図書館だより - 大島商船高等専門学校

図書館だより
第22号 平成26年3月発行
大島商船高等専門学校図書館
山口県大島郡周防大島町大字小松1091番地1
図書館だより第22号
目
次
巻頭言
図書館長
一番ヶ瀬剛
1
商船学科 2年
廣田 琴美
2
商船学科 3年
田中 友美
3
電子機械工学科 1年
青木 悠太
4
商船学科 3年
森政 裕輝
5
電子機械工学科 3年
柿本 福実
6
吉崎
香
7
商船学科 2年
瀧口 拓海
8
電子機械工学科 2年
松村 元雅
9
情報工学科 2年
岩本 真樹
10
商船学科 1年
金重 凌汰
11
『銀の匙』を読み終えて
情報工学科 1年
青木 雛子
12
教員が今すべきこと
情報工学科 1年
今津 拓哉
13
山田
博
14
田口 由香
15
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
最優秀賞
『とんび』を読んで
優 秀 賞
『決断力』を読んで
故郷
佳
作
私の父
『とんび』を読んで
継続
ケストナーの願い
自分にとっての学校
高校生
『桐島、部活やめるってよ』を読んで
情報工学科 3年
推薦図書の紹介
ひびけアルプホルン 森は素敵な音楽堂
池上彰の 20 世紀を見にいく
情報工学科
一般科目
シブすぎ技術に男泣き!
技術支援センター
堀
義則
16
ライブスチームのシェイを作ろう
技術支援センター
堀
義則
16
海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年
技術支援センター
堀
義則
17
ブックハンティングに参加して
18
図書館利用状況
20
巻頭言
図書館だより第22号
冬の夜空
図書館長 一番ヶ瀬 剛
私は、九州の北部、佐賀県の山岳部で育ちました。子供の頃は、毎日が退屈で何か暇つぶしを
しようと思えば、身近にあるものしか相手をしてくれません。そうは言っても、親と別居してい
たので、何をしようかと相談する相手もなし。そこで相談相手は、実は図書館だった訳です。
読書で、物語ものを読んでいては時間をつぶせても、すぐに退屈するので、手当り次第に身近
にできることはないかと探しました。その中で、星を見るということに突き当りました。これは
夜になれば、誰にでも見ることができる、しかも大した道具もいらないということです。
星を眺める人には二種類あるようです。空にある星の配置をみて、ギリシャ神話の神々の物語
を想像する人、もう一つのタイプは何で星の光が見えるのかと詮索する人です。
私の場合、ロマンチストでは無かったようで、後者の人種であったようです。いわゆる天文学
に興味をもちました。天文学をやろうと思うと望遠鏡が必要になる。当然そんなものは簡単に手
にはいらない。そこでどうするか、また図書館の先生(天文学の本ですが)に聞いてみると、どうも
レンズがあれば作れるらしい。虫眼鏡(ルーペ)なら学校の近くの文房具屋さんに、当時の値段で
10 円か 50 円ほどで手に入りました。10 円の安物は倍率が低いのですが、50 円のルーペは立派
で、倍率も高い。ところが安物のルーペを星に向けて高い方のルーペで覗くと、これがなんと大
きく見えることに気づきました。オランダで望遠鏡が発明されて何年経過していたでしょうか。
結局、星を鑑賞するより望遠鏡の方に惹かれてしまいました。それは、それで飽きてくると、今
度はあまりお金も労力のいらない方法で暇つぶしをすることになります。空想の世界で暇つぶし
をする方法です。それでも先ほどの、ギリシャの神々を思い、感慨にふけるのではありません。
星はどうして光っているのか、宇宙人は存在するのか・・・。そのような類の本を読み漁り空想
にふけるのです。
それから何年も経過して実家を離れて生活し、仕事帰りの道すがら、すっかり暗くなった頃、
空を見れば星が見えます。年齢を重ねても星の配置は変わらず、その後に 30 年近く過ごした大阪
の空でも星は同じ配置に見えました。大阪は夜でも空が明るいので、明るい星しか見えませんで
した。しかし、何か長い人生でいろんなことがあるたびに同じ星座を見ていたのを思い出します。
特に冬の空は比較的澄み切っており、よく見えます。こちら(山口)に来て、何気なく夜の空を見る
と、なんと美しい星座が見えることか、と最初驚きました。それと同時に、子供のころの思い出
が一気によみがえりました。同時に、あの頃の先生だった図書館の事も思い出しました。最近は
インターネットという便利な道具もありますが、図書館先生もなかなかいいですよ。時間をかけ
て図書館で本を探して、関連の本を読み続けると、空想の世界にひたれますから。
1
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
とんびを読んで
『とんび』
重松清著
角川文庫ほか
商船学科2年
廣田琴美
私はこの本を読み終わった後、ひどく自分が情けなく思えた。家族に、周りの人たちに支えられて
生きている。そんな簡単なことさえも私は、忘れてしまっていたということに気付かされたからだ。
私には、家族は誰一人欠けることなく私の近くにいて、私を支えてくれる人もいる。彼らは家族を亡
くしていた。それでもいろんな人に支えられて生きてきた。私は家族がいてもそれを幸せだとは感じ
なかったし、みんなに感謝だってしていなかった。彼らはみんなに感謝して、育つ喜びを噛みしめ生
きていた。今思い直してみれば家族がいることで救われてきたことがたくさんある。友達と喧嘩した
り勉強や学校生活がうまくいかなかったとき助けてくれたのは家族だった。家族同士で問題があった
ときも他の家族は気を使ったり、仲を取り持ってくれた。そんな大切な家族がいることにも私はあた
りまえだとおもってしまっていた。もしも、みんながいなくなってしまえば、私は悲しみ今までの幸
せを何の気なしにすごしていたことを激しく後悔するのだろう。こんなに簡単に想像できてしまうの
になぜ私は忘れてしまっていたのか、失ってからでは遅いのに。
私は今祖父母と一緒に暮らしている。最初こそ新鮮な環境に楽しく暮らしていたが、価値観の違い
などにより私はこの生活が嫌でたまらない時期があった。共通の話題で盛り上がれることもない、話
が噛み合わずにイライラすることもたくさんあった。それでも私はこの家に置いてもらっていて、わ
がままだっていっぱい聞いてもらっていたので何もいえなかった。特に、二人におせっかいなことを
言われるのが一番腹が立った。放っておいてほしい。そう思っていた。
そんな毎日が続いていたある日、この本を読んだ。特にアキラが中学生のときのヤスさんの思いに
私は胸が痛くなった。心配して心配してかけてくれる言葉も気を利かせてくれた言葉も行動もすべて
無愛想な態度でつき返す。二人もこんな思いをしていたのだろうか
愛する子供にその気持ちが伝わらなかったヤスさんと同じように寂しかったのだろうか。
ごめんなさいという気持ちとありがとうという気持ちでいっぱいになった。いままでたくさんわが
ままをして嫌な思いをさせてきたことへのごめんなさいといままでたくさん愛してくれたことへのあ
りがとうだった。やっと気付くことができたのだ。これからはこの思いを忘れずに過ごして生きたい
と思う、感謝して喜びを噛みしめて、そして今はまだ気恥ずかしくて言えないけれどいつかありがと
うと言えるようになりたい。
その後海雲和尚の手紙に書いてあった言葉を読み私も涙をこぼしそうになった。支えられ、守られ、
育てられてきたのは私だって同じだ。そしてこれはとても幸せなことなんだ。いままで気がつかなか
った私の愚かさがいやになって、今ある大きな幸せに嬉しくなって私は泣きそうになった。
みんながいて、たくさんみんなが愛してくれた。アキラと私は同じだった。いろんな人に支えられ
て育てられてきた、親に愛されて生きてきた。それが何より幸せなことだった。
親が一番自分を大切にしてくれる。当たり前だけど一番幸せなこと。そして自分もそうなのだという
ことを知ることができた。おそらく親の愛とはいつも変わらないものなのだろう。どんな時代も、ど
んな世界も親が我が子へ向ける愛は不変なのだ。きっと祖父母の愛を両親がうけ、両親からの愛を私
