第83号(676kb) - 青山学院大学総合研究所

青山学院大学総合研究所理工学研究センター
青山学院大学総合研究所
2001 年
FOR
1日
Research Institute of Aoyama Gakuin University
理工学研究センターニュース
CENTER
10 月
SCIENCE
AND
2001.10
2001.10.
10.1
ENGINEERING
VOL.83
VOL.83
RESEARCH
理工学部への期待、そして相模原キャンパスへの期待
化学科
田代
朋子
大学院博士後期課程以来、30年近く住み慣れ
は僅かでした。彼らにとってはやまほどある必修
た医学部を出て、昨春、理工学部の皆様の仲間入
科目のうちの一つに過ぎず、一回で通り過ぎるこ
りをさせて頂くにあたって、私には動機となった
とが目的なのです。大学院生はというと、医者と
三つの夢というか期待がありました。着任と同時
しての長い職業人生のうち、「学位を取るために
に現れた卒研生の指導、学生さん達がどういう知
どこか基礎の研究室で過ごす比較的平和な四年
識を土台に持っているのか、何を知りたがってい
間」という位置付けがほとんどです。もちろん立
るのかを探りながらの講義、ほとんどゼロからの
派な大人ですし、目的意識ははっきりしているし、
研究室の立ち上げと、ある程度は予想をしていた
就職の心配はないし、人生後半に備えて信頼でき
つもりでしたが、現実はなかなか厳しく、無我夢
る若い主治医を確保できるし、文句をいう筋合い
中で一年半が過ぎました。ようやくほぼ全面的に
ではありません。でも一緒になってはまりこんで
開店できたかなと思えるようになったのは今年
しまう仲間ではないのは寂しいものです。
ニつ目の動機は、理工学部に飛び込むことで、
の猛暑を乗り切ったあたりのことです。この理工
学研究センターニュースに原稿をというお話が
従来の枠を超える研究上の新しい視点や手法を
来たのもちょうどその頃。それならば、この機会
みつけることができるのではないかという期待
を利用して私の「初心」をお話しし、これをきっ
です。他の分野でもそうでしょうが、私の専門で
かけに理工学部における「生命科学」に対する皆
ある神経化学や細胞生物学の分野では、新しい手
様のお考えを聞かせて頂けたらと思ってキーボ
法によって今まで見えなかった物が見えるよう
ードをたたくことにした次第です。
になり、存在しなかった概念が姿を現すという形
で、この30年の間に飛躍的に発展してきました。
一つ目は、自ら「生化学」を選ぶ学生が相手だ
から(たとえ消去法で選んだとしても)、教え甲
光学顕微鏡の理論的限界を超えた「可視化」の技
斐があるだろうし、知的好奇心や達成感を共有で
術などはそのもっとも端的な例です。
「生命科学」
きる若い仲間が得られるのではないかという期
は、ある手法や考え方を土台にした一つの分野を
待です。医学部では生化学は必修科目の一つで、
指すのではなく、すべての分野に開かれた「研究
たいてい二年生後半に組まれています。高校の生
対象」を指しているに過ぎません。生命現象を分
物を履修していない学生が80%という状況で
子の構造と機能、および分子間の相互作用に基づ
したから、ひたすら代謝経路を暗記しなければな
いて理解しようという共通の目的があるだけで
らない「難関」科目の一つでした。講義をやめて
す。細胞から分子を抽出・精製し、その性質を試
教員総出で15人ずつの演習形式にしてみたり、
験管内で調べるというかつての「生化学」から、
実習と組み合わせてみたりと、いろいろ工夫をし
その分子が生きた細胞の中で、どこに存在し、ど
てみても、結局、本当に興味を持ってくれる学生
のような機能を果たしているのかを見る、即ち
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「リアルタイム」、「in situ」をキーワードとす
い社会的コンセンサスを作る核となるような社
る「分子細胞生物学」へと発展しているのです。
会性のある理系人間を育てることも、理工学部の
満員電車のように混み合った細胞の中で見たい
重要な使命ではないかと思い至ったのが私の三
分子だけを追跡する技術、分子間の速い、一過性
つ目の動機です。
の相互作用を検出する技術、特定のイオンの濃度
ようやく軌道に乗り始め、第一の期待に対して
や膜電位の変化を可視化する技術など、どれも生
