Gaia 21世紀のキーワードは「自然との共生」。私たち は、 もっと自分たちの住処・地球について理解を 深 める必 要 があるでしょう。今 年 の F I N D は 、 肌で地球を感じ「大地の女神」と語らう人々に話 を聞き、地球について考えるヒントとしていきます。 を産みつけられる。 いったいどんな感覚なのか。私たちの生活は、常に時間とともにあ 何より九里さんを精神的に苦しめたのが風景の単調さである。当 る。時計は否応無しに時を知らせてくる。しかし、悠久のアマゾンで 時の日記に、 こんな記述が残っている。 は違う。 「ブヨ…………かゆい 「1000キロ川を下っても景色はまったく変わらない。1000キロ移動 アセモ…………かゆい した事実はあるんですが、時の概念がなくなる。そのうち1000キロ移 あつさ…………だるい 動した事実もあやふやになってきます」 風景…………変化なし ときおり日本語の短波放送を聞く。かすかにアナウンサーが日時を 次がない。 告げるのが聞こえる。自前のカレンダーに記録していた日にちと実際 時間が過ぎていく。 の日にちがズレていたこともしばしばだった。 いや時間の過ぎていくのがわからない。 「それでも過ぎている時間は同じなんです。昨日の夕日はきれいだ 知らない間に1日が過ぎ、 また1日が来る。 った。おとといもその前の日もきれいだった。昨日の朝日はすがすがし 今日があさってでも4日前でも同じなのだ」 かった。おとといもその前の日もすがすがしかった。毎日夕日は美しく、 進めども進めども続く同じ風景。茶色い川に緑のジャングル、水色 朝日はすがすがしいんです。それじゃあ今日っていったい何なのか、 の空。同じ場所から太陽が昇り、同じ場所に沈んでいく。これが35日 明日っていったい何なのか、 自分っていったい何なのか。こうしたこと 間続いた。 が、 まったくわからなくなってしまいます。無の状態とでも言うのでしょ 「出発は上流ですから川幅は狭かった。下流に行くにしたがって うか。でも、 そういうときこそ自然と融合したというか、一体化した状態 だんだん広くなっていきます。周囲の村に住んでる人々も違います。 なのだと思います。いちばん強く自然を感じた瞬間だと思います」 厳密には変化してるんですが、実感はありませんでした」 本流に入ると雨季になった。日に日に雨が多くなり、水量も増えて カヌーを操り、 自転車を駆って、原野や河川を抜ける。 冒険家 、九里(くのり)徳泰さん。 高速 移動は空間を無視すること カヤックのスピードが上がるのはいいが、 これまでテントを張っていた 人力の旅だからこそ自然のすばらしさを感じてきた九里さん。一方、 砂浜が川に没してしまう。川岸のジャングルは密生していて寸分たり 私たちの生活を振り返ってみると、飛行機や電車などの交通手段な とも上がる余地はない。だから四六時中カヤックの上で過ごす。寝る しに移動することなど考えられない。ほとんどの人がそうだろう。高速 時もカヤックに乗ったまま。狭いコクピットでは体を伸ばして寝ることも で移動することは確かに便利だ。だが、 それによって失うものも多い できないし、寝返りも打てない。 と九里さんは考えている。 「7泊8日間をカヤックの上で過ごしました。食事もカヌーの上でバ 現在、九里さんは月に1度、東北地方に取材に出かける。通常、 自 ランスを取りながら作って食べました」 転車で青森まで約10日間。ある時、東北新幹線を使った。 この間も周囲の風景はまったく変わらない。茶色い川に緑のジャン 「東北の温泉を出て4時間後には自宅まで戻ってきてしまう。自分 グル、水色の空。次第に九里さんの感覚が変調する。 の感覚では、 まだ東北にいるつもりなんですが、体は家で仕事をして 「どこにいるのかまったくわからないという川下りを続けているうちに、 いる。いったい自分は何をやってるんだろうと思います。僕はどこに行 時の感覚が薄らいできました」 くのにも藤沢の実家から自転車で走っていました。