銀行の責任・建築確認制度・建築士制度・倫理教育などの問題点を斬る。

新シリーズ
「建築と建築家の社会性」
第2回 JIA建築家
建築士法改正に向け、行動を開始
緊急シンポジウム
architects 2006.03
「制度問題を斬る」
鼎談企画 第1回
林昌二 椎名政夫 三上清一
CPDシリーズ
制度の問題を世代別に本音で語る
新技術を探る 第1回
ピアレックス・テクノロジーズ
2005年度JIA新人賞決定
西沢大良 石黒由紀
第30回
鼎談シリーズ
第1回「銀行の責任・建築確認制度・建築士制度・倫理教育などの問題点を斬る。
」
2006年1月19日、JIA館5階にて
市民のために、建築家はもっと本気で、全て自分の
ところで責任を負うべく取り組み直すべきである。
林 昌二(日建設計 名誉顧問)
椎名政夫(椎名政夫建築設計事務所 代表)
三上清一(三上建築事務所 代表)
司会 赤堀 忍(本誌編集長)
赤堀 今回の鼎談を1回目として、中堅、若手の代表と3回のシ
リーズで掲載していく予定ですが、さらには世代をつなぐこと
もやっていきたいと考えています。まず、これまでの時代の流
れを熟知されている経験豊かなお三方にお集まりいただきまし
た。今回の事件の問題分析と建築家としての立ち位置を語って
いただこうと思います。始めに林さんから伺わせて下さい。
二重債務は許すべきではない。安全が担保されない住居に
融資した銀行にも問題があることを指摘したい。
(林 昌二)
林 問題は建築界で考えていても仕方がないので、市民の立場
から考えるとどういうことになるか。そこには建築関係と、そ
れ以外の問題とがある。つまり、二重債務の問題です。それが
あまり取り上げられていないのは不可解です。私はこの点をま
ず指摘したいと思います。
解決案として、もっと銀行の責任をきちんとしないといけな
い。いつでも銀行は逃げてしまうので、この際反省を求める、
あるいは新しいシステムをつくってもらわなければいけませ
ん。二重債務が起きるのは理論的に変ですね。住宅のローンを
借りて住んでいて、その家がだめになって資産価値が滅失した
のに、債務を払い続けなければいけないというのは制度として
おかしい。二重債務を許すべきではありません。銀行は個人に
貸すというかたちをとっているかもしれないが、実質はマンシ
ョンなり貸した住居に対して融資しているわけで、その住居が
ちゃんとつくられたのかどうか、資産価値はどうか、銀行はも
っと真剣に考えなければいけない問題です。それが今世の中で
取り上げられていない重大な問題だと思います。
建築家の問題に戻ると、そもそも世の中から、建築界という
のは信用されてない。なぜ信用されていないか、私の経験から
6
JIA 建築家 architects 2006.3
本誌はこの1年、赤堀忍編集長の方針に基づき建築家の責任や保険の
問題を掘り起こしながら、会員の意識づけと同時に、市民への発信
も視野に入れたJIAのあり方を探ってきた。今回から3回にわたって
は、昨年の構造書偽装事件に発した諸問題から浮き彫りになってき
た業界全体の問題、そして建築家・JIAの課題と今後について議論を
していき、世代を超えた議論に発展させていきたいと考えている。
もいろいろありますが、たとえば建築基準法が改正になる。つ
まり耐震構造の規定が強化されて補強しなければいけない問題
がこれまででも何度も起きている。今回のケースでも補強した
い、ついては費用を出していただけないかと。しかし今までの
設計が悪かったというのならまず謝りなさい、そしてあなたの
費用で直したらいいじゃないですかと言われる。それは常識だ
と思います。
建築基準法や耐震強度法制というものは、法制に馴染んでい
ないのだと思うんです。昔からそういう議論がありましたが、
法制にすべきものではないのではないか。つまり仲間内のルー
ルであって、社会に通用するものではない。これもまた他が論
じてないところなので、私が言わなければと思った点です。
建築士の資格を持っている人が設計の詐欺に加担したという
ことはこれまでにも無かったとは言えないけれども今回正面に
出てきて、そういう専門家が世の中にいるということがはっき
りしたわけです。それを建築基準法の確認制度あたりで食い止
めようということは一つの制度としてはあるかもしれないけれ
ど、現実はもう破綻してしまっている。なぜ民間に流れてきた
かというと、建築主事のなり手がなくなったからであって、か
つ確認の手間、確認申請に出すべき書類・構造計算書の類があ
まりに複雑を極めて、普通の人ではチェックができなくなって
いる。結局、盲判になっているわけです。昔から盲判だったの
かもしれないんだけれど、はっきり盲判になった。
(一同笑い)
つまり、盲判になるとどうなるかということがはっきり確認で
きた。日本の制度というのは全部、盲判でできていますから、
これは重大なことが発覚したんだと思います。そういう社会の
根幹を揺るがすことがいくつもここには含まれているという気
がします。
ところで昨今、強度の足りないマンションを壊し始めるとい
2005年度JIA新人賞 講評
仙田満 椎名英三 妹島和世
2011年UIA大会東京開催
各地域からの声
中村享一(九州支部)
うことを言っていますが、これも問題で、仮に強度が足りない
として、直ちに壊して建替えるというのは土建国家的発想で間
違っていると思います。住みながら補強して何とかなるような
手立てを考えていくのが技術のあり方です。ぶち壊して立て直
せばいいという、そんなばかなことを専門家が言うべきではな
いと私は思っています。
赤堀 マンションを壊すことは気になっていまして、何かを消
したいということはないでしょうか。
三上 証拠がなくなることは確かですよね。壊す話は、誰の意
思なんですか?
