日本語版(Japanese)

滋賀県いきいき情報・海外発信事業
いきいきニュースレター
平成14年11月1日発行
第10号
滋賀県商工観光労働部国際課
① みんな、がんばっています!
本年度滋賀県が招致し、県内の大学等で勉強して
いる県留学生2名と県の機関や民間企業等で研修に
励んでいる海外技術研修員、自治体職員協力交流研
修員15名を紹介します。(氏名・国籍・出身地・専
門分野・研修先・趣味の順)
留学生:4月∼3月
海外技術研修生:7月∼3月
自治体職員協力交流員:5月∼12月
(1) 坂本明子クリスティアー
ネ(留学生)
ブラジル/クリチバ市/
工業デザイン・パッケー
ジデザイン/京都工芸繊
維大学/映画鑑・踊り・
観劇
(2) 南沢東一朗(留学生)
ブラジル/サンパウロ市
/IT/立命館大学/サ
イクリング・登山・写真
(3) 曽志新(研修生)
中国/湖南省/自然林保
護/琵琶湖博物館/卓
球・旅行
(4) 周剛(研修生)
中国/湖南省/森林栽
培・森林保全/森林セン
ター/音楽鑑賞
(5) 陳雲芳(研修生)
中国/湖南省/ガン患者
看護/成人病センター/
読書・踊り・歌
(6) 何長順(研修生)
中国/湖南省/環境保護
/(株)日吉/料理
(7) 蒋斌(研修生)
中国/湖南省/コンピュ
ータ移動通信/(株)キ
ステム/読書・旅行・音
楽
(8) 黄金玉(研修生)
中国/湖南省/品質管理
/(株)平和堂/読書・
散歩・卓球・音楽鑑賞
(9) 劉炎(研修生)
中国/湖南省/旅行文化
/龍谷大学/花道・茶
道・狂言・能・歌
(10) 陳継東(研修生)
中国/湖南省/国際交
流・旅行業/県国際課・
(株)農協観光/旅行・
写真
(11) ガンチメグ・アユザナ
(研修生)
モンゴル/ウランバート
ル/日本語教授法/龍谷
大学/音楽鑑賞・読書
(12) シモーニ・ベアトリズ・
ドレファー(研修生)
ブラジル/サンタクルス
市/食品微生物学/衛生
環境センター/音楽・庭
造り・料理・ダンス
8月28日:県内視察(米プラザ、彦根城)
(13) 高橋エリカ(研修生)
ブラジル/サンパウロ市
/貿易/県国際課/水
泳・映画鑑賞
(対面式にて)
(14) ジガンザ・ルカンダ・マ
ッサバ(研修生)
タンザニア/ムアンザ市
/電気設備/滋賀大学/
音楽鑑賞
(15) 金良姫(協力交流員)
大韓民国/蔚山/観光・
経済/県商工観光政策
課・県国際課/歌
② 新規JET青年来県
(県内視察:彦根城にて)
③ 滋賀県ミシガン州友好親善
使節団渡米!
7月26日から8月3日までの9日間、県民90
名が米国ミシガン州を訪れました。本事業は、隔年
1987年にスタートしたJETプログラムも本
で派遣と受入れを行うもので、本年度は派遣の年に
年度で15年目を迎えました。当初は10人の外国
あたり、土山町長の松山正己氏を団長として、ミシ
語指導助手で始まりましたが、本年度は、国際交流
ガン州知事オフィスやミシガン州立大学を訪問し、
員5名(県2名:ブラジル・米国、大津市1名:ド
両県州の友好を深めました。また、本事業の特徴は、
イツ、彦根市1名:ブラジル、甲南町1名:イギリ
渡米時または来県時にホームステイを経験すること
ス)と外国語指導助手97名(高校36名、中学校
です。これこそまさに地域レベルの交流であると考
61名)の青年が県内で活躍しています。全国的に
えます。
も、この期間に848名から6,254名に増加し
26日の出発式では、使節団の県民ひとり一人の
ました。
顔が生き生きしていたのが印象的でした。
本年7月末と8月初旬に新規JET青年が来日し、
日程等は次のとおりです。
大津でそれぞれの契約団体担当者との対面式が行わ
日程:
れました。来日は初めての青年が多く、異国の地で
7月26日:デトロイト着
の生活に不安と期待を持っている様子でした。
27日:フォード博物館見学
来県直後の研修日程は次のとおりです。
29日:デトロイト日本国総領事館訪問
7月31日:Aグループ17名来県
30日:ミシガン州オフィス・州立大学国際
8月 7日:Bグループ37名来県
学部訪問
8月23日:二次グループ4名来県
31日:州内視察(グランドラピッズ・ミシ
8月2日:Aグループ生活オリエンテーション
ガン湖)
