図書館だより 第23号 平成27年3月発行 大島商船高等専門学校図書館 山口県大島郡周防大島町大字小松1091番地1 図書館だより第23号 目 次 巻頭言 図書館長 一番ヶ瀬剛 1 情報工学科 3年 下中 裕介 2 商船学科 2年 野見 勇貴 3 中坪 真 4 信一郎 5 電子機械工学科 2年 弘永 海人 6 情報工学科 2年 中西 亜美 7 戦争から学んだこと 商船学科 1年 齋藤 香澄 8 家族の大切さ 商船学科 1年 松尾 京 9 電子機械工学科 1年 豊島以知朗 10 情報工学科 1年 山田 智大 11 商船学科 吉岡 勉 12 情報工学科 松村 遼 13 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 最優秀賞 神様のカルテを読んで 優 秀 賞 風が強く吹いている 佳 作 エゴ 「社会の真実の見つけかた」を読んで 神様のカルテを読んで 「風が強く吹いている」を読んで 風が強く吹いているを読んで 「アルジャーノンに花束を」を読んで 電子機械工学科 3年 商船学科 2年 森 推薦図書の紹介 千ドルのつかいみち アルジャーノンに花束を ブックハンティングに参加して 14 図書館利用状況 15 巻頭言 図書館だより第23号 春の訪れ 図書館長 一番ヶ瀬 剛 長く厳しい冬が続いて来ました。 それでも何となく日暮れが長くなり、また夜明けも早くなった気がします。気がつけば、冬を代 表する星座、オリオンがいつもより早く出て、夜の 8 時には南の空から見下ろしています。回り を見渡すと、草木は枯れ果て早朝の霜に隠れて居たのに春一番の花を見つけました。梅の花です。 まだ朝晩は寒く冷たい北風が吹いているのに「もうすぐ春が来るよ」とのメッセージです。 冬の景色は枯草と葉を落とした木々ばかりの中なので、余計に印象に残ります。それにしても、 この寒い中になぜ花を咲かせるのか、と不思議になります。元々、植物は昆虫の為に花を咲かせ ると、本で読んだ気がします。植物は昆虫と共に進化し、共存共栄の道を選んで来ました。昆虫 以外の動物が、まともに活躍するのは、もっと後の時代です。 その昆虫たちも、まだ冬の眠りの中だというのに、いったい誰のために花を咲かせているのだろ う、と思うのは私だけでしょうか。考えられるのは、新参者の人間の為に花を咲かせていること は、決してないだろうと言うことです。 もっと不思議なのは、木々どうしで示し合わせたように同時期に花を咲かせる事です。私は理科 系の教育を受けたので「すべての自然現象は理由があり、メカニズムが作用している」と考える 方が理に適っている様にも思いますが、それでは自然現象に対して何の感慨も無くなります。最 終のとどめとして「人が梅の花を見て春の訪れを感じるのは、脳内物質の何やらが、前頭葉のニ ューロンに作用し、何たら・かんたら・・・」などと言われたら、本当に悲しくなります。 人々は近代に入り、特に 19 世紀以降にすべての自然現象を観察し、そのメカニズムを知ろうと 努力してきました。その過程で利用価値のある技術を獲得して来ました。それはそれで、進歩に 貢献してきたのですが、反動もあってなんでも理屈を説明できないと不安になる習性も身に着け たようです。解らないなら、素直に解りませんと考えるべきでしょう。 やはり、春の訪れの解釈として正しい解釈は、現在の所、次の様なものです。無機物質(機械装 置)と生物は異なる。生物は神様が作られた。その時、植物には、競い合ってみんなに喜びを与え る様に指示された。人には、美しい物に接すると美しいと感じる感性を与えられた。そして季節 を感じ、生きる喜びを堪能する能力を与えられた。 すべてが解明されるまでは、これで良いのでは、ないでしょうか。さて神様から与えられた感性 は、自然に接する能力だけではありません。美しい文章、悲しい物語を聞いたり、見たり読んだ りして、感動しても養われます。本校は技術教育を主軸にしていますが、同時に人間としての感 性の向上を図る機会も用意しています。図書館にある豊富な書籍、DVD その他、もまたそうです。 春を告げる梅の花に負けない様に競い合い、感性を磨いていきましょう。 1 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 神様のカルテを読んで 『神様のカルテ』 夏川草介著 小学館文庫 情報工学科3年 下中 裕介 もし自分が目指していることと違う方向で上に行けるチャンスを与えられた場合、私ならどうする だろうか。 与えられた数少ないチャンスは逃してはならないし、それを生かすことは非常に重要である。しか しながらはたしてそれは自分が本当に望んでいることなのだろうか。 自分が本当にしたいことは何なのか、自分の特性に合ったことはどういったことなのか、この様な ことをしっかりと自分自身で理解することが大切なのではないか。 私自身も時々、自分は一体何をしているのか、今の自分のままではたしていいのか等と考える時が ある。しかしなかなか答えにたどり着くことはできずにいる。 では、その自分が本当にしたいことや自分の特性を知るにはどうすればいいのだろうか。 この物語の主人公である栗原一止は物語の中で彼を取り巻く人々の力によって最終的にその答えを 導き出した。 一止はとある地方病院に勤めているが、ある日彼は大学病院に行く誘いを受けた。大学病院に行く ことで最先端の技術を身に着けることができ、出世するチャンスもある。しかしながら彼の勤めてい る地方病院では大学病院から見放された患者が多くいてさらに年中無休と掲げているので患者が絶え ることはない。しかも医者が不足している中、自分が抜けてもいいのかということに彼は苦悩した。 また、彼自身もあまり上を目指すといった性格ではないが大学の方に行けば確実にスキルアップにつ ながるために一止はこの問題にしばらく悩まされた。 結局、彼は地方病院にとどまることにしたがその過程として友人や同僚、上司や妻などたくさんの 人たちが彼が答えを出す手助けをした。しかし彼が地方病院にとどまる最大の要因となったのはやは り病院で入院していた安雲さんからの手紙であろう。彼女は胆のう癌を患って大学病院の方に診に行 ったがそこでは全く相手にされず、独り身の彼女に残りの余生をしっかりと楽しめと突き放した。確 かに手がつかないほどの患者が毎日来る中で、治療が不可能な患者の分まで手が行き届かないのも十 分わかる。そんな中、最後まで看取ってくれて親身になって自分の思いを聞いてくれる一止の存在が どれだけ大きなものだったか。 