ウラジオストク遠征記2(高松愛司・愛知県サンボ連盟副会長):PDF

ウラジオストク市・市制155周年記念
女子サンボ・SUMO(相撲)全ロシアオープン大会
ウラジオストクへの遠征記・Ⅱ
(ウラジオストクフェギロ大学正門より)
(2015.6.28~7.4)
はじめに
今年もウラジオストク市のレオンチェフ氏から市制155周年記念女子サンボ、
SUMO(相撲)全ロシアオープン大会への招待状が師匠の元に届いた。
私にも参加するか否かの打診があつた。ビザ取得の関係で早期に師匠に返事をする
必要があるこの遠征。昨年に引き続きお願いすることにした。
私は、今までアメリカへ海外研修、中国や台湾などへ歴史探訪で7回程訪れている
が、昨年訪れた、ウラジオストクの港町特有の起伏の多い坂道に建ちならぶ旧いヨー
ロッパ調の街並み、また、本場ロシアのサンボの大会を通して関わってくださったレ
オンチェフ会長を始め選手の皆さんの温かいおもてなしを受け、築いた絆、今年も、
是非、参加したいと申し出たのである。
今年もどんなことに出会い、どんな人に巡り合えるか,想いを巡らし、期待に胸が
膨らんだ。
ご一緒した皆さん(右から敬称略)
☆
☆
三浦先生の奥様
三浦先生(アイシン勤務のレス
ラー、審判員)
☆ 師匠(山田先生)
(日本サンボ連
盟常任理事、愛知県サンボ連盟
会長、山田スポーツクラブ主謀者)
☆ 女子選手代表・楠本佳子嬢(岡
山県出身)
☆ 私(師匠の弟子、愛知県サンボ連
盟副会長、日進市レスリング協会
顧問)
第1日目(6月28日)セントレア空港からインチョン(仁川)空港へ
山田スポーツクラブ、師匠のお宅に15時集合。昨年は、家内に藤が丘のセン
トレア空港直行バス停まで師匠共々送ってもらったのだが、今年は、道場の伊
藤君がセントレア空港まで送ってくれると言う。そのため、時間を2時間程節
約でき出発できた。
天気は快晴。風は少々強い。空気は梅雨の時季にしては珍しく澄んでいて清々
しい感がする。
空港までは302の環状線と知多中央道を通って約45分。私たちは、駐車場
から3階出発ロビーまでアクセスプラザを通り抜け、15時40分に到着した。
構内は、日曜日なのでいつもより大勢の人で賑わっていた。
既に、三浦先生ご夫妻と楠本選手は国際線のサービスカウンターの前で待っ
ていた。私たちは、これからご一緒する顔見知りの皆さんと簡単な挨拶を交わ
した。その後、師匠を始め皆さん保険に入るとのこと。私は、松坂屋のゴール
ドカードがあるため今回も入ら
ないことにした。
チェックインを済ませ5人揃
っての座席を確保。(今回、乗り
継ぎ後の座席も併せて確保でき
た。)16時30分。出発の時間
まで伊藤君と共にコーヒーを飲
みに4階へ。会場はイベントもあ
り大勢の人。17時15分まで楽
しく雑談。伊藤君、来年は是非、
一緒にとのこと。その後、5人
☆ 離陸直後御嶽山が見える
揃って国際線へ移動した。搭乗
ロビーでは、予定より5分程遅れて搭乗案内。私たちはB737-800機乗り
込んだ。仁川までは974㎞、約1間40分である。機は高度9800~10
000m、時速820~850㎞で飛行。30分もすると機内食のサンドイッ
チが出され、20分程で食べ終える。すると機は少しずつ高度を下げ始めた。
着陸25分前だ。窓の外は小さな島々が見え、左に旋回しながら17時32分
着陸した。今回の着陸、今までに無い衝撃のある着陸。接地と共に体が10c
m程跳びはねた。機内からは思わず「わー!キャー!」
「へたくそ!」と。でも
無事にデッキへ。広いインチョン(仁川)の空港。着陸してから10分程滑走
路を移動していた。
乗り継ぎのため、長い回廊を歩き、韓国乗り継ぎチェックを受ける。今回は、
上着のポケットのミニボールペンが赤ランプ。ボディチェックを受けると直ぐ
原因が分かり、無事通過。「やれやれ。」
その足で、4階の乗り継ぎラウンジへ。20時10分だった。辺りは昨年より
人が少ない。やはり連日ニュースで語られているマーズコロナウイルスの影響
か。場所もP・Cラウンジの奥に5人分確保。ここは、三方を壁に囲まれ、昨
年より少しは安心して休むことができると思った。
しかし、師匠の隣がインドの人なのか大きな声で喋りまくる。また、二座席
隣では大きなイビキ。眠れないので、23時ごろまで何となく起きていたが、
その後は3時40分まで覚えがない。つい、寝込んでしまったようだ。(4500歩)
第2日目(6月29 日)インチョン空港からウラジオストクへ
うとうとしながら5時に起床。いつもなら目が覚めることがあり得ない時刻
だ。洗面所が空いている間にと思い出かけた。トイレもきれいにされてはいる
が、娘からもらった消毒用のウエットペーパーが大いに役に立った。洗面後席
に戻ったが皆さん未だ就寝中。私も1時間30分程また寝込んでしまった。7
時なると、さすが辺りが騒々しくなる。皆さん全員起床。それぞれ、洗面等を
済ませ、ウラジオストクへの搭乗口へ
移動。早朝にも関わらず構内はかなり
の人。8時頃にDUNKINDONU
TSでコーヒーとドーナツを買い求
めた。日本と同じ味と思い選んだドー
ナツ。実は、甘たるくって、ニンニク
の香りがした。この出発ロビー近くの
