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まえがき
被疑者不詳に対する殺人被疑事件につき、平成 11 年 11 月 15 日千葉県警察本部長 警視監 上田政文殿
は、鑑定人に対し、佐倉簡易裁判所 裁判官 桑田正明殿の鑑定処分許可状により、小林晨一殿の死体を
解剖の上、下記事項の鑑定を嘱託せられ、その結果は後日書類により報告するよう告げられたので、鑑
定人はこれを了承した。
鑑定事項
1.死因
2.損傷の部位、形状、程度
3.成傷器の種類及び成傷方法
4.死後の経過時間および死亡推定時刻
5.血液型
6.胃の内容物、食後経過時間
7.その他参考事項
よって同日(平成 11 年 11 月 15 日)千葉市中央区亥鼻 1-8-1、千葉大学医学部法医学教室に於いて、上
記死体を解剖したところ、次の様な所見を得た。
解剖検査記録
解剖開始
終了
午前 10 時 37 分
午後 0 時 32 分
被剖検者名
小林晨一 殿
昭和 8 年 1 月 2 日生
第1
66 才
外表検査
1.一男性屍
解剖台上に仰臥の位置に在り。顔は正面を向き、左右上肢は体側に沿いて伸ばす。左右下肢もほぼ自
然に伸ばすも、足関節を伸展して足先をやや下方に伸ばす。身長 162.5cm、体重約 45.5kg を算す。全
裸にして全身の皮色は、後述のごとく乾燥、革皮様化のため、淡黄褐色ないし暗褐色を呈しミイラ化す。
従って屍斑等は検し得ず。前身の皮膚は乾燥して前述のごとく暗褐色を呈し、顎関節は乾燥による硬直、
その他の関節も皮膚等の乾燥によりて、顎関節は硬く可動性なく、手関節(肘関節か)はやや可動性を
有し、足関節は殆ど可動性を有さず、強く関節を伸展するに皮膚は亀裂を形成す。膝関節、足関節いず
れも皮膚乾燥による硬直のため殆ど可動性を有さず。
2.頭部
頭部には最長約 14.0cm の白毛多量を混じた黒色頭髪密生す。頭髪の脱落は用手的には極めて難。頭
皮は乾燥して、革皮様化して硬く、暗褐色ないし褐色を呈す。
3.顔面
前述のごとく顔面もミイラ化し、硬く革皮様を呈し、前額部の髪際等には白色のカビ様片を付着す。
右鼻孔内よりは直径約 0.5cm 前後のプラスチック製の半透明のチューブを挿入され、このチューブは
口腔の後部を通るのを確認す。末端には「素材発信、ザダイソー、パスタケースロング」と識別される
刻印を識別す。その他「家庭用品品質、ポリプロピレン、耐熱温度 120 度、耐冷温度-20 度、」などと判
読される刻印を存し、半透明にして上方はピンク色の蓋を装着し、これに前述のチューブは挿入される。
容器の上下径は蓋を含めて約 29.0cm、上端における直径約 9.5cm、下端における直径約 7.5cm 前後を
算す。鼻孔周辺は絆創膏を添付しあり。チューブを右鼻孔により外方約 2.5cm の部において切断す。
顔面の皮膚は前述のごとく革皮様化して硬く、殆ど顎関節等も可動性を有さず。鼻部等には白色ない
し淡黄白色のカビ様片を付着す。
眼窩部は陥凹し、鼻下、頤部等には長さ約 0.1cm 前後の白色のひげを多数生やす。皮膚は革皮様化し、
特に損傷等は認めず。眉毛も残存し、用手的に抜去難。
前額部、頬部の皮膚はやや黄褐色調を帯びる、その他の部は褐色ないし暗褐色を呈す。
前述のごとく左右眼窩は後方に陥凹す。左上下眼瞼は乾燥して暗褐色を呈し、眼瞼結膜も乾燥し、眼
瞼は乾燥して菲薄、乾固し、眼瞼結膜は淡褐色を呈し混濁、眼球結膜は黒色ないし暗褐色を呈す。角膜
も混濁して瞳孔を透見し得ず。
