少 年 期 、「 詩 の ア ル バ ム 」 石山 光明(中央図書館) 小学校5年生の夏休み、私の家は埼玉県草加市から越谷市に転居した。夏休みに転校したため、元の学校 の膨大な宿題を免れた開放感よりも友達と離れ離れになってしまった喪失感の方が大きかった。宿題がなく友 達もいない夏は飽きるほど長く、2歳年下の弟と二人して「未知の世界」を探検した。 何十もの団地が立ち並ぶ草加市松原団地と比べて、当時の越谷は今よりもずっと田舎だっ た。ゆっくりとした元荒川の流れ、沼地のザリガニ捕り、黒曜石の採れる砂地では槍を作って の原始人のまねごと。宮内庁管轄の「御猟場」から野鳥の群れが飛び立ち、とっておきの「木」 にはクワガタが棲んでいる。太陽の恵みが充満するところだった。 そんな格別の夏休みにこの本に出会った。黒水辰彦編著「詩のアルバム:山の分校の詩人たち」。買った のか貰ったのか覚えていないが、奥付を読むと、丁度その年の5月に発刊されていた(本学の所蔵は 1998 年 の復刻版)。“宿題が無い夏休みに、暇を持て余して読んだ本”、“読まなくちゃいけない本なんか無いけれど、 読めと言われずに読んだ本”それが、この本だった。それ以来この本は、その後の三度の引越しや、気まぐれ の模様替えを乗り越え、私の本棚の中で、いつも「良い位置」に居座っている。 山の分校のたった9人の子どもたちが書いた、たくさんの短い詩。友達が、話し掛けてくれているような 感覚。 時々手にしては、静かな夏の記憶が呼び醒まされる。幼い頃の夢や希望が強く生きる勇気を贈ってく れる。著者の黒水氏による一作ずつの解りやすい解説が付されている。 山 きょうの山は、 いつもの山とちがう。 いつもよりどっしりして見える。 今夜は雪が降るぞ。 ぼくの頭は、 君のぼうしのようにまっ白になるぞ。 あしたの朝をたのしみにしていろよ。 と、山が、 ぼくに言っているようだ。 ふるさとの山は美しい。霊峰・霧島の山々が、小林盆地をまたいで西南の方向に見えます。 山の子は、山から学びます。山のことばを聞き、山から教えられながら、たくましくかしこく育っていき ます。 (詩のアルバムより) この時期我が家は、決して裕福ではなかった。しかし、自然も自分もスクスクと育ち盛りの時代。今とな っては、求めずに得た宝のような夏の思い出。分校の子どもたちも、きっと同じ事を思ってないだろうか。こ の本は、自分の幼い頃の気分にいつでもシンクロさせてくれる大切な一書である。 本 お父さんは「詩集」を読んでいる。 お母さんは「家の光」を読んでいる。 私は「ヘレンケラー」を読んでいる。 もし、この詩が、 お父さんは「新聞」を読んでいる。 お母さんは「週刊誌」を読んでいる。 私は「マンガ」を読んでいる。 とでもなっていたら、どうでしょう。そこからは何も心に吹き上げてくるものが感じられません。詩の 心がありません。 ところが、この詩のようですと、限りないイメージと意味を感じさせられます。 (中略)みんなで伸びて いく家族の姿が見えてきます。静かで充実した美しいひとときをすごす家庭が見えてきます。 (詩のアルバムより) そんな過去を振り返ってみたが、今年の夏も、良い本に出会いたいと思わずにいられない。
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