アルド・ロッシの『都市の建築』と『類推的都市』に関する考察 田路研究室 4回 熊坂大佑 0.はじめに 中で、 「類推」という概念を手掛かりに、彼の描い 1.『都市の建築』におけるロッシの理論 た都市像について考察してみたいと思う。 1-1.都市分析の手法 1-2.手作りの都市という仮説 1.『都市の建築』におけるロッシの理論 1-3.「都市的創成物」の分析 1-1.都市分析の手法 1-4.「永続性」理論 ロッシが提示する都市分析の手法は次の 3 つで 1-5.「モニュメント」 ある。 1-6.「基本要素」と「居住地域」 ①個別の「都市的創成物」を分析すること 2.「類推」の概念 ②都市を手作りの芸術作品とみなすこと 2-1.『都市の建築』にみられる「類推」の概念の ③「基本要素」と「居住地域」に区分すること 萌芽 これらの手法を用いて分析することで都市の本 2-2.『都市の建築』後にみられる「類推」の概念 質に近づくことができるというのが彼の論旨であ 3.『類推的都市』の分析 る。次節以降でこれらの手法を具体的に見てゆく。 4.おわりに 1-2.手作りの都市という仮説 0.はじめに まずロッシにとって都市とは一個の巨大な手作 アルド・ロッシ(1931~1997)はイタリアの建築 りの芸術作品であり、都市も建築も創造行為とし 家・建築理論家である。建築家としては異例の経 て社会に発現するという点においては均質の事象 歴を持ち、34 歳となる 1966 年に若くして『都市 である。つまり建築と都市は区別されるものでは の建築』のイタリア語版を発表し、その後『アル なく、それらは空間の連続性をもち、相互の間に ド・ロッシ自伝』など数点の著書を発表しながら 質的な断絶を認めないというものである。こうし 晩年まで様々なプロジェクトを手掛けている。 た立脚点から、彼は「都市的創成物」という概念 ロッシは同書の中で当時格別にもてはやされて を提示する。 「都市的創成物」とは都市の一部分の いた機能主義的分析を批判し、都市を形態的、歴 ことであり、都市を分析する際の基本的な単位と 史的側面から分析してみせた。(ここで都市分析の なるものである。 「都市的創成物」をはじめ、ロッ 対象はほとんど、イタリアをはじめとするヨーロ シは同書中で独自の概念を多数提示しているため、 ッパにおける歴史的都市であったことには留意し 慎重に理解する必要がある。 ておかなければならない) 後の 1976 年にヴェネ ツィア・ビエンナーレにおいて、同書で展開した 1-3.「都市的創成物」の分析 理論を発展させ『類推的都市』と題された 1 枚の 同書の冒頭でロッシはイタリア、パドヴァのパ パネル(fig4)を出展している。本稿では『都市の建 ラッツォ・デッラ・ラジォーネ(fig1) を取り上げて 築』に始まり『類推的都市』へと発展した経緯の 考察している。もとは裁判所であったこの「都市 的創成物」がかつての形態を維持しながらもそれ る定数個の類型へと還元される。そういう意味で とは無関係に複数の機能を受け入れ、形態そのも 類型は建築の本質により近いところに存在し、 「つ のが私たちに強い印象を与えているというのであ まるところ建築の理念そのもの」ivといえるのであ る。このような個別性は「他ならぬ形態に負うと る。 ころの方が、その内容からするものよりも大きい 類型には形態による分類のみならす、立地によ のであって、(略)しかし更に大きくあずかっている るもの、語源学的研究によるもの、歴史的研究に のは、その形態が場所や時間の中で複雑化され、 よるものなどさまざまで、もちろん機能による分 再編成されているという事実」i なのである。 類もそのひとつである。繰り返すが、都市的創成 物の分類の際、機能が第一級の重要さをもって分 析されるようなことがあってはならないのである。 1-4.「永続性」理論 先にパラッツォ・デッラ・ラジォーネで見たよ うに、 「都市的創成物」は場所や時間の中で複雑化 されていく。しかしたとえ時間を経て、機能が変 (Fig1)パドヴァ、パラッツォ・デッラ・ラジォーネii わっても、形態そのものは変わらず現在に至り、 ここにロッシの形態と歴史性を主眼においた分 それ自体が「永続性」を獲得するに至る。