生島淳

日本ラグビーの精髄を求めて
――元日本代表主将・横井章氏に聞く
生島淳
昭和 42 年生まれの私にとって、「横井章」という名前は伝説の一部であった。
現在、40 代に突入した私の世代は、1970年代から80年代にかけて松尾雄治、本城和彦、
平尾誠二といったスターたちのプレーを見て育ったが、すでに横井氏は現役を退き、その情報は
限られたものにすぎなかった。
伝えられる横井氏の情報といえば、大西鐵之祐率いるジャパンの主将であり、BKの核であっ
たという「文字情報」だけだ。わずかに映像に残るのは1968年のニュージーランド遠征の際
のNZU戦の断片、そして1971年、花園ラグビー場で行われた日本対イングランド戦、19
対 27 で敗れた試合のものだけで、この試合にしても横井氏は開始10数分で股間を強打し途中
退場を余儀なくされている。
実は 15 年ほど前、ラグビー狂会の面々が、とある会社の会議室に集まり、1968年の日本
代表対NZU戦のビデオを見ることができた。
映像の中の横井氏の動きは「鮮烈」としか言いようがなかった。
アタックでは相手の懐に入ったと思った瞬間、パスを放り、ボールを生かす。しかもギリギリ
でパスを出しているから、相手の外側のディフェンスまで横井氏に気をとられている。「一人二
殺」。それは神業に思えた。
そしてディフェンスでは、SOとともにアッという間にタックルポイントに到達する。そのス
ピードと言ったら……。今日的な視点で見たら、絶対にオフサイドとしか考えられないのだが、
オフサイドではない。この素早さは何なのか?
まさに衝撃の映像であった。
横井氏は1973年の英仏遠征の主将を務め、その前後5年間の主将在任は今も最長の記録で、
1974年に現役を引退し、三菱自工京都で社業に専念するようになった。そこからはラグビー
とは距離を置くようになった。もし横井氏が現場に復帰することがなかったら、1968年の鮮
烈な印象を残したまま、私も忘れてしまっていたかもしれない。ところが――。
9年前、横井氏は突如ラグビーの現場に復帰し、しかも着々と結果を残してきた。高校では京
都成章を手始めに御所工実など30数校、大学では関西学院大学、帝京大学、東京大学など10
数校のアドバイザーを務めた。印象深い戦績といえば、京都成章で現場復帰1年目に伏見工業を
破って花園に初出場し、2008年度4度目出場の全国大会準決勝では京都成章と御所工実が、
誰もが応援したくなるような0-3のディフェンスゲームを披露し、勝った御所工実が準優勝。
大学に目を転じれば、関西学院大学、帝京大学はともに2008年度に、所属するグループで
の優勝を果たした。
横井氏はグラウンドだけでなく、『ラグビーマガジン』などでも、積極的にラグビー界の現状
1
について提言を続けている。自身は「日本ラグビーを魅力あるものにする運動」を推進している
が、実際にプレー経験のない私にとっては、内容が専門的で理解しづらい部分があった。
だったら、横井氏に会って話を聞いてみよう――そう思ったのがこのインタビューのきっかけ
となった。横井氏の言葉を素人なりに噛み砕いてみようと思ったのである。
横井氏は快く取材を引き受けてくださった。ラグビー界に残る「財産の伝承」にこだわる横井
氏を、京都に訪ねた。
●「自分たちのプレーが失われていた」~現場復帰の理由~
――今日は横井さんの「ラグビー教室」に弟子入りする気持ちでやってきました。ラグビー経験
がない人間なりに、接近戦や横井さんが指導されているラグビーを理解したいと思います。
横井
では、NZU戦、イングランド戦は見ているわけですね。あの試合が「接近戦」のテキス
トというか、基本になるものですから。
――お世辞に聞こえるのは避けたいのですが、それでもパスのタイミング、ディフェンスの飛び
出しの「早さ」と「速さ」。今のラグビー界の常識ではちょっと考えられない。それを日本人が
プレーしていたことに驚きを覚えます。ディフェンスの飛び出し、あれはオフサイドにしか見え
ないのですが。
横井
オフサイドなわけがない。私らの常識では第1CTBでタックルポイントができる。これ
が常識でした。昔の映像を見てもらったら分かるように、SOの藤本のところでタックルポイン
トができることもあったからね。今のジャパンに「ディフェンスで勝つ」発想がありますかね?
――ラインとしての飛び出しはもちろんですが、タックルでポイントに到達するスピードが今の
常識では考えられない。
横井
タックルの基本はまず内側を抑えてから、外側で次のタックルポイントを探るんです。そ
のポイントを探したらダッシュ!