右眼窩部に相当しては、眼瞼の内部に約 0.3cm ないし約 0.4cm 前後の多数の蛹片をいれ、眼瞼結膜
は前述の左眼同様乾燥して菲薄、乾固し褐色を呈す。この蛹様物を圧するに、内部より乳白色液を洩ら
す。眼球は欠損し、僅かに残存せる部は後方に退縮して、乾燥して暗褐色に退縮す。
鼻部には前述のごとく白色の絆創膏をチューブ周辺に添付しあり。鼻孔周辺から絆創膏の内部には長
さ約 0.3cm ないし 0.4cm 前後の多数の蛹様片を付着す。
鼻孔周辺の皮膚も乾燥して乾固し、陥凹す。口は広く開き、口腔周辺の皮膚も乾燥して乾固し、口腔
内には体長約 0.6cm 前後の蛆多数蚕食す。歯牙に損傷を認めず。舌は軟化して後方に退縮す、舌上面等
には多数の蛆を付着す。
上下中切歯は線状に象牙質を露出す、側切歯も線状に象牙質を露出す。
口唇周辺は乾燥して暗褐色を呈す。口腔内膜も乾燥す。
左右口角に割を加えて検するに、出血等を認めず。口角周辺の皮膚も前述のごとく乾燥して、革皮様
化し、乾固す。
左右耳介も乾固して黄褐色ないし暗褐色を呈す。
上歯列の左側、左第一大臼歯に銀色冠を装着し、第三大臼歯の咬合面に充填物を存す。側切歯、犬歯、
第一、第二小臼歯の歯頤部にレジンを充填される。
上司列の右側は第二大臼歯まで残存す、特に損傷を認めず。側切歯、犬歯、第一、第二小臼歯の歯頤
部にレジンを充填される。
下歯列、左は第三大臼歯まで残存し、右は第二大臼歯まで残存す、特に損傷を認めず。左の第一小臼
歯、第二小臼歯、第一大臼歯並びに右の第一、第二小臼歯、第一大臼歯の歯頤部にレジンを充填される。
4. 頸部
頸部も顔面に連続して広く乾固してミイラ状を呈し、前頸部は黄褐色を呈し硬く、左側頸部から項部
は硬く乾固するも、右側頸部の皮膚は表面暗褐色を呈するも、やや軟にして、内部はやや波動を感じ、
圧によりて陥凹す。この部に相当しては、長さ約 0.3cm 前後の蛹様片を付着し、右耳垂の後方等にも多
数の蛹様片を付着す。右側頸部等には粟粒大虫咬様の傷痕数個を散在す。項部も乾燥して暗褐色、殆ど
乾固す。
5. 胸腹部
左足蹠より鎖骨内端までの高さ約 132.0cm、
口角までの高さ約 144.0cm、内眥までの高さ約 151.5cm、
眉毛内端までの高さ約 153.5cm、耳介付着部までの高さ約 152.5cm、耳垂付着部までの高さ約 146.5cm、
腸骨上前棘までの高さ約 88.0cm、膝蓋骨上縁までの高さ約 45.5cm を算す。
胸腹部はほぼ全面に亘り他の部分と同様、乾燥して革皮様化し黄褐色ないし褐色を呈し、乾燥して乾
固し、ミイラ状を呈す。胸骨部においてはほぼ全面に亘る上下径約 16.0cm、左右径約 5.0cm に亘り、
辺縁の形状不規則な暗褐色部を存し、この部は周辺よりはやや軟、圧によりて僅かに陥凹す。
その他の部は殆ど黄褐色を呈し、革皮様を呈す。全身に亘り表皮はいずれも剥離す。
損傷は認めず。
6. 背部
左足蹠より第七頸椎棘状突起までの高さ約 138.0cm、外後頭結節までの高さ約 154.0cm、尾骨端まで
の高さ約 77.0cm を算す。
背部も表皮は殆ど剥離し、左右肩胛部、肩胛上部、左右側胸部、腰部等は暗褐色ないし褐色を呈し、
革皮様化して乾固す。僅かに前述の右側頸部に続いて項部下界から肩胛間部はやや一部軟。臀部はほぼ
上下径約 25.0cm、左右径約 30.0cm に亘り、表皮は欠損するも表面は湿濁し蒼白。この部にも約 0.6cm
前後の蛆数匹蚕食す。真皮層も一部点状に剥離す。前述の革皮様化部、更に下肢後面の革皮様化部とは
比較的境界鮮明。この部の皮膚は前述のごとく湿潤して軟にして、圧によりて陥凹す。背部に損傷等は