彼女は亡くなる間際に一止に宛てた手紙を残していたが、そこには一止がこれまで行ってきたこと が結果的に他人に幸せをもたらして、彼のような医者、彼自身の存在を認められたものだった。この ことが彼が地方病院にとどまると決意した最後にして最大の要因になったであろう。これらのことか ら一止は彼を取り囲む環境に恵まれてきたといえる。また彼らは自分の考えなどを一止に言っている が、それはあくまで参考として最終的な決断は本人である一止がするようにしている。 しかし時には追い求めていた理想と現実が違うときもあるし志半ばで挫折してしまうこともあるか もしれない。実際に本当に自分がやりたいことをできる人はほんの一握りであろう。そのような場合 に陥った時には自分自身に嫌気がさして作中の「学士殿」のように自殺を図ったりする場合もでてく る。 しかし彼もまた一止をはじめとする周りの人々に助けられた。そしてたとえ失敗して挫折してもそ れまでに培ってきたものは決して無駄にはならないと教えられた。今失敗を犯しても、またそこから 新しいスタートをきればいいのである。このことは決して簡単なことではないがなによりも踏み出す 一歩が大切なのではないのだろうか。 悩んで立ち止まったときには周りの人に助けを求めたらいい。そうすることで新しい道が切り開け るかもしれない。たとえそれが遠回りだったとしてもそれまでの時間はきっと自分にとって有益なも のであるだろう。 しかし道を歩むのは自分自身であるので、失敗を恐れずまっすぐに生きていきたいと思う。そして 人と人とのつながりを大切にしていきたい。 2 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 風が強く吹いている 『風が強く吹いている』 三浦しをん著 新潮社 商船学科2年 野見 勇貴 風が強く吹いているは読み終えて、答えのない答えを探し求め一人一人の人生の壁となる苦難の中、 それでも答えを追い求めようとする若者たちの青春を鮮やかに活写した渾身の作品だと思った。 僕がこの作品に惹かれた最大の理由は、ハンデを負っても諦めきれずに大好きなものに打ち込み、 挑んでいく姿だった。綺麗ごとでは、何も解決できないという思惑でさえも壊してしまう程のとても 現実的なものだった。 走の感じていた不思議な感覚、ゾーンというスポーツ選手に起こる集中が極限状態にあるそれを、 灰二は知っているという事実に僕は、灰二が嫉妬のようなものを覚えるかと思っていたが、それはい らない心配だった。一緒にその境地に立ちたいという好奇心で一杯な灰二に少し安心した。なぜかと いうと、自分の立ちたかった場所に誰かが立っているという屈辱感が大きく感情を左右すると思うか らだ。自分の夢をとても近しい者が叶えている、それだけで、普段の自分ではいられなくなると僕は 思う。こんな気持ちになるのはきっと、僕の今までの経験則でしかないだろう。 僕は、三年間一つの部活に打ち込んできた。この三年間は僕を変えてくれる何かを与えてくれるそ う持っていた。しかし、結果としては満足できるものではなかった。いつまでも新品なユニフォーム を着ている自分に腹がたった。それを心の底にいつも住まわしているならよかった。なぜなら、それ を糧に頑張れるだろうからだ。しかしそれは叶わなかった。いつの間にか、コートにたっている友達 を眺めても悔しくなくなったからだ。僕は、この状況を受け入れてしまったのだと思った。その頃か ら自分の背丈よりも高いものに手を伸ばすことに躊躇し始めた。 僕と灰二の違いは、目標に対する気持ちだろうと思う。僕にも目標は確かにあった。しかしそれは、 他人に合わせて掲げた僕の手に余るものだった。それに比べ灰二はチームの目標と共に自分だけの目 標があった。ここが灰二と僕の差だった。僕はチームの目標を一人で追っているだけだった。灰二と ほかの面々も、確かに自分だけの目標があった。他にもあると思うが、これが全ての始まりに必要な 終着点だろう。ゴールテープが用意されておかないと、ゴールできずに迷ってしまうようなものだ。 つまり、僕は行く先がわからず迷ってレールから自らはみ出したのだ。一度だって、壁にぶち当たっ ていない。だから、悔しさも悲しさも感じなくなっていったのだろう。 この物語を紡いできたのは明らかに灰二だと思いました。選手一人ひとりの状態を把握して、そ の選手達それぞれのやる気を出させる何かをする事で、選手たちの信頼を勝ち取り、箱根駅伝に出場 する切符まで手に入れるといった所業まで成し遂げたからだ。灰二の思い通りに不満を抱く者もいた が、それすらも心地よいと思わせるだけのものを灰二は持っていたのだろう。これも灰二の人徳だろ う。ご都合主義の者には決して踏み込めない場所だ。 やはりここまで出来る灰二の原動力となる同機はとても純粋で何か熱いものを感じた。 僕はこんな風にはなれない。だから、自分のやり方で自分を肯定する。そのためには、諦めない ことだ。この先、何度も僕は迷い、後悔をするだろう。だから、その度に、立ち上がるだけの力を持 つためにそれに見合うだけの目標を掲げていれば歩みが止まることはないだろう。 この作品は、自分のすべき理由を述べているのではない。走るという情熱と決意を持った人間が いれば、どんな困難な壁であっても、乗り越えられる、不可能を可能にできるのだということが言い たかったのではないかと僕は思います。努力は裏切らないと改めて感じることができる作品でした。 3 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 エゴ 『神様のカルテ』 夏川草介著 小学館文庫 電子機械工学科3年 中坪 真 一人の変人の医者が、妻や住居の住民、病院の医者、患者たちと過ごす日々の中で、病院という人 の命を扱う舞台でいろいろなことを考えていく。それが神様のカルテの内容だった。 その色々なことを考えるということの中で、僕が一番興味を持ったのは人の死についてだ。人が死 ぬ前、本人は何を想い、何を感じるのか。人の死後、医者や知人は何を思い、何を感じるのか。そこ に自分が考えたことのない内容や登場人物の気持ち、感動があった。 登場人物の中に安曇さんという年老いた女性がいる。彼女はがんを患い、夫は亡くなっていた。だ が彼女はその人柄の良さから看護婦の間で「癒しの安曇さん」と言われ、主人公の医者である栗原一 止も彼女に元気をもらっていた。彼女の余命が一ヶ月ももたないことを知った一止は彼女と話す時間 を過ごしたり、したいことをできる限りさせてあげていた。外に出るのは良くない状態なのに山が眺 めたいという安曇さんの要望に応えたり、ずっと食べたいと言っていたカステラをあげたりした。