う標準自由エネルギー変化,⊿G 0を計算する ある。そのためには,両辺の各物質の標準生成自由エネ と,表中の右欄に示すような値が得られ,これらはいず ルギーの値が必要であるが,CaCN2については298Kにお ける標準生成エンタルピーの値 H o(298)=−351KJ/mol= れもかなり大きな負の値になることがわかった。このこ −83.89 Kcal/mol (2) とは(1)式反応が検討温度域で明らかに右に進行する ことを示唆するものといえる。次に表2の⊿G 0と(1) 以外の熱力学的データは見いだせな い。ところが, Kellog (3) 式反応の平衡定数,Kの関係; の近似法によると,この化合 物のCp (298) の値は17.5 cal/mol・Kと推定される。した ⊿G 0=−RTInK=RTInPN21/2/PO21/2 がって,任意の温度におけるCaCN 2の標準生成エンタル ピーは, H(T)=H o(298)+ T ∫ C dT p (298) (7) から各温度におけるPNとPoの関係を求めると,図2の直 接関係を満たすことがわかった。そしてこの図は, ( 1) (2) 式反応により,著しく小さな酸素ポテンシャルのもとで の関係により, H(T)=−83 900+17.5(T−298) (cal/mol) (3) 実質的にはほとんど温度に無関係にきわめて大きな窒素 が綱片に対するきわめて優れた窒化媒体であることを示 で示される。 唆している。 ポテンシャルが得られることを示しており,CaCN 2粉末 次 に , C a C N 2 の 2 9 8 K に お け る エ ン ト ロ ピ ー の 値 は, Latimer (4) の推定法に基づき,S o(298) =26.1 cal/mol・K 2.3 アンモニア・ガス供給によるCaCN 2の窒化媒体と しての安定化 と推定されるので,任意の温度におけるエントロピーの 値は, S(T)=S o(298)+ T ∫ C /T・dT (4) (298) 上述のように,CaCN2粉末はきわめて優れた窒化媒体で p 表1 種々の温度におけるCaCN2の自由エネルギーの に基づき, S(T)=26.1+17.5 (lnT−ln 298) 推定値 =7.5lnT−73.6 (cal/mol・K) (5) T(K) G(T)cal/mole 600 −102 000 で示される。したがって任意の温度におけるCaCN 2 の 700 −106 000 自由エネルギーは, G(T)=H(T)−TS(T) 800 −110 000 表2 (1)式反応の各成分の自由エネルギーとこの反応に伴う標準自由エネルギー変化 (cal/mole) T(K) CaCN2 O2 CaO CaC2 N2 ⊿G 0 600 −102 000 −30 257 −158 604 −26 164 −28 292 −124 223 700 −106 000 −35 733 −160 441 −29 128 −33 424 −132 551 800 −110 000 −41 319 −162 455 −32 493 −38 661 −141 611 平成7年12月 (350) 熱処理35巻6号 20mm 図2 CaCN2熱分解反応におけるPo2とP2の関係 写真1 SKD-61鋼のブロックで組み立てたスリット あるが,それ自体がある系内に鋼片とともに密封されて 付き試料の外観 いると,熱分解により放出した窒素は鋼片中に吸収され, 系内の窒素ポテンシャルはしだいに低下し,窒化反応の 進行は不安定になっていく。ところが,EHプロセスでは マッフル内に外部からアンモニア・ガスを供給し,その 高い分解窒素分圧によってCaCN 2を修復し,結果的には 常に安定した分解窒素ポテンシャルを維持する粉末媒体 として,これと密接する鋼片に対して継続的に窒化作用 をもたらす。すなわち,図2に示すように直線の左側では CaCN 2の分解,右側では生成反応が起こるわけで,適宜 に制御されたアンモニア・ガスの供給を継続することに より,鋼片表面ではその形状がいかに複雑であっても, これと密接しているCaCN 2粉末を媒体として,安定に, そしてきわめて均一に窒化が進行することになる。