認めず。
左右側胸部は革皮様化して暗褐色を呈するも、後面は背部に連続して僅かに表面湿潤して軟する部分
を存す、いずれも表皮はすでに剥離す。軟なる部は暗褐色ないし褐色を呈し、一部は表皮片を付着す。
7. 上肢
左上肢。左上肢も広く革皮様化しミイラ化し、黄褐色ないし暗褐色を呈す、皮膚は乾固し、ミイラ化
す。前述のごとく皮膚並びに軟部組織乾固するため、各関節の屈曲は極めて難、特に手関節、各指関節
は完全に乾固し屈曲不能。
胸部から腋窩の下方に相当して、内部はやや湿潤部を存し、表皮片を付着す。
乾固のため無理に各関節を屈曲するに、皮膚には浅き多数の亀裂を形成す。
特に損傷を認めず。
左上肢に割を加えて検するに、皮下脂肪織は一部融解するも殆ど残存す。筋肉は紫褐色を呈し殆ど残
存す、特に出血を認めず。
右上肢。腋窩内は表面やや湿潤し、表皮片を付着す、容易に表皮は剥離す。その他の右上肢はほぼ全
面に亘り乾燥して暗褐色ミイラ状を呈す。上腕の外側等には乾燥せる表皮片を一部付着す。明瞭な損傷
は認めず。
各関節は、左上肢同様皮膚並びに軟部組織等乾燥するため、屈曲は極めて難。
右上肢に割を加えて検するに、皮下脂肪織は比較的健常に残存し、筋肉も淡紫褐色を呈して、ほぼ残
存す。皮下脂肪織、筋肉内等に特に出血等を認めず。
8. 下肢
左右下肢も他の部と同様乾燥して革皮様化して黄褐色ないし暗褐色を呈し、前面は殆ど黄褐色、後面、
内側等は暗褐色を呈し、内側の一部はやや軟。
左下肢。大腿中央部には腐敗血管網の痕跡を見る。一部白色の粃糠状表皮片を付着し、容易に剥離す。
大腿内側上部は、外陰部かけて暗褐色を呈し、黄色のカビ様片少量を付着す。損傷等は認めず。膝蓋部
は乾固して、黄褐色を呈す。その他の部も暗褐色を呈し、乾固す。
下腿後面等は表皮は乾固するも内部はやや軟、圧によりて陥凹す。下肢の内側から後面にかけて割を
加えて検するに、皮下脂肪織は比較的残存し、内部の筋肉は一部暗紫褐色を呈してやや混濁するも、ほ
ぼ正常に残存す、内部に出血等を認めず。
左足も乾燥して、ミイラ化し、暗褐色ないし黄褐色を呈す、一部は表皮は剥離するも、殆ど表皮はな
く、爪は残存す。
右下肢。右大腿も左大腿同様広く革皮様化し、黄褐色ないし暗褐色を呈す。大腿前面中央部から下部
にかけては暗紫褐色を呈し、膝関節等は乾固するため、膝関節を強く屈曲するに皮膚に小亀裂多数を形
成す。大腿の外側から後面等は一部暗褐色ないし黒色を呈し、外側は表皮を付着し、表皮は容易に剥離
し、内部はやや湿潤す。
この部に割を加えて検するに、皮下脂肪織内に腐敗気疱をいれ、血色素湿潤のため皮下脂肪も淡赤色
を呈す。筋肉も一部混濁するも淡紫褐色を呈す、ほぼその原形を留める、内部に一部は腐敗気疱等を散
在す。
大腿内側上部にも左大腿と同様、カビ様片を付着す。
下腿も大腿に連続して、膝蓋部等は黄褐色ないし褐色を呈するも、その他は暗褐色、ミイラ化し乾固
し、僅かに下腿後面中央部に手拳大の部に亘り軽度の蒼白部を存し、表皮片を付着し、この部は湿潤す。
いずれも下腿の表面の皮膚は乾固するも、内部はやや軟。前述の蒼白部に割を加えて検するに、皮下脂
肪織内に腐敗気疱を軽度に発現す、筋肉もやや暗褐色ないし暗紫褐色に一部変色するも、ほぼ形状を保
つ。
足先は下方に伸ばし、表面は左足同様表皮は一部剥離し、皮膚は乾燥して暗褐色ないし黄褐色を呈す、
爪等は残存す。特に損傷を認めず。
9. 外陰部
陰阜には最長約 6.0cm の白毛を混じた黒色陰毛を密生し、この部もすでに乾燥して黄褐色、革皮様化