トイレは,ウオシュレットがあり、大
変助かる。搭乗コールがあるまでしば
らく思い思いに過ごすことにした。
☆ 搭乗を待つ師匠と三浦先生
9時50分、搭乗開始。B737―9
00機だ。10時05分。デッキを離れる。ウラジオストクへは13時20分
到着予定。最短距離は818㎞。実際には仁川から大連、丹東、瀋陽、長白山
の上を高度10700m、時速850㎞で飛行。北朝鮮の外側を大きく回って
飛行している。11時には機内食が(牛肉、ポテトの煮込んだ物とハムサラダ
等)出された。雲が多く揺れも少々ある。12時過ぎには、最高速度972㎞
を示した。13時38分ウラジオストク着。生憎の小雨。入国チェックを受け
る。滞在許可書に名前を記入し、手荷物を受け取り到着ロビーへ。そこには、
昨年通訳をしてくれたエレナ嬢とサンビストのオクサーナー嬢の二人が出迎え
てくれた。エレナ嬢は昨年に引き続き二度目の通訳なので、
「TAKAMATS
Uさん」と声をかけて駆け寄ってきた。久し振りの再会、硬い握手をした。
小雨の高速道路を走る。白樺の木やカナダ楓が道路わきの緑を潤している。
所々レンガ造りの家や畑が目に映る。別荘地のように思える。
やがて街中へ、行き交う人は皆長袖を着ている。中にはコートを着ている人
も。外気温は何度なのか。かなり低そう。(後で尋ねたら、11℃とのこと)
☆ ホテルマリャークの看板と外の眺め
16時、南北に走るアリョ―ツカヤ通りの西にある州立博物館の近くのマリ
ャークホテルに案内された。ロビーは中国の観光客でソファーは満席。特有の
大きな声で喋っている。どこでも同じ風景だ。私たちの部屋は5階の510号
室。エレベーターは無いと言う。重いスーツケースを持って階段を上るのかと
覚悟を決めたら、三浦先生が私の軽いのと換えましょうと親切に言ってくださ
った。感謝、感謝。その時、リムジンの中に手荷物のショルダーバックを忘れ
たのに気付いた。慌てて、エレナ嬢に話すと直ぐ携帯電話をかけてくれて10
分後には届いた。やれやれ、助かった。
予定では、今日が計量の日。しかし、明日、計量すると言う。予定変更のよ
うだ。楠本選手今日に合わせて減量をしてきた。明日に延びるとまた、減量の
ため食事の節制が続き苦しくなる。そのため、師匠と三浦先生が10分程離れ
た楠本嬢のホテルへ徒歩で出向き楠本選手とアマゾンカの事務所へ行って訳を
話し、計量を無事済ませた。
留守番をしている私にとって、窓の外
の木が風で大きく揺れ、海岸から迫って
きた霧がかった薄暗さが、少しずつ周り
の色を奪い近景のみしか視界に入らない。
それらを見ていると、異国の地での寂し
さを少々感じた。
師匠の話では、以前山田スポーツの少
年レスリング部の戸田圭南君の父親の戸
☆ ホテルにて戸田さんと
田さんが出張で来ていると言う。戸田さ
んも真のスポーツマン。相撲、レスリングや柔道など格闘技は何でもこなす万
能選手。私も何年も前に相撲のぶつかり稽古の時、胸を借りた覚えがある。
奇遇である。こんな離れた異国の地で、お会いできるとは。夕食後、戸田さ
んの泊まっているヒュンダイホテルへ行
くことになった。徒歩約15分だ。
ヒュンダイホテルは5つ星のホテル。さ
すが玄関、ロビーも広くてきれいだ。
師匠の用の後、最階上のレストランで一
☆ ホテルヒュンダイのレストラン
杯飲むことになり、案内された。メニュー
を見ると燻製の鮭やサラミがおいしそう。
早速に注文したビールと共に頂いた。地ビ
ールもうまいが、特に燻製の鮭が美味。
時間の経つのは早い。ステージでは、生
演奏が始まるところだったが20時を越えていたのでマリャークホテルへ戻る
ことにした。
外は、雨。戸田さんがタクシーを拾いにホテルの前のセミョーノフスカヤ通
りまで出て10分程粘ったが拾えず。あきらめて師匠と雨の中を歩いて帰るこ
とにした。途中、気が付いたが、車道や歩道のどこにも側溝が無く、降った雨
の排水溝も無い。全てが坂道の車道を勢いよく流れ、少し平坦なところになる
と5~10㎝程の水溜りとなっている。横断するしかないところでは、仕方な
く足首程水につかりながら渡った。坂道が多く、一杯飲んでいるので息が切れ
る。靴もズボンもびしょびしょに濡れながら20時45分到着した。
しばらく、ロビーで雑談していると韓国選手団が到着。その数、7.8名。
役員は別のようだ。サンビストのアナスターシァ嬢が通訳してくれて、昨年行
動を共にした韓国軍団と再会を喜び合った。(7000歩)
第3日目(6月 30 日)市内散策と合同練習日
5時55分携帯電話の目覚ましで目が覚める。未だお二人は寝ている。窓の
外は明るい。陽が差している。昨日と打って変って上天気のようだ。TVを点
けてニュースを見る。ロシア語なので殆ど分から
ないが映像で判断するだけだ。
8時にロビーに集合して、本日のタイムスケー
ジュールを確認。揃って2階の食堂へ。
朝食はソーセージと紅茶が主となっている。
食卓には、韓国選手団総勢15名が席に着いて
☆ 朝食の一時
いた。食後ロビーへ行ったら、中国人ばかり。騒々
しさは変わらず。
ロビーには、食事を終えた韓国
の選手たちが数人雑談してい
た。挨拶をしながら話しかけて
親交を深めた。ほとんどが学生