形態は 析方法と、機能主義的手法への批判のまなざしが 都市の読解のための参照記号として永続し、この 見て取れる。 「都市的創成物」の成り立ちや形態に 「永続性」こそが重要なものとなる。 光を当てようとするとき、 「都市的創成物」の説明 ロッシは、都市は自身の過去(あるいは我々の「集 をその機能を介して行うようなやり方はしりぞけ 団的記憶」)を集積しており、 「都市はそれ自体がさ なければならないのである。 ながら歴史の保管所」vである。と述べている。ま このように複雑な構造をもつ「都市的創成物」 た「都市は、歴史的要素が際立っているような決 の具体的な分析にあたり、ロッシは類型学という 定的な都市的創成物を通じて自らを提示してくる」 概念を持ち出す。あらゆる「都市的創成物」は自 viとも述べている。 「都市的創成物」が自らを提示 身の形態をもつが、それらは類型学を用いれば、 するその手段が形態なのであり、それゆえ私たち 分解不可能なある定数にまで分類される。例えば は個別の「都市的創成物」の分析を通じてのみ都 宗教建築に多くみられる求心型平面や、集合住宅 市の本質に近づくことができるというわけである。 の片廊下式の平面などである。ロッシは「集合住 宅の類型は古代から現代にいたるまで全く変わる ことがなかったのではないか」iiiとも述べている。 1-5.「モニュメント」 前節までで「永続性のみが都市がかくあった姿 しかしこれは生活の様式が現代に至るまで全く変 を示すことができるのであって、まさにその永続 わらなかったということを示しているのではなく、 性を通じて過去が現在から分離してくる」viiという 一つの類型でありながら多様な形態的相違が認め ことが分かった。このとき「永続性」は都市の状 られるということを示している。単一の類型から 態によって異なる 2 つの側面を見せることとなる。 は実に多様な形態が生まれ、逆に様々な形態はあ つまり都市的創成物は「推進的要素」となったり 「孤立的要素」viiiとなったりするということであ を核として発展し、後者が歴史的建造物などの「モ る。 ニュメント」を核に発展するという点だけである 前出のパドヴァのパラッツォ・デッラ・ラジォ である。 ーネの場合は、過去の物理的な形態が様々な機能 次節に進む前に、ロッシの機能主義への決別、そ を引き受け、都市と密着しながら自身を取り巻く して形態的、歴史的側面からの都市分析の宣言と 都市環境を制御し続けており、現に改変を受けた して、次の一節を引用しておきたい。 これから先もまだ改変を受けるだろうと感じさせ もし都市的創成物がもっぱら新たな機能の容器 る。一方スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿 として造り出され更新されうるものであるとする (fig2)の場合は、いわば都市の中で孤立しており、 なら、都市構造の価値そのものまでもが、つまりそ そこにはなにも付加できないし、もはや改変でき の建築を通じて発現するそれが、絶え間なく移り変 ないほどに、本質的な経験を形づくっている。 わり、たやすく改変できるということになってしま う。建築や形態の永続性ということも何ら価値を持 たないことになり、また都市自体もその一要素であ るところの確固たる文化の伝達という価値までも が、危機に曝されるのである。x 1-6.「基本要素」と「居住地域」 前節までで「都市的創成物」やそれに関わる概 念についてのロッシの理論を考察した。それは都 (fig2)グラナダ、アルハンブラ宮殿ix 市を一個の芸術作品として捉え、そのさまざまな つまりパラッツォ・デッラ・ラジォーネは都市 構成部品、つまり「都市的創成物」を一つ一つ先 の中で「推進的要素」となり、アルハンブラ宮殿 のような手段で分析してゆくというものであった。 は「孤立的要素」となっていると考えられる。こ この構成部品の主要なものが「基本要素」と「居 のように時間の経過に耐えて残る「都市的創成物」 住地域」である。 