す。陰茎、陰嚢は乾燥して偏平化し、黒色に変色す。陰茎には直径約 2.6cm 前後のカテーテルを挿入さ
れ、更にその先端にはやや太きプラスチックチューブ、更にその下方には『ユーバッグ』と印刷名称あ
る乳白色プラスチックのバッグも装着す。陰茎より露出せる部は約 18.0cm を算し、この部は前述のご
とく乳白色の半透明のチューブに連続される、チューブ内には黄褐色内容極めて少量付着す。
10. 肛門
肛門周囲もやや湿潤し、乳白色を呈す。肛門は閉じ、表皮は一部剥離す、肛門内における体温は長時
間冷蔵庫に保管せるため測定せず、室温は 17.0 度を算す。
11 月 12 日午後 3 時 06 分検視時においては直腸内温度 23.6 度、検視時における室温 17.1 度を算し
たという。発見現場の室温は 24.0 度、布団内の温度は 24.4 度を算したと言う。11 月 12 日午後 7 時ご
ろから 11 月 15 日午前 8 時 30 分ごろまで冷蔵庫内に保管す。
第2
甲
内景検査
胸腹腔開検
11. 胸腹部の正中を縦断して検するに、皮膚は前述のごとく乾固するも、皮下脂肪織の表面は一部黄褐
色に変色するも、その他は黄色を呈し、殆ど原形を保ち、その厚さ臍部において約 2.0cm を算す。
胸筋は、胸郭の下半部は赤褐色を呈するも、それより上方は淡褐色ないし一部暗褐色に変色す。更に
前頸部の皮下脂肪織も黄色調を帯びてほぼ原形を保つも、前頸部等の筋肉表面は暗褐色ないし褐色に変
色に、内部に体長約 0.5cm ないし約 0.6cm 前後の蛆数匹蚕食す、蚕食部の筋肉は褐色を呈す。これに
連続して胸筋の上半部は一部斑状に黒色に変色す。
腹腔内に異液なく、腹壁腹膜は蒼白にして、腹膜外に脂肪を存す。諸腸も蒼白、後述の如く内膜は融
解して菲薄となるもほぼ原形を保ち、腹膜は残存す。横隔膜の高さ左は第4肋骨、右も第4肋骨に相当
す。
腹腔内の脂肪は一部融解するも、大網等は形状を保つ。胸郭前面の肋骨に骨折等を認めず、出血も認
めず。
12. 肋骨を切除して検するに、視野は脂肪織化せる胸腺、心嚢前面、左右両肺の前縁によりて占められ
る。
左右両肺は後述のごとく腐敗軟化して汚穢褐色を呈す、腐敗気疱等のため一部膨満し軟化す。
左胸腔内には暗赤色液約 250cc を入れる、内部に脂肪片様多量を入れる、内膜は血色素浸潤のため淡
赤色に染まり、腐敗気疱を発現す。
右胸腔内にもカビ様片、脂肪様片を含む暗赤色様液約 300cc を入れる、内膜は血色素浸潤のため紫赤
色に染まり、腐敗気疱を発現す。
前述の右鼻孔より挿入されたチューブは食道を通りて、胃の内部まで挿入される。
その一
胸腔臓器
13. 胸腺
胸腺は脂肪織化して殆ど実質を残存せず。胸腺周辺は腐敗のため混濁し汚穢黄色調を呈す。
14. 心嚢内
心嚢内は空虚、表面は腐敗のため混濁し、僅かに黒色物少量を付着す。心臓は退縮して偏平状となる、
右心房周辺の外膜にも極めて少量なるも点状に黒色物を付着す。一部の心嚢内膜血色素湿潤のため淡赤
色に染まる。
15. 心臓
心臓摘出の際、周囲の大血管より血液を洩らさず。
心臓、重量約 270g。大動脈弁、肺動脈弁は灌水によりて殆ど閉鎖す。心筋の硬度は軟にして偏平化
して退縮す。心臓表面は前面は黄色、後面は淡紫褐色を呈し、脂肪織内には一部血色素湿潤を見る。心
臓表面に出血等を認めず。
心筋はは淡褐色ないし褐色を呈し、心筋内に出血なく、心筋は軟化するも、殆どその原形を保つ、そ
の厚さ左は約 1.2cm、右は約 0.1cm を算す。右心房はやや黄色調を呈す。心内膜は右心房から右心室上