林 どうもいろんなことがはっきり分かりませんね。
赤堀 分からないというのは、多分、建築界のシステムが複雑
になってきていて、よく見えない部分が建築界・建設業界の中
にある。そうした背景が、氷山の一角だという言葉が出てくる
要因になっているのではないかと思います。そのシステムを明
確にしていく必要もあると思いますが、いかがですか。
日本は契約社会の基本ができていない。建築家という定義
を社会の中に確立すべきである。
(椎名政夫)
椎名 最近テレビの耐震偽装問題を見ていて気になることは、
発言するタレントみたいな評論家の使う言葉、たとえば建築士、
設計士、建築家、という名称を使いわけないで混同している。
ようするに日本では、言葉の定義がはっきりしていないという
ことがあると思います。定義というものが最低限、皆が分かる
ようになっていないと近代社会に暮らしていけない。西欧では、
契約書の最初に定義が列挙してあって正確さを共有している。
今回の問題ではそれがめちゃめちゃで、皆さんも混乱している
のだろうと思います。混乱させた責任は我々にも半分ぐらい責
任があると思っています。
1990年に林さんが、
「こんなに忙しい景気のいい時に、建築家
の定義が海外でどうなっているのか、かえってしっかり調べる
必要がある。
」と発言されて調査委員会をつくりました。私も
委員会に参加しましたが、ヨーロッパの人たちは言語は様々で
も、一般市民・子供まで、建築家というものの共通の定義と認
識を持っていることに大変驚きました。日本では今回の事件で
も言葉の定義がはっきりしていません。契約社会の基本ができ
ていないということになります。仕事は契約、約束に基づいて
行うということが重要で、我々も、また市民サイド、発注サイ
ドもその点は手抜かりがあるのだろうと思います。
三上 私は茨城という地方にいて仕事をしていますが、その辺
が分かってもらえにくい環境の中でやっている気がしていま
す。JIA入会のきっかけは、旧建築家協会の時代に前川事務所の
田中先生と横山先生と親しくさせていただく中で、日本で設計
者の職能を勉強するにはJIAに勝る団体はないだろうという勧
めもありました。しかし、地方にはあまりJIA会員がいない。
また会員として制約があり、入会には覚悟が要りました。入会す
るからには擬似コンペや入札の場面には関わらないと腹を決め
なければならない。そして入会時には審査があり、数人の先生方
の前で面接を受けました。それまでしての入会後は、設計は特命
でということを叫び続けてきました。そのような経緯で、茨城県
は都道府県の最後に入札制度を取り入れたと思います。それ以
外に議会に説明の方法がないからという行政側の意向でした。
私の考えの中には、主宰者として、一緒にやっている若い者
に職能を教えなければいけないという気持ちもありました。ち
ょうど職能法制定推進の盛んな時代で、中に顧問弁護士もおら
れ、会員をまとめて勉強会をよくやっていました。その時に私
なりにまとめたものを今日持ってきましたが、職能は技術的な
側面と経済的側面、社会的な側面と3つに分けて捉えると分か
JIA NEWS
りやすいという話を記憶しています。
確かに職能という定義を明確にすることも必要でしょう。し
かし今回の問題の報道、指摘で出てきていないのは、いったい
誰のための法律かという話を誰も言わない。法律の第1条には
国民の生命・財産・健康・公共福祉を守ることが目的としてう
たわれていますが、その話は出てこずに、建物を壊す話が先行
している。問題の捉え方がきちんとできていません。流行の言
葉を使えば制度疲労ですが、それを通り越して、建築士法は今
や制度崩壊になっていやしないかとさえ思います。今の目的に
まったく逆行している。つまり、制度が機能していないという
ことです。そこからこの問題を考えてみることがあってもいい。
国民を守る建物の躯体(スケルトン)は、公共財にすべき
である。
(林 昌二)
林 大きなことでもう一つ付け加えておきますと、建物を建て
て自分が住むとしたら、根本は、自分の責任でものを考えなけ
ればいけないと思います。それを国がいろんなことをやってく
れるだろうという考え方が見える。今度のことでも役所がやっ
てくれないかとか、法律をきちんとしてくれとか、お金も出し
てくれとか、官に頼る気持ちが変わっていない。これは大問題
だと思います。基本は、自分が住む家は自分の責任で考えなけ
ればいけないし、自分の住む家がどうあるべきか、どのくらい
の強さの家を建てるかということは、本当の頼りになる専門家
を自分で探して歩かなければいけないことであって、資格を持
っている人ならよかろうということではどんな人が現れるか分
からないわけです。建築家協会の意味があるとすれば、そうい
う人探しのお手伝いができるということである気がします。
次にお金のことになりますが、問題解決への道として「スケ
ルトン+インフィル」の思想が示しています。ストラクチュア
とインフィルを分ける私の考えを補足しますと、建物の躯体と
いうものは公共財にすべきだと考えます。道路や橋梁と同じよ