8月9日:Bグループ生活オリエンテーション
使節団:90名(男性34名、女性56名)
8月26日・27日:職務オリエンテーション
随行:5名(甲賀地域振興局長 馬場章、健康対策課
主査 熊越祐子、国際協会次長 谷口宝住、同主任主
事 松本直樹、同主任主事 音居俊幸)
合センター視察
26日:交流協議
28日:帰国
(出発式:県庁正面玄関にて)
(長浜市立東中学校にて)
⑤ 特集「滋賀の歴史3」
琵琶湖疎水
(送別会:ケロッグセンターにて)
④ RS州友好交流代表団来県
9月6日から28日までの約2週間にわたり、ブ
ラジルのリオ・グランデ・ド・スール州から3名の
方が滋賀県を訪問されました。この事業は、毎年、
RS州から数人の方が合計100日以内の枠の中で
来県し、交流を深めるものです。来県者および日程
は次のとおりです。
来県者:ホミー・ブラッシェル(州政府企画調整局)
アイダ・マツムラ(州連邦大学名誉教授)
マイレ・ロス(州政府国際関係開発局)
日程:
7日:比叡山観光
8日:国際クルージング参加
9日:商工観光労働部長表敬、人事課・衛生環境
センター訪問
10日∼13日:経営改革支援室・農政課・琵琶湖
研究所・県立大学・農業総合センター・近代美術
館・県立図書館訪問・企画課・政策研修センター・
県立障害福祉センター訪問
17日∼20日:水産課・森林センター・愛東町税
務住民課・出納局・山東町・小学校・中学校・彦
根城訪問
24日∼25日:信楽窯業技術試験場・工業技術総
三井寺観音堂がある長等山の下を通るのが疎水の
第一トンネルで、この第一疎水の完成は1890年
であった。京都市民の水道の源水をほとんどまかな
っている。第一疎水は全長約11㎞で、長等山トン
ネル(約2,400㍍)、日ノ岡峠トンネル(約85
0㍍)など、6つのトンネルがある。第2疎水はほ
ぼ全線トンネルである。現在の疎水はほとんど水道
と発電に利用されている。幕末以来しばしば、琵琶
湖と京都を運河で結ぼうという話が持ち上がってい
たが、それが具体化へ向けて動き出したのは、18
81年、北垣国道が京都府知事に就任してからであ
った。京都にとって疎水は、(1)生活用水の確保、
(2)水車動力の活用、
(3)水運、の三大利益をも
たらすものであったが、北垣は徹底して京都中心で
疎水を考え、琵琶湖の水資源を無価で利用するとい
うように、滋賀県側への配慮はほとんどなかった。
ひろし
1884年、中井 弘 が滋賀県知事となり、中井は
当時の先端をゆくモダンな県庁舎の建築にとりかか
ったように、土木・建築に並々ならぬ関心を持って
いた人物である。このあと内務省土木局長の三島と
中井そして北垣が疎水建設を推進していった。
1885年、内務省から疎水の起工許可がおり、工
事概算は125万円(当時の京都府の予算総額は5
0∼60万円)という巨額であった。工事費のほと
んどは、京都府が蓄積してきた資金と府民への賦課
金でまかなったため、琵琶湖疎水は京都府がつくっ
た、という自負がここから生まれた。疎水工事は、
大津町の飲料水の水脈を切断したり、田畑の用水に
支障をきたしたりという問題を引き起こしたが、1
890年4月、明治天皇来臨のもと滋賀県庁で盛大
な竣工式が挙行された。
延暦寺の滋賀院が小学校に使われた。また、高島郡
新旭町太田にあった柳原学校は当時の姿のまま近江
風土記の丘(安土町下豊浦)に移築され、県の文化
財に指定されている。
(柳原学校)
(当時の県庁)
県下の学校教育
寺子屋や藩校に代わる学校教育、すなわち日本の
近代教育の出発点は、1872年の学制頒布であり、
以後全国にぞくぞくと小学校が設立されるが、滋賀
県下では、これより早く、71年9月9日、長浜に
県下で最初の小学校「滋賀県第一小学校」が設立さ
れた。この小学校は、長浜西本町(現、元浜町)の
とう え
も
ん
下村藤右衛門宅を本校とし、近隣の5つの寺子屋を
ごう ど
支校として開業した。1874年に同校は神戸町(現、
元浜町)に洋風建築の校舎を建て、「開知学校」(上
写真)と改称して移った。この建築の要した費用は
約400万円で、その全額が地元の人々の寄付金に
よるものであった。当時、学校の建設、教師の給料、
学校運営費などすべてが地元負担であったため、学
校を新設するのはなかなか困難であった。たとえば