彼 女の様態が変化したのはその二日後だった。彼女に意識はなく、すぐに処置をしなければ亡くなって しまう状態だった。一止はすぐに処置をしようとしたが、このままでいい。といったような気がして、 看護婦たちに指示をしなかった。そしてそのまま彼女は亡くなった。一止歯医者である。常に人と向 き合い死と向き合っている。だから人ひとり死んだことでくじけていられない。でも感情を抑えられ なかった。堪えていた涙はあふれ、一止は虚無感におそわれた。その時の彼の気持ちは考えようとも 考えることが出来ない。そんな中、一止は安曇さんの言った言葉を思い出していた。 「私が死んだらこ の帽子を私の墓にかぶせてください。 」一止が赤茶の帽子を手に取った時、栗原先生へ。と記された便 箋を見つけた。そこには、病の人にとって一番つらいことは孤独であること。その孤独を取り除き楽 しい時間を与えてくれたのが栗原先生であると書かれていた。 この場面を読んだとき素直に涙が出た。一止の気持ちを否でも考えさせられる、そんな場面だった。 安曇さんは一止にとても感謝しているが、一止自身は本当にこの判断でよかったのか?処置をして寿 命を少しでも伸ばした方がよかったのではないか?そんなことを考えていたと思う。でも、安曇さん の手紙でその気持ちも楽になり、また看護婦たちの「安曇さんは幸せだったと思うよ。」という言葉に 救われていた。 医者が、この患者の命はもうすぐ途切れると判断した際、そのことを家族や親族に伝えることが多 々ある。すると、「できる限りのことをしてくれ。」家族や親族は言うだろう。すなわち、できること なら助けてくれということである。しかし、それはその人たちのエゴにすぎないとこの著書には書か れている。患者本人の意思など無視し、その人たちは助けてあげてくれという。確かにそれはエゴで あるのかもしれない。たとえ、延命治療をして数日生き延びたところでその患者は生きているといえ るのか?意識もなくただベッドの上に存在している、それのどこが生きているというのだ。そう考え るとやはりエゴである。よく、テレビのドラマなどで「先生、もう楽にしてあげてください。 」という セリフを耳にする。家族や親族が患者のことを考えて医者にそういうのだ。安曇さんに家族はいなか ったが、一止の心情もきっとテレビドラマのように、楽にしてあげようと思っていたんだと思う。 だがしかし、これは本やテレビの中での話である。もし、自分がその立場に立った時、おそらく「 楽にしてあげよう。」よりも「助けてあげてください。」の気持ちのほうが強いと思う。きっと誰もが そうであろう。自分にとって大切な人が目の前で死のうとしていたら、助けての気持ちが一番強いは ずだ。たとえそれがエゴといわれてもその気持ちがなくなってしまうよりはましだと思う。人の感情 は喜怒哀楽が激しく、時にはエゴになることもあるが、だれもが優しく温かい感情をその感情を隠さ ず人と接していきたい。 4 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 「社会の真実の見つけかた」を読んで 『社会の真実の見つけかた』 堤 未果著 岩波ジュニア新書 商船学科2年 森 信一郎 「戦争の作りかたー三つの簡単なステップ」 目次を開いてこのタイトルが書いてあり、この本は、いったい何を言いたいのだろうか、この本の 著者堤さんは戦争がしたいのだろうか本文を読む前にこのような疑問を持ったまま読むことにしまし た。 本文を読み始めるとその疑問は、すぐに解けていきました。戦争がしたいから「戦争の作り方」な んて書いたわけではありませんでしたがしかし、戦争というものは本当に簡単にできてしまうことも 分かり少し恐怖を感じました。それとともに、もう一つ大切なことをこの一章で感じることができま した。それは、マスメディアの重要性です。この本に出てくるレイモンド・コックもマスメディアの 情報によって戦争という地獄に入って行ってしまった人の一人です。彼がまだ少年だった二年一年九 月一日、そう後に九・一一同時多発テロというアメリカではいまわしき事件そして、世界を驚かせる 事件があり彼はメディアの情報をうのみにしてしまい彼自身大人になって戦争で苦しんでいるところ です。そうですこのような人の心がパニック状態にある時に、映像と音声という強烈なインパクトを 与えられると人間は単純な生き物ですからその情報が本当に正しいのか正しくないのかが見極めれな いまま信じてしまうのです。2001年でこの情報でしたが、今は2014年情報社会と呼ばれる世 の中です。この章から学んだことは、たくさんある銃砲の中から本当のことを見極めることと、そし て自分から探すことです。ただ、戦争のように国同士の戦いになると私達国民には本当の情報が流さ れないとなってしまうとどうしようもないですが日頃から自分で正しい情報を探したいと思います。 「教育がビジネスになる」というタイトルで始まった二章この章で気になったのは全米に広がる教 師のインチキ合戦、なぜ教師の二人に一人は五年以内に辞めるのかの二つです。 まず、全米に広がる教師のインチキ合戦は、アメリカだけではないと思います。日本でもインチキ 教師は山ほどいるのではないでしょうか、学校で嘘を教えていて、その学校生徒達がおかしく思い親 に相談して解雇されたという事件を新聞で読みました。この事件で問題になった先生は「教えるのが 面倒だった」といっていましたが、なぜこの職についたのだろうと思っていました。もう一つの教師 の二人に一人は五年以内にやめるなかです。これは、一昔話題になったモンスターペアレントのせい だと思います。年々クレームがひどくなっているという情報は新聞で目にしました。この章では、職 をきちんと選ぶこと、アメリカだけではなく日本の教育現場が大変なことでした。 この他に二つ章がありましたが一章と同じくマスメディアについてでした。 この本を読み終えて思ったことは、九・一一同時多発テロで一人に少年が動かされ、本当の情報は 流されず大人になって苦しんでいる姿が一番心に残っています。日本でも、マスメディアの影響は大 きいと思います。毎日毎日新しいニュースが流れていてこの国の情報を担っています。ただ、すべて の情報が正しいとは限りません。今は、ラインやフェイスブック、ツイッターなど友達とつながるこ とができる一方、インターネット上に載る分けですから、個人情報もうかつに載せられません。