研究課題 文化交流としての翻訳の意義 研究代表者 小林章夫(英文学科

研究課題
文化交流としての翻訳の意義
研究代表者
小林章夫(英文学科)
共同研究全般及び総括。英日翻訳における新訳の意義。本共同研究の目標、その背景にあるものなどを考察し、同時に、この数年高まりを見せてい
る古典新訳の意義について検討。
共同研究者
山本浩
シェイクスピアの日本語訳の歴史。主に明治以降の日本におけるシェイクスピア戯曲の翻訳の歴史を通じて、戯曲翻訳の問題点を検討することとした。
松本朗
近代日本におけるモダンの成立と翻訳。主に20世紀初頭のモダニズムの系譜と、その影響下にある日本近代のモダン表象に関して検討した。
赤羽研三
ヨーロッパにおける翻訳理論を概観するとともに、主として日仏、英仏の翻訳をめぐる交渉の模様と現状を考察した。
服部隆
欧文訓読と江戸時代のオランダ語研究。近代日本語の成立に一つの重要な役割を果たした欧文訓読の状況を考察し、あわせて江戸時代におけるオ
ランダ語研究がどのような影響を与えたかを検討した。
長尾直茂
江戸時代の中国通俗小説の翻訳。従来、あまり顧みられることのなかった江戸時代における中国通俗小説の翻訳の模様と、それが日本文学に与えた
影響を考察した。
三輪玲子
ドイツ語文化圏の戯曲翻訳。ドイツ語文化圏の戯曲が翻訳としてどのように紹介されたかの歴史と、それをめぐる問題点の考察、今後への展望を検討
した。
樋笠勝士
演奏としての翻訳。翻訳の原理的側面を、美学の立場から検討し、翻訳という活動の基本的思想を考察することをめざした。
研究概要
文化交流の手段として翻訳が重要な役割を果たすことは、これまでの人類の歴史を振り返ってみても明らかであろう。たとえば、キリスト教の宣教にあたっ
て、聖書が各国語に翻訳されたことは大きな影響を与えた。特に一般民衆にあっては、聖書を母国語で読めることがキリスト教理解を深める手段となったこ
とは言うまでもない。あるいは西欧における近代の出発点とも言えるルネッサンスは、ギリシャ・ローマの古典の翻訳があって初めて大きな影響力を持ち得た
と言えるし、イギリス文学に限って言えば、シェイクスピアがあれだけの優れた戯曲を世に送るには、古典や中世の文学、歴史などの翻訳がその発想の根源
として、大きな役割を果たしたのである。
西欧近代を視野に入れても、英仏相互の翻訳をめぐる交流、あるいは19世紀末の英語圏に大きな影響を及ぼしたロシア文学の英訳、アメリカへのフラン
ス近代文学英訳の影響など、これまた類似の例は枚挙に暇がない。さらに20世紀後半、ラテン・アメリカやイスラム圏の文学が欧米に紹介されたのも、優れ
た英訳があればこそのことだった。
しかし、こうした現象は西欧圏に留まるものでもない。日本文化に及ぼした異文化の影響を考えてみれば、古くは中国文化の翻訳を通じての移入があった
し、明治以降は精力的に欧米の文化が翻訳を通じて紹介され、日本近代の形成に一定の役割を果たしたことは忘れてはなるまい。実際、今日われわれが
日常的に使っている言語の中にも、たとえば「哲学」「社会」のように、明治期に翻訳語としてつくられたものが数多くある。
さらに、西欧と日本との関係に絞れば、明治以降は主に日本が翻訳を通じて西欧の文物を学び取った面は大きいにしても、アーサー・ウェイリーの『源氏
物語』の英訳が西欧世界に与えた衝撃は忘れてはならないし、川端康成、三島由紀夫、安部公房などの作品が西欧の読者に受け入れられるには、エドワ
ード・サイデンステッカーを始めとする多くの翻訳者の功績を抜きにするわけにはいかない。そしてこの流れは、今日の村上春樹の世界的に人気にもつなが
ることだと言えるだろう。
このように考えてくると、翻訳とは異文化の交流手段として大きな役割を果たすことはもちろんとして、それを通じて文化に新たな側面をつけ加えて、新しい
文化創造のきっかけとなるとも言えるのではないか。なぜならば、古代の蘇りとしてのルネッサンスも、あるいは近代日本の思想、文化形成も、このような翻訳
の影響を考えずには、十全に捉えることは難しいからである。
上智大学建学の精神の根底の一つにあるのは、異文化の交流、相互理解の深化であり、建学以来その精神を受け継ぐべく、さまざまな研究、教育活動を
おこなってきた。だとすれば、その根幹として文化交流・文化創造の手段としての翻訳に焦点を据え、そこからグローバル化時代の多様な文化の有り様を検
討することは重要な意義を持つと言えるのではないか。
なお、本共同研究では2年間にわたり、4人の外部講師をお招きして有意義な話をうかがうことができた。その顔ぶれは以下の通りである。
沼野恭子(ロシア文学・東京外国語大学講師)
ロシア文学新訳の流れ
今野哲男(フリー編集者・元『翻訳の世界』編集長)
光文社古典新訳文庫出版に携わって
クロード・ユーキリチ(早稲田大学留学生)
村上春樹のチェコ語翻訳の経験から
黒澤政子(洋泉社編集者)
翻訳出版の現状