であった。サンボを始め柔道、
テコンドウなどもしていると
のこと。日本語は「こんにちは」
「おはようございます」「あり
がとう」
程度で、英語の方が通じ易かっ
た。互いに健闘を誓い合った。
☆ 韓国選手団の皆さん
9時20分、迎えに来たエレナ、マラ、アナスターシャ嬢の3人に有松絞の
ハンカチと団扇をプレゼントした。皆さん喜んでくれた。
10時10分にスヴェトランスカヤ通りにあり、革命騎士像の立つ中央広場
の近くにある銀行に立ち寄った。手持ちのドルをルーブルに換金。エレナ嬢に
ついて個室に入り交換。交換中は独りっきりになったが言葉は通じなくても、
目で優しく応対してくれた。
10 時25分、ウラジオストクの国立
大学ハバロスクリバン・フェギロ大学
に向かった。外は湿気が多くかなり気
温も上がっているようだ。ゴールデン
ブリッジに続いてロシアブリッジを渡
り大学のあるルースキー島へ入る。
この橋一見するとゴールデンブリッジ
☆
ロシアンブリッジから
とよく似ていて見分けがつかないが、2
本ある主塔の形が異なる。A 字型に
作られたのがルースキー島連絡橋だ。
アムルスキー半島とル
ースキー島の間の東ボ
スボラス海峡を跨ぐ全
長 1104mの世界最長の
斜張橋。主塔はA型の
高さは、324mあるそう
☆ フェギロ大学本館
だ。2012年ロシアで
☆ 大学の構内
初めてのAPECがありその会場となるㇽースキー島へのアクセス改善のため
建設されたのだ。日本も大手重機会
社が建設機械の提供をし、技術協力
を行ったと聞く。APEC終了後、
フェギロ大学はこの地に移り、建て
られたのだ。東洋一と言われるだけ
あって建物も素晴らしい。構内はど
こも良く手入れされている。
私たちは、ここで約 1 時間見学す
ることになった。構内に入ると学生
の他に、観光客や市民が気ままに、
散策しながら楽しんでいる。構内は
解放感に溢れていた。
ロシア各地から参加している師
匠の旧友である選手団の皆さんと
言葉はあまり通じなくても片言の
単語を並べて話あった。皆さん、親
切に気軽に笑顔で応えてくれた。
国境を越えた友達としての人の温
かさを感じた。
構内は広い、歩く距離が半端ではな
☆ 大会参加の各地の選手団
い。昨日と打って変って快晴。気温
も予想をはるかに超えて23・24℃。長袖の私
は汗が・・・・。
構内の至る所にシンボルとされるモニュメン
トがある。師匠とモニュメントの前で記念写真。
☆ シンボル像の前で
☆サンビストのオクサーナー嬢と通訳のエレナ嬢
☆海岸線からルースキー島連絡橋を眺める
さらに海岸線の近くまで行ってみることにした。そこからは、2 本の橋脚と世界
最長の斜張橋がはっきり見えた。海岸線は石庭のように整備されていて、訪れ
る人の心を癒す。しばらく、周りの景色に目を奪われていた。
12 時に大学を出発。再びルースキー
島連絡橋を渡り市内へ。ホテルに戻り
昼食。ペリリューと言うパンケーキだ
った。
<合同練習> 13 時 30 分。アマゾンカ
☆ ウスリークスの選手と練習する楠本譲
の体育館へ。各国選手団が集合してサ
ンボと相撲の合同練習がある。減量を
続けてきた楠本選手、練習の後に再度
計量があるそうだ。食べていないので
辛そう。
館内に入るとレオンチェフ会長が
近寄って来て、掲示されているパネル
について説明をしてくれた。それによ
ると、壁には歴代の女子サンボ世界チ
ャンピン、本大会のチャンピンなど階
級別に掲示されていると言う。また、
海外遠征時の記録などウラジオスト
クの女子サンボの歴史が一目で分か
るようになっているとのこと。練習の
合間に昨年訪問したウスリークス市
☆ ウスリークス市のサーシャと一緒に
の女子選手と会うことができ、彼女は
私たちのことを覚えていてくれた。スマホや片言
のロシア語で手振り身振りの会話。でも、何とか
通 じ
る も
のだ。
に っ
こ り
笑 っ
て く
れた。
☆中央がレオンチェフ氏
☆
戸田さんの相撲の指導
合同練習と計量の合間に、戸田さんが「魚ひろばがあります。のどが渇いたの
でちょいと潤いましょう。」とお誘いの言葉。始めは、この後、18 時から会議が
あるのでと断っていたが、師匠が「それでは」と三人で出かけた。5 分程で行け
る海岸にある海の家のようなお店には、エビや貝などの海産物がずらりと並ん
でいる。戸田さん1㎏以上も入った冷凍エビの袋を注文し、店の人にレンジで
解凍をするよう依頼。会議があるのにビールを飲み、めったに食べられないほ
どの大きなエビを堪能した。
17時50分、センターへ戻り、1
8時からの会議に、師匠、三浦先生と
共に参加した。会議には、レオンチェ
フ会長を始め、相撲協会の会長のイル
ゲニン会長や各国の監督役員が参加
し、通訳さんを交えて大会スケージュ
―ルや各自の大会での役割分担等を
確認した。私は大会挨拶を仰せつかっ
た。18時30分終了。19時にはホ
テルで夕食。パスポートを提出し明日
☆
大会の事前打ち合わせ
はマリャ―クホテルからエクアドルホテルへ移動とのこと。
20時30分。師匠の旧友、アレクサンド・サーシャ、キリリン、シャラーク
トホディオン氏の皆さんがウオッカを持って来室。三浦先生のロシア語かなり