情報 社会のこの御時勢、世界中から大量の情報を入手できて得をえられますが、自分達の情報も他人にみ られてしまうので、簡単に、携帯電話やスマートフォンで載せないようにして、インターネットやツ イッターなどには頼らずに、新聞、ラジオ、テレビを使ったり図書館に行って自分の力で調べること で、本当に正しい情報を得たいと思います。 その方が、その情報が正しくなかった時に、頭に残ると思います。 最後に、新聞で目にしましたが「ググるより辞書を引け」の言葉に感動しました。何かあったら自 分の力で調べたいと思います。 5 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 神様のカルテを読んで 『神様のカルテ』 夏川草介著 小学館文庫 電子機械工学科2年 弘永 海人 僕は物語の冒頭が好きだ。なぜなら、主人公の日常が描かれており、主人公が持つ日常的な感 情が鮮明に伝わってくるからである。これから非日常的なことが起こる物語の中での平凡な日常 は非常に重要な部分であり、主人公の感情の変化の根幹を担っている。そんな冒頭でこの作品は いきなり暗雲低迷な状態なのだから、この作品に見入らないわけがない。 この作品を読み進めるにつれて、一つの記憶がより鮮明に蘇ってきた。それは僕の祖父が昨年 病気で亡くなったということである。祖父ははとても優しく、子供のころから一緒に散歩したり、 虫取りをしたり、魚釣りをしたり、本当にいろいろな時間を一緒に過ごした。僕の生き物好きも 祖父の影響だろう。そんな祖父の余命を聞いたのは、祖父が亡くなる1ヵ月前のことだった。そ の時の僕には「死」とはどういうものなのかもまだ明白に分かっているわけでもなく、ただ茫然 とした曖昧な情報でしかなかった。 「死」を理解しようとしても、小さい頃の記憶に残る、祖父と いう強くて大きな存在が情報処理の邪魔をする。こうして何もしないまま、いや、何もできない まま三週間がすぎた。いよいよ祖父の容態が悪化してきた。そして、祖父と最後の面会をした。 祖父は痛々しいほど弱っており、その姿を見ると、小さい頃に祖父と過ごした空漠たる記憶の一 部が欠落したかのように感じた。そしてそのまま何も話せずに、その日に祖父は息を絶った。結 局、このときの僕はなにもできなかった。もし、この作品を読んだ後なら、なにかを行動に移す ことができただろうか。 この作品に描かれている「生」と「死」に対して僕は感銘を受けた。人の「生」には多くの人 が関わっており、同じように「死」にも多くの人が関わっているということを再認識させられた。 このことを踏まえてもう一度祖父の事を考えてみると、ただ何もできずに祖父が死んだ、という ことしか考えられなかった僕に、一つの疑問が思い浮かんだ。それは、祖父の僕に対する感情は どういうものだったのかということだ。この疑問が頭に浮かんでいろいろ考えてみても、どうも 結論にたどり着かない。僕は祖父といろんな時間を一緒に過ごしたし、孫として孫なりに接して きたのだから、愛されるのはあたりまえだと思っていた。しかし、それは子供の描く理想論であ り、愛されていると自分に言い聞かせて、自己満足で終わっていただけなのかもしれない。そん な不安定な感情を打破したのは、僕自身が祖父を好きであるという事実に気づいたときである。 祖父の笑顔を思い出すと、祖父は心から僕のことを想ってくれていたのだと確信できる。しかし この事実に気づくと同時に僕は一つの大きな後悔を自分の中に生み出してしまった。それは、祖 父の死に際に何も伝えることができなかったということだ。僕は、祖父の「生」に関わっていた 人間でありながら、祖父の「死」に関わることができなかったのだ。 では、あの時僕はどうしていればよかったのだろうか。それはもちろん感謝を伝えるべきだっ たのだろう。単純な単語でありながら、さまざまな意味が込められた感謝の言葉に勝るものはな いだろう。僕は本当に祖父に感謝しているし、もう、祖父のイメージが橙色で暖かい本当にやさ しい人だったのだから一言で終わらせるのが失礼なようにも思える。しかし、だからこそ、そん な優しい祖父に最後まで甘えてしまって、言葉を伝えることができなかったのかもしれない。理 由が分かったところで、もう祖父とは会うことも話すことも笑顔を見ることもできない。そんな 僕が次にするべきことは祖父のことを忘れず、祖父の記憶と共に生きるという事だ。つまり祖父 の「死」を介して僕の「生」と祖父の「生」に関わるということだ。祖父を思い出すと、いつで も暖かい気持ちになれる。いつも思っていることを見通す祖父だから、こんなことを考えて文章 にしている僕を天国からあの笑顔で見守っているのだろう。僕もその笑顔を想像して天井を見渡 す。 未だに僕は「死」というものを理解できていない。なぜなら「死」であるにもかかわらず、 「生 」にも関わるからである。現に今も祖父の「死」は僕の中で生きている。もし僕が死んだら、僕 は関わってきた人の中に記憶を残すことができるだろうか。でも心配することはない、今も僕の 中に生き続けている祖父の記憶が優しく教えてくれる。 6 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 「風が強く吹いている」を読んで 『風が強く吹いている』 三浦しをん著 新潮社 情報工学科2年 中西 亜美 どのような風だろう?向かい風か?追い風か? そんなことを考えながら、表紙をめくると、私は一気に物語の世界に吸い込まれた。 マンガオタクや司法試験合格者、クイズ大好き人間など、陸上初心者ばかりの個性的だが、どこに でもいそうな大学生十人が、それぞれの思いを胸に、本当の強さとは何か、走るとはどういうことな のか、葛藤や壁を乗り越え成長をしながら、箱根駅伝を目指し十人が学校の襷をつなぐ。 いくつか心に残った場面がある。 チームを引っ張るキャプテン灰二が、エース走にこう言った。 「速さだけでは、長い距離を戦い抜くことはできない。苦しい局面でも粘って体を前に運び続ける。 長距離の選手に必要なのは、本当の意味での強さだ。 」 この言葉は、私の従来の考えを打ち砕いた。 走ることにおいて大切なことは、速さだけ、強いて言えば、持久力くらいにしか思っていなかった。 この場面を読んでいるとき、昔の出来事を思い出し、この言葉の意味を理解した。 私は小学二年生の頃からバスケットボールをやっている。その中で、確実に私のチームが技術で上 回っていても、負ける事が多々あった。その頃は、なぜ負けるのか分からなかった。そのため、ひた すら技術を磨いていた。しかし今、この灰二の言葉がその答えをくれた。思えば、毎日シュート練習 やパスの練習、ランニングなど、技術面しか鍛えてこなかった。つまり、スポーツは技術が全て。