は手応えを感じられるようになりました。そして、
物学とは一見かけはなれた多くの分野の研究か
まわりを見回す余裕が少しできたせいでしょう
ら可能となったものばかりです。まさに”Where
か、第二の期待についても、なにか感知できる気
there is a will, there is a way.” という気
がしてきました。今後、理工学研究センターや
がします。
CAT を通じて私の仕事を発信することにより、異
現在の私達の社会には、遺伝子治療、臓器移植
分野間の微かな接点を大きく育てていけたらと
や再生医療、遺伝子改変動植物、環境汚染など、
思っております。更に、当初は予想もしなかった
一握りの専門家だけに任せておくわけにはいか
新しい淵野辺キャンパスの出現は、第三の動機を
ない問題が山積しています。苦労して開発された
具体化する可能性を示しているような気がしま
科学技術が、人間の幸せにつながるのか、不幸の
す。難問も山積していますが、可能性もこれだけ
種となるのかを決めるのも人間という事態にな
あるのだから、期待が現実となるよう努力したい
っています。科学技術と並んで生化学や医化学の
と思っています。
基本的な知識を備え、自ら考え、判断して、新し
スロバキアで国際会議 ご報告
化学科
長谷川美貴
ウィーンからバスに乗り、国境を越えドナウ川
るような気分だった。しかも、私に用意されてい
沿いを進むとあっという間にブラチスラバに着
た寝室は、お城の塔の最上階だった。3人乗りの
いた。今回の錯体・無機生物化学国際会議は、こ
木箱のエレベータで上ると、童話のラプンツェル
こから更にバスで 2 時間先のスモレニッチェに
が住んでいたかのような素敵な眺めが楽しめた。
あるお城が会場だ。バスステーションの近くの居
見渡す限りの小麦畑とブドウ畑が初夏の緑に潤
酒屋で評判の地ビールを 1 杯飲み干すと、ちょう
っている。地平線にも見えるその向こうに、原子
どスモレニッチェ行きのバスの時間になった。
力発電所が白い煙を上げているのも、ミスマッチ
で面白い。
ウィーン工科大での仕事の都合で、数日遅れて
の参加だったため、他の参加者とは異なるルート
夕方に到着し、いくつか講演を聞いたあと、夕
で行くことになっていた。そのため、スモレニッ
食。そして、お城の中のワイン蔵でワイン試飲会。
チ ェ の 小 さ な バ ス 停 に は 学 会 主 催 者 の Prof.
素朴でさばさばしたワインを堪能した。おつまみ
Sirota 自ら車で出迎えてくださった。気さくな大
なしでワインを飲み続けたお陰で、初対面の先生
きな先生にお会いして、車に揺られながら小高い
方ともずいぶんと話が弾んだ。ポルトガル、フィ
丘に立つスモレニッチェ城へ向かうと豊かな自
ンランド、イギリス、ポーランド、ドイツ、バン
然と美しい空までもが自分を歓迎してくれてい
グラデシュ、ハンガリー、トルコなど、小規模の
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国際会議とはいえ、実に多彩な集団だ。ポーラン
名ものチェアをするというのは、記憶力と機転に
ドから来た Monica とはこのワインテイスティ
限界を感じずにはいられない。それに加えて、国
ーで知りあった。なぜか私たちはとても気が合っ
際会議の場合、国によって響きの持つ意味が異な
た。Monica はポーランドと日本の関係について、
って捉えられ失礼になることがあるから、チェア
私たちが考えている以上に深刻な心の傷がポー
マンは絶対に名前の発音を間違えてはいけない、
ランド人に残っていることを教えてくれた。戦争
とスロバキアに入る前に二人の先生から別々に
を知らない世代同士がいつかは遭遇することな
注意されていた (Thanks to Prof. S. Hasegawa
のかもしれない。日ごろ新聞などからは読み取り
and Prof. W. Linert !)。今回の場合、英語の発音
きれない国際情勢がまだまだあることを再認識
以外が多いことが明らかで、重いプレッシャーと
した。彼女は非常に優秀な研究者の卵で、発表の
なっていた。Prof. Sirota やそれまでにできた友
仕方や話し方も聞く人を引き込む術を生まれな
達に発音を教えてもらって、要旨集にカタカナで
がら持っている上、そこに立っているだけで辺り
読みをふった。私のセクションにはスロバキアの
に明るい光が差し込むような女性だ。Monica と
