高見先生 先生と会うといつも、私の心は早朝の雪原のようになりました。 ことばはこころであり、こころはことばのように思われます。しかし人というものは、かくも厄介な 生きものですね。考え、伝え、他者と意思疎通していかなければ、どうしても生きていかれないので すから。 一人は孤独で、一人に真実はありませんでした。ことばをもって人は心を表し、心を伝播します。真 実はそれらの内のどこかに秘められているに違いなく、それらの内に私たちの生きる意味が、星空の ように散りばめられているのかもしれません。 先生は私の医師であり、幼いころはたったひとりの大切な友人でした。一人の人間として、先生はい つも私を尊重してくれました。そして、私もずっと先生のことを尊敬していました。実のところ、言 語治療を終えて何年も経ってから、先生が言語聴覚士という国家資格を確立したひとりだと知って驚 きました。最近先生の本も読みました。自分が研究実践の道を志すにいたり、いま改めて、先生の研 究者としての学際的かつ実践的な臨床のアプローチに感動しています。そして、どのような患者に対 しても一人の人間として接する、その思いに感銘を受けました。 ことばは私に生きる意味を与え、表現し、人とつながる喜びに、気付かせてくれました。先生がいな ければ、きっと私はここに存在すらできなかったでしょう。私は生きなければなりません。それは決 して自分のためではなく、すべてのために。そのような意味のもとに生命が生まれ、自分の存在理由 があると信じて。 うまくことばでは言い表せませんが、とても感謝しています。海が心で溢れそうになるくらい、感謝 しています。 リンツより心を込めて。 田中ゆり 追伸:自分が小学生だった頃にもお話ししましたが、実家の電話口で母と間違えられることが度々あ りました。おかしな話ですよね。母は亡くなったのでもう比較できませんが、今でもそうなのでしょ うか?少し気になっています。また今度、「経過観察」していただけたら嬉しいです。
© Copyright 2024 Paperzz