技 術で勝れば必ず勝てる。と思い込んでいたのだ。肉体と精神は研げば研ぐほど、脆くもなっていく。 不安と恐れに打ち勝って、どんな塵にも耐えうるほど、鋭くなめらかに磨き上げる。その力が、灰二 のいう本当の強さなのではないだろうか。 私は、この本の描写が好きだ。他選手との競い合いの苦しさ、追い抜かれたときの脱力感、なにく そ!という闘志、そして純粋に走ることの喜び、などの感覚があまるところなく描き出されており、 まるで、自分が箱根駅伝を経験しているかのような感覚に陥った。しかも、 「走る」ことを通して結ば れていく登場人物たちの心情が美しい。長距離走や駅伝の経験がある人は、涙なくしては読めないの ではないだろうか?私は、長距離を走ったりすることはないが、とても共感できる。 読了後は、私の横を爽やかな風が通り抜けるほど心地よい感動があった。ふつうはエンディングは 切ないものが多いのだが、この本は違った。それは、箱根駅伝を目指して全力で駆け抜けたあの十人 の清しい未来を想像したからだろう。 この本に出会えてよかった。と心から思う。読書感想文を書くためだけに、ただなんとなく、で選 んだ本に人生の機微を感じさせてくれられるとは、思いもしなかった。このような本に出会ったのは 初めてである。 ここでもう一度、表紙を見てみる。しっかりと前を見据え走る青年がいた。この青年に吹いている 風は、わからない。しかし、どんな風であっても、自分にとってプラスにかえてしまうだろう。そう 思わせるほど青年の目はしっかり、強く、前を向いていた。仲間のために、自分のために、足を前に 運んでいる。読み始める前とは少し違って見える。私もこの青年のように、本を通じて良い意味で私 も少し変われた気がする。 走るという限定的なことではなく、ただ生活するにしても努力するにしても考えることは、 「この先 どうなるのだろう。どうすればいいのだろう。」とふと頭によぎる。だが今どうしたかの先にその未来 が待っているわけで、箱根駅伝が終わった後この部はどうなるのだろうと思ったとしても全員今に全 力で走った。思わないことは自分では不可能である。過去に縛られ、未来を想像する。だが、彼らの ように過去を、未来を考えたとしても今を全力で走ってみたいと思う。そして、たくさんの仲間と共 に夢に向かって駆け抜けたい。 7 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 戦争から学んだこと 『二十四の瞳』 壺井 栄著 角川文庫ほか 商船学科1年 齋藤 香澄 私は、この本の反戦という内容に驚いた。身も心も戦争へ投げ込めと教えられた時代である。当時 は許される事ではなかったはず。しかしその反戦への想いは、主人公の大石先生だけのものだったの だろうか。私はそうは思えなかった。「戦争」や「法律」、全ては国のためのものであり、それに従う 庶民のものではない。この本からは、戦争に対する不満や怒りを感じた。 この本は昭和初期、瀬戸内海べりの村の小学校に新しく赴任した女先生こと、大石先生とその先生 の初めての教え子である十二人の一年生の成長を描いた物語である。自転車など珍しい時代に自転車 で通勤し村人に批判されるところから始まるが、しだいに絆を深めていく。そんな彼らの運命を、戦 争は大きく変えてしまうのである。 大石先生は、大切な教え子を、船乗りの夫を、可愛い娘を、一人の母親を、戦争により失った。大 石先生にとって、日本の妻や母たちにとって、戦争の終わりがどんなに待ち遠しかったことだろう。 私なら、終われば失うものは無くなる、どんなに楽になるだろう、と弱音をはいただろう。口にする ことはもちろん、考えることさえ許されはしないが、だれもが心の底に秘めていたものなのではない かと私は思う。大石先生は初めての教え子が戦地へ出発する時、自分の真の気持ちを声をひそめて口 にした。 「名誉の戦死などしんさんな。生きてもどってくるのよ。」この言葉で私の胸は苦しくなった。 当時は生きてもどってくるなど、叶わぬことだと考えられていたからだ。しかしそれは、大石先生の 心の底にある本当の願いだったのだと思う。また当時は国のために命を捧げたことが名誉であったが、 そんなことはしなくてよいと言った大石先生の思いには、教え子への愛情や、また会いたいという願 いを強く感じた。それを聞き涙ぐんだ教え子たちは、どんなに悔しく、辛く、嬉しかっただろうか。 私にも彼の思いがわかる気がした。一人、また一人と失っていく大石先生。先生と妻、どちらの立場 にしても、戦争は大石先生をおいつめていたのである。そして長男の大吉をはじめ、多くの少年が兵 士を夢見た。大切に育ててきた子を戦地へやる親はどんな気持ちでいたのだろうか。戦争は、子ども たちの未来を奪い、親の希望さえも奪っていくのかと思うと今の自分の環境へのありがたさを感じた。 学校へ通い、勉強に励み、仲間と語り、平和に暮らせることがどれだけ幸せなことか、考えさせられ た。 二十四の瞳を読んで、戦争に対する私の考えが少し変わった。私は、小・中学校でヒロシマを勉強 する機会が多かったため、被害の大きさ戦争の大きさを判断していた。しかし、戦争というものの規 模はもっと大きいものなのだと思った。目に見える被害はもちろん、人々の心に残る被害も、全てが 戦争によるものなのである。大石先生とその家族、十二人の教え子たちからは、戦争がどんなに辛く 苦しく大変なものだったかを学んだ。 それと同時に親や兄弟、仲間や先生の大切さを感じた。毎日家族と笑い合い、仲間と語り合えるこ とが幸せなことだというのも彼らから学んだ。今の時代、携帯電話やスマートフォン、パソコンひと つでコミュニケーションをとることが出来る。また、成長していくにつれ、家族内の会話も少なくな る。今、人と人との関わり合いが減っていると思う。私はもう一度、家族や仲間がいることが幸せな ことだというのを考えなければならないと思った。 このお話の最後は、幼き頃の集合写真を見ながら生き残った者たちが涙する。人の温かみを感じる 場面だった。戦争は、彼らから多くの物を奪っていった。しかし、前へ進もうとめいめいが新しい一 歩を踏み出している。こうした戦後の人々の一歩があったから、私たちの今があるのだと思った。戦 争は二度と起こしてはならないものだが、戦争から学んだことはたくさんある。それは、戦争を経験 し戦後前進し続けた人々により、受け継がれている。私たちはそれをしっかりと引き継いでいかなけ ればならない。そして後世に伝えていかなければならない。この本は、色々なことを考えさせてくれ た。そして、色々なことを教えてくれた。