『解読』 (散文、あるいは朗読楽劇「未来へのシナリオ」の骨格として)

『解読』
(散文、あるいは朗読楽劇「未来へのシナリオ」の骨格として)
中溝俊哉
Edition as of August 2005
「この世界は、ただ秘密によってのみ存続する。」
カバラ三代経典のひとつ「セーフェル・ハ=ゾハール」(光輝の
書)にはそのような思わせぶりな言葉が見出される。
秘教が唱える教義は、現代科学がすでに時代遅れとみなしているさ
まざまな教義のひとつであり、実験的に証明できるような正確な対
象物がすでに失われて久しい、ために、それに関する言葉の数々が
今を生きる「この男」の口から出てくるのに、皆さまは奇異の念を
抱かれるかも知れない。だが、その印象は、理性と科学を混同して
いるために起こるものと言うべきであろう。なぜなら、疑いようの
ない理性の告げるところの「理解」を尊重するのは筋が通っている
が、われわれの「認識」の限界を狭く限るのは理にかなわないから
である。彼はこう続ける。
[叫](ライプニッツは、かく語りき!)
「あらゆる理論は、その肯定するところにおいて真実。否定すると
ころにおいて虚偽である」と。然り。あらゆる否定は、現実から可
能性の一部を切り捨ててしまうばかりだ。だが、実は、この「科学
的態度」によって切り捨てられて来た部分を解明することこそが、
今を生きるわれわれの役割なのだ。
(リュック・ブノア『秘儀伝授─エゾテリスムの世界』のパロ
ディ)
(語り:普通に淡々と)
これも、ある実在した男の物語である。この男は、過去において存
在したし、現在も生きている。そして、未来にも。我々は幾度とな
く、このような男と出逢うであろう。
■ ■ ■
『解読』本題
[すがすがしく、期待を込めて]
曲がった腰を伸ばし
よごれた手の甲で額から汗を拭い
穴の底から照りつける太陽を見上げる
ぽっかりと空いた真っ青な穴の中心から
白い太陽が容赦なく照りつける
男は自分の掌にあるその小さなものを見つめた
それは彼の頭で強いコントラストの影の下にあった
だがそれが何であるのか、男には分かっていた
(語り:やや感動的に)
深い地中から掘り起こした粘土板
それを男は見つけたのだ
その小さな石の破片のようなものに
男は人の手によるものと思われる「傷の行列」を見出した
だが、そのとき一体誰がそれを読み解き得ると、思っただろう?
しかし男にはある確信があった
そう、その男には...
■ ■ ■
(男の言葉)
その重要な発見にもかかわらず
永遠と思われる長期にわたって発掘作業は続けられたのだ
あらゆる美術品、工芸品の類が地上に曝され
札(ふだ)を付けられ整然と並べられた
地中より掘り出された直後の出土品の鮮やかな色のいくつかは
ほんの数ヶ月で失われるものさえ、あった
だがその中でも絶対に失われないものは
その小さな破片に刻まれた「傷の行列」であることを、わしは知っ
ていた
(語り)
発掘された品物は然るべき場所へと
それぞれ移されて行った
だが男の興味を惹いたのは
たったひとつの小さな粘土板だけだった
■
(女の言葉で)
調査委員会は何を思ったか、その発見を秘密とした
いくつかの雑誌が粘土板の存在をスクープし、取り上げた
でも、それは「噂」であり、
その噂は「あれば面白い空想話」として
時とともにすぐに忘れ去られたわ
発掘が終わると仲間達はそれぞれの故郷に帰っていった
そして日常生活は戻ったの
■ ■ ■
(男の言葉で)
最悪なことに
粘土板は綿(わた)を敷き詰めた木箱にうやうやしく仕舞われ
博物館の鍵のかかった金庫室に収められようとしたのだ
それに封印が掛けられる直前に、わしはそれを救い出した
出土した詰まらぬ花瓶の破片を綿にくるみ