研究者が多かったのだが、特に Herhel さんの発
私は、徐々に友達を増やしていき、各日の学会ス
音は苦労した。ちなみに「ヘルヘル」の初めの「ル」
ケジュールが終わると毎晩のようにみんなと夜
は舌を奥に巻く感じで、後の「ル」は舌を上あご
更けまで酒盛りをした。
につけるだけ、らしい。日本人の私の舌がそんな
今回の目的は、もちろんおいしいお酒を楽しむ
に器用に素早く動くはずがない。Herhel を紹介
ことではない。自分の招待講演があった。これは
したとき、本人が壇上に上がってからも発音練習
特に大きな問題はなかった。慣れとは恐ろしいも
をしてくれた。会場がドッと沸いた。Herhel は
ので、質疑応答の時間には無意識のうちに聴衆の
ブラチスラバ工科大学の学生さんで、俳優のレオ
ウケを狙い、笑いを取るほどリラックスしていた。
ナルドディカプリオに似ていると噂の好青年だ
紳士淑女の先生方が多い国際会議での質疑応答
った。はたから見たら素敵な漫才に見えただろう
の時間は、特に充実していて楽しい。自分の研究
が、その時は 1 時間半のデュウティのまだ中盤だ
に関して、いろいろと糧になるお話を頂き、至極
ったから、恐らく私は必死の形相で「へるへる」
満足だった。質問して下さった先生方のうちの一
と繰り返していたと想像できる。ともかく、非常
人とは、そのことについて今でも E メールで議
につたないチェアにもかかわらず、多くの方が質
論を重ねている。
問やコメントを挙げて下さったお陰で、なんとか
時間をやり過ごすことができた。こんなに長い時
自分の発表時間が終わった。さあ、これから未
間緊張したのは、いつ以来だろう。
知との遭遇だ。緊張感が高まってくる。小学生の
頃、100 m 走のスタートラインに立った時の緊張
私のチェアしたセッションがこの学会の最後
と似ている。せめて転ばないで完走したい。それ
にあたる。それでは 30 分後にまたこの会議場で
というのも、光栄なことに今回の学会でチェアマ
集まりましょう、というもう一人の主催者 Prof.
ンとして私が指名されたためである。日本語でも
Melnic の閉会の挨拶があり、やっと部屋に戻り
チェアマンをする機会がこれまでになかった私
頭を解放した。ほっ。しかし、この学会の常連の
が、初めて勤めるお仕事が英語とは!!!事前に
話によると、この最終日の夜がもっともハードで
要旨やプロシーディングに目を通していても 7
長いらしい。
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軽快な民俗音楽で素敵な
は、自分のオリジナリティーを尊重してくださる
民族衣装をまとったダンサ
マイボス星先生のご理解なしには語れない。あり
ーが踊る。皆さん、ブラチ
がとうございます。そして、放任主義的に見守っ
スラバ工科大学の伝統舞踊
てくれているマイダーリンと家族にこの場をお
サークルの学生さんだった。
借りしてありがとうと言いたい。(2001. 9.10)
椅子も机も取り払った会議場は、さっきまで自分
学会会場
がいた所とは別空間のようだ。明るくてエネルギ
見張り台
My room
ッシュな歌と踊りは、まばたきを忘れるくらい目
まぐるしく変化していく。その間、私はここでの
数々の出来事や出会った人たちのことを思い返
していた。日本から 20 時間もかかるけれども、
スモレニッチェに来てよかったな、と思った。バ
ンケットが終わり、外ではキャンプファイヤーが
待っていた。お城の庭は丘の少し下にあり、自分
の部屋のある塔を見上げると満点の星空だ。カシ
Smolenice Castle in Slovak Republic
オペア座を探すのも困難なくらいだ。ここで、ス
(庭には3羽の孔雀が放し飼いになっている)
ロバキアでの最後のワインを、心ゆくまで楽しん
だ。初夏だというのに、肌寒い夜だった。キャン
プファイヤーとワインで温まりながら、各国の童
謡や民謡を歌いあい、楽しい夜を過ごした。あっ
という間に午前 3 時をまわり、さすがの私もそっ
と部屋へ帰った。窓から流れ込んでくる歌合戦を
聞きながら、気持ちよく眠りについた。
翌朝、私はブラチスラバのバスステーションに
向かうバスに乗り込んだ。Monica ともここでお
別れだ。出発前、彼女は別の方面へ向かうバスか
ら降りてわざわざ私の所まで挨拶に来てくれた。
Monica には初めて話したときに見せた、日本人
3時間も演奏が続いた !
