相談室では、ご自分だけでは解決できずに悩んでいる方といっしょに解決の道を探るお 手伝いをしています。そのため、いつも何となく重苦しい話題になりがちですが、今回は カウンセリングルーム 回 第93 再婚したお父さん夫婦が招かれた結婚式 公益社団法人家庭問題情報センター 山 口 恵 美 子 間に毎週続けるのは予想以上に大変でし た。母親の日常の大変さを遅ればせながら 理解することができたとも言えます。 く背後にお母さんの支援があったと思わ カ 頑張りましたね。離婚の際に、子どもに 責任がないことを両親揃って伝えられた カ︵ カ ウ ン セ ラ ー︶ 本 多 さ ん︵ 仮 名 ︶ は、 父親としてずっとお子さんたちとの交流 れることが、長く自然体で交流が続けられ こと、交流を子どもの意思に任せ、おそら を続けていらしたと伺いましたが、協議離 た秘訣でしょうね。 残念ながら世間では、せいぜい、置手紙 を残して、母子が突然蒸発し、父とは二度 カ 最近民法が改正され、協議離婚後の親子 の交流を法律が後押しする時代になりま け入れざるを得ないとすれば、せめてでき 父 たしかに。でも、 かわいい子どもですよ。 離婚は子どもの意思には反していても受 と顔を会わせたくないというのが多いです。 したが、当時としては珍しかったでしょう るところでは子どもの意思を尊重してや るべきでしょう。子どもも一個の人格だか ら。そして、別れても親としてできること はしてやりたいと思ったのです。 くれればよいと伝えました。そうは言った 街に暮らすから、来たいときに自由にきて 重するという考えは、飛んでしまっている 被害感情にとらわれて、子どもの人格を尊 なく、多くの両親はご自分の利害、怒りや カ いっしょに暮らしていたときの父子の関 係がとてもよかったのですね。それだけで ものの、実際には訪ねて来ることはあまり 父 子どものために一生懸命自分をコントロ ありのままを言わせていただけば、少し 出来すぎのように感じるのですが。 たね。 ことが多いのに、よく冷静に対処できまし 二日半分の食事作りや買い物を、仕事の合 すね。同時に、食べざかりの男の子二人の ところが、毎週、週末には二人してやっ てくるのです。内心驚き、うれしかったで ないだろうと思っていました。 そこで、 両親で子どもたちに詫びた上で、 離婚後は父親である私は電車で一駅の隣 く同じ考えでした。 父 離婚は夫婦間の問題で、子どもには全く 責任がありません。その一点では夫婦は全 ね。 は孫も三人います。 父 離婚した当時は子どもたちが小学生でし たから、もう二十年以上になります。いま 婚してどのくらい経ちますか。 ご自分たちで解決できた面会交流の明るいお話を紹介してみたいと思います。 家庭問題 人権のひろば●2014.7 34 理解できるような気がします。また、大人 う考えが強いのです。再婚したら義理の親 ールする努力をしたのは事実です。でもそ の よ う に で き た の は、 私 自 身 の 育 ち が 関 同士であれば、協議離婚も捨てがたいよさ 離 婚 の 話 し 合 い や 合 意 の 履 行 の 難 し さ が、 日本の再婚は、スクラップ・アンド・ビ ルドといって、壊れた家族を作り直すとい わっているかもしれません。 が実親になり変わる努力をしたり、なり変 わる役割を期待されるため、新しい親子に 力が入りすぎて、かえってぎくしゃくする ことがあります。最近まで、実親との面会 もめの老後をどうしようと兄弟で話し とっては、愛情を注いでくれる人間の輪は 少子化で子どもの数は減り、家族のサイ ズが小さくなりすぎている昨今、子どもに 交流も否定されるのが普通でした。 合っていたけれど、これでその心配がなく 小さいより大きい方がよいですよね。 父 自 分 の 経 験 で は そ う 思 い ま す。 ど う 頑 張っても一人でできることは知れていま すから。 には、実家が三つあるんだって。お 父 再 婚 の 式 に も 来 て く れ ま し た。 そ の 後、 こ の 間、 孫 が 遊 び に 来 て こ ん な こ と を イタリア語のできる再婚相手といっしょ 言ってくれました。﹁僕たちのパパとママ たちですね。 カ いつの間にか、お父さんの方が子どもに 心配されていたのですね。優しい息子さん なった﹂と。 して息子たちは言ってくれました。﹁男や 父 ええ。再婚するときには、子どもはすで に大学生になっていました。再婚の話に対 ところで、本多さんは再婚なさったそう ですね。 があることもわかりました。 私は日本で育ち国籍も日本で、風貌もか なり日本人的ですが、父親はアメリカ人な のです。父は子どものころから私をひとり の人格として扱ってくれました。日本人夫 婦の家庭文化とは違っていたように思い ます。 でも、思春期、青年期には、日本人でも ない、アメリカ人でもない自分のアイデン ティティに悩みました。そして、﹁何人︵な にじん︶﹂とは関係のない、 ﹁個﹂としての 自分というアイデンティティを見出して ようやく落ち着きました。ある在日韓国人 の友人からも自分と同じアイデンティ に、息子たちは友人も連れてイタリア旅行 ティを聞かされました。個としての生き方 では、体裁や外聞に左右されず、自分の考 じいちゃんの所とおばあちゃんの所 りがとうございました。 話を伺うことができました。あ 今日は協議離婚の仕方を考える上 で、とても参考になる貴重なお うですね。 カ 人の幸不幸は、どこに住むかより、 どうつながるかということにありそ な﹂。 くところがたくさんあってうれしい とママのばあばの所だよ。遊びに行 にも行きました。 すね。 カ その後、息子さんの結婚式には、本多さ んは再婚相手とともに招待されたそうで えに自信をもち、きちんと自己主張します が、責任も負います。 幸い日本には協議離婚という自己決定で きる制度がありますから、子どものために 父 私だけでなく、 元妻も再婚しましたので、 結婚式には三組の親が呼ばれました。 もう、誰にもわだかまりのない、子ども たちの縁でつながった子どもたちの応援 団のようなものですね。 カ そういうのがステップファミリーという のでしょうね。 35 2014.7●人権のひろば できることを母親と話しあって離婚する ことができました。 カ 人は悩みや苦しみを乗り越えたときに本 当の自分になれるのですね。感動しながら 伺いました。とても大切なことを聞かせて ﹁個﹂としての確立の弱い日本社会での くださいましてありがとうございました。 家庭問題カウンセリングルーム
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