ポスター発表(相対 P02) 流体とラバール管を用いたブラックホール物理

ポスター発表(相対 P02)
流体とラバール管を用いたブラックホール物理の検証
奥住聡∗
京都大学 人間・環境学研究科 修士課程 1 年
共同研究者: 阪上雅昭 (京大 人環), 北里渉, 吉田英生 (京大 工)
2005 年 8 月 1 日∼5 日 @天文・天体物理若手の会 夏の学校
概要
ブラックホールは曲がった時空の効果がもっとも顕著に現れる天体である。そのため、これ
までに数多くのブラックホール特有の現象が理論的に予言されてきた。しかし、残念なこと
に、その多くは観測によって検証することが困難、もしくは現実的に不可能だとされている。
一方、非一様な流体流の中での音波の波動方程式は、シュバルツシルト時空上でのスカラー場
の波動方程式と、極めて類似の構造を持っていることが知られている。これは、ブラックホー
ル特有の現象が、流体を用いて模擬的に実演できることを示唆している。本発表では、ブラッ
クホール物理の興味ある現象、特に、曲がった時空上での量子現象として予言されるホーキン
グ輻射と、重力波の放出過程で現れる準固有振動を、ラバール管中の遷音速流を用いて模擬的
に検証する計画を紹介し、その進行状況について報告する。
1 はじめに: この研究の目指すもの
■ ブラックホール (BH) が関係する現象には、未観測、かつ非常に観測が困難なものが多い。
例:ホーキング輻射、BH 形成時の重力波の放出
■ 一方、完全流体中の音波の波動方程式が、シュバルツシルト時空上でのスカラー場の方程式
と、ある対応のもとで一致することが知られている [1]。
■ さらに、ラバール管と呼ばれる風洞を用いると、音速点、すなわち「音のホライズン」をも
つ流れを実現することができる [2]。
↓
そこで、この音波と量子場との対応を利用して、
いまだ観測が実現していないさまざまな現象を、
流体とラバール管を使ってシミュレートしてみよう!
∗
Electronic address: [email protected]
1
2 「音のブラックホール」とは何か?
私たちが「音のブラックホール」と呼んでいるものは、流れに沿って加速する遷音速流のこと
です。
遷音速流とは、音速点を持つような流れのことをいいます。いま、流れに沿って流速が加速する
ような遷音速流を考えましょう (図 1)。流体静止系における音速を cs とすると、流れに逆行する
図 1 遷音速流中の音波
音波の実験室系における速さ ceff
s は
ceff
s = cs − v = cs (1 − M )
(1)
となります。ここで v は流速、M はマッハ数です。音速点より下流では ceff
s が負になってしまう
ので、音速点より下流の音は上流に伝わりません。これが「音のブラックホール」です。
以上のことを相対論と対応付けると、次のようになります:
光
⇐⇒
音
音速点より下流
⇐⇒
ブラックホール領域
音速点
⇐⇒
ホライズン
この対応を利用すると、観測による検証が困難であるブラックホール物理の様々な現象を、実験
室において擬似的に検証することができます。
現在、京都大学人間・環境学研究科の宇宙論・重力グループでは、工学研究科の熱工学研究室と
共同して、この「音のブラックホール」を用いた実験を準備・進行しています。
3 ラバール管
3.1 ラバール管とは何か?
ラバール管とは、中心がくびれた風洞です (図 2)。真ん中の最もくびれた部分をスロートと呼び
ます。以下で説明するように、このスロートの部分が音波にとってのホライズンの役割を果たし
ます。
2
図 2 ラバール管
3.2 なぜラバール管が必要なのか?
私たちの実験でラバール管が重要な役割を果たしているのは、これを用いると遷音速流を形成す
ることができるためです。ラバール管中では、上下流の圧力差の大きさに応じて
亜音速流: スロートより下流で流速が減速し、いたるところ亜音速の流れ
遷音速流: スロートに音速点を持ち、流れに沿って流速が常に加速される流れ
のどちらかが実現されることが知られています (図 3)。
BH と対応させれば、これらはそれぞれ「BH 形成前」,「形成後」の時空とみなすことができ
ます。
図 3 ラバール管中のマッハ数分布の一例
4 「音のホーキング輻射」
4.1 (本義) ホーキング輻射の機構
ホーキング輻射は、past null infinity における正・負周波数モードが、ホライズン形成直前の天
体の近傍を伝播する際に変形し、互いに混ざり合うことによって生じます。このモード波の混ざり
3
合いに寄与するのが表面重力です (図 4)。
図 4 ホーキング輻射の機構
表面重力 κ はホライズン近傍での重力の強さを表す量で、BH 天体の質量 MBH によって次のよ
うに定義されます:
κ≡
c
c3
=
2rg
4GMBH
(2)
1975 年、ホーキングはこの真空の変化に伴う粒子生成が、プランク分布に従い、その輻射温度
(ホーキング温度) が
kB TH =
κ~
c3
=
2π
8πGMBH
(3)
と、表面重力 κ に比例することを示しました。これがホーキング輻射です。
具体的には、TH ' 6.2 × 10−8 (M¯ /MBH ) Kelvin と、太陽質量程度の BH ではホーキング温度
は極めて低温度になります。これが、ホーキング輻射の観測が事実上不可能であるとされる理由
です。
4.2 どのようにホーキング輻射を実演するのか?