がうけた。この愛はずっと続いていくのだろう、リレーのように受け継いで渡して。理解されないと
きもあっただろう、愛が返ってくるとは限らない。それでも渡しつづけて次に繋がれることを期待し
て。今この世界はこんな美しい愛が繋がれてできた世界なのかも知れない。そう考えたら、やさしい
気持ちでいたい、感謝の気持ちをもって毎日を過ごしたいと思えるようになった。
2
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
『決断力』を読んで
『決断力』
羽生善治著
角川 one テーマ 21
商船学科3年
田中友美
「王道、本筋を行くことが非常に大切なのだ。楽観はしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平
常心で。」という部分が心に残っている。「勝つ秘訣は?」という質問に対しての答えだ。将棋で王道
をやると先が読まれて負けてしまうのでは無いかと思った。しかし、この「王道」というのは、相手
を罠にかけるような手ではなく、自分がベストだと思った手を指すということだと分かり、なるほど、
と思った。相手を出し抜くことばかり考えていては勝てない。ただ自分のベストを尽くせるように行
動することが大切である。確かに大記録を打ち立てたスポーツ選手の多くが、インタビューなどで「ベ
ストを尽くせるように」と答えているのをよく見る。相手を出し抜く、打ち負かすこと考える余裕も
ないくらい自分のプレーや演技に集中するんだなと思った。学校の授業や勉強でこれくらいの集中力
を発揮できたらいいのになと思った。
“Keep simple,stupid.”というフレーズも心に残っている。私はよく「難しく考えすぎだよ」と言わ
れる。そんなこと言ったって考えないとうまくいかないじゃないかと毎回思う。しかし、結局どうす
れば一番いいかが分からなくなり、最初に思い付いた方法を試す。上手くいく割合は五分だが、時間
をかけてあれこれ考えるより、まずは最初に思いついた方法をやってみるのもいいかなと思った。
「知識を『知恵』にする」という言葉も印象的だった。私が良く数学を教えてもらう人がいる。そ
の人は私が十分かかる問題を一分で、しかも途中式をほとんど書かずに解いてしまう。解けない問題
を見てもらっても、すぐに解き方をいくつか挙げて頭の中で少し計算して、このやり方で解けるとい
う解き方を割り出してしまう。この人も数をこなせば出来るようになると言っていた。近道を見つけ
ようと思えば、見付けられるようになるまでに、じっくり時間をかけることをやってみようと思った。
私は今まで、いかに安全にリスク避けて通れるかを探すのが一番いいと思っていた。しかしこの本
には、
「積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にする」とあって、こういう考え方もある
のかと、少し驚いた。また、
「リスクの大きさはその価値を表していると思えば、それだけやりがいが
大きい」とある。確かに成し遂げることができれば達成感は大きいと思う。しかし、どうしても失敗
したときや、ダメだったときのことを考えてしまい、リスクを負わずに済む方に逃げてしまう。失敗
しないから後悔することはあまりないが、何となくすっきりしないことも多いし、達成感もあまりな
いなと思う。だから、リスクに向かっていける人はすごいなと思う反面、私には真似できないなと思
う。著者の羽生善治さんは、ポジティブで度胸のある人なんだなと思った。
私は現在、最強の棋士と言われている羽生善治さんでも、新しい戦型を指すと、失敗することが多
いということを少し意外に思った。中学生でプロの棋士になっているし、史上初の七冠達成を成し遂
げている。もちろん大変な努力をされているとは思うが、才能があるからどんな局面でも対応できる
のだろうなと思っていた。しかし、羽生善治さんは、失敗しても前回よりはマシになるだろうと、何
回も新しいことに挑戦している。
「成功する可能性がある限りは新しいことに挑戦していきたい」とい
う姿勢が羽生善治さんの強さなんだなと思った。
私は、この本を読んで、羽生善治さんはすごい人なんだなとあらためて思った。将棋が強いのはも
ちろんだが、ものごとの受けとり方、考え方がポジティブで、かつ、客観的に判断できる。このこと
は、日常で生活の中でかなり役立つのではないかと思う。これからの生活の中で、この本で学んだこ
とを、活かしていければいいなと思う。
3
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
故郷
『とんび』
重松清著
角川文庫ほか
電子機械工学科1年
青木悠太
僕には家族がいる。両親もいれば、兄弟もいる。僕が生まれて十六年、一人も離れることなく今ま
で育ててもらった。だからこそ、父一人子一人の寂しさはわからない。自分の代わりに子供の世話を
してくれる妻への父の寂しさも、毎日顔を見合わせては喧嘩することができる兄弟や心から甘えられ
る母親のいない子の寂しさも、一度も考えた事がなかった。親兄弟がいることを当たり前に思ってし
まっていた。だけど、読んでいるうちに自分が涙を流していることに気づいたことが多々あった。人
の人生の中にある幸せ、温もり、尊さ、そして儚さ、脆さ、寂しさ、冷たさをほんの三十六ページで
伝わってきた。一生懸命毎日を幸せに生きていて、それが突然失われる悲しさは生きるすべての人が
必ず経験するものだと、僕は思う。今はまだ傍にいてくれる家族とも、いつかは遠く離れてしまう。
そうやって大人になっていくのだと、親から教わった。
親とは、割に合わないものだ。生まれて手に抱いたときから育ててあげてきて、いざ子供が社会に
入っていくと自分が不憫に思ってしまう。親とは、寂しいものだ。小さい頃から毎日顔を合わせて生
活してきて、そのうち子供が新しい家庭を築いていると嬉しい反面、さびしく思えてくる。親とは、
哀しいものだ。自分の子供が問題を起こせば、一番頭を下げなければいけない。親が子供に説教して
も、反抗されてしまうときもある。親とは、一所懸命なものだ。どんなに割に合わなくても、どんな
に寂しくても、どんなに哀しくても、たとえどんなに自分の望み通りに育たなくても、親は子供のた
めに一所懸命になれる。親とは、素晴らしいものだ。
僕の母親は、いつでも他人の事を第一に考えて行動している。そこが僕の好きなところである。僕
の父親は、どんない苦しい事にも途中で投げ出さずに最後までやりとげようとしている。そこに僕は
尊敬している。子供は親の背中を見て育っていく。最近父親に似てきたとよく言われるが、顔以外に
もそんな親の性格に似てきたのだと思う。
親は子供に期待するものだ。その期待が、時に重荷になる。学校で良い成績をとれば、悪い成績に
なることは許されないものになる。一度決めた事は、やめることも諦めることもできない。親の期待
に応えるのは難しいものだ。そんな中、
「とんび」の中にいる一人の少年をみた。アキラだ。弁護士に
なるため法学部に入ったが、いつの間にか法学とはかけ離れた雑誌の編集へとなっていた。その事を
初めて親に伝えたとき、さすがに激怒した。自分の望み通りにいかないことに腹を立てるのは、誰に
でもある。だが、物語の父親は息子が雑誌に記事を書いた時、飛び上がるほどに嬉しそうにしていた。
本当は望みなんて関係ない。自分の子供が何かしらの形で成功することが、一番嬉しいのであると思
う。
僕は泣いた。ああ、簡単なことだったのだと、初めて知った。僕らは愛されている。親の望みを叶
えてあげることなど、子供が考える必要はない。ただ、毎日を生きていけばいい。物語の父親の台詞
で、
「幸せになりんさい。金持ちにならんでもええ、偉いひとにならんでもええ。今日一日が幸せじゃ
った思えるような毎日を送りんさい。明日が来るんを楽しみにできるような生き方をしんさい。親が
子どもに思うことは、みんな同じじゃ、それだけなんじゃ」というものがある。いつの間にか、涙で
字が滲んでいた。
僕は明日が怖いと思うときがある。まだ言葉通りの生き方ができていないのだろう。これから短い
将来、僕は親の元から巣立っていく。考えていると不安や寂しさが、一斉にやってくる。だからその
時がやってくるまでは、一日の中で起きた幸せから、また明日が楽しみだと思えるようになるくらい