韓国に行ったとき も下関まで2週間。関釜フェリーで釜山に渡り、釜山からソウルまで5 “人力”の冒険だからこそ感じる自然との一体感を聞く。 日間くらいでつきます。自分の尺度はいつも1日に自転車ですすめる 取材・文/橋本淳司 距離なのです。そういう感覚が僕の中にあるので乗り物に乗ると違 和感を感じます」 交通機関のスピードは、 ここ数十年で爆発的に進化した。ほんの Profile ちょっと前までは泊まり掛けの出張だったものが、飛行機を使えば簡 単に日帰りできる。 現在位置を捕捉するGPS。さらに現地で買った米10kg、缶詰め、 ガ くのり・のりやす ソリン4リットルなど2週間分の生活必需品。2人の腕力と川の流れだ 「しかし、 目的地までの空間を無視することになってしまいました。 北峰(6959m)では、登頂した後に標高差約2000mを自転車で下降 冒険家。中央大学政策文化総合研究所研究員。大学在学中はサイ けを頼りに人力のアマゾン下りはスタートした。 A地点からB地点までの移動を体感できません。動物の移動方法と エンジンやモーターに頼らず、人力で地球の原野や河川を駆けめ したこともあった。21歳の時にはチベット高原3000kmを自転車で横 クリング同好会に所属。日本全国を自転車で周遊の後、韓国、 チベッ 川下りというと、のんびりしたものをイメージするかもしれないが、 ア しては不自然です。戦後50年で世界中の移動スピードが2乗倍に早 ぐる冒険家・九里徳泰さん。人力だから自然に溶け込むこともできるし、 断。標高4000∼5000mの「世界の屋根」は酸素が薄く、夏でも雪が ト、 シルクロード、 ネパール、パキスタン、 アルゼンチン、 チリ、 カナダ北極 マゾンの自然環境は過酷だ。九里さんが下った2∼4月は乾季から くなりました。飛行機や自動車でさえ最近のものです。そのスピードに 北南米大陸の人力地球 縦断 パキスタン、 アルゼンチンなどを次々に走破。南米最高峰アコンカグア たくさんの人にも出会える。車や飛行機では味わえない「人力の旅」 降る厳しい気候だった。そして大学を卒業した1989年、北南米大陸 圏を自転車で走破。その間にネパール・ヒマラヤのイムジャ・ツェ (6160 雨季に変わる時期である。乾季は飲料水は確保しにくいが、病気も 人間は果たしてついていけるのでしょうか。僕は人間が動物である の魅力を全身で感じている人である。 の人力地球縦断を始め、7年かけて北極から南極までの2万8000 m)に登頂、次いでアンデスの最高峰アコンカグア北峰( 6959m)に 発生しにくい。雨季は飲料水は確保しやすいが、病気も発生しやす ことを忘れてはいけないと思います」 「自転車でもカヌーでも徒歩でもいいんです 。ともかく自分の力で kmを自転車とカヌーで縦断した。 ゆっくりと旅をすることが地球と触れあう唯一の方法です」 九里さんの人力の旅は学生時代に始まる。 大自然の中での 特別な時間の流れ 「大学に入った頃、無性に旅に出たかった。自転車を使えばお金 南北縦断の旅の途中にはアマゾン河が横たわっている。赤道直 はかからないし、長く旅ができます。交通費は無料、泊まるのはテント 下のアマゾンは北南米大陸縦断の中間点でもある。 だから食費しかかかりません。休みの前にアルバイトで10万円くらい 九里さんがアマゾンを下ったのは1994年の春。大学の後輩との2 貯めれば40∼50日は旅ができました。周りの仲間は飛行機や新幹 人旅だった。ルートはプエルト・アシスからアマゾン支流プトマヨ川を 線でリゾート地へ行ったりして、1週間くらいでバイト代を使い切って 下り、 アマゾン河の中流マナウスまでのおよそ3000km。 しまう。断然、人力の旅のほうが楽しめます」 1994年2月4日、 プトマヨ川の茶色く渦巻いた水の上にカヤックを浮 学生時代はサイクリングクラブに所属していた。2年かけて日本一 かべる。