メタファー実現への文法的制約とその動機付け」 明星大学情報学部紀要

メタファー実現への文法的制約と
その動機付け
Grammatical Constraints on Metaphor Realization and
Cognitive Motivations
大石亨
OISHI, Akira
要旨
概念レベルの写像として,体系的であると考えられてきたメタファーの言語的な実現
が,語彙レベルだけではなく文法のレベルにおいても制約されていることを論じる。
具体的には,不快な感情を凶暴な動物の襲来にたとえたり,人間の身体または心を容
器とし,感情をその容器の中の流動体として捉えたり,笑顔などの表情の表出を,水
面への浮上や植物の開花に喩えたりするメタファーを取り上げる。それぞれのメタフ
ァーを実現する構文が,能動態ではなく受動態に偏って用いられていたり,格交替と
呼ばれる,状況的には同一の事態を表すことができると考えられる複数の構文のうち
の一つが,特定のメタファーを表すためだけに用いられていたり,使役形や他動詞が,
対応する自動詞よりも頻繁に現れていることを示す。いずれの現象も,構文ごとの例
文の出現状況に統計的な有意差をもたらすというものであり,大量の電子化コーパス
の調査によってはじめて明らかになった事実である。
1. はじめに
メタファー(隠喩)は,修辞的な言語の用法の一部としてギリシャ時代から注目されてき
た現象であるが,Lakoff and Johnson(1980)[26]による概念メタファー理論の提唱は,メタ
ファー研究の方向を大きく転換するものであった。すなわち,概念のレベルでの写像という
見方を導入することによって,従来は言葉の彩として分析されてきた比喩表現に一貫性を与
えるとともに,そのような表現は日常言語に満ち溢れていることを認識させることに大きく
貢献したのである[27][19]。
ところが,体系的であるはずの概念メタファーを実現する比喩的な言語表現が,思いのほ
か非生産的であり,いくつものギャップがあることが,近年指摘され始めている[22][15]
[11][13]。これまでに指摘されてきたメタファー実現に対する制約の多くは,語彙的な使い
分けに関するものである。本稿では,従来指摘されてきた語彙的な制約に加えて,文法的な
制約も存在することを明らかにする。さらに,個々の文法的制約の背景に存在する認知的な
動機付けについても考察する。
メタファー実現に対する語彙的な制約が比較的厳密なものであり,表現の適否が直感的に
判断しやすいのにたいして,文法的な制約の中には,ある表現の存在を完全に排除するとい
うよりは,どちらも可能な二つの表現のうちで,どちらか一方を優先的に用いるという程度
の緩やかなものもある。したがって,正文と非文を対比させることによって現象を際立たせ
るという手法が使えない場合があり,このことが,人間の直感や少数の例文だけに頼ってき
た従来の研究において,この現象が見逃されてきた原因の一つであると考えられる。
次節では,メタファー的意味の非実現に関する従来の研究を紹介する。3節では,不快な
感情を凶暴な動物の襲来にたとえる概念メタファーの実現に関して,能動態よりも受動態が
用いられる傾向があることを,
「襲う」という動詞を例として論じる。4節では,人間の身体
または心を容器とし,感情をその容器の中の流動体として捉える概念メタファーの実現に関
して,格交替を起こす動詞の構文の一つが特化して用いられることを,
「あふれる」という動
詞を例として示す。5節では,笑顔などの表情の表出を,水面への浮上や植物の開花に喩え
るメタファーの実現に関して,使役形や他動詞が,対応する自動詞よりも用いられやすいこ
とを示す。いずれの現象も,特定の文法形式だけが用いられるという厳密な制約ではなく,
構文ごとの例文の出現状況に統計的な有意差をもたらすというものである。
2. メタファー実現に関する制約
これまで,メタファー表現の(非)生産性という現象に対して,いくつかの説明モデルが
提案されている。Lakoff (1993)の不変性の原則(Invariance Principle)[28],Grady(1997)の
プライマリー・メタファー[22],鍋島(2003)の合成と衝突に基づくモデル[15],松本(2007)
の語義的経済性の制約[13]などである1。その多くは,次の例に見られるような,語彙的な選
択に関するものである。
(1)