「基本要素」は都市の公共的、集 のうち、都市の中で「推進的要素」となり、都市 団的特質と関わるもので、 「居住地域」は私的局面 変動の中で定点として存在するようなものをロッ と関わるものである。これらの概念もロッシ独特 シは「モニュメント」と呼んでいる。 のものなので慎重に理解する必要がある。 後に詳述するが、 「モニュメント」や「基本要素」 まず「基本要素」とは、ある領域が都市化して 「 ( 基本要素」については次節で述べる)を核として、 ゆく際に核として機能する決定要素で、都市化の その周辺に建物群が集積することが都市化の過程 過程を加速し得るような要素だと説明できるが、 であり、その過程において都市的価値が形成され 定義することは難しい。これに関してロッシ自身 ていく。これこそが都市の構造なのである。また も「基本要素を定義するのは決して単純ではない 都市はしばしば計画された都市と計画されていな し容易なことでもない。説明できるのはおそらく い都市に大別されるが、両者ともこの都市構造を 私が関心を持つ事柄だけに限られることだろう。」 持つという点で共通しており、質的な違いはない。 xi 違うのは前者が計画的に建設された「基本要素」 と述べている。 「基本要素」には具体的に「モニュメント」 、 「何 かある出来事が起こった場」、 「特定活動建築物 xii 」 「居住地域」だけでは都市形成や発展に性格を などが含まれる。まず、 「何かある出来事が起こっ 与えるには不十分であり、それを補うのが先に述 た場」とはその名の通り、形を描きとることがで べた「基本要素」なのである。 きる「都市的創成物」ではない。ある出来事がそ 「基本要素が居住地域と結びついて、場所や構築 の重要性ゆえに空間的変革を引き起こすような場 物と関わったり、あるいは建物の永続性となり、 合、これが都市化の核となるのである。次に「特 また自然的事象や人工的な事象と関わったりする、 定活動建築物」だが、これには倉庫、公共や商業 これらすべてが形づくるのが都市の物理的構造な の建物、大学、病院、学校などが含まれる。大方、 のである。」xviというロッシの一節はこうした「基 これらの施設利用者は特定の文脈の中で施設を利 本要素」と「居住地域」が織りなす都市構造を端 用しており、比較的明快に分析できる。 的に説明している。 次に「居住地域」についてであるが、ロッシは 「住居」、「地域」、「住居=地域」、「居住地域」と 2.「類推」の概念 いう概念をあまり厳密には使い分けてはいない。 2-1.『都市の建築』にみられる「類推」の概念の というのも住居を分析する際には、必ずそれが立 萌芽 地するところの地域と共に考えなければならない としているからである。 実のところ、『都市の建築』の本文中に「類推」 という言葉は数回しか出てこない。しかしこの「類 都市は常にその大半を住居によって特徴づけら れており、都市の構成部品の中で最も際立ってい 推」につながる概念として、ロッシは「シンボリ ズム」という言葉に少しだけ触れている。 るのが居住部分である。とロッシは言う。 「この部 ロッシは「シンボリズム」について、ブレーや 分というのは(略)時間の中で著しい変化を遂げつ ルドゥーに代表される革命建築を取り上げ、 「それ つも、その上の構築物よりもそれが根をはる地域 はあたかも、歴史のある決定的瞬間において、建 の方をはっきりと性格づけてゆくものである」xiii 築がこのように記号や事件となることの必要性を ことからロッシは特に「居住地域」という言葉を 提起し、新しい時代を定着させ、それ自身を構築 同書の中で使用している。ここで一つ注意してお してゆけるようにしようとしていたかのごとくで かなければならないのが、 「居住地域」という分類 ある。」xviiと述べ、また外見だけからみれば類型上 は別に機能的分類によるものではなく、 「単に都市 の問題にすぎないように思われる議論だが、 「シン の構造のなかでそれ自体際立っている都市的創成 ボルのなかには、してみれば、一面では建築とそ 物を特別に取り上げようというだけ」xivだというこ の諸原理が要約されており、また別の面では構築 とである。