石鎚で見つかった新種 タカネルリクワガタについて

第 43 回特別展「愛媛と世界のクワガタムシ」解説書
石鎚で見つかった新種 タカネルリクワガタについて
【新種タカネルリクワガタの発見、そして、保全に向けて】
2007 年 6 月、横浜市の昆虫研究家、井村有希氏は石鎚山系でのルリクワガタ調査中
に、これまで知られていた種と様子の異なる個体を採集しました。詳細な分類研究の結
果、従来ニセコルリクワガタという和名で知られていた種の中に、明らかな新種が含ま
れていることが分かったのです。
2007 年 11 月、この新種はタカネルリクワガタ Platycerus sue の名で学会に発表
されました。現在、世界でも石鎚山系とその周辺の高所(標高約 1600m 以上)にしか
生息していない学術的に貴重な種として、専門家やアマチュア昆虫研究家などの間で注
目されています。
新種として発表された段階では生息地は伏せられままで、
「石鎚山系」ということが具
体的に公表されたのは 2008 年 11 月。松山市で開催された日本分類学会・日本鞘翅学
会・日本甲虫学会の合同大会での発見者(新種記載者)による特別講演の席上でした。
新種の生物が発表される際、その生息地が公表されないのは異例のことで、このような
措置が取られたのには以下のような理由がありました。
○ルリクワガタの仲間(日本には現在 10 種が生息すると考えられている)は、その美
しさなどから愛好家からの人気の高いグループである。
○日本のルリクワガタの仲間では 20 年ぶりとなる新種の発見であり、その生息範囲が
非常に限定されている可能性が高い。
○詳しい産地の公表は、全国からの採集者の殺到と乱獲が予想され、これらを原因とし
た生息環境の破壊、つまり石鎚山系の森林環境の破壊を招き、社会問題にまで発展す
る可能性が高い。
石鎚国定公園には自然公園法による特別保護区(採集禁止区域)が指定されていない
ため、基本的には昆虫採集は可能です(厳密には国有林内ですので、入林許可を取る必
要があります。)。そのため本種と生息環境の保全に対する法整備等が整うまでは、具体
的な生息地名の公表を控える、という形がとられたわけです。
しかし、新種発表から 2 ヶ月もしないうちに、ネットオークション上で本種が売買さ
れるという事件が起こってしまいました。落札価格はペアで 113,900 円。希少な本種
が高値で取引されるという事態に、環境省と日本鞘翅学会自然保護委員会が対応を協議
し、結果、2008 年 3 月 26 日付で本種は環境省の『種の保存法』に基づく緊急指定種
に指定されたのです。今後最長で 3 年間は、採集や販売、譲渡などが禁止されることと
なりました。
現在、環境省から委託を受けた鞘翅学会自然保護委員会の調査メンバーが、本種の保
全に向けた学術調査を進めています。主な調査内容は、垂直・水平分布の新知見収集や
成虫の行動の確認、近縁種や他の昆虫との相互関係などの解明で、2009 年 6 月~11
月に実施した調査では、多くの新知見が得られています。これらの結果については、今
後、日本鞘翅学会の大会や関係雑誌等で公表されることでしょう。
本種は石鎚山系の標高約 1600m 以上の高所に生息していますが、この範囲ならどこ
にでもいるわけではなく、ごく限られた環境にのみ生息しています。メスは朽木に産卵
しますが、その朽木にも強い嗜好性があり、単に枯れた木が地面に転がっていればいい
というわけではありません。森林の状態、湿度や温度など微妙な環境条件にその生息が
左右されているようです。現在のところ、近縁種との類縁関係やなぜ本種がこの地域に
のみ生息するようになったかという種分化の過程は解明されていません。標高約
1600m 以上というと、西日本では比較的稀な冷温帯林のブナ林とその上部にシラベを
中心とした亜寒帯林が広がる地帯です。ここには氷河期の名残と考えられている北方系
の生物の存在が知られ、植物では非常に珍しい高山性植物が多数見られる環境です。本