装備はライフジャケット、パドル、防水袋、 セール、2カ月分のフ 周を終えると、 自転車を担いで海外を走り始める。韓国、 シルクロード、 リーズドライ食品、衣類、本、 カメラにフィルム、地図。衛星を利用して 登頂し、同峰5850mからの自転車での下降に成功。また、 カヤック (カ い。どちらがいいかと聞かれれば、 どちらもいやだと答えたくなるよう 生まれて初めて太平洋を飛んでロスアンジェルスに行ったとき、九 ヌー)で朝鮮海峡、 伊勢湾、 津軽海峡横断にも挑戦している。その後、 な究極の選択である。 里さんは、 いったいどこに連れ去られたのかと危機的な感覚にとらわ 出発当初は乾季だった。日中気温は45度を超え、強烈な紫外線 れたという。 が皮膚を焼く。GPSは耐久温度を超え、早々に液晶が壊れて使いも 「いつかヨットで太平洋を渡りたいと思います。船で太平洋を横断 北極圏から南米マウンテンバイクと分解式カヤックで南下する米大陸 人力縦断を計画。1989年カナダのタクトヤクタックをマウンテンバイク で出発。92年日本人として初めて、 カヤックでの中央ネパールのトリス リ川の下降に成功。95年ブラジルまで踏破。1年に1回数カ月の旅を 続け、97年2月23日フェゴ島南端に到達した。この旅でオペル冒険大 賞エポック賞を受賞。著書に「チベット高原自転車ひとり旅」など多数。 のにならなくなった。雨季になると“灼熱地獄”は“蒸しぶろ地獄”へ すると50日くらいかかります。太平洋というのはそのくらいの距離が と変わる。まるでサウナ。昼夜を問わず蚊やブヨの大軍団に襲われ あるんです。そうした移動の感覚は大切にしたいと思います」 て顔や手はデコボコに。寝ているときにひっかいてしまうと傷口に卵 Gaia アマゾン河本流を下る九里さん。時の感覚を失ったとき、 自然との一体感が生まれた FIND Vol.18 No.5 2000 3 4 FIND Vol.18 No.5 2000 5 Gaia 21世紀のキーワードは「自然との共生」。私たち は、 もっと自分たちの住処・地球について理解を 深 める必 要 があるでしょう。今 年 の F I N D は 、 肌で地球を感じ「大地の女神」と語らう人々に話 を聞き、地球について考えるヒントとしていきます。 を産みつけられる。 いったいどんな感覚なのか。私たちの生活は、常に時間とともにあ 何より九里さんを精神的に苦しめたのが風景の単調さである。当 る。時計は否応無しに時を知らせてくる。しかし、悠久のアマゾンで 時の日記に、 こんな記述が残っている。 は違う。 「ブヨ…………かゆい 「1000キロ川を下っても景色はまったく変わらない。1000キロ移動 アセモ…………かゆい した事実はあるんですが、時の概念がなくなる。そのうち1000キロ移 あつさ…………だるい 動した事実もあやふやになってきます」 風景…………変化なし ときおり日本語の短波放送を聞く。かすかにアナウンサーが日時を 次がない。 告げるのが聞こえる。自前のカレンダーに記録していた日にちと実際 時間が過ぎていく。 の日にちがズレていたこともしばしばだった。 いや時間の過ぎていくのがわからない。 「それでも過ぎている時間は同じなんです。昨日の夕日はきれいだ 知らない間に1日が過ぎ、 また1日が来る。 った。おとといもその前の日もきれいだった。昨日の朝日はすがすがし 今日があさってでも4日前でも同じなのだ」 かった。おとといもその前の日もすがすがしかった。毎日夕日は美しく、 進めども進めども続く同じ風景。茶色い川に緑のジャングル、水色 朝日はすがすがしいんです。それじゃあ今日っていったい何なのか、 の空。同じ場所から太陽が昇り、同じ場所に沈んでいく。これが35日 明日っていったい何なのか、 自分っていったい何なのか。こうしたこと 間続いた。 が、 まったくわからなくなってしまいます。無の状態とでも言うのでしょ 「出発は上流ですから川幅は狭かった。下流に行くにしたがって うか。