に対してどのように接したらいいのだろうかと
いう不安そうな表情はかけらもない。今にも泣き
出しそうな Monica に、私は彼女よりもお姉さん
だからもらい泣きしないようにがんばって笑っ
た。「日本人の知り合い」ではなく、彼女の「友
おことわり
達」になれたと確信した。
「任期付き助手時代に何をすべきか」のシリーズは、
追記:今回も実りの多い国際会議となった。ス
今号はお休みいたします。
ペースの都合で氷山の一角しか紹介できないの
が残念なくらいだ。頑固な私の充実した研究生活
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1日
過去・現在・将来
理工学部事務部教務課
今、名古屋出張帰りの新幹線。この 2 時間を
中嶋
良江
ンにもどしセンター時代は愛用した。ジューキ
使って原稿をまとめよう。
のパンチマシンやパンチカードと格闘した時
前号
代だ。
水谷助手のプレッシャーとは裏腹に竹
そして現在
本室長からは「何でもいいから書け」の指示。
教務課に昭和63年4月から
いる。
何でもいいなら思っていることを書きましょ
う。過去・現在・将来で2件づつ。
過去2)事務所
まず、この人は誰だということにならないよ
う。
学生時代は事務職員になるとは夢にも思わ
ず、事務の方にたくさんお世話をしていただい
た。教務課経済学部担当だった現事務局長は私
過去1)理工学部とのかかわり
18 歳晴れて女子高から脱却。経済学部と自
達の試験監督によく見えた。クラスの女子6人
動車部に入部して廻沢キャンパス(当時の名
組(6人しかいなかった)は「こわいね」。悪
称)に足を踏み入れたときは、環八が突貫工事
いことしてないのにこわがっていたのはどう
中。出来たてのアスファルトの上、今は教員と
してだろう。
なっている上級生の号令のもと腕立てや腹筋
そのほか、体育会自動車部活動で「学生部学
に汗を流していた。縁あって 22 歳本学職員と
生課」。社会の教員免許取得に「教職課程課」。
なってからの 29 年のうち、10 年は青山キャン
奨学金貸与に「学生部厚生課」。一般的学生よ
パス勤務。以外は世田谷。ということは世田谷
りずっと事務所を利用させていただいていた。
理工学部とともに歩み世田谷理工学部の最後
だけど事務所に行くのはこわかった。
を見届けることとなりそう。明日の臨時教授会
で移転時期が確定するでしょう。
現在1)私は悪徳セールスマン?
売却予定のキャンパスでこの正門からヘル
文頭にある出張。「進学相談会」という名の
メットをかぶり 22:00 チェッカーフラグがふられ翌朝
営業地方周りなのです。事務でも経験ない方、
5:00 再び正門に帰ったとき、我が家に帰った安
ご存じない方もいるくらいだから、教員は事務
堵感。懐かしい X‘マスラリーの一コマを思い
に出張があるの?位の認識でしょう。
出した。
6月から秋にかけ全国を広報課員と教務課
過去の思い出のひとつに、情報センター世田
員(実は教員も職員も多くのスタッフが経験し
谷勤務となった時。
たほうがいいと思っている)が手分けをして一
第2子出産間近(当時産前6週、産後6週間
人でも多くの受験生獲得にたくさんの資料を
の特別休暇 育児休業制度はなかった)に異動
抱えて回る。今回名古屋も二人で7時間喋り通
した先では、白衣を渡された。1号館6階なぜ
し。40組弱をこなしたが、出張費を考えれば、
か、センター教員職員が皆白衣を着ている。ち
そのうち2名でも受験してくれれば“おつり”
ょっと不思議だったけど、汚れよけにはエプロ
だ。学科を超えて複数受験をお勧めコースとし
ンやアームカバーより具合いい。ダブルのボタ
たからもっと“おつり”かもしれない。Z会主
ンかけをシングルにし、出産後はダブルのボタ
催は本学が参加できるだけでもありがたいこ
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である。出来たら配置年次も引き下げて。
とらしい。
今回も夢見る高校生(母親同伴がかなり多く、
親も期待に胸膨らんでいた)に対し、新キャン
将来1)働いて(学んで)もらいましょう。そ
パスを含め、教育内容、諸資格、入試状況、楽
のために働きましょう。
しい学校生活、学生生活サポート体制、留学制
思えば理工学部の教員には本当によく働ら
度、就職状況等自信を持って宣伝をしてきた。
いていただいている。