にはなっていようと思う。そして、つまづいたり落ち込んでしまった時は、もう一度読んで故郷や家
族の事を思い出していこうと思う。
4
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
私の父
『とんび』
重松清著
角川文庫ほか
商船学科3年
森政祐輝
ヤスさんは、父さんにそっくりだな。この本を読んでそう思った。不器用で、単純で、純粋で、家
族の事が大好きな父。でも、そんな気持ちを素直に表現できない歯がゆさから、酒を呑んで都合が悪
くなると、すぐに家族を怒鳴りつける。私はそんな父を怖いと思ったり、嫌いだと思ったりしていた
が、この本を読んでから父の気持ちがわかった気がする。
幼い頃に親と離別したヤスさんと、同じく幼い時に原爆で家族を亡くした美佐子さん。親を亡くし
た二人がアキラの親になり、ようやく家族の温もりを手に入れる。しかし、その幸せは突然の悲劇に
より失われてしまう。母美佐子さんが、アキラをかばって倒れてきた荷物の下敷きになって亡くなっ
てしまったのだ。小さな一人を守るため、優しい一人の命が奪われてしまった。母のいない寂しさを
カバーしようと、父のヤスさんはもちろんのこと、この親子を見守ってくれる周囲の人達の愛情の深
さに感動した。アキラは、海雲和尚、照雲、たえ子、幸恵、会社の同僚の人達などの温かい支えがあ
ったからこそ、真っ直ぐで、立派な人間に成長することができたのだと思う。
しかしそんなアキラにも反抗期があった。野球部の後輩の尻をバットで殴って怪我をさせたのだ。
反省していないアキラの頬をヤスさんは殴ってしまう。後輩の親にアキラと共に頭を下げるヤスさん
だが、後輩の父親はアキラが退部するまで許さないと言う。そこでヤスさんは「アキラは部活に明日
からも行くけえの。親の責任より愛が大事じゃ。」と言って追い帰した。アキラは嬉しかっただろう。
私もアキラと同じように、中学の頃に少しだけ反抗期があった。父や母に暴言を吐いて、父に殴られ
た事もあった。殴られた悔しさと痛さで泣いてしまったが、あの時殴った父の心の中は、もっと痛か
ったに違いない。私の母は、美佐子さんのように穏やかで、優しい母ではない。しつけに厳しくて、
毎日のように小言を言っている。正直ウザいと思っていた小言も、すべて私への愛情からなのだと思
うと、少しは素直に聞けるようになった。
私が一番心を打たれたところは、ヤスさんがアキラの子育てに悩んだ時、海雲和尚が言った言葉だ。
海に降る雪を見ながら、
「ヤス、お前は海になるんじゃ。雪は悲しみじゃ。お前は地面になったらいけ
ん。なんぼ雪が降っても、それを呑み込んでいく、海にならんといけん」と導いていた。親とは知ら
ん顔をして、海のように広い心で、子供の辛さや悲しみをすべて受け止めていくものなんだな。私の
両親もこうやって私を育ててきたんだろうな。私も将来こんな父親になれるだろうか?
私がここまで成長してきた過程には、色々な苦労があっただろう。私の両親も、ヤスさんのように、
戸惑い、悩み、時には哀しんだに違いない。親になるということは、割に合わないことだらけだ。寂
しくて、哀しくて、愚かで、一生懸命で、だけどやっぱり親になってよかった、と思うのだろう。私
達兄妹の幸せだけを願いながら、毎日悪戦苦闘して働いてくれている両親の事を思うと、少しは手伝
いもしてあげなくては、と思うし、優しい言葉もかけてあげようと思う。
親子といっても様々で、ヤスさんと実父、たえ子さんと実子、海雲和尚と照雲和尚親子、由美さん
と健介のようにそれぞれの親子の形があり、それぞれ違った物語がある。変わらないのは子を想う決
して揺るがない親の気持ちだ。親ってこんなにも子供のことを思っているんだな。「親の心子知らず」
という言葉がある。でも、アキラは何も言わなかったが、ちゃんとわかっていた。父の思いや、優し
さ、父と一緒に自分を育ててくれた周囲の人達への感謝の気持ちを入社試験の作文に綴っていた。親
の愛はちゃんと伝わるものなのだ。本当に親ってすごいな、と思う。しかし最近では、ネグレクトや
暴力、ひどい虐待の事件が毎日のようにニュースで流れている。本当に悲しいことだ。ヤスさんのよ
うな親が少なくなってしまったということだろう。
この本を読み終えて、これからは私も親孝行をしなくては・・・と思った。家族はもちろん、友
達、地域の人達、色々な人に支えられて、私は生きているのだ。当たり前の日常がどんなに幸せなこ
となのか、忘れてはいけないと思った。この本はとんびが鷹を産んだという言葉から、「とんび」と
いう題名がついたものと思われる。しかしヤスさんはとんびではなく、立派な鷹だと思った。私もい
つか親になる時がくるかもしれない。その時にもう一度読んでみたい本だと思う。
5
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
とんびを読んで
『とんび』
重松清著
角川文庫ほか
電子機械工学科3年
柿本福実
私には両親がいる。挨拶をすることと,箸の持ち方などの作法には人一倍厳しかった母と,周りの
人に恥じぬ人間に育てようとした父がいる。母は同性というのもあり,とても仲が良かった。母の作
った料理はやはり忘れられない味となっている。しかし父と私は母ほど仲は良くない。私が反抗期を
引きずっている所為なのかもしれない。母はそんな私たちの橋となってくれている。
とんびの主人公,ヤスの息子のアキラのように母を幼いころに亡くしていたら,私たち親子はどう
なっていたのだろうかと思う。アキラは途中で反抗期が来たが,それでも夢に向かって素直にすくす
くと育ってゆく。父親しかいなかった,世間でいう不憫な子だったのかもしれない。しかしアキラに
は母親に代わる優しい大人たちがいた。皆いろいろな過去を背負って生きている大人たちが。
ヤスは不器用な父親だ。頑固おやじのような,でもそんな中に優しさが垣間見える父親だった。周
りにいるヤスの友達もそんなヤスが好きだったし,ヤスの一人息子のアキラが大好きだった。アキラ
が大きくなるにつれて,ヤスにとって親のように育ててくれた和尚が死に,ヤスの本当の父親も死ぬ。
さまざまな形の親と子が描かれた作品だった。
自分にも夢はある。幼稚園の時は看護師,小学校では動物を飼っていて獣医という夢を見つけられ
た。しかし私は小学生最後の時に夢を自分の手で潰してしまった。夢を追い求めることでたくさん失
うものがあったからだ。中学受験を行い,中高一貫の女子中学校へ行こうとその頃の私はしていた。
今は成績は芳しくないが,小学時代はわりとできる部類だったから受かる自信がなぜか私にはあった。
行きたいと強く願った要因は,私は親友と大喧嘩をしていたことや,自分の絵が本当に下らない理
由でバカにされたのもある,姉が素晴らしくできる人でいつでも劣等感に溢れていたのもあると思う。
簡単に言うと自分は自分に自信がなかった。親から「自分を点数に置き換えると?」と質問されたら
「百点」と元気いっぱいで答えていた幼い私ではなくなっていた。どうして自分にはできないのか。
テストではいつでも満点でないと不安だったし,何があろうと姉に勝たないといけないと思っていた。
そんな自分が嫌いで,そんな思いが自分にあると信じたくなくて,自分にだってできると証明したか
ったのか,親の期待に応えられるような人間じゃないということを伝えたかったのかもしれない。自
分が怖かった。未来が怖かった。大人の目が何より怖かった。
私は親に何度もそこへ行きたいと伝えた。そこが母校だという友達の母親に様々な質問をした時も
あったし,必死に本当の自分の汚い気持ちを隠し,ただ夢を求める小学生の少女になっていた。
勿論ダメだった。理由は遠いからだったと思う。とんびをよんで,アキラが少しうらやましかった。
自分は自信をつける場所を失ってしまい,普通の中学へいってようやく高校受験で色々な人を見返し
てやった。苦手だった父親も驚いていた。家族と離れてようやく自分は自分になれたと勝手に思って
いる。
私には両親がいる。父と母がいて,祖父母も支えてくれる姉もいる。私はそれがふつうだと思って
いる。だからこそ私は一人でもかけたらそれこそ私ではない得体のしれない何かになっているのだろ