うに、人工土地を公共財としてつくる、その上に各自がインフ
ィルをつくって住めばよろしい。そうすると責任がはっきりす
るわけです。なぜかというのは、日本の国防の相手は自然災害
なんです。毎年自然災害で何千人も死ぬという国は、世界の中
でも珍しい。だから国防費は、日本の場合は自然災害に対する
費用、災害に対して国民を守るために充てられるべきであって、
そう考えると骨組みは公共財にすべきだという考え方になって
くるし、もしそれが壊れたら国家の責任で直すべきものである。
そういう点で、住宅の問題は個人の責任みたいなことを急に言
うのもおかしいし、全部政府に壊れたものを直してくれという
のもおかしい。その区別をはっきりした方がいいというのが、
今回私が特に言いたい点です。
椎名 最近いろいろな会合に行きますと、今日はあなたが主役
だと言われ、事件について質問攻めに会いますが、皆な異口同
音に言うことは、いったいどうやって建築家を選べばいいのか、
どうやって探せばいいのかと。僕はたとえば、病気になった時
に、どこの病院、どんな医者にかかって、どういう医療を期待
できるか、それは自己責任で選ぶのであって、医者にも病院に
も責任を押し付けることはできない。それは建築家を探すこと
も同じなんですと話しました。皮肉な話しですが今回の事件を
きっかけに、こういう話しが社会一般的にできるようになりま
した。今までは機会が少なかったですね。
マンション購入に対する考え方は、日本と西欧では違います。
日本で特徴的なのはマンションのショールームがあることです
が、日本の場合は一寸一分違わぬものができることを期待され
る。冷蔵庫や車を買うのと同じ気持ちでマンションを買ってお
られる。それに対して西欧ではむしろインフィルを買う。日本
建築家 architects 2006.3 JIA
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新技術を探る 第1回
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西沢大良 石黒由紀
で家を建てるような人は真剣に考えていましたね。何代か前に
建てた家がどこに建っていたか調べて、危険のないところを選
んで家を建ててきている。ところが日本は人口が定員を超えて
1億になった。それでは明日をも知れないところに住むしかな
いですね。活断層の上に小学校を建てたり、昨日までは海だっ
たところに超高層ビルを建てたり、もうめちゃくちゃですね。
赤堀 状況として、建築士の数はやはり多い。エンジニアとア
ーキテクトが一緒になっていますが、職能という点では我々個
人が責任を取れないところまでタイトルを持っているのか。
林 昌二(はやし しょうじ)
でも一部そういう方向にはなっていますが…。その点、欧米で
はインテリアデザイナーが幅広くジャンルに分かれ、層が厚い。
若い建築家も職能として住宅で鍛えられるんです。これは本質
的に違います。空間という生活の場を買うのであって、テレビ
や商品を買うのとは違う心がけを持ってもらいたいと願ってい
ます。これは言わば、フローとしての建築を買うのではなく、
ストックとしての建築を意味していますが、最近十数年の世界の
住宅の資産価値を見ると、日本だけが殆ど例外的に資産価値を
年々下げていて、逆に大部分の国で住宅の資産価値は大体上昇
して、ことに西欧諸国ではその経済の好況にも寄与しています。
今回、林さんが提案されているインフィルの部分を分けるこ
とは、先進国ではよくあることです。スケルトンさえしっかり
しておけば、時代、趣味、住む人が変わっても相応にモデルチ
ェンジしておけば資産価値も上がり、始めから壊そうという発
想はなくなります。
林 たとえば最近、地下鉄のトンネルの補強を一生懸命してい
るが、本気で考えたら、今度の件だろうがなんだろうが、スケ
ルトンは100年200年もたせられると思うんです。そういう技術
を皆で開発しなければいけない。すぐ壊したくなるというのが、
木造のちゃちな家に長年住んできたことから刷り込まれた習性
なんですね。
三上 私は若い頃に、建築主と確認申請との関係はどういうこ
となのかと、当時の建設省の指導課長に聞いたことがあります。
民間の個人住宅であろうとお店であろうと、社会を構成する要
素となる建物を自分のものだからどうでもいいとやられると
様々な意味で社会的に迷惑な事態が想像できる。そこは建てる
人の責任でもってやってもらわないと困るが、それをこれでど
うかと確かめる手続きが確認申請だというわけです。今、建て
る人たちの意識にこうした意識があるのでしょうか。
赤堀 建築主側が意思を持って建築行為をして、それに対して
本来は責任を持たないといけない、その助けをするのが建築家
だと思います。それに対して役所は確認を出しますが、そこに
役所は責任をとっているかといったら、ないですね。
三上 姉歯の問題が出てきた時に、直感的に国の責任にまで発
展すると思いましたが、まさにこの機会に責任の果し方の方法
を見つけていかないといけないと思います。
赤堀 社会的責任ということで気になっているのは、本来建て