でも、 そういうときこそ自然と融合したというか、一体化した状態 だんだん広くなっていきます。周囲の村に住んでる人々も違います。 なのだと思います。いちばん強く自然を感じた瞬間だと思います」 厳密には変化してるんですが、実感はありませんでした」 本流に入ると雨季になった。日に日に雨が多くなり、水量も増えて カヌーを操り、 自転車を駆って、原野や河川を抜ける。 冒険家 、九里(くのり)徳泰さん。 高速 移動は空間を無視すること カヤックのスピードが上がるのはいいが、 これまでテントを張っていた 人力の旅だからこそ自然のすばらしさを感じてきた九里さん。一方、 砂浜が川に没してしまう。川岸のジャングルは密生していて寸分たり 私たちの生活を振り返ってみると、飛行機や電車などの交通手段な とも上がる余地はない。だから四六時中カヤックの上で過ごす。寝る しに移動することなど考えられない。ほとんどの人がそうだろう。高速 時もカヤックに乗ったまま。狭いコクピットでは体を伸ばして寝ることも で移動することは確かに便利だ。だが、 それによって失うものも多い できないし、寝返りも打てない。 と九里さんは考えている。 「7泊8日間をカヤックの上で過ごしました。食事もカヌーの上でバ 現在、九里さんは月に1度、東北地方に取材に出かける。通常、 自 ランスを取りながら作って食べました」 転車で青森まで約10日間。ある時、東北新幹線を使った。 この間も周囲の風景はまったく変わらない。茶色い川に緑のジャン 「東北の温泉を出て4時間後には自宅まで戻ってきてしまう。自分 グル、水色の空。次第に九里さんの感覚が変調する。 の感覚では、 まだ東北にいるつもりなんですが、体は家で仕事をして 「どこにいるのかまったくわからないという川下りを続けているうちに、 いる。いったい自分は何をやってるんだろうと思います。僕はどこに行 時の感覚が薄らいできました」 くのにも藤沢の実家から自転車で走っていました。韓国に行ったとき も下関まで2週間。関釜フェリーで釜山に渡り、釜山からソウルまで5 “人力”の冒険だからこそ感じる自然との一体感を聞く。 日間くらいでつきます。自分の尺度はいつも1日に自転車ですすめる 取材・文/橋本淳司 距離なのです。そういう感覚が僕の中にあるので乗り物に乗ると違 和感を感じます」 交通機関のスピードは、 ここ数十年で爆発的に進化した。ほんの Profile ちょっと前までは泊まり掛けの出張だったものが、飛行機を使えば簡 単に日帰りできる。 現在位置を捕捉するGPS。さらに現地で買った米10kg、缶詰め、 ガ くのり・のりやす ソリン4リットルなど2週間分の生活必需品。2人の腕力と川の流れだ 「しかし、 目的地までの空間を無視することになってしまいました。 北峰(6959m)では、登頂した後に標高差約2000mを自転車で下降 冒険家。中央大学政策文化総合研究所研究員。大学在学中はサイ けを頼りに人力のアマゾン下りはスタートした。 A地点からB地点までの移動を体感できません。動物の移動方法と エンジンやモーターに頼らず、人力で地球の原野や河川を駆けめ したこともあった。21歳の時にはチベット高原3000kmを自転車で横 クリング同好会に所属。日本全国を自転車で周遊の後、韓国、 チベッ 川下りというと、のんびりしたものをイメージするかもしれないが、 ア しては不自然です。戦後50年で世界中の移動スピードが2乗倍に早 ぐる冒険家・九里徳泰さん。人力だから自然に溶け込むこともできるし、 断。標高4000∼5000mの「世界の屋根」は酸素が薄く、夏でも雪が ト、 シルクロード、 ネパール、パキスタン、 アルゼンチン、 チリ、 カナダ北極 マゾンの自然環境は過酷だ。九里さんが下った2∼4月は乾季から くなりました。飛行機や自動車でさえ最近のものです。そのスピードに 北南米大陸の人力地球 縦断 パキスタン、 アルゼンチンなどを次々に走破。南米最高峰アコンカグア たくさんの人にも出会える。