皆さんに通じている。
「ドカンサ」の声と共に注がれたウオッカを一気飲み。キ
リリン氏がアムール川で釣り上げた40㎏程もある大きな魚の写真を見ながら
ビールも飲む。胃の中を薄めるためだ。2Lのビールと40度以上あるウオッ
カを2本も空けてしまった。
もうメロメロ。来年3月ご
ろから4月にかけてジュニ
アの大会があるので「ぜひ
来てほしい」とのこと。
「そ
の折りにアムール河に釣り
に行こう」
「このくらいでか
い」身振り手振りで話され、
話は尽きない。9時40分
頃まで、
「ドカンサ」
「「ドカ
ンサ」が続いた。どの人も
心を開いて、サンボや釣り
☆ ホテルの部屋で親交を深める
ことができ、楽しい一時だった。
などのいろいろな話を聞く
(9500歩)
第 4 日目(7 月 1 日)大会初日
ホテルマリャークは今日まで。今晩からはホテルが代わる。そのため、荷物を
持って8時45分にロビーに集合だ。
9時にホテルを出て、9時20分に
体育館へ到着した。体育館内は、日本
の国旗を始めロシア、韓国の国旗が掲
揚されている。日本で言う警察か消防
団などのブラスバンドだろう。12名
編成の女子鼓笛隊が待機している。レ
オンチェフ会長から、通訳のエレナ嬢
と共に本部席に招かれ開会式を待つ
☆ 開会式を待つ会場
ように言われた。
エレナ嬢に片言の英語とロシア語
で会場の雰囲気や参加選手などにつ
いて話を聞きながら。
☆ 鼓笛隊の先導で開会式が始まる
開会式は、各国のプラカードを持った
選手団の入場に始まり、ロシア国旗の掲揚、レオンチェフ大会会長の挨拶、
来賓の挨拶に続いて各国の代表が挨拶をした。私も、韓国のキムさんに続い
て大役を果たした。冒頭ロシ
ア語で「ドーブラエウートラ
プリヤートナパズナコーミッ
ツア・・・」と述べると
会場から拍手が沸いた。開会
式が終わると、日本のウラジ
オストク領事の原田浩太郎氏
と名刺交換。今回の大会の国
際交流の意義や選手派遣につ
☆ 開会式での挨拶する私
きた。
いて色々と話を伺うことがで
☆ レフリーを務める師匠
☆ 戦う選手
☆ 戦う選手
☆ 楠本選手対アナスターシァ選手との戦
大会はサンボの戦いから始まった。会場のウラジオストク市の選手の中には
昨年の2月に乾坤院や日進の大会に来日した選手もいる。また、昨年ウスリー
クス市を訪問した際、楠本選手と練習した選手もいて目が合うと手を振ってく
れたり、にっこり笑ってくれたりして親交を深めることができた。 私は道場の
伊藤君から預かったビデオを撮ったり、自分のカメラで写したりして忙しい。
今年は、思いのほか調子のよい楠本選手。対戦相手は昨年この大会準優勝者
のアナスターシァ選手だ。楠本選手、残り30秒前までポイントで圧倒しなが
ら、後半に左脇腹を痛めてしまった。残念無念。会場で注射と飲み薬等の応急
処置を受けたがかなり痛そう。日本へ帰ってからの大きな大会の試合も控えて
いると言うので、その後の試合を棄権することにした。
☆ 表彰状とメダルを授与する私
☆表彰状とメダルを授与する師匠
☆ 表彰状とメダルを授与する三浦先生
13時50分昼食。体育館の一角にある部屋に案内されサンドイッチ等の昼食。
韓国の選手団や役員の皆さんと一緒に歓談しながら約20分。後半の相撲の部
に向けて会場へ戻った。
14時15分開始の相撲の部は、土俵は一面のみ。第二部としての開会式は、
原田ウラジオストク領事の挨拶で始まった。軽量の部から重量級までの相撲は、
昨年同様、レスリングスタイルの残る相撲。どうやら日本の相撲と少し異なり、
☆ 土俵の俵はプラスッチク製
☆
師匠も駆り出されて表彰する
☆ 相撲の部も表彰状とメダルを授与するする私
☆ ウラジオストク相撲協会・会長
アレンジされたロシアスポーツとしての
色が濃いようだ。折角の戸田さんの日本
式相撲があまり生かされていない。少し
残念。で
も、相撲
そのも
のが、海
外で行
われて
☆ 楠本選手も表彰を受ける
いるこ
とが、日本の相撲に対するスポーツとしての理
解や精神面での育成にかなり貢献していると
選手の土俵上での所作から感じることができた。
☆ウスリークス市の選手
☆
閉会式・国旗降納
☆ 閉会式での原田領事
16 時 30 分閉会式。大会は無事終了。
盛況なうちに終えることができた。
今年は、ジュニアの部(15~17 歳)も
設けられ、サンボや相撲に取り組む子ど
もたちの発表の場が増えて、裾野が広が
ったようだ。来年以降も大勢の参加を期
待したい。
☆
選手団退場
閉会式後、昨年サンボの練習でお邪魔
したウスリークス市のクリシチーナ会長
とお会いし、有松絞の伝統的な絞りのハ
ンカチと日本の団扇をプレゼントした。
大変喜んでくれて、ハグの後、ほっぺに
「・・・」。つい照れてしまった。
その他、昨年お世話になったマリアと
マリア嬢のお姉さんなど旧知のサンビ
スト数人とパルコペンコ氏の墓参りの
折にハバロスクからウスリークス市ま
で同行してくれたバリリー氏にお土産
を渡した。バリリー氏、昨年に比べかな
り年老いて見えた。また来年の再会を約
☆ クリスチーナさんと
束をして別れた。
今回の大会、昨年に比べ 1 日に絞っての大会。運営に時間的ゆるみがなく、