うか。それともとんびのように色々な大人に支えられ,自分に慣れたのだろうか。
とんびで,父親を知った。私の父ととても似ていたため,昔の自分をアキラにのせ,ヤスに私の父
を思い浮かべて読んだ。口には出せないが,すごくうれしくて,照れくさくてもどかしかった。そし
てなんだか心が温かくなった。母の日は良く祝っていたが,いままで父の日をちゃんとあげた事がな
いことに気が付いたのでこれからはちゃんと感謝を言葉に伝えたいと思った。
自分は自分になれていない不完全な人間だと思うが,それでも父の子だと誇りをもって生きようと
思う。
6
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
継続
『スタンフォードの自分を変える教室』
ケニー・マクゴガル著 神崎朗子訳 大和書房ほか
情報工学科2年
吉崎
香
このような形式の本は、今まで読んだことがなかった。私達人間に備わっている「意志力」の正体
について詳しく解説するとともに、意志力を高めるための実験を提示してくれる。まるで学校での実
験実習のようで面白く感じたので、私も意志力を高める実験をしてみようと思った。この文章は、読
書感想文というよりは、実験レポートのようなものになるだろう。
とりあえず、自分のチャレンジを選ぶようにと書いてあったので、
「読書感想文の課題図書(この本
)を一日で読み終わる」という目標を立てた。この目標の達成を目指しながら、この本の第一章「や
る力、やらない力、望む力」の解説、実験についての感想、結果を述べていくことにする。「やる力」
とは、やらなければならないことをすること。「やらない力」とは、何か誘惑に打ち勝つこと。「望む
力」とは、自分の本当に望むことをするために自制心を発揮することである。今の私の目標をこの三
つの力に分けてみると「課題図書を一日で読み終わる」、
「携帯やパソコンでゲームをしない」
「読書感
想文を早く終わらせて、楽をする」となる。意志力とは、人間が本能に従いすぎて破滅しないように
するブレーキのことである。今、私はパソコンで感想文を書いている。こうしているときもゲームを
しないように自制心が働いているのだ。失敗する瞬間に気づく。自分が目標達成のために頑張ること
をやめたり、忘れて別のことに走ったりするのはどんなときか。私は横になって本を読むことが多い
のだが、それが目標達成の妨げになった。また、携帯を目の届く所に置いておくと、ゲームをしたく
なることがわかった。これらの障害物を取り除くと、あっという間に本を読み終わった。たったこれ
だけのことで、問題が片付いてしまったのに驚いた。ここで、自分の目標に関する実験は終わりとな
る。
この章では、意志力を高めるための基本について記述してあった。簡単にまとめると、
「継続して行
う」、「諦めない」ということである。また、ここでは意志力を高めるためのエクササイズとして瞑想
を挙げている。椅子または床に良い姿勢で座り呼吸だけに意識を集中することを数分間無理のない程
度で行う。これを毎日続けることで意志力が高まるのだ。
さらに、瞑想を途中でやめてしまったとき、そこで諦めずにもう一度瞑想を始めると良いと書いてあ
る。人間は今のような姿形や知能を身につけるまで、何万年という時をかけて進化した。このことや、
筋力をつけるためにトレーニングすることのように、意志力を鍛えるには時間をかけなければならな
い。脳は継続して行ったことを吸収し、能力を高めることができる。逆に私は、「後でいいよ」「また
明日やろう」ということを繰り返していたために、脳がそれを覚えて「なまけもの」になってしまっ
たのだろう。
やはり私は、何か問題にぶつかると諦めてしまうことが多いと思う。これではこれからの学校生活
や社会に出て働くようになったとき、私はとても困るはずである。意志力を高めるために、毎日続け
られる何かを決めようと思う。この感想文を書き終えた次の日から「毎日五つの英単語を覚える」と
いうことを始めることにする。最初に決めた「課題図書を一日で読み終わる」という目標は達成でき
た。こんな小さなことだが、
「私、やればできる」とよくわからない自身が少し芽生えたので新たな目
標に向かって頑張ろうと思う。
著者が科学者になる教育を受ける上で最初に学んだのは「理論がいくら優れていようとも事実に勝
るものはない」ということだった。私はこの本にそった実験を行い、理論を学びそれを理解し身につ
けるためには、実験を行い実証していくことは重要だと改めて思った。また、何か一つのことを諦め
ずに頑張ることは、大切だと思った。私が最後に決めた「毎日五つの英単語を覚える」、この目標の望
む力は「英語が母国語だと思われるぐらいに話せるようになる」ということだ。この望みを常に見失
わず、毎日の実験をかかさず、自分の意志力の量や心の変化をみていこうと思う。
7
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
ケストナーの願い
『飛ぶ教室』
エーリッヒ・ケストナー著 丘沢静訳
光文社古典新訳文庫ほか
商船学科2年 瀧口拓海
「これからぼくのいうことを、おぼえてください。つまり、かしこさを持たない勇気はらんぼうで、
勇気をもたないかしこさなんかくだらないものだ、ということを!世界史には、おろか者が勇敢だっ
たり、かしこい者がいくじなしだったりした時代が、いくらもあります。これは正しいことではあり
ません。
勇気のある者がかしこく、かしこい者が勇敢になってはじめて、人類の進歩のあることがわかるでし
ょう。」、まえがきで作者エーリヒ・ケストナーは語りかけています。飛ぶ教室は寄宿生の五人組の物
語です。強い勇気を持つ、優れたかしこさを誇りにする、または臆病であったり、頭がよくはなかっ
たり、様々な思いを胸に抱える少年たちが行動を起こしていきます。簡単にあらすじを紹介すると五
人の通う学校の仲間が実業学校の生徒たちに襲われ、一人が捕虜になってしまいます。五人の学校の
生徒と実業高校の生徒との間には因縁があり、今度の事件は実業学校の生徒の旗を五人と仲間が奪っ
たことへの仕返しのようです。五人の学校と実業高校から双方一人ずつ出して決闘することになりま
すが、最後は乱闘になってしまいます。その中で五人は陽動作戦を展開し、別働隊が捕虜として地下
室に監禁されていた仲間を助け出します。そういったエピソードが、作中ではいくつも語られていま
す。
私はこの中でウリーという少年のエピソードがとても心に残ったので紹介します。五人の中の一人
ウリーは「ちび」というあだ名の通りとても体が小さく、また、ひどく臆病でもありました。そんな
自分自身にウリーも悩んでいました。ある事件をきっかけにウリーは自分の勇気を示す決心をし、そ
の行動を学校の仲間はほめたたえ、ウリーに対する見方を考え直しました。もう一人、五人の中には
セバスチアンという少年がいました。いつも人を馬鹿にし、下に見るような態度をとっていて、友達
は一人もいませんでした。そんなセバスチアンはウリーの行動を見て、ウリーの行動は勇敢というと
ころではなく恥を知っているという部分からきているといいます。しかし自分は利口な人間だから、
自分が本当は小心者であることを人に悟られないし、それが妨げにもならない、恥ずかしいとも思っ
ていないといいます。しかしある仲間の「しかし、ぼくは、また恥を強いるほうがいいと思うな。
」と
いう言葉に「ぼくだって、やっぱり。
」と、本音をこぼします。この部分を読んで、どんな人でもやっ
ぱり欠点や弱点というものを持っていて、それを変えたいと思う心があるんだろうと思いました。そ
して、ウリーのように勇気を出して行動すれば、それは可能なんだということにも。そういうものを
変えることができるのは、最後は自分自身だけだと思います。冒頭にケストナーが私たちにかしこく、
なおかつ勇気を持った人間になってほしいと願っていることを書きました。そういった人間、つまり
自分を作っていくのは自分自身で、自分自身の欠点や弱さに気づくことのできるかしこさ、そして、
それを変えたいと思い、行動できる勇気をもってほしいと、ケストナーは訴えているんだと思います。
また、ケストナーは私たちに「ちょうどいいおりですから、僕は君たちに心の底から頼んでおきま