さて、我々が使用している大気の遷音速流では、量子論的な粒子生成を起こすことはできません
が、古典的な音波のモード振動 (正弦波の入射波) の変形がプランク分布に従うことは実演できま
す。以下、これを「音のホーキング輻射」と呼びます。
「音のブラックホール」における表面重力 κ は、
¯ eff
¯ dc
κ ≡ ¯¯ s
dx
¯
¯
¯
¯
(4)
throat
で定義され、流体が大気流であれば、これはスロートでの音速 csth 、断面積 Ath を用いて
s
κ = csth
3 d2 Ath
5Ath dx2
4
(5)
から求めることができます。
以下、「音のホーキング輻射」の実演方法を紹介します (図 5 参照)。
図 5 「音のホーキング輻射」実演方法
(1) まず、ラバール管中の背景流を亜音速流の状態にしたまま、下流からスロートへ向けて正弦
波の音波を流します。この正弦波が、場の量子論でいうところの (無限遠方での) モード解に対応
しています。(2) 次に、背景流を遷音速流に変え、スロートに「音のホライズン」を形成させます。
すると、スロート近傍において実効音速 ceff
s に勾配が生じる (=「表面重力」が発生する) ので、図
5 のように正弦波が変形しながら上流に伝播します。これは、場の量子論においてモード波がホラ
イズン近傍での表面重力を受けて変形するとこに対応するものです。
理論上では、このようにして上流に伝播してきた音波をフーリエ変換すると、(本義) ホーキング
輻射と同様に表面重力 κ に比例した温度を持つプランク分布になることが予想されています。
4.3 「音のホーキング輻射」数値実験
図 6 は、
「音のホライズン」
、すなわち音速点がスロートに形成される前後に上流側で観測される
であろう音波の波形を、数値計算によって予測したものです。
スロートに「音のホライズン」が形成された時刻を t = 0 としています。t = 1.2msec 以降は上
流で音が聞こえなくなっており、したがってスロートより下流が「音のブラックホール」になって
いることがわかります。
5
図 6 上流で観測される波形 (予測)
一方、t = 0.6msec 頃から、音が聞こえなくなる t = 1.2msec までの波形 (図 6 の点線内) を見る
と、正弦波が次第に波長を伸ばしつつ減衰していくのがわかります。この部分の音波は、「音のホ
ライズン」が形成される直前にスロートを通過し、ホライズン近傍での「表面重力」の影響を強く
受けた波です。(本義) ホーキング輻射との対応を考えれば、この間に観測された音波 (点線内) が、
フーリエ変換によってプランク分布を示すことが予想されます。
図 7 は、この波形を FFT 解析して得たパワースペクトルです。式 (5) から得られるホーキング
温度を持つプランク分布でフィットさせると、見事に両者が一致することがわかります。
図 7 上流で観測される音波のパワースペクトル (予測)
4.4 実験で「音のホーキング輻射」は観測されたか?
現在、我々のグループは「音のホーキング輻射」を検出するための実験を行っているところです。
現状ではノイズが大きすぎるため、数値計算で予測したような波形とスペクトルは観測できていま
せん。ホライズン形成の直前に伝播してくるシグナルに、下流での吹き出し音がノイズとして混入
してくるためです。
6
今後の課題としては、実験については S/N の改善、データ解析についてはスペクトル解析以外
の方法でシグナルを検出する方法を開発することなどを考えています。
図 8 「音のホーキング輻射」実験装置概略図
図 9 使用しているラバール管の詳細
5 その他の実験計画: 準固有振動
ブラックホール近傍の時空に摂動を与えると、減衰振動する波 (スカラー場、重力波など) が
放出されます。この減衰振動は、離散的な振動モードを持つことが知られており、準固有振動
(quasinormal modes,QNMs) と呼ばれています。準固有振動は、BH 形成の最終段階で放出され
る重力波の波形を特徴づけることが知られ、また、準固有振動数がわかると BH の質量や角運動量
を決定できるので、重力波天文学において重要な役割を果たすことが予想されます。
現在、我々はラバール管による「音のブラックホール」で準固有振動を実演することを目標に、
使用している装置の準固有振動数を調べています。
7
参考文献
[1] W. G. Unruh, Phys. Rev. Lett. 46, 1351 (1981).
[2] M. Sakagami and A. Ohashi, Prog. Theor. Phys. 107, 1267 (2002).
8