この物語から、そう感じとった人は多かったのではないだ ろうか。戦争の意味、跡、失ったものは色々とある。得たものも色々とある。それをどう活用し、こ れから伝えていくか、私はしっかりと考えたい。そして「戦争」のない「平和」が永く続く世の中に したい。しかし今、平和に関する憲法のあり方が変わりつつある。私に芽生えたばかりのこの思いは、 成長し続けることができるのだろうか。 8 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 家族の大切さ 『赤毛のアン』 L.M.モンゴメリ著 村岡花子訳 新潮社ほか 商船学科1年 松尾 京 私には、父・母・弟の、三人の家族がいる。居て当たり前の家族だ。だが世の中には、それが当た り前ではない、家族のいない子どもも居る。この本は、それを強く感じさせる作品だった。 主人公アンの印象は、よく喋る、想像力の豊かな子だ。言い換えれば、妄想が激しい子とも言える。 しかし、それをしなければ、十一歳の子どもには、孤児院での親の居ない暗い生活には耐えられなか ったのだろう。バーリー家の近所だから「バーリーの池」と呼ばれる池を、自分で「輝く湖水」と名 づけたりしていたことから、そうすることでアンの世界は明るくなるのだと考えた。アンにとっては 必要なことなのだろう。私も、 「バーリーの池」よりは「輝く湖水」のほうがより美しく感じるが、名 前を「輝く湖水」に変えてしまうという発想はない。発想がないというより、考えられない。無邪気 な子どもだからこそ出来ることでもあるかもしれないが、それは、アンの一番の長所であると思う。 この物語は、アンがマリラとマシュウに引き取られて進んでいくが、マリラとマシュウの優しさと 覚悟がなければ、アンを引き取ることは出来なかっただろう。元は男の子を引き取るつもりだったの が、女の子だとどうだろうか。きっと、動揺は隠せないだろう。それなのに、マシュウは何も言わず、 アンを家に連れて帰った。本来の目的である、家の手伝いをさせることが出来ないかもしれないのに、 なんて良い人なのだろう。孤児院にアンを返さなかったマリラもさることながら、特筆すべきは、頑 固なマリラをその行動に移させた、マシュウの優しさゆえの我慢強さだと思う。子どもを一人育てる ことは、きっと大変なことだと思う。私がその立場なら、絶対に引き取っていたとは言い切れない。 そう思う分、マリラとマシュウが、より一層やさしく感じるのかもしれない。 そして、私が最も印象に残った言葉がある。アンの、 「いちばんよかったことは家へ帰ってくること だったわ」というセリフだ。この言葉は、私自身が同じような心境になったことがあるから、強く印 象に残った。 私は、この四月から家を出て、寮で生活している。合宿や大会で、寮以外の場所に宿泊する機会が あったが、その後に帰る場所が家ではなく寮だったことが、何となく寂しかった。今までは、帰る場 所が家だったのに、寮になったことが、言葉では表しにくい変な気持ちだった。これは、アンの置か れている状況とは異なるとは思うが、家という帰る場所があって、うれしいのは同じだと思う。夏休 み中に行なわれた試合後、直接家に帰ったときに、アンと同じように家に帰るのはいいなと思った。 寮が嫌なわけではないが、家には家にしかない安心感がある。 アンは両親を小さいころになくすという恵まれない環境で育っているから、今まで家族と育った私 に家族の大切さをわからせてくれた。はじめに述べたとおり、家族の居ない子も居るのだ。 私は家を出て、支えてくれる家族の存在の大きさが、今までよりもわかるようになった。学校に行 かせてもらって、食事を満足に食べさせてもらっている私は、本当に幸せ者だ。アンにもそのように 言える家族が出来て、良かったと思う。 アンは両親が亡くなって一人だったが、現在の社会では、自ら子どもを一人にする無責任な親もい る。一人になった子どもの気持ちは、 『赤毛のアン』を読んで、どんなに辛いのかわかった。もちろん 、体験はしていないから、完全にはわかっていないのだが。しかし、親が子どもに苦しくて辛い思い をさせていいはずがない。もし自分が親になったときには、絶対にそのような思いはさせまいと思っ た。 この先、アンの幼いころのような思いをする子どもがいなくなればいいのに、と思う。そう思った ところで、私に何が出来るわけでもないが、物語の最初のほうのアンを見ていてかわいそうと思った から、そう願わずにはいられなかった。それと同時に、私は今後も、家族がいる幸せに感謝し、家族 を大切にしていこうと思った。 9 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 風が強く吹いているを読んで 『風が強く吹いている』 三浦しをん著 新潮社 電子機械工学科1年 豊島 以知朗 以前の自分は、SF やアクション物ばかりに手を出していたが、今回、この本に出会ったことによっ ていろいろなジャンルの本も読もうと思うきっかけになった。 この本を最初に手にとった時は、箱根駅伝に出るまでの生活をおかしく描いた、現実とはかけ離れ たような内容だろうと思っていた。しかし読み進めるうちに、今まで感じたことのない気持ちに襲わ れた。この先、どんな展開が待ち受けているのかという、心が浮き上がる感じなど、初めて本にのめ り込めた気がした。 この物語の主役だと言える人物、走は、清瀬の紹介で竹青壮という今にもくずれ落ちそうなボロア パートに住むことになる。そして、そこに住む九人の住人たちとひょんなことから箱根駅伝に出場す ることになるが、作者の三浦しおんさんの想像の世界が広く、次に何が起こるのか予想できても意外 な展開になったりするので、とても面白い作品であると思う。 僕は、小学四年生の時からセーリング競技をしている。この話の中では、目標をしっかり持つこと により、例えばスポーツ経験がない人でも、みんな少しずつ自分を変えることが出来ていた。大きな 目標から、小さな目標まで、どんなものでもいいから、とにかく何か目標を持つことは大事だと思う。 それは僕も、今までのセーリング競技の中で体験してきたことだ。目標があり、それを達成した時の すがすがしい感覚は、その人本人にしか分からない宝物だと思う。しかし、この話では、一人一人の 目標に加え一つのチームで目標を立て、一人ではなく仲間と目標を達成していく。僕も、昔、チーム で競技をしたことがあるが、忘れかけていた達成感をこの話は思い出させてくれた。スポーツマンと しても、目標に対する努力は見習うべき部分だと思う。 また、仲間と協力することの大切さも改めて感じることができた。