そのポイントに「跳ぶ」気持ちで行く。でも、これを今の選
手にそのまま伝えたらダメですよ。本当に跳んでしまうから(笑)。
――いつの間にか、発想が失われていた――。それにしてもどうして神業のようなラグビーが日
本人に可能だったのでしょう。
横井
日本人だからこそ、可能だったんです。本来、日本人が持っている特性というものは「敏
捷性」、「巧緻性」、そして「耐久力」です。世界で成功している日本人アスリートは、こうした
要素を突き詰めた選手ばかりですよ。イチローなんかは敏捷性、巧緻性で歴史に残る選手になっ
ているわけですから。サッカーでは中村俊輔のセットプレーからのピンポイントを狙えるフリー
キック。これも巧緻性を生かした職人技です。だから我々の世代がプレーしていたラグビーは日
本人の特性に特化したラグビーだった。ところが、久しぶりに現場に復帰しようと思って日本の
ラグビーを見たら、自分たちのプレーが失われていた。これはどういうことなんだろうと不思議
に思ったんです。
――順番を整理します。現役を引退されてから 30 年近く経っても、ラグビーに対する情熱は失
われていなかった。そもそもどうしてラグビーの現場を離れていたんですか。
2
横井
傷口を開くようなことを聞きますな(笑)。なぜかと問われれば――1971年のイング
ランド戦、第1戦は花園の試合は 19 対 27 で負けました。そして秩父宮では3対6。傲慢に聞
こえてしまっては本意ではないのですが、第1戦の途中に横井が途中退場していなければ、第2
戦目も横井が出ていれば、イングランドに勝てただろうと多くの人に言われた。当時は、主将と
して大事な時に試合に出られず、大西さんに「ジャパン最初のテストマッチ勝利を献上出来なく
て本当に申し訳ない」、そういう気持ちでいっぱいだったんです。それがトラウマになっていた
のです。実はイングランド戦の前の寄せ書きで大西さんは「歴史の創造者たれ」と書いた。私は
「逃してなるかこの機会」と書いた。お前が逃しとるやないか(笑)。それにラグビーをプレー
している間は長期遠征もあって会社に迷惑をかけていましたから、これからは社業に専念しよう
という気持ちもありました。
――それでもジャパンの選手としては、1974年の2回目のニュージーランド遠征まで主将と
して参加されてますね。
横井
あの遠征の時は 33 歳になっていて、自分ではもういいだろうと思っていたのですが、そ
のころから松尾(雄治)、森(重隆)なんかが代表に入ってきて、「若い連中に手本を示し伝承し
てもらえないか」ということで、古い選手の中で私だけ残り、彼らに基本プレーのタックルや、
セービングを教えてました(笑)。
――そして、その年の1974年に引退された。コーチとして現場に復帰されるのは2000年
のことです。この間、ラグビーとは距離を置いていたというわけですか。
横井
途中、三菱自工京都のラグビー部長を務めたりはしています。ただ、じっくりシーズンを
通してラグビー現場を見ていたということはありませんでした。
――ということは 30 年近くラグビーをほとんど見ていなかったということですか。
横井
そう、見ても面白くない。なぜ?その頃の私には「ラグビーはやるもの」だったのです。
――早稲田も見ない?
横井
見ていません。
――大西先生が1981年に早稲田の監督をやった時も見ていませんか。
横井
その時は藤本と一緒に「横井、学生にディフェンスを見せてやってくれ」と大西さんに呼
ばれて、グラウンドに行きました。大西さんとしてはシャロー・ディフェンスを見せて欲しかっ
たんでしょうが、私はその時はもう 40 歳ですよ。そしたら対面が吉野(俊郎)だった。もう一
発で抜かれた(笑)。大西さんには怒られたけど、そりゃ 40 歳のおっさんが吉野を相手にする
のは無理です。ただ、最近になって会った吉野が「あの時の横井さんと藤本さんのループはすご
かった、今でも目に浮かぶ」と言ってくれました。今はSOがCTBの後ろを通り内側でループ
するのが常識ですが、我々のループは藤本が私に平行パスを放る、それをもらった私がさらに前
へ出て、前に走ってループしてきた藤本に外側で滞空パスをするというもので、バッキングアッ
プも届かず完全に抜けた。走力、体力はなくとも、技術で抜くということが生きていたわけです。
――では、60 歳を間近に控えて急にラグビーに戻ったきっかけはなんだったのですか。
横井
ちょうど1999年のワールドカップの平尾ジャパンが惨敗して終わったころの時です。
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どの試合を見ても、どんなラグビーをやりたいのかまったく意図が分からない。「お前、何した
いねん?」と質問したくなるようなラグビーで、当然、そんなラグビーを見ていても面白くない。
しかもどのチームも同じようなラグビーをしてるわけです。本当にショックだったのは、日本か
ら自分が出来たプレーが消えていたことでしたね。これはどうもおかしなことになっていると、
そうなってしまったのは放っておいた自分にも責任がある、これはなんとかしないとと、自分に
矢を向けて取り組まないといけないなと思いました。
――横井さんの目には、現代のラグビーはどのように映ったんですか。
横井
私の発想は1970年代で止まったままだった。ただ、忘れないでください。1970年
代の日本のBKプレーは世界の最先端を行っていたんです。