てはいけないところにも建物が建てられているのではというこ
とと、日本の社会は個人に責任を持たせない社会になったまま
来ているのではないか、ということなんですが。
林 いや、個人の責任はないという建前で、役所が全部のこと
を引き受ける。それを役所が全部投げ出してどこかにやってし
まうわけです。だからどこにも責任がない。とってもうまくで
きている。
(一同笑い)
赤堀 それによって犠牲になっているのが市民ですよね。
林 市民はどうなったっていいというのが、この国の考え方で
すよ。戦争の最後の頃を考えたら非常によく分かります。そし
て住んでいいかわるいかという場所の話では、明治時代に自分
8
JIA 建築家 architects 2006.3
法制度は社会形態の変化への対応が不可欠。社会的・建設的な面での不整合
を指摘してきたが、今こそチャンス。(椎名政夫)
椎名 それはずっと議論してきましたね。1950年に建築士法を
つくった時には、多くの建築技術者供給がないと戦後の住宅問
題は解決できないからと、大工さんだって建築家だって同じだ
というところに発想はあった。しかし、社会形態は全く変わり
ましたからね。建築基準法での土地利用とか耐震の制度などは
地震の度ごとに変えていくということがあっても、社会制度や
経済に対する影響で変えたところはほとんどないと思います
が、ありますか。
林 いろいろな建築関係の制度というのは、戦争直後の何百万
戸の住宅建設の応急措置のようなかたちで全てが出発して、そ
れが後を引いているんだと思います。きちんと直すという人が
それから一人もいなかったわけでしょ、改革だなんて言います
けれどもね。
椎名 先ほどの続きですが、JIA調査委員会は建設省や関係者
にできるだけの報告をしたわけですが、建設省は、そんなに建
築士法を悪くいうことはないのではないか、何にも起こってな
い、何が不都合なんですか、と言われた。我々が言っているこ
とは技術の問題も重要だが、建築士法および建築基準法が持っ
ている社会的・経済的に技術をこえたシステムが現在までに不
整合になっていることを指摘しているのであって、それに対し
て役所の人は全然認めなかった。不作為と言えるでしょう。何
か起これば別ですけどもね、
と言った人がいま槍玉にあがってい
るんです。ほんとに起こってしまった今こそ心を改めて、
やはり
基本的に見直してもらう、
謙虚な対応を期待したいと思います。
法律を変えるということがむずかしく、また規制を変えると
いうことに抵抗がある国であることは百も承知で申し上げてい
ますが、どうでしょう。それができなければ、林さん提案のイ
ンフラもインフィルも選択肢として評価できなくなってしまう
と思います。
林 法律制度を変えることは少しもむずかしくはないと思いま
す。人のつくったものなんだからいくらだって直せるし、新し
くできるんだけども、直すのがむずかしいと思っていることに
問題があったんですよ。
椎名 我々もそう思った時期がありました。
林 思ってしまいましたね。
椎名 いくら言っても聞かないのだから、官に頼らずに自主的
に決めようじゃないかと言い出したのも我々JIAです。始めの
うちは建設省に近寄って役所の人間を動かし、建築家のきちん
とした法律をつくりたいと主張した時代もありましたが、歴史
的には官に頼る習性は絶ちがたく、そこには林さんがおっしゃ
ったような決断がいるわけです。
林 お役人は元来、保守的な本性に立つべきでしょう。その制
度を維持管理していくべき立場が役所ですから、彼らが変える
のは大変だというのは当然ですが、それに対する反対勢力とか
対抗勢力がないのが問題でしょう。役人の不作為の罪ですね。
椎名 その顕著な例として、アスベストの問題があります。
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仙田満 椎名英三 妹島和世
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中村享一(九州支部)
椎名政夫(しいな まさお)
1970年初めにアメリカのジョンズ・マンビルという世界一の建
材会社がつぶれました。巨額な賠償責任訴訟が命取りになって
裁判によってつぶれたわけです。建築家は訴訟の現実に驚いて、
アスベストを仕様書に載せなくなりました。ところが日本の場
合はなんとなく温存してしまって、今頃になって国の責任だと
か言って、よく分かりませんね。
林 これはアメリカという国の偉大さを考えさせられますね。
それに引き換え日本はなんといい加減な国かというのは、この
一事でもはっきりしていますよ。
椎名 医療の問題でも官僚の不作為がありましたね。役人は確
かに既存のシステムを守るのが私たちの仕事だと主張します
が、しかし民間が変えたいというものを足を引っ張ることはな
いんです。それが分からない。変えなければならないと主張す
る背景をよく考えてもらわないといけないと思います。
誰のための建築士法改正か。建築家にはきちんとした説明
責任がある。
(三上清一)
三上 建築士法の制度で言いますと、大学出て3年目に受験資