す。けっして、子供のことを忘れてはだめですよ。僕に約束してくれますか誓って?」と、言ってい
ます。
「どうして大人は、自分の子供のころのことは、すっかり忘れてしまえるからと言って、子供も
、ときには、悲しくて不幸になるものだということまで、もうすっかり忘れてしまえるのでしょうか。
」と。飛ぶ教室には、そういう子供のころを忘れない人物が何人か登場します。そういった人物はい
つでも子供たちの目線で考え、助けとなります。勇気と賢さを持ち合わせた彼らは、子供たちを正し
い方向へ導く指針ともなります。ケストナーは私たちに目指してほしい、なってほしい大人の理想像
として、彼らを描いたのではないでしょうか。
8
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
自分にとっての学校
『教室内カースト』
鈴木翔著
光文社
電子機械工学科2年
松村元雅
僕がこの本の内容を知った時、迷わず読むことを決めた。内容が僕の考えと一致するからだ。
この本には、学校で起こるいじめや格差を引き起こす要因である「スクールカースト」について書
かれている。同学年であっても学級内で起こる上下関係や仲間割れがなぜ起こるのかを大学生や教師
へのインタビューや首都圏の小学校・中学校・高校へのアンケート調査によって導きだし、本来の「
スクールカースト」とはどのようなものなのかを研究し、まとめている。
この本の中で「教室」を「閉じた空間」だとか「檻」という表現がされている。確かに教室は沢山
の生徒をほぼ完全に閉じ込め、毎日授業を受けさせる場でもある。たとえ教室内でイヤなことがあっ
ても、たとえその時受けている授業内容に興味がなくても、その「檻」から抜け出すことはできない。
そしてそのまま一日のほとんどを消費して家に帰る。
このやり方がどうも僕には「学校は工場」なのではないかと思えてしまう。沢山の材料で製品を大
量に作り、出られる間もなく良いものは出荷され、不良品は破棄される。学校も似たようなものだ。
沢山の人間に教育を受けさせ、教室という「閉じた空間」から出られるまもなく、成績の良い人は社
会に出て、成績の悪い人は退学になる。学校と工場は似たようなものだと言ったが少し違うところが
ある。工場なら、いつも同じ材料で作るため、出荷できるものが多い。だが学校は、同じ者が一つも
ない人間に対してまとめて授業を受けさせている。人によって授業を理解できるかどうかは全くこと
なるにも関わらず、人を数値で評価し、全ての数値が良い人だけが社会に出られる。ところが一教科
でも数値が足らなければ留年や退学を受ける。さらに教室で過ごす中で肉体的・精神的な苦痛を感じ
て学校をやめていく人も少なくない。こんなやり方で良い人材が出てくる訳がない。きっと就職率の
悪さもこのせいだろう。海外の教育の仕方は「工場」とは訳が違う。自分が興味を持った授業のみを
受け、その授業によって移動教室を頻繁に行う。すなわち「閉じた空間」に沢山の人間を閉じ込める
というやり方ではなく、むしろ「自由な空間」の中で教育を受ける形になっている。このやり方なら
良い人材を多く社会に出すことができるし、苦痛を感じることもほとんどないだろう。
日本は教育を受けることを義務として法律で定めている。しかし、学校に行くことは絶対必要かと
考えると、それは間違いだろう。発明家であるエジソンや相対性理論で知られるアインシュタインも、
小学の時に学校をやめ、家で自分の興味を持ったことだけを学習していた。学校に行けば、興味のあ
る授業を受けることももちろんあるが、興味のないことまで無理矢理学習しなければならない。しか
もそれら両方どちらも完璧にしなければ社会に出られない。こんなことをするぐらいなら学校に通わ
ずに家で興味のあることだけ学習していた方が面白いのでは無いかと思う。興味のないことはそのう
ち自然に身につくか、あるいは将来使うことはほとんどないものばかりだ。それに学校は全く異なっ
た人間が沢山「とじた空間」の中に集まる。当然人によって考え方もことなるから、人の外見だけで
嫌う人もいれば、その人の本質を見抜く人などさまざまだ。
「閉じた空間」の中でまるで違う考えをま
とめるのはもはや不可能に近い。そうなれば、クラス内で上下関係が生まれたり、一般とは少し違う
所があるだけで仲間外れやいじめを受けたりと分裂が発生しやすい。その中には強く立ち向かえる人
ももちろんいるが、気弱な人は立ち向かえずに苦しみ、ついには学校を去ってしまう。
興味の無い授業に加え、クラス内での不満が発生しやすい現在の日本の教育の仕方は正直問題があ
ると思う。学校とは、個人の才能を最大限に引き出し、それを伸ばすことのできる場所でなければな
らないのではないだろうか。今の日本が必要としている人間は「完璧な」人材と化してきているが、
個人の才能を認め、それを伸ばすことが本当の教育のありかたではないだろうか。
9
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
高校生
『桐島、部活やめるってよ』
朝井リョウ著 集英社文庫ほか
情報工学科2年 岩本真樹
ある日突然、バレー部のキャプテンである桐島が部活をやめた。それを境に、彼と同じ部活で
同じポジションだった人や副キャプテン、彼の帰りを待っていた人、その人たちに恋をする女の
子、様々な人たちに少しずつ変化が訪れる様子を、私たち高校生と同じような視点でリアルに描
かれているのが、この本だった。
「多感な年頃」というもので、様々な出会いや別れを通して、様々な
私たちはまさによく言う、
ことを感じて、日々成長していくのが高校生ぐらいの歳だろう。その中には楽しいことや嬉しい
ことだけではなく、悲しいことや辛いこともある。しかし私たちはそれらを心の中に秘めたまま、
口に出すことも表に出すこともなく、だんだんと消していき、何事もなかったように表面では人
と関わっていく。そんな暗い部分がこの本の中では見事に言葉にされていた。
誰もが一度は「憧れ」の感情を抱く経験をするであろう。誰かがきらきらと輝いて見えてくる。
この物語の中の彼らも、同じように誰かに憧れていた。高校生の彼らは誰かをまっすぐに見つめ
ていた。桐島と部活で同じポジションだった風助は桐島に憧れていた。私はまっすぐに誰かに対
して憧れを抱いたことがまだない。すごいなあと感心こそするけれど、その人のようになりたい
と強く感じたことがない。物語の中の彼を見て、自分でも気づかないうちに誰かの背中を見つめ、
追いかける。桐島のおかげで輝いているコートを見つめる。そんな経験をしてみたいと思った。
また、高校生たちの恋心も綺麗に描かれていた。彼氏、彼女、恋人、恋愛。高校生活には欠か
せないものだと思う。私だって私の友達だって、誰だって人を好きになった経験があるはずだ。
この本の一番のポイントは彼らがひとりひとり、多かれ少なかれ心に闇を抱えていることだろ
う。そんな中で表面では心の内を見せることなくなんとなく交わっている。そこがリアルだった。
まるで本当の高校生のように登場人物が生きていた。私たちは世間では「悟り世代」と呼ばれて
いるらしい。本当にその通りだと思う。彼らもその闇を仕方がないことだと決めつけ、あきらめ、
心の奥底にしまってしまう。義母から事故で亡くなった姉と思い込まれ、自分の好きなものも洗
えられず、自分の名前さえ読んでもらえない実果。彼女は学校では普通に振る舞い、彼氏の前で
も何もないように振る舞い、義母の前でさえも姉として普通に振る舞う。まるでなにごともない
ように、私にはなんの闇もないのです、というように。何も感じないわけがないのに。一生懸命
に姉になりきるけなげな実果の姿に胸を打たれた。
私が最も共感できたのは涼也の話だった。この話に共感できた人は多いのではないだろうか。
彼は映画が好きなひたむきな男の子だ。しかし彼はクラスの中で下に位置付けられ、周りから馬
鹿にされる。そんな経験がまったくない人もいるだろうが、経験したことのある人は本当に大き
な劣等感を感じているだろう。そんな風に階層のようなものができてしまうのは高校生の特徴な
のかもしれない。彼はそれをわかっていて、しょうがない、このままでいい、そう悟っていた。
心の中ではぬぐえない何かがあって、本当はこのままではいやだと感じていても、それを見せず