●タイムスリップ~30 年前の視点が現代と出会う~
――まるでタイムスリップしたみたいですね。30 年前の最先端の目が、21 世紀のラグビーと出
会った。
横井
私から見れば、今の日本のラグビーは「昔の非常識」のようなプレーばかりで、「昔の常
識」がほとんどなくなっていた。でも、変わったのは日本だけなんです。海外のラグビーを見る
と、前に出てプレッシャーをかける、まっすぐ走って縦にサポートしボールを動かす、こうした
常識はそのまま残っていた。つまり世界では原理原則は変わっていないのに、日本だけが勝手に
常識を捨てていたように見えた。
――具体的にはどんなプレーに常識、非常識が現れるのですか。
横井
いちばん分かりやすいのはBKラインでしょう。「横井さん、海外ではワイドラインが流
行してるんですよ」って聞いていたし、興味もないから見もしてなかったが、最近になって世界
のゲームを見たらオーストラリアが局面によってはワイドラインを敶いているくらいで、他は状
況に応じた普通のラインで勝負している。これは1970年代の外国チームと一緒。2008年
のスーパー14 を見ても、ワイドラインを敶いて横展開一辺倒なのは下位のチームだけで、上位
はワイド一辺倒なんかじゃない。ところが日本だけは、私が推奨する素早くボールを動かす狭い
ラインもやるチームが増えて来たつい最近までは、どこもかしこもワイドラインだけで横展開一
辺倒でやっていた。世界で勝手に変わっていたのは日本だけですよ。
――そもそも、ワイドラインに横井さんはなぜ否定的なのですか。見る方とすれば、ボールが横
に大きく動いて面白い部分もある。スクリューパスを見て爽快だと感じる人はいるだろうし、高
校生だと「あんなパスを放ってみたい!」と練習したりする。
横井
私がディフェンスの立場だとしたら、ワイドラインほどディフェンスしやすいものはない
んです。今日本の流行のラインを見ていると、SOが深い位置に立って、WTBは反対側のタッ
チライン沿いにいるので、初めからどのスペースを狙っているかわかる。そしてSOは長いパス
を裏に通していくわけで、ディフェンス側にしてみれば、相手のラインは下がっていくから、ど
んどん前にプレッシャーをかけられる。それに長いパスだと受ける地点が一点に限られますから、
CTBの動きが制限される。つまり、ボールが空中にある間に動きに変化をつけて内側や外側に
4
ずらすことができないから、ディフェンス側からすればタックルポイントを一点に絞れるわけで
抜かれる心配はないし、相手を孤立させてターンオーバーのチャンスも増えます。こんな獲物、
昔だったら見当たらないですよ。ところがや、ディフェンス側も前に出ないんだなこれが。みん
なお手々つないで横にずれていくだけ、これも困ったもんです。
――今のディフェンスはドリフト、BKの選手が横一線に出てずれていくのが主流ですからね。
横井
しかも相手が仕掛けてくるのを待ち内から外に追って、とりあえず抜かれないようにする
だけだから、相手にプレッシャーをかけられないどころか、走力だけで簡単に外を抜かれるし、
止められても差し込まれてまた不利なディフェンスの連続となる。即ち、タックルだけを考えれ
ばよいディフェンス側に主導権がなく、ディフェンスで追い込んでトライを取りに行くという積
極的な発想が見られない。そのへんの意識は、昔と今ではずいぶん違うと思います。
――では、ワイドラインが横井さんにとってみれば非常識だとするなら、常識は浅く、短いライ
ンということになるんですか。
横井
その通り。日本のボール支配率は外国と戦った場合、昔ほどの2~3割ほどでないとして
も比較的に低いだろう。だったらひとつひとつの攻撃を得点につなげなければ絶対に勝てない。
その場合、走力、体力のない者が敵ディフェンスを「ミスなく破る」には、二人以上のプレーヤ
ーが協力して、ボールを素早く、細かく、平行に動かして、ゲインを突破する「仕掛け」を考え
なければならない。当然、選手と選手の間隔を狭くしてパスを早く正確に、またすぐサポートで
きるようにして、尐ないパスの数の簡単で力強い「仕掛け」が必要である。
――パスの数が多ければ多いほど、そこでのミスが増えるということですね。
横井
それにラインは狭い方がオプションは広がるんです。ワイドラインだと、パスは長くて一
本調子だからディフェンス側とすれば的が絞りやすい。ワイドでパスのインターセプトが多いの
は、予測しやすいからです。狭いラインだったらスペースのどこを攻めるかわからないし、つな
ぎにも寄ってのガットも含め変化を持たせられるし、さっきも言ったように受ける側のCTBは
ボールが空中にある間に動きに変化をつけられる。それに狭く立っている分、外にスペースを残
しているわけだから、更にいろいろな展開が考えられますよね。ちょっと考えたら分かりそうな
ものなのに、こうした常識が今の日本では通じなくなっているんです。
――たしかに横井さんの現役時代の映像を見ると、狭いラインからどんどん相手のディフェンス
を破ってますね。狭いのに抜ける。これは不思議に見える。
横井
狭いから抜けるんですよ。私らの世代はSOとCTBが一緒になってカットイン、カット
アウトの練習をしていたんです。選手の個人技ではなく、複数での動きを練習していた。要は複
数として抜いていくという発想。現場に復帰して分かったのは、今はそうした練習がなくなって
しまったということなのです。
●退化したラグビー?