格が得られますが、合格さえすれば制度的にはどんな設計でも
できる資格を与えられることになる。誰が考えたっておかしい
ですよね。法律ができた当座だったらそれもあったと思います
が、意匠も構造も分かれずにほとんどやっていたし、それで間
に合っていた。しかしその後の大きな変化の中で肝心なところ
を何にもいじってない。行政側といえども、それを変だと思わ
ないはずはない。その辺の感覚というのは我々にも責任がある
と思います。職能法の推進の歴史を見てきた時にどうして何度
も挫折しているか。創成期から出発して、建築家法の制定の運
動が何度も国会に法案を出しているが、そこでつぶされている
のは、簡単にいえば業界の反対なんです。基本政策委員会の時
に調べてみると、いいところまでいくのですが、そこで余計な
ことをするなという業界の反対が出る。そこを崩さないと日本
の国では職能法はだめだと思います。その時に、誰のための法
律か、という話をしないといけないと思います。
かつて、国会の職能法制定の請願デモをやった。その時、知
合いの国会議員の女性の秘書から、
「国民みんなのためにそう
すればいいだろうとデモをやってくれる、それは具体的にどう
いうかたちになって、私たちの幸せとどうつながるのでしょう」
と問われたことがあります。
林 うーん、それは鋭い質問だなあ。
三上 それに我々がどう応えられるか、答えを用意できるか、
一種の説明責任の話ですね。今回の事件と絡めても、やはり説
明をつけないといけない、という感じを持ちます。
赤堀 教育の問題ですが、一般分野をそれほど教えるわけでは
ない。それが3年目には試験を通ってしまうと設計ができてし
まうこと自体が無責任な教育体制だという感がありますね。
林 私が仕事を始めた頃は、学校で構造計算も教わっていまし
たので、構造計算もし、構造図も鉄筋の図面も書いて、全部自
JIA NEWS
分でやった例があります。しかしその後、建物が複雑になって
そうはいかなくなってきた。
赤堀 今の大学では120人とか学生の数が多いですから、そん
なに勉強していないという気がします。
椎名 当時は事務所の規模も小さく何十人か、その程度ですね。
今ほど情報化時代ではありませんが、どこぞの建築事務所には
何々さんというすごい人がいて、構造も設備も設計もできると。
そういう人が脚光を浴びて、あこがれになっていました。今は
あり得ないですが、この三点セットの総合の重大な責任につい
てはここでしっかり定義づけなければと思います。
赤堀 方向性はつかめるとしても、構造に対して責任がとれる
かといったら、あるいは説明ができるかといったら、むずかし
い気はしますね。フランスでは積算の部分、エコノミーの部分
が建築家は信頼されていませんから、そういう点を予算の中で
見てくれる人がいるんです。その設計集団のようなものがあり
ますが、日本の場合は、責任分担は個人の顔が見えてこないと
ころがあって、実はアーキテクトの問題は、そこの責任の部分
を考えていく必要がありますね。
三上 かつては役所の人のサイドビジネスに構造設計を頼むと
か、設備を業者に頼むとかでこなす、その程度で間に合った時
代でしたね。地方の私のところでは構造も内部で一緒にやりな
がらきましたが、徐々にそうはいかないと思い始めた。しかし、
設備や構造を頼みたくてもまわりに専門の事務所がない状況
で、結局、事務所の中にスタッフを育てていったんです。その
うち、個人の名前は伏せてはいたものの、あそこの事務所は何
でもできるというレッテルをはってもらえるようになりまし
た。そしてそれが売りの時代があった。それは事務所の中に構
造設計者を持つ体制ですが、私はある時期から構造設計者の名
前を出さなければいけないと思いはじめ、役所に提言したこと
があります。しかし、当時は出してくれるなという雰囲気でし
たね。今、私の事務所では構造担当者の名前を出そうとしてい
ます。もっと早い時期に、設備も構造も名前、顔が見えるかた
ちにして制度化されていたら、今回のような問題は避けられた
ような気がします。
林 今、専門資格を確立していく方向にはありますね。
三上 ただ、士会の中にはせっかく手に入れた権利を手放すこ
とは…という人もいますね。
赤堀 確かに既得権を守っていこうということは当然あると思
いますが、それが破綻をきたしたという気はします。
林 今度の事件は不思議なことに、いいかげんな、曖昧な塊で
設計をやってきた日本の世界の中で、突如、構造の担当者の立
場が浮き上がった、それから建築士という資格についてもはっ
きり出てきた。これはかなり特殊なケースだと思います。解決
にあたってはそれをうまく利用しないといけないのでは。
椎名 そこには既得権の問題があるのですが、一方で個人の責
任か、組織の責任かが明確でなく、どちらかと言えば、日本で
はやはり組織の責任を重要視しますね。私の場合の説明は、協
働している構造の専門家が何人かいて、プロジェクトに応じ、
クライアントに応じ、仕事のレベルに応じて、誰を選ぶかは私
が責任を取りますと話し、最近は選んだ人をインタビューして