勇気が{湧き出る/あふれる/ほとばしる/*漏れる/*こぼれる/*したたる}。
(松本 2007 [13])
(1)の例は,感情を持つ人の身体または心を容器とし,感情をその容器内の流動体とする概
念メタファーの例であるが,特定の感情と共起する動詞に制約があることを示している。
一方,同じ動詞であっても,構文によってメタファーが可能な場合と,可能でない場合が
あることも指摘されている。岸本 (2001)は,壁塗り交替(spray paint alternation)または場所
格交替(locative alternation)と呼ばれる現象を説明するなかで,以下のような例文を示して,
特定の構文に参加する名詞句に意味的な制限があることを指摘している[9]。
(2)
(3)
a. 課長は,大きな杯に日本酒を満たした。
b. 課長は,大きな杯を日本酒で満たした。
a. *市長は,欲望にお金を満たした。
b. 市長は,お金で欲望を満たした。
(岸本 2001 [9])
同じ「満たす」という動詞であっても,(2)の例に見られるように,具体的な容器である「杯」
に具体的な液体である「日本酒」を満たす場合には,「容器に液体を」(2a)と「液体で容器を」
(2b)の両方の構文が可能であるのに対して,(3)のように,「欲望」という抽象的な名詞の場
合には,(3a)の構文は使えず,(3b)のみが可能である。岸本はこの理由について,(3a)の場合
には,
「まるで「欲望」が何か具体的な容器のように感じられてしまう」と述べている(岸本
2001,115 ページ)が,(3b)はまさにこのメタファーを実現しているのである。この例は,
「満たす」という動詞に注目すると,岸本の指摘のとおり,名詞句の意味的制限であるが,
メタファーの実現という観点から見ると,欲望を容器として見るメタファーの実現が構文的
に制約されていると考えることもできる2。
この例は,メタファー的意味の実現に関して,構文間に比較的明確な対立が存在する場合
であるが,文法的制約の中には制限が比較的ゆるやかで,直感的には必ずしも「言えない」
というわけではないが,実際の出現状況が構文ごとに大きく異なるという場合がある3。以
下では,メタファーの実現が,文法レベルでも制約されていることを,実際の言語使用を反
映する大規模なコーパスの調査によって明らかにする。
3. 能動態と受動態
本節では,
「不安に襲われる」という表現などから想定される<悪感情は凶暴な動物であ
「襲う」という動詞の能動態ではなく,
る>4とでも呼べるような概念メタファーの実現が,
「襲われる」という受動態に偏っていることを示す。
われわれは,(独)国立国語研究所が公開している「現代日本語書き言葉均衡コーパス
(BCCWJ)モニター公開データ(2008 年度版)」[12]を対象として,「襲う」という動詞が出現
した文中の<襲うもの>を表す名詞句のカテゴリーが,構文ごとにどのように分布している
かを調査した。結果を表1と表2に示す。
表1は,「襲う」と助詞「が」または「は」を伴って共起する名詞句をカテゴリーごとに
分類したものであり,表2は,「襲われる」と助詞「に」を伴って共起する名詞句を同様に分
類したものである。また,表3は,表1と表2の数値を感情を表す語彙とそれ以外のものに
二分して集計し,形式ごとに対比させたものである。
注目すべきは,表3の中で,1行目に示した感情語彙の分布である。78 例のうち 64 例
(82%)が受動態で出現している。フィッシャーの正確確率検定を行ったところ,0.1%水準
で有意であった。これは,感情語彙と「に襲われる」という形式が密接に結びついているこ
とを表している。
このことは,単に日本語が無生物主語を避けるという傾向の現れであると考えられるかも
しれない。しかし,表4に示したとおり,生物と無生物はほぼ期待度数どおりに出現してお
り,構文形式による有意差はみられなかった。これは,生物無生物の区別と構文形式の使い
分けが独立であることを表している。
したがって,感情語彙が受動態と結びついているのは,
単に無生物であるからということではない。
板東・松村(2001)は,日本語と英語の心理動詞(psychological verb)を対比させて,英語の
心理動詞に‘surprise’ や‘scare’などのような経験者目的語タイプが非常に多いのに対し,日
本語では「驚く」
「びっくりする」などの経験者主語タイプの動詞が多いという事実を指摘し