――そうすると、70 年代の目からは現代のラグビーは退化しているようにしか見えなかったと
いうことですか。そうだとしたら、驚いたと思うんですが。
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横井
本当に、自分たちのラグビーはいつ消えたんだ、と思った。もちろん、30 年前とはルー
ルも大きく変わっていて「そんなもん、昔の考え方ですよ」と聞く耳を持たない人もいる。でも、
私はシャロー・ディフェンス、浅くて狭いアタックラインは今も有効だと思っています。それは
ラグビーというスポーツにおける真理「エネルギーは速度の方が効く」、原理原則「小よく大を
倒すには、攻守ともに前へ出る」などは、変わらないと思うからです。
――最初はどういった形で現場に戻られたんですか。
横井
自分としては技術を伝承したいという気持ちが強かったので、最初は協会に交渉して基礎
的な技術を解説したビデオでも作ろうとしたんです。私も59歳になってあと定年まで会社にい
るよりも、ラグビーに関係した方がやりがいがあると思ってね。ところがそれが頓挫してしまい、
会社は辞めてしまったし、どうしようかと思ってたんです。そこで、やはり現場がどうなってい
るのかをまず見ようと考えたのです。だが自分がラグビーを伝えたいと思っても社会人や大学生
では悪い癖が付いているのでダメだと思い、高校生だったらまだ基礎技術を修得させるにも修正
がきくと思って、高校のレベルで指導しようと思ったわけです。そこで現場に復帰するにあたっ
て、大西さんのところに墓参りに行ったんです。そして、アヤさん(大西鐵之祐夫人)のところ
に「もう一度現場に戻ります」と報告しに行ったら、アヤさんに「あら、今頃になって何を教え
るの?」と言われましたが(笑)。その時に、1971年のイングランドとの 19 対 27 の試合の
ビデオをいただいたんです。トラウマで見たこともなかった映像を初めて見て、改めて思ったね。
多くの人が言ってくれたように、「これ、自分が退場してなかったら、自分はキックが下手だか
ら、こんなところで蹴っていなかったなー、本当に勝てたんじゃないかなー」と(笑)。
――最初は京都成章に指導に行かれたんですよね。
横井
知り合いに電話して、「今、京都で強い高校はどこや?」って質問したんです。そしたら、
伏見工業、同志社岩倉、立命館宇治、京都成章やと。伏見は必要ないだろうし、同志社、立命館
は大学関係の指導者がついているだろうから、その知らん「京都成章?」がええなと思って、
「その学校どこにあんの?」と聞いたら、ウチの近くやった(笑)。
――で、押しかけたんですか。
横井
押しかけた。学校に行って、ラグビー部の監督さんいらっしゃいますかと聞いて、たまた
ま監督の湯浅君(泰正氏)が新し物好きでね。早速コーチを集めてくれて、私が「こういうラグ
ビーがあるんだが興味ないか?」と4~5時間話をした。侃々諤々、いろいろな議論があったの
ですが、話をした次に日に練習試合があった。それを見たら前には出ない、意図が分からない、
お前ら何したいねん?
と思って、、、いろいろな段階で「成り行きラグビーが主流」なんだと思
い当たるわけです。しかし、この成章の受け入れがなかったら、、、と感謝しています(笑)。
――それでアドバイザーに就任されて、具体的にはどんなラグビーを仕込んでいこうとされたん
ですか。もちろん、「接近戦」という到達イメージはあったと思うんですが。
横井
まずは「低い姿勢」でプレーする。また日本人の特性である敏捷性を生かした「瞬間ダッ
シュ」をプレーに生かす。この二つです。ところが、それができない。練習を観察してたら、
「あっ、今の高校生は低い姿勢がでけへんのやな」と気づいた。
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――できない?
横井
できないってどういうことですか。
高校生がコンビニの前でよく集まってるのを見る。よく見ると、みんな地べたに座ってる。
あれは高校生が「昔のウンコ座り」ができないから地べたに座るんです。体力がないのや。選手
たちの足を見たら、ほとんどの子が外反母趾や。それじゃ低い姿勢を保つどころか、安定して立
つこともできません。日本人の生活習慣、環境の変化が日本人固有の運動能力を奪ってしまった。
だから、コーチが「どうして低くタックルに入らないんだ!」と怒鳴っても無駄。入れないんだ
から、入れるにはどう鍛えたらよいかということを考えないといけないわけです。
――じゃあ、横井さんの仕事は低い姿勢を仕込むところから始まったんですね。
横井
大変だったよ。基本となるのはスクラムマシンに入る姿勢。これを意識づけしていった。
タックルに入るにしても、マシンに入る姿勢を身につけていれば低い姿勢が取れる。低い姿勢ひ
とつとってみても、現場に出るといろいろなことが分かってくる。びっくりしたのは、練習時間
が極端に短いこと。週の半分もグランドが使えないし、使える日でもチーム練習が2時間あると
すると、アップとクールダウンで 20 分ずつ取るから正味1時間 20 分しか練習できない。本当
なら全体練習が始まる前にアップも済ませればいいと思うけど、身体のゆがみをとらないといけ
ない。どこの高校も事情は変わらないと思います。それなのにチームによっては年に一度使うか
どうか分からないサインプレーの練習をしたりする。意味がない。それならば頻繁に使うサイン
をとことん習熟して行った方が効率がいいに決まってる。『踊る大捜査線』の織田裕二じゃない
けど、「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」ってことを実感したね。
――それでも半年で、この2001年に前年に花園で優勝した伏見工に、花園予選で勝ちます。
映像を見せていただきましたが、FBには矢富選手(早大→ヤマハ)がいて、メンバーの激しい
タックルが随所に見られます。最後の最後は粘りに粘っての勝利。見ていて、面白い。
横井
お互いの陣容を比べると、それまでに勝ったことがないチームには、「勝っていても何時
やられるかビクビクする時間帯」が必ず来ると分かってました。だから「俺たちが勝っていいん
だ」という意識を持たせておくことが重要。そして試合をシミュレーションして、最後の連続デ
ィフェンス練習を仕込んでおかせました。
――それから横井さんは2003年に関西学院大学を指導されています。これにはきっかけがあ
ったんですか。
横井
関西学院のOB会の会長が、京都市役所で私の対戦相手だったんです。ちょうど関西学院
がその前の年にBで2位になって、入れ替え戦で大阪経済大に勝ってAに上がった。それで会長
から面倒を見てくれないかと、、、行ってみて驚いた。20 年以上Bに低迷していたものだから、
流行のグリッド練習なんかやってなくて、「キックダッシュ」という昔の手法が残ってた。「これ
は素晴らしい!」と思わず褒めたたえたが、やらせるとキックを受けてそのままロングパスする、
「ちょっと待て、そこはAでは捕まってる、リップや」なんて、修正は必要だったが、、、
――早稲田では「ヘッド」と呼ばれる複数の選手でキックを追う、受ける、サポートする、つな
ぐといった基本的なプレーが組み込まれている練習方法ですね。フィットネスのトレーニングも
兼ねていると言われていましたが、指導者によっては「精神的な意味合いが強すぎる」というこ
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とで今では重視されていませんが。
横井
「キックダッシュ」の本質を見ないから、非常識になってしまったんです。でも、捨てる
には惜しい練習で、たとえば、ボールをキャッチする、サポートの体制を練習するには最高の練
習なんです。今日本ラグビーのサポートを見ると、横に広がっていく。違うんです。サポーター
はキャリアの真後ろをサポートする。そうすると無限のサポートチャンスと方法があり、ミスは
尐なくなるんです。海外のサポートを見てみると強いチームはちゃんと真後ろから入っている。
――皮肉なものですね。低迷していたがために流行の情報が入ってこなくて、結果的にはいい練
習ができていたというのは。
横井
それでAグループ1年目、立命館、龍谷、天理に3勝をあげて大学選手権で秩父宮に行っ
て早稲田と戦った。解説の藤島大が「関西学院はシャロー・ディフェンスをやろうとしている」
と言ってくれたりしたがね。でも、現場が難しいと思ったのは、1年目にディフェンスができた
からと、2年目はアタックに練習時間をかけたら、30 点は取るんだけど、40 点取られて負ける、
「前年に出来たものでも練習が尐ないと忘れる」ということを思い知った。学生相手に「短い練
習時間の中で、必要な練習をどう積み上げていくのか」が難しいことを実感するわけです。
――単純な疑問なんですが、母校の早稲田ではなくてライバル校を指導しているのはどうしてで
すか?