もらっています。やはり顔が見えないとだめなんです。外国の
クライントは、それは普通だと考えています。
林 現在の建築の周囲をみていると、二つ大きな穴があいてい
ると思います。一つは構造についてはコンピュータでやってい
るが、大丈夫なのかだめなのか、本人の感で判断できなくなっ
ている。この世界の大部分の人はそういう能力を喪失している
のではないか。ほんとに危ない建築家が多いと思うんです。あ
きらかにおかしいという建築が建っていると思います。最後は
感で判断しなければまずいと思いますよ。
建築家 architects 2006.3 JIA
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三上清一(みかみ せいいち)
三上 経験と培われた勘ですね。
林 もう一つの穴は、建築家側の責任が大きいと思いますが、
確かに日本には見積りをできない建築家がいるというのは事実
としてありますが、そういうことから建設業界にいろいろなこ
とを頼み、任せるようになってきた。建設業界の方としてはそ
の穴からどんどん侵入して、それもこれもお手伝いしますと入
ってきた。つまり中身がなくなってきたのではないか。そして
建設業界は栄えて、建築家の世界はあやしくなってきた気がす
る。これは建築家の世界が怠けてきたんだと思います。もっと
本気で全て自分たちのところで責任を負えるべく、取り組みなお
さないと、今頃になって業界が悪いと言っていても始まらない。
椎名 仕事の質にしても我々が手に負えないような複雑な問題
に直面して、何とか解決しなくてはと思って悩む。だからとい
って建設会社に頼むわけにはいかない。それぞれの専門家と協
働しなくてはできない。つまり上下関係ではできません。とこ
ろが多くの事件は縦の上下関係が問題になっていて、横の関係
はほとんど論議になりません。誰もそれを不思議と思わない。
日本人は金を出す権力のある人が威張っていて、その流れで通
してしまいます。しかし、我々の設計の世界は、横の関係で協
力を得てやっている。これはよほど説明をしないと分かっても
らえない。
林 悪くなっているんでしょうね。建築家なんていなくても世
の中は動いているけれども、ゼネコンがなくなったら成り立ち
ませんからね。
(一同笑い)
赤堀 外国に比べてゼネコンの値段が高いということがありま
したから、業界が吸収していった部分が少しずつ出されてきて
いるのかもしれません。それと同時に、林さんがおっしゃった
ように、建築家のフィールドの部分にどんどん入ってきて、両
手を捕られてきているという感じがしないでもないですね。
建築家の保険も今年度から一気に3倍になっていますが、そ
れだけ建築家の立場が危なくなっている気がします。学ぶこと
が十分行われないまま、建築家として急に仕事をし出すことが
行われています。感とか経験のないうちにつくってしまうと、
保障が発生する基本的な問題が数多く起こる心配にもつなが
り、大変なことだと思います。
林 感も経験もなくても建つというのだから、不思議な世の中
ですね。
今、教育の対象は設計行為にある。伝えることの技術と訓
練が抜けてしまっている。
(三上清一)
三上 建築教育の場のことについては、10年ほど前くらいから
様子が違ってきた気がします。これまではむずかしい話をしな
くても一緒にやっていくうちに若い人も能力を身に付けていく
パターンでしたが、最近は身に付き方が悪くなってきた。私の
観方で言うと、設計というのは、実務家としてモノやコトを決
める段階と、決めたそれらを伝達する2つの段階があると思い
ます。前段を設計行為、後段を成果品作成行為と私は呼んでい
10
JIA 建築家 architects 2006.3
新技術を探る 第1回
ピアレックス・テクノロジーズ
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ます。基本設計と実施設計の段階がありますが、今は設計行為
の部分に教育対象が傾斜して、伝えるというところの大切さと
技術、その訓練が抜けてしまっている気がします。建築が複雑
になり、教育の現場も教える領域が広がってくると、製図の時
間にそんなことまでは届かなくなって、学生の自己学習に任せ
ればいいのかということになっているとしか思えない状況で
す。ここを何とか補強したいと私なりに動き始めています。
今回、姉歯元建築士が地震力を下げてしまったことというの
は、決める段階での判断です。その判断の根拠、判断に基づい
た結果を伝えるために、そのままのデータで図面をつくってい
るわけです。その辺の話もまったく出ていません。この機会に
その辺りに取り組むことは必要だと思います。
役所の契約書を改めて見ると様々で、契約書とは言えないモ
ノもある気もします。役所の仕様書は、求められているものが
双方の合意ができてやっているのかというと、かなり怪しい。
今は役所で設計をやらなくなり、何が確かで正解かということ
をチェックする人はいなくなってしまった。それだけこっちの
責任が重くなっているわけです。従って、設計行為の決めると
いうことで、建築の質は決まってきますし、伝える方はそれを