もちろんすばらしいスタッフを取り揃え、他大
沢山の会議や委員会
青山に出向くことは
にない個性ある大学と・・・・。向かいに国立、左
あっても、世田谷に文系の先生方はこられない。
上智、右成城にはさまれながらがんばった。
厚木や二部の授業をこなし、それ以外の時間は
ただ、少子化
研究室にいらっしゃる。
地道な努力にも限界がみえる。
立派な校舎や、施設設備が整っても学生が満足
専任教員の業務をかなりの部分サポートし
し、本学が社会的評価を得てゆくには、付加価
ているのが助手の先生方だということも認識
値を授ける教育・研究の内容充実が不可欠。
している。学生から受ける相談にも真摯に対応
信じて入学したのに、相談会の話と違う。あの
していらっしゃる。
人うそ言ってた。なんて言われたくない。
こんなに大変な仕事をこなしていらっしゃる
が、私が10年以上教務にいる間、専任教員の
他大や企業への移籍が少ない。(文系はこのと
現在2)教務課の立場から
ころぽつぽつそんな現象がある)
教育の場である学校で社会的評価という結
職員も他への転職者はすくない。本学をこよ
果に最も大きな影響を及ぼすのは、真に社会貢
献できる人材を輩出しているかということ。
なく愛しているか、企業や他大と比較して何か
学院が、大学が、理工学部が、各学科が、入学
とても恵まれていることがあるのだろうか。
を許可した学生に対しどんな教育を授け世に
青山学院の中で、お荷物にならないよう、理工
排出しているか。カリキュラムを決めているのは教員
さえなければ健全財政なんて言われないよう、
だから「知ったこっちゃあない」なんて言わな
学院への貢献度アップをしたい。そのために、
い事にしましょう。
小さいことから、出来ることから。
・授業評価
自ら興味をもち知識を吸収し、やる気を起こ
実施している学科の話では概
ね好評。他学科になぜ普及しないか。
すにはどんな「動機づけ」が有効だろうか。
2000 年度から各学科「インターンシップ」
進化して公表にこぎつけてもいいのでは。
という科目が開講された(経シス、情テク学科
・研究評価
除く)。従来も「工場実習」という科目が設置
の実態。
(室長におまかせします)
されていたが、毎年登録者”0”名で消滅してい
・事務評価
た科目である。カタカナ名になったからか、厳
もった人材と育成。柔軟な組織。
しい就職戦線を意識してか興味を示す学生が
業務評価の検討
増えてきたけれど、体制が整っていないため希
研究成果公表、外部資金導入
密度の濃い仕事を。多機能を
・ 教員・職員評価
上記を鑑み公平で厳しい目
望に応えられないでいる。要するに企業との連
と強いリーダーシップで人事に着手できる
携が問題なのだ。
ルールおよび本学への貢献度を正当に評価
学生が社会との接点を自覚し、自信を付けた
する方法。
くましく成長するためにも充実させたい科目
・学生やOBと供に
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久保先生の提案がいい
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10 月
1日
元したい。職員が力量を発揮するのは無駄を省
なと思いました。
き問題点を解決し新しい企画や、改革を実行に
移してゆくこと。それができるのは各部署の連
将来2)企画し推進する実行力を。
携を把握し実務がわかるマルチタスク職員。学
変革をおそれ前例を頼りにしていては大学
間競争には生き残れない。
生の質を求めるなら、それ以上にスタッフの質
収入を得なければ成り立たない私学にあって、
が問われるはず。
学生納付金だけに頼っている現状では行き詰
前号に「職員は学生のために何をすべきか。」
まる。すでに各大学でも視野に入れている企業
からの資金導入、特許等の専門部署を設けたい。
近年
という問いかけがあった。
20 世紀
理工学部教員の活躍がめざましく、私
教員・職員は車の両輪と言いつつ、
達の励みでもある。そんな状況でありながら、
「でしゃばりは嫌われる。事務の分際でとやか
各研究室がどのような目標を持って日夜研究
く言えることではない。職員は教員のサポート
に励んでおられるのかわかっていない。
を」と教えられてきたけれど、21 世紀
私(事
室 長 が 働 き か け 推 進 さ れ て い る 「 TAMA
務)は学校法人としての経営を意識して教員に