現大津市の坂本地区では、1873年から約1年間、
1886年5月1日、滋賀県商業学校(現、八幡
商業高等学校)が大津船頭町の仮校舎で開業式を行
った。県下商業教育の始まりであり、全国でも11
番目の早さであった。当時の知事中井弘が設立に意
欲的で、下郷伝平ら県下の有力実業家たちのバック
アップで設立の運びとなった。中井は当時実業・商
業教育に熱心だった文部大臣森有礼とも親しく、ア
メリカ・イギリスでの滞在経験から「商業開明」を
唱えていた。日清戦争後の産業・経済の気運高潮と
ともに卒業生に対する需要がしだいに増し、189
8年には定員を300人とした。そのため新しい校
舎が必要となり、大津市と八幡町(現、近江八幡市)
との間で誘致合戦となったが、6千坪の敷地が用意
された八幡町に移転することとなり、1901年4
月新校舎に移った。なお1908年に校名を県立八
幡商業学校に改称した。八商は経済界を中心にすぐ
れた人材を送り出した。
特色ある学校として、1905年に創立された大
津実業補習学校、のちの県立大津商業高等学校があ
る。ユニークなのは商業実習で、生徒4∼5人を1
班とし、各班独自で仕入れた雑貨商品を大八車にの
せて、「行商隊」と記したのぼりを立てて、1週間ぐ
らいの日程で、県内を生徒だけで行商させた。生徒
たちは金銭の貴さ、浪費の戒めを身をもって体験し
た。
時代は40年後のことであるが、県下にユニーク
な教育施設が誕生した。1946年11月大津市石
山南郷町に近江学園(前ページ写真右建物)が開園
した(1971年、甲賀郡石部町に移転した。
)創設
者は、糸賀一雄(写真中央)、池田太郎(写真右)、
いち じ
田村一二(写真左)の三人である。園長の糸賀は、
京都大学哲学科出身の滋賀県庁職員で、経済統制課
長などの要職を歴任していた。しかし、糸賀はもと
もと教育に関心が深く、池田、田村はそのすぐれた
実践家として、糸賀が滋賀県に招請したのである。
池田は出征軍人遺家族の虚弱児子弟の医療・教育施
設である三津浜学園(滋賀郡下阪本村)の、田村は
精神薄弱児の教育施設である石山学園(大津市)の
責任者としてそれぞれ活躍していた。近江学園の教
育方法は、戦災孤児・浮浪児と精神薄弱児との共住
教育というユニークなものであった。学園では研究
と後継者養成のための研究部が設けられた。そこで
糸賀が発見したのは「発達保障理論」であった。ど
のような重症障害児であっても、すべての子供たち
が歩む発達の法則性からはずれたものではない。人
間が人間として生きようとしていること自体が社会
復帰である、という新しい考え方であった。
⑥ お 知 ら せ
今回から、この「いきいきニュースレター」をホ
ームページに掲載することになりました。このこと
により世界各国の方々に読んでいただき、また、滋
賀県のサポーターにもなっていただけます。このホ
ームページには、第8号と第9号も掲載されていま
すのでお読みください。また、みなさんの友達にも
このレターの存在を紹介し、滋賀県のことを知って
いただきたいと思います。
新しい号を発行するときにみなさんにお知らせし
たいと考えていますので、みなさんの E-MAIL アド
レスを郵送またはメールで知らせてください。
住所:〒520-8577 滋賀県大津市京町四丁目1―1
滋賀県商工観光労働部国際課
E-mail: fh00.pref.shiga.jp
いきいきニュースレター
ホームページアドレス
URL:http//www.biwa.ne.jp/~biwatalk/ikiiki.htm
⑦ 編 集 後 記
日本は、暑い夏も終わり、紅葉のきれいな季節に
なりました。みなさんのお国はいかがですか。
私は、10月末にイギリスから自治体幹部職員1
1名を受入れて、意見交換会や県内視察を行うため、
そのことで頭がいっぱいです。次回の号で、この受
入れについてご報告できると思います。
今回の特集で、「滋賀の歴史」を終える予定でした
が、次回を歴史の最終回とします。したがいまして、
次回(来年3月)が過ぎましたら、日本語・英語・
ポルトガル語・中国語版の歴史が完成し、1冊の冊
子として仕上げる予定です。サポーターのみなさん
がもし興味がありましたら、連絡ください。郵送し
ます。
(辻)