半部は暗褐色に変色し、粟粒大等の乳白色の結晶を付着す、内部に体長約 0.5cm 前後の蛆数匹蚕食す。
更に右の肺動脈起始部から肺動脈にかけての内膜は暗褐色に染まる。左心房は殆ど前面に亘り暗褐色に
染まり、内部に粟粒大等の黒色細粒を付着す。右心室の上半部から大動脈起始部にかけての心室内膜も
淡褐色ないし暗緑褐色に染まる。
大動脈起始部の内膜は殆ど平滑、前述のごとく暗緑褐色に染まる、その幅約 7.1cm、冠状動脈孔に狭
窄を認めず。肺動脈起始部の内膜は一部暗緑褐色に染まるも、前述のごとく暗褐色に染まる、その幅約
7.5cm を算す。
冠状動脈には中等度ないし軽度の硬変を存するも、内腔の狭窄等は認めず。
16. 左肺
重量約 215g。広く腐敗気疱発現し、外膜は混濁して乳白色を呈するも、内部の実質は暗紫色ないし
暗紫赤色を呈し、腐敗のため退縮す。指圧によりても腐敗気疱による捻髪音を聞く。表面腐敗気疱多数
発現す、出血等を認めず。
断面も後半部腐敗気疱発現部は実質は暗褐色、軟泥状となり融解す。前面は一部黄褐色を呈す。内部
は前面も軟化して血量等は検し得ず。肺門部気管支内、暗褐色泥状内容少量を入れ、内膜は暗紫赤色に
染まる。
17. 右肺
重量約 270g。左肺同様、退縮し、軟化す。表面に腐敗気疱多数発現す。前面付近は淡黄褐色、後面
は紫褐色ないし暗紫褐色を呈す。指圧によりて腐敗気疱による捻髪音を感ず。断面同様色を呈し、腐敗
気疱発現部の組織は軟泥状となる。前面付近は淡黄褐色を呈す。肺門部気管支内、暗赤褐色内容少量を
付着す。内膜は暗紫褐色に染まる。
18. 頸部器官
前頸部の筋肉は前述のごとく暗褐色を呈す。
舌上面には前述のごとく約 0.5cm ないし約 0.6cm 前後の蛆多数蚕食す。更に舌上面から舌根部、咽
頭にかけて長さ約 0.3cm 前後の淡黄褐色の蛹様片極めて多量付着す。舌は高度に軟化し、舌下面にも同
性状の蛆並びに蛹様片多量を付着す。舌筋は軟化し、一部軟泥状と成りて欠損す。咽頭も前述のごとく
蛆並びに蛹様片蚕食し、内部に虫咬等を存す。内膜は暗褐色ないし褐色に染まる。
食道内、殆ど空虚、僅かに暗褐色粘稠液少量を入れ、内膜は淡褐色ないし暗褐色に染まる。
舌骨、甲状軟骨、輪状軟骨に骨折を認めず、周辺の軟部組織は腐敗のため軟化し、淡褐色を呈す。会
厭周辺も前述のごとく蛆、蛹蚕食し、内膜は軟化す。声帯は僅かに開き、声帯周囲にも蛆、蛹等蚕食し、
内膜は暗褐色に染まる。気管内も蛆、蛹等数個蚕食す、内膜は暗褐色を呈す。
甲状腺は軟化し、その性状は識別し得ず。
その二
腹腔臓器
19. 脾臓
重量約 40g。軟化す、表面皺襞に富む、断面暗青色を呈す。
20. 左腎
重量約 105g。軟化し被膜は混濁す。表面は暗紫褐色を呈す、平滑、被膜剥離容易。断面同様色を呈
す、実質内は軟化するも、皮質髄質の別は比較的明瞭。腎盂粘膜は血色素浸潤のため淡紫赤色に染まる。
副腎。重量約 3.6g。表面淡紫褐色、断面も同様色を呈す、軟化す、血量等は検し得ず。
21. 右腎
重量約 100g。表面の色、性状等左腎と同じ。断面の色、性状等も左腎と同じ、軟化す。腎盂粘膜は
血色素浸潤のため紫赤色に染まる。
副腎。軟化し一部を識別され、その重量約 1.8g。表面黄色、断面同様色を呈す、血量等は検し得ず。
22. 肝臓
重量、右葉は約 680g。表面黒色を呈し、左葉は極めて小にして蒼白、左葉の重量は約 30g 前後を算
す。辺縁はやや鈍。葉間部付近の表面は被膜は灰白色。その他の右葉は暗褐色を呈す。断面淡褐色、い
ずれも腐敗のため実質は軟化し、断面は褐色、表面の近くは暗褐色を呈す、内部に乳白色のカビ状を呈