ここで、 「基本要素」と「居住地域」と のための条件そのものが存在しているということ の関係を図示すると下のようになる。 になる。」xviiiとも述べている。ロッシの建築に単 純な幾何学的形態を取り入れたものが多いのも、 こうした考察の影響があるからかもしれない。 2-2.『都市の建築』後にみられる「類推」の概念 ロッシ自身が初めて「類推」の概念について言及 基本要素と居住地域の関係xv したのは『都市の建築』のイタリア語版第二版の 前書きにおいてである。後の 1981 年に発表された り、芸術家にとっても同様であるが、しかしそれは一 『アルド・ロッシ自伝』でも実に散文的にではあ つの明確な体系にまでそれらがまとめ上げられ得たと るが「類推」の概念について触れている。これら きだけのことであり、その体系を創りあげる明晰なる の文中では「類推」という言葉が意味するところ 仮説がその有効性を獲得し、発展させたときだけなの を論理的に説明してはいないが、文中の一節一節 である。そのような地点において、それらは現実とな からその意味するところを探ってみたい。以下は る。こうした現実の構築は従って建築を媒介とする行 『アルド・ロッシ自伝』の一節である。 為なのであり、建築は事物や都市との関係を通じて、 ミンチオ川の辺りに佇み、これといった特徴のない 鉄骨と補強梁で支えられた昔の橋の遺構(fig3)を眺め 理念や、また歴史との関連を通じて、その役割を果た すのである。xxi ていた時、私はその構造をはっきりと眼にし、建築へ 上の引用文中の「明晰なる仮説」とはおそらく「類 の形態的・技術的類推を看てとることになった。この 推」のことを言っていると考えられる。建築を媒 類推的建築は自然を回復させた。まるで天啓のように、 介として、あるいは建築を参照記号として捉え、 初めての一瞬のひらめきだったのかもしれない。崩れ 現実を「類推」する。上の二つの引用文では、そ 落ちた壁の煉瓦のパターン、時間の破壊によって露わ うした過程が行われているようである。 になった断面、梁のように組まれた鉄材、運河の水面。 こうした事物のすべてがこの作品をかたちづくってい 3.『類推的都市』の分析 るのだ。(略)もはや使用に耐えない対象は、いわば最 『都市の建築』イタリア語版第二版前書きの中 後に知られた身振りの中に凝固する。類推的な過程で で、ロッシは『類推的都市』(fig4)を発表した動 は、打ち棄てられた家は実質的にレファレンスの点と 機について以下のように説明している。 して包み込まれ、もはや私にとってそれ以外にどんな {私は}これによって建築の計画立案にまつわる理論 方法を用いても完遂することのできない仮定上のプロ 的問題を考えてみようとした。つまり、構想の過程を ジェクトの結末となるのだ。xix 考えようとしたのであり、それは、都市的現実におけ る幾つかの基本的創成物を中心に展開し、その基本的 創成物の周囲には別の創成物群が一つの類推的枠組み の体系内で形成されてゆくという、そのような過程で ある。xxii (fig3)ミンチオ川の橋xx 続いて『都市の建築』のイタリア語版第二版前書 きより引用する。 都市の廃墟は考古学者にとっては想像力の対象であ (fig4)類推的都市xxiii レア・パッラーディオによるリアルト橋の計画案 やバシリカ、パラッツォ・キエリカーティが寄せ 集めて描かれている。しかしバシリカとパッラツ ォ・キエリカーティは異なる場所に存在するうえ、 リアルト橋に至っては計画案だけのものである。 このように三つのパッラーディオ作品が地理的な (fig5)モンツァ、サン・ロッコ地区の集合住宅計画案 1966xxiv 場所を移して一枚の風景画の中に描かれることに より、類推のヴェネツィアが創りあげられている のである。まさに我々はこれらの「モニュメント」 を媒介、あるいは参照記号として「類推」のヴェ ネツィアを描いているというわけである。さらに 言えば、この類推の都市は、ある種の建築的価値 (fig6)ミラノ、ガララテーゼ地区の集合住宅 1969~1973xxv が支配する場として認知できる。 