この (a)組立図 (b)ブロック側面の形状 点が,EHプロセスの,アンモニアの分解反応によって生 成する窒素ガスを直接利用する従来の一般的な「ガス窒 図3 SXD-61鋼のブロックで組み立てたスリットを 化法」と機構的に異なる点である。 含む試料の組立図とブロックの形状 3.EHプロセスによる工具鋼および ステンレス鋼の窒化 けている。この試料のブロックは真空炉で780℃× 1.5hr加熱後引き続いて1025℃×1.5hr加熱後ガス冷却で焼 き入れし,620℃×1 hrの焼戻しを2回繰り返したもので 3.2 実 験 方 法 ある。この試料について500℃×10hrのEHプロセス処理 前章で述べた熱力学的解析に基づいて考えられたEH を施した。この場合,アンモニア・ガスとキャリヤー・ プロセスにおける窒化機構から,このプロセスによれば ガス(窒素)の割合は70:30とし,この混合ガスを,マ 従来の「ガス窒化法」では困難と考えられる被窒化鋼片 ッフルの有効内容/hrの流量でマッフル内に供給した。 中の細孔や深孔の内面への均一な窒化層の形成も可能で このようなEHプロセス処理を行なった試料の構成ブロッ あると考え,このことの検証を試みた。そのために,JIS- クの表面の硬さ分布を微小硬度計(荷重:300g)で測定 SKD61鋼の3枚のブロックを用いて間にスペーサーを入 した。測定は図3(a)に示すブロック①,②および③の れることにより,写真1に示すようなスリットのある試 それぞれA,B面,C,D面およびE,F面について,いず 料を作製した。この試料の概略の組立図とブロックの形 れも(b)の1,2および3で示す位置について行った。ま 状はそれぞれ図3(a)および(b)に示すごとくで,ブ たブロック②についてはD面を表面とした断面,ブロッ ロック①と②および②と③の間にはそれぞれ1および0.1 ク③についてはE面を表面とした断面(いずれも位置1,2, ㎜ 幅で深さ40㎜ (試料の高さに相当)の薄いスリットを設 3点をよぎる)の硬さの,表面からの深さに伴う変化を 平成7年12月 (351) 熱処理35巻6号 表3 EHプロセス処理したSKD-61鋼試料の構成ブロック 各表面の硬さ(HV)分布 ブロック A 面 位 置 ① ② B C ③ D E F 1 1 256 1 306 1 282 1 306 1 336 1 347 2 1 294 1 314 1 282 1 314 1 347 1 336 3 1 294 1 304 1 294 1 304 1 314 1 314 測定するとともに,これらの断面の5%ナイタル腐食によ る組織観察を行なった。さらに,アンモニア・ガスによ る均一な窒化が一般に困難とされているオーステナイト 系ステンレス(SUS-304)鋼製の市販の注射針(外径:400 μm,内径:220μm)に,吉野ら(6)が行ったのと類似 図4 EHプロセス処理した試料のブロック②および③の の表面活性化処理を施した試料について,430℃×20hr 断面における表面よりの深さに伴う硬さの変化(○ のEHプロセス(この場合キャリヤー・ガスは水素とし, はD面,●はE面を表面としたもの) アンモニア・ガスと水素の比を60 : 40とし,この混合ガ スを,マッフルの有効内容積/hrの流量でマッフル内に供 給した)で処理し,その長さ方向の中央部での垂直断面 の組織観察を行った。 3.3 実験結果および考察 表3に,各ブロックの各面についての硬さ分布の測定結 果を示す。これらの結果を見ると,各ブロックの表面硬 さはいずれもHV1250∼1300の高い値を示し,面間なら びに位置による有意差はほとんど認められない。このよ うな結果は,EHプロセスによれば1あるいは0.1㎜幅の狭 いスリットの内側でも,外側とほとんど同様に,均一な 窒化による表面硬化をもたらすことが可能であることを 如実に示している。 次に図4に,ブロック②の断面の表面(D面)からの, 100μm またブロック③の断面表面(E面)からの深さに伴う硬 さの変化を示す。