する粟粒大の結晶多量に付着す。小葉の像は不明瞭となる。
胆嚢は腐敗のため、識別し得ず。
23. 膵臓
重量約 90g。表面淡黄色、断面黄色を呈す、腐敗高度にして小葉の像等は不明瞭となり、血量等も検
し得ず。
24. 膀胱内
膀胱内には前述のごとく陰茎より挿入されたバルーンカテーテルを挿入されるも、バルーンは殆ど空
虚となりて退縮す、内膜は腐敗色並びに血色素浸潤のため淡赤色ないし淡紫赤色を呈し混濁す。
膀胱内に突出する部を切除し、陰茎より露出する部を切除す。陰茎は前述のごとく乾燥して圧平化し
て偏平化す。
25.胸腹部大動脈を縦断して検するに、殆ど空虚、内膜は血色素浸潤のため淡赤色に染まる、表面凹凸不
平となり、その幅横隔膜付着部において約 5.6cm、総腸骨動脈分岐部において約 4.8cm を算す。
26. 消化管
鼻孔より挿入されたチューブは、下部食道を含む胃内に約 9.0cm 前後挿入され、胃内には僅かに噴門
部の約 4.0cm 前後挿入される。
胃外膜は腐敗のため混濁ないし血色素浸潤のため紫赤色を呈す。下部食道には暗緑褐色液少量を入れ
る、内膜は血色素浸潤のため紫赤色に染まる。
胃内、殆ど空虚、僅かに胃表面に暗緑褐色粘稠内容を付着す、内膜は腐敗色のため淡緑色ないし血色
素浸潤のため淡赤色に染まる、出血等は認めず。
十二指腸内、殆ど空虚、内膜は血色素浸潤のため淡赤色に染まる。
小腸、漿膜血管は残存するも腐敗のため血管等の性状は不明にして、内腔は殆ど空虚。内膜、中膜は
菲薄となるも残存し、内腔には赤褐色液少量を入れる。内膜は殆ど蒼白なるも血色素浸潤のため一部淡
赤色ないし紫赤色に染まる。
下部小腸もほぼ同性状にして、内部は殆ど空虚、内膜は殆ど蒼白ないし血色素浸潤のため淡赤色に染
まる。
虫垂、長さ約 12.0cm、内腔よく通ず。
大腸内、殆ど空虚、僅かに黄緑色軟便少量を入れる。大腸下部も黄緑色軟便少量を入れ、内膜は暗緑
色に染まる。
27. その他
頸椎、胸椎、腰椎、骨盤骨等に骨折を認めず、肋骨にも骨折を認めず。
乙
頭腔開検
28. 頭皮を横断して検するに、頭皮は広く乾燥して乾固し、前述のごとく革皮様を呈して一部はやや板
状を呈して乾固す。頭皮内面前半後半は乾燥して、一部黄褐色ないし暗褐色を呈す。左右側頭筋も乾燥
して、一部褐色ないし紫褐色を呈す、出血は認めず。頭蓋骨も血色素浸潤のため殆ど前面に亘り淡赤色
を呈す。頭蓋冠に骨折を認めず。
29. 頭蓋骨を鋸断して検するに、その際殆ど血液を洩らさず。頭蓋冠に骨折なく、板障の血量は少量、
骨の厚さ最厚部において約 0.7cm、最薄部において約 0.3cm を算す。
硬脳膜を切除して検するに、脳は軟泥状となりて流出するも、左大脳半球と思料される部の内部に前
後径約 2.0cm、左右径約 2.0cm 前後に亘りやや血様液を入れる部を存し、この部は赤色ないし紫赤色を
呈す。その他の部は灰白色ないし緑灰色を呈し、軟泥状を呈して流出す。
前頭蓋窩、中頭蓋窩の硬脳膜下には最長約 0.5cm ないし 0.6cm 前後の蛆多数蚕食す。
左後頭葉と思料される部に相当しても、鳩卵大の部に亘り凝血を付着す。
流出した計測し得た脳の実質量は約 440g。硬脳膜は腐敗のため混濁す。
頭蓋底の硬脳膜は腐敗のため広く混濁す。硬脳膜下には前述のごとく多数の蛆蚕食す。更に頭蓋底の
骨質は左右の前頭蓋窩、中頭蓋窩にも約 0.4cm 前後の蛆多数蚕食す、骨折は認めず。
第3
血液型検査
本屍より採取した、頭髪、陰毛、胃粘膜について解離試験による血液型検査を行ったところA型の結
果を得た。
説明