それを素知らぬ顔して木箱に収めた
わしは盗みに成功した
そしてその粘土板はついに自分のものとなったのだ
(語り)
この日から傷のような線文字を解き明かすことが
男の人生となった
手がかりを与えてくれないその粘土板は彼の前に
大いなる謎として、立ちふさがるのだった
(男の言葉で)
わしは決して諦めなかった
それが言葉であるという直感
そして絶対に解き明かしうるという信念だけが
それからのわしの人生を突き動かしたのだ
それはほとんど絶望的と言えるような探索の道筋であった
数えきれないほどの本を渉猟し
言語の体系を覚えた
引っ掻き傷に「文法」が存在することに辿り着くまでに
数十の言葉を覚え、文章を組み立てることさえ
できるようになった
失われた古代の言語たちはわしの中で再び息を吹き返した
(女の言葉)
彼の部屋はすぐにおびただしい紙の束でいっぱいになった
壁はあらゆる新聞や雑誌の切り抜きで埋め尽くされたの
彼は寝食を忘れて、夜も昼もその研究に打ち込んだ
やせ衰え、頭は知で満ちた。
でも、精神(こころ)は飢えたオオカミだった
数少なかった友人からの連絡も途絶えた
そして私は彼のもと去ったの
(男の言葉)
だが(アレールヤ!)
ある晩、わしはその粘土板の文字をついに読み解いたのだ
すべての研究の成果が一つの輪となって閉じた
わしは欠けたり摩耗してしまって、
ほとんど判読できなくなっている箇所さえ
そこにどんな文字が書かれていたのか
ありありと頭に描いてみることさえ出来たのだ
(少し静かになって)
その夜、わしは神に感謝し、自分に降り掛かったこの「幸運」を一
人で祝ったのだ
(語り)
しかし喜びは束の間であり、絶望と隣り合わせであることを
知らぬはずもなかった
(男の言葉)
絶望とは、その文字の語る内容だ
わしはそれをどうしても人に語ることができなかった
語りたい誘惑に駆られた
酔った勢いでそれを話したこともあった
面白がる者は二度とそれ以上わしの言葉に耳を傾けることはなかっ
た
蒼ざめた者は二度とわしの前に現れることはなかった
現実は、ほとんどの者がそれを真実であると実感せず
自分の問題として立ち止まることがなかったのだ
{* 挿入詩}
(語り)
運良く彼の言葉に耳を傾ける知的な者がいれば、
その「作り話」を一体どうやって着想したのか
ということにだけに興味を示した
そして男の情熱に敵意さえ抱いたのだった
(男の言葉)
彼のわしへの批判は呵責のないものだった
わしの話す言葉に根拠を求めたのだ
根拠はわしの解き明かした粘土板の文字にほかならない
だがそれを読める者はこの世にわしひとりしかいない
しかもそれはかつてわしが盗み出したものであり
存在するものであってはならなかった
まさにそれに刻まれたものだったのだ
(語り)
つまり、それは取りも直さず
彼が生涯をかけて解き明かしたことを
誰も取り合わなかったということだ
だれも耳を貸さず、耳を貸したとて、最後まで
その根気のいる証明に付き合えるほどの時間も忍耐も
人々は持っていなかったのだ
驚き呆れる者たちも
何事もなかったかのように
自分の日常へと戻って行ったのだった
■ ■ ■
(語り:大学教授風:権威と余裕を持って)
証明が第一の問題である
そして
解き明かした内容そのものの途方もなさ
それが第二の、そして最大の難関である
この障壁をどうやって乗り越えるのか
(男の言葉)
誰にも信じてもらえないものは事実と言えるのか
それがいかに明らかな真実であり
わしにとって、もはや証明を要しないほど
自明なものであったにも関わらず
世界で、わし一人しか知らないのだぞ
たった独りしか知らないそれは、真実と呼べないのか
(語り:感情的に)
彼がそれを解くまで
それは解き明かしうるものとさえ思われていなかった