横井
私は「一強」だけでは技術も発展しないし、日本全体のためにはならないと思っています。
帝京の場合は岩出監督から話があったので、早稲田を倒せる対抗馬になると思ってアドバイスし
たわけですが、そのように各チームが特徴を出して切磋琢磨し、日本全体のレベルアップを図る
ことが大事だと思っています。各都道府県の高校でも、花園常連より2位以下の対抗となる高校
を選んでアドバイスするようにし,私のアドバイスの有効性を見るとともに、その県のレベルア
ップを狙っています。
●なぜ、技術は伝承されなかったのか?
――それにしても不思議なのは、なぜ、「日本の常識」が失われてしまったのかということです。
だって、横井さんと同じ時代にプレーしていたジャパンの選手たちは数多く指導者になっている
わけです。なぜ、伝統は継承されなかったのか。
横井
私がラグビーを徹底的に考え、教えられるようになったのは「物心ついてから」ラグビー
を始めたからだと思ってるんです。高校まではバスケットをやった素人が、早稲田に入ってから
ラグビーをやった。どうすれば試合に出られるかと考えたら、BKはまずタックルができなくて
いけない、タックルに入るには肩が強くないといけないと思い徹底的に肩を作った。それに当時
の早稲田には「技術の伝承」があった。例えば私が入った時は斎藤さんという4年生が、「パス
には腕の振り、手首の使い方、スナップ、そしてフォローという要素がある」そのように細かく
技術を教えてくれた。これは素晴らしいことなんです。私はそうした技術を体で理解するのはも
ちろん、頭でも理解し覚えた。そしてタックル出来るだけで6ケ月後1年生で早慶戦にデビュー、
そういう早稲田は大したもんだと思います。だから今、言葉で伝えることができるんです。
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――自分で考えていたからこそ、言葉で伝えられるということですね。
横井
日本代表でもずうっとサインを出していたのは私でした。だからこの地点ではこう攻めよ
うとか、すべて理詰めで考えていた。「成り行き」ということは絶対になかったんです。ひょっ
としたら同世代の人間も、そこまで「伝承」にこだわりがなかったのか、それとも体では覚えて
いたことを言葉に変えることができなかったのか――。そこに外国人コーチがやってきて、日本
のラグビーはとどめを刺されたんじゃないですか。
――日本代表のヘッドコーチしかり、どのカテゴリーでも外国人コーチが花盛りです。横井さん
の目から見て、弊害があるということですか。
横井
外国人コーチだと短期間に成果をあげることを求められるから、自分の方法論を押しつけ
るようにしか見えない。だから「この練習は日本人に合っているかな?」と考える余裕もない。
選手の方も練習方法やサインプレーを覚えるのに精いっぱいで、ただただ練習を消化していくだ
けになってしまう。そうなると必然的に日本人の特性は失われていくどころか、習熟する暇もな
いからミスがどんどん起こる。私が不思議なのは、なぜ日本人コーチが外国人コーチに対して疑
問を呈さないのか、さっぱり分からない。日本人の特性はこうだから、この練習はこうした方が
いいんじゃないか、と指摘するのが普通だと思うんですが。
――現実的にはコーチだけでなく、トップリーグをはじめ、大学、高校のレベルまで外国人選手
がチームの中心として活躍しています。この状況をどう見ていますか。
横井
ほとんどのチームが外国人選手を突破役として使っています。ポジションとしてはナンバ
ーエイトとセンターに外人が多い。そうなると外国人選手のレベル、出来不出来によってゲーム
の行方が左右されるし、日本人選手は彼らに頼ってしまうよね。そうなると練習の段階から日本
人が突破する練習をしなくなるから、突破のためのスキルアップを放棄しているようなものです。
私が思うに、ゲームの組み立てを考えるのは日本人の特性を知っている日本人の方がいい。FW
は別として、BKに使うなら、日本人が複数人で仕掛けて、バックスリーのどこかに外国人選手
をフィニッシャーとして置く方がいいと思います。特にオープンサイドのWTBとかね。そうし
ないと、未来永劫、日本人で仕掛けて突破することはむずかしくなるでしょう。
●接近戦の極意~ディフェンスができなければ接近戦は挑めない
――突破役の日本人。今の選手たちを見ていると、ガツンと当たっていくタイプしか想像できな
いんです。体が大きくて、体格を生かしてクラッシュしていくような。センターは180センチ
以上ないと国際レベルでは太刀打ちできないんじゃないかと。
横井
生島さん、この私はセンターをやっていたんですよ。
――失礼ですが、横井さんの身長はどれくらいですか?