チームとしてお互いに協力し合 い、お互いにはげまし合うことで、チーム全体を盛り上げてよい競技をすることができていた。途中 で仲間の間でトラブルも発生したりするが、周りの仲間の協力もあり、その場をうまく乗り過ごすこ とができる。僕は、チームの中でのケンカの後の仲直りの後、仲間としての絆が今までよりもより一 層深くなるということを、強く感じることができた。 一番印象に残ったことは、チームを組んでから練習のつらさに弱音を吐くことは少しあったものの、 最後まで決して誰一人とてあきらめなかったということだ。努力をすれば、必ず結果はついてくると いうことをしっかり分かることができた。誰か一人でもあきらめると競技ができない状況にあったか らなのかもしれないが、その分大きいプレッシャーの中で努力をしてあきらめなかったことが、一人 一人を、そして、チームを成長させたのだと思う。僕もしっかりと努力をして、このチームのように 成長していきたいと思う。 場面場面で出てくる、この話のキーワードと言っても過言ではない「強さ」という言葉は、自分に 負けない強い心なのだと僕は思う。スポーツにおいても何をするにおいても、自分に負けない強い心 は必要であるだろう。実際に、チーム全員がその心をもって競技をしたからこそ、つらさに負けずに がんばれたのだと思う。僕はまだ、自分に負けている部分がある。これから生きていく上で、強くし っかりとした心を自分で意識していきたい。 この話を読んで、人の力の可能性の無限を感じることができた。努力次第で、人はどこまででも変 われるということを、この話から学ぶことができた。できることなら、まだ話が続いたらいいのに、 と思う。スポーツに対する気持ちを改めて引きしめ、新たな自分にチャレンジしていきたい。 10 第12回読書感想文コンクール優秀作品発表 図書館だより第23号 「アルジャーノンに花束を」を読んで 『アルジャーノンに花束を』 ダニエル・キイス著 情報工学科1年 小尾芙佐訳 早川書房 山田 智大 「勉強をしたいか」という質問を投げかけられてきた時に「面倒だから嫌だ」などと言う解答が返って くる。事実私もそのように返答するだろう。 たいていの「人間」は、小学校に上がれば読み書きが出来るようになり、本を読んだり計算が出来た りするようになる。だが成人しても幼児のレベルの知能しかなければどうなるだろう。もしも私がそ のようなことになれば様々なものを知るために勉強をして知識を得ようとすると思う。 この作品は、障害で生まれつき幼児レベルの知能しか持っておらず知識を得ることを強く望み、手 術で天才になったチャーリィ、チャーリィと同じく脳外科手術によって天才となった白ねずみのアル ジャーノン。そして手術を行ったストラウス博士などの彼らを取り巻く人々によって繰り広げられ人 と人とのつながりや人の命の尊さといったものが描かれている。 チャーリィは他人と同じくらいの能力を持って生まれてこなかった。それゆえ、小学校の一般授業 でもついていくことが出来ずに彼は見放された。彼の母親は、妹が生まれたことで「娘の人生を台無し にはさせない」と言って彼をおじの家に預けて追い出した。 周りから見てみればチャーリィの人生は決して幸福と呼べるものではなかっただろう。確かに三十 二年間の間他人とまともに会話することも出来ずに、手術を受ける前までは何も知らずに生きてきた。 現実を知る由も無かったはずだ。彼の友達は彼をバカにして嘲笑っていた。私であれば親友に裏切ら れたような気分になり、孤独を感じ社会の「重圧」に押し潰されそうな気分になるだろう。何より物語 の最後には元のレベルにまで知能が戻ってしまう。 しかし、本当に不幸だったのか。私はこの本を読んで決してそんなことは無いだろうと感じた。な ぜなら元に戻るまでにたくさんの人と出会い自分の感情をみんなに伝えられるようになったからだ。 何より関係を断ち切っていた家族と再会を果たし温かく迎えられたことだ。彼にとっては夢のような 瞬間であったに違いない。どんな人生であってもその一生の中には必ず光に満ち溢れている部分があ るのだと私は感じた。 チャーリィは、自分の書いていた日記の最後で「ついしん。どーかついでがあったらにわのアルジャ ーノンのおはかに花束をそなえてやってください」という言葉を残した。アルジャーノンは元々死んだ 時には火葬をする予定であった。しかしアルジャーノンの亡骸を引き取りアパートの裏庭に墓を立て 埋葬した。テストの時から一緒に過ごしてきた友達であったから墓をつくることは相当の悲しみであ っただろう。また、この時彼はこの先どうなってしまうのかと言う不安を感じていただろう。同時に アルジャーノンが死んでしまったことは彼に現実を突きつけるような出来事でもあった。しかし、チ ャーリィにとっては残された時間について考えることの出来る機会だったのではないだろうか。思え ばあの言葉にはアルジャーノンに対する想いが詰め込まれたものだったと思う。同じような状況に置 かれていた彼らは人生を共にした兄弟のような大事な存在だったのではないかと言うような印象を受 けた。 彼は最終的に真の友達と言える存在を手に入れることが出来た。残された時間の中で自分がどのよ うに過ごし、そのように変わっていくかが重要なのではないだろうか。人生では様々な予期もしなか ったようなことが起こる。私達のような年頃では人生の半分も生きていない人がほとんどだろう。だ が、いつ何が起こるかは誰にも想像はつかない。一日一日を大切に生きて自分のするべきことを成し 遂げていくことが何よりも大切なことだと私は考える。 この本の主人公であるチャーリィのように自分がこの先どうなっていくかを知っている人は少ない。 だからこそ、今までの自分を見つめなおすのが大事なのだろう。 11 推薦図書の紹介 図書館だより第23号 推薦図書 千ドルのつかいみち オー・ヘンリー 著/千葉 茂樹 訳 理論社 商船学科 吉岡 勉 「もしも、あたなが自由に使えるお金 10 万円を手にしたとき、何に使いますか?」 お金の使いみちとしては、自分のために使う、ほしい物を買ったり、おいしい物 を食べたり、旅行に行ったり、あるいは、自分自身への将来に投資・預金する人も いるでしょう。また、自分のためだけではなく、人のために使う、使ってもらう、 例えば義捐金として寄附する人もいるかもしれません。そのようにお金は、時と場 合により姿を変えるとても不思議な存在で、非常に便利なものです。 そこで今回、私が紹介したい図書は、「千ドルのつかいみち」です。この本は、 短編ですので、読書をすることが苦手な方や、読書する時間がない方にもお薦めの 一冊です。