車や飛行機では味わえない「人力の旅」 降る厳しい気候だった。そして大学を卒業した1989年、北南米大陸 圏を自転車で走破。その間にネパール・ヒマラヤのイムジャ・ツェ (6160 雨季に変わる時期である。乾季は飲料水は確保しにくいが、病気も 人間は果たしてついていけるのでしょうか。僕は人間が動物である の魅力を全身で感じている人である。 の人力地球縦断を始め、7年かけて北極から南極までの2万8000 m)に登頂、次いでアンデスの最高峰アコンカグア北峰( 6959m)に 発生しにくい。雨季は飲料水は確保しやすいが、病気も発生しやす ことを忘れてはいけないと思います」 「自転車でもカヌーでも徒歩でもいいんです 。ともかく自分の力で kmを自転車とカヌーで縦断した。 ゆっくりと旅をすることが地球と触れあう唯一の方法です」 九里さんの人力の旅は学生時代に始まる。 大自然の中での 特別な時間の流れ 「大学に入った頃、無性に旅に出たかった。自転車を使えばお金 南北縦断の旅の途中にはアマゾン河が横たわっている。赤道直 はかからないし、長く旅ができます。交通費は無料、泊まるのはテント 下のアマゾンは北南米大陸縦断の中間点でもある。 だから食費しかかかりません。休みの前にアルバイトで10万円くらい 九里さんがアマゾンを下ったのは1994年の春。大学の後輩との2 貯めれば40∼50日は旅ができました。周りの仲間は飛行機や新幹 人旅だった。ルートはプエルト・アシスからアマゾン支流プトマヨ川を 線でリゾート地へ行ったりして、1週間くらいでバイト代を使い切って 下り、 アマゾン河の中流マナウスまでのおよそ3000km。 しまう。断然、人力の旅のほうが楽しめます」 1994年2月4日、 プトマヨ川の茶色く渦巻いた水の上にカヤックを浮 学生時代はサイクリングクラブに所属していた。2年かけて日本一 かべる。装備はライフジャケット、パドル、防水袋、 セール、2カ月分のフ 周を終えると、 自転車を担いで海外を走り始める。韓国、 シルクロード、 リーズドライ食品、衣類、本、 カメラにフィルム、地図。衛星を利用して 登頂し、同峰5850mからの自転車での下降に成功。また、 カヤック (カ い。どちらがいいかと聞かれれば、 どちらもいやだと答えたくなるよう 生まれて初めて太平洋を飛んでロスアンジェルスに行ったとき、九 ヌー)で朝鮮海峡、 伊勢湾、 津軽海峡横断にも挑戦している。その後、 な究極の選択である。 里さんは、 いったいどこに連れ去られたのかと危機的な感覚にとらわ 出発当初は乾季だった。日中気温は45度を超え、強烈な紫外線 れたという。 が皮膚を焼く。GPSは耐久温度を超え、早々に液晶が壊れて使いも 「いつかヨットで太平洋を渡りたいと思います。船で太平洋を横断 北極圏から南米マウンテンバイクと分解式カヤックで南下する米大陸 人力縦断を計画。1989年カナダのタクトヤクタックをマウンテンバイク で出発。92年日本人として初めて、 カヤックでの中央ネパールのトリス リ川の下降に成功。95年ブラジルまで踏破。1年に1回数カ月の旅を 続け、97年2月23日フェゴ島南端に到達した。この旅でオペル冒険大 賞エポック賞を受賞。著書に「チベット高原自転車ひとり旅」など多数。 のにならなくなった。雨季になると“灼熱地獄”は“蒸しぶろ地獄”へ すると50日くらいかかります。太平洋というのはそのくらいの距離が と変わる。まるでサウナ。昼夜を問わず蚊やブヨの大軍団に襲われ あるんです。そうした移動の感覚は大切にしたいと思います」 て顔や手はデコボコに。寝ているときにひっかいてしまうと傷口に卵 Gaia アマゾン河本流を下る九里さん。時の感覚を失ったとき、 自然との一体感が生まれた FIND Vol.18 No.5 2000 3 4 FIND Vol.18 No.5 2000 5
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