横井
当時は164センチ、65キロです。サイズはあまり関係ない。イングランド戦の時、私
の対面であったジャニオンは190センチの100キロでした。
――たぶん、「接近」という言葉が間違って解釈されているんでしょうね。ほとんどの人が「接
触」という感覚でとらえている気がする。クラッシュ、コンタクト。そうなると体が大きい人が
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いいだろう……そういう発想につながっている気がします。でも、横井さんのプレーを見ても、
接近戦は体が小さくてもできる。じゃあ、どういう選手だったら接近戦が可能なんでしょうか。
横井
まず、タックルを見ます。トップスピードで肩でタックルに入れることが大事。思い切り
タックルに行ける選手なら可能性があります。当たることの痛さ、怖さを恐れないこと、それが
できないと接近戦はできません。ここで大事になってくるのがジュニアの時代の経験です。土の
グラウンドでプレーしていると、痛い、怖いという意識が刷り込まれている。そうなると接近戦
はできなくなってしまう。接近戦が可能になるためには、そうした恐怖心の克服、そして体が鍛
えられてなければダメですし、私はこうと見込んだ選手は肩を触ってみることにしてるんです。
――触って何を確かめるんですか。
横井
肩がしっかり鍛えられていれば、激しくタックルに入ることができる。そうすれば、肩で
アタックもでき、ボールをプレーするスペースがつくれるのです。肩を一度作ってしまえば一生
の財産になるんですが、若いBK選手はなかなか作ろうとしない。でも、高校生や大学生の中に
は固いものを探してきて肩から入る練習を始めた選手もいます。京都成章の選手の中には校内に
ある電柱に肩をぶつけて、体は小さいけれど壊し屋になった選手がいました。
――接近戦とオフロードは違うんですか。両者ともコンタクトしてボールをつなぐという点では
一緒に見えますが。
横井
まったく違うものです。私の言う接近戦はタックルされる直前0センチで、対面を殺して、
低い姿勢でボールを動かす。当然その直後にコンタクトがあり、コンタクトを怖がる選手には接
近戦はできない。外国人の方法は捕まってから大きい身体を利してボールをつなぐ感じですから、
発想からして違う。外国人には「接点の直前でボールを動かす」という考えは絶対にない。
――そうすると時間的な要素が入ってきますね。相手の懐に入る寸前にボールを動かすというこ
とですから。きっと、外国人からみれば「いつ、つないだんだ?」と思うんでしょうから。横井
さんの目から見て、高校生、大学生の中で実際に接近戦ができそうな素材はいるんですか。
横井
だから肩で思いっ切りタックル出来る奴ですね。2008年の関西学院大のキャプテン、
室屋はライン全体を前に押し上げる素晴らしいタックルが出来たんですが、社会人になって身体
を壊してしまって、、
、帝京の南橋も低いタックルが出来る素質があると思うんですが、ちょっと
頑固で、、、U20 世界選手権では、いいスピードでトライを取ってましたけど、私としてはトラ
イをする方よりも、接近戦を仕掛けてトライを演出する方になって欲しい。また私は直接見てま
せんが早稲田あたりにいるのでは、、、他にも花園で高校の試合を見てると、何人か良いタックル
が出来た素材はいましたが、大学に行って埋もれてしまった選手もいます。惜しいことにね、、、
でも、正直いうと、9年間見てきた中で、タックルだけでさえできた選手は4~5人ですから、
それにアタックの接近戦を教え込んでも出来るとは限らない、、、
――そうすると、二十歳前後の選手を見渡しても接近戦に挑めるのは数人……。ひょっとして、
横井さんが接近戦をできたのは特別な才能に恵まれていたからという可能性はありませんか。
横井
正直いえば、自分たちの世代を見渡してみても、接近戦ができたのは自分とSOの藤本ぐ
らいだったかもしれない。あるいは大西さんは横井、藤本を見て接近戦のアイディアを膨らませ
10
たのかもしれない。しかし「スポーツに天才はないんです。誰でも限りなく努力すれば出来るは
ず」です。私なんか前述のサイズですし、100メートルは12秒半ば、でも「3~5メートル
は世界一を目指す」なんて、練習したものです。ボルトが一番練習したのは、スタートですよ。
簡単にはできないことですが、できることからやって近づけていくしかないという感じです。
●育成、普及をどう考えていくべきなのか?