TLO」(始めは「多摩」地区の何かと思ったく
も学生にも提案や刺激を与え問題意識を持っ
らい勉強不足)。参加実現は近い。ただ、本学
た職員でいたい。
本当は明るく笑える原稿にするはずだった
(学部)にも専門部署(事務組織)が必要と思
のに、
「力」が入ってきてしまいました。
うが実現は各種問題をクリアする必要があり
たかが事務員されど事務員。
時間がかかる。現在の事務組織に照らし合わせ
ると、企業との接触をもつ部署がある。企業で
は優秀な学生と同時に各教員・研究室の研究内
追記)なんというタイミングであろうか。原稿
容も求めているかもしれない。外部と接触する
を渡そうとしている本日9月12日に、理工学
ならその機能を拡大し、産学の連携を一歩前進
研究センター発刊「研究要覧」が教務課長宛て
させるのはどうか。
1冊回ってきた。
そして学生の実習受け入れ可能かまで話を発
9月17日学部長会席上で配布されるとの
展させてくれたらいいのに。
こと。むずかしいけどつい見入ってしまった。
新キャンパスは地域共生。学外への情報発信
このような企画があることを知らずに書いた
基地になるはずなのだ。
原稿。そして理工学部が着実に進化しているこ
まずは出来そうなところから。
とを確信した。
事務処理に関しては、ルーチンワークはマニ
ュアルがあれば委託やアルバイトでこなせる。
学生が出来る部分はアルバイト料で学生に還
(文部科学省 研究振興局研究環境・産業連携課技術移転推進室室長
磯谷桂介氏の講演より)
大学等に係る技術移転の推進についてのポイント
1. ブームに流されない冷静な判断
2. 各大学の強みを生かした多様な産学連携
(9月20日知的所有権セミナーにて)
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2001 年
10 月
1日
澤邊教授 恩賜発明賞を受賞!!
電気電子工学科の澤邊厚仁先生は、
「HDDの大容量化を実現する巨大
磁気抵抗効果型磁気ヘッドの発明」で、
(社)発明協会から平成13年度
全国発明表彰を受けました。特に功績顕著な発明に対して授与される恩
賜賞で、㈱東芝の研究開発センターとの共同研究から生まれた成果です。
HDDの大容量化の実現によって、小型で安価しかも高速のネットワー
クを可能とし、今後のIT社会を支える基盤技術と高く評価されています。
理工学部「研究要覧」が発行されました。
多くの教員からご協力をいただき、有難うございま
した。理工学部における研究内容、成果の公表状況、
主たる保有機器・設備等を紹介しています。
また試験委託のご案内と申込書も添付されていま
す。
学内をはじめ、新キャンパス移転を視野に入れた産
学連携の一助になればと思います。
ご希望の方は、当センターまでお申し出下さい。
編集後記
○
つことを願います。
7月21日に青山と世田谷両キャンパスで
○ アメリカでの空前絶後のテロ事件。そしてそ
行われたオープンキャンパスは、ここ数年来
れに続く新たな争いの到来。誰もが深い憤り
場者が増加の傾向にあるということですが、
と悲しみ・危惧感におそわれます。科学技術
理工学部でも夏休み前の暑い一日、多くの高
の進歩は、人類の平和をもたらすものでなけ
校生が見学に訪れました。そして今月13日
ればならないと思います。本当の世界の平和
には、理工学部公開が行われます。例年と同
が来るのは、一体いつなのでしょうか。
じように理工学研究センタープロジェクト
(事務室)
による「特別公開」をいたしますので、「特
発
別」に込められた内容の濃い公開をぜひご覧
行:青山学院大学総合研究所
理工学研究センター
下さい。
○
連絡先:〒157-8572
東京都世田谷区千歳台6−16−1
青山学院大学総合研究所
理工学研究センター事務室
記事の中でお知らせしましたが、理工学部
「研究要覧」ができました。ホームページ上
からフォームをダウンロードして記入して
℡
いただく方法でした。近日中には研究内容キ
ーワード検索可能なホームページがご覧い
03−5384−1111(内線22604)
03−5384−2149 (ダイヤルイン)
E-mail
[email protected]
ただけると思います。大いに利用されて役立
発行日:2001年10月
8
1日
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2001 年
9
10 月
1日