この結果によると,0.1㎜ 幅のきわめ て狭いスリット内面でも,十分な厚さ(60μm)の硬化 写真2 層(>1000HV)がEHプロセスによって均一に形成され EHプロセス処理したSKD-61鋼ブロック②の 断面(D面を表面とする)の光学顕微鏡組織 ることがわかる。このことは,写真2に示すブロック②の 断面の表面(D面の位置2近傍)層の組織例からも明らか である。 4.結 論 さらに,EHプロセス処理した304ステンレス鋼製注射 石灰窒素の主成分であるCaCN 2の熱分解反応とアンモ 針の垂直断面の組織を写真3に示す。これは塩化第ニ鉄溶 ニア・ガスの供給を組み合わせて,CaCN 2粉末を窒化媒 液(塩化第ニ鉄5g+塩酸50cc+水100cc)で腐食顕出した 体として利用する,鋼の新しい表面処理技術であるEHプ 組織である。ここに見られる同心円状の白色の相は, ロセスについて,その化学熱力学的な機構の解折と,こ S相(7)に対応する窒化物相と推定される(この点に のプロセスによる工具鋼(JIS-SKD61)およびステンレ ついては今後さらに検討を要する)が,針の外周と内周 ス鋼(JIS-SUS304)についての表面窒化実験を行い,次 のこの相の厚さはほぼ等しく,また均一である。この結 のような結論を得た。 果は,EHプロセスによれば,このような著しく細い(約 (1) 石灰窒素の主成分であるCaCN 2は,きわめて低い酸素 220μm)細孔や深孔の内面にでも窒素を侵入させ,均一 分圧のもとで熱分解による大きな窒素分圧を発生し,ま に窒化を進行させることが可能であることを示している。 たアンモニア・ガスの供給による高い窒素分圧により 平成7年12月 (352) 熱処理35巻6号 参 考 文 献 (1) Fry, A. : Stahl u. Eisen, 43, p. 1271 (1987). (2) 日本化学学会編:化学便覧(改訂3版)基礎編Ⅱ, p.Ⅱ-306 (1984). (3) kellogg,H. H. : Application of Fundamental Thermodynamics to Metallurgical Proceedings of the First Conference on the Thermodynamic properties of Materials,Edi.by G. R. Fitterer, Gordon and Breach Science Publishers, New York, p. 357(1967). (4) Latimer, W. M. : J. Amer. Chem. Soc., 73, p. 1480 (1951). (5) Barin, I. and Knacke, O. : Thermodynamical Properties of Inorganic Substances, SpringerVerlag, Berlin, Heidelberg, New York, p.174, 180, 200μm 584, 595, (1973). (6) 吉野 明,田原正昭,仙北谷春男,北野憲三:日本 写真3 金属学会秋期大会講演概要集,p.442 (1991). EHプロセス処理したSUS-304鋼製注射針断面の (7) 市井一男,藤村侯夫,高瀬孝夫:熱処理,25,4,p. 光学顕微鏡写真 191 (1985). 修復されるので,アンモニア・ガスの分解反応を利用す る場合の粉末窒化媒体となり,鋼の表面窒化に際してき わめて有効な働きをする。 (2) 工具鋼SKD-61を用いて狭いスリットを備えた試料 を作製し,500℃でEHプロセス処理した結果,この処理 によりきわめて狭い(幅:0.1㎜,深さ:40㎜)スリット内 面でも,試料表面とほとんど変わりなく,高い硬さの均 一な窒化層が生成した。 (3) ステンレス鋼SUS-304製の細い注射針(内径:220 μm)を試料として430℃でのEHプロセス処理を行った 結果,このような極細深孔の内面にも,この処理によれ ば均一な窒化層を形成しうることが明らかになった。 平成7年12月 (353) 熱処理35巻6号
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