このパネルでは、歴史的な都市図などの中にロ これと同じことが『類推的都市』に対しても言 ッシ自らの設計による計画のドローイングが挿入 えるであろう。このドローイングの中に挿入され され重ねあわされている。時間的にも空間的にも たロッシ自身によるプロジェクトは、モンツァの まったく異なる系列に属する要素が同じ空間に集 サン・ロッコ地区の集合住宅の計画案 1966(fig5)、 めて描かれているため、見る者はパネルの中の諸 ミラノのガララテ ーゼ地区の集合住宅 1969~ 要素を、統一された一つのものとしてとらえられ 1973(fig6)などである。これらを含む多様な要素群 ず、視線を定めることができない。これは、パー が同じドローイングの中にスケールや視点を無視 スペクティヴと平面図が並置されていることや、 して描かれるわけだが、これはロッシの内面にお 建築物と地図、人体とがスケールを無視して配置 いて想起された類推の都市だと言えるのではない されていることによっても強調される。 だろうか。またこれを機能主義やそれに基づくゾ ロッシはまた、この『類推的都市』というパネ ーニング理論への批判ととらえるならば、歴史的 ルの概念を 18 世紀の画家、カナレットによるヴェ 都市の中に、新たに建築を挿入する際の方法を示 ネツィアの風景画(fig7)を取り上げて説明している。 したものとも言えるかもしれない。 4.おわりに ここまでロッシの代表的著書『都市の建築』か ら『類推的都市』に至るまでの「類推」の概念を 考察してきた。合理的な近代建築が主流であった 1960 年代において、いち早く「永続性」が発現す るところの形態そのものや、歴史性、そして「類 (fig7)ヴェネツィアの風景画xxvi まずこのヴェネツィアの風景画についてである が、この風景画のなかでは 16 世紀の建築家アンド 推」の概念による建築計画の手法を唱えたことは 特筆すべき点であろう。 ロッシが提案する建築は、それが実在するとこ ろの都市に合わせるのみならず、ロッシの内面に おいて想起された都市の記憶や歴史に基づいて構 想されている。そしてそれは他者に対しても類推 的思考を伴って働きかけるようなものなのである。 そのような類推的枠組みの中で体系的に形成さ れてゆく都市をロッシは理想として描いていたに 違いない。 i 『都市の建築』p.22 同書 p.20 iii 同書 p.35 iv 同書 p.35 v 同書 p.208 vi 同書 p.208 vii 同書 p.62 viii 同書の英訳版では「pathological elements」であり、 日本語版では「病的要素」と訳されているが筆者はこの 訳を試みた。 ix 同書 p.56 x 同書 p.39 xi 同書 p.123 xii 同書の英訳版では「fixed activities」であり、日本語 版では「定着活動」と訳されているが筆者はこの訳を試 みた。 xiii 同書 p.85 xiv 同書 p.92 xv 筆者による作成物 xvi 同書 p.123 xvii 同書 p.180 xviii 同書 p.180 xix 『アルド・ロッシ自伝』p.51-52 xx 『アルド・ロッシ自伝』p.50 xxi 同書 p.280 xxii 同書 p.280 xxiii 『未来都市の考古学』p.159 xxiv 『a+u 臨時増刊 現代建築家 8 人の設計戦略と理論 の探究』p.117 ii xxv 『a+u 臨時増刊 現代建築家 8 人の設計戦略と理論 の探究』p.120 xxvi 同書 p.276 参考文献 アルド・ロッシ 『都市の建築』 共訳 大龍堂書店 1991 大島哲蔵 アルド・ロッシ 『アルド・ロッシ自伝』 鹿島出版会 1984 福田晴虔 三宅理一訳 ラファエロ・モネオ 『a+u 臨時増刊 現代建築家 8 人 の設計戦略と理論の探究』 エーアンドユー 2008 鵜沢隆 『未来都市の考古学』 東京都現代美術館(ほか) 編 東京新聞 1996
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