1. 本屍は死後の変化が高度であり、ほぼ全身にわたり表皮は剥離し、乾燥し、ミイラ化している。蛆な
どの動物類により死後形成されたと思われる、小虫咬様損傷が見られるのみで、生前に形成された損傷
は認められない。
2. 本屍の臓器も死後の変化が高度に進行し、臓器も一部の乾燥もあるが腐敗している。
頭蓋腔内には蛆が多数見られ、脳は軟泥状になっているが、左大脳半球に相当する部に血様内容を含
んでいる。
また、胸腹腔内臓器の内、心臓は腐敗があるがその原型を保っている、高度の病変は認められない。
肺は腐敗が進行し、一部は軟泥状となっているが出血などは認められない。
腹腔内臓器も腐敗による軟化が進行しているが、著明な病変、損傷は認められない。
3. 上記 1, 2 で述べたように、外表には生前に形成された損傷はなく、臓器は腐敗進行して、微細な変
化は識別できないが、明らかな病変は脳以外には認められなかった。脳内に血様液を含んだ部分が認め
られたことから、脳出血があったことが推測される。したがって死因として、最も考えられるのは脳出
血であるが、その他の臓器の所見が不明の部分があることから、脳出血の疑いとする。
4. ミイラ化は死体が乾燥しやすい場所におかれた場合に起こる。また脱水状態の場合は起こりやすい。
ミイラ化までの時間は死体のおかれた環境条件、死亡時の栄養状態などにより一定ではない、稀には 10
日−1月以下という報告もあり短期間でも形成され得るが、通常は2−3ヶ月以上は経過していると考
えられる。しかし皮下脂肪、筋肉、内蔵は一部腐敗し、完全な乾燥状態にはなっていないことから、極
めて長期間経過しているとは考えにくい、5ヶ月程度までと推定される。一方、脳、頸部器官、肺など
は腐敗が進行して浸潤している。通常の場合であればこの程度の腐敗は2−3週間で形成され得るもの
であるが、ミイラ化が見られるような乾燥状態にある環境下では、腐敗の進行は抑えられると推定され
るので、死後経過時間はこれより長期間となる可能性があり、腐敗の状況からは3−4週間以上と推定
される。
前述のようにミイラ化も条件によっては1ヶ月でも形成可能と云われる。したがって、死体の現象か
らは、死後の経過時間を小範囲に限定する事は不可能であり、死後経過時間は1ヶ月から5ヶ月位と推
定される。
5. 本屍は前述した如く乾燥してミイラ化しており、消化管内用も多少の乾燥はあったことは推定される
が、胃、小腸は殆ど空虚であり、大腸に便を少量入れている程度であることから、かなり長時間、即ち
1日以上は食物の摂取がなかったことが推定される。
鑑定
解剖検査記録並びに説明の項で述べた理由により下記の如く鑑定する。
1. 本屍の死因は脳出血の疑いである。
2. 本屍には生前に形成された損傷は認められない。
3. 本屍の死後経過時間は約1ヶ月から5ヶ月位と推定する。
4. 本屍の血液型はA型である。
5. 本屍の胃内容は殆どない、食後1日以上経過している。
以上
平成12年7月31日
鑑定人
千葉大学医学部法医学教室
教授、医師
尚、末尾に参考のため写真14葉とその説明を付す。
写真説明
写真1、
本屍の前面の状況
写真2、
本屍の後面の状況
写真3、
顔面の状況
写真4、
胸腹部の状況
写真5、
左上肢の状況
写真6、
右上肢の状況
写真7、
下肢の状況
写真8、
右上肢に割を加えた状況
写真9、
頭蓋腔内の状況
木内
政寛
写真10、頭蓋腔内の状況
写真11、頭蓋腔内の状況
写真12、胸腹腔内の状況
写真13、頸部器官の状況
写真14、心臓、肺の状況
※注釈:本文は原文をタイプ打したものです