背景の設定 - Womenpriests.org

第一部
背景の設定
「教皇への従順、しかし、まず私の良心に」
1879 年、枢機卿に任命されたジョン・ヘンリー・
ニューマン(John Henry Newman)は祝いの乾杯の
謝辞でこう応えた。
第一章 発見
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第一章
発見
1975 年 11 月のけだるい昼下がり、私はインドのハイデラバー
ドにある聖ヨハネ神学校の長い廊下を歩いていた。暑くて湿気の
ひどい日だった。白いズボンと白いクルタ(上着)の楽な格好で
図書室に向かったが、そこには人っ子ひとりいなかった。神学生
たちにとり、この時間帯はフットボールに興じるか、庭のツンマ
の木に水まきをする時だった。物憂く、のんびりとして、落ち着
いた雰囲気の中で、私の一生を変えてしまうような発見をするな
どと誰が想像できただろう。
翌 1976 年 6 月にバンガローで開かれる教会の奉仕職についての
全国研究セミナーの準備のため、私は女性の奉仕職についての研
究を依頼されていた。1971 年ローマでの司教シノドスでウイニ
ペグの大司教であるフラヒッフ(Flahiff)が次のような趣旨を検
討事項として上程したのだった。
奉仕職への女性の参加に関し、何世紀もの古い伝統があるが、
時のしるしはこれに関する現状と将来に向けての可能性を注
意深く調査することを私たちに命じていると信じるものであ
る。このしるしの最も明らかなことは、既に女性たちは司牧
上、託された職務を立派に果たしている。これはカナダの司
1)
教たちがシノドスに提出した勧告なのである。
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第一部 背景の設定
聖書は私の専門分野であるので、女性の叙階について聖書的な
反論があるかどうかに焦点を当てて調べることにした。あの日、
図書室で私が出会った本は、専門分野ではコルネリウス・ア・ラ
ピデ(Cornelius a Lapide)というラテン語名で知られている私の同
国人のコル・ヴァン・デル・シュテーン(Cor van der Steen)によ
るテモテへの第一の手紙に関する 17 世紀のラテン語注釈書で
あった。図書室にあったのは 1868 年パリで出版されたもので、
既にかなり傷んでいた。頁は茶色になり、虫食いが目立っていた。
それでもラテン語はどうにか読めた。
一テモテ 2:12 ∼ 14 に「婦人が教えたり、男の上に立ったりす
るのをわたしは許しません。むしろ静かにしているべきです。な
ぜならば、アダムが最初に造られたからです。しかも、アダムは
だまされませんでしたが、女はだまされて罪を犯してしまいまし
た」
。コルネリウスはこれに得意になる。女性は教会で教えては
ならない。もし教えることが許されないなら、どうやって司祭と
しての機能を果たせるのだろうか。彼によれば禁止は絶対的、普
遍的で、次のような数々の理由を挙げている。
- 女の本性から
- 堕落後、神は女を男に従属させた(創世記 3:16)
- 男の前で女が沈黙するのは女が劣性である故に相応しい
- 男の知性、判断、分別は女よりはるかに優れている
- 女が教会内で話せば男を罪に誘う
- 女は知る必要のないことに関し無知でいるべき
2)
- 女が教会内で愚かな質問をすれば他の女たちの躓きとなる
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このテキストを訳していくうちに女性に対する中世のすべての
軽率で野蛮な偏見が本から躍り出てきて、あたかも私の前に立ち
はだかったかのようだった。神学者たちはこんなふうに聖書を解
釈していたのだ。偏見が彼らの判断を曇らせていた。この影響が
いかに甚大であったのかを私は突如悟ったのである。
テモテへの第一の手紙のようにパウロの晩年の書簡は、女性が
特に非難を受けやすかったことに対してグノーシス派の憂慮が背
景にあって書かれたことが現代の研究により判明している。ギリ
シャ語テキストとその文脈は書簡の禁止が「私は現在女性が集会
3)
で話すことを許しません」
、「私は今のところ女性が教えたり、男
4)
の上に権威を持ったりしないように決めました」と訳されるべき
ことを明確にしている。アダムとエバへの言及はテトス 1:12 の
「クレタ人はいつもうそつき、悪い獣、怠惰な大食漢だ」のよう
に霊感によるものではなく、へ理屈、こじつけに過ぎない。した
がって、女性が話すのを禁じることは明らかに一時的、その特有
の状況の中でのことで、すべての時代ではない。このことは他の
教会の共同体の中では女性は話していた事実からも明らかなこと
5)
である。
コルネリウス・ア・ラピデの聖書注釈は何世紀もの間権威ある
ものとされ、彼の論拠の中にある明白な偏見が突然、中心的な議
論の焦点になってしまったのである。問題は霊感によって書かれ
た聖書のことではなく、聖書に付加された文化上の解釈である。
叙階から女性を排除する正当な聖書的な根拠が本当にあったのだ
ろうか。これはそれ以後、私をさらなる研究へと駆り立てること
になった。10 時間の鉄道の旅をして、南部のプナにある教皇庁
立学術振興の図書館へ足を運んだり、ヨーロッパから本や記事、
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第一部 背景の設定
マイクロフィルムを取り寄せた。私の研究は聖書からの全部で九
つの議論が女性を叙階から排除するために用いられたことを結論
6)
づけるものになった。誰も再検討に立ち向かう者はいなかった。
これらの九つの議論はいずれも文化的な差別であって、聖書の霊
感によるものではなく、女性を叙階しないといういわゆる伝統を
