タイコーヒーの現在 20761046 久保山晴加 問いと仮説 ・問い 国内産コーヒーが人々に浸透しつつあるのではないのか ・仮説 外貨を目的として栽培されたコーヒーが、生産量の増加や コーヒー文化の浸透により国内で流通し始めている 1 コーヒーの概要 <1-1 コーヒーとは> ・コーヒーの種類 栽培されているのは200種以上。代表的な豆は3種類「アラ ビカ種」「ロブスタ種」「リベリカ種」→「栽培三原種」 世界で栽培されるコーヒーのおよそ70%はアラビカ種 <1-2 コーヒーになるまでの過程> ・収穫→精製→焙煎(ロースト)→粉砕(グラインド)→抽出 → → → 2 タイのコーヒー① <2-1 タイコーヒーの歴史> ・アラビカ種 <イタリア人が記した記録から> コーヒーが入ってきたのはアユタヤ王朝時代。栽培され飲用するほどの 人気が出たのはチャクリ―朝。 →ブラジルからもたらされたアラビカ種の種を政府が北部タイの農民に 分配するも、コーヒーノキの病気が広まり放棄。 →タイの山岳民族開発のロイヤルプロジェクトにより病気に強い種が北 部の高地に分配され、今では良質なアラビカコーヒーを生産している。 タイ山岳民族のロイヤルプロジェクトとは... 王室立案の貧しい人の救済や地域振興を目的としたプロジェクト。 当時の北部山岳民族はアヘンやケシ栽培により収入を得ていた。 タイのコーヒー② ・ロブスタ種 <多くの言い伝えの中でも有名な3話> ①Mr.Khimunが1904年にタイ南部、ソンクラー県サバー ヨーイ郡に植 えた。 ②Mr.Timunがソンクラー県サバーヨーイ郡で栽培を始めた。 ③1904年、タイのイスラム教徒Dimunがメッカ巡礼の際に手に入れた コーヒーの種を、故郷のソンクラー県サバーヨーイ郡に持ち帰った。 →共通項から「1904年」に「ソンクラー県」「サバーヨーイ郡」で最初に ロブスタコーヒーが栽培されたと言われている。 ・飲用の歴史 西欧文化の流入によって当時の知識人、教師や生徒に コーヒーの飲用が広まったとこから始まった。 タイのコーヒー③ <2-2 現在のタイコーヒー> ・北部でアラビカ種、南部でロブスタ種が栽培されているが、全体で見ると ほとんどがロブスタ種である。 ・アラビカ種 栽培されたコーヒー豆は全て焙煎、粉砕され国内市場で流通している。 ・ロブスタ種 3分の1は国内で消費され、残りは輸出されている。 ・一村一品運動(2001年~) タクシン元首相が日本の大分県の運動に倣って行った、行政区単位で の特産物の開発計画。テープサデット行政区がコーヒーを特産物にして いる。 3 先行研究の検討 ・下條尚志 『コーヒーとベトナム―ベトナム中部高原の先住民 社会とコーヒー栽培―』 「不安定な世帯規模のコーヒー栽培よりも、企業が経営する 大規模なコーヒー農園が競争に勝ち残っていくだろう」 =3=3=3 =3=3=3 4 タイでのフィールドワーク① <フィールドワーク対象> ・スワンさん チェンマイ県ドーイサケット郡で農園を経営。 ・カムサイさん チェンマイ県ドーイサケット郡テープサデット行政区メートー ン村で農園を経営。自宅1階ではカフェ県生活雑貨店を営む。 一村一品運動の主婦グループリーダーも務めている。 ・バンコクでのカフェめぐり 4 タイでのフィールドワーク① <分析と考察> ・栽培されたコーヒー豆はロイヤルプロジェクトに決められた 価格で必ず買い取られる。→必ず収入が得られる。 ・副収入がある。→コーヒー価格に変動があっても生活できる。 ・小規模農園で共同体を形成している。 ・チェーン、個人経営ともに国内産コーヒー豆を使用している 店が多い。 ・フェアトレードコーヒーも販売されている。 5 まとめ ・「外貨を目的として栽培されたコーヒーが、生産量の増加や コーヒー文化の浸透により国内で流通し始めている」 ・外貨を目的としているのはロブスタコーヒのみである。さらに アラビカ種が国内で流通し始めたのは最近とは言えないた め、生産量増加やコーヒーの浸透との因果関係は少ない。 しかし、コーヒーの需要はあがっており、多くの国内産コー ヒーが国内で流通している。
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