支えることが求められる。そうであるが故にしっかりしなくて
はいけないのに、そこがかなりルーズになってしまっている。
姉歯元建築士がきちんと契約をしていたのかも根にはある話
で、分かりにくい状態をつくっている要因になっているのでは
と思います。
林 伝えるということが大事で、その前に考えて設計をまとめ
るということがありますが、それは伝える手段に入ってはじめ
て分かることで、ほんとに考えているのかいないのかは分から
ない。大事なのは伝える段階にあるわけですが、設計図をつく
るとかチェックするとかいうことに関しては、学校の先生で実
務の経験のない人が増えています。それで卒業してきてしまう、
実は何も教わってない人が多くなっている。一方、それをコン
トロールする、チェックする立場のお役所の専門家は、自分の
経験のないことをチェックすることは不可能で、だから盲判も
やむを得ない。つまり中身がなくなってしまったわけです。昔
は役所の中に設計部門があって、かなり本気で設計をしている
人がいた。それがいなくなってしまったわけです。
椎名 先ほど縦縦横横の関係の話をしましたが、縦だけではな
く、横の関係を考える時に、たとえば多年勤めた人が建築主事
になる、あるいは逆でもいいんですが、または建築会社の設計
部にいた人が設計事務所に移るとか、ようするに仕事がフレキ
シブルにできて個人のモビリティーが高まるようなシステムが
出てくると違ってくると思います。今は一旦設計事務所に入っ
たら、組織の大小に関わらず、概ね終身の仕事ですね。
赤堀 違いというのは、フランスの先生は設計だけしか教えな
い。週に1日か2日でいい。日本の場合は付帯の仕事の方が多い
くらいですね。
林 なぜそうかというと、大学の自治というものがあるから、
何から何まで教授会で決めなきゃいけないという考えからなん
です。それが忙しくて設計なんてやっていられないということ
になる。自治というわけの分からない概念をもう少し踏み込ん
で分解しないといけませんね。理事会などでマネジメントは全
部やり、教師は教えることに専念する。今も教えることに専念
している先生はいるけれど、それは超安価な報酬で頼まれてい
る非常勤講師ですよ。これも失礼な話でね。
赤堀 そういう教育界全体のシステムについても、JIAでやっ
ていくべき議論の一つの対象になると思います。
椎名 外国の例では、単位取得も大学同士でいったりきたり、
また資格も国際的に持ち歩くことができるということがありま
した。我々も提案しましたが反応がありません。教育の場を変
2005年度JIA新人賞 講評
仙田満 椎名英三 妹島和世
2011年UIA大会東京開催
各地域からの声
中村享一(九州支部)
えていかなければ、建築士法の問題もついていけないと思いま
す。教育の現場にいる先生方はJABEEという制度で一生懸命や
っておられるようだけれども、そういう教育の見直しがなけれ
ば、建築士の見直しなどできないということです。
三上 そこでも既得権の問題が出てくると思うんですが、建築
士の制度ができた時にやはりその話がありました。
旧制の専門の学校を卒業後の実務年数によって無試験の人
と、選考と称して簡単な試験でという人がありました。その他
は正式な試験で、私は試験の制度ができて2回目でしたが、そ
の経過措置の対象の人たちが亡くなってしまうと、その制度は
消滅してしまっています。過渡期のやり方の一つだったと思い
ます。何れにしても今後の日本では、建築家の社会的認知、評
価を是正していかないと、若い人たちの明日はないと思います。
タレント建築家が注目される時代。果たして統括的な役割
を果す指揮者足りうるか。本気になって建築家の職能・倫
理を再構築していく時期である。
赤堀 今回の事件に関して、市民に対する建築家の役割という
意味ではどういうことがあると思いますか。統括する人間の存
在ということ、これは資格制度とも絡んでくると思いますが。
林 今度の件ではっきりしたのは、建築をやっている人の中に
は構造の設計をしている専門家がいるんだということで、それ
以上ではない。構造の設計をする人の職能・倫理がしっかりし
ていないと大変な目に遭うということがはっきりしたわけで
す。ここで建築家という話を持ち出すと、また話が分かりにく
くなってしまいます。ですから今回は、構造と建築士の資格と
は何か。建築士の役割というのは本来は建築士会がやることか
もしれないけれど、建築士がしっかりしていないとまずい、ま
た構造をやる人もしっかりとした職業倫理をもっていないとい
けないということを、建築界全体として押していくのがいいと
思います。
椎名 でも、誰かが責任を持ってまとめなければならないとい
うことは、皆さんお分かりなのではないでしょうか。
林 まとめなくても、構造やさんがちゃんとしていればいいと
いう感じに世の中は受け取っているのではないですか。つまり
まとめる人がいなくても世の中は動いていくという感じに今な
っているのでは。まとめる人というのは消えていますよね。
赤堀 元請としか出てきません。JIAが言っていくべき大事な