に仕方がないのだと決めつけて、強がる。自分の心の中の声さえも見て見ぬふりをする。そうし
て彼は平常心を保っていたのかもしれない。
私たち高校生はまだ大人の保護なしでは生きていけない。しかし大人に頼り切らなければな
らないほど子供でもないのだ。自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分の思ったように行動でき
るだけの力はある。だからこそ、私たちは辛さや痛みを隠すのだ。人間関係がビジネスでは済ま
ないからこそ、本気で人と向き合いたいと思う。しかし心の中のすべてを見せ合えるほど誰かと
深く関わることもできないのかもしれない。私たちは毎に、笑顔で一生懸命に走り続けている。
10
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
『桐島、部活やめるってよ』を読んで
『桐島、部活やめるってよ』
朝井リョウ著 集英社文庫ほか
商船学科1年 金重凌汰
本の題名とは思えないほどザックリしたタイトルのこの作品は、内容は驚くほど複雑だった。この
小説の題名にもなっている「桐島」という人物、話題には上るが作中には一切出てこない。それぞれ
の章にそれぞれ主人公がいて、作者はそれを映していく。バレーボール部のキャプテンである桐島だ
が、その桐島が部活をやめることによって各部やクラスの人々に動揺が広がり、リアル過ぎる高校生
活の一部が描かれてゆく。自分も今は高校生。どこかで感じたことのある感情がこの小説の登場人物
からにじみ出ていた。
ここでは「上位」「下位」の関係が残酷なまでにリアルに描かれている。「上位」の生徒は部活の主
要選手だったり、クラスでも目立つ、イケイケの生徒たち。
「下位」の生徒達はクラスでは地味で「上
位」の人間からバカにされるような生徒達。どちらにも属さない「中位」のような生徒もいたが、お
おざっぱに分けるとこんなところだ。この「上位」
「下位」の関係が残酷なまでにリアルに描かれてい
るのだ。
「あぁ~いるいるこんなやつ!!」とか「あぁ~自分にもこんな経験あるわぁ~」とか過去の
記憶に突き刺さるようなエピソードが詰まっていて不思議と面白く感じてしまう。
ところで桐島という存在はいったいなんだったのだろうか?登場人物の間で語られる桐島。彼はバ
レー部のキャプテンで県代表に選ばれるほどの実力者。成績もかなり優秀。桐島の彼女は校内でもト
ップクラスに人気の女の子。それ以外は何も語られない。しかし、彼は校内で「上位」グループの中
でも一際注目を集める人物だったことが想像できる。彼の存在というものは「上位」グループにとっ
て重要なものだったのかも知れない。あるものにとっては、
「桐島の彼女である」という”自分”を証明
する人物であり、あるものにとっては「桐島の親友である」という”自分”を証明する人物であり、ある
ものにとっては「桐島と共にプレーするチームメイトである」という”自分”を証明する人物であり・・
・。「上位」グループは、桐島という人物を通して校内での”自分”を認識していたのだろうと考えられ
る。彼ら(上位グループ)にとっては、桐島が”「上位」グループにいた”というところがポイントだっ
たのだ。桐島がいなくなったことが原因で人間関係や普段の生活が破綻していったのは「上位」グル
ープやそれらの人間と親交のあった人間だけ。一方、
「下位」グループ(この映画では主に映画部)は
、桐島がいなくなったことに関しては無関心。彼らにとっての目前の問題は「撮りたい映画が撮れな
い」ということなのだ。
桐島がいないことで”自分”を見失い不安と虚無感に満ちた「上位」の人間たちの様に
僕も今の学校生活から何人か仲のいい友達がいなくなったら、動揺するし不安になるし自分を見失っ
て虚無感に満ちると思う。そうなることはまずないと思っていても、心のどこかでは不安になったり
する。大事なものを無くさないように、周りを観察して相手が自分の言動でどういうリアクションを
するのか、また自分はどういうリアクションをしたらいいのか。こういうことは学校生活の中で学べ
ることの一つだと思う。
そして、この小説の隠れた主役は野球部の幽霊部員、菊池宏樹であり、部活にもほとんど顔を出さ
ない、自分は何に情熱を向けるのか?その方向性がわからない。”自分”とは何かがわからない。そのこ
とに気づかされた宏樹はさらなる不安に陥る。そんな中、彼は頼みの綱である桐島に電話をするが桐
島にはつながらず、彼の不安は解消されないまま終わるという、なんとも悲しい終わり方だったのだ
が、唯一生き方を変えようと決心し、前に進めるのは宏樹だけだろう。そういう意味では、ハッピー
な終わり方だったのかもしれない。
僕も少しずつ良い方向に変われるよう過ごしたいと思う。
11
第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
『銀の匙』を読み終えて
『銀の匙』
中勘介著
角川文庫ほか
情報工学科1年
青木
雛子
「この年まで生きたでいつお暇してもええと思っていつも寝るまえにはおひざもとへお招きにあず
かるようにお願い申しては寝るが…。
」
これは、主人公の「私」がよくお世話になっていた、伯母さんに再会した時の伯母さんの一言です。
私はこの一言を読んで、伯母さんがどれだけ主人公の事を大切に思っていたのかがよく分かり、主人
公はとても愛されていたのだなと感じました。
私は読み始めた時、とても固い小説のようで、あまり面白くなさそうだなと思いました。
私は、ごく普通の家庭で生まれて、なんの病気もない健康児だったので、虚弱体質な主人公とは真逆
で、全く共感するところはないのだろうなと思いました。ところが、読み進めていくと、自分の伯母
さんとの思い出を思い出し、終いには涙が出るほどでした。
主人公は、伯母に育てられて生きていきました。5歳まで、地面に足を付けたことが無く、いつも
伯母が負ぶって生活していました。伯母は、主人公のお世話で、とても苦労していたと思います。し
かし、伯母は主人公の事を本当に大切に思っていたようで、最期に会った時は本当に嬉しそうにご飯
を振舞っていました。ご飯を振舞っているところを読むと、私も伯母さんに会いたいなと少し寂しい
気分になりました。主人公は、頭があまりよくなく、病弱だったけど、伯母のおかげでとても幸せな
人生を歩めているなと思いました。友達が出来た時も、学校に行く時もいつも伯母が居て、主人公を
支えていました。主人公も、伯母さんの事が大好きで、小さい頃、薬を飲ませてもらう時に使ってい
た「銀の匙」を宝箱のような箱にずっと大切にしまっていました。主人公は、伯母の事を母親よりも
好きだったのではないかなと思いました。お互いに信頼しあっている純粋でとても良い家族だと微笑
ましく感じました。
主人公の友人にお国ちゃんという子が居て、その子と主人公の友情もとてもいいものです。お国ち
ゃんは、主人公の家の隣に引っ越してきた主人公と同じ年の女の子です。お国ちゃんは、明るく根性
のある女の子で、主人公よりも先に学校に行って褒められて喜ぶ場面はとても和ましく、子供らしい
姿で、ついつい自分の幼少期と重ねて考えてしまいました。しかし、お国ちゃんは、主人公が旅行に
行っている間に引っ越してしまいます。引っ越しという逆らうことの出来ない運命を取り入れる事で、
自分でも身近に起こり得る、リアリティのある小説になっているなと思いました。
この小説には、主人公の家族の他に、□□さんという、謎の人物が少し出てきます。この□□さんは、
少し汚らしい人で、この人が出てきた時の伯母さんの反応が妙にリアルで、人間らしいものでした。
偽善的な反応ではなくてとても面白いなと私は思いました。現実的な表現をしているので、子供たち
の言葉なども一言一言が可愛らしく、共感しやすいものでした。
私は、この小説を読んで、家族に会いたくなりました。普段は寮生活を送っていて、今までは毎日
会っていた両親も、なかなか会えなくなり、自立した生活を過ごしていた気分になっていたけど、寮
生活を送れているのも今まで、両親が支えてくれていたからなのだななどと痛感しました。小説内で
の伯母さんのような人は、私の中ではお母さんだなと思いました。私は、主人公のような子供では無