ている[1]。板東と松村は,この原因を,池上(1981)や Hinds(1986)など多くの研究者によっ
て指摘されている「スル型」と「ナル型」という言語類型論的な対立に求めている[2][23]。
この対立は,日本語が,
「自己の客体化」を避けるという傾向を持つことからもたらされると
考えられている[3][4][5][18]。
この心理動詞のタイプの偏りをもたらしたのと同じ傾向が,「襲う」に関するメタファー
の実現に関する制約となっていると考えられる。表1の 1 行目の感情カテゴリーの名詞句を
とる例文にみられるように,小説においては,作者の感情移入によって3人称の感情を客観
的に描写することができるが,典型的には感情体験は主観的なものであり,1人称で語られ
るものである。この主観的な体験を「襲う」の能動態を用いて表現するためには,
「自己の客
体化」が必要となる。したがって,本来の心理動詞の場合と同様に,経験者主語が好まれ,
その結果として,上記のメタファーの実現においても能動態よりも受動態の出現頻度が高く
なるのである。ただし,この傾向は,
「襲う」という動詞の主体が感情や感覚,病気など個人
を対象とするものである場合,すなわち心理動詞や感覚動詞として用いられた場合にのみ出
現するものであり,自然現象や社会的事象の襲来を述べる場合には出現しない。
このことが,
表3と表4のような対比をもたらしたと考えられる。
表 1
カテゴリー
感情
「が襲う」と共起する名詞句の分類
共起名詞
例文
恐 怖 (3), 不 安 (2),
「ふいに恐怖が,森川を襲った」
淋しさ,悲しみ…
「そんな不安が父を襲った」
痛み(2),激痛,不思
「上半身を凄まじい痛みが襲っていた」
議な感覚…
「肛門を、痛みを伴った熱感が襲った」
エイズ,新型肺炎,
「そのとき激しいめまいが隆志を襲った」
疫病,めまい…
「矢先に、新型肺炎(SARS)が襲った」
自然現
大 震 災 (3), 洪 水
「ある夜,巨大なハリケーンがこの付近一帯を襲い」
象
(2),津波(2)…
「関東を大震災が襲い東京を破壊した」
事象
事件,不運,国家破
「「狂乱物価」と「物不足」が住民を襲った」
産,インフレ…
「兼業化という流れが商店街を襲っていまして」
犯 人 (4), 彼 ら (3),
「ある晩、村人たちが、その二軒の家を襲い」
兵士たち(2)…
「中山忠光らは五條代官所を襲った」
野 犬 (2), 狼 (2), カ
「どんな野犬が襲ったかわからないでしょうね」
ラス,鮫…
「大型の鷲など猛禽類が襲う場合があります」
流れ弾,刀,重大な
「為朝の強弓が、隆之の胸元を襲った」
問題,言葉…
「もっとも重大な問題が彼女を襲ったのです」
感覚
病気
人間
動物
その他
合計
注:カッコ内の数値は出現頻度
頻度
14
10
5
28
15
61
18
15
166
表 2
カテゴリー
感情
感覚
病気
「に襲われる」と共起する名詞句の分類
共起名詞
例文
頻度
不 安 (7), 無 力 感
「夜寝ようとしたら突然不安に襲われる」
64
(4),恐怖(2)…
「両膝が萎えてしまうような無力感に襲われる」
29
激 痛 (4), 睡魔(4),
「飲んでみたら激しい激痛に襲われました」
寒気(2),感覚…
「毛穴がいっぺんに開いたような感覚に襲われた」
眩 暈 (5), 吐 気 (3)
「そう言うと、凄まじい喘息の発作に襲われて」
ガン,ペスト…
「ある自然科学者の一人娘がガンに襲われ」
自然
台 風 (3), 地震(2),
「新築早々とんでもない台風に襲われたことよ」
現象
豪雨,砂嵐…
「そこが地震に襲われたらどうするんですか」
事象
飢饉,凶作,不幸,
「壊滅的打撃を受け、華北一帯は飢饉に襲われた」
インフレ…
「夫の死という不幸に襲われたときの落ち込みから」
刺 客 (4), 男 (3), 何
「ヘイワードはここで何者かに襲われて」
者か(3),強盗…
「僕は、去年の暮れに、ロスで強盗に襲われ」
野犬(6),ライオン
「このモアの落とし主は、野犬に襲われた」
(3),熊(3)…
「北海道では熊に襲われたこともあったようだ」
その
敵 機 (2),P51, 淋 巴
「一度、土堤でP51に襲われたことがあったよ」
他
液
「おらたちはあのねとねとの淋巴液に襲われて」
人間
動物
18
19
6
58
34
4
232
合計
注:カッコ内の数値は出現頻度
表 3
感情語彙の構文形式別分布
「に襲われる」
感情
感情以外
合計