――恵まれた素材をどう育てていくのか。お話をうかがっていると、高校、いや中学レベルから
体づくりを含めて指導していくことが日本のラグビーにとっては大事ですね。
横井
ラグビースクールの指導者はよく頑張っていると思う。週末の休日にボランティアでラグ
ビーの普及に当たっているわけですから。ただ、残念ながらコーチというのは自分が経験したこ
としか伝えられない。だから接近戦なんかもう誰もやらないんだから教えようがない。ちょっと
勉強したとしても、見ただけでは「どう教えるか」までいかないでしょう。
――そういえば横井さんは小さい頃からタッチフットボールに親しむことに反対なんですよね。
横井
タッチフットはね、ディフェンス側は立ったままの高い姿勢でタッチするだけでしょう。
アタックも高い姿勢で、なおかつ間合いのある間にボールを動かすわけだから、接点ぎりぎりの
接近戦の練習にならないだけでなく、「攻守とも高い姿勢」という悪い癖がつくからです。
――ラグビースクールが普及の面では底辺を支えているけれど、どうしても弊害も出てくるとい
うことですか。
横井
楽しませることは大事なんですが、でも、いま日本のラグビーを考えると、より大切なの
は「地域でのエリート育成」だと思う。やりようはあるんじゃないでしょうかね。例えば、県ご
となら芝のグランドは確保できるだろうし、スクールの枠を超え、優秀な人材を集めてエリート
教育をしていく。選手やコーチたちはそれをスクールに持ち帰って、どんどんスキルや練習方法
を広めてもらうこともできるんじゃないかな。肝心なのは、エリートの選手やコーチたちに何を
教えるんだということ。そのためには協会が、日本が目指していくラグビーをはっきりと提示し
て、十代のうちに身につけておくべきスキル、考え方を提示する。そうした組織、構造を作って
いかないと、「日本固有の面白いラグビー」を確立することはむずかしいでしょう。
――ただ、尐子化の流れはこのまま止まらないでしょうし、他のスポーツと「リクルーティン
グ」で争わなければいけない。ワールドカップの招致が決まったのはプラス材料ですが、素材を
集めていくのも課題です。
横井
驚いたのは、例えば兵庫県ではラグビースクールの人口が1000人以上もいること。か
なりの数字だと思いますよ。でも、もっと驚いたのは兵庫には中学校でラグビーをする受け皿が
一か所もないということ。もったいない。ただ、そんな環境で、また無理ににラグビーをやって
変な癖がついてしまうなら、他のスポーツで鍛えた方がいいと思う。ラグビーというスポーツは、
全知全能の力が必要とされる競技で、どんなスポーツ経験でもためになるんですから。
――全知全能の力、ですか。
横井
私からみたら、ラグビーというのはいろいろなスポーツを体験して、最後の最後にプレー
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するのがいちばんいいんです。例えば私が理想としているラグビーを実現するには、俊敏性と耐
久力との両方を兼ね備えてないといけない。筋肉でいえば速筋と遅筋両方を身につける必要があ
る。でも、これを鍛える方法は矛盾してくるんです。この矛盾を克服せなあかん。そういう意味
で、いろいろなスポーツをやる方が、自然といろいろなものが鍛えられ、スポーツをやる頭脳も
伸びるのではと言っているのです。
――実際にトップリーグにもバスケットボールからの転向組がいましたが、どんなスポーツをし
ていたらラグビーに応用が効きますか。
横井
私の考えでは、スクールで変な癖が付いてしまい自己中心プレーばかりのラグビーバカに
なってしまうなら、他のスポーツをやった方が良いということです。今、トップリーグの選手た
ちの 80~90%の選手はラグビースクール出身らしいけれど、みんな高い姿勢を直すのに苦労す
る。またスクール時代の土のグラウンドで痛い思いをしてきたからか、日本代表のBKにしても
相手がタックルにくるとボールをプレーするのではなく、片手でボールを持ち反対の手でハンド
オフし、本能的に自分の体をかばう癖が強く、接点でボールを動かせないからです。中学くらい
までは、野球、ソフトボール、サッカー、バスケットボールなどをプレーして身体をしっかりつ
くった、スキルのある、視野の広いプレーヤーに、最初からラグビーの基本プレーをきっちり教
える方が、悪い癖を直す手間が省ける分だけ良いと思います。
――どうして野球、ソフトボール、サッカー、バスケットボールなんですか。横井さんは高校ま
でバスケットボールをプレーされてましたが。
横井
どれも基礎体力が鍛えられ、特にバスケは下半身が徹底的に鍛えられる。これは低い姿勢
でプレーできる基本ですから。また今のラグビーを見ていると、キックオフやパントの処理がび
っくりするくらい下手でしょう。野球、ソフトボールはキャッチングの感覚が養われ、サッカー
はキック力と広い視野が鍛えられるからです。
●現場でしか分からないこと
――エリートの育成はラグビー界だけではなく、現在の日本社会全体の問題だと思うんです。横
井さんがこうした考えにたどり着いたのも現場に復帰されたからですよね。
横井
本当に現場に戻らないと分からないことはたくさんあります。今の選手の特徴のひとつは、
練習や試合が終わると自分の評価を聞きに来ることです。そのあたりの自己顕示欲はすごいと思
う。そこで指導者として気をつけないといけないのは、最初に否定してしまったら何も聞く耳を
持たないこと。「○○のプレー良かったでー」と言わないとダメ。まず、誉めてからでないと伝
えたいことも伝えられなくなってしまう。それに高校生には毎年、同じことを言わないとダメ。
真剣に聞いているのは3年生だけで、1、2年生は当事者意識がない。だから去年はこの部分は
できてたから、今年は言わなくてもいいだろうと思っていると全然できないで驚く。ああ、これ
は年度が変わったら、もう一度最初から言わないといけないんだなと気づかされました。これも
現場に戻らないと分からないことでした。
――なにか、若い世代とは発想が違うんですね。
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横井
発想も違うし、動きも違う。九州で高校生を集めた合宿を見ていた時、「全員散れ」と号
令がかかっても、みんなダラダラ、ダラダラ、気だるそうに動くだけ、すぐに動かない。あれに
は驚いた。日本人のピッと一斉に動く文化は失われてしまったのかと。学校で集団行動の教育が
ないんだろうね、今は。それに動きだけじゃなくて、言葉の解釈も違うんです。
――たとえば、どんな?