く、大人しくしていないような子供だったのであらゆる場面でお母さんを困らせていたのだろうなと、
とても反省しました。小説を読んでいって、「孝行」という言葉に触れていて、私も考えてみたけど、
孝行と一概に言っても様々な方法があって十人十色で、これから学校を卒業して、社会人になって、
死ぬまでに自分なりの孝行を発見して実行出来ているといいなと思いました。
私はこの夏、銀の匙を読んで、自分の気持ちの整理や、人として大切な事、昔の思い出など、たく
さんの感情が一気に溢れてきました。そして、この本を読んで得たものは、一生忘れずに心に刻み付
けておこうと思いました。本当にこの本に出会えて良かったなと思いました。
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第11回読書感想文コンクール優秀作品発表
図書館だより第22号
教員が今すべきこと
『教室内カースト』
鈴木翔
光文社
情報工学科1年
今津拓哉
僕はこの本を読むまでスクールカーストを感じたことがない。以前、いじめやスクールカーストを
取り上げたドラマを見たことがある。その内容は事実ではないと思っていた。しかし、この本の著者
の調査では、そのドラマに近い出来事の体験談が語られている。実際に日本のどこかで、スクールカ
ーストがあるという事実に驚いた。
僕の小学校、中学校時代を回顧してみた。小学校時代は、スクールカーストというよりは、教員の
贔屓だったように思える。例えば、ある教員が担任の時には、積極性があり、自分の意見を述べるリ
ーダー的な児童が贔屓されていた。しかし、違う教員が担任の時には、自分の意見を述べず、教員の
言うことに従う児童が贔屓されていた。僕は前者に当てはまっていたので、前者を贔屓する教員が担
任の一年間は楽しく過ごすことができた。しかし、後者を贔屓する教員が担任の一年間は、教員に話
しかけても話を聞いてくれず、納得のいかない憂鬱な一年間だった。このように、人生の基盤となる
大切な小学校生活を、教員の考え方の差によって、激しく変化させることはいけない。教員一人一人
の考えはあると思うが、贔屓をせず、児童の個性を見出していくべきである。
中学校時代は、クラス内で表立ったスクールカーストはなかったが、個人的に心の中でスクールカ
ーストに似たことを想像していた。僕は高校受験に向けて、中学校入学当初から、学習、委員会活動、
部活動等に積極的に取り組んできた。特に高校受験を控えた頃には、今の高校に入るため、より一層
努力していた。しかし、同級生の中には、受験生とは思えない行動をしている人もいた。それを見て、
「馬鹿だなぁ。こんな大切な時期に勉強もせず遊んでばかりで、将来のことを何も考えていないのか
なぁ。」と、心の中で見下していた。その人たちは、地味で大人しいという、この本の中で下位と呼ば
れている人たちの特徴に類似していた。今思うと、意識はしていなかったが、それがスクールカース
トに当てはまっていたのかもしれない。
そして、この本の中で僕が一番驚いたのは、教員がスクールカーストを認知し、それを肯定的に捉
え、利用しているということである。僕はこの意見に対して賛成意見もあるが、反対意見もある。賛
成意見としては、教員が上位の生徒の特徴である、コミュニケーション能力や積極性を認めていると
いうことである。反対意見としては、教員が下位の生徒に関心を持っていないということである。教
員は学級経営の戦略として、上位の生徒にのみ媚を売り、クラスの意見を決定する場などで活躍させ
ている。また、さきほど述べた上位の特徴を「生きる力」として、将来、社会に出ても生きていける
だろうと考えている。しかし、教員は下位の生徒の生きる力が足りていないと把握しているにも関わ
らず、生きる力は努力ややる気で改善可能なものとして捉えているため、何も対処をしていない。上
位の生徒にのみ媚を売り、学級経営を楽に進めているのだから、その分下位の生徒の話を聞き、生き
る力を育てていくのが教員、また学校という組織ではないだろうか。学校は生徒全員が平等であるは
ずなのに、上位の生徒に対してのみ関心を持ち、下位の生徒に対して関心を持たないのは理不尽だ。
今僕が高校生活を始めて、約半年。やっと学校生活にも慣れ、友人、教員のことも分かってきた。
今のところ、この本に書かれている、生徒側、教員側のスクールカーストは感じられない。今後も、
今のようなクラス内の関係を維持していきたい。教員方にも、一部の生徒にのみ媚を売ったり、贔屓
をするなどの行為をしてもらいたくない。
今スクールカーストがある学校では、唯一、クラスや学校に関わることのできる教員が対処しな
ければならない。この本のあとがきに「学校の先生は、気づいていながらも、あまり多くを語ろうと
はしない傾向にありました。」とある。スクールカーストの解決策を解明しようとしている人に、情報
を提供しなければ、スクールカーストは学校からなくならない。新たな問題を増やすよりも、今ある
問題を見て見ぬふりをせず、一つ一つ解決していくことが重要ではないだろうか。
13
推薦図書の紹介
図書館だより第22号
推薦図書
ひびけアルプホルン森は素敵な音楽堂
中川重年 著 全国林業改良普及協会
情報工学科 山田 博
人生には「ゆとり」が必要である。のんびりとしたタイトルのこの本に興味をも
ち、みなさんに薦めたくなるほどの大切な一冊となるまでには、話せば割と長い道
程があります。私は中学時代に吹奏楽部でホルンに出会い、大学時代には国際会議
ではじめて偶然スイスに行きました。高専の教員になってからも吹奏楽部の顧問と
なり気がつけばホルンを時々学生と吹いたり、研究活動でも楽器の音響研究を始め
ることとなり、ちょっとしたきっかけから 30 年近い道程を経て手作りアルプホル
ンに興味を持つことになりました。この本の著者で森林研究家と音楽演奏家とを両
立されている中川さんは、せっかちな私とは違って「ゆとり」の研究人生を送られ
ていて尊敬の念をもちました。中川さんは、森林保全活動をされると同時に、森の
音楽のセラピーについての研究やボランティア活動をされており、里山での音楽活
動を通じて自閉症のこどもや障害者の方の心の支えとなる活動をされています。こ
の本では、中川さんの所属する玉川アルプホルンクラブの全国での活動や、現地の
活動家やこどもたちとの心温まる交流について語られており、音楽愛好家の他に
も、野外料理活動愛好家、たき火愛好家、森林療法研究家、音大教授、沢山のこど
もたちも登場し、読むと心がほっとします。こんな人生の生き方もあるのか!と思
わせてくれ、担任やクラブ、研究なんかに疲れ果てて行き詰まったときでも、森林
浴を楽しむときのように心に「ゆとり」を持たせてくれる大切にしている一冊です。
14
推薦図書の紹介
図書館だより第22号
推薦図書
池上彰の 20 世紀を見にいく
池上彰,テレビ東京報道局編 小学館
一般科目 田口由香
池上彰氏は、近年、多くのテレビ番組でわかりやすいニュース解説を行っていま
す。その一つの番組では、そのニュースが「どんな教訓となり、今に生かされてい
るのか?」がコンセプトになっていました。今回推薦する『池上彰の 20 世紀を見
にいく』は、BS ジャパンで放送された番組を編集した DVD ブックで、映像ととも
に本書の解説を読み解くことができます。池上氏は、「20 世紀は、まぎれもなく、
21 世紀の今を作った土台」であり、
「今、世界が抱えている問題」は「20 世紀に隠
されている」と述べています。このことは、なぜ歴史を学ぶのか?ということにも
「歴史は現在と過去との対話で
関わることです。イギリスの歴史家 E・H・カーは、
ある("An unending dialogue between the present and the past.")」(『歴史とは何
か』"What is History? " 1962 年)と述べています。歴史を学ぶとは、現在を知り
未来を創造するために、それまでの変遷(歴史)を理解するだと思います。みなさ
んも過去との対話をしてみませんか?その仲介役として『池上彰の 20 世紀を見に
いく』を推薦します。
15
推薦図書の紹介
図書館だより第22号
推薦図書
シブすぎ技術に男泣き!