だが粘土板は確かに地中に埋まっていたし
それは発掘された
それだけではない
それを読む者さえ
ここにいるではないか
■
(男の言葉)
そうだ
確かにこれを石に刻んだ者がかつてこの地層の時代を歩いていた
そして、この者が視た事実を誰かに伝えようとした
それも確かだ
しかし、考えても見よ
この粘土板が語るように
かつてそれを刻んだ者さえ
当時そのことを信じてもらえなかったのだ
あたかも、わしが今、それを信じてもらえないように
わしの心は初めて自分を選んだ神を憎んだ
■ ■ ■
だが男は立ち直った
粘土板の文字の語る言葉をあまねくこの世に伝えるため
困難な「証明」を書き記すことに決めた
それは彼が解き明かすのに掛けたのと同じくらいの時間と
根気を要求する作業となるだろう
それはあたかも全く無関係に思えるふたつの事実を
一足飛びにつなぐことの出来る
想像力と洞察というものの連鎖であった
直感によって確信された解読
「傷の行列」から内容へ
誰の眼から見ても明らかなほど自然に
つなぎ目がどこにあるか分からないほどの緊密な論理の連鎖で
それらを再びつなぎ合わせるという作業
(男の言葉)
それは、膨大な時間をその作業に費やすことは言うまでもなく
わしに極度の疲労を強いるものだった
だが、それは長大なページを有する7冊分の本の草稿となった
そしてついにそれを世に問う日がやって来たのだ
すっかり髪の白くなったわしは、一度は神を呪ったことを詫び
神に感謝し、自分に降り掛かったこの「幸運」を一人でいわった
■ ■ ■
(語り)
だが、それが完成したとき、
世界はすでに男が粘土板を発見した時と異なる
新たな時代局面に入っていたことを
彼は、知らなかった
それだけ彼はこの本の完成にのみ没頭していたのだ
粘土板が語った内容のいくつかは
恐るべきことに
すでにこの男の住む世界において
実現し始めていたのだった
(男の言葉)
それらの成就がわれわれに何をもたらすのかという
粘土板の告げる最後の言葉さえ
もはやこの世では、珍しいものではなくなっていたのだ
ああ、そしてあろうことか!幼い子供たちまでが、その「言葉」を
口にしていた
人々はもうそれを、薄々とだが、身近に感じ始めていたのだ
(語り)
男がその本の内容の要約をかいつまんで説明したとき
どの編集者もどの出版社も呆然と彼を見つめ、首を横に振った
内容に興味がなかったわけではない
だが、もはや人々は「それ」を証明してもらう必要さえなかったの
だ
(男の言葉)
なぜなら、その内容は、多かれ少なかれこの世を生きる人々が
了解していること
だが決して言葉にすべきでないあることと
瓜二つだったからだ
(語り)
そしてその粘土板の語る言葉
そしてその膨大な証明の手続きを記した草稿
それは誰からも顧(かえり)みられることはなかった
彼は遅すぎたのだった
(男の言葉)
わしはその草稿と足の踏み場もないほどに
部屋を埋め尽くした文献と資料の堆積の中で
倒れた
そして力を振り絞って半身を上げると
天井を見上げ
拳を振り上げ
神を呪った
財産も名誉も要らなかった
わしに必要だったのは、わしの解き明かした言葉に
耳を傾けるごく僅かの人々だけだった
だが、わしは遅すぎたのだった
(語り)
彼の姿を、彼の住んだ町で見かけることはなかった
■ ■ ■
曲がった腰を伸ばし
汚れた手の甲で額から汗を拭い
穴の底から照りつける太陽を見上げる
ぽっかりと空いた真っ青な穴の中心から
白い太陽が容赦なく照りつける
男は自分の掌にあるその小さなものを見つめた
■
それへの最後の別れを告げるために
厳重に縛った包みに入った分厚い草稿とともに
それを、埋め戻したのだった
元あった場所に
「希望」と一緒に
(了)