「が襲う」
合計
64(45)
168 (187)
14 (33)
152(133)
78
320
232
166
398
注:カッコ内は期待度数;p<0.001***(フィッシャーの正確確率検定)
表 4
生物無生物の構文形式別分布
「に襲われる」
生物
生物以外
合計
「が襲う」
合計
140 (132)
92(100)
87 (95)
79(71)
227
171
232
166
398
注:カッコ内は期待度数
4. 格の交替
2節では,
「満たす」という動詞が,概念メタファーの実現に関して,名詞句の意味に制
限があり,これが構文の制約である可能性を指摘したが,本節では,
「あふれる」という動詞
に関して,メタファー的な意味の使用状況を確認する。
「あふれる」という動詞は自動詞であるが,以下のような場所格交替を起こす。
(4)
(5)
a. 車が道路にあふれていた。
b. 道路が車であふれていた。
a. 喜びが胸にあふれていた。
b. ?胸が喜びであふれていた。
(岸本 2001 [9])
(5b)は,筆者にはやや不自然に感じられるが,岸本も述べているように,壁塗り交替の可
能性には,かなり個人差が見られ,参加する名詞句によって微妙に容認度が変化することが
ある。そこで,前節と同様,BCCWJ コーパスモニター公開データ(2008 年度版)を対象に,
実際の使用状況を調査した。
「あふれる」は,<あふれるもの>をマークするのに,(4a)のように助詞「が」を用いる
場合と,(4b)のように「で」を用いる場合があるが,このほかに,助詞「に」が用いられる
場合がある。
(6)
どの顔も生き生きとした躍動感にあふれている。
(鈴木
光司『生と死の幻想』)
この「に」は,(4a)や(5a)のように場所を表すものではなく,材料を表すものとされてい
る[10]。
それぞれの助詞が,どのような名詞句を伴って用いられるかを調査するために,「あふれ」
および「溢れ」をクエリとして上記コーパスを検索し,<あふれるもの>が「が」「に」「で」
のいずれかの助詞を伴って出現している 332 例を分析の対象とした。結果を表5に示す。
表5では,<あふれるもの>を表す名詞句を,a)<液体>,b)<人・モノ>,c)<活気・
感情>,および d)<その他>5の4つのカテゴリーに分類し,それぞれのカテゴリーの名詞
句がどの助詞を伴って出現したかをクロス集計表にまとめたものである(表中の▲は有意に
多い,▽は有意に少ないことを示す)
。
表 5
カテゴリー
a)
b)
c)
d)
液体
人・モノ
活気・感情
その他
合計
「あふれるもの」の構文形式別分布
「が」格
「で」格
「に」格
合計
61▲
52▲
42▽
30▲
1▽
18▲
2▽
5
0▽
5▽
109▲
7▽
62
75
153
42
185
26
121
332
表5からあきらかなように,<液体>は1例を除いて「が」格構文でのみ用いられており,
<活気・感情>は,「に」格でマークされることが多い。個々の構文別に見てみると,「が」
格構文では<液体>カテゴリーが他の構文より有意に多く(χ2=20.25, p<0.01),<活気・
「で」格構文では<人・モノ>が有意に
感情>が有意に少ない(χ2= 21.95, p<0.01)。一方,
多く(χ2=25.03, p<0.001)
,
「に」格構文では<活気・感情>が有意に多い(χ2=50.83,
p<0.001)。
以上のことから,「が」格構文にはさまざまなカテゴリーの名詞句が共起するのに対し,
「で」格構文と「に」格構文は,それぞれ,<人・モノ>と<活気・感情>カテゴリーに特
化した構文であるといえる。
「で」格は,<液体>にはほとんど用いられておらず6,国広
(1997)[10]のように単純に<物質的なもの>と考えるよりは,Jackendoff(1991)や池上
(2007)が指摘している,大量の個体を液体のような流動体として捉えることによって,可算
名詞と不加算名詞を交替させる認知操作7と結びついていると考えた方がよいだろう[6][24]。
一方の「に」格構文が表しているのは,2 節で言及した,人間の身体または心を容器とし,
感情をその容器内の流動体とする概念メタファーの例である。注目すべきは,この構文に出
現する感情名詞が肯定的な情緒的意味を帯びたものである点である。
表6に,この構文の「に」
格に出現した 109 件の<感情・活気>を表す名詞句をすべて示す8。
「悲しみ」