視点と言えますね。日本の場合は施主と設計事務所と契約しま
す。そのあと意匠設計事務所と構造設計事務所、設備設計事務
所と契約があるかは分かりませんが、関係が下請けというかた
ちでなされますから、施主と構造事務所はまったく契約関係が
ない。その辺で今回異常なのは、下請け事務所が前面に出てき
ています。本来は契約者である元請事務所が責任の所在が一番
あると思いますが、
表に出てこない。契約の段階で、
今まで下請
けとなっていた人たちが並列関係に出てくるのが本来だと思い
ますが、
そこまで建築家の元請事務所が譲るかどうかというの
が今後の問題かもしれません。
椎名 国交省の事務次官の言葉にびっくりしましたが、小さな
事務所で構造を下請けに出すことがあると。誤解を招く言い方
ですが、ようするに上下関係でしかものを考えないですね。
赤堀 この頃学生を就職させる時に考えるのは、生活環境の確
保を、業界の中で何とかしていかないといけないと思います。
林 設計監理の報酬の問題もあるが、建築家協会にも問題があ
ると思うのは、いま建築家と言われている人は言わばタレント
です。我々が考えている建築家という人はあまり表に出ること
なくやっていて、ほんとは建築家ではないような人がジャーナ
リズムの上で建築家と自称してかなり高い報酬をとって、非常
JIA NEWS
に安い労働者を使って設計をしているわけです。そういう現実
を考えると、就職先をそういう人のところに希望する人がいて、
ただみたいに使われて放り出されて、結局タレントにもなれず、
建築家にもなれず、他のところに流れていく。それをどうする
かというのはもう一つ大きな問題ですね。何しろタレントの時
代なんですよ、劇場国家だから。
(一同笑い)
椎名 タレントであって、指揮者ではないですよね。また建築
家の定義の問題ですが、今度の事件が外国の報道でどう扱われ
るか少々関心があり調べてみました。すぐさま、ロンドン・エ
コノミストに取り上げられて、冒頭にArchitect, Aneha……と出
ていました。建築士が一歩外に出るとARCHITECTと呼称され、
しかも、20数万のARCHITECTは損害賠償責任の保険もないと
書かれています。
このような事実誤認については、北代元会長が、建設省が建
築 士 法 を 英 訳 し た 時 、 ARCHITECT LAWと し た の を
KENCHIKUSHI LAWと改定を強く主張して筋を通したことが
想い起こされますが、これも今後、名称独占などで問題になる
はずです。JIAも強い主張を通すべきでしょう。
建築家の仕事は半分インダストリーに足を突っ込んでいるわ
けです。そういう現実が非常に責任が重くなっているから、何
で日本の建築は事前に保険でカバーすることをやっていないの
か。我々は普通は弁護士とか保険会社とのつき合いは事件が起
こってからではないと出てこないが、事件が起こる前に予備的
なコンタクトをとれるような横のつながりのつくり方をしてい
かないといけないと思いますね。弁護士や保険会社の人などに
プロジェクトの最初から入ってもらい、これからはそういう専
門の人たちと会話ができることが建築家に与えられた重要な仕
事です。そうしないとクライアントへの説明責任は納得しない
と思います。アメリカの場合は設計の段階で保険料率が決まり
ます。日本はルーズですね。考え方として、保険よりも組織の
方が安心だという面があるからでしょう。
林 日本は銀行もいい加減ですが、保険会社もいい加減ですね。
いい設計であろうが悪い設計であろうが、
保険料率は変わらない。
赤堀 そして残念ながら、保険に入ってない建築家は多い。
三上 こうして話をしてみると、違った視点や考えがある。そ
れを集めていくと見えてくるものがあると思いますね。
椎名 罰を重くしてごまかしてしまう国交省のやり方はどうか
と思いますが。
三上 誰のために、という話が大事ですね。
林 まあ、JIAだけが正義の味方だから。
(一同笑い)
赤堀 何か手段を考えていかないといけませんね。こういう社
会の流れですと、希望を持てない人が増えてきてしまいます。
どんどん住みにくくなっていく、それを我々は手助けしていく
方向にしないといけないと思います。
きっかけは姉歯問題。出てきた原因は建築業界、社会システ
ムの破綻と言えますが、そこを建築家が何とかしていくことは
大切です。今後も議論を重ねていきたいと思いますが、今日は
これまでにない論点やJIAの歴史をさかのぼる貴重なお話をあ
りがとうございました。
・2005年度のCPD必須履修単位数は36単位です。
・建築家 architects に掲載されるCPDシリーズを読み、JIAホームペ
ージの自主申請用紙で回答すると、各回1単位を取得できます。
・CPD(継続職能研修)シリーズの記事にはCPDマークが付けられます。
*このシリーズはJIAのホームページにも掲載されています。
〈http://www.jia.or.jp〉
建築家 architects 2006.3 JIA
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