どの時間帯も充実していた。特に開会式や閉会式でのマイクや本部席の位置が
全体を見渡せるためミスなく進行できたようだ。また、会場が広く二階席もあ
り、二面設定されたマット上の試合をどの方向からも見ることができ、カメラ
目線のためにも撮りやすかった。大会関係者の皆さんの大会に対する取り組む
姿勢が伺うことができる。
終了後、領事館の原田領事や通訳さんが「一緒に写真を撮りましょう」と言
って来られ、皆で記念にパチリ。
☆ 後列右側の方が領事館の通訳さん、その隣が原田浩太郎領事
帰り支度をしているとエレナ嬢の
妹が子どもを連れて現れた。1 歳少し
の男の子だ。エレナ嬢の甥っ子になる。
人見知りが少しあったが可愛い・・・。
17 時 15 分、ウラジオストクの選手
の皆さんが後片付けをしている。手伝
わなければと思いつつも、エレナ嬢に
促されて会場を後にした。
17 時 20 分。エレナ嬢と共にホテル
EQUATORへ移動。ここのホテル、
☆ エレナ嬢の甥っ子と共に
昨年三度の食事を摂ったホテルだ。
私たちの部屋は 508 号室。私と師匠と三浦先生の三人が使用する。ここはエ
レベーターもあり移動するには楽。二部屋に簡易ベッドが入り三人部屋となっ
ていた。奥の部屋にベッドが二つ、手前の大きな広いリビングに簡易ベッド、
テレビ、流し台や冷蔵庫もある。私の寝癖(鼾)のため広い部屋で私が一人独占す
ることになった。しかし、隣の部屋とリビングには扉がない。迷惑をかけない
か心配したのだが。18 時 45 分、ロビー集合して徒歩で隣にある中華料理のレ
ストラン(Bohay)へ移動した。
<大会打ち上げパーティー>
19 時丁度。中華レストランのしゃれた
曲り階段を上っていくとステージのあ
る広い部屋に出た。真ん中に対面式にテ
ーブルがセットされ各国選手団と大会
役員の方々が席に着いた。レオンチェフ
会長は上座に師匠と私たち三浦先生夫
妻を案内し会が始まった。大会役員の
方々の挨拶があり、私たちの代表として
三浦先生がお礼を述べられた。
「ドカンサ」
「ドカンサ」の杯を重ね
るごとに周りは賑やかになってきた。
後日、大阪で開かれる相撲の世界大
会に参加され、国際審判のライセンス
を持つシレナさんにも紹介されて、新
しい友達が増えた。
上段は、レオンチェフ会長、キリリン
さん、アレクサンド・サーシャさんと
師匠。
二段目がレオンチェフ会長と私。
三段目が、相撲の国際審判員の資格を
持つシレナさん。下段左が三浦夫人。
右側はステージでおどるレオンチェフ
会長や韓国の選手団。昨年と同様に皆
さん解放されて踊りに興じていた。
21 時でも外はまだ明るい。緯度と経
度のためか。2 時間の時差はあるのだ
ろう。21 時 30 分お開きとなった。
21 時 40 分、部屋に戻り三人で二次会。三浦先生がビールを用意してくださっ
た。
23 時シャーワーを浴びた後のことは余り覚えなく、三人とも爆睡。ウオッカ
15・6杯、ビール4・5杯飲んだためだろう?レオンチェフ会長と三浦先生の
心遣い、気遣い、気配りに感謝!感謝!
(4000歩)
第5日目(7月2日) ビーチでの散策と買い物
5時45分起床。窓の外、雲は多
いが天気は良い。相変わらずカモメ
の猫のような鳴き声が窓越しに聞
こえる。少し窓を開けると、冷たい
外気が入ってくる。素足では少々肌
寒く感じる。
8時15分、ロビーへ集合。中国
人の旅行の一行が大勢いて、ソファ
ーを占領している。中には、階段の
上から大きな声でしゃべりまくり
☆
☆
ロビー中に響き渡っている。迷惑に
窓越し見たスポーツ湾
気付かないのか。お国柄とわ言え、
困ったものだ。私は、気温が気になりエレナ嬢
に「今日の天気は?」と尋ねたら師匠が横から
「テンプレシャ?」と教えてくれた。エレナ嬢
は16~21℃とスマホで調べて教えてくれた。
便利なものだ。家内の持っているタブレットと
同じような機能を持っている。近い内に私も多
機能を有するスマホに換えたいと思った。朝食
朝食のパンケーキ
☆ 砂浜でバレーボールを・・。
のパンケーキは、ニンジンの刻みの入った卵
焼きの厚焼きのようで、少々甘酸っぱい味だ
った。
10時20分、ロビー集合。市内散策に出
かけると言う。25・6名ほど乗れる小型の
バスに韓国選手団と一緒に乗り、約50分で
昨年と同じラズールナヤー海岸に着いた。昨
年は、大勢の人が日光浴や海水浴を楽しんで
いたが今年は気温が低いため、海の中に入っ
ている人はまばらで数人だ。師匠も今年は泳
ぐことを断念した。三浦先生を始め韓国選手
☆ 寛ぐ師匠
団は、フレスビ
ーやバレーボ
ールを楽しん
でいる.若い選
手の動きに体
がついていけ
ない私は師匠
を誘い、外観
が船の形をしたレストランでコーヒータイム。カプチーノを久し振りに楽しん
だ。(ここにはカプチーノとアメリカンしかない)
その後、師匠と海岸線を散歩する。しばらく歩くと日本で言えば「海の家」
のような小さなお土産屋やレストランが軒を並べていた。店先には若い男たち
が2・3人椅子に腰かけて、客待ちをしている。目が合うと直ぐに声を掛け近
寄ってくる。今日のような天候では、訪れる人も少なく、暇を持て遊んでいる