「悲壮感」など,2,3の例外はあるものの,大多数の名詞句は肯定的な情緒的
意味を帯びている。この制約は,人間の身体を容器に見立てるという概念メタファーがもた
らしていると考えられる。何かが「あふれる」ためには,あふれるものが体内に充満してい
なければならない。この<身体が満たされた感覚>は,食事を終えた後の満腹感や渇きをい
やす飲料水の摂取をはじめとした満足感に基盤を持ち,それがさまざまな抽象的な充足感や
満足感として投射される。さらに,食事はエネルギー補給であるから,代謝がもたらす活気
や活力は,メトニミー的な動機付けを持っている。このような充実感を基盤とした上で,急
速に放出されるのではなく,ゆるやかに流れ出すというイメージが,
「あふれる」という語と
結びついているために,肯定的でしかも穏やかな感情や生き生きした活気が<あふれるもの
>として取り上げられるのだと考えられる。
「に」格で材料を表す言い方は,古い用法である
が,このメタファーとの親和性が高いために,特化して残存したのであろう。
表 6
「あふれる」と「に」格で共起する<感情・活気>名詞句
魅力(8),活気(6),希望(5),喜び(4),才能(3),躍動感(3),自信(2),創意(2),愛(2),
活力(2),エネルギー(2),自由さ(2),ホスピタリティ(2),熱気,生活力,精力,パワー,
熱,気概,活気と潤い,熱と力,馬力,希望と冒険,情熱,やる気,闘志,生命力と神秘性,
バイタリティー,意欲,活力と創造性,潤いと活気,意欲と感性,覇気,熱情,夢と希望,
生気,疾走感と喪失感,目的とモチーフ,才気,機知,母性,人情,起業家精神,サービス
精神,チャレンジ精神,異国情緒,雅趣,親愛の情,責任感,隣人愛,清涼感,臨場感,情
感,謙譲精神,誠意,栄光と尊厳,期待,歓喜,真情,友情,勇気,やさしさ,爽やかさ,
向上心,愛国心,個性,興味,低意,悲しみ,さわやかな空気,ダイナミズム,希念,生命
感,抒情,実感,宗教的雰囲気,現実離れしたムード,惜別の情,悲壮感
注:カッコ内の数値は出現頻度
5. 使役交替
英語において,他動詞と自動詞が同じ形態(語幹)を共有し,自動詞用法の主語が他動詞
用法の目的語と同じ意味を担うことは,使役交替(causative alternation)と呼ばれるが,日本
語の場合は,「焼く yak-」と「焼ける yak-e-」のように共通の語幹に何らかの接尾辞をつけ
て自他を区別することが一般的である。このような自他交替(transitivity alternation)をする
「させる
他動詞によって表される使役を語彙的使役(lexical causative)と呼ぶのに対して,
-ase」を用いる使役は統語的使役(syntactic causative)と呼ばれる[7][8]。
本節では,表情を顔面に表出することを表す二つのメタファーが,自動詞よりも,対応す
る他動詞や
「させる」を伴う統語的使役によって実現される場合が多いことを明らかにする。
ひとつは<顔面は水面であり,表情の表出は水面に浮上することである>というメタファー
であり,もう一つは<笑いは開花である>というメタファーである。前者は,
「浮かぶ」−「浮
かべる」という対応する自動詞と他動詞すなわち語彙的使役によって実現され(7a)(7b),後
者は「ほころぶ9」−「ほころばせる」という自動詞と統語的使役によって実現される(8a)(8b)。
(7)
a. 成輔の口元に、いたずらを仕掛けるような笑みが浮かぶ。
(柄刀 一 『4000 年のアリバイ回廊』
)
(8)
b. 留乃が、悲しそうな表情を浮かべた。
(窪依 凛 『エスケープ!』
)
a. やっとまた一人だ、と思うと自然と顔がほころんだ。
(久田
恵 『母のいる場所』)
b. 男はたしかに、口許をニヤリとほころばせたのです。
(横田
濱夫 『騙しのカラクリ』)
(7)のように,
「浮かぶ」
「浮かべる」は,両者とも表情の表出を水面への浮上に喩えるメタ
ファーを実現することができる。しかし,その出現状況は大きく異なる。表7に,BCCWJ
コーパスモニター公開データ(2008 年度版)を調査した結果を示す。
表 7
表情
表情以外
合計
表情のメタファーの出現状況
「浮かぶ」
「浮かべる」
合計
85 (246)
466 (305)
346 (185)
70 (231)
431
536
551
416
967
注:カッコ内は期待度数;p<0.001***(フィッシャーの正確確率検定)
