途 上 国 援 助 と 国 際 交 流

会 員 研 修 / 9 月 27 日(土)
途上国援助と国際交流
最近「イラクへの自衛隊派遣」をめぐって国会も世論も紛糾してい
ますが、日本にはもっと平和的で歴史のある国際協力があります。そ
れがODA政府開発援助で、費用・人数・規模ともに世界で1 , 2位を誇
るものです。今回の会員研修で講師をお願いした大沼洋康さん
(新橋)
は大学院を卒業後、アラブ首長国連邦での砂漠緑化の仕事を皮切りに、
主にJICA(〈独〉国際協力開発機構・日本のODAの窓口機関)の専門家と
して約15カ国で農業関係の技術協力に携わってこられました。大沼さ
んのこれまでの活動とそれを通してみた日本のODAの変遷と現状、
そして今後の途上国援助のあり方について講演していただきました。
大沼さんの講演風景
76年にアラ
ブ首長国連邦
(U.A.E)のア
ルアイン
(アラ
ビア語で泉の
意)
での活動が
始まった。砂
地の地中にア
美しい曲線を描く砂丘
スファルトを
敷いて水もちをよくして野菜などを栽培した。気温
50度にもなる場所でどろどろに熱く溶けたアスファ
ルトを扱う作業は大変だった。農場の周りには砂の
侵入を防ぐために木を植えた。ここにスイカを植え
たが標準より数キロ大きく育ち、糖度も高くて、ア
ブダビに住む日本人にも喜ばれた。独身の気安さで
約5年間農場に住み込み、農場労働者のパキスタン人
と仲良くなり、後々役に立つウルドウ語を覚え、大
好きなカレーも毎日食べられた。朝早く砂漠を歩く
とウサギやフンコロガシ、ヘビ等多彩な生き物の足跡
や時には格闘
したような跡
も見られた。
また冬の季節
に少ないなが
らも雨が降る
と次の日には
砂漠が緑に変
わっていて、
砂漠でも立派にできました!
本当は不毛の
土地ではないのだと思った。
その後、U.A.Eの農業省に就職し、ドバイに住ん
だ。ドバイには1,000人近い日本人がいたが知り合い
もほとんどなく初めてホームシックを味わった。国
内各地にある農場を訪ね、調査や指導などをしたこ
とは貴重な経験になった。その後帰国し会社を設立
し、主にJICAからのODAの仕事を請け負い、パキスタ
ンから中近東、東アフリカ地域を中心に技術協力をし
てきた。
今までのJICAの援助というのは空港やダム、建物な
どを建設する箱物援助が中心だったが、人づくりの援
助へと変わってきた。現地の住民が主体的に、持続し
て開発に参加できるような技術を援助していく。例え
ばパキスタンでの灌漑開発プロジェクトは既存の灌漑
施設を補修・整備し、それまで以上の地域を充分に灌
漑しようというもの。しかし、せっかく堰や水路を作
り土地を開発しても、木の生えていない山々に雨が降
ると洪水となっ
て押し寄せる。
現在は植林の必
要性を住民に知
らせ、住民自身
の手で苗木を育
て植林を続けて
いけるように、
技術を普及させ
る援助をしてい
ジンバブエの農作業
る。ケニアでの
灌漑開発では、絶滅を心配されるサルの一種を保護し、
遊牧民の生活も守られるような開発を行った。J I C A
でも日本の自治体やN G O などが途上国に援助を行う草
の根活動を応
援している。
皆さんも親
善だけの交流で
なく、草の根交
流で何ができる
かを考えていっ
たらどうだろう
か。
アブダビの近代的な街並み