ようだ。師匠の話では、アルメニア系の人達だろうとのこと。
往復2㎞は歩いただろう。やがて、皆のいる場所に戻った。私はトイレに行
くことにした。昨年は、有料トイレだったが、今年は改装されていて、最新型
のトイレに変身。手洗い後のエアー乾燥機も付いていた。
間もなく、遊び疲れてホテルに戻ることになり、14時30分、ホテルに到
着。早々に昼食を摂る。その他、初めてであったが、カンポート(乾燥果物茶)
が珍しく、お代わりをした。その後、夕食まで自由時間。疲れた体を休めるた
め部屋でTVを観ることに。師匠はアマゾンカへ来月来日するロシア選手団の
名簿と写真を受け取りに出かけた。
16時30分、TV番組全て映らず。あきらめていたら、三浦先生の奥さんが
「電波障害があったらしい」と教えてくださった。早々修復し格闘技の番組を
観る。この番組かなり古い時代(2・3年前)の録画を流していた。ロシアの
英雄、フョードルの試合もあった。
18時に師匠が戻り、明日はレオン
チェフ会長宅へお邪魔すると言う。そ
の時に、お土産を渡すことにした。
19時。夕食の時間だ。
出された夕食はバターライスの上に
卵焼きで巻かれたサツマイモぐらいの
大きなサーモンがドカンと載っている。
少々骨はあったがホークとナイフだけ
☆
夕食のサーモンの卵巻
で食べた。その他、黒パンも出された
が減量のため手をつけなかった。
この日は、三浦先生が用意してくださったビールと残りのウオッカを三人で
飲み干し眠りについた。
(9000歩)
第6日目(7月3日)市内買い物とレオンチェフ宅にて晩餐会
5時30分。目が覚めた。早起きの習慣が身に付いたようだ。6時設定のアラ
ームをOFFにした。窓の外に目を移すとうっすらと曇り空。昨晩、賑やかだ
った遊園地もひっそりとして、人影も見えない。階下の屋上には十数羽のカモ
メとハトがいる。屋上に溜まった水を
飲みに来ているようだ。私は、昨日の
ポテトチップスの残りを窓下に撒くと
十数羽が一気に寄って来てむさぼるよ
うに啄んでいた。
6時20分。師匠がお目覚め。続い
て7時ごろ、三浦先生が。
8時20分朝食。日本の物より少し
小さめのリンゴがテーブルに。ソーセ
☆
ージと少し甘味のするパンケーキのよ
パンケーキのような朝食
うな食べ物。紅茶とよく合う。おいし
く頂いた。
9時30分集合。揃って徒歩での買い物の日。ホテル
を出て海岸通りへ下る。途中公園には、マカロブの大き
な立像やアムール地方を象徴するトラの大きなモニュ
メントがあった。起伏のある道を15分程歩くとスヴェ
トランスカヤ通りに出た。ウラジオストク市のメインス
トリートである。行き交う人も大勢。中国人の観光客も
☆ 広場の立像
目に付く。4車線の道を走っている車の9割が、日本製
と言う。真新しい車は余り見かけない。この通りには、
旧い建物や近代的な行政施設のビルもあり、街並みをつ
くっている。久し
振りの繁華街での
散策・買い物なの
でシャッターを切
ることが多かった。
案内されたのが、
ゴールデンブリッ
ジの見えるグム百貨店。このビル、高さは 8 階程あるが床面積はさほど広くな
☆ 最階上から眺めたゴールデンブリッジ
☆ 所々に彫像が設置されている
いデパートだ。中央に曲り階段とエレベーターがあり、それを取り囲むように
各種のお店が並んでいる。ほとんどの商品は身に付けるアクセサリーから衣類
だ。品数は少ない。お土産のマトリョーシカ、バッジやキーホルダーを買い求
めた。最上階のコーヒーショップで師匠とカプチーノ飲み一息入れた。
表通りへ出てしばらく歩いているとどこの国にもあるちょいとした食べ物の
露店が出ていた。ワッフルのような生地を焼いて、炒めた肉と野菜を巻いて売
っていた。
街角には落ち着いた雰囲気のある彫像が立ってい
る。これらの佇まいは、雑踏の中に安らぎを感じる。
この後、セメョーノフスカヤ通りにあるクレイバー
ハウスと言うスーパーへ案内された。デパートと比べ
ると同じ品物、例えばチョコレートやウオッカ等がお
値打ちに買うことができるのだ。私はここでウオッカ
とチョコレートを買い求めた。チョコレートとウオッ
カの総重量はかなりの重さ。5、6㎏は軽くありそう
だ。後になって この買い物が重荷になることに気付
かなかった。この日は、かなり蒸し暑い日だ。
☆ 街角の女性像
22、23℃はありそう。少し歩くと汗ばむ。
スヴェトランスカヤ通りと並行行しているアドミラール・フォーキン通りを
帰路に選んだ。通りの両側にはカフェやレストランが立ち並んでいる。中央に
は花壇があり、そのサイドにはベンチが置かれている。家族連れや恋人同士が
休んでいる。私は、重い荷物を持って起伏の多い道をひたすらホテルに向かっ
て歩いた。ハンカチは汗でぐっしょり。それでも、辺りを見ながら案内役のサ
ンビストオクサーナ―嬢の後に着いて黙々と。やっとの思いでホテルに着いた。
一息ついて、13 時からの昼食に出されたミネストローネのようなスープが野
菜とソーセージを炒めたものとよく合っていて、おいしかった。
疲れが一気にとれたようだ。その他、ドライフルーツの紅茶が甘くて疲れた体
☆ 昼食のスープが美味
にぴったり。「これは活ける飲み物だ。帰国した