横井
高校生相手にこんなことがありました。私が「抜きに行け」といったら、おかしなプレー
をしよるわけ。どうした?
って聞いたら、「抜きに行け」と言われたから、相手に指一本も触
らせないで行こうとしてるというわけ。私が使っている意味は、「勝負をしに行け」という意味
で言っているので、「抜こうとして行き、結果として捕まってもよい、捕まったらそこでつな
げ」ということ。でも、それが通じない。だったら、私自身が現代の言葉を使って説明しないと
いけないんだと気づかされました。「抜きに行け」というより、むしろ「ずらしに行け」という
方がいいとか。
――私には「抜きに行け」の方がニュアンスは伝わりますけど……。
横井
この話は、抜けてもまだ先があるよ(笑)。私は「抜けたら後ろを感じろ」というわけ。
生徒は「後ろはどう感じればいいんですか?」って質問するからね(笑)。それはサポートに来
る選手の気配を感じることで、それを練習の時から意識しよう、と。そしてサポートに入る選手
は、真後ろから入ろうということをチームで徹底していこうと、そこまで噛み砕かないと伝わら
ない。ただ、ここを面倒に思ってはいけない。言葉を工夫していくことはコーチにとって大切な
ことだと思います。
――技術を伝承するというのは、本当に大変なことになってしまったんですね。昔の常識を今風
の表現で伝えなければいけない。
横井
初めにも言いましたが、私はラグビーの原理原則は1970年代と現在も変わっていない
と思います。もちろん今と昔ではルールも違いますから同じ方法は取れません。分かりやすい例
では、スクラムの時のディフェンスラインはスクラムから5メートル下がらなくてはいけなくな
りディフェンスに影響が出る。まあ、世界的に無理やり展開ラグビーを志向させようという強引
なやり方だが、私は逆にアタックのスキルがますます退化すると危惧している。
――そうなると、当然のことながら昔と同じようなシャロー・ディフェンスはできない。でも、
ディフェンスが前へ出てプレッシャーをかけるというのは当たり前のことじゃないですか。
――大西理論は今もって有効なんでしょうか。大西先生の直系である横井さんとしては、大西理
論の現代への有効性をどのように考えていますか。
横井
今、大西さんの理論が有効かどうかを考えるのは意味がないことでしょう。ただ、「これ、
大西さんだったらどない考えるやろ」と想像することが大切なんです。それもその現場で、何の
目的のためにと、、、今、日本人の直してほしいところは「問題摘出能力と問題解決能力」を磨く
ことだと思います。特に「摘出能力」には、「洞察力」が必要である。
――2019年のラグビー・ワールドカップまでちょうど 10 年。エリート、接近戦のできる人
材の育成、それにラグビースクールの役割。課題はいっぱいありますが、横井さんなら何から手
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を打っていきますか。
横井
海外ではプロ化が進んで、プロ化で何が進化したかというと体の鍛え方です。24 時間、
ずっとラグビーに対して時間が使えるから、骨格が違うところに加えて、鍛え抜かれた体を相手
にしなくてはいけない。正直、身体能力では日本人は追いつかないです。だから、今の延長線の
ままでは、もう間に合いません(笑)。でも、戦略、戦術面で、「日本独自のラグビーを構築」し、
それが出来るように選手を鍛えたら、ベスト8以上には行けるはずと思います。日本のラグビー
関係者の頑張りに期待しています。なお、私には技術を伝承する責任があります。本当に「百年
河清を待つが如し」だが、間違った流れには竿をさせたと思うので、やっていくしかない。正直、
自分たちができたことをそのまま再現するのは無理やと思う。でも、なんとか近づくことはでき
るのでは、、、それが私の仕事だと思っています。
――でも、言葉まで通じにくくなってる。気が遠くなりませんか
横井
ホンマや。現場では毎日驚くことが起きるけど、私としてはラグビーを通じて、「日本の
公共の福祉」「世直し」に貢献するつもりでやっております(笑)。
横井氏は冗談めかして「公共の福祉」という言葉を持ち出したが、「芸の伝承」こそ、今の日
本のラグビー界に必要なものだと思う。ラグビー界の無形文化財。横井氏がひとつのチームにと
どまることなく、いろいろなチームに出向くのは、広く芸が伝承されることを望んでいるからだ
ろう。
横井氏は取材当日、新聞の切り抜きを見せてくれた。1968年、日本代表がオールブラック
ス・ジュニアを「彼らが考えられもしなかったほど速いシャローディフェンスと、手も触れられ
なかった素早いアタック」で破った翌日の現地の新聞の一面には、27 歳の横井氏の顔写真とと
もに、こんな見出しが躍っていた。
“Yokoi gave the Juniors a rugby lessons.”
直訳するなら、「横井はジュニアの選手たちにラグビーの手ほどきをした」。
ラグビーを国技とするニュージーランドで、わが国の身長164センチのセンターが「ラグビ
ーの先生」になったとは、なんとも痛快な話ではないか!
横井氏は 68 歳になるが意気軒昂、「日本ラグビーを魅力あるものにする運動」は、これから
もどんな広がりを見せるのか楽しみである。
そしてぜひとも、藤本、横井のSOとCTBが鋭利な刃物で相手ディフェンスラインを切り裂
いた 40 年前の日本のアタックが、いつの日か再現されることを願う。
求む、接近戦のできる選手!
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