9 6 昭和 6 0 .1 0 第3 9号 ダクタイル鉄管 ?J で あ っ た 。 世 話 の こ と な ど ま っ た 考えていなかった私にとっては、まこと に厳しい指摘であった。いき掛かり上、 世話役は娘に押しつけたものの、実際に はほとんどの世話は妻の仕事になるだろ うことは明らかであった口わが家の住人 罵 になった九官鳥は、いちばん月なみで手 っ取り早い「九ちゃん」と名づけられて、 鳥鑓の止まり木の聞を跳びながらきわめ て上機嫌の様子であった。 「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、さ っそく幼児(鳥)教育にとりかかったが、 九ちゃんに言葉を覚えさせることは、思 ったより根気がいる仕事であった。「おは よう J や 「 今 日 は 」 な ら 簡 単 に 覚 え て く れるものと考えていたのに、なかなか覚 える気配もみせず、やきもきしたもので 大阪市水道局総務部長 丸 山 修 ある。生毛が生え変わり、羽毛がしっと りとした成鳥のそれとなり、体もほっそ りと引き締まる頃に、九ちゃんはオレンジ 色の艶やかなくちばしを動かして、意味 九官鳥を飼っていたことがある。テレ ある第一声を発した。苦心惨たん教え込 ビで歌をうたう九官鳥が紹介されたよく もうとしていた「台はよう」でも「今日 目、当時小学生であった娘にせがまれて、 は」でもなく、手ムカ~'þ良を叱ったり、 E子び 令やかしに出かけてみた ペットショップヘJ つけるときに発するやや甲高い「トモコ のがきっかけてもあった。テレビに出 j 寅し /J であった口立良はふくれっ面をするし、 た九官鳥の歌唱力は、思いがけないほど 私は自分の教育能力の欠如にがく然とし すばらしかった口九官鳥が、「おたけさん」 たものである。一度発声のコツをつかむ や「おはよう」と片言をしゃべるのは昔か と、しばらくして「おはよう」や「今日 らしっていたが、小首をかしげつつ、か は」もしゃべり出すようになり、妻の笑い なり長い歌詞を間違えずに歌っている九 声や隣家で飼っているマルチーズの鳴き 官鳥を見ていると、私にも教えられそう 声、自動車の警笛など、次々にレパート な気がしたものである。 リーを拡げるようになった。 ペットショップにいた雛はまだ生毛も 九ちゃんの音に対する関心は非常に高 生え変わっていず、丸々とふくれた肥満 く、変わった音がすると動作を止めてピ 児のようであった。くるくると動かす目 っと動かず、首をかしげて聞き入るのが 玉がとても可愛いくて、無性に欲しくな 常である口真剣そのものの様子を見てい ってしまった。大きな鳥龍をそっと抱え ると、学生時代 て家に帰った私に妻が皮肉っぽくいった ょうとし 言葉は、「一体、誰が世話をするのかしら したりした。 9 7 随筆 りわけ驚いたのは、九ちゃんが単に 鳥同士の楽しい会話が交わせる を覚えるのみならず、音の抑揚まで 理をして退屈な人間とのつきあいをする すっかり真似をしてしまうことであった。 必要もなくなるからであろうかと考えな 息子の友人が来訪するたびに発する「丸 がら、すこしかわいそうな気もした。 山 君 /J を真似るようになったときは、 九官鳥の物真似能力にも個人差がある 2人 の 友 人 の 発 音 を 使 い 分 け て 、 息 子 が そうである。飼い主の指導技術の上手・ 間違えて玄関まで出ることもあったし、 下手や熱心さにも大いに関係するのであ また、九ちゃんが真似ていると思って放 ろうが、あまり真似をしない鳥もいると ってわいたら、本当にその友人が戸口に 聞いたことがある。飼い主が熱心に教え 立ちつくしていたこともあった。行商の 込もうとする言葉をなかなか覚えず、思 八百屋さんの声を真似て、「野菜いりまへ いもかけない言葉を明瞭に発声するのは んか J を い い 出 し た こ と も あ る 。 こ の 言 どうしたことであろうか。馬を水辺に連 葉が気に入ったのか、来客中に連発され れていくことはできても、水を飲ますこ たときはすこしばかり困ったものであっ とはできないというように、九官鳥にも たが、八百屋さんが遠方から車で近づい 自我があり、自分自身が興味を持ち、 てくると、必ず、といってよいほどしゃべり 生理的にも快い音のみを選別して覚え 出すので、妻はかなり重宝がっていた。 