ら早速に試してみたい。」と思った。
15 時になったらロビーへ集合して、レオンチェ
フ会長宅での晩さん会へ出向くとのこと。
しばらく時間があるので、部屋に戻り買ってき
た土産の整理とレオンチェフ会長への日本から
の土産(日本酒や有松絞のハンカチ)を用意した。
15 時 40 分、レオンチェフ宅へ出発。韓国役員
と私たちは迎えの車に乗って、まずはスポーツ店に寄ることになった。途中、
エレナ嬢の大学や学生街を通り抜けお店に到着。フロアは 3 階まであり品数も
豊富にある。私は孫の T シャツを選ぶことにした。ほとんどの物がアディダスか
アシックスだ。デサントやミズノもあった。日本に比べるとかなり割高のようだ
がデザインが良いため買い求めた。
また、途中、街道筋でハチミツやドライフルーツを販売している露店に立ち
寄った。韓国の役員さんは何やら買い求めていた。
18 時 20 分頃。車は見覚えの
ある木々に囲まれた高級住宅
街へ入っていた。塀が高く、
広い庭が印象的だ。路地の突
き当りがレオンチェフ会長の
屋敷だ。大きな門を通り抜け、
一歩屋敷内に入ると別荘地の
ような建物。木を惜しみなく
使ったログハウス的だ。プー
ルが有りサウナ有の豪邸だ。
以前訪れた白馬のホテルのよ
うだった。一旦、ゲストルー
ムに案内され荷物を置いて、庭に設定されたバーベキューのできる日本で言う
東屋へ案内された。大会で大活躍したビツィ
ナ・ユリィヤ(ユラ)嬢とビツィナ・オルガ(オ
ラ)嬢の二人が色々とお世話をしてくれた。
参加者は韓国の役員、団長のキム・ジャン・
ジョンさん、副団長の大学教授のキム・ビロン
チャン等コ―チを含めて 5 人。私たち 5 人との
楽しい晩餐会だ。
☆ 何処のホテルよりも美味
レオンチェフ会長の料理する焼肉、エビやナ
マコの和え物などを頂きながら「ドカンサ」が始
まった。韓国のキム・ビロンチャンは「ドカンサ」が得意。杯を空けるごとに
杯を頭の上で「空っぽだよ」の仕草をする。初めて見る光景だった。特におい
☆ レオンチェフ会長と韓国のコーチ
☆
ウラとオラの姉妹
☆ カン・ソン・ヨンコーチ
しかったのはジャガイモをスプーン
で半分ほどくり抜き、そこへチーズ、
ベーコンやひき肉等詰めて蒸したも
のが超うまかった。時間が経るにつ
れ、ウオッカの他にシャンパン、韓
国のウオッカやウイスキーなどちゃ
んぽんとなった。この頃になると、
「ド
カンサ」と共に「ウラ、ウラ、ウラ」と
皆で声をあげて乾杯が続いた。20 時
30 分を過ぎたころ、レオンチェフ
会長にゲストルームへ誘われ、ビデ
オを見ることになった。ウラジオス
トク市の大きな大会、表彰式やパー
ティー等の様子が映し出された。中
には師匠も写った場面もありレオン
チョフ会長との親交の深さを伺うこ
とができた。また、ゲストルームに
は、レオンチェフ会長の珍しいコレ
クションが数々あり目を楽しませて
くれた。サーベル、拳銃や日本人形
まで様々。皆さん手に持ったり、構
☆ 鞘を払って格好をつけるお二人
えたりして童心に帰った様子だった。
サウナやプールなども勧められたが 9 時 20 分お開きとなりホテルへ。
10 時丁度にホテルに着いた。明日は帰国の日、荷物の整理をした。(9500 歩)
第7日目(7月4日)ウラジオストクから帰国の途に
今日が最終日。8 時 30 分
荷物を持ってロビーへ集合。
既に韓国選手団が集まって
いた。朝食を済ませ、エレ
ナ嬢やアナスターシァ嬢と
挨拶を交わしているとレオ
ンチェフ会長が現れ、今年
もまたお土産のウオッカを
くださった。またエレナ嬢
からはチョコレートを。
ホテルの玄関を出るとマ
イクロバスが待っていた。
☆ 韓国選手とお別れの写真
総勢20名程が乗車。昨年
は、空港まで電車を利用したのだが、14時50分発の飛行機には時間がたっ
ぷりあり韓国選手団と同じ帰国日となったため、バスになったと言う。韓国選
手団は仁川までなので、1
時間程早い13時30分
の飛行機で帰国とのこと。
玄関先で関係者の皆さん
と別れを惜しんでいる。韓
国軽量級の選手と記念に 1
枚、パッチリと。併せてお
世話になった女子サンボ
協会会長のレオンチ ェフ
氏とも。「来年もまたお出
でください」との言葉を掛
けられ、固い握手をして
☆ 女子サンボ協会会長のレオンチェフ氏
別れた。
10 時 15 分、全員の荷物を積み込むのに少々手間取ったが、大勢の関係者の皆
さんに見送られてホテルを後にした。数日間のお付き合いだったが、手を振る
皆さんを見ていると、皆さんとの関わりが鮮明に蘇ってきた。
大会前日の戸田さんを講師に相撲の合同練習でのレオンチェフ会長、大会当
日の領事館の原田さんとの国際交流や支援についての話し合い、また15~17
歳までのジュニアの戦いなど様々。
車は、工事中でやや渋滞気味のホテルの裏道を通り市内から北東に位置する
ウラジオストク空港へと向かった。空港まで約40㎞だ。車で約1時間。
15分もすると、車窓の風景は入国時と異なり晴天の中、赤レンガの家、ロ
グハウスのような木造の家など木々に囲まれた絵本のような田園風景の中を快
調に走る。ところどころ木々の間から海岸線海が見えたり隠れたりする。眺め