種の種分化の道筋にはこれら北方系の生物たちと何らかの関係があるのかもしれません。
昆虫は地球上に 100 万種以上が生息するといわれ、現在でも毎年世界中から 1,000
種を超す新種が報告されています。日本国内でも新種は稀ではありませんが、非常に愛
好家の多いクワガタムシの仲間では例外といえます。もう日本中が調べつくされたと考
えられていたのです。今回の発見は日本のクワガタムシ科では 13 年ぶり、ルリクワガ
タの仲間では 20 年ぶりとなる大発見なのです。本種の発見は石鎚山系の生物多様性を
象徴するものであり、今後、その生態や進化史が解明されることによって、更にこの地
域の特異性が浮き彫りとなることでしょう。
~~~タカネルリクワガタとはこんなクワガタムシです!~~~
分類
コウチュウ目クワガタムシ科ルリクワガタ属の一種
体長
オスで 10.2~12.1mm、メスで 9.8~12.1mm
外見の特徴
ルリクワガタの仲間はその名の通り、体全体が美しい瑠璃色をしている。本種のオス
は特に青みが強いのが特徴である。
分布
石鎚山系(石鎚山、岩黒山、瓶ヶ森など)と東赤石山の標高約 1,600m以上の地域。
近縁のシコクルリクワガタとは 1,500~1,600mの範囲で混成しているが、大体標高約
1,600mを境に棲み分けている。
生息環境と生態
冷温帯林(ブナ林)上部や亜寒帯林(シラベ林)に位置する落葉広葉樹林。カエデ類、
トネリコ類、ミズナラなどを主体として疎林に生息する。幼虫はこのような疎林の地面
に落ちている朽木に見られる。成虫は 5~6 月にミズナラやトネリコ類の新芽に飛来する。
交尾は新芽上や朽木上で行われ、6 月には朽木の裏側でメスを待つオスや交尾中のペア
を観察することができる。
発見者(新種記載者)
井村有希氏(横浜市在住の昆虫研究家)
発見された場所と採集したときの様子
2007 年 6 月、石鎚山土小屋登山道(標高約 1600m)でミズナラの新芽に飛んできた個
体を採集した。
新種と判断された根拠
オス・メス共に交尾器の構造が近縁種と明らかに異なっている。
近縁種との見分け方
本種のオスは特に青みが強いのが特徴で、一部同所的(同じ場所)に生息するシコク
ルリクワガタが緑色が強い傾向があるため、体色で見分けることができる。また、オス・
メス共にずんぐりとした体型をしている。その他、近縁種との微細な違いはいくつかあ
るが、顕微鏡を使わなければ確認できないものばかりであり、個体変異もあるため、外
見での同定は非常に難しい。
本種の保全
本種は 2008 年 3 月 26 日付で、環境省によって「種の保存法」に基づく緊急指定種に
指定されているため、最長で 3 年間は採集や販売、譲渡などが禁止されている。現在の
ところ、環境省から委託を受けた日本鞘翅学会自然保護委員会が中心となって、現地調
査を進めており、本種の詳しい分布や生態の解明を目指している。今後、これらの結果
を基に本種の保全に対する最終的な方針が立てられる予定である。
また、面河山岳博物館では 2009 年 7 月 18 日から 8 月 30
日までの期間に、特別展「愛媛と世界のクワガタムシ~石
鎚で見つかった新種 タカネルリクワガタ~」を開催。本種
に関する正確な情報を一般に公開し、本種の保全や石鎚山
系の自然の希少性を呼びかける。
保全に向けての問題点
これまでの調査では、登山道からごく近い森林内部で明
らかにルリクワガタを狙ったと思われる朽木を崩した痕跡
がいくつか見つかっている。このような悪意のある採集者
には目を光らせる必要はあるものの、石鎚には違法行為で
はない通常の昆虫採集を楽しむ愛好家も多数訪れているた
め、これらの方々が不利益を被るような状況は避けなけれ
ばならない。そのためには本種に対する正しい情報だけで
なく、昆虫採集や標本の意義についても正しい情報を提供
し、通常の採集に対する一般登山者等の理解を促す必要が
ある。
タカネルリクワガタ(オス)
Platycerus sue