学生の皆さんも社会人になれば、儲けたお金を上手く使うこと、お金と 上手く付き合っていくことが、今以上に求められることになります。お金の使いみ ち、使い方によって周囲の人との関係や自らの人生をも変えてしまうかもしれな い、お金という存在を、改めて考えさせてくれる一冊になるはずです。 12 推薦図書の紹介 図書館だより第23号 推薦図書 アルジャーノンに花束を ダニエル・キイス 著/尾野 芙佐 訳 ダニエル・キイス文庫 情報工学科 松村 遼 推薦図書の紹介を、と依頼され、何を紹介しようかと悩んでいたところ、ちょうど 2015 年 4 月から「アルジャーノンに花束を」のドラマが放映されるとの情報を得ました。これ を聞いてこの本を読み終えた時の感動が蘇り、ぜひ皆さんに読んでほしいと思い紹介する ことにしました。 「アルジャーノンに花束を」-この物語は主人公である精神遅滞者(いわゆる知的障害) のチャーリーによる報告書という形の一人称で進んでいきます。彼はある日、自身が通っ ていた精神遅滞者専門の学習クラスの監督者である大学教授から最新の脳手術を受けるよ う勧められます。先んじて動物実験にて、この手術を受けていたハツカネズミの「アルジ ャーノン」 (後に彼が世話をすることになる)の驚くべき知能を目撃したチャーリーは手術 を受けることを承諾します。手術により天才的な知能を得たチャーリーですが、賢くなる につれ、友達だと思っていた周囲の人間から実は馬鹿にされ、いじめられていたこと、母 親に捨てられていたことなど知りたくもなかった事実を知るようになります。楽しかった 日々は失われ、孤独に陥る苦悩に晒される…、とこれ以上書くとネタバレとなってしまう のでここで止めておきます。 本書は報告書という形をとっていると先ほど述べました。そのため、冒頭では間違いだ らけだった文章がチャーリーの知能の向上に伴い、次第に高度になっていくように書かれ ており、チャーリーの変化が如実にわかるようになっています。著者であるダニエル・キ イスの発想・手腕にはただ感服するばかりです。また原著の文体を日本語で再現した小尾 芙佐氏の名訳も光る一冊となっています。 ダニエル・キイスは物語を通じて、幸福とは何なのか、人間の本質とは何なのかを問 いかけています。著者自身が出した答えは最後まで読んだときにわかると思います。皆さ んの答えはどのようなものでしょうか?本書を読んで考えてみてください。 13 ブックハンティングに参加して 図書館だより第23号 私はブックハンティングに参加して2つの どんな本を買うかを決めていなかったこと ことを学びました。まずはっきりとした計画を もあり,本を選ぶ時間が短く,集中して本を選 立てることです。私は忘れ物をして電車に遅れ んでいると気が付いたら時間がなくなってし てしまい,皆に迷惑をかけてしまい,情なかっ まっていたので,もう少し時間を長くしてほし たです。2つ目にブックハンティングが難しい いと感じました。 ですが,とても楽しかったです。私が選んだ本 情報工学科3年 安藝 良太 を他の人が面白そうに見ているのを想像する ブックハンティングに参加した感想は,本を ととても嬉しくなります。ブックハンティング 選ぶことが難しかったです。僕は自分の欲しか に参加できていい経験になりました。 ったプログラミングの本を何冊か買いました。 商船学科1年 赤崎 凛平 その他にもライトノベルや数学に関係する本 今回のブックハンティングでは,初めての広 も買いました。特にプログラミングの本は「図 島ということもあってか,少々テンパってしま 書館に思ったより少なかった。 」と思っていた いました。 学生も何人かいたと聞きました。プログラミン 本を見つけるのになかなか時間がかかり大 グ能力を上げるためにも,先日買った本を有効 変だったけど,とてもいい経験ができたと思い に活用していかなければならないと思いまし ます。 た。 電子機械工学科1年 山本 楓真 情報工学科3年 藤川 晃希 今回初めてブックハンティングに参加して, わたしは今回初めてブックハンティングに参 自分はマンガしか読まないので,文庫本を探す 加しました。参加しようと思ったきっかけは、 ときにどんな本を選んだらいいかあまりわか 元々読書が苦手なわたしでも、自分が興味を持 りませんでした。これからは,マンガだけでな って選んだ本なら読書が好きになるのではな く文庫本も読んでいこうと思います。また,来 いかと考えたからです。実際に書店で自分の手 年も参加して学校のみんなが読みたい本を選 で本を手に取って選んだ十数冊の本は今すぐ んで,学校に貢献したいと思います。 にでも読みたいという衝動にかられています。 商船学科2年 古谷 暢 ブックハンティングをきっかけに読書という 電車を降りて,11時30分に本屋に着いて, 45分から本を探せるのが1時まで,私は本を 探すのに1時間弱しかなかったので少ないと 感じた。しかも本屋も広いし,1人だいたい1, 5000円だし,とても大変だった。 しかし,それと同時に学校の行事でこういう ことができるというのはすごいと思った。冬に もう一度あるので,それもとても楽しみだ。 情報工学科2年 伊藤萌樹 14 ものに興味、関心が湧いてきました。 商船学科5年 遠崎 靖子 図書館利用状況 図書館だより第23号 平成 27 年 1 月 31 日現在 年度別入館者数・貸出人数・貸出冊数 (人数) 25,000 (冊数) 10,000 20,000 8,000 15,000 6,000 10,000 4,000 5,000 2,000 入館者数 貸出人数 0 0 22年度 23年度 24年度 25年度 26年度 22 年度 23 年度 貸出冊数 24 年度 25 年度 26 年度 入館者数 20,446 20,055 21,110 20,530 13,033 貸出人数 1,577 2,119 2,409 2,542 1,946 貸出冊数 3,386 4,525 5,202 5,227 4,102 平成26年度学年別利用状況 (人数) 500 (冊数) 1,000 400 800 300 600 200 400 100 200 0 1年 2年 3年 1年 4年 5年 2年 貸出人数 0 貸出冊数 専攻科 3年 4年 5年 専攻科 貸出人数 332 310 275 337 267 90 貸出冊数 787 759 636 583 536 193 15
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