ていても飽きがこない。
やがて、見覚えのあるウラジオストク空港へ到着。11時15分だった。手
荷物等のチ
ェックを事
前にセルフ
で量ると重
量オバーの
23.4㎏。
わずか0.4
㎏重い。大き
なチョコレ
ート2個を
師匠に預け、
2個機内持
ち込みの鞄
に移し替え
た。これで重
量は OK.一安
☆ 空港まで見送ってくれたアナスターシァ嬢と彼氏
心した。
お昼近くになっていたので、アナスターシァ嬢から弁当が配られた。彼氏が
荷物の番をしていてくれるとのことで、私たちは、弁当を持って、空港地下に
あるスターバックスの様なセルフサービスのレストランに入った。そこには既
に韓国選手団も来ていた。彼女等は1時間程早く搭乗とのこと。食事が終わる
と直ぐに搭乗だそうだ。
先に席を立つ韓国選手団と別れを告げ,再会を誓い合った。私たちはチェッ
クインまで少々時間がある。師匠と売店を覗くとサーモンの燻製が手ごろな大
きさで並んでいる。最初の日にヒュンダイホテルのレストランでご馳走になっ
たあのおいしい燻製のサーモンだ。早速2本買い求め師匠と分け合った。
12 時 50 分、いよいよ見送りのアナスターシァ嬢ともお別れの時がやってきた。
チェックインカウンターを無事通過し、2 階へ。ここで手を振って別れた。セキ
ュリティーチェックのボデェチェックでブザーが鳴った。財布のコインが原因
だった。税関は無事通過。搭乗までの間、免税店を散策。三浦先生の奥様から
「珍しいトランプがありますよ」との情報を得て、孫のために買い求めた。
14時35分。搭乗。38A,B737-900.981便。後ろの方の座席
を除きほぼ満席。時間通り14時50分離陸。
快晴のため、上空から陸地の様子がよく見える。高度が高くなるにつれ箱庭
のように。
15時35分。機内食が出された。パン、ジャガイモと魚の煮つけ、イカの
和え物など。この頃、パネルには時速820㎞で飛行中と表示されていた。
16時。現地時間に戻した。16時を15時に。時差の1時間をマイナスし
た。快晴のため、中国の丹東の北の方や大連を右手に見ながら飛行。9000m
上空でありながら、山や川をはっきりと見ることができた。
予定より早く仁川空港へ着陸。飛行場が広いため、着陸してから降りるまで
が10分程、時間がかかる。乗り継ぎのボディチェックを受けると今回も「ブ
ー」。係官の身振りでは、ベルトの金具のようだった。19時5分の飛行まで十
分時間がある。私たちはコーヒーを求めて、48番ゲートの方へ移動した。こ
こ仁川は世界最大級の空港。搭乗ゲートが百以上もある。広い構内をゆったり
と移動した。17時30分、コーヒーを飲みながら大会の話に花が咲いた。
その後、免税店を眺めながら8番ゲートへ。18時35分、アナウンスでビ
ジネス、座席の後方の乗客の順に搭乗した。34A、B777-300 。
離陸、20分ほどで機内食が配られた。サンドイッチにパイナップルとドリ
ンクだ。19時5分には時速1053㎞で10058m の上空を飛行。
アッと言う間の仁川からセントレアだ。小雨の降るセントレア空港へ20時
34分着陸した。
日本の空港へ着くとなぜかホッとした。言葉が通じる精なのか。何事もなく
無事帰国でき皆さんも疲れた中にも安堵の表情。国際線の出口で、伊藤君が手
を振って迎えてくれた。嬉しかった。
サービスカウンターの前で、師匠に預けたウオッカやチョコレートを受け取
る際、師匠のバッグが少し切られ鍵が壊されていることに気付いた。三浦先生
のケースの鍵も。早々に、大韓航空の係官を呼び事情を説明。保障を申請した。
その後、私は、うかつにも師匠から荷物を受け取るとき、ケースから出したチ
ョコレートを2箱出したままにしてトランクを閉めそのまま帰宅。翌日置き忘
れに気付き、空港サービスや警察に届けをしたが、いまだ出てこない。残念、
折角持ってきたのに。今後、十分気を付けたい。
小雨の中、自宅まで師匠共々伊藤君に送ってもらった。感謝の気持ちで一杯
だ。我が家で一服してもらい、遠征中の話に花が咲いた。二人が帰った後、今
回の遠征が終わった。
おわりに
今回も大勢の人にお世
話になりながら、ウラジ
オストク市制155周年
の記念の大会に参加でき
たことは、大変意義深かった。 一つ目にウラジオストク市の領事館の皆
さんにお会いし、国際交流の意義、その開催内容や大会に対しの国として
の支援の有り方などのお話を伺うことができたこと。 二つ目に韓国を始
めロシア各地の人とのサンボや相撲を通して理解し合えたことは元より、
一緒に食事をしたり談話したりする中で互いの文化の違いを知り、よりそ
の人の言葉の意味が理解できるようになったこと。 三つ目が、国は異な
っても相手に対する思いやりはどこも同じであり、いつも持ち続けたい心
であること。など、など強く感じた。
また、ルースキー島のフェギロ大学や市内散策などを通して、ロシア、
ウラジオストク市の成り立ちや生活の一面等を知ることができ、益々ウラ
ジオストク市が好きになった。機会があれば、また、訪れたいと思った。
最後になったが、お世話になった、関係者の皆様に心から感謝とお礼を
申し上げたい。本当に有難うございました。
2015・7・吉日
高 松 愛 司