るのではないだろうか口その意味では物 八百屋さんの遠方の声を聞き分けるのか、 真似の上手な鳥より、物真似をしない九 それとも近づいてくる自動車の音を覚え 官鳥の方がむっくりと物事を考え、賢い ていて、連鎖反応的にしゃべり出すのかわ のかもしれないなぁと、他人の言葉にす からないままであった。ときどき、まっ ぐ付和雷同しやすい自分を反省して思っ たく甲高い奇声を発するかと思うと、口 たこともある。 の中でボソボソといくら聞きとろうと耳 いずれにしても、わが家の九ちゃんは、 をそば立ててもわからないことをしゃべる 家族ぐるみの努力の甲斐もなく、歌をう こともあった o ?両日隻したり、オ吋谷び、後:の たったり、筋の通ったお話をするほどの 毛づくろいを済ませたりして機嫌のょい 才能はみせてくれなかった。よく考えて と思われるときや、餌箱が空となって空 みれば、テレピに出られるほどの九官鳥 腹を訴えたいとき、テレピの音声や人の はそうざらにあるはずはなく、物真似に 会話が聞こえたり、人の気配が感じられ 関しては秀才中の秀才に決まっている。 るときなどによくしゃべり出すようであ 人間の歌唱能力でも、プロ歌手から音程 った。 の狂った音しか出せない者までいること 九官鳥は本来さびしがりゃなのかもし れない。友だちが欲しい、相手の関心をひ きたい、なにかを訴えたいという気持が を考えると、九ちゃんばかりを責めるわ けにはいかない。 人 間 の 大 脳 皮 質 の 細 胞 は 140億あり、 物真似になるのではないだろうか。一度、 成 長 期 を 過 ぎ た 20 歳 頃 か ら 1 日1 0万 個 ず 九ちゃんがあまりさびしそうなので、友 つ機能喪失していくそうである。私の場 だちか配偶者を揃えてやろうかと、ペット 0億 以 上 の 細 胞 が ダ メ に 合など、すでに1 ショップへ相談にいったことがあるが、 なっているのだから、物忘れがひどくな 二羽揃えるとあまりしゃぺらなくなると聞 るのも仕方がないのかもしれなし」九官 いてやめてしまった。友だちができて九官 歯車問月包カfい く ら あ る の か は し ら な p ,鳥の H 9 8 昭和 6 0 .1 0 第3 9 号 ダクタイル鉄管 が、その記憶能力についても人間のそれ がしたので、妻が見にいくと、九ちゃん とよく似た経過を辿るようである。 は床の上で動かなくなっていたそうであ 言葉をよく覚えるのは、好奇心の強い る口よく朝、庭の片隅に穴を掘って、家 若いうちの方が活発であり、続けさまに 族みんなで九ちゃんを埋めてやった。猫 多くの言葉を覚え、しゃべるのが年を経る がきて掘り上げないように、白い石を上 につれて機能低下し、物忘れがはビまる に置いてやったが、娘の涙が石の上にポ のだろう。九ちゃんも年をとるにつれて タポタと落ちていた。 口数が少なくなり、しゃべる言葉の種類 もいつの聞にか減少してきた。 このように別れがつらいものとは、思 ってもみなかった。九ちゃんが元気な頃 九 ち ゃ ん が わ が 家 に 住 み つ い て 7年目 鳥籍の外に跳ね飛ばした餌を雀たちがよ の冬頃から元気がなくなってきた。止ま く食べにきていた。鳥蓄電の中でただー羽、 り木から止まり木へ跳び移る動作が緩慢 自由で友だちの多い雀たちを眺めていた九 となり、鳥寵の床の上にうずくまること ちゃんの姿を目に浮かべながら、私はも が多くなってきた。ある朝、ふと気がつ うペットは飼わないことにしようと心に くと、息が苦しいのか胸の羽毛が大きく 決めていた。 上下するのが目立ち、思いなしか目がト O一 一 一 一 一 一 一 O一 一 一 一 一 一 ー 。 ロンとしているようであった。あわてて 通勤の道筋で九宮烏を飼っておられる 獣医さんの所へ連れていき、手当てをし 家がある。生垣越いこ鳥籍の中を活発に てもらったりしたが、とうとう元気を回 動きまわっている九官鳥の姿が自に入る。 復しないままであった口冷え込みのきつ 朝の出勤時、私は小声で「九ちゃん、お い日の昼下がり、鳥龍の中でガタンと音 はよう」といいながら通り過ぎ、る。
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