人権と民主主義の普遍性と平和統一 人権と民主主義についての考えが

人権と民主主義の普遍性と平和統一
人権と民主主義についての考えが、長い人類の歴史の中で、人類共通の常識になってきた
といえるのは、たかだか第2次世界大戦後にすぎないでしょう。その考えは、2008 年に 60
周年を迎えた「世界人権宣言」に集約されています。この「世界人権宣言」の考え方とい
うのは、アメリカの「独立宣言」とか、
「フランス革命」とか、それ以前のヨーロッパの「啓
蒙思想」、そういう考え方を引き継いでいますが、「世界人権宣言」で人類的、国際的な合
意として初めて全ての人間は、生まれながらにして自由かつ平等だと明記されました。
たしかに、ヨーロッパの「啓蒙思想」以来、近代の民主主義や人権の発展は、ヨーロッ
パが主導してきました。しかし、そのヨーロッパが国民国家というものをつくって、国民
と国民以外を差別し、アジアやアフリカ、南米を侵略して植民地をつくるなど帝国主義に
なっていきました。帝国主義になると、国内の国民は一応法的には平等ということになっ
ていましたが、植民地に対してはけっして自由も平等も認めませんでした。
その結果、けっきょくヨーロッパ人同士も、ドイツやフランス、イタリアやイギリスな
どが、アメリカや日本も巻き込んで、植民地の取り合いで戦争をしました。それが第1次
世界大戦、第2次世界大戦であり、何千万人という人間が死んでいきました。人類は、何
千万という人が死んで、このままでは人類は滅びると、やっと気がつきました。
日本は唯一の原爆を落とされた国ですが、このような兵器を使用する戦争をしていたら
人類は滅びるしかないと、ようやく気がついて人権とか民主主義について真剣に考えるよ
うになったのではないでしょうか。それが 1948 年の「世界人権宣言」の発表につながりま
した。
たとえば、参政権が女性に普遍的に認められるようになったのは本当に最近のことです。
フランス革命を行ったフランスでさえ第2次世界大戦後です。ヨーロッパの多くの国も第
2次世界大戦のあとです。
ところが、第2次世界大戦後、そのヨーロッパの植民地から独立した新興国の多くが独
裁国家となり、しばしば人権や民主主義を否定するような体制になりました。日本の植民
地から独立した我が祖国も同様でした。そうした独裁国家は、人権や民主主義をヨーロッ
パの価値観の押し付けであるとか、自国独特の民主主義を標榜したりして、その普遍性を
否定しょうとします。韓国もまた、独裁政権時代「韓国式民主主義」を唱えたことがあり
ました。しかし、韓国では、国民が独裁政権と闘って民主主義を勝ち取り、人権を尊重す
る国に変わりました。世界的にも稀有な事例であるといえるでしょう。
一方、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は、社会主義、共産主義を標榜しなが
ら、独裁体制を強化しただけではなく、最高権力者の世襲にまで突き進みました。世襲が
社会主義国からも批判されると、「我々式社会主義」と強弁さえしました。社会主義も、民
主主義同様、本来普遍的な理念であり、価値観です。したがって、社会主義も民主主義も、
その普遍的理念と価値観を基準として判断されるべきものです。普遍性を否定して「韓国
式」「我々式」といった特殊性に開き直ることは、「韓国式民主主義」が民主主義ではなか
ったように、「我々式社会主義」も、もはや社会主義とはいえないことを露呈しているとい
うことです。
では、社会主義の理念とはなんだったのでしょうか?それは、資本主義体制よりも、人
類の自由と平等を実現しょうとするものでした。プロレタリアート独裁という概念も、民
主主義の否定ではなく、大多数の労働者の権力は少数の資本家の権力よりいっそう民主的
であるという考えであり、しかも共産主義の実現とともに最終的にはプロレタリアート独
裁も消滅することが前提とされていました。現実の共産主義運動、社会主義国家の実態が、
この理念から外れ、理想からほど遠いものになったことは、歴史が物語っていますが。と
はいえ、社会主義に対抗して、資本主義国においても、社会福祉の向上、民主主義の発展
などが図られるようになったことも事実でしょう。
結局、今日の国際社会で、人権と民主主義は、普遍的価値として、その普遍性をますま
す認められています。たとえば、ベトナムのような社会主義国、ミャンマーのような軍事
独裁政権も加盟している ASEAN(東南アジア諸国連合)が 2015 年の実現を目指している
「東南アジア共同体」も、その理念として明確に、人権と民主主義を掲げています。ASEAN
は、この枠組みの中で、ミャンマーの民主化も徐々に導こうとしているのでしょう。
ところで、ミャンマーのような軍事独裁政権であり「先軍政治」を掲げる北朝鮮が、民
主主義についてどう考えているのかをうかがい知ることのできる記述に出会って考えさせ
られたことがあります。それは、北朝鮮に太陽政策を進める金大中元大統領の特使であっ
た林東源元国家情報院長官が、その著書で紹介している金正日国防委員長の発言です。金
正日国防委員長は、
「自分には民主主義が理解できない。朝鮮王朝末期の党派争いのような
ものではないか」と率直に語っているのです。国名に民主主義が付いている国の最高指導
者であるにもかかわらず。民主主義は国の団結を妨げ、国を滅ぼすものだと考えているよ
うです。時代錯誤もはなはだしい考え方といわざるをえません。
ワンコリアフェスティバルが目指す平和統一も「東アジア共同体」も、人権と民主主義
を理念とし、その実現を目指していることは、この間一貫して主張してきたところです。
人権と民主主義の実現を目指しながら、軍事独裁政権であり、最高指導者が民主主義に対
してこのように否定的に考えている北朝鮮と、いかにして平和的な統一を成し遂げるべき
かを考える時、体制や価値観の違う国の集まりである ASEAN のあり方から学ぶことは非
常に重要だと思います。
「東南アジア共同体」が「東アジア共同体」につながることを思え
ば、なおさらでしょう。