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書評『二十一世紀の戦争』

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書評『二十一世紀の戦争』
書評 『二十一世紀の戦争』
神山睦美著(思潮社、
2009年)
添田 馨
「二十一世紀の戦争」と聞いて、読者が真っ先
つも、二十一世紀へのミレニアムの更新を挟ん
に抱くイメージとは何だろう。恐らくほとんど
で、なおも歴史の深層に積み残されていく人間
の人が、2001年に起きた9・11同時多発テロとそ
存在の普遍的なテーマ、すなわち「戦争」によ
れに続くアメリカによるアフガン攻撃、あるい
って表象される陰惨で暗い欲動の所在への、思
は2003年勃発のイラク戦争などを想起するに違
想の側からする絶えざる至近の試みが、そこに
いない。無論、それは間違いではない。本書に
は通奏低音のように伏流しているのである。
おいても、実際に起きたこれらの歴史事実への
9・11同時多発テロを引き起こしたテロリス
言及は、随所でなされてはいる。だが、それら
トたちの根本の動機のうちに、神山氏は「世界
のことと、わが国で現在書かれつつある文学作
の覇権を握る者たちに対する心理的憎悪」(135
品との関わりを問われたなら、とたんに誰もが
頁)を認めつつ、そこに埋め込まれた強固な
答えに窮してしまうのではないだろうか。
「ニヒリズム」の面貌をも同時に見て取ってい
神山睦美『二十一世紀の戦争』(思潮社)は、
る。そして同様にその痕跡を「九・一一以後の
この根源的な問いかけに対し、文芸批評という
作家たち」の作品中にも見出すと書く時、批評
独自な回路から、それに全身で答えようとし
はそれ自身を大きく超えでて、ある普遍的な思
た、稀有な思考の集積である。批評というもの
念の地平にまでようやくその指をかけようとす
は「対象言語を媒介にしながら、語りえないこ
るのだ。
とを語ろうとする表現形式である」(15頁)と
人間が現在も戦争をなくすことができないで
神山氏は言う。文学作品というものを、なにか
いるのは、私たちの生が「何の根拠もなく、ま
別の表現で言い換えることや違う言葉で要約す
ったく理由のない贈与」(31頁)であるがゆえ、
ることのできない、それ自体で完結した言語表
その対抗贈与として否応なく「死 の 欲 動 」が呼
現というように捉えるなら、そのとき文芸批評
び込まれるからだという宿痾のごときニヒリズ
が語るべき本質的契機とは、一体どこにどのよ
ムの心情について、神山氏はしばしば言及す
うなものとして描かれるのか。その答えの一端
る。もし同時代的心情の核の部分にそのような
が、確かにここには提示されてあるのだ。
ニヒリズムが根を張っているなら、確かに文学
タ
ナ
ト
ス
本書に収められているのは、ほとんど全部が
は「戦争という現実を避けること」はできない
2003年から2009年の間に書かれた文章である。
のかもしれない。「戦争」に文学はまったくの無
神山氏の守備範囲は広く、小林秀雄、鮎川信
力である。だが、同じ箇所で「このようなニヒ
夫、吉本隆明といった戦前から戦後期に多大な
リズムにかたちをあたえることができるのは、
影響力をもった文学者の根本の思想軸に触れ、
文学をおいてない」(137頁)とも書くとき、「文
そして60年代以降の詩人たち、例えば北川透、
学」という言葉には、私たちがほとんど忘れか
稲川方人、瀬尾育生、井坂洋子等の隠れた表現
けている希望の原理へのかすかな曙光が明滅し
思想に言及し、さらに中原昌也、舞城王太郎な
ていると感じるのは、果たして私だけだろうか。
ど「九・一一以後の作家たち」、また、彼等以上
にもかかわらず「戦争――」というタイトル
に新しい世代の幾人もの作家や詩人たちへの批
から受け取る印象とは裏腹に、本書は正真正銘
判と評価…という具合にその筆勢は留まるとこ
の文芸評論集なのだ。“正真正銘”とあえて形容
ろを知らない。
したのは、その一見したところ非=文学的なタ
だが本書が全体として発している意味の広が
イトルの付け方が、実は神山氏の批評に対する
りは、決してそうした点にばかりあるのではな
こうした思想の骨格を、そのまま最も雄弁に主
い。つまりこれらの個々具体的な作品を論じつ
張しているからである。
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