見ル野 栄司 著 中経出版
技術支援センター 堀 義則
この本、というより漫画では、メカトロニクス系技術者としての経験を持つ著
者が、
「シブすぎ技術」を紹介しています。普段我々の目につかない工業製品にも、
熱い技術者たちの血と汗と涙の結晶であるシブい技術があることが分かります。将
来技術者になる学生の皆さんに是非読んでほしい本です。
推薦図書
ライブスチームのシェイを作ろう
平岡 幸三 著 機芸出版社
技術支援センター 堀 義則
この本は小型の蒸気機関車の作り方が記された本です。ただし、実際に作るため
には、工作機械・作業場所・時間などを確保する必要もあるので、本を入手できて
も作れない、といった人も多いと思われますが……
ですが、本校には工作機械や作業場所はほぼそろっており、時間と材料さえあれ
ば(たぶん)作れます。また、本校には、機関車以外の物を作るのに必要な様々な
道具・書物・教職員もそろっています。せっかくなので、皆さんも本校を活用して
何か作ってみませんか?
16
推薦図書の紹介
図書館だより第22号
推薦図書
海の都の物語
ヴェネツィア共和国の一千年
塩野 七生 著 新潮社
技術支援センター 堀 義則
この本は千年以上の歴史を持つヴェネツィア共和国の興亡が記された本です。ヴ
ェネツィアはアドリア海と東地中海における海洋貿易によって栄えた国でした。つ
まり、多くの商船と船乗りによって成り立っていた国と言えます。
海洋貿易なしでは成り立たない国である日本の、商船高等専門学校に在籍する
我々も、ヴェネツィアの興亡から学べるものが何かあるのではないでしょうか?ま
た、この本は歴史書というより歴史小説に近い読みやすい本だとも思いますのでお
勧めです。
17
ブックハンティングに参加して
図書館だより第22号
今日,ブックハンティングが行われました。場
私は今回,初めてブックハンティングに参加し
所は広島でしたので,電車を乗りかえ,途中まよ
ました。初めはどんな本を選べば良いのかわから
いながらもなんとか目的地につくことができ
ず一冊の本を選ぶのにも時間がかかってしまい
ました。本屋の中は広く,本を探すのが大変で
ました。しかし,途中からは自分が誰かに勧めた
したが,なんとか終わらせることができまし
い本,興味のある本を選ぶことができました。た
た。ですが,このブックハンティングを通し
くさんの本の中から図書館に並べる本を選ぶの
て,学ぶこともありました。
はとても楽しかったです。
新しく入る本をたくさんの人に読んでもらい
一つ目は,目的地への道のりを事前に調べてお
たいと思います。
くということです。私は今回初めて電車に乗るこ
情報工学科1年
ととなりましたが,どの電車に乗るかを調べてお
田中美優
かず,迷った時もありました。また,広島県とい
う大都会にも初めてでしたので,事前の準備が足
今回のブックハンティングを通して、本とふれ
りなかったと思いました。二つ目に,より多い情
合い親しみをもつことができました。私は商船に
報を集めるということです。本を探すときなど,
入学してから本を読む機会も少なく、最近はマン
どのような本が良いのか。またそれはどこにある
ガばかりで小説を読むことがまったくなくなり
のかという情報をきちんと理解しておくべきだ
ました。なので今回のように大きな本屋で、いろ
と思いました。
いろな本にふれることができて良かったと思い
ます。
いろいろあったブックハンティングでしたが,
これを機に、図書館の利用者が増えたらと思い
この経験で学んだことを大切にして,これからは
ます。そして、自分自身ももっと本にふれていき
ミスなくできるようにしたいです。
商船学科1年
たいと思います。
福畑晴也
電子機械工学科2年
印藤俊介
僕は初めて電車でこんなに遠くまで行ったの
私は今回はじめて図書委員になったため,はじ
で不安だけしかありませんでした。しかし、本屋
めてのブックハンティングでした。
に着いたら不安はなくなり、早く回ってみたいと
いう気持ちが強くなっていました。実際に回って
何の本を選ぶか困らないように,事前に友達の
みたら、僕の家の周辺の本屋にはないような本が
リクエストを聞いていったら,専門書等が思いの
たくさんありました。特に広島なのでカープに関
外高価だったのと,いざ行ってみると自分が興味
する本が多かったです。自分の中でもとても迷っ
のある本がたくさんあり,ぎゃくにしぼりこむの
て僕だけが時間内に決めることができませんで
がたいへんでした。
情報工学科2年
した。図書委員は意外に大変だと思いました。
電子機械工学科1年
田坂壽志
18
伊藤瑛未
ブックハンティングに参加して
図書館だより第22号
また,その専属トレーナーの上にたつ,キャプ
自分は初めてブックハンティングというもの
に参加し感じたことは、学校の本を選ぶことはと
テンか顧問の教官はそれ以上の知恵を身につけ
ても難しいと思いました。理由は、自分の興味の
る必要があります。そのために幅広く資料を選び
ある本がダメだということから興味のない本を
ました。
電子機械工学科4年
見つけるのはとても大変でした。でもとても楽し
砂本滉太
かったです。
電子機械工学科3年
私は今回でブックハンティングに参加するの
谷本裕俊
は 2 回目ですが、今回もたくさんの本の中から自
分が選んだ本が学校の図書館にならんでいるの
高専の部には,専門的に指導,または専門的な
知識をもっている指導者がいない部が少なから
を見ると本当にうれしくなります。来年も出来れ
ずあるのが現状です。そういった部に入部してい
ば参加したいと思います。
情報工学科4年
る人は自分で調べ,研究する必要があります。全
選手が競技者であると同時に自分専属のスポー
ツトレーナーでなくてはなりません。
19
髙本綺架
図書館利用状況
図書館だより第22号
平成 26 年 1 月 31 日現在
年度別入館者数・貸出人数・貸出冊数
25000
20000
15000
10000
入館者数
5000
貸出人数
0
貸出冊数
21年度
21 年度
22年度
23年度
24年度
22 年度
23 年度
24 年度
25年度
25 年度
入館者数
18,863
20,446
20,055
21,110
18,049
貸出人数
1,420
1,577
2,119
2,409
2,285
貸出冊数
3,066
3,386
4,525
5,202
4,705
平成25年度学年別利用状況
800
700
600
500
400
300
200
100
貸出人数
貸出冊数
0
1年
2年
3年
1年
2年
3年
4年
4年
5年
専攻科
5年
専攻科
貸出人数
294
293
245
295
248
81
貸出冊数
727
726
574
506
497
174
20