支えていることが判明したのである。
これはゆゆしいことだということに私は気づき始めたのである。
神の聖旨ではなく、文化的偏見が女性を教会内で全く受動的な役
割に追いやってしまった。この神学的誤りは、何世紀にもわたり
多大の損傷を信者に与えてきたし、今日においても、まだ弊害を
もたらし続けている。文化的頑迷さがキリスト教信仰を侵害し、
あたかも正真正銘のキリスト教であるかのように異教の偏見を尊
重することに成功した。言い換えれば女性司祭職への反対は教会
の中で度々聞かれるが、これは私が呼ぶところの「カッコウの卵
伝統」の古典的な例である。
カッコウは自分の卵を他の鳥の巣にこっそりと産むだけでなく、
狡猾にもその鳥の卵に似せて産み落とす。例えば、英国でカッコ
ウはカヤクグリやツバメなどのさえずる鳥の卵に色や斑点までも
真似て産む。巣の主である鳥は見知らぬ鳥が自分の卵の傍に産ん
でいったことなどを知る由もない。同じように初代教会において
も女性への偏見が典型的に聖書的なものとしてキリスト教に偽装
して紹介されたのである。
カッコウの雛鳥は『巣仲間の強制立退き』として知られる悪魔
的行動を展開する。すなわち、義理の兄弟姉妹の鳥と取り争い
をするのを避けて、孵化後数時間の目もまだ見えない裸のカッコ
ウは他の鳥の卵であれ雛であれ、巣から追い出さずにはいられな
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い強い衝動にかられ、翼の間のくぼみを使って、巣の縁から義理
の兄弟姉妹の卵と雛を容赦なく蹴落とすのである。こうして、孵
化後 24 時間の間にカッコウの雛鳥は巣を占拠し、養父母鳥の注
意を一身に集める。驚くべきことに見えるが、教会内の偽の反女
性伝統も同じ方法で作動した。何世紀もの間、女性は助祭職も含
め、いくつもの聖職で奉仕していた。しかし、それらすべては取
り上げられてしまった。女性の司祭的使命は禁止される。固定化
された偏見に反して、以前からあった司祭としてのマリア信心も
消されてしまう。「カッコウの卵伝統」は殺し屋伝統である。し
かし悪事はとどまることを知らない。
カッコウの雛鳥が育つと、養父母鳥よりも大きなサイズになる
が、それでも養父母鳥は自分の雛と固く信じて養い続ける。捕ま
えてきたの虫を自分よりはるかに大きい、羽毛のまだ残るカッ
コウの雛に与えているのを見ることがある。教導職の権威を持つ
者は度々伝統が長年続き、古い起源であることで、盲目になって
しまう。そして、それが不適当であることが第三者には明らかで
あっても、その正当性を主張し、擁護するのである。
「それはあなたの意見に過ぎない。あなたの言うことが真実だ
とどうやって分かるのか。ローマが切札を持っている。女性は
2000 年の間叙階されてこなかった。長い伝統をそんなふうに片
づけてしまうことはできない」。ごもっとも。あなたの同意をそ
う簡単に得られるとは思わない。私が以上述べてきたことは本書
の中で展開される仮説理論である。女性叙階反対がキリストから
のものでないということが私の主張である。女性の排除を定めた
のは神ではなく、女性を奉仕職に招く真のキリスト教伝統を潰し
た異教の頑迷な性差別なのである。
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私は 1976 年 6 月 2 日から 7 日までバンガローで開かれたセミ
ナーでこの結論を提出し、インドの司教たちに可能性を探すこと
を促した。
最初受け入れがたく思えるものがキリストの意志であるかも
しれない。普通ではなく異例と見えるものが現代における福
音の要求することであったりする。ファリサイ人たちはナザ
レ出身の大工を拒否した。彼らはカルバリオの十字架の下で
もキリストを司祭として認めることを拒んだ。女性がキリス
トの司祭職を表現できるとの考えは同じように認めがたい。
さらに、これに関する私たちの偏見はイエスと同時代の人々
が犯した誤りと同じであろう。キリストの霊の光に照らされ
た真実な評価のみが、女性の奉仕職問題を解決するはずであ
る。協議や個人レベルの好みによるものではない。結局、私
たちが取り扱っているのは他ならぬキリストの司祭職のこと
7)
なのである。
その後、6 月の末頃私はロンドンで開かれた私が所属していた
ミルヒル宣教会(Mill Hill Missionaries)の総会に参加し、会の副
総長に選ばれ、私はインドでの諸々の活動から身を引くことに
なったが、これがその年の唯一のショックではなかった。
数カ月後、ローマの教理省は教皇庁聖書委員会の助言を無視し
て Inter Insigniores 書簡を出した。女性司祭に関するいくつかの
古い議論を拒否する一方、例の基本的な反対を再度断言したので
ある。すなわち、イエス・キリスト自身が女性を排除し、教会は
この伝統を尊重してきたということである。女性は男性であった
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キリストを代表し得ない。彼女たちは決して聖職者の仲間に合法
的に受け入れられることはできない。私は『キリストは女性司祭
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を排除したのか』を書き、この書簡に反対した。ローマの親鳥が
未だにカッコウの伝統を温めていることは明らかであった。そし
て、それ以来守備はよりものものしくなってきた。
「そのようなことが教会内で起こってはならない」とあなたは
主張するかもしれない。「本当に教導職はそのような大きな間違
いを犯すはずがない」と。もしそのようにあなたが信じるなら、
ローマの教導職が奴隷制についてのキリスト教の教えを識別する
のにいかに失敗したかを調べたらよい。