表 7 から明らかなように,表情の表出を浮上で表すメタファーは,「浮かぶ」よりも,「浮
かべる」で表現されることが圧倒的に多いのである。
「浮かぶ」のほうは,
「アイデア」や「考
え」が「脳裏に浮かぶ」ことや,
「情景」が「目に浮かぶ」ことなど,脳内での想像行為に用
。
いられることが多い(全 551 例中 325 例,59%)
「浮かぶ」という動きは,浮力によって自動的に進行することが多いであろうから,使役
によってこの動きを実現させることは,本来あまり必要ない。したがって,
「浮かべる」とい
う他動詞が表すのは,
「浮かぶ」動きの過程を実現することではなく,結果として水面に存在
するという状態を実現することである。この「浮かべる」の<表面に存在させる>という意
味特性が,
顔面という表面に注目する表情のメタファーに用いられるという動機付けを与え,
一方の「浮かぶ」は自発的な想像の過程によって,はっきりと形が見えてくるという点に焦
点をあてるために,表 7 のような分布状況がもたらされると考える(「浮く」と「浮かぶ」を
対比した長嶋(1982)も参照のこと[16])。
同じような状況は,統語的使役によって使役交替をする「ほころぶ」にも見られる。表8
に,「ほころぶ」と「ほころばせる」の出現状況を示す。
表 8 <笑顔は花>メタファーの出現状況
「ほころぶ」
表情
表情以外
合計
「ほころばせる」
15 (20)
9 (4)
24
合計
26 (21)
0 (5)
41
9
26
50
注:カッコ内は期待度数;p<0.001***(フィッシャーの正確確率検定)
「ほころぶ」の方は,「花」「サクラ」「蕾」の開花に計6例,「かます」「肉」「事件」に各
1例の合計9例が表情以外に用いられているのに対し,「ほころばせる」の方は,「顔」(13
例),
「唇」
(4例)をはじめ,すべての例が顔の表情,特に口もとをゆるめる笑いを表現する
例である。
「浮かぶ」が浮力によって自動的に進行するのと同様に,「ほころぶ」動きは,植
物の生物学的機構によって自発的に進行する動きを表す。したがって,使役によってこの動
きを実現させることは,本来全く必要のないことである10。「ほころばせる」という統語的
使役が表すのは,
「ほころぶ」動きの過程を実現することではなく,結果として花が開いた状
態を実現することである。このことから,単に口を開けるという動作ではなく,<花開いた
結果>としての笑顔の華やかさを述べるという表情のメタファーにもっぱら用いられるよう
になったものと考えられる。
6. おわりに
本稿では,能動態と受動態,格助詞の交替,使役交替の三つの交替現象において,一方の
構文形式がメタファーの実現に際して,交替する他方の構文と比べて,特に好まれるという
現象を指摘した。これまでのメタファー実現のギャップに関する研究では,語彙的な選択に
対する制約が述べられることが多かったが,言語話者は,語彙の選択と同時に,述べ方や見
方,すなわち構文も選択しているのである。その背後には,特定の構文を好んで選択させる
認知的な動機付けが存在することも指摘した。メタファーによって変更あるいは限定された
意味と相性のよい構文が選択されやすいのである。ただし,語彙と比較すると,構文形式の
が担う意味は,使役や移動,変化といった一般的なものである。このため,厳密な制約とい
うよりは,統計的な傾向として表れることになる。
形式が異なれば意味も違うということは,認知言語学の常識であるが,これまでの交替現
象の研究はプロファイルの違いに焦点があてられ[29][30],メタファー的意味の実現に関し
てこれらが使い分けられていることが,数値データを示して検証されることはほとんどなか
った。作例によって容認性をチェックするという方法では発見しがたい事実であるからであ
る11。
最後に,松本(2007)が提案している語義的経済性の制約[13]に対するあらたな見方を提示
して,本稿を終える。松本(2007)は,メタファー的意味の実現を阻止するギャップについて,
過剰指定と語の競合という考え方を提示した上で,これらは語義の経済性を求める一つの制
約から説明できるとしている。
(9) 語義的経済性の制約:概念間の対応関係がある時,ある語がそれに基づくメタファー
的意味を実現することができるのは,より適切な語(過剰指定がより少ない表現)
がなく,かつ,同じ意味を表すものとして他の語が定着していない場合のみである。
(松本 2007[13], pp.82)
考え方を大きく変更するものではないかもしれないが,経済性という目的論的な見方では
なく,生物界における表現型進化の大きな特徴である便宜主義的な見方もできるのではない
だろうか。生物は,ある問題を解決するために,形態や器官を本質に戻って一から組み立て
ることをしない。まわりにある材料を手当たり次第に利用する。素材は何でもかまわない。
問題の解決のしかたはまったく便宜的である[14]。例えば,飛揚という問題を解決するため
に,鳥とコウモリはそれぞれ独立に前肢を翼に進化させた。多細胞動物の爆発的多様化にお
いては,わざわざ新たな多細胞動物特有の遺伝子が作られたわけではなく,既存の遺伝子を
利用して達成したというのが最近の見方である。これはメタファー表現に,そのまま応用で
きると思われる。何らかの動機付けがあり,ある表現が一旦定着してしまえば,わざわざ別
の表現を用いてあいまいさを増やす必要はほとんどないのである。
参考文献
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[31] Pinker, S.: Learnability and Cognition: The Acquisition of Argument Strucutre, MIT
Press. (1989)
注
松本(2007)には,概念メタファーのギャップに関するこれまでの研究が,豊富な例文とと
もに解説されている[13]。
2
液体を直接目的語(「を」格)にとる場合は,液体の移動に焦点が当てられるのに対し,
容器を直接目的語にとる場合には,容器の状態変化に焦点が当てられる[31]。このメタファ
ーが問題にしているのは心的状態(欲望)の変化であって,金銭の移動ではないことから,
(3b)の構文のみが用いられると考えられる。
3
“what you can say”(言えること)と“what you do say”(実際に言うこと)は違うという
のがコーパス言語学によって得られた知見である[21]。
4
<A は B である>と表記したからといって,B にまつわる概念がすべて A に写像されるこ
とを主張するわけではない。特定のメタファーを指示するための便宜的なラベルである。ま
た,メタファーの元領域(この場合には<動物の襲来>)を特定することは実際には困難な
課題であり,命題的な知識だけではなく,イメージ・スキーマやそれにまとわりついた前提・
含意といった暗示的な意味や評価的な意味も含んでいる[25]。本稿では,概念を< >で表
記し,言語表現と区別する。
5
「その他」のカテゴリーの中には,
「情報」
「光」
「声」など,大石(2006)が整理している「水」
に関する概念メタファーの先領域に属する語彙が含まれている[17]。
6
洪水を表現する際に,容器である川を取り上げて,
「川があふれる」ということがあるが,
このとき,
「で」で取り上げられるものは「集中豪雨」などの原因であって,<あふれるもの
>である液体ではない。
7
山梨(2009)は,この認知プロセスを<統合的スキーマ>と<離散的スキーマ>のゲシュタ
ルト変換として捉えている [20](pp.19-21)。
8
表6中の名詞句のうち,
「異国情緒」や「雅趣」などは,人体を容器とするのではなく,作
品や街などが容器であり,それを体験した人物が,このような「情趣」を感じ取るという意
味構造になっている。しかし,人間が精神的に感じることである点には変わりがない。
9
「ほころぶ」と「ほころびる」は,「硬く閉じたものが開く」という意味を共有している
ことから,元来は一つの動詞に四段活用と上二段活用の二つの活用形があったのが,上二段
動詞が上一段動詞に変化した結果,
「開花」と「布の綻び」に使い分けられるようになったと
考えられる。
「ほころびる」は主に名詞「ほころび」が<破綻>という比喩的意味で用いられ
ている。
10
人工的に温度を調整して植物を「ほころばせる」ことはもちろん可能である。しかし,そ
のような行為はまさに人工であって,
「自然ではない」のである。
11
作例による言語研究を否定するわけではないが,意識的に表現の容認性を判断するときの
脳のモードは,無意識に発話するときの脳のモードとは異なっている可能性がある。言い換
え可能性や容認性判断に基づく言語理論は,コーパスによる実例研究によって,確証されな
ければならない。
1